PHOTO:アラスカ・マッキンレー山
目次
(出発篇)
オトーサン、 娘に会いにNYに行くのは、久しぶりです。 1999年の暮れ以来ですから、 1年半ぶりの再会ということになります。 奥方とおしゃべりしていて 「今年は、後ろ髪をひかれる思いだなあ」 2週間も畑を留守にすると 取り残した作物がダメになるかと、 心配です。 「畑のスイカが心配ねえ」 そうなのです。 もう少し、大きくなって、 赤く熟せばいいとは思うのですが、 帰国した後、つまり20日くらい後になると、 パックリと割れてしまうかもしれません。 オトーサン、 上機嫌で聞きます。 「何種類くらいあるかなあ」 今年は、春先、畑仕事に精をだしたので、 いろいろな作物が出来ています。 「20種類くらいじゃなーい」 そこで、メモ用紙に書き出してみました。 スイカ カボチャ メロン ミニトマト なす 枝豆 いんげん じゃがいも とうもろこし ネギ ダイコン 赤ダイコン 人参 ごぼう たまねぎ ぴーまん パセリ とうがらし レタス 白菜 ほうれん草 カブ うぐいす菜 チンゲン菜 紫蘇 ミョウガ アスパラ ズッキーニ 行者ニンニク 各種のハーブ 「おお、30種類もあるぞ。 お前、随分、欲ばって植えたなあ。 このほかに、花もたくさん植えただろ。 コスモス、それから何だっけ?」 「あたし、もう寝るから後にして。 引越しで疲れてるから」 オトーサン 上機嫌が、まだ続いています。 「ミニトマト、 もう見るのもイヤになったなあ」 スーパーのビニール袋に10杯分くらいできました。 最初は、真っ赤にうれたトマトを うれしく食べていたのですが、 毎回、食卓に出てくると、 人間って、どこまでも贅沢なものです。 あまり有難くなくなるのです。 ルビーのような輝きが失せてきます。 このミニトマト、 あちこちに配って歩きました。 お返しに、陶芸作家のかたからは お皿をいただいてしまいました。 「エビタイだなあ」 それでも、まだ残っています。 「来年もやろうか」 「契約栽培農家になれそうよ」 行きつけのカフェ、 ブルーベリーでは、 オトーサンちのパセリを心待ちにしています。 「それはそうと、 今年は、雑草とりに精を出したから、 雑草の心配はしないでいいなあ」 「そうね。毎年、帰ってくると、 雑草が背丈ほど生え繁っているのよねえ」 いんげんも、 いやになるほど取れました。 「いんげんも、ウンザリね」 奥方が、いつの間にか会話に復帰しています。 「なーんだ、起きていたのか」 先程のもう寝るからというのは、 オトーサンの 「お前、随分、欲ばって植えたなあ」 という表現に気を悪くしたのに違いありません。 そんなことで、 畑仕事、そして引越し騒ぎのおかげで、 旅行の準備のほうは、 遅々として進んでいません。 「明日は、お金も少し下ろさなければなあ。 いくらドルに替える?」 「私は、いいわ。 今回は、あなたにぶら下がるから」 「おい、おい」です。 「さっき、 ロンドンの娘に電話したら、 アラスカ旅行の費用は、 パパ持ちだといいなあって 言ってたわよ」 ロンドンに留学中の次女も合流して、 ひさしぶりに家族団欒をしようというのです。 必要経費かもしれませんが、 再び、 「おい、おい」です。 今年は、 予定外の引越し騒ぎで、 エアコン2つ、家具、照明器具など お金が気持ちよく流出していきました。 「そんなこと言っていたか。 勘弁してよ。 オレ、ほんとに、もう、お金ないんだよー」
2 アラスカはどう?
オトーサン、 娘に「NYに来たら、 どこかへ遊びにいこうね」 と誘われました。 「どこでもいいよ、 おまえの好きなところなら」 どこまでも娘に甘いパパです。 「ペルーに行きたいのだけれど」 「ペルー?」 ペルーといえば、 フジモリ前大統領を 日本がかくまっているというので、 問題になっている国です。 センドロ・ルミノッサとかいうゲリラは もう活動を停止しているかもしれませんが、 治安が心配です。 「ペルーはなあ... アメリカ国内ではダメかい?」 「出張であちこち行っているから、 もうアキアキしてるの。 ...じゃあ、止めようか」 「でも、なあ。せっかくの機会だから」 「そうお?」 そんなことで、話は一旦流れました。 その後、ペルーでは、大地震が起きました。 「行かないでよかったなあ」 1ケ月くらいして、 娘から、電話がありました。 「アラスカがいいそうよ、どう?」 「アラスカねえ...」 電話口で口ごもります。 アラスカというと、 昔、航空機が燃料補給のために 必ず立ち寄った場所。 アンカレッジ空港からみる あの凍てついた荒涼とした大地しか 思い浮かびません。 それでも、 娘は 「アラスカ=命」 とすでに思い詰めているようで、 以下のメールがやってきました。 佐々木家の皆様、 夏休みのスケジュールを立てました。 8月21日 パパ+ママ NY着 23日 次女 NY着 30日 アンカレッジ着、夕方ごろ (2泊) 31日 氷河クルーズなど 9月1日 鉄道にて移動、 午前8時>デナリ国立公園着、午後4時(4泊) 2日 自然散策、マッキンレー山眺望 川下り、動物と戯れる、シャケ料理堪能 3日 同じ 4日 同じ 5日 鉄道にて移動 午後4時>フェアバンクス着 午後8時(1泊) 6日 フェアバンクス発 午後3時 7日 NY着、早朝 8日 のんびり 9日 帰国 という感じでどうでしょ? 旅行は、アラスカ自体が何しろ広いため、 移動で疲れることを予想してゆったりめにしてみました。 宿だけど、デナリだけ一応予約しときました。 宿のお姉さんと話したところ、 ホステル形式で安く、清潔、簡素といった感じのよう。 4人=1泊100ドルくらい。 詳しくはホームページを。 http://www.hostelalaska.com/hostelalaska001.htm というわけで、とりあえず「地球の歩き方」を研究して 来週末くらいに大体の手配を終えようと思っているので、 注文があればお早めに。 オトーサン、 まるで最後通牒のようなメールを読んで、 奥方に聞きます。 「デナリって何だい?」 「さあ、何でしょうねえ。あら、国立公園らしいわよ」 「公園にいってどうするんだ?」 「まあ、そういわないで、地球の歩き方でも 立ち読みしてみましょうよ」 そんなことで、近所の本屋にいきました。 「ないな」 「アラスカはないですか?」 「さあ?」 頼りない返事です。 それでも、大きい本屋に行くと、 アラスカというのもあります。 「ふーん、 マッキンリーって あの冒険家の植村直己さんが遭難した山か、 アラスカもなかなか面白そうじゃないか」 あちこち、HPを覗くと、 9月の平均気温は10度。 紅葉の季節だそうです。 「寒いな。雨が多いらしい。 アウトドア・ウエアがいるなあ」 でも、アラスカは野生動物の宝庫と書いてあります。 YAHOO!に「デナリ国立公園」と入力すると、 いくつかのHPに、シカやクマ、雷鳥などの見事な写真が 掲載されていました。 その後、 娘と激しいメールのやりとりがあって 出発直前になって、 ようやくアラスカ行きの最終日程が決まりました。 29日 LGA発 7:00am(シカゴ経由) ANC着 1:02pm、市内観光 30日 ANC 1日氷河クルーズ 31日 ANC アラスカ鉄道にて移動 (朝8時発ー>夕4時着)DNL 自由行動 1日 DNL:天候次第でトレッキング、犬ぞり見学など 2日 DNL 1日園内シャトルバスツアー 3日 DNL:川下りなどオプション 4日 DNL発 アラスカ鉄道にて移動 (4:00pm発、8:00pm着) FBS 運が良ければオーロラ観測 5日 FBS 6:38pm発ー>ANC着7:30pm 夕食、買い物 6日 ANC発 12:05am発(デンバー経由) LGA着 1:35pm 注;ANC:アンカレッジ、DNL:デナリ国立公園、 FBS:フェアバンクス、LGA:NYラガーディア空港
3 にわかカメラマン誕生
オトーサン、 アラスカ旅行が決定すると、 にわかに、実感が湧いてきました。 HPにはこんな体験記も出ていました。 Alaskan Denali 7 days 8/29〜9/4まで参加した幸山かおりさん 一番楽しかったのはデナリでのハイキング。 14頭の熊、カリブーやムースを観察できた。 高い斜面にしかいない ドールシープを間近で見られました。 高く登っただけ見下ろす山や斜面、 赤く染まった大地に、 「こんな美しい場所はない!これ以上はない!」 と感動しました。 これからは何を見ても 見劣りしてしまうのではないかと 登山好きの私は不安に感じるくらいキレイだった。 絵はがきよりキレイで、 写真には残せない美しさを忘れないでおこうと ずーっっと見てました。 皆も同じ気持ちだったと思います。 7日間の素晴らしい体験を分かち合った 1人1人が忘れられません。 皆と別れて空港で1人になったとき 本当に寂しかった。 オトーサン、 ぐんぐん、気持ちがハイになっていきます。 「おれは植村さんの遺志をついで、 マッキンリー登頂を果たすのだ」 なーんていうことは、まったくのムリですが、 名カメラマン気分には、なってきました。 たまたま先日、動物写真で有名な 岩合光昭さんにお会いしたことが影響しています。 影響されやすいひとなのです。 岩合さん、 1年間小淵沢に住んで、 「小淵沢日記」を出されて、 写真展を清里の清泉寮で開催されました。 オトーサン、 会場に行き、写真集を買い、 サインをもらい、立ち話もしました。 「要するに、 写真はガマンだ。 それだけだ。 シャッター・チャンスをものするには、 じっと待つんだ。 何もなさそうなアラスカに 何泊もするのは、 すべて、これ、歴史に残る 野生動物の写真をとるためなのだ」 オトーサン、 それから、 いそがしくなりました。 写真の腕なんか、 ないに等しいのですから、 まずは、優れた機材の調達です。 HP作成には、 やはり、デジカメが不可欠です。 できれば、望遠レンズもほしいところ。 そうでないと、 遠方の野生動物を撮影できないからです。 奥方と一緒に何遍も、 有楽町のビックカメラに足を運びました。 デジカメの売れゆきは、絶好調で、 今年は1500万台を越すそうで、 目がくらむほど、 いろいろな新機種が出ています。 でも、いざ本腰を入れて探すと、 なかなか希望通りの機種ってないものです。 画素数や小型・軽量化競争ばかりで、 ズームの倍率10以上の機種は、 数えるほどしかありません。 しかも、10万円以上と値段が高いのです。 オトーサン、 いい機種があったら、 買い替えようかと思ったのですが、 やめました。 長年愛用している オリンパスのC900 ZOOMは、 131万画素ですが、 HPづくりには十分の性能です。 ただし、電源が単三乾電池4本なのが難です。 しょっちゅう取替えなければなりません。 さらに、ZOOMといっても 倍率が3倍では、望遠とはいえません。 一方、 奥方のソニーのデジカメは、 300万画素で、充電式です。 150分も使えます。 64Mのメモリースティックで 942枚も撮れます。 ただし、ズームの倍率が6倍なのが難です。 ビックカメラでは、 たまたま、ソニーに適合する マクロレンズを売っていました。 奥方に、 「望遠レンズ、買ったら?」 ともちかけます。 「そうね。1万円くらいならいいわ、 買おうかしら」 「しめしめ」 オトーサン 「これで1件落着」 と胸をなでおろしました。 ところが、 数日後、奥方は、 どこで聞き込んできたのか、 「望遠レンズはやめたわ。 三脚をもっていかないと、 手ぶれするらしいから」 そして、 オトーサンに言います。 「あなた、ビデオカメラもっていたわよねえ。 あれならズームの倍率もいいみたいよ」 「ナショナルの奴かぁ...」 語尾が下がります。 「あれ、重いからなあ」 買った当初は、愛用して、 海外旅行には必ず持っていたのですが、 最近は、 サッパリご無沙汰です。 「大体、撮ったって、 いそがしくて、 後で見ることなんか、ないんだよなぁ」 でも、奥方は強腰です。 「ビデオに収めておくと、 いい記念になるわよ。 アラスカなんか2度と行くことないんだから 年とって足腰が立たなくなってから 見ればいいんだから」
4 名誉の負傷
オトーサン、 結局折れて、 重いビデオカメラをもっていくことになりました。 「使い方忘れたなあ。 説明書はどこへしまったっけ? 電池も充電しなければなあ」 またまた、仕事が増えました。 出発日も迫っているというのに、 衣類も書類も身の回り用品も まだ鞄につめていません。 「歯ブラシはどこへ行ったっけ。 ヒゲソリの乾電池もいるなあ。 万歩計の電池も交換しなくては... 雨具もいるな... お金も下ろさなければ... ドルに替えなければ... そうそう、 今月の家賃もまだ払っていなかったっけ。 暑中お見舞いのハガキにも 住所変更の通知がてら、 返事を書かなくては」 オトーサン、 そんなアタフタの最中、 マンション2階のガラスの屋根に、 スーパーの白い袋が落ちているのを 見つけました。 上のほうの階で誰かが落としたのを 風が運んだのでしょう。 「汚いなあ」 毎回、通りかかるので、気になります。 奥方は、 「そのうち掃除してくれるわよ」 楽観的な見通しを述べますが、 そう事態は、甘くはありません。 そこで、 義侠心を発揮して、 手すりを乗り越えて、 屋根に飛び移り、 その白いゴミ袋を取りに行こうと 身を乗り出しました。 「ボキッ」 全体重63kgが胸部にかかって 胸に強烈な痛みが走りました。 おかげで、 昨夜は、痛くてよく眠れませんでした。 上を向いて寝ている分には 痛くもかゆくもないのですが、 横になろうとすると、 痛みが走るのです。 肋骨にヒビが入ったのかもしれません。 眠れないまま、考えます。 「旅行前というと、 いつも何かよくないことが起こるんだ。 今回は、直前で旅行中止の運命かもなあ...」 気持ちは、どこまでも落ち込んでいくのです。 翌朝、 オトーサンは、 痛くてベッドから起き上がれません。 「こりゃ、やはり旅行中止かぁ... 午前中に医者に行っておいたほうがいいだろうなあ。 でも、引っ越したばかりで、 どの病院がいいか分からないしなあ。 ...しばらく様子を見るか。 アメリカの医者にかかることになるかもなあ。 でも、まず旅の支度をしようっと」 そこへ、 鞄に自分の荷物を 順調に詰めこんでいる 奥方が声をかけてきます。 「湿布、取り替えなくていいの?」 うれしい思いやりですが、 鞄に荷物に入れようかと 手をのばした矢先だったので、 出鼻をくじかれました。 命令にしたがって、 薬箱まで這っていく仕事ができました。 こうして、 オトーサンの 明日に迫った旅行準備のほうは、 グングンと力強く 遠のいていくようです。
5 箱崎無情
オトーサン、 いよいよ出発日の朝を迎えます。 「台風がきてるな。 欠航にならないかなあ」 心配なので、ヤフーの天気図を見ました。 「おお」 台風の大きな円がいくつも 日本列島に覆いかぶさっています。 出発の21日午後3時はとみると まだ関東地方には影響がなさそうです。 念のために、 NHKの7時のニュースも見ます。 アナウンサーが解説をしている天気図は、 ヤフーと同じです。 「そうか、ヤフーと同じだ」 このところ株価が下がっていますが、 天気予報まで狂ってはいないようです。 オトーサン、 窓の外を見ます。 「雨だ」 念のためにヴェランダに出て、 手を差し出します。 雨滴がポツン、ポツンと 手のひらに当たります。 やはり雨です。 奥方に声をかけます。 「雨だよ」 「そうよ」 「そうだよなあ」 成田空港へは、 東京駅まで出て、 そこから成田空港というルート、 西日暮里から京成電鉄のスカイライナーに 乗って成田空港へというルートもありますが 雨なので、 タクシーで箱崎にある シティ・エア・ターミナルから 成田というルートをとることにしました。 晴海トリトンには、 住友商事の本社が入っているので、 目の前にタクシーが並んでいます。 「ほら、これだと、雨に濡れないですむ。 それにチェックインも簡単だしなあ」 「そうね。でも高くない?」 「いや、そんなにかからないはずだ」 オトーサン、 すでに晴海から東京駅まで タクシーでいくらかかるか、実験済みです。 1300円でした。 中央区全図を広げて距離を想定します。 「距離は東京駅までと同じだから、 1300円くらいじゃないかなあ」 実際には、 雨の為に道路が混雑して、 1540円もかかりました。 奥方が渋い顔をしたのは、 言うまでもありません。 雨にたたられたのか、 その後、 立て続けに不快なことが起こりました。 第1は、箱崎ではノースウエスト航空の チェックインができなくなっていたことです。 第2は、成田までのバス代が 2700円と思っていたら、 値上げして 2900円になっていたことです。 第3は、パソコンの入った荷物の取り扱いを 拒否されたことです。 バスの荷物スペースに 大きい旅行鞄を入れようとしたら、 黄色い制服の係員に 「壊れものはないですか」 と聞かれました。 「携帯用のパソコンが入っているよ」 と答えたら、 「ご自分で車内まで運んでください」 と言うのです。 「そこへちょっと静かに入れるだけだろう」 オトーサン、 驚いて聞きました。 「では、壊れてもいいというサインをして ください」 ちゃんと用紙まであるのです。 そんな不快な対応をする一方で、 バスが出発するとき、 黄色い征服の係員たちが整列をして 深々と頭を下げて いつまでも見送っているのです。 オトーサンたち、 成田に向かうバスのなかで会話します。 「一体、何やってるんだろうなあ。 いばったり、頭さげたり」 「こんな調子だから、 箱崎は駄目になっていくのよねえ」 「帰りはやっぱり京成ルートにしような」 「そうよ、京成スカイライナーなら、 1900円で行けるもの。 JRだって、2940円、 40円高いけど、東京駅からいけるわ」 箱崎ルートの 名誉回復のために付け加わえると、 雨だったのに、 予定通り55分で成田空港に 到着しましたよ。 しかも、出発ロビーの前に横付け。 「これはいいわねえ」 奥方も高く評価しました。
6 ノースレイン航空
オトーサンたちの 出発時刻は、午後3時25分。 なぜか、 3時15分に繰り上げ。 和食を取り、 なぜか、 食後に、わらび餅も食べます。 娘の職場のひとのみやげは いつもは、ひよこなのですが、 なぜか 東京ばな奈を買ったりしていると、 あっという間に、 2時間が過ぎていきます。 オトーサン、 機内に落ち着いて、 「いい席だなあ」 窓際で、しかも翼の上ではないので、 見晴らしは抜群です。 雨に濡れる空港風景も味があるものです。 鼻歌でも歌いたい気分。 「台風にぶつからなくて、よかったわねえ」 奥方も大満足です。 大満足の理由は、もうひとつあります。 というのは、 今回の航空運賃はタダだったからです。 競争激化で、 マイレイジ制度を採る会社が増えました。 97年に加入して以来、 ノースウエスト航空だけを使ってきました。 「食事もまずいし、 サービスもよくないけどなあ」 ただ、マイレイジを溜めるのが楽しみで 使ってきました。 ようやく9万マイル溜まったので、 そのうち6万マイルを 今回の旅行に当てたのです。 何だかんだ言っても、 アメリカ往復がタダというのは、 気分がいいものです。 しかも、タダ旅行なのに、 いい席をくれるなんてサイコーです。 ところが、 世の中、そう甘いものではありません。 この機体、そうとう古いのか、 トイレのひとつが、 out of workでした。 壊れているのです。 おかげで30分待ち。 そして、 ああ、 オトーサンの頭に水滴が落ちてくるのです。 雨漏りがしているのです。 早速、 ステュワーデスさんに、 文句をいいましたが、 カウボーイのような大女、 「よくあることよ。 しばらく我慢していて」 と取りあってくれません。 喧嘩をしても負けそうだし、 オトーサン、 雨雲を突き抜けて、 青空に出るまで 雨滴ガしずかに落ち続けるのを オトーサン、 じっと我慢していたのです。 「これから、 絶対ノースウエストなんか 使ってやらないからな」と息巻きます。 「ひどい会社ねえ」 奥方が同情してくれます。 「でも、あと3万マイル残っているでしょ。 今やめるのは、勿体ないわよ」 そのなのです。 奥方の席は、 雨漏りがしないから 理性的な判断ができるのです。 機内アナウンスがはじまって、 溜まったマイレイジを チャリティに回すよう呼びかけていました。 「そんなことよりも、 恵まれないオトーサンに 愛の手を, 雨水をためるバケツを! これじゃ、まるで ノースレイン航空だぁ」 最初に ほんの少し 雨漏りはしましたが、 オトーサンが新たに ニックネームをつけた ノースレイン航空は 13時間飛行して 無事ニューヨークの JFK空港に到着しました。 何だかんだあっても、 ノースレイン航空は、 安全なのです。 ノースレイン航空は、 みなさまに、 総体的にみて、 安全で快適な飛行をお約束いたします。 (付記) 帰り便では、 機内灯が故障してました。 コーヒーカップにヒビが入っていて、 Yシャツにシミがつきました。 ノースレイン航空は、健在でした。
7 人間観察
オトーサン、 ニューヨークの楽しみ方には、 いろいろあると思います。 エンパイア・ステートビルに上ったり、 自由の女神を見物したりといった 定番の観光にはじまって、 お目当てのお買物やグルメ探訪も楽しいし、 ブロードウェイなどでの観劇、 メトロポリタンなどの美術館巡り、 また、広大なセントラルパークの散策も おすすめです。 でも、 オトーサン、 リピーターとして断言しますが、 何といっても楽しいのは、人間観察です。 ここは、世界の首都。 人種のるつぼとも、 サラダボウルともいわれるので、 いろいろな皮膚の色のひとがいます。 でも最近は、事情が変わってきました。 人種差別や偏見がなくなってきたので、 ライフスタイルのちがいのほうが、 目立つようになってきました。 実にさまざまなひとを見かけるのです。 オトーサン、 イーストサイドの娘のアパートの近くの アガタ&ヴァレンティーノという 高級食品スーパーに買い物に行って 窓際の止まり木に腰かけて、 生のオレンジュースを飲みながら、 頬杖をついて、 かれこれ、小1時間も、 奥方と人間観察に精を出します。
PHOTO:アガタ&ヴァレンティーノ「あのワンちゃん、 甘えん坊ねえ。 ご主人のほうばかり見てる」 奥方がそういうので みてみると、 リチャード・ギアのような好男子。 白いシャツに青いジーンズの短パン、 スニーカーの形も、決まっています。 「日本の中年男性で、 ああいうお洒落なひと少ないのよねえ」 オトーサン、 自分のことを言われたようで ギクッとします。 我ながら、今日の出立ちは、 他人に自慢できるものではありません。 100円ショップで買ったグレイのTシャツ ズボンは、青の細かい縦縞。 これは、EDWINのアウトレットで 買ったもので500円。 履き古した茶色のアウトドア用の靴。 顔形や姿がカバーしているかといえば そんな気配はみじんもありません。 どこをとっても、 どう贔屓目に見ても。 知性のかけらも、 黄金の輝きも見えないのです。 「....」 しばらく無口になります。 オトーサン、 思わず叫びます。 「あっ、ジュリア・ロバーツだ」 赤いシャツに白いロング・パンツの女性が、 颯爽とドアを開けて入ってきます。 ドキドキします。 運動をしているのか、 バミューダあたりで焼いてきたのか、 顔はよく陽に焼けています。 瞳の色は、アイシー・ブルー、 髪の毛は、アッシュ・ブロンド。 白く輝いています。 爪に真っ赤なマニキュア。 でも、残念ながら 近くで見ると、相当のお年です。 奥方は、 すばやくオトーサンの視線の先を 把握します。 「どうして、こちらのひとは 子供の頃、天使のようだったのが、 あんな化け物になってしまうのかしら」 と皮肉ります。 「そういうお前も」 オトーサン、 そう言いかけて、 思いとどまります。 娘のアパートのカギは、 奥方がもっているのです。 もし、立ち去られたら、 オトーサンは遠い異国の地で 路頭に迷うことになりかねません。
8 Yシャツ選び
オトーサン、 日本の若い娘さんの ファッションの水準は、 ニューヨークに負けなくなった と断言いたします。 男の子だって、負けません。 ビジネスマンの服装だって、 もう少し仕立てのいい服を着れば、 すぐにでも、追いつきそうです。 問題は、カジュアル・ウエア。 センスのちがいが歴然としています。 オトーサン、 午前中にブルーミング・デールの 紳士服売り場に行ってきました。 CKのYシャツを探します。 店員さんが ”May I help you?” と聞くので、 自分は、白いジャケットをもっている。 ズボンはこれ。 どのYシャツにしたらいいか迷っている。 サゼスチョンをお願いしたい。 すると、 若い黒人店員は、 青いYシャツと黒味がかったYシャツの 2つを推奨します。 奥方は、青を勧めます。 オトーサンも同感ですが、 せっかくの機会ですから、 もう少し冒険をしてもいいかなと思って 「キミなら、どちらを選ぶ?」 と店員に決断を迫ります。 彼は、 Yシャツを手にとって 生地をズボンに当てて、 じっと見て、 黒味がかったほうがいいと断言します。 オトーサン、 日本では、 こういう場合、店員が 勿体ぶってごちゃごちゃ言うか、 優柔不断かどちらかなので、 大いにその対応が気にいりました。 こうなれば、 死なばもろとも、 彼の言う通りにしようと決断しました。 家に帰って、 この黒味がかったYシャツを着て、 白いジャケットを羽織り、 姿鏡の前に立つと、 「おお」 知性にあふれる別人が そこにいるではありませんか。 「これもいいわねえ。 わたしは青のほうがよかったと思うけど」 と奥方。 「いいじゃん。 これなら、ディナーもOKよ」 長女もほめてくれます。 この黒いYシャツ、 よく見るとすこし青味がかっているのです。 それが、青の細かい縦縞と 実によくコーディネートしているのです。 「あの店員、センスがいいなあ」 すると、長女に叱られました。 「店員だからって、 馬鹿にしてはダメよ。 何ったって 世界のブルーミングデールの 紳士服売り場なんだから」 オトーサン、 大いに納得しました。 この不況で、 とくに紳士服は売れないそうですが、 日本のデパートは、 この若い黒人店員のような カリスマ店員を置けばいいのです。 休日の服装に自信のない 多くのビジネスマンが大勢いるのですから。 せっかく、 若いひとのセンスが 世界水準になってきたのですから それを活用しない手はありません。
9 アジアン・テイストの謎
オトーサン、 引っ越しをして 新居の模様替えをするさい、 インテリアにうるさい ロンドンにいる娘の意見を 聞いて見ることにしました。 山荘のインテリアは 彼女のおかげで、みなに好評です。 オトーサン、 いそいそと、 メールの添付ファイルで、 デジカメで撮った間取り図を送りました。 大学院のレポート提出で 忙しいのに、ほどなく郵便で、 カラフルに描かれた家具の配置図が 送られてきました。 「コンセプトは、アジアン・テイスト。 ガラスのテーブルはそのまま使う。 ピアノにはバリ島で買ってきた布を被せる。 熱帯風の植木鉢を置く。 etc...」 奥方、 あきれたような顔をして 「何よ、アジアン・テイストって?」 奥方も、 韓国をはじめ中国・香港・台湾や バンコック、シンガポール、そしてバリ。 あちこち足を伸ばしているので、 アジアについては知っているつもり。 ここで、 ちょっと講釈すると、 アジアは、 風土、気候、固有の風習、文化に加え、 先進国の影響を受けており、 とても一言では語れないのです。 中華料理がいい例です。 四川、北京、広東、上海など 地方によって味付けがちがいます。 それに各調理人の 工夫が加わるから、 とても一言では語り尽くせません。 家のインテリアも同じ。 漠然とアジア風といわれたって サッパリ、イメージが沸きません。 結局、 アジアン・テイストは、 保留ということになりました。 元のリビングにあった家具類を そのまま新しいリビングにいれて、 観葉植物の鉢を置くだけとなりました。 「9月にあの娘が一時帰国するから、 その時まで何もしないでおきましょう」 奥方が言い、 オトーサンも了承しました。 「でも、ソファベッドくらいほしいよな」 「そうね」 リビングの奥に布団が敷いてあるのは、 いくら緊急避難としても、 いちじるしく景観が損なわれております。 二人で、 通りかかった晴海の家具センターを 覗きました。 「どうもなあ」 大きさ、デザイン、値段 そのどれをとっても納得できるものが 見当たりません。 「ソファとベッドの両方を1台で兼ね備える という発想自体にムリがあるのよ」 「そうかもなあ」 そんな低空飛行状態が ブルーミングデールの家具売り場を見たら、 解消されたのです。 「あるねえ」 「そうねえ、あるところにはあるのよねえ」 ここブルーミングには、 いいソファ・ベッドもあれば、 アジアン・テイストとは何かという 疑問への見事な解答もあったのです。
PHOTO:ブルーミングデールの家具売り場いくつもの部屋があると思ってください。 そこには応接セットとテーブルと小物が 並んでいます。 「これ、全部、部屋毎、 日本に持って帰りたいわねぇ」 奥方がため息まじりに言います。 「ちょっと座ってみてよ。 ねえ、バツグンの座り心地でしょ」 それは、籐の寝椅子でした。 いかにもけだるい南国の眠りを 誘うようなベッドで、 ソファとして使う場合には 素敵なデザインの 背もたれと肘かけがついています。 クッションもよく、 値段も手頃です。 「これも、いいなあ」 寝椅子の前にある ガラス・テーブルは 籐製の足。 その上に、蘭の鉢が置いてあります。 奥方が目を輝かせます。 「おもしろいわねえ」 「何が?」 「蘭の花が上をむいているでしょ。 日本じゃみなお辞儀をしているのに」 「そういえば、そうだなあ」 植木鉢も工夫しています。 普通の植木鉢を 金属の鉢にいれて、 ミズゴケで表面を覆って、 高級感を演出しているのです。 「これ何かしら? 面白い形してるわね」 「何だろなあ、鳥籠かなー」 精巧な細工物です。 タグを読むと、 fish trap とあります。 「これ、水に沈めて魚を捕るんだ」 壁には、大きなザルも飾ってあります。 別に ニューヨークで魚をとり、 山菜を採る暮らしをするわけではないのですが、 そうした小物を、 部屋にさり気なく置いておくと、 自宅でパーティをやったときなど 話題がおおいに盛り上がるのでしょう。 また、一人でくつろいでいる時でも、 いかにもバリ島の超高級ホテルの 一室に滞在しているという感じが出て、 癒される気分になりそうです。 オトーサン、 随分と昔のことを思いだしました。 ハーバート大学の ハンセン教授宅に 招かれた時のことです。 奥様が甲斐甲斐しくカナッペを出され、 話題が盛り上がり、 それは気持ちのよいパーティでした。 お酒の酔いも回った頃、 教授が得意そうに、 鼎(かなえ)を出してこられました。 「どうして鼎がここに?」 鼎とは、中国の青銅器時代の器で、 足が3本です。 教授は、その内側を銅で覆って、 アイス・ボックスにしていたのです。 その時は、 「この先生、変なことをして ひとりで悦に入っておられるなあ」 と思っただけなのですが、 数十年の歳月をへて、 その意味が分かりました。 「そうか アジアン・テイストというのは、 クリエイティブということなんだ。 アジアでみつけた品物を、 欧米人は ちょっとしたアイディアで アレンジして、 みんなをもてなしているんだ。 そうなんだ。 パーティ文化の文脈で考えないと いけないんだ」 奥方が、いいました。 「要は、自分なりに工夫して 部屋を飾ればいいのね」 オトーサン、 何かちょっと違うなと思いましたが、 奥方はもう別の売り場のほうに 歩きはじめていました。 「おーい、待ってくれ」 長女のアパートのカギを持っているのは 奥方なのです。
10 ヤオハンの戒名
オトーサン、 地図をみています。 ご存じのように マンハッタンは、 東のイースト・リバー、 西のハドソン・リバーに挟まれた 南北に細長い島。 交通の難所で知られる リンカーン・トンネルは、 ハドソン川と 郊外のニュージャージーを結ぶ 全長2キロあまりのトンネルです。 NYが世界首都になって 世界中からひとがやってくるので、 マンハッタンの不動産価格は上昇し、 島のなかで住宅をみつけることは 至難の技になってきました。 郊外に住み、 マンハッタンに通勤するひとが 増えるにつれて、 リンカーン・トンネルの渋滞も 激しさを増してきたようです。 オトーサンたち、 川向こうにあるヤオハンに 娘の依頼で 日本製の電気炊飯器を 買い替えに行くため、 朝10時、 ポート・オーソリティ (公共バスターミナル) の地下にある 51番乗り場にやってきました。 このヤオハン、 マンハッタン在住日本人御用達で 大変繁盛していました。 何しろ、日本のスーパーと同じものが 買えるのです。 こちらでスキヤキを作ろうとすると、 ないものずくし。 まず、スライスした牛肉がありません。 安いけれども、どーんとブロックでしか 売ってくれないのです。 長ネギ、シイタケ、シラタキ、エノキも まず入手困難です。 ところが、このヤオハンにくれば、 「おお、ここは日本だ!」 と思わず感激の涙にむせぶほど、 日本のものが何でも揃っているのです。 オトーサン、 一度、知人のYさんに クルマで連れてってもらった ことがありますが、 バスで行くのは初めて。 何となく不安でした。 時刻表では、 10時15分発なのに なかなかバスがやってきません。 「この51番乗り場でいいのだろうか?」 「次々とバスがくるが、 そのどれに乗ればいいのか? 行き先にYAOHANという文字がなく、 MITSUWAとあるが、 ほんとうに、 それでいいのであろうか?」 でも、 待っている10人ほどの乗客が みな日本人のようだし、 オバーサンが 連れの若い女性と話しているのが 日本語だったので安心しました。 ようやくバスがきました。 5分遅れです。 ところが、 このバス、30分で行くはずが、 渋滞のために 目の前のリンカーン・トンネルの 入口の交差点で迂回させられ、 ノロノロ運転。 もう1時間もかかっています。 オバーサン、 バスの遅れにあせりまくっています。 どうせ買い物だろうに、 すこしくらい遅れたって、 どうってことはないだろうに、 気の短いオバーサンだなと思いました。 ようやくハドソン川が見え、 MITSUWAが近づいてきました。 「あれっ、 こんなところで降りるの?」 あのオバーサン、 運転手に話しかけて バス停でないところで降りてしまいます。 目で追っていると、 従業員用の裏口に駆けこんでいきます。 そして、 終点でバスが停まると、 今度は、 あの日本人と思っていた 若い元気な男女5人組が 中国語で叫びながら 裏手へと駆けだしていきます。 「何かセールでもあるのかな」 とついていくと 「ありゃっ、 さっきのオバーサンが 駆け込んでいった裏口だ」 彼らもまた従業員だったのです。 このMITSUWA、 売り場には、 かっての活気がありませんでした。 シメジは、朝から売り切れ。 日本語を話せる店員もいません。 早目に昼食を取ろうと 食堂に入ると、 さきほどの男女5人組は ここの店員でした。 楽しそうにおしゃべりをしています。 奥方が指摘します。 「お客より従業員のほうが多いじゃないの。 何だか、変だわ」 そうなのです。 日本のヤオハンが、 放漫経営で倒産したために、 このアメリカ・ヤオハンも 華僑資本に売却されてしまったようです。 従業員も中国人ということになって どうしてもニューヨークに行きたいという 中国人の若者たちへの職場の提供が 主目的になっているようにも思えます。 オトーサン、 奥方と話します。 「もう、ここに来たいとは思わないなあ」 「そうねえ、すっかり変わってしまったわね」 でも、 このヤオハン、 いまや戒名が MISTUWAとなっておりますが、 ハドソン川のそばで、 緑の濃い郊外住宅地の一角にあって、 対岸のマンハッタンの高層ビル群がみえる 景勝の地にあります。 かつての賑わいは期待できませんし、 交通渋滞も覚悟しなければなりませんが、 ちょっとしたお買い物に、 郊外住宅地の見学、 マンハッタンの遠望などが楽しめます。 片道2ドルを運転手に渡せばいいので、 よかったら、一度行ってみてください。
11 トンネル地獄
オトーサン、 リンカーン・トンネル の視察にきたわけではありませんが、 同じ日の夕方、 また、ここを通過する羽目になりました。 それというのも、 次女がロンドンからやってくるからです。 「あたし、お金ないの、」 ニューワーク空港まで迎えにきて。 VSで18時40分着、 ターミナルBよ」 結局、オトーサンが その面倒な役を引き受けることになりました。 「VSって何だ?」 すこし、ゴネましたが、 ヴァージン・アトランティックの略と 長女に教えられ、それで終わり。 ニューヨークには、 J.F.ケネディ空港、 ラガーディア空港、 と3つの空港があります。 そのうちニューアーク空港だけが、 ハドソン川の川向こうにあって、 交通難所のリンカーン・トンネルを 越えなければならないのです。 「しょうがないなあ。 自分でタクシーを拾ってくればいいのに」 でも、娘に大甘のオトーサン、 早目に4時に家を出ました。 グランド・セントラル駅では、 夕立で、ビショ濡れ。 「何で、こんな目にあわなきゃならないんだ」 とボヤきながら、 ようやく、 ニューアーク空港行きの バス乗り場を探し当てました。 5時発のバスは、 運転手と乗客の釣銭トラブルで 20分遅れでスタート。 ペン・ステーションに寄って、 また乗客を乗せます。 ”What is your Airline?” と運転手に聞かれて、 航空券を調べだす人もいて ますます遅れます。 時刻は、5時半。 時刻表の上では そろそろ空港に着く時間だというのに まだトンネル入口にも着いていないのです。 オトーサン、 「まあ、あの娘が着くのが6時40分だから、 そう慌てることはないなあ」 目の前が、トンネルの入口ですから 安心しています。 ところが、 夕方の通勤ラッシュに加えて、 雨ですから、大渋滞。 家路を急ぐのか、 割り込みするクルマが続出。 正面を見ると、基地なのでしょうか 大型バスが、横から次々と巨体を表してきて、 交差点をふさぎます。 運転手はといえば、 しょっちゅうクラクションを鳴らし、 サイドブレーキを引いて、 運転席から助手席のほうへ走っていって 前方レーンの空き具合を確認します。 まさに交通地獄です。 6時5分、 ようやく数100メートルを進んで トンネル入口にきました。 バス専用レーンがあるようですが、 それも50メートルほど。 混む理由が分かりました。 2車線になっているのです。 四方八方から クルマが集まってくるのですから、 首都高の合流どころの 騒ぎではありません。 オトーサン、 リンカーン・トンネルを抜けるのに かかる時間を図ってみました。 10分間。 2車線に絞られてからは トロトロですが、 進んではいるようです。 夜のトンネルでの大渋滞は、 非常な閉塞感があります。 オトーサン、 どの映画か題名は忘れましたが 宇宙人が襲ってきて このトンネルが火炎に包まれるシーンを 思い出しました。 「そうなったら、 どこから逃げられるのかな」 と見回しましたが、 歩道はあるものの、 ハドソン川の川底を通っているので、 地上への逃げ道はなさそうです。 オトーサン、 黒煙にまかれ、 火炎に包まれて、 逃げ惑う我が身を想像すると、 ほんとうに脂汗が出てきました。 どこかの過激派が、 爆弾テロの舞台に選べば、 死者数千人という大変な事態になりそうです。 6時15分、 ようやく地上に出ました。 高速道路につながる高架の大カーヴがあって、 その脇にトヨタとパナソニックの大きな 屋外看板があります。 「ああ、生きて日本に帰れそうだ」 そんな実感がこみあげてきました。 7時、ようやく空港に到着。 次女の航空機はもう着いているようです。 でも、なかなか次女は出てきません。 でも、オトーサン、 待っている間、 意外に退屈しませんでした。 というのは、 出迎えのシーンが波乱万丈で まるで映画の名場面でも 見ているようだったからです。 印象に残った場面を 1つだけ、ご紹介しましょう。 あっという間の出来事でした。 太った若い白人娘が 出迎え客を制限しているテープを 乗り越えて、 ゲートに突進していきました。 片手に、赤・緑・黄色の風船をもって いますから、派手です。 その抱きついた相手が、黒人。 男か女かなんだか分からない格好をしていますが お互いに何度も相手をゆさぶって、 再会を喜びあっています。 抱擁を解くと、うつむいて涙。 見回すと、 ほかの出迎える人たちも みな目をうるませています。 オトーサン、 年とって感情のダムの貯水量が だいぶ減ってきましたが、 こうしたシーンに出会うと、 まだまだ幸せな気分になれます。 「皮膚の色はちがっても、 人間の気持ちは、みな同じ。 どうして、いつまでも、 人類は戦争だ家庭不和だと 憎みあってばかりいるのだろう?」 とはいえ、 1時間も立っていると 足が棒になります。 椅子に座りこみました。 ちょうどその時でした。 「お待たせ」 声をかけられて、 上をみると娘でした。 ロンドンで病気で入院していたたとは 思えぬ元気な顔色です。 「よかったなあ」 と抱きつきたい気持ちですが、 オトーサンの世代の男の子は、 それすら、口にすら出してはハシタナイと 教えられて育ってきたのです。 娘の出迎えは大変でした。 往復6時間。 お金もかかりました。 ラガーディアなら15ドル JFKなら40ドルですむのに、68ドル。 まず、行きのバス代が11ドル。 帰りのタクシー代は、 市内までの基本料金39ドルに加え、 トランク2つの追加料金が4ドル、 トンネルの通行料金6ドル、 有料道路通行料85セント、 それに運転手へのチップを足して、 全部で68ドルと出費も馬鹿になりませんでした。 「貧乏旅行で、この出費は痛いよなあ」 オトーサン、 疲れはてて帰宅し、つぶやきました。 「でもなあ、 今日は、いい映画を2本見られたと思えば、安いもの」 1本は、リンカーン・トンネルを舞台にしたスリラーもの、 もう1本は、メロドラマで再会ものでした。
12 ニューヨークの乞食
オトーサン、 ニューヨークでの楽しみは、 毎日の食事、 とくに朝食です。 「今朝はどこで食べるかなあ」 ベーグル&ベーグルでパンを買って、 スターバックスでショート・ラテという 組み合わせも気にいっています。 オトーサンたち、 今朝は、 ゼイバースに行くことにしました。 ブロードウエイの80丁目。 娘に買ってもらった 1週間乗り放題の メトロカード(17ドル) を利用してバスに乗ります。 ご存じのようにニューヨークは、 碁盤の目のように 東西南北に道路が走っています。 東西がアベニュー、 南北がストリートとなっています。 長女のアパートがある イースト・リバーが目の前の york avenue(ヨーク・アベニュー)、 79st(79ストリート)から crosstownと表示されたバスに乗りました。 東西にマンハッタンを横切るのです。 通過したアベニューを順に、 ご紹介すると、 1st 2nd 3rd lexinton park madison 5th(あの有名な5番街です) そして 鬱蒼と木が茂ったcentaral parkを横断して centralpark west colombus amsterdamと横断して broadway(あの有名なブロードウエイです) で降りました。 その先に、 westend avenue riverside driveway がありますが、 もう、ここまで来ると、 ハドソン川の川面のきらめきがみえます。 オトーサン、 伸びをします。 「いい天気だなあ」 脇腹に痛みが走ります。 あの名誉の負傷をニューヨークまで 持ってきてしまったのです。 湿布薬を1日2回貼り替えているのですが、 一向に、痛みがとれません。 「札幌の夏みたいだなあ。 湿気がなく、サラサラして」 ブロードウエイもこの辺りになると、 劇場街ではなくなって、 ただの下町ですが、 道路に面して、 有名なZABARSがあるのです。 「やっぱり混んでるなあ」 ゼイバースは、 世界中からおいしいものを集めている 高級スーパーですが、 その店の1角に、 食事のできる場所を 何年か前に作ったのです。 パンやドリンク類をテイクアウトするのが 主ですが、 細長い粗末なスタンドを置いてあるので、 ステイといって、 店内で食べることもできます。 オトーサンたち、 メニュー選びは、 ロンドンの粗食に耐えて、 いまやランランと目を輝かせている次女に 一任しました。 奥方は、席の確保係、 オトーサンは、支払係と業務分担します。 次女が注文した プレーン・クロワッサン 1 チーズ・クロワッサン 1 アップル・クロワッサン 1 カプチーノ 3 サラダ 1 を食べながら 陽気に話しかけてきます。 「日本は、いいねえ、 自由に肉がたべられて」 英国は狂牛病で大変なようです。 「ロンドンは死んだような街だけど、 ニューヨークはいいねえ、 みんなが元気で」 ここからは、 お隣のNYSCがある ビルの2階がよく見えます。 若い女性が勢いよくランニング・マシーンで 手を振って走っています。 「あの乞食だって、 元気じゃない」 そうなのです。 この店に入るとき、乞食がいて ドアマン役をやってくれるのです。 重いガラスドアを開けてくれたお礼に 何人かコインをかれの紙コップに 入れていきます。 見てると、 その乞食が、 溜まったコインをもって店に入ってきて、 コーヒーを注文しているではありませんか。 そして、コーヒーを受け取ると、 さっさと町中に消えていきました。 次女が ため息まじりにいいます。 「ニューヨークの乞食は、 クリエイティブねえ。 ロンドンの乞食は、 一日中座ってばかりいるのにねえ」
13 丘の上の昼食
オトーサン、 呪文のように唱えています。 「アルゴンキン、アルゴンキン、 マンハッタン、マンハッタン、 ペーター・ミヌイト ピーター ・メヌエット、 1696 1696 24 24」 この呪文を聞いて、 ハハーンと思ったひとは、 そうとうのニューヨーク通です。 マンハッタンは、 1696年に、 西オランダ会社の ペーター・ミヌイトが 先住民族であるインディアンの アルゴンクィン族から たったの24ドルで 買った島なのです。 オトーサン、 それを一口で言えるように、 暗記の練習をしていたわけです ちなみに、 マンハッタンとは アルゴンクィン族の言葉で MANAH(島)とATIN(丘)の合成語で 丘のある島。 オトーサン、 ゼイバースでの ゴキゲンな朝食をすますと、 「さあ、今日はどこに行こうか? でも、その前に、お店を覗いていくか」 次女がいいます。 「まだ、8時よ、 開いているはずないじゃない」 奥方も同調します。 「せめて9時にならなくてはねえ そういうものよ」 ところが、そうではないのです。 この働き者のゼイバースは、 8時からやっているのです。 「わあ、おいしそう」 次女が売り場に入った途端、 動かなくなります。 あたり一面がチーズ畑 そうもいいたくなるほどの広さです。 天井からもチーズの塊が ひょうたん棚のようにぶらさがっています。 でも、これだけあると、 チーズ音痴のわが大和民族は、 どれがいいのか、 サッパリ分からない状態になってしまって、 パスします。 次なる難所は、 総菜売り場。 巨大ガラスケースいっぱい、 上下2段に並べられた 大皿に盛られた料理が 60皿以上。 各種の肉料理が中心です。 「うまそう。 ニューヨークってほんとうに贅沢だね」 次女の短いコメントです。 さて、売り場のご紹介は このくらいにしましょう。 オトーサンたちが、 この日、ゼイバースで買ったのは、 ・ノルウェー産の極上サーモン ・サラダ ・フランスパン くらいでした。 実は、 ・タコのマリネ ・ヴァージン・オリーブ・オイル ・フルーツ・ミックス ・マンゴーなども 買おうとしたのですが、 「ねえ、これでもって セントラルパークでお昼しない?」 という娘のひとことで、 軽い買い物になりました。 バスはブロードウエィを のろのろと走ります。 いま、「AIDA」が評判だそうです。 ミュージカル「ライオン・キング」 は いまだに切符がとれないようです。 まだやっているのでしょうか、 「オペラ座の怪人」 の看板がみえます。 45stで降りて、 6th avenue (別名、ave of the Americas) にある娘の会社を訪問。 「ねえ、あんたの双子の妹って どんなのか見せて」 そういう長女の同僚の ハンガリー人の ミーハーたちの要望を受けて、 お昼休みに私的に訪問したのです。 ビルの入口での会話。 「ねえ、パパも一緒に行こうよ」 「いや、おれは遠慮しとく。 こんな格好じゃ、 エライひとに会えない」 「エライひとなんか出てこないわよ」 「いやいや、 万が一ということもあるからな。 失礼にあたる」 オトーサン、 胸を撫でおろしました。 社長さんが出てこられて、 「いやあ、よく似てるなあ」 といわれたそうです。 「いつも姉がお世話になっていまして」 と次女がうまく返事したそうですから、 やはりオトーサンがラフな服装なんかで 行かないほうがよかったようです。 この後、6th aveを北上して セントラルパークへ。 「バスに乗ろうか」 「すぐ先でしょ、あの森でしょ」 結局、10ブロックほど歩きました。 日差しも強く、 この6th aveには、 5th aveとはちがって たいしたお店がないくせに 人通りは多く、すれ違いに気を使ったりして 少し疲れました。 観光用の馬車がたむろし 豪奢なプラザホテルのある 5番街の59stから公園に入りました。 セントラルパークは、 ここから、110stまでの 奥行き4キロ、 幅800メートルの公園です。 入ってしばらく歩くと、 ZOOがありました。 子供たちの叫び声のうるさいこと。 ベンチも多数設けられていますが、 ひとでビッシリ。 オトーサン、 ぐんぐん早足になります。 この先、 5th aveに面して 80stから84stまで占めている メトロポリタン美術館の裏手に拡がる GREAT LAWNにまで行って、 そこの眺めのよい芝生に座って 昼食をとったらさぞかし気持ちよかろうと 思っていたのです。 どう考えるたって、 これは絵になる風景じゃありませんか。 「美女2人にかしずかれた初老の品のいい紳士」 「えっ、誰のことだって?」 「決まっているじゃありませんか。 オトーサンのことに」 しかし、現実は そう甘いものではありませんでした。 奥方が、 「あたし、もう歩き疲れたわ。 それに芝生になんか座ったら、 せっかくの服がよごれるわ」 とゴネて、動かなくなってしまったのです。 「せめて、あと数ブロック 71stあたりまで行こうよ。 大きな池があるし、 木の間がくれに見える超高級マンションの 景色がバツグンだからさ」 しかし、 時すでに遅し。 日差しもきつく、 喉も渇き、足が疲れている 奥方のバテきった様子を見ると、 そんなことを言っても無駄なのは明らかです。 しかも、さきほどから ずうっと上り坂が続いているのです。 「しょうがないなあ。 じゃあ、その先の岩の上にしよう。 すこしは見晴らしがいいから」
PHOTO:セントラル・パーク「ウチの家族って、幸せねえ」 突然、次女が言いだします。 「ヤッパリ、 GREAT LAWN(大芝生)にまで行って、 食べるべきだった」 さっきから不満たらたらで、 食事をしていたオトーサン、 呆気にとられます。 「そりゃ、 真昼間、ひとがあくせく働いているのに のんびり公園で食事してるのは、 贅沢かもしれんなあ」 一瞬、そういうことかと思いました。 次の瞬間、 オトーサン、 はたと膝を叩きました。 「そうだった、 この娘、小さい時から、 お腹が一杯になると、ゴキゲンになって、 ところかまわず笑い転げるクセがあったっけ」 まだ、笑い転げていないところを見ると、 そう幸せというわけでもないかもなー。 彼氏とうまくいっているのかなあ」 余計な心配までしています。 オトーサン、 その直後、 娘の宣告を聞きました。 「じゃあ、 あたしたち、 5番街で買い物するから パパは先におウチに帰って。 夕食でも作っててよ」 大岩からあわてて起き上がろうとすると 「イテテ」 あの胸の打撲の痛みがやってきました。 急に起きるのは、まだムリのようです。 「オレ、まだしばらく横になってるわ」 ふたりが立ち去って、 とても静かになりました。 横になったまま 岩の冷たさを感じながら 目をつぶると、 5th aveからのクルマの騒音と 子供たちの笑い声が、 遠くの木霊のように聞こえてきます。 時々、そよ風が頬をなでます。 見上げると、 大きなメイプル・ツリーの枝がゆれて、 ときおり木漏れ日がキラキラします。 すずめが2羽、 パン屑をもとめて近づいてきます。 リスも人恋しそうに 木からするすると滑り下りてきました。 「日本にも、都心に、 こういう公園があるといいなあ」 向こうの岩山は、 太陽があたって、 まるでそこだけスポット・ライトが当たった ブロードウエイの舞台のようです。 3人の若い娘たちが光の渦のなかにいて、 笑い転げています。 日光浴を楽しんでいるのでしょう。 初老のオトーサン、 ハダカを素直に鑑賞していればいいのに、 そろりそろりと起き上がりました。 今晩は、鳥の水炊き。 いい食材の買い出しに行かねばなりません。 ヴィレッジのバルドゥッチまでいって 料理を作る時間を考えると いつまでもこうしてはおれません。 貧乏性なのでしょう。 長いサラリーマン生活の後遺症で、 ぼんやりしておれない性分なのです。 オトーサン、 「痛ぇなあ。 どうして、いつまでも治らねぇんだよー」 胸の痛みをさすりながら、 起き上がりました。 そこはかとないうっぷんが 罪のない若い3人娘に向けられます。 「よく人前であんなに裸になれるなあ」 以上、CNNが丘の上の島から お伝えしました。
14 テイファニーで朝食を
オトーサン、 宝石なんか買いません。 貧乏人という非情な現実に 直面させられるので、 5番街にあるテイファニー宝石店へは 近寄らないようにしています。 でも、 「ティファニーで朝食を」 という映画は、大好きです。 オードリー・ヘップバーンが ティファニーのお店の前で パンをかじるシーンもよかったし、 「ムーン・リバー」という主題歌も素敵でした。 Moon River, wider than a mile Im crossin'you in style some day Old dream maker,you heart breaker Whenever you're goin',I'm goin' your way ところで、 トルマン・カポーティが 34歳の時に書いた 原作のBREAKFAST AT TIFFANY'Sに出てくる 主人公のホリー・ゴライトリーが 住んでいたアパートが いまも残っているのは 案外知られていない事実です。 オトーサン、 ニューヨーク滞在の 最後の日の朝、 旅の思い出に、 原作の出だしに書いてある 「East70stにある ブラウン・ストーンで作った建物」 を見にいくことにしました。 褐色砂岩といっても、 ピンとこないかも知れませんが、 これは19世紀末に流行した建築様式で 外面をサンド・ストーン(砂岩)で 張ったところから その名前がついたそうです。 市の自慢の建物で、 保存が義務づけられているのです。
PHOTO:中央茶色の家原作には、 こう書いてあります。 「外に出ると、雨はすでに止んでいて、 ただあたりは霧でかすんでいた。 私は、角をまがると、 茶色の石造りの家のたっている通りを 歩いていた。 そこは街路樹のある通りで、 夏ともなれば、 鋪道に涼しい木影の模様ができるのであるが しかし今は木の葉が黄色に枯れ、 大方はすでに落ちていた。 それが雨のためにすべすべになり、 足の下でつるつるすべった。 茶色の家はその街区の中ほどにあり、 青い時計塔が時刻を告げる教会が そのとなりにある。 その家は私の時代から後、」 すっかり小ぎれいに手入れされたらしく、 入口のくもりガラスの扉が しゃれた黒いドアに代り、 グレイの上品な鎧扉が窓にとりつけてある」 オトーサン、 Lex74stの Payard(ペイヤード)で カフェ・オレとクロワッサンの おいしい朝食をとってから、 Lex aveと3rd aveの間、 71stにある、その家に向かいます。 この辺りから坂がのぼりになっていて 頂上が71stというわけです。 Lexから左折すると、 街路樹の緑が濃い街路になって 3rdまでのなかほど左手に 171という番地を見つけました。 赤茶けた小さな建物でした。 3階建てで、 半地階(basement)がついています。 道路から階段を昇って、 ドアに達するようになっています。 オトーサン、 窓に這わせた植物が枯れているので、 「誰も住んでいないのかな」 とつぶやきました。 奥方がいいます。 「窓が開いているから、 きっと、誰か住んでいるわよ」 誰なのでしょうか。 おそらく、この辺一帯がそうであるように 年老いて人生に疲れはてた家主さんが ひっそりと暮らしているのでしょう。 「このひと、 ヘップバーンのフアンだったら よかったのになあ。 もっと手入れをするだろうに」 オトーサン、 この歴史的記念建造物を あちこちの角度から撮影しました。 建物全景、 171という番地入りの窓、 さらに、通りの街路樹など。 でも、この小さな建物をどう撮っても、 原作の情景は浮かび上がってきません。 「私は廊下に出ると、 相手には見られないで こちらからは見える程度に 手すりから身を乗りだした。 彼女はまだ階段を昇っているところで、 今ちょうど踊り場にさしかかっていた。 少年のように刈り込んだ髪の毛の、 ボロ袋みたいな色、 黄褐色の毛筋、 白子のブロンドに黄味をおびた房毛が、 廊下の電灯に照らし出されていた。 もう夏に近く、 暑い晩だったが、 彼女は軽い涼しそうな黒のドレスに 黒のサンダルといういでたちで、 首には短い真珠の首輪をかけていた。 いかにもシックな感じがするほど すっきり痩せていたが、 ほとんど朝飯に出る穀物みたいに 健康的な雰囲気と、 石鹸とレモンの清潔さと、 頬のあたりに一段と深まった ピンクの色彩とを持っていた。 口は大きく、鼻は上向きだった。 黒すんだ光線よけ眼鏡が 彼女の眼を抹殺していた。 それは少女時代を通り越した顔だったが、 まだ1人前の女に なりきっていないみたいだった。 16歳から30歳までの間なら、 いくつにでも取れるような年格好だった」 オトーサン、 171番地を 離れがたい思いで立ち去りました。 何度も何度も、後を振り返りました。 今にも、黒いサングラスをかけた 痩身の美女が ドアを開けて出てくるのではないかと 思ったのです。 でも、そんなことは起こりませんでした。 人気もなく、 静かな朝の光があっただけ。 しかも、この通り、 163と155の2軒が、 FOR SALEになっていました。 「そうだ、 オードリー・ヘップバーンも 死んでしまったのだ。 年々歳々、 花同じなれど、人同じからずだ」 最後に、 原作の一節をご紹介して、 ニューヨーク編を、 閉じることにしましょう。 彼女はかすかに笑った。 これまでに見せなかった、 弱々しい影のような微笑だった。 でも、あたしの身はどうなるのかしら? とささやくように言って また身をふるわせた。
15 遠いアラスカ
オトーサン、 8月29日にアラスカに行きました。 7時にニューヨークを発って、 午後1時にアンカレッジ着。 「そうですか、 6時間のフライトですか、 お疲れさん」 ところが、 そんなことアラースカ。 時差を忘れてはいけません。 何時間あると思いますか? 「3時間?」 「4時間?」 「5時間?」 正解は、5時間。 大西洋に面したニューヨークから 太平洋に面したアンカレッジまで アメリカ大陸を横断。 「いやあ、アメリカって広いなあ」 お尻が痛くなって、 あらためてアメリカの広さを感じました。 オトーサン、 めったに、 英語の本など買わないのですが、 退屈しのぎに シカゴのオヘア空港で、 ペーパーバック(文庫本)を買いました。 どれにしようか迷ったのですが、 薄くて、活字が大きくて、 これまで何冊も読んでいる シドニー・シェルダンの新作にしました。 題名は、"THE SKY IS FALLING" これ、日本語に訳すと、 「空が落ちる」 まるで、ノストラダムスの予言のようです。 ケネディ家を思わせる 名門一家が不幸に見舞われ、 次々と死亡。 最後のひとりまでもが射殺され、 名画が奪われるところからスタート。 その真相を突き止めようと、 美貌のニュース・キャスターが 大活躍するというものです。 今、50ページまで読み進んだところですが、 残る1時間の飛行時間の間に どれだけ読めるか、 チャレンジしてみましょう。 オトーサン、 その後の1時間の間に、 たった20ページしか読めませんでした。 理由は、 眼下の風景に見とれていたからです。 見渡す限りの黒い山々のシルエットは、 真っ白な雪をいただいています。 大きく蛇行する河は、凍結しています。 「そうか、これが氷河なんだ」 極北の大地は、 天と氷以外の何ものも受けつけない 厳しい表情を見せています。 「おお、氷河は 刷毛でさっとひと塗りという感じ、 見事だなあ。 これ、神業だよなあ」 通路側の乗客が立ちあがって、 この風景に見とれています。 乗務員たちも制止しません。 オトーサン、 眠りこけている奥方を突っつきます。 「あれがマッキンリーじゃないかなあ?」 感動を共有しようとしたのに、 いやがられただけでした。 ひときわ峨々たる岩肌を見せているのが どうもマッキンリーのようです。 6194メートル。 富士山よりはるかに高いのです。 オトーサン、 娘たちも眠っているので、 亡き植村直巳さんと 2人だけで、じっくり、 感動を分かち合うことにしました。 「きみも、死ぬまえに この山は、 やけに高いなあと思っただろう。 絶対そうだよ。 なあ、そうだろ」 勿論、お返事はいただけませんでした。
16 白熊くんとのご対面
オトーサン、 午後1時に ようやくアンカレッジ空港に着きました。 昔風のみやげ物屋はなくなり、 どこの空港でもあるように、 スターバックスが出店しています。 でも、 おなじみのガラス・ケースに入った 巨大白熊の剥製だけは残っていました。 娘たちははじめてのご体面で 面白がっています。 オトーサン、 アンカレッジ空港といえば、 昔は、給油のために降ろされ、 トイレで長い行列をさせられ、 時間つぶしに、 妙な日本語で呼び込みをしている オバチャンたちの蝟集する みやげもの屋を物色したり、 屋台でラーメンやうどんを啜ったものです。 それが一通り終わると、後は何もなし。 空港の索漠たる景色なんか、 1分も見れば、見飽きてしまいます。 いやーな印象しか残っていません。 「撮って撮って」 と娘たちに奥方まで加わって、 巨大白熊立像をバックにした 記念撮影をせがまれました。 「こんなの撮ったってしょうがないのに」 ぶつぶつ言いいながら応じます。 オトーサン、 あらためて気づきましたが、 昔は、自分だって 感激して この白熊くんを撮りまくって、 後輩に講釈を垂れていたものです 「ねえ、君。 アンカレッジに立ち寄るかい? もしかして、 白熊を撮るのに、 富士フィルム使うつもりじゃない? やめといたほうがいいよ。 ぼくも一度経験したけれど、 動物はコダックでないと、 迫力がでないよ。 富士フィルムのエライひとに 聞いたから間違いないよ。 何でも、外人と日本人では 眼球の色相がちがうんだってさ」 そんなゴタクを並べたものです。 その後、 オトーサンは 双子の父になり、 長い歳月をへて、 娘たちと一緒にいま、 白熊くんとご対面しているのです。 液晶画面で 被写体を確認すると、 何と白熊くんの大きいこと。 立った姿勢なので 背丈は倍、横幅は優に数倍あります。 「この娘たちの何とちっぽけなこと、 こんなちっぽけな体で、 異国の地でひとりで頑張っているんだ」 オトーサン、 長旅で疲れているので、 妙に感傷的になりました。 本当は、 恵まれた娘たちよりも、 射殺されて、 こんなところに立たされ、 永遠にさらしものにされている 白熊くんのほうに 深く同情すべきなのでしょうが。
17 バブルは続く、どこまでも
オトーサン、 ほんのちょっぴり アンカレッジの歴史を調べました。 それによると、 アンカレッジほど、 運命の激変に翻弄されながら 逞しく生き残ってきた都市は、 世界で珍しいようです。 何度もバブルになり、 バブルがはじけました。 そして、 その度毎に、 アンカレッジは 巨大白熊くんのように たくましく立ち上がってきたのです。 第1のバブルは、 19世紀末の金鉱発見。 狩猟者しかいない村に、 ゴールド・ラッシュの人波が襲います。 金なんて掘りつくしてしまえば、終わり。 荒涼とした町が残されただけでした。 そこに第2のバブルがやってきます。 ハイウェー建設ブームが起こり、 アンカレッジが基地になったのです。 1913年に ヘンリー・フォードなる気狂いが 自動車の大量生産を開始。 デコボコ道はごめんという 多数派になった自動車ユーザーの要望で 全米にハイウェー建設ブームが起きました。 ところが、この余波はなかなか 地の果て、アラスカにまでは届きませんでした。 ようやく第2次世界大戦で 日本軍がアリューシャン列島に進撃してきたので その脅威に対抗するために 軍用道路として建設を開始。 でも、 一般に開放されたのは、1948年。 この公共工事、 どこかの国と同じですが、 冷静になって、費用対効果を考えれば、 どこかで打ち止めにしなければなりません。 アラスカは真っ先に削減の対象に。 こうして、第2のブームも終焉。 あまりクルマの走らないハイウエーだけが 残されました。 そして、第3は 米ソの冷戦激化で アラスカが前線基地になったことです。 軍事基地化による特需。 これも、 朝鮮特需とヴェトナム特需で潤った どこかの国と同じです。 やがて緊張緩和。 雪溶け。 これは皮肉な言葉です。 どうせ、ワシントンあたりのひとが 言ったのでしょう。 ここアラスカは、 軍需が減って 春の雪溶けどころか、秋の凍結状態。 またまた、バブルがはじけてしまったのです。 もう、この街はダメだと 誰もが思いました。 ところが、1947年の 石油危機の勃発で 自国の石油資源に眼を向けることになり、 眼をつけられたのが、 北極海=アラスカの海底油田。 発端となったひとつが、 ここクック入江での原油発見。 当時は、Black Gold(黒い黄金) 発見と大騒ぎになったのです。 オトーサン、 実は少し石油開発に関係しました。 遅ればせながら共同開発に参加。 しかし、これも金鉱とおなじで、 出なくなれば、終わり。 あちこちに頭を下げて回って ようやく撤退しました。 でも、1970年代に、 北極海のPrudhoe Bayから 南部の不凍港Valdezまでの 全長800マイルにわたる 石油パイプライン敷設で、 沸きに沸いたのは事実です。 これが、第4のバブルでした。 そして、いま アンカレッジは、 第5のバブルを呼び込もうと 躍起になっているのです。 街中の街灯には、 大きな花カゴが吊り下げられ、 過ぎ逝く夏を惜しんでいます。 オトーサンたちが2泊したのは AKASKA HOLIDAYなる会社が運営する ペンション・チェーンのひとつ。 ペンションといっても、 アンカレッジの初代市長、 Leopold Davidの簡素な邸宅で、 薄緑色の外壁、出窓が印象的でした。 この2番街の邸宅から 海を背にして、坂を上って行くと、 3番街となって、 4番街が繁華街のようです。 屋根に草がいっぱい生えた ロクハウス風の ビジター・インフォメーション・センターもあります。
PHOTO:ビジター・センター沿道にはTシャツ売りや ホット・ドックの屋台が出ていました。 「ねえ、間に挟んでいるのは、 トナカイの肉らしいわよ」 長女が言いますが、 オトーサン、 不機嫌になっていて 返事しませんでした。 というのも、 「地球の歩き方」ご推薦の 熊五郎なる日本料理店に入ったのですが、 むさくるしい内装、 悪い応対、 まずい寿司のくせに高い値段に ゲンナリしたところだったからです。 「こんな店、推薦するなよなあ」 オトーサン、 残り少ない人生、 あと何回食べられるか、 分かりません。 まずいものなんか食べておられないのです。 まして、異国の地で せっかく珍しい食べ物に出会える 機会をみすみす逃すなんて。 付近の土産物屋も 絵葉書、インディアンの民芸品、毛皮、 フリースのジャケットやTシャツといった 定番ばかりで、買う気になりません。 気温は12度といっても、 夏着のままなので、下から冷えてきます。 オトーサン、 娘たちにつきあって、 5番街のモールにも行きました。 JCペニーやノードストロームも出ている 4階建ての近代的なモールです。 でも、たいした店もなく 腹立たしくなってきました。 「アラスカが観光振興? そりゃ、ちゃんちゃらおかしい。 僥倖に頼って、その日暮らしの歳月。 いまさら、自力更生なんか無理だよ。 こんな観光地に、誰がくるものか」 と毒づきました。 とはいえ、 来てしまった以上、仕方ありません。 奥方や娘たちと別れて ひとり宿に引き上げることにしました。 時刻は、 午後3時。 「そうか、時差を修正したから 午後3時だけど、 ニューヨーク時間では、午後8時。 もう寝るか」 オトーサン、 早々に寝てしまいました。 熟睡できたなと思って目ざめて 腕時計をみたら、 現地時間では午後8時。 それ以後、それはそれは長い夜でしたよー。
18 氷河クルーズ、その1
オトーサン、 長女が旅行日程を連絡してきたとき、 「氷河クルーズ? そんなことで、丸一日つぶす? 一体、何考えているんだ」 内心、そう考えたことを白状します。 ええ、そうなのです。 オトーサン、 間違っていました。 それも全面的に間違っていました。 娘の言うとおりでした。 「老いては、子に従え」 その通りです。 さて、 前置きはこのくらいにして 当日の朝8時5分、 オトーサン、 アンカレッジの シェラトンホテルのロビーの ソファに深々と腰かけていました。 そこへ茶系統のアウトドア・ウエアで 身を固め、 帽子も同じ色でコーディネートした 上品な中年紳士がやってきました。 知り合いの大学教授に似ています。 「・・・・・」 何か話かけてきます。 「?」 オトーサン、 反射的に別のソファに座って 英字紙を読んでいる長女を指さします。 「ツアーに関することは、 すべて彼女に聞いてくれ」 そう、かれの名前はエディ。 今日、8月30日の 「26氷河クルーズ(一人129ドル)」の バスの運転手なのでした。 後で分かったのですが、 彼、アラスカ鉄道に長年勤めていました。 1985年に連邦政府から州へ移管された ゴタゴタ騒ぎにイヤ気がさして、退職。 32年間の鉄道マン生活に終止符を打ちました。 その後、第二の人生に バスの運転手を選んだそうです。 エディは、 人恋しいタイプと見えて、 運転しながら盛んに話しかけてきます。 聞き手は、 たったの8人。 話しに笑ったり、 うなずいたりできないのが そのうち2人。 オトーサンと奥方です。 次女に聞きます。 「おい、彼、いま何言ったんだ?」 「アラスカが大好きだ。 ワイフは、 家にいてほしくないというし、 77歳になる母が、この先の町で 元気に暮らしているし、 いろいろなひと出会えて楽しいので、 この職業を選んだのだ。 とくに今走っているこの辺りの風景は 何度見ても飽きることはない」 次女の通訳は、そんな内容でした。 この通訳、 無料なのはいいのですが、 気の向いたときしか、 通訳してくれないのが難です。 ワイフが家にいてほしくないと 語ったくだりでは、皆が笑いました。 オトーサンも、 一拍遅れて笑いました。 エディは、 いい人柄なのですが、 元鉄道マンだけあって、 時間には、とても厳しいのです。 バスを止めて 乗客を降ろす。 一通り、説明を終える。 さあ、それからは時間との戦い。 乗客が景色に見とれて バスに戻る時間が遅れようものなら、 大変です。 5分も前から乗客の戻るのを待って 時計とにらめっこして、 貧乏ゆすりをしています。 こんな旦那が家にいたら、 奥方はさぞ息が詰まることでしょう。 「今日の昼食は8分30秒遅れだぞ」 なーんて、言いかねません。 オトーサン ついエディの悪口を言ってしましたが、 実は、これも誤解だったことが 後で分かりました。 バスは アンカレッジの町を抜けると、 長い間、海辺を走り続けました。 はじめは、湖かと思いました。 でも、 1時間も走っているのに、 湖が途切れないので、 オトーサン、 地球の歩き方を熟読しており、 かつ通訳役を依頼した次女に聞きました。 「もしかして、これ川か?」 「海よ」 オトーサン、 地図を見て確認すると、 クック入江(cook inlet)でした。 そうか、 キャプテン、ジェームス・クックは さぞ狂喜したことだろう。 荒海の航海を経験したものなら、 波のない内海に出会えば、 誰でもきっとうれしくなるでしょう。 数多いクリークのひとつに ボートを近寄せれば、 海面は泡立ち、 赤(オス)と黒(メス)のキング・サーモンが ウヨウヨ、手掴みできそうです。 絶好の停泊地。 安心して錨を降ろしたことでしょう。 でも、実態は 以下のようでした。 クックは派遣した部下から、 「川か入江のようです 両側のどちらも、低い土地で、 それに挟まれています」 という報告を聞いて がっかりしたそうです。 pasasge(水路)ならば、 もっと内陸部へ、 あたえられた使命である 太平洋から大西洋へ通じる道が 発見できると期待していただけに、 裏切られた思いだったのです。 1778年6月1日のことでした。 でも、思い直したかれ、 その日の午後、 武装したボート2隻を派遣し、 最北部に上陸し、 英国旗を立て、 この地を国王陛下のものと示すように 指示しました。 それが、アンカレッジ、 ANCHORAGE(停泊地)だったのです。 オトーサン、 雨でもやっている 水墨画の風景にみとれていましたが、 人の姿もなく、 人家もまったくない風景が続くと さすがに少し飽きてきました。 すると、 タイミングよく、 エディがいいました。 「鯨が見えるかも知れないよ」 次女が今度は求められていないのに 通訳してくれます。 「クジラが見えるかも知れないってさ」 奥方も、 基本英単語の知識はあるので、 大事な言葉は分かります。 「そうですってね」 そして、 オトーサンはといえば、 海原で岩や流木を見つけるたびに 「ホエールだ」と ほえるものですから、 次女の通訳意欲が減退するのです。 1時間半後、 そのつけが回ってきました。 エディが やけに長く何かについて ペラペラしゃべっているのです。 長女に聞きます。 「何だって?」 眠っているらしく、 返事がないので また通訳役を期待して 次女に聞きます。 「何でもさぁ、 この先のトンネルを建設するのに 80億ドルかかったんだってさ。 それで、 トンネルは1時間に15分間しか 開かないんだってさ。 管制所があって、 二酸化炭素の量を測定していて、 基準値を超えると、 運行を禁止するんだって」 オトーサン、 聞きます。 「環境保護のためかね」 次女の返事はありませんでした。 愚問でした。 エディが急いでいたのは、 トンネルが開く時間に間に合うためでした。 それに遅れると、 また1時間待ちになるのです。 2時間半後、 「すごい広い湿原ね」 「氷河だ、はじめて見た、青いんだ」 「滝だ、無数にある」 「雪山がみえる」 家族中で散々叫んだあとようやく、 ウィトラー(WHITTLER)なる軍港に到着。 ここから、 氷河クルーズの観光船が出るのです。
19 氷河クルーズ、その2
オトーサン、 奥方が、 「あなた、野生動物がでるから、 ビデオカメラを持っていったら?」 そう、アドバイスされたときも、 「重いし、面倒だなあ」 口に出して、イヤがったことを 白状いたします。 でも、これは間違っていました。 今朝、氷河クルーズに 出かける前に、久しぶりに、 ビデオカメラをバックから取り出しました。 パナソニック製で、 売り出した時は、 世界最小・最軽量が謳い文句。 オトーサン、 抱いて寝たほど自慢のものでした。 海外旅行に行くときは、 必ず、お供させました。 パリ郊外の撮影からはじまって ニューヨークのタイムズ・スクエアでの ミレニアムのカウント・ダウンまで。 それが、いつしか、 「重い、面倒だ、 持っていくの、やーめた」 に変わっていったのです。 これって、 年をとったからでしょうか。 でも、 オトーサン、 ビデオカメラに再挑戦。 まず、ストラップに指を4本入れて、 カメラをホールドします。 押すと書いてあるところを押すと、 5インチの液晶画面が横に開きます。 次に、 親指の爪で、電源の赤いポッチを 「切」から「撮影」に切り替えて 「よしよし」とつぶやいて 液晶画面を見ます。 「ありゃ、まっ黒のままだ」 そうか、カメラとおなじで、 シャッターを押さなければと思って、 押すとパシャッ。 いい音がします。 これ、実は静止画をとるためのボタン。 「ややこしい機能なんかつけるなよ」 画面は相変わらずまっ黒のまま。 しばらくして気がつきます。 「なーんだ、そうだったんだ」 レンズの蓋を取り忘れていました。 最初の被写体は、 船を見送っているエディ。 茶色い帽子、洒落た眼鏡、 白髪まじりの口ひげで長身。 なかなかのダンディです。 クローズアップしようと思って、 「どのボタンかなあ」と 探している間に、船は動きだし、 あっという間に、 エディの姿が遠ざかってしまいました。 最初に クロースアップに成功したのは、 滝。 日光の華厳の滝、白糸の滝なんて メじゃありません。 海に面した高さ数100メートルの 山の上から曲がりくねりながら、 ドーンと落ちてくるのです。 クローズアップにすると、 滝の飛沫を浴びているようないい気分。 お次は、 海かもめの営巣地に 船が近づいてきたので、 その群れを撮影。 これはうまくいきました。 ところが、飛んでいるやつを クローズアップで写そうとすると、 これがなかかな大変です。 すぐ画面の外に消えてしまうからです。 でも、これも成功。 よく見ると、羽を動かすのは すごい運動量です。 いまのオトーサンなら、 すぐに息も絶え絶えになりそうです。 漁港に近づいて来ました。 オトーサンが 左舷から倉庫の屋根に 行列している海鳥をとっていると、 「パパ、すごいよ、撮って撮って」 長女の叫び声です。 右舷に駆けつけると、 漁船がとってきた魚を 大きな雨樋から水槽に流しこんでいます。 ところが、撮影をはじめると、 流し込みはピタッと中止。 ビデオカメラをしまうと、 流し込み再開。 意地悪されているみたいです。 「ほら、あそこあそこ」 長女の指さす先をみると 海を仕切った養魚場で魚がはねています。 ポチャン。 ポチャン。 結構よく撥ねるのですが、 カメラを向けたときには、 水面はもう静かになっています。 「あれ、あれよ」 長女の指示がだんだん手短になってきます。 オトーサン、 なんだか黒沢明監督に 小突き回されている撮影助手のような 気分になってまいりました。 「うーん、すごいなあ」 養魚場の回りの海面が波立っています。 すごい数の鮭がひしめきあっています。 バシャバシャという音が聞こえます。 このシーンはうまく撮れました。 でも、背鰭だけでした。 だって、 鮭が全身を海面上に見せてくれる わけじゃないからです。 しばらく静かな航海が続きます。 この氷河クルーズ、 11時に出航して帰港するのが5時という 6時間の長旅ですから、 そう何遍も、 珍しい撮影対象に 出くわすわけではありません。 昼食も食べるし、トイレにも行くし、 「いま、どの辺を走っているんだろう?」と 相談しあうこともあります。 オトーサン 長女に聞きます。 「このPrince William Soundの Soundっていうのは、どういう意味かな? まさか音じゃあるまいし」 「湾という意味よ、 soundには色々な意味があるのよ。 sound soul... sound bodyともいうし」 ちょっとした英語学級です。 アナウンスがありました。 相変わらず早口なので、 何を言っているか分かりません。 次女が右舷にものもいわず 飛んでいきます。 オトーサン、 「どうせトイレだろう」 とタカをくくって動きません。 「ねえ、見た? 見た? 山羊」 次女が、しばらくして帰ってきて そういいます。 「なぜ、もっと早く言ってくれなかったんだ」 オトーサン、 腹の中に文句をしまいこんで、 早速右舷に行ってみます。 おお崖の中腹に、 純白の点が見えるではありませんか。 オトーサン、 興奮します。 「おお、 これぞ、待ちに待った瞬間だ、 このビデオカメラを はるばるあの極東の地から この極北の地に運んできたのは、 この瞬間を クロースアップで カメラに収めるためなのだ。 いまこそ、 培ってきた技量の冴えを みんなに披露する時なのだ」 ところが、 普通に撮ると、 山羊(Mountain Goat)は、 液晶画面に点として収まるのですが、 いざクローズアップすると、 どこにいるのか分からなくなるのです。 「パパ、撮れた?」 いつの間にか、 家族全員が後ろにやってきています。 「何やってるのよ。 ちっとも写っていないじゃない。 ちがう場所をアップしてるじゃない」 叱咤激励の声が聞こえますが、 オトーサン、 もうそれどころじゃありません。 「確か、この2本の細い滝の間の 中腹になる潅木と岩の間にいたよなあ」 普通の画面で確認しただけでは、 心配で、肉眼で再確認します。 そうなのです。 白い岩肌が保護色となって、 見えにくいのです。 「あっ、写った写った」 長女が叫びます。 「よく撮れているじゃない、 パパ、でかした、でかした」 オトーサン、 滅多にひとを褒めてくれない 黒沢明監督に褒められた撮影助手のように、 喜びを全身で表したいところですが、 それどころではありません。 クローズアップ画面が、 手振れするし、 山羊はじっとしていてくれないし、 全身、これ緊張状態です。 この後、山羊は歩いたり、 草を食べたり、 全身を揺すぶったり、 いろいろサービスをしてくれました。 ドーン、 オトーサンが、 船室に戻って、疲労回復に努めていると、 腹の底に響く音がしました。 船が氷河に近づいてくるにつれ、 大中小、さまざまな形をした流氷が 海面一杯に浮かんでいます。 「ふーん、 いま通過しているのは、 Esther Passageか。 道理で両側に島が迫っているよなあ。 フィヨルド(Fjord)というのも 地図にあるけれど、 それとどう違うのだろうなあ。 そうか、これからいよいよ, コックス(Cox Glacier) バリー(Barry Glacier) キャスケード(Cascade Glacier) という3つのGlacier(氷河)に 三方を囲まれた湾に行くのか。 これが、 今回の氷河クルーズのハイライトって奴だ」 オトーサン、 パンフレット片手に 研究に余念がありません。 オトーサン、 氷河研究にもあきて 今度はタンカー事故についてお勉強。 1989年に、 この湾で 史上最大といわれる 原油の流出事故が起きたのです。 原因は、 Exxon Valdez号が コロンビア氷河(Columbia Glacier)から 海に落ちてきた氷塊を避けようとして、 Bligh Leefsに衝突したこと。 氷河ツアーのパンフレットを読むと、 「もう湾はきれいになった。 もし汚れていたら、お金を返す」とあります。 オトーサン、 船尾にいって、航跡を撮影。 どうみても、海水が黄濁しているように みえます。 黄色いオイル・フェンスも、 原油除去をする船もみかけました。 腕組みをして考えます。 「ウーン、この問題を 再度、米国議会で取上げるべきか 否か」 「ねえ、撮ったぁ?」 娘たちが聞きにきました。 「何を?」 「あっ、 それじゃ撮ってないのね。 氷河が崩れるのを。 何やってんのよ」 「どうせ、すぐまた崩れるだろう」 「何言ってんのよ。 氷河の崩壊なんて、 めったに出会えないのよ」 オトーサン、 娘たちに叱られました。 名誉挽回のために バッテリーがなくなるのを覚悟で、 氷河の崩壊を待ち構えます。 ところが、 いつまで待っても、崩壊しません。 しょうがないので、 熊の手のひらのような形をした 氷河の頂上をじっくり撮っていると、 ドスーン。 見事なシーンです。 大きな崩壊だったので、 波が起こって、 津波のように船に押し寄せてきます。 「すげえなぁ。 こわいぐらいだ」 感心して、みとれていました。 娘たちが駆けよってきます。 「ねえ、今のは撮ったでしょう?」 「いや、間に合わなかった」 「...」 この結果、 オトーサンの カメラマンとしての名声は地に落ち、 資質すら問われる事態となったのであります。 あとで、 アザラシやラッコの クローズアップ撮影に成功して 大いばりで家族に見せましたが、 ああ、失地回復は、果たせませんでした。
20 快適、アラスカ鉄道の旅、その1
オトーサン、 アラスカの地図をみて、 つぶやいています。 「やっぱりなあ。似てるよなあ」 どうみても、地形が 漢字の「只」という字に似ています。 「その昔、1867年に ロシアから只同然で買ったからかも」 交渉にあたったのは、 リンカーン大統領の国務長官、 ウォリアム・ヘンリー・スワード (William Henry Sward)。 買収金額は、7.2百万ドルでした。 当時のアメリカは 領土拡大に走って、 ハワイを手にいれ、 メキシコ、さらにはカナダも 統合しようという勢い。 そのなかでのアラスカ買収。 それでも、このスワードさん、 Ice Boxを買った、 バカな高い買い物をしたと世間から袋叩き。 いまは感謝されて、 アラスカ州の休日にSward's Dayがあったり、 彼の名を冠した都市があったりしますから、 世間の評判なんて いい加減なものです。 この只という字の 右側の短い足は、 州都ジュノーがある細長い地域。 左側の長い足は、アリューシャン列島で わが国の北方領土に続いています。 アラスカの広さは、 日本の25倍もあるのに、 人口はたったの60万人。 半分近い26万人がアンカレッジに 住んでいます。 2番目の都市がフェアバンクス。 2番目といっても、 人口はたったの3万人、 郡部をあわせた8万人が公表数字。 でも、このフェアバンクス、 内陸部にあって交通の要衝です。 今度は、「田」という字を 想像してほしいのですが、 縦横の線の交差点に フェアバンクスは位置しています。 横の線は、ユーコン河。 カナダからベーリング海に流れこむ大河です。 ここを、夏は船が行き来し、 冬は、凍結して天然のハイウェー、 犬そりやスノーモービルが走ります。 縦の線は、アラスカ鉄道。 とはいえ フェアバンクスから 南下して、アンカレッジを経由して、 軍港Sewardまでしかできていません。 (そう、あのスワードさんの名を冠した軍港) 全長628マイル。 アラスカの上半分は氷の世界。 ひとなんかほとんど住んでいないから、 鉄道を作っても仕方ないでしょう。 オトーサンたち、 今日は、このアラスカ鉄道に乗って、 アンカレッジからデナリ国立公園まで 233.4マイルを、8時間かけて、 旅しようとしているのです。 あとさらに4時間乗れば、 フェアバンクスにまで行きます。 でも、それは今回の旅の 最後のお楽しみ。 昨日、 みんなで駅を下見に行きました。 ペンションからは眼と鼻の先。 緑の芝生に覆われた広い斜面を カートを引いて降りればいいのです。 広場の中央に古い機関車が 1台飾ってあるだけ、 ほかには何もなし。 オトーサン、 「これが駅であっていいのか? アラスカ鉄道のイメージダウンじゃないのか?」 そう問わざるをえないほどでした。 「これじゃ大した列車の旅は 期待できないかもなあ」 と不安になりました。
21 快適、アラスカ鉄道の旅、その2
オトーサン 今朝は早起きしました。 7時には駅へ。 あの閑散とした駅前広場には 大勢のひとがいて賑わっています。 とは言え、 あとで聞くと乗客は88人と 車掌さんが言っていましたので、 東京駅の雑踏を思い浮かべてはいけません。 「ねえ、大きくてきれいな列車ねえ」 娘たちは、大感激です。 「こっち、こっちへ来て」 長女が命令します。 何でも、きれいな娘さんが 列車を背景に記念撮影をしてくれ、 その画像をインターネットで 送ってくれるそうです。 列車をじっくり見ました。 青い車体に大きな黄色のストライプが 走っていて、 そのなかに青い字で ALASKAと誇らしげに大書してあります。
PHOTO:アラスカ鉄道「ブオーッ」 いよいよ出発。 そうなのです。 蒸気をモクモクと吐く みんなの憧れのSLだったのです。 単線で、運行は1日1本。 貨客兼用ですから、 アルミ車両も連結されています。 数えると、14両ありました。 座席は、A号車の7のABCD。 通路を隔てて、横一列でした。 長女は、席に着くなり、 「早くドームカー(展望車)に行こうよ」 と大はしゃぎ。 オトーサン、 「8時間も乗るんだから、 いつでも行けるわい」 それよりも、 このゆったりした座席からの 眺めをもうしばらく楽しむことにしました。 列車はアンカレッジを出ると、 針葉樹林の中を走り続けています。 永遠に続くのではないかと思われるほど。 それが切れると、 こんどは緑の白樺の林を抜けていきます。 実際には、白樺によく似た樹木で アスペンというのです。 北上するにつれて、黄色くなって こちらのからだまで 黄金色に染まってくるようです。 オトーサン、 すこし余裕が出てきて まわりを見渡したました。 ガラガラですから、 景色を見るのに飽きたら、 横になって寝たって、大丈夫そうです。 「これなら航空機とちがって 8時間乗っても疲れないなあ」 林が切れて、 車窓の右手には、水面が見えます。 昨日、バスから見たアラスカ湾のようです。 昨日は小雨でしたので 陰鬱な感じでしたが、 今日は快晴に恵まれました。 輝やく海面を広がりを見ていると、 何ともいえない幸福な感じになります。 そこへ、 長女が息せき切って帰ってきて、 「何やってんのよ。 ドームカーのほうに引っ越すわよ」 オトーサン、 ホームレスのように 強制立ち退きを命じられました。 長時間の旅行に備えて ニューヨークで買い込んだパン、 お菓子類、各種のドリンク・ボトルで ずっしりと重い紙袋をもたされ、 ヨタヨタと 展望車の階段を上がります。 途中、 「食堂車もあるのよ」 と確認させられました。 さて、 展望車は窓が大きく切ってあるうえに 天井もガラス張り。 見晴らしがいいので、超満員。 オトーサン、 思わず叫びました。 「おお、やってるなあ」 奥方をはじめとするわが軍団は、 この満員の展望車の いちばんいい場所、 ひときわ高いので、 運転席のように前方が見える 最前列をすでに占領しております。 「日本人は、海外においては もうすこし謙虚であっていいのではないか」 そんなことをちらっと思いましたが、 いざビデオを撮りはじめると、 オトーサンの頭からは 「謙虚」 の2文字は、 すっかり消えてしまいました。 だって、 この位置からだと、 列車がカーブを曲がるときの 長い後続車両が見事に撮れるのです。 ブオーッという音に続いて、 モクモクとあがる機関車の煙も撮れます。 勿論、左右の景色は完璧に撮れます。 オトーサン、 NHKの海外特別取材班に選ばれた スタッフのような気分になってきました。 「お金をいただいている視聴者のために、 今日こそ、 マッキンリーの全容を撮らねばならぬ。 全員、覚悟はいいか? 準備万端、整っているか? 万が一にも手落ちはないか?」
22 快適、アラスカ鉄道の旅、その3
オトーサン、 富士山を尊敬しています。 だから、それより高いと聞くと、 ものすごく尊敬してしまいます。 マッキンリー、 McKinley 海抜20320フィート 6194メートル。 この山のことを 先住民のアタパスカン族 (Athapaskans)は、 すべてのものに 魂が宿るとして 自然を大事にしてきました。 なかでも マッキンリー山を、 "Denali", (the Great One、 偉大なるもの、高きもの) と呼び、 あがめてきました。 最低気温マイナス71度。 脱水症状で思考力ゼロ。 あまたの探検隊が挑戦して、 なかなか登頂を果たせなかった アラスカ山脈の主峰です。 オトーサン、 現地にきて、 はじめて知りましたが、 この北米大陸の最高峰は、 お天気屋で、 滅多にその姿を表さないそうです。 「雲にそびゆる高千穗の...」 歌の文句にあるとおり、 いつも、どこかに雲がかかっていて、 頂上から裾野まで全容が見えることは 滅多にないそうです。 列車は、 高原にさしかかってきました。 両側に山の連なりがみえ、 湖水、池、クリークが ひっきりなしに現れます。 深い渓谷、 浅い渓谷、 水の豊富な河、 水のない涸沢、 ちょっとした湿原 広大な湿原 それが続いたあとには、 地平線までひろがる草原。 「おお、鉄橋だ」 眼下に河の流れがみえます。 これがアナウンスがあった アラスカ鉄道名物の ビューポイントでしょうか。 オトーサン、 さっきから メチャメチャ忙しくしているわりには 成果が上がりません。 「絶好の撮影ポイントだ」と思って、 ビデオカメラの蓋を外し、 液晶画面を開け、 電源を撮影モードにしたりしている間に、 鉄橋をあっという間に通り過ぎて、 数百メートルもの高みから 見下ろす見事な渓谷美は 撮れずじまいになりました。 同様に、 ビーバーの遊ぶ池も、 ヤナギランの群落も、 湖のそばにある瀟洒なロッジも、 無人駅のたたづまいも、 要するに、 ほとんどの風景は撮れずに 終わってしまったのです。 記録されたのは、 目にもとまらぬ早さでよぎる すぐそばのアスペンやもみの林の 緑色模様だけ。 オトーサン、 「マッキンリーだけは 何としても撮りたいもんだ」 被写体として考えると、 幸いにして、 山は大きいし、 遠くにあって動かないので 撮りやすいのです。 手前に林があって隠れると困るのですが、 オトーサン、 もう腹を決めています。 電源を撮影モードに入れっ放しにして いつでも撮れるように待機しよう。 次女に厳命します。 「車内アナウンスで、 マッキンリーのビューポイントを 案内したら、すぐ教えてくれ」 家族全員で、 いざマッキンリーという態勢を取ります。 オトーサン、 「で、その結果は?」 と聞かれれば、 胸を張ってお答えいたします。 わが撮影隊は、 見事にその撮影に成功いたしました。 それも、奇跡的に全く雲もない好条件。 「ええ、高度な撮影手法である クローズアップ撮影にも成功しましたよー」 マッキンリーの 白く輝く貴いお姿を 手ぶれを極力押さえて、 液晶画面一杯に、 収めることができたのです。 もう一度、 1時間後に マッキンリーの 別のビューポイントの アナウンスがあったのですが、 頂上はもう雲に覆われて まったく見えませんでした。 「そうか、 見えないときもあるんだ」 オトーサン、 そうつぶやきました。 1週間も滞在して、 撮影に成功しなかった 多くのカメラマンが、 この話を聞いたら、 さぞかし立腹することでしょう。 オトーサンが 楽々と撮影に成功したのは、 ビギナーズ・ラックというべきでしょう。 それとも、 日頃の行いがよかったためでしょうか。 「...そんなことアラースカ」
23 デナリ国立公園1日ツアー、その1
オトーサン、 娘が デナリ国立公園に行きたい と言いだした時、 「デナリ? 国立公園? アラスカくんだりまでいって なんで、そんな得体のしれない 公園なんか行きたいんだ? もっとほかに いい観光地もあるだろうに」 と思いました。 でも、 数年前に娘が イエローストーン国立公園に行って 感激していたのを思い出して、 「ひょっとすると、 アメリカの国立公園は 日本の国立公園とは違うのかも。 まあ、一度、見ておこうか。 見ても損にはならないかも」 問い糺さないことにしました。 オトーサン、 ここへ来てはじめて分かったのですが、 デナリ国立公園ができたのは 1916年。 アメリカの国立公園法ができて、 そのすぐあと。 美しい自然景観と歴史を 開発の魔手から守り 永久に保存しようという狙いからでした。 「ねえ、この公園の広さ、 どのくらいあると思う?」 娘が聞きます。 サッパリ見当もつきません。 「日本の富士箱根国立公園くらいかなあ」 そう思いましたが、 もし間違っていようものなら、 バカにされそうで、黙っていました。 「600万エーカーあるのよ」 オトーサン、 このエーカーとか、 インチとか、ポンドとか、 華氏何度とかいう奴、大きらいです。 何で、平方メートルとか、 センチメートルとか グラムとか、 摂氏何度とかに 国際的に統一しないのでしょうか。 「甲子園球場の何倍くらいかなあ」 と答えをはぐらかしました。 「....」 果たして、娘は沈黙。 いい気持ちです。 30も年のちがう娘を相手に、 負けまいと頑張ったってしょうがないとは 思うのですが、負けずギライは性分。 いまさら直しようもありません。 しばらくして、 娘がポツンといいます。 「四国の4倍の広さなのよ」 「えっ? ほんとかよー」 さて、 オトーサン、 この公園の名前は デナリ国立公園というよりも マッキンリー国立公園というべきだと 提案いたします。 というのも、この公園のど真ん中を マッキンリーを主峰とするアラスカ山脈が 占めているからです。 もし、そうだったら、 娘に聞かれた途端に、 「行く、行く、絶対行く。 あの植村直己さんの敵討ちに」 と答えたにちがいないのです。 あとで調べたら、 何ということはありません。 1917年に この公園ができたときの名称は、 Mount McKinley Ntional Park。 まさに、オトーサンの思った通りでした。 それが、1980年に 面積が拡大されたのを機に、 デナリ国立公園と 改称されてしまったようです。 さて、前置きが長くなりましたが、 「皆さん、明日は、5時起きよ」 長女は興奮した口調です。 馬鹿でかい公園ですから、 1日がかりのツアーになるようです。 「1日中、バスにゆられるのか」 オトーサン、 すこし憂鬱です。 でも、考えてみれば、 これが今回のツアーのクライマックス。 遠路はるばる持ってきたビデオカメラに 野生動物の生態を収録するのです。 長女がやけに張り切るのも 無理はありません。 翌朝、6時にホテルバスが迎えにきて 6時15分にビジターセンターに到着。 ここからツアーバスが出るのです。 天気は曇。 高原の冷気が身に染みますが、 気持ちのよい朝です。 30分前に着きましたが、 先客が大勢います。 色とりどりのウインド・ブレーカーを着用し、 足元は、登山靴で固め、 みなアウトドア気分全開です。 「地球の歩き方 アラスカ編」を熟読した 次女がうめきます。 「ああ、もう、ダメだあ。 30分も前に来たのに」 オトーサン、 昨夜、次女から 「前席、左側よ。いいわね」 念を押されています。 というのは、 ツアーバスのルートは 東から西へ、 左手にマッキンリーを主峰とする アラスカ山脈をみながら 尾根や渓谷を ドーンと突き抜けていく関係で、 左側の席でないと、 いい景色は撮れないのです。 ところが、 幸運の女神がまた頬笑みました。 「25番目よ、どうしよう」 と嘆いていたのに、 行列していたのは、 実は6時30分発のバス。 新しくできた行列では、 なんと1番! 「よーし、いい写真を撮るぞー。 決定的瞬間をものにするぞ」 オトーサン、 堅く誓いました。
24 デナリ国立公園1日ツアー、その2
オトーサン、 調べれば調べるほど、 このデナリ国立公園がスゴイところだと 分かってきました。 前に、 Denai National Park and Preserve と改称したのはケシカランと書きましたが、 一部訂正したいと思います。 この名称の"Preserve"というのに、 大事な意味があるのです。 何を「保存」 しようというのかというと、 人類最後の手つかずの大自然、 Last Frontierなのです。 ここは、 生態系の観察には、 もってこいの場所です。 自然を破壊しないために、 道路はたったの1本だけ。 全長90マイル。 そのうち舗装道路は、 入口の15マイルだけ。 「四国に舗装道路が 15マイル(24キロ)しかないとしたら どうでしょう」 スゴイことです。 国土交通省が考えもつかないことです。 しかも、走るのを許可されているのは、 公園が運営するバスだけ。 マイカーもオートバイもダメ。 さあ、いよいよ出発。 長女の解説によると、 乗客にお年寄りが多いのは、 バスしか交通手段がないので、 かえって楽という理由もあるそうです。 それに、 お金も、ヒマも、 両方持っているので、 長期滞在が常識。 何度もこのバスに乗って、 気にいったところで降りて、 しばらく散歩して、またバスに乗る。 四国でいえば、お遍路さん。 道端で手をあげれば、 気軽にバスは止まってくれます。 今日は公園入口から15マイルの Savage Riverで散歩と魚釣りをしよう。 運がよければ、熊に会えるかも。 そうしたら、死んだフリをしよう... なーんて、老夫婦が話しあうのです。 いよいよバスはスタート。 まず目に入るのが、 黄金色の葉が微風にゆれる アスペン(Aspen)の林。 ポプラ(Balsam Poplar)、 白樺(Paper birch) 柳(Willow)、 メイプル(Maple)といった 落葉樹林です。 その隣には、 エゾマツ(White spruce), マツ(Pine), Fir(モミ)、 Tamarack(カラマツ), Western Hemlock(アメリカ・ツガ) といった常緑樹林があります。 しばらくいくと、 木々の背が数メートル以下と 低く、細くなり、 草原に点在するようになりました。 この状態を、ロシア語で タイガ(Taiga)というそうです。 バスが高度を上げてきます。 海抜800メートル、 この辺まで上ってくると、 樹木限界線(Timberline)。 多くの沼やクリークがある湿原になります。 背丈30センチ以下の草花や 苔の群棲する草原で覆われています。 この状態を、 ツンドラ(Tundra)というそうです。 厳密にいうと、 ツンドラには Moist Tundra Wet Tundra Alpine Tundra の3種類があるそうです。 この最後のAlpine Tundraは ここデナリ国立公園では 海抜1000メートル以上になると出現します。 植物は高さ10センチ以下。 オトーサン、 叫びます。 「おお、錦秋だ」 目にする限りの地表は、 豪華絢爛といっていいでしょう。 緑、青、赤、茶、金の糸で織りあげられた絨毯。 グラデュエーションや斑模様の見事なこと。 お金では決して買えない人類の財産です。 さらに奥地に進むと、 雪をいただく山々が見えてきました。 雪が純白です。 もう新雪が降ったのです。 ナイフで削ったようなピラミッド型の山、 ソフトアイスクリームを2つ並べたような山、 松坂牛のように白い脂身状に雪を被った山、 その割れ目には青い氷河が...。 1万年前の氷河の末裔。 アラスカ連峰が地平線を支配しています。 その長さ650マイル(約1000Km)。 中央にそびえるのが、 主峰マキンリー。 今日は小雨模様で 頂上は雲に覆われています。 「残念だなあ」 海抜2250メートルを超えると、 植物生存限界 (Upper limit of vegetation)。 もう植物はなくなり、 一面に灰色の砂地。 そこにいくつもに枝分れした川筋が 刻印されています。 これが、黒い氷河。 岩の粉が沈殿した氷河、 永久霜で覆われているのです。
PHOTO:黒い氷河そして、最後に現れてくるのは 荒涼とした岩山の風景です。 火星の表面かと思うような 何も夾雑物のない流砂や粗い砂利、 そして岩屑や大岩石の静かな世界。 オトーサン、 「死後は、 おれもこういう砂になるのだ。 これもいいかもなあ」 妙に納得しました。
25 デナリ国立公園1日ツアー、その3
オトーサン、 次々と展開する風景にみとれ、 夢中になって撮り続けました。 「フィルムがなくなるよ、パパ」 長女の忠告で、ハッと目が覚めます。 そうでした。 貴重な野生動物との遭遇の 決定的瞬間を 記録するために、 バッテリーの無駄使いは 避けねばなりません。 さて、 最初の遭遇は、午前7時5分。 「STOP!」 と乗客の女性のかん高い声。 オトーサン、 「何事ぞ、ハイジャックかいな」 と思いましたが、 これが動物発見の知らせ。 すると運転手のストーニーが、 すぐバスをとめます。 オトーサン、 かれを「石頭」と名付けたのですが、 とても柔軟な方でした。 このひと、ブルース・ウィリスに よく似ているのです。 でも、このさい 映画の話はよしましょう。 それどころではありません。 乗客がこぞって反対側の窓に 移動しております。 「カリブー」 女性がうれしそうに指さしています。 オトーサン、 女性の肩ごしに ビデオカメラを窓に押しつけて、 撮影開始。 「おいおい、どこにいるのだ」 大体、不勉強でカリブーが何のことか 分からないのですから、 大きさも形も分かっていません。 30秒後、ようやくケシ粒のような カリブーを稜線の上に発見。 ビデオカメラで最大限に クローズアップしても 何だか分からないほどです。 オトーサン、 ようやく納得しました。 「そうか、トナカイは、 こんなに遠方に出現するのか? だから、性能のいい望遠カメラがいるのだ」 オトーサン、 それ以降の遭遇記録を 克明に時系列で記録しておきましたので ご覧ください。 7時20分 タイガでムース1頭 7時50分 湖畔で熊の親子 8時30分 山腹にドールシープ4頭 8時50分 ツンドラにカリブー5頭 9時35分 河原で熊の親子 10時20分 山腹でカリブー2頭 10時30分 ツンドラでカリブー1頭 11時10分 稜線にドールシープ(牡)3頭 11時55分 池にビーバー2匹 14時35分 タイガでカリブー1頭 15時00分 タイガで熊3頭 15時25分 タイガで熊1頭 このツアーで分かったのは、 1)ムースは、体重800kgもの大鹿だから、 数が少なく、なかなか見つけられない。 2)ドールシープは、稜線か山腹の崖にいる。 クローズアップでも撮りにくい。 3)熊やカリブーはかなり多く見られる。 熊は意外に俊敏に歩く。 4)ビーバーは、工作物のある池にいる 「なあんだ、 そんなこと前から分かっているよ」 TV番組などでは、 よく野生動物が登場して、 その生態がよく紹介されているので、 そんなお叱りを受けるかもしれません。 でも、実際に、この目で確認すると、 新発見がないでもありません。 今回のハイライトは、 何といっても、 14時50分 タルガでカリブー(牡)2頭 の発見です。 オトーサン、 近い場所だったので、 クローズアップすると、 おお、画面一杯に 立派な角を生やした牡のカリブーが 写りました。 「おお、喧嘩してるぅ」 皆が寄ってきて、 液晶画面を見入ります。 勢いよく1頭が仕掛けてきて、 走ってドーンと 双方の見事な角がぶつかりあいます。 数秒のもみあい。 「こりゃ、おもしろいわー」 劇的な展開を期待すると、休憩。 これが案外長いのです。 オトーサン、 慌てます。 「バッテリーがなくなるよー、 早いとこ、戦ってくれよ」 念力が効いたのか、 やおら戦いはじめるのです。 TV番組では、 休憩なしで戦っていましたが、 放映時間の関係で、どうも 休憩時間がカットされているようです。 オトーサン、 長い間、ストレスの多い サラリーマン稼業をやってきた関係で、 こうつぶやきます。 「この間のびした生存競争も また何ともいえず いいもんだなあ」 ツアーバスは、 ワンダーレイク(Wonder lake)が終点、 あと同じ道を6時間かけて引き返すのです。 オトーサンたち、 湖のそばのベンチに腰を下ろして 長女が手配してくれた ボックス・ランチを食べました。 以下は、 オトーサンたちのつぶやきです。 「いい景色ねえ」 と奥方。 「このお水、飲めそうねえ」 これも奥方。 「あっ、ボートが向こうに1隻いる。 この湖でカヌーやったらいいだろうなあ」 これは、オトーサン、 「こんなところに長期滞在して、 ノンビリ、 あちこち見て回れたら 最高ねえ」 と長女。 キャリア・ウーマンにとっては、 1週間の休暇を取るだけでも 大変なのです。 「晴れた日に 向こう岸まで歩いていって、 右手に湖を入れて、 手前にヤナギランなんか入れて、 マッキンリーを撮るのが みんなの夢みたいよ」 これは地球の歩き方を熟読している 次女のコメントでした。
26 ラフティング
オトーサン、 8月31日の夕方から 9月4日の夕方まで丸4日間、 デナリに滞在しました。 31日は午後4時に アラスカ鉄道でデナリに着いて、 シャトルバスでホテルに入りました。 泊まったのは、 デナリ・ブラフ・ホテル (Denali Bluff Hotel)。 Bluffには、 脅かすという意味もありますが、 脅されたのは、 たったの1回。 寝てるときに、 ドアを開けられて、ゾーッ。 従業員が部屋を間違えたようです。 この場合の用法としては、崖。 崖の中腹にあって見晴らしのいい宿でした。 作りは簡素で、まるで長屋。 でも、部屋は広く、 ベッドもダブルベッドが ドーンと2つ。 天井も高く、 ベランダも付いています。 オトーサン、 アラスカ鉄道の旅での 苛酷な長時間撮影に疲れ果てて、 ベッドに倒れこみました。 奥方は元気で、 洗濯したり、入浴したり、 荷物を取り出したりと うるさいこと。 オトーサン、 たまらず、毛布をもって ベランダへ。 ここなら静かで寝られるだろうと 緊急避難したのです。 「アラスカの夕方だろう? 屋外に毛布1枚じゃ、 そりゃ寒いだろう?」 ところが、 夕方といっても まだ太陽がまぶしく照りつけて、 まるでハワイにいるようでした。 気温22度。 時々さわやかな風が吹いて、 それはそれは 気持ちのいいこと。 6時から7時までグッスリ寝ました。 時々、聞こえるのは、 遠くを走るクルマの音くらい。 まことに静かなものです。 オトーサン、 翌日朝4時起床。 ワープロに向かいました。 誰も評価してくれませんが、 「いい旅日記を書くには、 臨場感が勝負だ」 と思い込んでおります。 7時に奥方が起き、 8時には、 ホテルのシャトルバスで 姉妹ホテルである グランド・デナリ・ブラフ・ホテルの食堂へ。 「おお、何たる眺め」 はるか向こうには高い山並み。 眼下には、デナリ川の深い渓谷。 鉛色に泡立つ急流がみえます。 一面の森林地帯。 その黄色と赤の斑模様。 昨日、アラスカ鉄道からみえた、 高い崖の上に建っていたホテルでした。 デナリのランドマークとなっている ホテルでした。 朝食後、 オトーサン、 急に疲れが出てきました。 「じゃあ、これで」 と早速見物にでかける娘たちと 別行動。 ひとりで、部屋に入って、 そのまま、熟睡。 娘たちが帰ってきたのは夕方。 それまで、ワープロをやったり、 それに疲れると、 ベッドにねそべって シドニー・シェルダンの続きを読みました。 犬そり体験や散策で楽しんできた 娘たちからは非難ごうごう。 「せっかく はるばる遠くまできたのに ホテルで一日ゴロゴロしてるなんて サイテー」 でも、 オトーサンの年齢になると、 長旅の途中には、 休息が不可欠です。 おかげで 先にご報告したように 翌日の「デナリ国立公園1日ツアー」」 では、元気でした。 さて、その次の日。 もう9月3日となりましたが、 娘たちは朝から張り切っています。 奥方に宣告しています。 「チェックアウトは10時よ。 それまでに荷造りをすませて、 シャトルバスの場所に集合のこと」 デナリ・ブラフ・ホテルには もう1泊したかったのですが、 満員で4泊目は取れす、 由緒のあるパーク・ホテルに 1泊することにしたのです。 ところが、このホテル。 一見したところ、まるで倉庫。 開拓時代の面影を残しているのです。 しかも、チェックインは午後4時。 午前10時半から午後4時まで、 「一体どうすればいいの?」 状態です。 でも、長女は旅慣れたもので、 荷物をホテルに預けて、 「午前中は、 このへんでブラブラして、 午後は、 ラフティングをしようよ」 さっさとツアー・デスクに 申し込んでしまいました。 「ひとり60ドル。 パパのカードで払っておいたからね」 「おいおい」 オトーサン、 長い間生きてきましたが、 ラフティングなんてやったことありません。 「ゴムボートに乗って、急流下り? あの鉛色に波打つデナリ川の急流を下る? おいおい、よしてくれ。 ゼッタイ、いやだよ。 まだ、胸のところが痛むしさぁ」 と尻込みしました。 奥方も、 大概のことは、 娘に従いたいと 念願しているのですが、 こんどばかりは、 乗り気になれないようです。 でも、 オトーサン、 長女に反抗してばかりいても 後がこわいので、 一大決心しました。 「じゃあ、 この一番安心なコースにしよう。 これなら 急流を下るようでもなさそうだし 写真を撮るのに最適とあるから、 どうだい?」 奥方も写真が撮れるとあって、 ようやくうなずきます。 娘たちは、 どこかで経験ずみとあって 一番ハードなコースを選びます。 「お前たち、もし転覆して 異国の地で死んだって 葬式なんか出してやらないからね。 オレ、しーらない」 「パパって、ほんとにイヤねぇ。 せっかくひとが楽しもうとしているのに」 オトーサン、 ラフティングの装備が こんなに大掛かりなものとは 思いもよりませんでした。 まず、ゴムの長靴を履きます。 ついで、 全身をそっくり包むゴムの衣服を着せられ、 ゴム手袋をし、 毛の帽子を被り、 最後に、 ライフ・ジャケットを着けるのです。 オトーサン、 「宇宙飛行士みたいだなあ」 といいながら、 ボクシングの真似をして 長女の胸を小突きます。 彼女も負けずに、 打ち返してきます。 「ちょっとは、親のいうことを聞けよなあ」 「そういうあんたこそ、娘の言うことを聞けよ」 言外にそういう意味が込められております。 この親娘の争い、 呆気なく決着しました。 というのは、 いざ河原にある ゴムボートに乗りこむ段になって クリント・イーストウッドのような インストラクターが宣告したのです。 「みなさん、では、これから 全員、急流下りコースを体験しまーす」 そして、3隻のボートに8人ずつ 乗るひとを決めてしまったからです。 オトーサン、 慌てます。 「おいおい、 そんなことアラースカ。 オレは緩流コースにしたはずだぞ。 それに、 さっきどんなことがあっても 自己責任という書類に サインさせられたばかりじゃないか、 急流コースでは、 危険が増すじゃないか。 こりゃ詐欺だ、 やめた、やーめた」 そう抗議しようかと思いましたが、 とっさのことで 頭のなかの英作文が間に合いません。 ハードなコースから クラスダウンさせられた娘たちが 事情を聴きにいって、 戻ってきました。 「ねえ、よかったじゃない。 家族一緒になれて」 娘たちの笑顔、 そして娘たちと一緒になれて うれしくもあり、 心配そうな奥方の顔をみると オトーサン、 急に雪溶け水がこわくなくなりました。 胸の痛みも感じなくなりました。 「よーし、 行くぞー、 死なば、 家族全員、 もろともだあー」 オトーサン、 2時間後、ラフティングを終えました。 「で、どうでしたか?」 「娘たちは、しょっちう ギャーって叫んでいたけれど、 いやぁ、 どうってこたぁなかったなあ」 何事もそうですが、 やってみれば、 心配したほどのことはないのです。 「カヌーより、ずっと安全だなあ」 ゴムボートは、 8人乗りで大きくて安定しているし、 それにデナリ川を知りつくした プロのインストラクターが 漕いでくれるのですから、 大船に乗った気分。 「今日は、川の水位が低いから、 ちょっと面白くないなあ」 なんていいながら、 わざと波が激しいところへ漕いでいって 娘たちの叫びを引きだそうという 意図がみえみえでした。 ズドーン。 一度だけ、 大波を乗り切るさいに ボートが転覆しそうになりました。 最前列の4人家族のおじさんが 仰向けにひっくり返って 頭を打ちました。 オトーサンたちは、 ゴムボートの命綱を 両手でしっかり握っていたので、 無事。 それ以来、インストラクターは 慎重運転を心がけてくれました。 おかげで、 オトーサン、 余裕で後続のボートの乗客が 急流にもまれるところをじっくり観察。 乗り込む前には、 元気そのものだった 野太い声の黒人の娘が やけに静かになっている様子を じっくりと観察しました。 5つほどの難所を乗り切ると、 あとは静かに漂うように流れていきます。 余裕ができたのか、 前席の4人家族は 売店で買った14.95ドルの防水カメラで 写真を撮りあっています。 オトーサン、 急流が岩を噛む写真や、 見上げる渓谷の岩石美、 できれば岩場にいる鳥や動物を撮ろうと ビデオカメラを持参したのですが、 首にぶら下げてはいるものの、 防水着の中に入れられてしまって、 取り出せません。 オトーサン、 「残念だなあ。 こういうときに限って シャッターチャンスがくるなんて」 うめきます。 滅多にお目にかかれない ゴールデン・イーグルが 頭上を飛んでいきます。 すぐ目の前の岩場には、 ドール・シープが 5頭も、こちらを見ています。 2時間のラフティングは、 あっという間に終了。 出発時には小雨模様だったのに いまや青空がみえ、 陽もさしてきました。 オトーサン、 生来のお天気男ですから、 すっかり上機嫌になって、 娘たちにいおうとしました。 「11マイル、240ドル。 高いといえば高いけど、 案外面白かったなあ」 横にいるはずの娘たちがいません。 インストラクターの ブラットビットのような 若い素敵な男性と一緒に 記念写真を撮っています。 オトーサン、 前言を素早く訂正、 戻ってきた娘たちにいいました。 「やっぱり、240ドルは高いよなあ」 こういう可愛い気のないことをいうから、 娘たちの顰蹙を買うのです。
27 森の小径
オトーサン、 久しぶりにゆっくり起きました。 今日は、デナリ滞在、最後の日。 「早いものだなあ」 そうなのです。 時間って、不思議な性質をもっています。 好きなことをしていると早く経つし、 イヤなことをさせられていると、 なかなか過ぎていきません。 昨夜、長女がいいました。 「明日は、11時チェックアウトだから、 のんびりしようね」 オトーサン、 デナリ到着の日に、 そう言われてその気になって のんびりしていたら、 一日中、遊び回って帰ってきて、 「面白かったよ、 どうして、ひとりで勝手な行動を取るのよ」 と叱れました。 そんなイキサツがあったので、 「ほんとかなあ」 半信半疑です。 6時に起きて、 ホテルの第2ロビーで ワープロ。 8時になって、 娘たちがいつやってくるかなと思いましたが、 音沙汰なし。 やることはやったし、 流石に遊び疲れたのでしょう。 急な招集命令はかかりませんでした。 8時半に奥方と朝食。 このパークホテル、 開拓時代には、不要になった列車を ホチルの客室代わりに使っていた名残で 客車が3つ、 レストランやバーとして使われています。 面白いので、 そこで朝食を取りました。 娘たちがロビーに出てきたのは、 何と11時。 チェックアウトの時間を 5分ほど過ぎていました。 オトーサン、 根が小心者ですから、 超過料金を取られないかとハラハラ。 結局、ホテルにまた荷物をあづけて 娘たちと奥方は お昼過ぎまで、 ホテルの売店でうろうろ。 「いつまで、ここにいるのだ?」 オトーサン、 ながいサラリーマン生活の後遺症で、 予定が決まっていないと、 イライラします。 「じゃあ、 出発の午後4時までには、 あと2時間ほどあるから、 森の散歩でもしようか」 長女が言ってくれたときには、 正直、ホッとしました。 「ああ、 ついに神はわれに 大事な使命を与え賜うた」 娘を神にたとえるのは、 不適切な発言かもしれませんが、 結婚すれば、山の神になるのですから、 あながち間違ってもいないかも。 Morino Trail 森の小径。 これ、けっしてダジャレではありません。 ホントウです。 ホテルの回りには、 デアリ国立公園のレンジャーたちが 設定したトレイル(ハイキング・コース)が 何本もあって、 娘たちは、先日、湖を回るコースを レンジャーのガイドで散策して、 楽しかったらしいのです。 「キツネに出会ったよ」 「昨日はクマが出たってさ」 オトーサン、 またもや 「おい、おい」です。 「そんな危険なトレイルを親子4人、 レンジャーもなしに 歩いていいものだろうか。 ここは、”両親”の責任において、 いやいや、 もう娘たちは 20歳を過ぎた成人だから、 ここは、 市民としての”良心”にかけて 阻止すべきではないか」 (ここで、両親と良心が 懸け言葉になっていることに ご注目あれ!) 「オーイ、待ってくれぇ」 娘たちは、 どんどん森に入っていきます。 「オレがクマと戦わずして、 誰が家族を守るのだ」 オトーサン、 森の小径に落ちていた 棒切れをもって 必死に後を追いかけました。 「何よそれ? そんな棒で クマを退治できるはずないじゃん」 次女に笑われます。 でも、オトーサン、 屈辱と無理解に耐えて、 この娘たちを守り通すのだと 力んで、地面を押した途端、 棒切れは、ポキリ。 「あはは、あはは」 の大合唱が起きました。 おかげでクマも逃げていったようです。 森の小径は静かでした。 歩き出してすぐ気がついたのが、 キノコ。 掌大の灰色のキノコ。 赤い毒キノコ。 しいたけ。 「多いねえ。まるでキノコの森だ」 山荘のそばのからまつ林では、 秋になると、キノコ採りをしますが、 この森のキノコの多さとは 比べものになりません。 「これだけあれば、 いいキノコ汁ができるなあ」
PHOTO:赤い草
PHOTO:白い花々キ、キ、キ、キ 鳥のさえずりがします。 どんな鳥かなあ、 と振り仰ぐと フットボール大の巣。 「あっ。リスだ」 長女の指さす方向をみると、 大きな木の枝の影から、 リスがこちらをにらんでいます。 オトーサン、 夢中になってビデオカメラで撮影。 山荘のベランダの餌箱に ひまわりの種を置いておくと 冬になると、 たまに、 リスが現れます。 おとなしい小動物という感じですが、 このアラスカのリス、 何やら獰猛です。 「子供を守っているからじゃないの?」 長女の指摘する通りかも知れません。 オトーサン、 何も知らないはずの娘に すべて先を越されるので、 すこし知識をひけらかそうと 地面に落ちている松ボックリを 2つ拾います。 「ほれ、これ比べて見ろよ。 こちらが、普通の松ボックリ、 こちらのとうもろこし状のは 何だと思う? これは、リスのかじった跡。 これを発見すると、 リスがいるのが分かるってわけさ」 「ふーん」 娘たち、一向に感心してくれません。 オトーサン、 くやしがります。 「リスを見つける前に、 見つけて、 解説しておくべきだったなあ。 手遅れだった」 やがて、川音。 「川よ、昨日下った」 「デナリ川だろ」 この指摘も、娘たちに無視されました。 でも、 あの急流を無事に乗り切ったかと思うと 感慨もあります。 「この年になって、あの急流を下って こわくも何とも無かったのだから、 オレも、まだ若いのかなあ」 「あれ、きれいねえ」 奥方の指す方向を見ると アスペンの林の黄葉です。 そよ風に葉がキラキラ。 「シラカバかしら?」 オトーサン ここぞとばかり張り切って解説します。 「あれはなあ、 アスペンっていうんだ、 Quaking Aspen。 葉が大きい割には、 茎が細くて長いから 少しの風でも揺れるんだ」 「そうなの。 そういえば、 白樺とはすこし葉形がちがうわね」 奥方が応じてくれます。 流石に奥方は 年季が入っているだけ オトーサンの扱い方を心得ております。 オトーサン、 空模様が怪しくなってきたので、 足を早めます。 ふと振り返ると、 奥方や娘たちの姿がありません。 「もしや、クマにでも襲われたかと 小走りに駆け戻ると、 まだ、先程のアスペン林のなか。 「何やってんだよー」 声を荒らげます。 見ると、 3人はしきりに小径に散っている アスペンの葉を拾い集めています。 「ほら、きれいでしょう」 奥方が立ち上がって、 掌に並べた色とりどりの ちいさな葉をみせてくれました。 黄色いのや赤いのや青いのや、 それが実に見事な取り合わせです。 まるで、金貨のようです。 オトーサン、 すっかり奥方を見直しました。 奥方は何も言わないけれども、 「人生、 先を急ぐだけが いいのではないのよ。 こうやって、 立ち止まって、 地面をみれば、 黄金色の金貨を拾えるのよ」 と言っているようでした。
28 さらばアラスカ
オトーサン、 その日の夕方にデナリを発って 夜遅くフエバンクスへ。 ここは、オーロラ観光のメッカです。 オーロラとは、 太陽風と地球の磁場が交差して生まれる 壮麗な空の光のショー。 オトーサン、 オ−ロラ無関心派ですから、 その夜は、着いて食事をするなり グッスリ眠ってしまいました。 その分、翌朝は早く目覚めて、 ワープロ。 みなが起きてこないので、 ヤキモキ。 観光パンフレットを研究し、 プランを練り上げます。 「リバー・ボート観光が、 よさそうだ。 8時半と午後2時半と 2つあるけれど、 もちろん8時半発だなあ。 それにしても、 やつら、起きてこないなあ」 奥方や娘が起きてきたのは、 お昼近くになってから。 「残念ねえ。 ゆうべ遅くまで起きていたけど、 見られなかった」 みなで、いい合っています。 オトーサン、 勢い込んで、 「どこへ行く? オレは、 リバー・ボートに乗りたいんだけれど」 ほとんど泣き出さんばかりに 言いました。 「もう、川はいいわよ」 娘たちに、 そっけなく断られました。 奥方は、 「このホテル、 あなたの大好きなプールがあるわよ。 泳いでいたら?」 午後2時、 オトーサンがいたのは、 UNIVERSITY OF ALASKA MUSEUM アラスカ大学のキャンパス内にある博物館。 オトーサン、 「ユーコン川に注ぐチェナ川の リバーボートに乗って 豪華客船の旅をしたかったんだけどなあ。 いまなら、まだ間に合うんだけどなあ」 未練たらしく、つぶやいても もはや誰も相手にしてくれません。 奥方はといえば、 世界的に有名なアラスカ大学の 地球物理学研究所のスタッフが創りあげた オーロラの模型、展示、ビデオに 夢中になっているし、 娘たちは、 夏の特別展(2001.5.21-10.14)、 星野道夫(1952-1996)写真展や 売店で売っている彼の写真集や 日本語の伝記を立ち読みして 深く感動しています。 オトーサン、 仲間外れにされてひとりぽっち。 しょうがないので、 娘たちの後についていきます。 それによると 星野道夫さんは、 1974年にアラスカを訪問して すっかりその風景や野生動物たちの 虜になって、 それまでの職を捨てて アラスカ大学で4年間学んで 写真家になりました。 星野さんの撮ったグリズリー・ベアの 見事なこと。 クマに対する深い尊敬と愛情が 画面のすみずみにまであふれています。 ところが、不幸なことに 1996年8月8日、 クマに噛み殺されて 非業の死を遂げてしまったのです。 後で長女が調べてくれましたが、 原因は、撮影班のスタッフの手落ち。 食べ物のゴミの不始末。
PHOTO:熊のオットーくんオトーサン、 「ここは、案外いいなあ」 と漏らします。 アラスカ大学の 広大なキャンパスも見学できたし、 このミュージアムの外観も とてもモダーンです。 それに入場料がタダというのも、 気に入りました。 アラスカ大学が70年かけて 収集してきただけあって 展示内容も充実しています。 ・アラスカブラウンベア、 ・北極熊、 ・ブラックベア、 ・グリズリーベア の剥製があるし、 渡り鳥の剥製のそばには 飛行ルートも書いてあります。 先史時代の恐竜の化石もあるし、 先住民の風俗と生活もよく分かります。 オトーサン、 アラスカの語源は、 先住民族アリュート族の言葉。 ALANSHAK(本土) というのも勉強しました。 とにかく、 地理、自然史や文化史が 手際よく分かるようになっているのです。 オトーサン、 アラスカの歴史コーナーで 立ち止まりました。 ロシア支配時代、 そして720万ドルでの アメリカヘの譲渡などについても 当時の写真付きで、 手際よく解説がされています。 日本語のオーディオ・ガイドまで 用意されているので、 誰でもよく分かるのです。 オトーサン、 ドキッとします。 次の時代の展示の前でした。 「おいおい、 そりゃあないだろう」 思わず、立ち止まりました。 何と、 日本軍による パールハーバー攻撃の 記事が展示されているではありませんか。 「アラスカと、 日本の侵略とは 何の関係もないだろうが... せっかく、 ひとがいい気持ちになってきたのに それに水を差すとは」 すると、 どこからか、 「そんなこと、アラースカ」 という天の声が聞こえてきました。 そうでした、そうでした。 日本軍は、 当時の北方領土である 千島・樺太から出撃し、 北太平洋での制海権を握り、 アメリカ本土の サンフランシスコを爆撃しようとして アラスカ州の一部である アリューシャン列島のアッツ島に 軍事基地を作ったのです。 でも、 1943年5月11日、 日本軍は玉砕。 守備兵2600名は、 アメリカ軍1万2000名の猛攻によって、 1800名の死傷者を出し、敗色濃厚。 山崎連隊長の命令で 天皇陛下万歳を叫んで、 生き残った800名全員が、集団自殺。 一方、先住民族のAleutたちは 島を追われてアラスカ本土へ強制移住。 こうして、 アラスカは悲劇の地として 歴史に残ることになったのです。 日本が侵略したのは、 何も韓国や中国だけではなかったのです。 戦後も日本漁船が、 アラスカ沖で乱獲を繰り返すので、 1976年、米国議会は 200海里法を制定しました。 いまアラスカは観光ブーム。 日本人が大挙して オーロラを見に行こうと アラスカに押し寄せています。 こういう歴史的事実を知ったうえで もっと敬虔な気持ちで、 雄大な自然と天上の光の不思議に あじわうべきだと思います。 「胸の痛み、どうでした?」 「シドニー・シェルダン、 その後、読み終えました?」 よくぞ、オトーサンのことを 気遣ってくれますねえ。 実の家族以上の暖かい思いやりです。 「おかげさまで、帰国する前にややよくなりました」 「いやぁ、読み終えましたよー。 ついでに、もう1冊も読み終えました」 さらば、アラスカ。 ほんとうにいい場所でした。 老い先短いオトーサンにとっては 忘れ難い旅になるでしょう。 言い出しっぺで、 諸手配をしてくれた 長女に感謝せねばなりません。 ロンドンから駆けつけてくれて 通訳をし、旅行案内をし、 笑いも届けてくれた次女、 そして、もちろん、 勝手な行動を許してくれた奥方にも。 最後に、 1899年にハリマン探検隊を 指揮したHenry Gannettの言葉を引用して 終わりにしましょう。 「これから アラスカ観光をしようとしている人たちに、 一言、アドバイスと警告をしておきたい。 もし、あなたが年をとっていたならば、 絶対すぐに行くべきである。 もし、あなたが若かったら、 待ったほうがいい。 なぜなら、 アラスカの景色は、 世界のどこよりも素晴らしいから、 アラスカを見たあとでは、 世界のどこに行っても感動しなくなるからだ」 ***** **** *** ** * オトーサンの旅日記、 「そんなことアラースカ」は、 これにて終了いたします。 ご愛読ありがとうございました。 お読みになった方々、 来年の夏、あるいは、 生涯のいつの日かに、 ラスト・フロンティア・アラスカを 訪問していただければと思います。 「地球って、すばらしい。 生きているって、すばらしい。 わが人生、まんざら捨てたものじゃない」 きっとそう思われることでしょう。