淡路花博ブンブン紀行

目次
1 思い出の博覧会 2 愛知万博、だいじょうぶ?
3 パンフレット評価委員会 4 いかに行くべきか
5 オトーサン、松本清張になる 6 淡路花博のみどころ
7 安藤忠雄の世界 8 淡路夢舞台
9 いよいよ淡路花博へ 10 結構楽しいバスの旅
11 これより入場 12 アジアたらふくグルメ紀行
13 百段苑とレタス 14 ホテル・ウエスティン淡路
15 夢舞台の雷鳴 16 嘆きの浜、涙の滝
17 怪盗ルパンと海の教会 18 失なわれたラフレシア
19 海のテラスでランデブー 20 花博B級グルメ食べ放題
21 アジアはどこまで? 22 百万長者への道
23 さらば花博、またくる日まで


1 思い出の博覧会

オトーサン 大坂の万国博(正式名称:日本万国博覧会)に 行ったことがあります。 1970年。 高度成長の頃、 プロジュースしたのは その後、経済企画庁長官になられた 堺屋太一さん。 その昔、数人で囲んで苦労話を伺いました。 体育館を借りて、 綱を何本も張って 紙をぶらさげて スケジュール表代わり。 誰でも人目みれば全体が分かる巨大な進行状況表。 おかげで、大成功。 入場者数6422万人。 以後、日本人すべてが博覧会好きになりました。 オトーサン、 75ー76年の沖縄の海洋博(沖縄国際海洋博覧会) にも行きました。 友人の電通のUさんが事務局員で出向。 出展しようと畑を歩いて ハブにかまれそうになったっけ。 沖縄の海もきれいだったなあ。 あの頃は透明で。 それが海洋博の工事で泥の海。 遠いこともあって、入場者数343万人。 1985年の筑波の科学博(国際科学技術博覧会) にも行きました。 ちょうど完成した常磐高速道路で、 ソアラを飛ばしたなあ。 170km。 道路はガラガラ。 入場者2033万人、内容もつまらなかったなあ。 大阪の花博に行きましたよー。 正式名称は、国際花と緑の博覧会。 1990年。 なつかしいですねえ。 バブルの真最中。 みんなが大金持ち気分になってたっけ。 オトーサンだって小金持ち気分。 そういえば、ルンルン気分なんて言葉も 流行しましたよー。 十年一昔。 今では、みんなが銀行やケイサツに ブーブーいいたい気分。 ブーブー気分。 この花博の 名プロデューサーが 泉真也さん (1930年、東京生まれ、東京芸大美術学部工学科卒)、 大成功のオーラを背負って 東京の都市博のプロデューサーに就任。 ところが、残念無念。 「青島だあ」 が、とーせんぼ。 都市博は中止。 泉さんのさまざまなアイディアもお流れ。 オトーサン、 「そうだよなあ。万博もいい加減あきたよー。 似たり寄ったりのパビリオンばっかり。 おまけに面白そうなのは、長い行列。 もう、万博の時代じゃないんだよなあ」 でも、オトーサン、 いまだに、すこし残念がっています。 それは泉さんとオトーサンしか 知らない約束でしたが、 あるイベントのアイディアも 一緒に流れたのでした。 「どんなアイディア? 」 と聞かれても、まだまだヒミツ。 お政所の残間江利子さんにでもささやけば、 2005年の愛知万博で採用になるかも。 オトーサン、 そんなことで、 淡路花博は、都市博の復讐戦。 関係している訳でもないし、 3月18日に開幕したら 9月17日の閉幕まで日があるから いつ行ってもいいようなものだけど、 すぐに行かなくてはという気持ちが 高まっています。 それに春。 春といえば、花。 オトーサン、 もうミツバチのブンブン気分です。 警察にブーブーいうのもあきたことだし 心は ブーンと 1700種類もの花が咲き乱れる淡路島へと 旅立っていまーす。 「ああ、太陽の光を一杯ためこんだ おいしい蜜を飲みたーい」


2 愛知万博、だいじょーぶ?

オトーサン、 名古屋にいく用事ができて 新幹線の車掌さんに聞きました。 「淡路島に行きたいのですが、 どの駅で降りたらいいのですか」 大きな時刻表で調べてくれましたが、 分からずじまい。 「ふーん、JR東海ってたるいなあ」 次に、 名古屋駅の案内所へ。 たくさん並んでいるパンフレットのなかに 淡路花博のものが見当たりません。 そこで 女性係員に聞きます。 「ジャパン・フローラの資料ありませんか」 「フラワードームのことなら、あちらで聞いてください」 オトーサン、 「変だな」 と思いつつ 重い荷物を引きずって、 あちらとアゴで指された案内所へ。 同じ質問を繰り返します。 「ジャパン・フローラの資料ありませんか」 けげんな顔をするので 「淡路島で行われる花博の資料はありませんか」 と聞き直します。 「淡路島ですか? ここで扱っているのは ご覧のように名古屋だけですから。 フラワードームのパンフレットならありますが」 オトーサン、反論します。 「だって、あちらで、ここに行けばあるといわれたので、 わざわざ、ここまできたんだけれど」 女性係員いわく。 「そう、おっしゃられましても、お客さま、 こちらには淡路島のパンフはございません。 あちらは、よくまちがえるんですよ」 たらい回しをされたあげく、 その一言を聞かされて オトーサン、 頭にきます。 名古屋駅といえば玄関口。 名古屋を代表して接客しているという意識はゼロ。 それどころか、お客の前で仲間争いの内幕をばらす。 オトーサン、 「じゃあ、あちらにそう伝えておくよ」 と言って また、重い荷物を引いて 引き返して さっきの女性係員に言います。 「きみのいう通りにあっちに行って聞いたが、 こちらではないと言われた。 よく間違えて客を回されるので困るといわれたよ。 淡路の花博のパンフレット、ほんとうにないのか?」 女性係員は、 難癖をつけにきたなという目付きになって オトーサンにいいます。 「でも、お客さま、 淡路花博のパンフレットは ここにはございません」 オトーサン、 あきれて言います。 「花博といったら、 愛知万博くらいの大きなイベントだよ。 ないはずはないんだけれどなあ」 「でも、お客さま、 本社のほうからパンフレットが届いていない以上、 この窓口では、何とも、いたしかねます」 電話して聞くでもなし、 オトーサン、 あきれてものが言えなくなりました。 名古屋駅といえば 愛知の玄関口。 こんな状態では、 玄関先にほうきを立てて お客さまを迎えるようなもの。 「愛知万博なんか返上したほうがいいなあ」 こんな調子では先が危ぶまれます。 外国から重い荷物をもってきた お客様を不快な目に合わせるのは必定。 だって、 おもてなしの気持ちが、 これっぽっちもないんだもん。 愛知万博は、 ご承知の通り、 空港、新住宅事業のハードの準備だけが先行。 それだって難航。 当然、接客のほうなんかに手が回わらず、 準備なんかゼロ。 JR東海ツアーズの本社も本社。 淡路花博を愛知万博のリハーサルと考えて 準備すべきなのに パンフレットさえ用意していないとは。 おまけに、 愛知県や名古屋市ときたら 震災で苦しんだ淡路島を応援するどころか その足を引っ張るように、 ナゴヤドームで「フラワードーム」という イベントを主催。 宣伝は、地元優先で、 淡路花博は排除して、 パンフレットひとつ置こうとしない 何と尻の穴の狭いことでしょう。 こんな実態がばれたら、 2005年には、 誰も来ないでしょう。 オトーサン、 奥方に電話して この一件を伝えました/ 「そんなのよくあることじゃない。 いちいち気に病んでいたらきりがないわよ」 でも、でも、 奥方の言も普通ならば一理あるでしょうが、 愛知万博は、既に満身創痍。 「環境万博」を謳いながら オオタカの巣がみつかって 海上の森を破壊するものと 国際的に非難の大合唱が湧き上がりました。 貴重な里山を万博で破壊して住宅団地へ。 万博はいい隠れみになるという黒い企みが インターネット経由て、世界中に、ばれてしまいました。 国際博覧会事務局に 「あなたがたは地雷の上にいるんだ」 とまで言われたのを、ひた隠しのお粗末。 さらに新事実。 青少年公園に会場の多くを移しますが、 実は、そのおとなりは産業廃棄物処分場。 森どころか、 一面の禿山ですよー。 そして 新空港建設も漁民の反対で難航。 大体、名古屋空港も使いこなしていないのに 欲張って、 万博を機会に新空港というのが、間違いのもと。 市内から遠くなるだけ。 羽田をやめて遠い成田に行くようなもの。 税金ムダづかいの最たるものです。 さらに、 会場へのアクセスである鉄道建設は 時間切れで間に合いません。 「トヨタが新交通システムで 頑張っているからだいじょうぶ」 なんていうひともいるけれど、 甘い甘い。 2車線しかない道路、今でさえ大渋滞。 どんな手品を使ったって 一台故障すれば、大渋滞。 おまけに、 ユニーが道路沿いに巨大スーパーを建設中。 こんな大渋滞覚悟で万博を開催するなんて 無茶クチャ。 みんな怒って帰るでしょう。 住民なんか生活できなくなります。 極めつきのおそまつが 市の中心部・栄の白川公園。 ここは、ホームレスのメッカ。 どこかの国の高官が視察にきて これを目撃して言いました。 「日本にもホームレスがたくさんいるので 安心した」 水鳥のメッカ、蔵前干潟を埋め立てようとして失敗。 情報公開では、全国のビリ。 住民にも隠したがるひとたちが 万博で世界に現状を大公開しようとする。 これってどういうこと? 見栄っぱりの名古屋人 偉大なる田舎者、 2000万人も集めたら 世界中の笑いものになるのに そんな簡単なことすら分からないのでしょうか。 どう考えても、 愛知万博は返上すべきでしょう。 国は、財政再建を口実に すべての万博関連の支出を取りやめるべきです。 地域振興や地元の経済浮揚なんて大ウソ。 いまは表向き支持している名古屋財界も 終わったら、 一斉に、こういい出すのに決まっています。 「やはり、 オトーサンのいうように やめときゃよかった。 高い授業料払ったなあ、 環境団体の猛反対で、 外国館の出展取りやめが相次いで大赤字。 入場者も目標の2000万人どころか 評判が悪くて1000万人を割る始末。 環境保護団体の反対で 企業イメージもダウンしたし、 赤字ぬぐいの追加の奉加帳も回ってきたし」 県民も、税負担に苦しみますよー。 大体、経済浮揚のための万博という 自分だけよくなればいという 目先の発想自体が ナンセンス。 万博の理念と合致しません。 1851年のロンドン大博覧会以来の 歴史をけがさないように。 どうしても強行するなら 以下のコメントを開幕時に、 どうぞ。 「世界のみなさん、 よくぞ行き届かない愛知のクルマを たくさん買ってくれました。 おかげさまで、いま、 樂させてもらってます。 いまだけでしょうが、 エラソーにさせていただいております。 手前ども、まだまだ田舎者、 一生懸命準備してまいりました。 ハード面だけではなく、ソフトの面でも 上層部だけではなく、末端まで おもてなしの精神を叩きこみました。 何かと不備な点もございましょうガ ぜひとも、お越しいただき、 不備な点は、遠慮なくご指摘くださいますよう 伏して お願いいたします」 (ここは涙声) 「あーア」 重い荷物を引っ張りながら オトーサン、 深いため息をつきました。 「やっぱり、海外旅行にするかあ。 なまじ実情が分かっていると、心から楽しめないよなあ」


3パンフレット評価委員会

オトーサン、 名古屋駅構内の旅行案内所 JR東海ツアーズが 国際博である 淡路花博を冷遇しているので あたまに来ました。 「よし、それじゃあ、 旅行代理店の上位3社の対応状況を JR東海と比べてやろうじゃないか。 駅前のJTB、近畿日本ツーリスト、 日本旅行 を訪ねました。 パンフレットの有無を調べ、 係員に「淡路花博の資料ありますか?」 と質問しました。 その結果を オトーサンひとりで構成する委員会で 以下のようにまとめました。 勿論、無給です。 どこかの考案委員会のように 週1回出るか出ないかで、年収2600万円 なんてことはありません。 パンフ 応対 JTB 可 良 近ツー 優 良 日本旅行 良 優 JR東海 不可 不可 パンフレット部門の評価結果は、 業界2位の近畿日本ツーリストが 一番でした。 考えて見れば、当たり前でした。 淡路島は関西、近ツーのお膝元。 淡路花博というタイトルの専用パンフ(38P) がありました。 業界3位の日本旅行は、神戸大阪という タイトル下に小さく淡路島花博セットプラン と併記。16Pのうち3Pを割いています。 業界1位のJTBは、 神戸大阪宝塚というタイトルだけで 淡路花博という言葉はありません。 16Pのうち、わずか1Pの半分だけでした。 もっとも、 「るるぶ 99-00」をみても 大阪、神戸、ベイエリアというタイトルだけで 淡路花博については、たった2列だけでした。 「淡路花博って、 そんなに小さいものなのかなあ」 オトーサン、気弱になってきました。 さて、応対部門の評価結果も ご紹介しましょう。 オトーサン、 業界1位のJTBが 国際博を粗末にするはずがないと思ったので、 係員に聞いて見ました。 すると、女子係員が 「淡路花博スーパーテン」という リーフレットをくれました。 1枚モノなので、 「他にないですか」と聞きました。 女性係員は、奥の男性に相談にいき、 「あるよ」 と男の声だけが聞こえて、 女性係員が 「淡路花博」という8Pの専用パンフレットを もってきてくれました。 オトーサン、 「出し惜しみするなよ」 と思いました。 よく見ると、 財団法人 夢の架け橋記念事業委員会のもの 何と、8pもありました。 接客は、事務的でしたが、 一番詳しい資料をいただけたので、 応対を良としました。 近ツーは接客は感じがよかったのですが、 専用パンフレット以上の詳しい資料は いただけなかったので、良。 日本旅行は、 接客もよく、パンフレットに 淡路花博の会場の中にあるホテルを 親切にも紹介していたので、優です。 「へえ、会場内にホテルがあるの? そりゃあ、便利だねえ」 「そうなんですよ。 3月9日にオープンしたばかりの ウエスティンホテル淡路があります」 「それならゆっくり花博を楽しめるじゃない」 「そうですねえ」 「JTBや近ツーのパンフレットには 載っていなかったぜ」 「それは、いろいろ事情もあるでしょう」 「ふーん、既存のホテルとの癒着か」 「手前どもは、後発ですから」 「後発だから必死というわけ?」 「はい」 しかも、 ウエスティンといったら世界の名門ホテル サンフランシスコで泊まったことがあります。 各国のヴVIPが泊まるとかで、 部屋も広々として豪華でした。 東京では、恵比須ガーデンプレイスのなかに できました。 それが、ここ淡路島にもできたとは。 それも全室から 海が見え、 花畑が見えるというではありませんか。 オトーサン、焦ります。 「パンフには4月1日からになっているけれど、 3月中でも、部屋取れる?」 「すこしお待ちください」 女性係員はすぐコンピュータで探してくれて 「空いてました。 どうされますか?」 「すぐ押さえてください」 2名様一室で スタンダードプランで17200円 DXツインで18900円 まあ、スタンダードプランで17200円なら 奥方とワリ勘にすれば、1人分8600円、 まあ、いいか。 ところが、よく見ると、 旅行代金(お一人様/1拍朝食付き)とあります。 「えっ、これ部屋代ではないの?」 ひさしぶりに国内旅行をするものですから 海外では通常、料金は部屋代で表示されるので てっきりそうかと勘違いしました。 すると、2人で34400円にもなります。 「高いなあ」 「どうされますか?」 オトーサン、いまさら止めるともいえず、 「じゃあ、食事はいらないから、 部屋だけ確保してくれない?」 結局、代金は27000円でした。 オトーサン、 奥方に相談せず、 ひとりで決めてしまったこともあって あとで悩みます。 「神戸のホテルオークラや 新神戸オリエンタルホテル 六甲山ホテル 有馬温泉の名湯の宿などに泊まる という手もあったか。 安いところでは、 「津名のビジネスホテルはどうかなあ、 1部屋12000円といってたけど」 「でも、なまじ神戸や有馬温泉に泊まると 淡路花博がおろそかになりそうだし。 今回は、花博専門、花博=命といこう」 「津名もいいけど、 奥方と2人、ビジネスホテルで夜中に 顔をつきあわせるのも、味気ないしなー」 「会場から遠くのホテルなんか取ったら タクシーがなかなか来なかったり、 乗り変えが面倒だろうし、 混雑していて行列になりそうだし、 余分の交通費がかかったりするかも」 「それに時間がもったいないよなあ。 時は金なりだ。 安物買いのゼニ失いという諺もあるし」 「高級リゾートで海外旅行気分が味わえる なら、安いかも。 そうだ、そうだ。大正解だ」 オトーサン、 夜、奥方に電話します。 びくびくしながら 事後決済を求めると 「いいわよ」 と即決でした。 電話を切って、 「ああ、よかった」 オトーサン、 胸をなでおろしました。 その後、 寝る間際になって 「しまった!」 オトーサン、気づきました。 奥方に 費用半額分担の原則について了解を取るのを すっかり忘れていたのです。 「そうだよなあ。 誰だってタダなら、 高級ホテルのほうが、いいに決まってるよなあ」 なお、ウエステインホテル淡路の 電話番号は、 0799−74−1111です。


4 いかに行くべきか

オトーサン、 ひまなのか、ささいなことで悩みます。 「どうやって淡路花博まで行こうか。 いかに行くべきか?」 これが、 「人生、いかに生くべきか」 ならば、悩み甲斐があるでしょうが、 たかが交通手段の選択ですから、 大したことはありません。 しかし、 所要時間 費用 乗り換えの回数や待ち時間 混雑度 疲労度 など考える要素がたくさんあると、 大問題になるのです。 例えば、宇宙にどうやって行くかと いうならば、スペースシャトル。 毛利さんでも選択の余地がありません。 ところが、 淡路花博となると あまりに多くの選択肢があるのです。 若いひとに聞くと、 「簡単じゃん。 マイカーで行けばいいじゃん。 カーナビ付きなら、簡単に着くよ」 でも、オトーサンは、もうお年。 費用はまだしも、 運転の疲労度や混雑を考えると、 どても大変そうです。 博覧会協会 (財団法人 夢の架け橋記念事業協会と お役人の考えた長ったらしい名称) のパンフレットによれば、 「東京から新神戸まで新幹線で3時間13分、」 地下鉄に乗って10分ほどで三宮へ JRに乗り変え、舞子まで19分。」 シャトルバスで会場まで14分 東京から3時間58分で着く (乗り換え時間、含まず) となっています。 オトーサン、 「こりゃあ、あかんわ。 乗換えが多過ぎて、面倒だ」 このルートは不採用。 とうとう、またJTBへ。 「もっと簡単なルート、ない?」 「では、三宮から神戸港中突堤まで タクシーで行って フェリーで会場まで行かれては?」 「でも、そのルートでは、 明石大橋を渡らないでしょう」 オトーサン 一度は、明石大橋を渡ってみたいのです。 「では、おクルマにされたらいかがですか」 「でも、レンタカーを借りると、 借り賃だけでなく、ガソリン代、駐車代、 さらに明石大橋の往復の通行料金がかかりるでしょ。 それじゃあ、高くつくよ」 「やはり、最初のバスルートになりますね」」 と係員は面倒そうな顔になります。 オトーサン、 言い張ります。 「舞子にまで行かずに、 新神戸から淡路花博への直行バスがないの? それが一番いいんだけど」 係員はもう オトーサンを相手にしてくれませんでした。 「仕方ないか。、 どの旅行会社のパンフレットをみても そんなルート、書いてないもんな」 そこで、 ついにオトーサン、 JR東海バスのパンフレットを 思い出します。 「たしか名古屋から花博までの直行便が あったよな」 パンフレットを見ると、 料金は、往復6000円とあります。 行きは、朝8時発、12時頃会場に到着。 帰りは、16時20分に会場を出で 名古屋に20時20分着。 4時間かかりますが、乗ってしまえば あとは寝ててもいい。 入場料込みのツアーもありました。」 「7900円、入場料が2900円だから、」 こっちの方が、1000円得になる。 じゃ、名古屋からはバスで行くか」 オトーサン、 結局、東京から名古屋へ出て 3月18日オープンの高島屋が 初日の入場者数が何と28万人と聞いたので 見ていこう。 そして、ボストン美術館でも見て 夜は久しぶりに 栄の「いば昇」で 名物のウナギの「ひつまぶし」でも食べるか。 1泊して、翌朝のバスで行くか。 「でもなあ、 新神戸から会場まで直通バスがあれば、 費用も時間も助かるのになあ」 近ツーのパンフレットによると、 有馬温泉から会場までは 直行バス(1300-1500円?)があるのです。 「なぜ、新神戸から会場までのバスがないの?」 片道料金で計算すると 東京-新神戸は、ひかりで14270円 東京-名古屋は、10580円に 名古屋-会場の3850円を足すと14430円 すこし、ソンしたかなあ。 でも、新神戸ルートは、 新神戸-会場のバス代金は含まないで 2900円の入場料が加わったとして 最低でも、17170円。 やはり名古屋ルートの方が、 3000円弱安い。 オトーサン、 これ以上、詮索するのをやめました。 でも、協会は 新神戸から会場への直行バスがあるなら 運行時刻、料金、費用について パンンフレットに 書いておいて欲しかったですねえ。 ホームページにも出ていませんでした。 http://web.pref.hyogo.jp/jpnflora/ でも、お役人に お客様本位を期待するのは、 夢のまた夢。 自分たちは ハイヤーで会場まで送迎。 庶民は、公共交通機関を乗り継いで来いと いうのでしょう。 それとも、会場が狭いから あまり大勢のひとには来てほしくない、 「東京からは来るな」 ということなのでしょうか。 旅行会社にも 猛省を促したいと思います。 とくにナンバーワンのJTB 国際博ですよ、 もう少し、熱心に商売しなさい。 不況だ、不況だと 誰かサンのせいにしないように。


5 オトーサン、松本清張になる

オトーサン、 以上の記事の内容を再確認するために たまたま通りかかった近ツーの営業所に 立ち寄りました。 第一問: 「淡路花博の資料ありますか?」 と係員に聞くと、 「淡路花博:ジャパンフローラ2000」という 6ページのパンフレットをくれました。 「へえ、新しいパンフ、作ったの?」 オトーサン、近ツーの迫力を感じました。 そこで、第2問: 「JTBでは、淡路花博の詳しい資料くれたけど、 お宅にはなーい?」 すると、係員は奥へ行って、探し出してくれました。 「へえ、やっぱり、あるんだ」 さらに、第3問: 「新神戸から花博の会場までの直通バスはないかなあ」 係員は大判の「JR時刻表4月号」を取りだして 探しはじめます。 (注:「JTB大判時刻表4月号には記載なし) 「ああ、ありました。746ページです」 「へえ、やっぱりあるんだ。すまないけれど、 コピー1枚いただけない。お金払うから」 係員は、すぐコピーしてくれて、 「代金はいいですよ」 といって受け取ってくれませんでした。 オトーサン、感激したので お願いして、名刺をいただきました。 近畿日本ツーリストグループ、 ツーリストサービス 本山営業所 主任、熊田雅則とありました。 若くてやさしい方なので 「独身かなあ。うちの娘もらってくれないかな」 と余計なことを考えました。 なお、 あとで時刻表(970円)を買って 確認すると、 新神戸ー淡路花博のバス料金は、900円。 みどりの窓口で申し込めば 指定席がとれます。 念のために時刻表の一部を掲載します。 新神戸 > 淡路花博 820 927 920 1029 1020 1129 1120 1229 以後も1時間毎にあって最終は 1720 1827 淡路花博 > 新神戸 1115 1219 1215 1319 以後1時間毎にあって最終は 1915 2019 JRバス(西日本)と本四海峡バスが 運行しているのです。 オトーサン、つぶやきました。 「どうして博覧会協会は、 この一番楽なルートを パンフレットに載せないんだ」 この新ルートなら、 東京駅、朝7時45分発のひかりに乗れば 新神戸には11時02分着。 11時20分発の本四海峡バス(大磯号)に乗れば、 淡路花博会場には、12時29分に着きます。 4時間44分。 これが、ひかりを利用した場合の最速ルートでしょう。 オトーサン、 松本清張さんの 「点と線」の 愛読者でしたので、 なおも時刻表と格闘します。 そして、ついに最速ルートを発見! 東京駅発、朝8時の「のぞみ」に乗って 新大阪着10時30分。 ひかりに乗り換えて、 新大阪10時41分発、新神戸10時55分着。 おなじ本四海峡バスの「かけはし号」を利用。 11時05分発で、高速花博に11時47分着。 3時間47分。 博覧会協会の 「東京から3時間58分で着く」というのは、 乗り換え時間を大幅にごまかして 短くみせかけているのですが、 実は、もっと最速ルートがあるのです。 オトーサン、 腕組みします。 すっかり松本清張さんになっています。 「そうだ、ヒコーキを使うという手があるぞ」 あわただしく時刻表をまくります。 882ページ。 日本航空、羽田発7時45分 関西空港着 9時05分。 841ページ。 関西空港発9時30分の 高速船(料金は2000円)に乗って 淡路花博の交流の翼港に着くのが 10時05分。 「おー、2時間20分で着くじゃん」 オトーサン、 大発見に感激のあまり、 明石大橋を渡るという当初のルールは すっかり忘れております。 さて、 1件落着して オトーサン、 ほっとして 近ツーさんに頂いたパンフレットを開きます。 ウエスティンホテル淡路(1泊2日) 名古屋ー淡路花博会場、1日分入場料含むで 18400円−25200円という オトーサンの花博=命プランも載っていました。 このほか、 吉野千本桜 こんぴら参拝などと組み合わせたバス旅行の 魅力的なプランもたくさん載っていました。 さすが、関西に強い近畿日本ツーリスト、 長らく赤字で苦しんできましたが、 元気になってきたようです。 「いい仕事、してますねえ」 そこで一言。 「淡路花博なら、近ツーへ」 出かけるときは、忘れずに。


6 淡路花博のみどころ

オトーサン、 博覧会協会のパンフレットを見ます。 「魅力満載の淡路花博。 楽しさ広がる、 ここが見どころベスト10」 という大見出し。 すこし 長くなりますが、 ベスト10をご紹介しましょう。 (1) 世界一の大橋と花の淡路島 (2) よみがえる大地、 斜面に広がる大屏風 (3) 1700種150万本の花畑、世界と日本の100名庭園 (4) 日本初公開も! 世界から秘花・珍花が大集合 (5) 巨匠・安藤忠雄のランドスケープ、「淡路夢舞台」 (6) 世界の花が集い、舞う”花文化の殿堂”「花の館」 (7) 地上40メートル! 熱帯雨林の大パノラマ体験「緑と都市の館」 (8) ファーブル「昆虫記」 の世界を際限 (9) グルメ、ショッピング&ダンシング「アジア・ショーケース」 (10) 夏の夜の”光の公園散策”「ナイト・ピクニック」 オトーサン、 ざっと裏面の解説にも目を通して つぶやきます。 「誰が書いたのか知らないけれど 下手な文章だなあ。 カギカッコや" "ばかり使って」。 例えば、(6)の 世界の花が集い、舞う ”花文化の殿堂” 「花の館」 という文章なんて 意味不明の典型です。 何で花が舞うの? 花の殿堂と花の館とどうちがうの? (7)の地上40メートル! 熱帯雨林の大パノラマ体験「緑と都市の館」 なんていうのは、 これだけ読むと、 見たーいという気持ちになりますが 実は、映像で見せるだけ。 オトーサン、 (5)をみて 「へえ、安藤さんが巨匠かよー」 などと、一通り、 文章の下手さ加減を楽しんでから、 結論にいたります。 「まあ、見どころは3つかなあ」 とつぶやきます。 ここで ご参考までに オトーサンが選んだ 淡路花博ベスト3を紹介しましょう。 1位 安藤忠雄の淡路夢舞台 2位 エジプトのファラオの庭 3位 ラフレシアと中国雲南省の花々 勿論、協会案の(1)にある 明石海峡大橋も 吊り橋の長さが3911メートルと 世界一ですし、 オトーサン、はじめて渡るので、 ベスト3に入れたいところですが、 厳密にいえば、淡路花博の会場の外にあります。 また、(9)のアジアの屋台村での食事も 楽しめそうですが、 これも、味どころで、 見どころとはいえません。 オトーサンの評価基準は、 明快です。 ポイントは、3つ。 1 普遍性 最高3点 2 独自性 最高3点 3 地方性 最高3点 この3つの総合点で決めるのです。 では お待たせいたしました。 結果を 発表いたしまーす。 じゃーん、 1位 安藤忠雄の淡路夢舞台     9点
2位 エジプトのファラオの庭    7点
3位 ラフレシアと中国雲南省の花々 6点
「へえ、 安藤忠雄の淡路夢舞台が 断トツの1位なんだ。 どーうして?」 「じゃ、協会のHPに載ってる文章でも 読んでみてよ」 「国際的な 人と文化の交流ステージとなる 淡路夢舞台は、 斜面地の緑を背景に 花の夢、水の夢、海の夢、山の夢、 さらには、ここに集う人々の夢が織りなす 壮大なランドスケープ。 花のイベントショーの「野外劇場」、 「奇跡の星の植物館(夢舞台温室)」や 国際コンペでつくられた「百段苑」と 「プロムナードガーデン」の花や緑の展示。 そして「国際会議場」、「ホテル」。 千本のミレニアム噴水、 百万個の貝の浜。 ここに巨匠安藤忠雄さんの世界が大きくひろがる」 「ふーん、これで1位?」 「とにかく安藤さんは、満点なの。 エジプトは、独自性と地方性が満点だけど 普遍性が1点。 ラフレシアは、 独自性と地方性が満点、 普遍性は0点」 「何で 安藤忠雄の 淡路夢舞台が 1位なのよー。 きちんと説明してよ」 オトーサン、 勿体ぶって言います。 「話せば長くなるけど、 それでも、聞きたい?本当に?」


7 安藤忠雄の世界

オトーサン、 かねがね、 安藤忠雄さんの仕事に 注目してきました。 1989年には、 北海道のアルファ・トマムまで 「水の教会」を見に行きました。 施主みたいに腕組みして 「ふーん、打ち放しコンクリートでも こんなに気品のある建物ができるんだ 東京の南青山3丁目に 安藤さんが設計した コレッツオーネという商業ビルが 出来あがったときも 駆けつけました。 あれも、1989年だったかなあ、 オトーサン、 迷路のような階段の上で 腕組みして 感想をのべようとしましたが、 バランスが崩れそうになって あわてて隣のひとに 腕を支えられました。 地下空間が思ったより広く、 自然光が差し込んでいて ちょっと魅力的で 教会の内陣にいるようでした。 オトーサン、 奥方を相手に安藤さんのことを 語りはじめます。 「どうして、安藤さんを知ってるの?」 「いやあ、昔、 浜野商品研究所と 仕事したことあったろ。 1975年に 浜野安宏さんは、 南青山にフロム・ファースト・ビルをつくって 評判になったんだ。 その浜野さんの右腕が、北山さん。 実は、 安藤忠雄さんのお兄さん。 そんなに有名じゃなかったから 会いたいとも思わなかった」 「安藤さんが注目されるようになったのは 「住吉の長屋」で1979年に建築学会賞を取ってから。 もう38歳になっていた」 「新聞で読んだけど、 だって、安藤さん、いま東大教授でしょ。 東大の建築学科をでたエリートだったんじゃなーい?」 「ぜーんぜん。 実は、安藤さん、高卒なんだ。 大阪府立城東工業高校の機械科を出た プロボクサーだった」 「プロボクサー?」 「そう、タイまで試合に行ったこともあった」 「それがまた何で建築家に?」 「いや、分からない。 北山さんも、当時は、弟自慢をしなかったから お聞きする機会もなかった」 「でも、1998年の秋に 安藤さんは、 東大の大学院で集中講義をして それが一冊の本*になった。 そこで学生たちに、 若い頃のことを雄弁に語っていてね」 *「安藤忠雄 建築を語る」 東京大学出版会 「へえ」 「15歳のときに実家の増築を手伝って 建築に興味を持ったのが、はじまり。 大阪からは京都や奈良が近いので 社寺を見て回るようになって それがこうじて、 日本一周を志して 社寺や民家を見て回った」 「誰でも京都に 行きたがる時期ってあるわよね。 私なんか、いまでもそうだけど」 「そうそう」 「ところが、 ここで偶然が左右したんだ。 それが、 広島で丹下健三さんの平和記念館と出会った。 はじめて本物の近代建築を見て ショックを受けた」 「丹下さんて、 新都庁つくったひとでしょ。 私も広島で原爆ドームを見たあと 平和記念館に寄って、いいなと思ったけど、 人生を変えるほどじゃなかった」 「そうなんだ。 いまじゃ、日本中、 丹下さんの建物を真似した建物ばっかりだからね。 でも、丹下さんが作ったのは、1955年。 ちょうど高度成長がはじまる頃、 当時はコンクリート建築は 非常に珍しかった」 「ふーん」 「このあと、 また偶然が作用したんだ。 安藤さんは、 古本屋で、たまたま ル・コルビジェの作品集に出会った。 高くて手が出ない。 だけど、ほしい。 お金を貯めるまでに売れてしまわないように 上に積まれている本を何度も下に隠した。 ようやく手に入れて、 載っていた図面をトレ−スしたりしているうちに、 近代建築の巨人、ル・コルビジェに 会いたくて会いたくて、たまらなくなった。 旅費をためて、 シベリア回りでパリに行った。 ちょうど亡くなられたところで、会えなかった。 でも、ル・コルビジェの斬新なコンクリート建築、 鉄とガラスのミース・ファンデル・ローエの建築 をみて、感銘を受けた」 「へえ」 「旅の途中で、また偶然が左右した。 安藤さんは、」 都市そのものが建築である 水の都ヴェニス、 生者と死者が同居している インドのべナレスでの水浴風景に出会って、 自分が求めているのは、 技法としての建築ではなく、 建築の背後に働いている自由な近代精神 さらには、独創的な生き方そのものだと 気づいたんだ。 そして できれば建築という 世の中で一番トータルな仕事を通じて、 一回しかない人生を燃焼したいと 思いはじめたそうだ」 「ふーん、若かったのね。 誰でも、若い時はそんな夢を見るよねえ」 「そう、そうなんだ。 安藤さんが 東大のエリート学生に 言いたかったのは、 CAD、CAMで、箱物を作って 仕事した気になるなということなんだ。 今じゃ、日本中、生気のないビルだらけ。 みんな、そんななかで窒息しかかっている。 だから、 建築家の卵たちよ、 いい暮らしをしようと思うな、 闘え、 採用されなくてもいいから提案せよ、 自分を磨いておけ、 そう安藤さんは講義したんだ} 「すごいひとねえ。 でも、ほんとに実行してきたの?」 「そうなんだ。 そこが安藤さんのすごいところ。 高卒の建築家なんて、 最初は誰も相手にしなかった。 とくに日本の建築界は、保守的なことで有名。 誰々さんのお弟子さんだとか 大手ゼネコンに所属していないと チャンスも与えられない。 大きな仕事は、まず、こない。 ところが、外国が安藤さんの建築を認めた」 「例えば?」 「いま、 ベネトンに頼まれて アートスクールを作っておられるようだけど、 外国での安藤さんの作品は、 見たことないから、 本の受け売りで、 受賞歴だけでいいかい?」 「いいわよ」 「主なものを読み上げるよ。 フランス建築アカデミー大賞ゴールドメダル、 フランス建築アカデミー名誉会員、 アメリカ建築家協会名誉会員、 イギリス王立建築家協会ゴールドメダル、 イギリス王立建築家協会名誉会員、 国際教会建築賞」 「それってタケシさんよりすごくない?」 「まだあるよ。 1987年 イエール大学客員教授 1988年 コロンビア大学客員教授 1990年 ハーヴァード大学客員教授」 「コロンビア大学で教えたの? それって、 野村沙千代さんが滞在したとかで 大騒ぎになったニューヨークの名門大学でしょ」 「アメリカの名門大学が競って 安藤さんを招いたのをみて 日本では、7年後の1997年になって ようやく東大が安藤さんを招いたんだ」 「日本ってダメねえ。学歴社会だから」 「そうなんだ。 今度の淡路博覧会協会のひとたちも まだまだ、 安藤さんの素晴らしさは、分かっていない。 だから、巨匠とかいう変な紹介しかできないんだ。 でも、 今度の淡路花博で、日本人の多くは、 はじめて、安藤さんの作品を知って 誇りに思うはずなんだ」 「そんなに淡路夢舞台ってすごいの?」 「そうなんだよ」 実は、 オトーサン 安藤さんに夢中になって この世紀に残る作品を 記録せねばという使命感に燃えて ついにソニーの最新型デイカメを カードで買ってしまったのです。 まだ、奥方には言ってないけどね。


8 淡路夢舞台

オトーサン、 一息ついて話しだします。 「何年前になるかなあ。 娘と一緒に、 ブッチャード・ガーデンに行ったの 覚えているかい?」 「あのカナダのヴィクトリアの?」 「そうそう、シアトルから船で行った」 「勿論、覚えてるわよ。 あそこは、特別よかったわあ。 花が咲き乱れて、まるで楽園のようだった。 ああ、もう一度行きたい」 「あれ、昔の採石場の跡だった」 「私も、それを聞いて信じられなかったわ。 それっで、もしかしたら、 何か淡路夢舞台と関係あるの?」 オトーサン、 「そうなんだ」 と相槌を打って、 奥方に質問します。 「関西空港の埋め立てに使った土、 どこから採ってきたか知ってるかい?」 「そりゃ近くの山からでしょう。 神戸の六甲山の土を取ったという話を どこかで聞いたことあるわ。 もしかしたら淡路島からも採ったの?」 「イエース、大当たり。 安藤さんの本のここのところ、 ちょっと読んでごらんよ」 奥方が目を通しはじめます。 その文章を引用しましょう。 「1998年の3月に開通しました 明石海峡大橋が架かる淡路島の一角に、 35万坪の大きな空地がありました。 これは 関西新国際空港の埋立用の土を採った跡で、 ちょうどゴルフ場一つ分の広さに相当します。 1988年に土地の所有者が私を訪ね、 ここをゴルフ場にしたいので クラブフウスを設計してほしいと 依頼されました。 そこでまず敷地を見に行きましたが、 なぜこれほど無計画に山を切り削るのかと あらためて憤慨しました。 土を採ったり、 セメントを採ったり、 石灰岩を採石したところが 日本じゅう至るところにあります。 日本だけでなく アジア全域、 ヨーロッパにもアメリカにもあります。 土を採るのは仕方がないとしても、 その責任として 10年くらいかけてもとに戻すことを 考えた方がいいのではないかと思うのですが、 そういうことは全く意識にもなく、 削られ放しの山があちこちにあります。 無惨、というより他ありません」 オトーサン、 奥方が、読み終わったのを 確認してから、 話を続けます。 「建築家って商売は、 はたから見ると華やかだけど、 しょっちゅうトラブルがあるみたいだなあ。 施主の倒産、 施工中の事故、 お役所の認可が下りないとか」 奥方が、茶々を入れます。 「施主の無理難題というのも あるわよねえ。 家をつくったとき、 あなたが、急に、 この話なかったことにしてくれ、 といったわよねえ。 あのときの 担当者の顔ったらなかったわ、 いまでも覚えている」 オトーサン、 別のことを思い出して、 憤慨を新たにします。 「そういえば、 会社でも役員が交替したりして せっかく進めていたのに、 この話、なかったことにしてくれ」 というのが、よくあったなあ」 バブルがはじけて、 日本中で同じようなことが起きました。 そして、安藤さんの ゴルフ場の仕事も オジャンになりました。 でも、 安藤さんの すごいところは、 あきらめないこと。 業者が手を引くと、 淡路島は、気候が温暖だから 花の島にしましょうと兵庫県知事に話して 県は国に働きかけてくれて、 国営公園になりました。 園芸学校や植物園、温室をつくり、 人を育てることになったのです。 それが受けいれられると さらに、 普通は建物を作ってから、 木を植えるのですが、 「今回は、先に植樹をしましょう」と 説得してしまったのです。 オトーサン、 奥方にうれしそうにいいます。 「ここで 安藤さんがついていたのは、 知事もブッチャード・ガーデンを 見ていたことなんだ」 「そうなの。 それじゃあ、話しは早いわよねえ。 誰だって、あそこへ行けば、 採石場を地上の楽園にするような仕事を 一生に一度はしてみたいと思うわよ」 「そう、そう。 でも、そう話しはうまくいかなかった。 ブッチャード・ガーデンは、5万坪。 淡路夢舞台は、35万坪。 ブッチャード・ガーデンの7倍の楽園を 創ろうといって 1992年頃から苗木を植えはじめたのだけど ちっとも育たない」 「土がわるいんでしょ」 「そうなんだ。 言いだしてはじめた以上、 後には引けない。 そこで、安藤さん、 建築家の守備範囲ではないけれど、 世界で一番進んでいるといわれる イランの緑化事業の資料を入手したりして 何とか植樹に成功した。 1年で30センチ、 2年半で1メートル. いまでは、5メートルになったそうだよ」 「まだ、森というほどではないわね」 「安藤さん、 あと10年たったら、 いい森になると書いているよ」 奥方が キッとなって、オトーサンを睨みます。 「じゃあ、まだ途中なの。 途中なのに、花博やって、入場料を2900円も取るの?」 「安藤さん、 ボランティアで 震災後の神戸の町に 木を植える運動しているんだってさ。 モクレンやコブシを もう20万本以上も植えたそうだ」 「みんな白い花なのね。 ああ、そうなのね。 震災で亡くなった方たちへの 鎮魂の意味から白い花なのね」 オトーサン、 ようやく 奥方が分かってくれて 安心しました。 そろそろ、 ソニーのデジカメを 無断で買ってしまったことを 切り出す潮時のようです。 そうなんです。 切実な哀悼の気持ちを 現地に行って示すだけでなく、 2000年のいまの厳粛な気持ちを 後世に正確に伝えるべく 記録しておかねばならないのです。 これって、動機不純でしょうか? でも、 オトーサンのほうはともかく 安藤さんのお仕事のほうは 純粋。 新世紀に環境を創造しようという 普遍的な人類の願望を先取りし、 温暖な淡路島という地方色を生かして 花の島へ、 しかも安藤忠雄ワールドの 独自性豊かな建築が、 森の中に点在。 オトーサンがつけた 満点の9点とは、そういう意味です。 皆さん、 ぜひ、安藤さんを応援してあげてください。 夢舞台に大勢が行ってあげることが、 大きな励ましになるのです。 こういうのが、 ほんとうの万博。 環境をつくる夢舞台、 環境を愛するひとがみんな集まるなんて 夢のようだという夢舞台、 それが万博。 一方、 愛知万博はといえば、 環境博を謳いながらも もう5年後に迫っているというのに すったもんだ。 木を1本植えるでなし、 オオタカに石でも投げて 追い払えというひとたちや 理念なき官僚たちの ゼニ儲けの場になりさがっています。 観客も 単なる物見遊山。 そういう意味でも、 はじまる前から、 愛知万博は、時代遅れ、 すでに破綻しているのです。 環境博なんてやめて いっそのこと、交通博にでもしたら。 渋滞がほんとに解消できたら、 世界への貢献になります。


9 いよいよ淡路花博へ

オトーサン、 天気予報を注意深く見ます。 28、29日の神戸は、雨マーク。 天気図を見ると、 西から大きな雨雲がやってきます。 民放各局の予報だけでは信用できず、 NHKも見ます。 どういうわけか、 みんな同じ。 しょうがないので、 カサをもって行くことにしました、 今回は、1泊2日。 ごく簡単な旅装ですみます。 早い話し、着替えなんか不要のはず。 でも、広い会場、 歩き回って汗をかくこともありうるので 1回分だけ用意。 「歩き回るから、 ハイキングに行く格好でいいか」 とリュックサックにしました。 なかには、 傘、着替え、花博のパンフレット、 水着、万歩計、ノートパソコン、そしてカメラ。 「カメラは、何もっていくかなあ」 迷いに迷ったあげく、 コンタックスと 買ったばかりの ソニーのデジカメにしました。 服装も悩みましたよー。 「何たって世界のウェステインに泊まるんだ からなあ」 背広姿にネクタイで ぴちっと決めれば 何の問題もないのですが、 ハイキング姿も捨て切れません。 「両方もっていくか」 それでは、荷物が重くなってしまいます。 オトーサンの頭のなかを 貧富、東西、晴雨、寒暖、美醜といった 2文字がはげしく去来いたします。 結局、 夏の青い背広にユニクロの茶のコート 野球帽はやめて アメリカで買った緑黒のゴルフ帽。 そして花粉病予防のためにマスク。 「コンビニ強盗みたいねえ」 と奥方。


10 結構楽しいバスの旅

朝8時、 バスはつつがなく 名古屋駅バスターミナル7番から 乗客18名を乗せてスタート。 ほとんどが女性客。 望遠カメラを抱えたオジーサンが一人。 オトーサン、 遠足に行く子供みたいに ドキドキしています。 「そんなに淡路花博が楽しみだったの?」 「まさか」 実は、奥方に無断で買ってしまった ソニーの最新型・高級デジタルカメラ Cyber-Shot DSC-S70(定価11万3000円)を いつ披露しようかと悩んでいるのです。 奥方は 久しぶりに見る名古屋の風景に キョロキョロ。 久しびりに乗ったバスの 一番前の席からの 高く広い視野に ご満悦。 走り出して30分ほど。 奥方は車窓の風景にも飽きて、 小さな欠伸。 ようやく、きっかけができました。 オトーサン、 リュックサックから もぞもぞと デジカメを取り出します。 「ほれ、これ買ってあげたよ」 「また買ったの」 でも、それ以上のおとがめなし。 それどころか、 興味津々で、 オトーサンの説明に聞き入ります。 我ながら、 「うまくいったわい」 と胸をなでおろします。 でも、 これはオトーサンの話術を ほめるよりも、 ソニーの技術をほめるべき。 「まあー、液晶画面が大きいわね。 ずいぶん、ズームも利くのね」 「へえ、動画も撮れるの」 「電池の交換なしでも 2000時間も撮影できるってすごいじゃない」 「普通のカメラでは、 最高で36枚撮りなのに、1000枚も撮れるの」 「TVにも写るの」 デジカメは、オリンパスとフジで シェア8割。 このデジカメは、 出遅れたソニー巻き返しの 秘密兵器なのです。 連日、全面広告しているように メモリー・スティックなる記録媒体を中心に パソコン、ビデオカメラ、デジカメ、 ウォークマン、プレイステーション のすべてを共通化し、 顧客の囲い込みをしようという野望が 脈打っております。 このデジカメは いわば、ソニーワールドへのパスポート。 これを買ってもらえば、 パソコン、プリンター、ビデオカメラなどが 欲しくなるという計算。 30分ほどデジカメで遊びました。 シャッター音をつけたり、消したり。 セピアで撮影したり、モノクロにしたり。 撮った画像をアルバムのように並べたり、 ズームで細部を拡大して 見えなかった画像をみて喜んだあと、 トリミングしなおしたり、 不要な画像を削除したり、 実にいろいろなことが出来るのです。 それでも、電池の残量表示があるので 安心して遊べます。 予備のバッテリーも買ったので、 さらに150分は大丈夫。 足りなくなったら、 ホテルの電源から充電すればいいのです。 9時12分、 バスは多賀SAで10分間のトイレ休憩。 オトーサン、 トイレの後 新聞を買ったり ノンビリしましたが、 自分の乗ってきたバスが分からなくなって 一瞬パニック。 いくら探しても 同じようなバスだらけ、 よく見ると愛産大三河とあります。 フロントガラスに貼ってある 番号を見ると、 NO.41というのもありました。 「そうか、バスを連らねて 甲子園に応援に行くのか」 ようやく、淡路花博の マスコット・キャラクターである ユメハッチを窓に貼った 名阪名鉄バスを見つけたときは うれしかったですよ。 オトーサン、 2時間も走ると、流石に飽きてきました。 すると、 雨がポツオツ降りだしました。 「いやだなあ、 雨なんて。 大丈夫かなあ、こんなにスピード出して。 おれなら、このカーブでは スピードをゆるめるけどなあ」 でも、無事に、 竜王の魔のカーブを過ぎました。 名神高速道路の開通直後は、 よくここで転倒事故があったものです。 「まあ今のバスは、性能がよくなったからなあ」 オトーサン、 少し落ち着いてきて、 淡路花博のパンフレットを 取り出して丹念に読みます。 「ふーん、そうだったのか」 平成10年開催予定が、 神戸淡路大地震のために 2年遅れたのかあ」 となりの娘と一緒のおばさんが 羨ましそうにするので パンフレットを貸して上げました。 おばさんは日帰りのようです。 バスは モノレールに沿って走ります。 どこかで見たような風景。 そうでした。 大阪万博の会場跡が記念公園になっています。 「そういえば、芸術は爆発だなんて いっていた元気なおじさんも死んじゃった」 「岡本太郎さんでしょ、太陽の塔をつくった」 やがて、 バスは神戸へ。 防音壁ばかりが延々と 万里の長城のように続きます。 景色もみえず、 神戸という気がしませんでしたよー。 オトーサン、 わが国の財政破綻の現場を ルポしているような暗澹たる気分になりました。 11時10分、淡河でトイレ休憩。 淡河と書いて、OGOと読むのです。 スポーツ新聞を読むと さっきの愛産大三河の試合は 午後2時半から。 「どうりでバスが飛ばすわけだ」 いったん降り出した雨は、 降ったり止んだりし、 いまは、 雨足が強くなってきました。 試合開催は、大丈夫でしょうか。 11時35分。 「そろそろだよ」 とオトーサンが注意します。 「明石海峡大橋を写さなくちゃねえ」 と奥方は言っていたのですが、 モーニング娘の記事に気をとられて デジカメを鞄から取り出すのに 手間どり、 さらに、デジカメの起動時間が 案外長いので あれよ、あれよという間に、橋を通過。 絶好の撮影ポイントを逃しました。 あうんの呼吸で 自動的に記録してくれるカメラがあったら いいのですが。 橋を渡れば、会場はすぐ。 左手に海をみながら走って バスは無事に 淡路花博会場に到着しました。 12時、定刻でした。 さきほどのおばさんが運転手に聞きます。 「帰りのバス乗り場はどこですか?」 「いやあ、分からんがや。ここ初めてだもんで」 無口なだけでなく、 無学な運転手さんでした。


11これより入場

行く手には 白いキャンバス地の大きなテントの波。 もう、お祭り気分です。 会場の入口には すでに入場券を買うひとの長蛇の列。 オトーサンたちは バスツアーに入場券がついているので そのまま、すぐ入場。 ゲートを入って 目につくのは、ボードウォーク。 小さな川を渡るという趣向です。 「荷物を置いて身軽にならなくては」、 オトーサンたち、 トラムの乗り場に急ぎます。 ところが、長蛇の列。 係のおじさんが、怒鳴っています。 「一周して戻ってくるまでに 4時間かかるよ」 何か、ひとの不幸を喜んでいる口調。 「ま、おれが協会のおえら方だったら、即刻クビだな」 たまに大勢のひとをさばく役につくと、 そのひとの地が出るようです。 お互い、他人の振り見て、わが振り直す、で ありたいものですねえ。 しょうがないので、 重い荷物をもって てくてく歩きました。 気分はてくのはなはく状態。 途中、行列があったのは 「緑と都市の館」というパビリオンだけ。 ここは、巨大スクリーンで 熱帯雨林などの映画を見せるところ。 通過型でないので、回転が悪いのです。 「もう、パビリオンの時代ではないよな。 この淡路花博のような回遊庭園型のほうが いいのではないの?」 ところが、 ひょうごの庭など ぱっとしない 庭園の展示が続きます。 「県知事、地震対策でいそがしくて この展示、みてないのかな」 前回 3位とした エジプトのファラオの庭は、サイテー。 小さいスフィンクスが置いてある芝生の 庭があるだけ。 オトーサン、 日本とエジプトの大使は何をしているのか 調べてみたい気分になりました。 その隣のイタリア庭園は、 ミケランジェロのダヴィデ像が目につきます。 樹木と広場の出来もよくて、 金賞と書いてありました。 オトーサン、 「ふーん、こんなのが金賞か」 とつぶやきます。 昔、ミケランジェロ広場で フィレンツェの町を見下ろす本物をみていたので、 つい比べてしまいます。 スイスの庭には、花時計。 オトーサン、 昔、ジュネーブでみたのにそっくり。 「きれいねえ」。 と奥方。 ここは、ソニーのデジカメの出番です。 大勢のひとが撮影をしていました。 はしゃいでいる声は、関西弁。 そうでした。 ここは、関西なのです。 名古屋や東京から来たひとには、外国。 甲子園で応援するチームも まったくちがうのですよー。 関東の高校と対戦して、 関西の高校が大差で負けても、 惜敗と言う国なのです。


12 アジアたらふくグルメ紀行

お昼過ぎになりました。 「おなか減ったなあ。 ホテルに行く前に、腹ごしらえするか」 奥方も異存なく、 アジアン・ショーケースを目指します。 「なーんだ、入口のほうだった」 そして たどりつくと、もう一つのなーんだ。 「なーんだ、これしかないのか」 パンフレットには、 大屋台村とか アジアたらふくグルメ紀行とか 書いてあったので 大いに期待していたのです。 「シンガポールの屋台村くらい広いかな」 「あれは、特別よ。 でも、何かおいしいものがあるといいわね」 ところが、 あるのは、 めん、どんぶり、カレー&スープ、 ステーキ&シチュー、スナック、 サラダ&フルーツ、ドリンク&フルーツ、 フルーツバー。 どうみても、ただの祭りの屋台。 それでも、 中国の小籠包(500円) マレーシアのナシゴレン(チャーハン600円) があったので、 雨で濡れた白い椅子を拭いて 雑踏のなかで食べました。 「まるで、難民状態ね」 と奥方。 「オイシイヨ、オイシイヨ」 とマレーシア人が叫んでいるので、 行列ができている ロティチャナイ(800円)なるものも 食べてみました。 インド料理のナンを丸めたもので カレーとミートソースのたれをつけて 食べるのです。 「こんなもん、ちっともうまくないや」 それでも、分量は多いので お腹は、たらふくになりました。 オトーサン、 残り少ない人生の貴重な一食を 台無しにされて、 悪態をつきました。 「あいつ、 オイシイヨ、オイシイヨといってたけど、 ひょっとして。 マレーシア語では、 マズイヨ、マズイヨという意味じゃないのか?」 となりのテーブルでは 小学生の兄弟が、 紙皿の上の ライヒとランプータンの外観を 気持ち悪そうに眺めています。 赤いひげが糸ミミズのようです。 おそらく、はじめてなのでしょう。 そして、 ぺろりと一口食べて 「なーんだ」という顔をしました。 いまは、子供たちですら、舌が肥えていて おいしい食べ物を経験しているのです。 協会は、グルメという言葉を あまり使わないほうがいいと思います。


13 百段苑とレタス

オトーサンたち 歩き疲れて 2時半にホテルのフロントへ ところが、 「3時までお待ちください」 とぴしゃっと言われました。 「やっぱりダメか。 じゃあ、せめて重い荷物を預ってください」 身軽になって 奥方が楽しみにしていた 百段苑へ。 遠方からみると 山の斜面に造成された コンクリートの土止め、 あるいは分譲墓地に見えなくもありません。 でも、 近づくと、スペイン階段。 若いカップルなどは、 登山ごっこで喜んでいます。 お年寄りは、 神社の急な階段を上っているような気分。、 上にいくほど見晴らしがよくなって 淡路夢舞台の全景と 瀬戸内海が見渡せました。 奥方が、 「京都駅ね」 と言います。 これはJR京都伊勢丹を 設計した原広司さんがつくった 大階段のことでしょう。 大階段を一段一段登り、 海からの強い風に吹かれながら ひとつずつ花壇をみていきます。 世界中の菊だけを100種類集めたと ありますが、花が咲いているのは、3分の1。 オトーサン、 南アの花などいままで見たこともない花をみて 興味を持ちましたが、その持続時間は10分足らず、

一方、 奥方は、 花大好き人間ですから 「あ、 何があったわ」 「これが、うわさに聞いていた何々なのね」 と叫んでおります。 オトーサンは、 花とは無縁のお方ですから、 「寒いなあ。また少し雨がぱらついてきた」 というような感想を漏らしております。 でも、奥方に長時間つきあって 迷路のような階段を 上ったり降りたりしていると オトーサンでも分かる植物に出くわしました。 「あれ、これレタスじゃないか。 さては、百種類も菊を集められなくて、 野菜も植えたか」 でも、階段の途中にある壁に貼ってある解説を読むと キク科の植物には、 鑑賞用だけではなく、食用もあって レタス、シュンギク、ベニハナ、そして フキ、ゴボウ、オクラも含まれるそうです。 オトーサン、 「へえ、この年になっても 覚えることが沢山あるんだなあ」 何でも、キクはわが國を代表する植物で バラ、カーネーションと並ぶ 世界3大花の一つ。 「へえ。日本を代表する花なのか」 ひとりつぶやいていると いつの間にか、 そばに来ていた奥方が 「菊のご紋というでしょ」 オトーサン、 どこかの政党のシンボルマークを思い出して 一瞬、イヤーな気持ちになりました。 「いい気になりやがって... 今度の選挙、みていろよ」 ダリア、ガーベラ、 コスモス、デージー、 ヒマワリ、マーゲレット、マリーゴールド それにタンポポ。 みんなキク科なんだそうです。 キク科の定義は 「頭花が多数の小花の集まり」だそうです。 「だって、ヒマワリなんて、 どこが小花なんだ?」 よく読むと、 「頭花が多数の小花の集まりで、 舌状花と筒状花の2つがある」 とあります。 オトーサン、 すこし元気になりました。 「ふーん、ヒマワリは たくさんの花びらが舌を出しているんだ」 今度の選挙でも みんながヒマワリの花びらように 一斉にアッカンベーしたら さぞかし明るい世の中になるでしょうに。


14 ホテルウエスティン淡路

オトーサン、 「なーんだ。ここからくればよかったんだ」 安藤忠雄さんの建築は 迷路が売り物とは分かっていたのですが、 百段苑へと急ぐあまり、 階段のほうに行ってしまったのが、 失敗のもと。 じっくり構えて、 エレベーターを探せばよかったのです。 そうすれば、4階で降りて 橋を渡れば、 簡単に 百段苑の上に出られたのです。 眺望の美事な橋は見逃せない観光ポイント、 でも、ここは 風が強いのです。 はるかな淡路の海のひろがり、 そして 鳥の影をみて オトーサン、 一句ものにしましたよー。 「淡路島 通う千鳥の 鳴く声に 幾夜目覚めぬ 妻のいびきに」 奥方が花に夢中で、 なかなか来ないので腹が立ったのです。 もし、すぐ来てくれたら 当然、歌も変わったでしょう。 「淡路島 通う千鳥も さながらに 幾夜通わん 妻のたもとに」 さて そんな事情とは露知らぬ奥方が、 ご機嫌でもどってきたので オトーサン、 「どこかで休もうや」 と提案します。 この安藤忠雄さんの淡路夢舞台には 和洋中のステキなレストランが いくつも入っているのですが、 お茶をするなら、 オトーサンたちが選んだnanoという リストランテがお薦め。 それも、ウエスティンが見える噴水広場の前、 カプチュイーノ、アイスティー、ティラミスを注文して 噴水に見とれます。 「ラスベガスのベラージオの噴水に似てるな」 「あそこはよかったわー。 音楽の調べに乗って、色が変わって、噴水が踊っていた」 「ほら、ウエステインは、もっとさびしいぜ」 「そうね、外観が都営アパートみたいね」 「あれも安藤さんの設計かなあ」 4時半、ようやくホテルにチェックインします。 「ここはチップいるのかなあ」 外国資本のホテル、しかし、ここは日本。 聞くのも、面倒なので、 係のひとの案内は断って ホテルカードだけもらって エレベーターに乗ります。 「何階だ?」 「9階の10号室よ」 「10階まであって9階か、まあまあだな」 「何よ、それって」 「事前に電話していい部屋取っておけと 言ったんだ。 安藤忠雄さんの淡路夢舞台が一番きれいに 見える部屋にしてくれって」 「そんなことできるの?」 「まあな」 最近は、どのホテルでも インターネットのホームページで紹介するというと、 新聞記者扱いをしてくれるのです。 というのは、ちょっと不確か。 実は、予め電話しておけば、 ウエスティンのような高級ホテルになると VIPのわがままな要求になれていますから、 部屋の位置については、顧客の希望を聞いてくれるのです。


15 夢舞台の雷鳴

部屋へ入るなり 奥方が 「うわー、いい部屋ね」 と言いました。 広々して、大きめのツインベッドがあり、 色調もモダンです。 奥方が、 「うわー、いい眺めね」 と言います。 オトーサンも、 「どれどれ」 と窓に近づきます。 「いやあ、これはすごいや」 間近に淡路の海が広がり、 右手には、海に張り出した交流の翼港 公園のなだらかな園路、 その向こうには観覧車、 そして手前には 安藤忠雄さんの夢舞台の全容が見えます。 特徴的な楕円形 展望レストランの長方形 噴水広場 夢舞台温室。 一安心してベッドにゴロリ。 歩き疲れたうえに 気持ちのよいシーツの肌触りと 絶妙なクッション、 オトーサンたち、 いつの間にか眠ってしまいました。 目覚めると、外は真っ暗。 「夕食、食べに行かなくてはね」 と奥方。 「眠いなあ。起きるのも面倒だし」 とオトーサンが寝呆けていると、 奥方が、 「じゃあ、柿の葉寿司にしようかしら。 あそこの売店で売ってたわよ」 「おれは、明石のたこ弁当がいいな」 「じゃ、私、買ってくる」 奥方は、めずらしく積極的です。 先ほど、バスが淡河で止まったとき 奥方が「柿の葉寿司を売ってたわよ」 と報告するので、おかしいと思い、 さっき売店でみかけたときの うれしそうな顔もみていたのですが、 こんなに、ご執心とは思いませんでした。 「食い物のうらみはおそろしいとよく言うが、 まさに、このことだな」 オトーサンが ベッドでうとうとしていると、 奥方が、 意気揚々と戻ってきます。 「さあ、買ってきたわよ」 どうも、「売り切れたらどうしよう」 と思っていたようです。 それが、あったのでゴキゲン。 「好評なのね、補充していたわよ」 「ふーん」 「お湯もわいてるのよ、このホテル。 ティーパックもあるわよ」 椅子を少しずらして、 夜景をみながら食べました。 「混んだレストランで高いお金を払うなんて バカみたいね」 「そうだよ、これ以上の夜景はないからな」 「それに、着飾ったりしなくてもいいし」 「抜群のコストパフォーマンスだしな」 「ホテルに悪いみたいね」 「でも、この部屋代、いいお値段だよ」 「津名のビジネスホテルに泊まらなくてよかったわね。 あそこ1泊1万2000円でしょ」 「ここは、倍以上だけどな」 「でも、これだけの部屋はそうないわよ」 「そうだな」 ロシアの文豪トルストイは 「幸福な夫婦はみな同じだが、不幸な夫婦は、みな異なっている」 という明言を吐きましたが、 それを下敷きにしていえば 「幸福な夫婦の会話は、傍からみるとみな退屈である」 ということになります。 食後、奥方はバスルームに消えます。 オトーサンは、また、うとうと。 奥方が、なかなか出てこないので また、窓際に立って夜景を眺めます。 「ほんとにきれいな夜景だなあ。 飛行機から東京の夜景を見下ろしているみたいだ」」 漆黒の海と空。 遠くの観覧車にライトが入り、 園路の灯が、地表をステッチのように縫っています。 そして 温室の灯が、光の滝のように輝いています。 オトーサン、 カメラを取り出して、夜景を撮影します。 フラッシュがピカリ。 「こんなにいい景色をひとり占めにして悪いみたいだな」 すると、間髪を入れず、 隣のベランダがピカリ。 「なあんだ、お隣も写真撮ってる」 ゴロゴロ、ズドーン。 フラッシュは、 お隣さんではなく 雷でした。 春雷です。 まるで、 オトーサンたちを歓迎するかのように 夜景を豪奢に演出してくれます。 交流の翼港に停泊している日本丸の シルエットが雷光でうかび上がります。 「海賊船に襲われる映画のシーンみたいだ」 「何してるんだろ。 早く、見にくればいいのに」 オトーサン、 奥方の長風呂をじれったがります。 「雷がいなくなっちゃうじゃないか」 気が気ではありません。 「良くできているのよー」 奥方が、チョーゴキゲンで お風呂から上がってきました。 「何が?」 「シャワーヘッドがスライドするのよ。 だから、頭を洗うとき、 高さをちょうどいい具合に調節できるのよ。 白い椅子が置いてあって 座りながら洗髪できるのよ。 サイコー、世界一だわ。 これから新築するひとは、 みんなこのホテルを見に来るべきよ」 オトーサン、 奥方の鼻息につられて、 雷のほうは後にして 浴室を見に行かされましたよー。 3つに区切られていて、 ドアを開けた正面が化粧室。 右手がトイレ、左手がシャワー&バスルーム。 奥方がほめたのは、シャワーでしたが、 化粧室もすごかったですよ。 全面、天井まで鏡。 左右の光の円柱に照らされて オトーサンは、 ミラノ歌劇場の舞台で スポットライトを浴びたマリア・カラスのような気分。 ボウルも深くて使いやすそうです。 ボウル・テーブルは、 どこまでも明るくて澄んだマリーンブルー。 「ここが便利なのよ」 と奥方が指すのは、ボウルテーブルの上、 20cmほどの高さに設けられたガラスの棚です。 「ここへ装身具を置くと、水に濡れないでしょ。 宝石入れみたいにおしゃれだし} 「新しいホテルほど、工夫してるなあ」 「この設計、絶対に女性が関係してるわ」 「そうだな、専門のバスルーム・デザイナーがいるんではないの。 そのあと、 オトーサン、 付け加えました。 「そうだ、稲妻がきれいだよ」 奥方は、 キッとなって 「何で早くそれを言わないのよ。 バスルームはなくならないけれど、 雷はそのとき限りでしょ」 と雷を落とされました。 文豪トルストイには悪いけど、 幸福な夫婦だって、結構、波乱万丈なのです。 ピカッ、ピカッ、ズドーン。 でも、これが ピカドンでなくて、 ほんとによかったですよ。


16 嘆きの浜、涙の滝

翌朝、 オトーサン、 6時に起きます。 例のごとく 奥方がなかなか起きないので ご不満です。 もっとも、奥方のほうは、 オトーサン、早起きしすぎて うるさいわと思ってるようです。 オトーサン、 今朝は幸せな気分なので 相手の気持ちを思いやる余裕があります。 ヴェランダにそっと出て、 奥方に、あとで見せてあげようと 荘厳な朝焼けを撮影しました。 水着をもってきたので 早朝の一泳ぎと行きたいところですが、 室内温水プールの営業時間は あいにく午前8時から。 「どうしようかなあ。 頑張ってもうひと寝入りするか」 でも、もう目がギンギン。 そこで、静かに廊下に出ます。 オトーサンが 思いついた行き先は、 安藤忠雄さんが設計した滝と池。 滝は、ホテルを出て 百段苑に向かう通路にあります。 ドアを開けると、 突然、ごうごうという水音。 滝の裏側に出たのです。 頭より少し高い位置に幅50cmくらいの0 長い透き間があって、 そこから水が流れ落ちています。 水を通して透かしみるホテルの光景は まるでモネが1894年に描いた ルーアンの大聖堂みたいに もやって見えます。 「アイディアだなあ」 オトーサン、感心します。 でも、 欲をいえば 透き間が高いところに切ってあるので 脊の低い女性や子供たちには見えないのです。 みんなが喜びそうなのに見えないのは残念です。 通路が広すぎて、秘境という感じがしないのも問題。 さらに、 滝の反対側が室内温水プールのガラス壁では 雰囲気の統一がとれません。 オトーサンのように 泳ぐひとの立場からすると、 ジロジロ通行人に見られては落ち着きません。 「せっかく水着持ってきたけど、 これでは、泳ぐ気分になれないな」 とオトーサン、嘆きます。 安藤忠雄研究所には、 スイマーはいないのでしょうか。 さて、 噴水池。 よく見ると分かりますが、 この池の底には、 ほたて貝が敷き詰めてあります。 その数、何と百万個。 1000000ケのほたて貝。 安藤さんは、最初 日本人は貝をよく食べるので ホテルオークラなどに頼めば、簡単に手に入ると 考えていたそうです。 ところが、最近は、 実だけ輸入するので貝殻はないとのこと。 さあ、大変。 そこで、水産関係者に頼んで ロシアやカナダから輸入することにしました。 ところが、貝殻はタダでも輸送費がかかり、 5個に1個くらいしか、 きれいな貝殻はありませんので 結局、500万個を輸入。 施工段階でも難問が発生。 貝殻は膨らんでいますから、 上に乗るとつぶれます。 下にモルタルを入れて、 ひとつひとつ手作業で、 貝殻を敷きつめていくことになりました。 こういうエピソードを知ったうえで、 この貝の浜を見ると、 とても有り難く思えます。 でも、 オトーサン、 この貝のひとつひとつが 精一杯に生きていたのだと思うと、 心が痛みはじめました。 ここで ボードレールの詩をご紹介しましょう。 ここは、ひとつ ほたて貝になったつもりで 朗読してください。 大波は 空の姿を揺すり、 波音の妙なる音楽の調べと ぼくの目に映る落日の色とを、 ミステーリアスに混ぜ合わせた。 ぼくは、 そこで静かな悦楽のうちに生きた。 青空と、 波と、 きらめくものにとり囲まれ、 香料に染まった生のままの同胞たちに かしずかれて。 20世紀、 ひとびとの 限りない欲望が、 次の欲望を呼び寄せました。 百万個のそのまた百万倍もの ほたて貝を殺戮して 海を枯らしました。 この淡路花博の会場には 標高181メートルの灘山があったのです。 それが、きれいさっぱり 埋め立てに使われました。 一緒に、1万本以上の樹木とともに 多くの鳥や虫の命も失われました。 安藤忠雄さんは、 公式には言わないけれども、 そうした犠牲者への追悼の気持ちをこめて ここに、 嘆きの浜を 造ったのではないでしょうか。 そう思うと、 オトーサンには、 滝のドーッという音すらも 涙の滝、 1万本の樹木たちの慟哭に聞こえました。 これから オトーサンは、 奥方を起こして 一緒に、、 淡路夢舞台にある「海の教会」に 祈りをささげるつもりです。


17 怪盗ルパンと海の教会

オトーサン、 部屋に戻ると、 奥方がちょうど起きたところ。 「お早う。 花博の開場時間は、 9時半だってさ。 いそがないと、夢舞台温室は大行列だよ。 ところで、朝食はどうする」 「ホテルの食堂に行きましょ。 少しは利用してあげなくてはね」 「じゃあ、コケコッコーに行くか」 「何それ?」 ロビーにある食堂の名前は、 ほんとうは、コッコラーレ。 オトーサン、 間違えて覚えていました。 すでに行列。 ボーイが不慣れて、 別のカップルとオトーサンたちを 一緒の4人組と間違えました。 どこでもそうですが、 ハードで一流になるのは、カンタンですが、 サービスのほうは、そうは行きません。 オトーサン、 その後も、ボーイの態度が悪いので「 「キミ、ここは世界のウエスティンだよ。 団体客扱いするなよ」と注意しました。 フロントの女性は、 素朴で、応対も丁寧でさわやかでしたが、 大勢いるボーイまでは教育が行き届かなかったようです。 「けしからん」 なおもオトーサンが怒っていると、 奥方が、 「でも、お客のほうも相当ひどいわよ」 と取りなします。 確かに、 ブッフェで並んでいると 平気で割り込んできます。 さっと横からお肉をさらっていくし、 食べられないのに、お皿に山盛り、 マナーの悪さが目立ちます。 また、 子どもたちが 駆けずり回っているのを 親たちは叱るでもなく、放り放し。 おじいちゃん、おばあちゃんときたら 「おお、元気だこと、かわいいこと」と 目を細めて拍手する始末。 オトーサン、 自分も海外で だいぶ恥をかいてきたのを忘れて 「海外のウエスティンでは、こんなことないのだけどなあ」 と慨嘆します。 料金は高いのに 雰囲気がそんな風なので 早々にコケコッコーを引き揚げましたよー。 花博開催中は、 ここは、いわばドライブイン。 少し高くなるけれど、 ウエスティンホテル淡路の朝食は、 ルームサービスをお薦めします。 「まだ、9時半まで時間あるな。 海の教会でも見に行くか」 「いいわよ」 「確か、こっちに入口があったよなあ」 例の滝の裏側に行きます。 ところが、privateと書いてあって 入れません。 「じゃあ、百段苑のほうから行ってみよう」 ところが、教会の鐘は見えるのですが、 コンクリートの壁にさえぎられて どうやっても行けません。 また、滝の裏側に戻ります。 「ねえ、いいの? 大丈夫? ホテルのひとに怒られない?」 まるで、怪盗ルパンのように、privateから忍び込み、 迷路のようなコンクリートの廊下や 階段を探し歩きました。 「あった、ここだ」 あまり期待しすぎたせいか 海の教会の小さいこと。 それに、結婚式場でございますという雰囲気で オトーサンたち、がっかり。 でも、天井が十字架の形になって 自然光が入ってくるのは、 いいアイディアでしたよ。 「帰りは別のルートからにしよう」 またまた、怪盗ルパンになって あちこち探し歩いていくと 何と、宴会場に出ました。 スタッフに出会いましたが、 何とかごまかしました。 あとで オトーサン、 反省しました。 「やっぱり、フロントに断ってから 見たほうがよかったかなあ。 娘の結婚式場をみてみたいのでとか何とかいっちゃってさ」 奥方が、 「あなたも、相当マナー悪いわよ」 と言うので、 オトーサン、反論しました。 「でも、何も盗ってこなかったぜ。ただ、見ただけだろ」 いい格好したって 奥方だって 怪盗ルパンの共犯者には違いありません。 でも、 海の教会も アルファトマムの水の教会のように みんなが自由に見られるようにすべきではないでしょうか。 安藤さんの作品は、国民的財産なのですから。


18 失なわれたラフレシア

オトーサンたち、 海の教会をみたあと、 まだ時間があるので、 ホテルを出て、国道を横切って交流の翼港へ散歩。 海風の強いこと。 5分ほどで、海に翼のように突き出した港へ。 日本丸が1隻停泊。 1300円で明石海峡大橋までクルージングはいかが? といっているのですが、どうも不人気。 それより神戸まで行く便でも出せばいいのに、 なぜか土日だけ。 お役所仕事。 交流の翼なんていう ネーミングもわざとらしくて、いやですね。 神戸ー淡路を往復すれば、交流するに決まってます。 まあ、朝の朝刊ですな。 「国際会議場はどうする? 行かなくていいの?」 と奥方。 「もう時間切れだ」 とオトーサン。 一旦ホテルを出て、再入場券をもらって 今日のお目当ての「夢舞台温室」に急ぎます。 9時半。 「ありゃ、並んでいない」 「昨日は40分待ちだったのにね」 さて、夢舞台温室。 オトーサンたちが、 その巨大さを思い知らされたのは、 入場してすぐ 長いエレベーターで4階まで運ばれたこと。 順路には、 立ち止まらないでくださいとの立札。 「何、バカなこと言ってんだ」 ガラガラでしたので、 オトーサン、 用もないのに立ち止まりました。 「やあやあ、こりゃあ、いい眺めだ」

「バカと煙は高いところが タイスキというわけね」 奥方が、揶揄しますが、 オトーサン、 上からみた西洋庭園というのは こんなにきれいなものかと驚きます。 考えてみれば、あたりまえ。 庭づくりのとき 素人は、図面もなくやたら植えていきますが、 玄人は、まず図面。そして立体模型。 まず、芝生などグラウンドレベルの形と色を決め、 そのパレットの上に、 草や樹木、小道具を配置していきます。 上からみてきれいになるようにつくるのだから、 当たり前。 園路は、 まことによく出来ていて 段々に下がりながら、各種庭園を見せていきます。 天井から花篭をつるしたリ、 動物をかたどって樹木をつくったり、 滝や流れを配したり、 なかなかのものです。 でも オトーサン、 だんだん目が慣れてきて 写真を何枚か撮り終えると にわかに手持ち無沙汰になります。 「だって、そんなに庭いじりなんか、 好きでもないんだもの」 一方、 奥方は、 山荘のロックガーデンを充実中ですから 珍しい花を見ると、 何はさておき、名前と草花を入れた写真を撮ります。 「それじゃ、いい写真にならんだろう」 とみかねてオトーサンがいうと、 「じゃあ、この名前メモしてよ」 と用事をいいつけます。 オトーサン、手帳にスケッチしてから ウチワカエデと記入します。 あまり時間がかかるので 奥方が面倒がって 「ちょっと私に貸してよ」 と手帳をとりあげて プロスタンテラ(ミントブッシュ)と記入します。 オトーサン、 どれが、そのミントブッシュなるものなのか さっぱり分かりません。 自分の手帳に書いてある文字 その意味がわからないというのも不気味。 そんな風にして小1時間が過ぎて 温室は、だんだん混んできました。 「そりゃ、梅雨時の満員電車みたいに、 さぞ蒸し暑いだろう」 ところが、 オトーサンの耳元で 若い女性の声がしました。 なあに、 別にオトーサンに話かけたというのでは ないのです。 「温室なのに寒い」 と友達に話しかけているのでrす。 奥方はどこへとみると 知らない花好きの男性とお話中。 そのとき、マイクの大音声。 「立ち止まらないで、お進みください」 もう、花見物の雰囲気ではなくなってきました。 オトーサン、 奥方のところに行って 「そろそろ、ラフレシアを見て終わりにしようぜ」 といいました。 「そんなものは、ここにはないわよ」 お話しを中断させられた奥方は、ちょっと不機嫌。 「でも、パンフレットにあったし、 NHKニュースにも出ていた」 「都市と緑の館にありましたよ」 と男性。 「そうよ、入り口のところに書いてあったじゃない」 と奥方。 何ということでしょう。 奥方は オトーサンの味方ではなかったのです。 まるで、首相、自由党、公明党の3者会談みたい。 失われた信頼、 失われたラフレシアでした。 でも、 オトーサン 打たれ強いほうなので、 意識を失うほどではありませんでしたよー。


19 海のテラスでランデブー

オトーサンたち 「11時のチェックアウトは早いな」 「そうよ、早すぎるわよ。 せめて12時にしなくては」 と意気投合して ホテルへ引き返します。 途中、 奥方が売店に寄ります。 「急いでるのに、また買い物か」 でも、奥方は、すぐ出てきました。 鳴戸千鳥ひとくち小饅頭 28ケ入り 900円             16ケ入り 600円 後者は、 オトーサンが昨日買ったもの。 実は、 どうせ翌朝奥方が起きるのが遅いだろう と予測して、当たったので、 空腹しのぎに今朝、大部分を食べたもの。 いくつか残りを奥方にもあげたら、 「食べやすいわね。 白餡より赤餡のほうがおいしいわね」 と感想を漏らしていました。 箱のサイズからみて どうも、 奥方は、 28ケ入りのほうを買ったようです。 チェックアウトして、 荷物をまた預かってもらってから 再入場。 夢舞台温室には長蛇の列。 係員がマイクで 「今から並んでも、45分待ちですよ」 と怒鳴っています。 それなのに、 おとなりの 野外劇場では、 甲南中学のコーラスがはじまるというのに 人っ子ひとりいません。 係員がマイクで勧誘しても 誰も行きません。 オトーサンたちも、同じ。 だって 屋外だから風が寒いし、 コンクリートの床が冷たいもん。 オトーサン、 花博の主な出し物は大体みたので 「どうしようか」 と奥方に聞きます。 「まだ、行っていないから 海のテラスに行ってみない」 「そうするか」 オトーサン、 観覧車があるしけた遊園地なんか 見てもしょうがないやと思いましたが、 海のテラスへと向かいます。 このあたりは、 淡路明石国営公園に属します。 いかにも建設省が作った公園で PR館があって 制服の女性が愛想のない対応。 面白くもなんともありません。 でも、大勢ひとが入っているのは、 風よけのため。 まあ、避難所。 オトーサンたち。 阪神淡路大地震を追体験する気にもなれず、 海辺のベンチへ。 ふたり並んで座ります。 一面の菜の花といろとりどりの草花が 咲き乱れる風景を前にします。 写真を撮った後、 オトーサン、 リュックサックから 鳴戸千鳥一口小饅頭の残りを出して 奥方に薦めます、 そのとき、 デジャビュと言うのでしょうか、 既視感に襲われました。 そうでした。 1965年、 今を去ること、35年前。 ふたりは、まだ若くて、婚約直後。 海を見晴らす 浜離宮のベンチにふたり並んで座って 将来のことを語り合っていたのでした。 オトーサンは、 リュックサックからモゾモゾと 鳴戸千鳥一口小饅頭ではなく 住宅公団の申し込み書を取り出したのです。 あの頃は、 つつましかったけれども はじけるような未来があるように 思っていました。 ここで、 オトーサンの気持ちを やはりボードレールの詩に託しましょう。 愚劣、過失、罪悪、貪欲が 精神に住みつき、肉体を苦しめ、 乞食が、 虱を養うように ぼくらは 大好きな悔恨を育てあげる 病床の元首相は、どうなのでしょうか。

20 花博B級グルメ食べ放題

オトーサン、 急に空腹になってきました。 もうお昼時ですが、 朝食がブュッフェ形式でしたから お腹いっぱいたべていたはずです。 いわば、 心理的飢餓感による空腹症。 「もう、たいして見たいものはないし、 バスに乗るのは 4時20分だから、 時間があまっちゃったなあ」 あとは、何か食べて過ごすしかなさそうです。 それに海のテラスは、場所が悪いためか、 その分、食堂がガンバッテいて B級グルメがありそうなのです。 「そろそろ、昼飯にするか」 「まだ、早いんじゃない」 でも、 オトーサン、 奥方の反対を無視して たこやき(400円)を頼みました。 そして、いいます。 「あの子、うらやましがるだろうなあ」 たこ焼きは、アメリカにいる娘の好物。 ニューヨークには、おすしをはじめ、 日本食は何でもあるのに、 おいしい「たこやき」だけはないようです。 「タコが大きいわね」 と奥方が正しく指摘します。 「何たって明石のタコだからな」 「そうね、本場のは、さすがにおいしいわ」 どうでもいいような話ですが、 やはり関西のタコ焼きはおいしいのです。 オトーサン、 次に、「日本一の焼鳥」 という ダンボール製の札にマジックで書いた 宣伝文句に心を惹かれます。 「ほんとにうまいのかい?」 「おいしいですよ。高知の鳥ですから」 女の子が威勢よく答えます。 「そこまでいわれちゃなあ、 3本で300円か、まあいいか。それ、ください」 奥方は、気味悪がっていましたが、 オトーサンが、 「こりゃおいしいわ」 というと、 「じゃあ、1本ちょうだい」 と言って食べたあと みかけは悪いけど、おいしいわね」 ブロイラーとは違って、 身が引き締まっているうえに、 噛めば噛むほど味が染み出てくるのです。 「ねえ、お腹すいてきたわ」 奥方が、いいはじめます。 「ねえ、あれどうかしら」 奥方の指すほうを見ると、 「フランス式朝食クロック・ムッシュと珈琲」 というしゃれた看板。 若い小柄なフランス人が 一生懸命、呼び込みをしています。 オトーサン 近づいていって 「ボンジュール ムッシュー ドネモワ」 と流暢はフランス語で話しかけます。 フランス人は、驚いたの何の。 しばらくして、うれしそうな顔になって ペラペラペラと話しかけてきました。 オトーサンの語彙はもう尽きていますから 握手して引き上げてきました。 奥方は、待ち兼ねていたらしく すぐ食べ終わって、 「これ、おいしいわ」 と言いました。 オトーサン、 ふらふら売店を見て回ります。 「六甲牧場のソフトクリーム」 おいしそうですが、この寒さではね、 「おっ」 小さく叫びます。 「明石のタコの唐揚げ(350円)がある」 さきほど食べたタコ焼きの中に控え目に入っていた タコの足のぶっきりがあるではありませんか。 「また買ったの?」 奥方は、一応非難しましたが、 オトーサンが 「こりゃあうまい、絶品だ」 と叫ぶと、 「そうお。じゃ、私にもひとつ頂戴」 といって、一番大きいのを取ります。 実は、奥方はタコが大好物。 「潮の味がするわね」 と好評でした。 オトーサン、 寒いので、ビールは我慢します。 「夏にもう一度来て、 これでビール飲んだら さぞかし、おいしいだろうなあ」 と嘆きました。 このあと オトーサンたち 「淡路牛の炭火串焼き 400円」 仕上げに 「わらびもち 300円」 も食べました。 「さすがに、お腹一杯になったな」 とオトーサンがいうと、 奥方は、 「こうやって食べてると、 結構、高くつくのよ。 お茶は、今朝、ホテルの無料のお茶を ペットボトルにつめてきたけど」 といいました。 おそらく、奥方の頭脳にある スーパー・コンピュータでは、 昼食代の積算作業がすでに 完了しているのではないでしょうか。 その証拠に、 そんなに不機嫌な顔ではありませんでした。 後で オトーサンが ひそかに足し算をしてみると 合計で2350円になっていました。 まあ、食べ放題とかんがえりゃ、安いものです。


21 アジアはどこまで

オトーサン、 「腹ごなしに散歩するか。 ここは風が強いから、今度来るときは ウンドブレーカーがいるなあ」 と奥方にいってから ヨッコラショと、立ち上がります。 奥方が、聞きとがめて 「それジジクサイわよ」と正しく指摘します。 見残した国際庭園、各県の庭園を見ます。 金賞とか銅賞とか立て札がつけられています。 国際造園協会が審査したのでしょうか。 ひとだかりがしているのが、ブラジル。 日系人が大勢いるためか、力が入っていて 金賞。 イグアスの滝のミニチュアと 新交通システムを出展。 バスの停留所など透明な円筒形。 「これ何なの?」 と分からないひとも多かったですよ。 なかには、停留所も動くのかと思ったひとも いたようです。 「アジアが中国とマレーシアだけの はずはないんだけどなあ」 オトーサンたち、 また、アジアン・ショーケースへ。 いまだに、例のマレーシア人が アジアの純真丸出しで、 「おいしいよ、おいしいよ」と叫んで、 行列ができています。 「ちょっとだけ苗を買ってこようと思うんだけど」 奥方が丁寧に断ってから 隣にあるグリーンショップに消えます。 「何も、ここで買って東京まで持っていく必要ないのに。 どうせ持たされるのは、オレなんだろー」 オトーサン、 ブツブツいいながら、 アジアン・ショーケースをウロウロ。 「あれ?」 マレーシア人のいる場所のずっーと先にも お店がたくさんあるではありませんか。 タイ、ミャンマー、インド、セイロン、 トルコ、エジプト、メキシコ 各国料理の屋台が並んでいます、 「なあーんだ。 やっぱり、いろんなお店がそろっているじゃないか。 変だと思ったよ」 オトーサン、 植木鉢を4つも抱えて戻ってきた 奥方の釈明をさえぎって、 「こっちにも屋台があったよ と報告します。 「ふーん。やっぱり、あったのね」 と奥方は、気のない返事。 めずらしい苗木をゲットしてきたので そちらに気をとられて上の空。 でも、思い直してか、 「トルコやエジプトってアジアかしらね」 と質問します。 「そういえば、メキシコも、おかしいよなあ」 オトーサン、 トルコまでアジアと聞いたことがあります。 「まあ、いいか」 オトーサン、 そういいながら、 奥方から植木鉢を受け取ります。 「いくら経済援助しても、 日本はアジアの一員ではないという国も あるくらいだからなあ。 おカネではココロが買えないことを知っているので、 オトーサン、重い植木鉢を抱えて歩いているのです。 分かるかなあ、 この深ーい意味。 早速、日中戦争を支那事変といってしまった新首相に。


22 百万長者への道

オトーサン 植木鉢をもたされて 「花の館」に入場します。 例の「緑と都市の館」が 相変わらず行列ですが、 ここは比較的空いているようです。 ちょうど国際フラワーショウを開催中でした。 でも、夢舞台温室を見たあとなので すべてが、みみっちく見えます。 早々に退散します。 「もうホテルにもどろうよ」 オトーサン、 ついに、弱音を吐きます。 植木鉢が重いし、 足は棒。 まだケイレンはしていないけれども。 万歩計はすでに2万8744歩を示しています。 奥方は、 「ねえ、あそこ、 ちょっと覗いてくる。 ここで座って待ってて」 オトーサン、 ひとりでは寂しいので、 ノコノコついていきます。 「生産技術館」というほどのことはなくて ハイポニカという水耕栽培の装置を 売っているだけです。 オトーサン、 これ、筑波科学博でみました。 1本の苗に 何と、 1万個のトマトが実っていました 土がトマトの成長を邪魔しているのです。 当時、オトーサンはまだ若かったから 日本という陰湿な土壌を離れて 別天地に行けば、 自分というトマトは 大きく実るのではないか なーんて思いました。 ところで、 10数年間の技術進歩は、大したもので いま、ここでは、 その驚異の装置が たったの5万円で買えるのです。 「これでイチゴをつくったら、儲かるかなあ」 オトーサンの脳裏には、 1万個のイチゴと イチゴ満載のショートケーキを背景に 微笑んでいる実業家の姿が浮かびます。 そうです。 オトーサンは、 バイオ・インダストリーに身を投じて 成功して いまやイチゴ長者。 タイム誌の表紙の人になったのです。 そこへ、奥方。 「お待たせ、 もうタイムアウトでしょ。 ホテルにすぐ戻りましょ」 あーあ、 これで オトーサンは、 またまた 百万長者になりそこねたようです。


23 さらば花博、またくる日まで

オトーサン また夢が破れて ホテルに植木鉢をもって戻ります。 いま2時50分。 15分待って ようやくロビーラウンジ、 LUCCIOLAに席が取れたところです、 「3時半にここを出れば、十分バスに間に合うわね」 奥方は満足そうです。 だって、つい今しがた アフタヌーン・ティー・セット(1500円) を注文したからです。 オトーサンはといえば、 コーヒー(600円)だけ。 「シンガポールはよかったわねえ。 あれ何というホテルだったっけ」 「グッドウッド・パーク・ホテル」 ふたりとも、 名門ラッフルズ・ホテルに泊まって アフタヌーン・ティーのほうは 英国の伝統を色濃く残す グッドウッド・パーク・ホテルで 楽しむことにしたのです。 「あそこは、食べ放題だったわね」 奥方が、運ばれてきた貧弱なセットをみて いいます。 容器こそ鳥籠みたいですが、 サンドイッチ、スコーン、チョコレートだけ しかも、みんな小ぶりなのです。 あの暑い夏。 オトーサンたちは、 シンガポールきっての目抜き通り オーチャード・ストリートを探し歩いて グッドウッド・パーク・ホテルに 午後1時半に到着。 アフタヌーン・ティーの開始時間は 2時なので、1番乗り。 正装のイギリス人ウエイターに オトーサン、 「Tea for Two」 と注文しました。 ウエイター、ニャっとしました。 これって、60年代に流行った ドリス・デイの歌の一節。 そのあと、サンドイッチ、スコーンに ケーキやフルーツを食べ放題。 オトーサンたち しばらく黙って サンドイッチを食べました。 ふたりとも、 この淡路花博のあとの 次の旅行のことを考えていたのに 決まっています。 では、 長らくご愛読いただきましたが、 淡路花博ブンブン紀行を 次のボードレールの詩で 締めくくることにいたしましょう。 しかし、真の旅人とは。 ただ出発するために出発する。 軽気球にも似て、軽やかな心をもち。 けっして宿命から逃れることがないのに なぜか知らずに、いつも「行こう!」 と叫ぶ。 ようやく 淡路花博のシンボル・キャラクターである ユメハッチ号に乗れたオトーサンたちの姿が 出口のほうに遠ざかって行きます。 奥方は、小さなハンドバッグと植木鉢。 オトーサンは自分のリュックサックと 奥方の大きな旅行鞄をもっていました。 では、ドリス・デイの 「二人でお茶を」のメロディに乗せて、 この連載をほんとうに終わることにいたしましょう。 ♪Oh honey  Put me on your knee  with tea for two  two for tea  Just me for you 変ですねえ。 どうも、レコードが、 すりきれてきたようです。 and you for me aloneが、なかなか出てきません。 (THE END)


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