あくせくアクセス、ニューヨーク
photo:Portuguese Princess号
目次
オトーサン、 ちょっと考えました。 「アメリカに行くの、何年ぶりかなあ」 最近は、物忘れば激しくなっています。 さっきやりかけたことも、 忘れるくらいですから、 何年も前のことなど そう簡単に思い出せるはずはありません。 「そうだ、 昨年の夏、アラスカに行ったっけ。 そうそう、そうだった。 アラスカに行く前後、NYの娘のところに 滞在していたんだ。 だから、1年ぶりということになる。 そして、帰国早々、 9.11のテロ騒ぎがあったんだ。 帰国が遅れたら、大変なことになっていた」 オトーサン、 テロの映像を見て衝撃を受けました。 航空機がワールド・トレード・センターに 突っこんでいくなんて。 それも、2機が相ついで。 炎上するビルがあっけなく崩壊。 「うーん、人生と同じだ。 人生も、突然暗転することがあるからなあ」 その時、 時計をみると、 現地は、朝の8時。 ちょうど娘の出勤時間。 職場が被災地に近いので心配です。 娘の安否を知るために、 すぐに電話しました。 回線が混んでいて、 何回かけても、 つながりませんでした。 ようやく午前2時、 ロンドンにいた次女から連絡がありました。 「大丈夫だってさ」 NYとロンドンの回線は、 NY〜東京よりもつながりやすいようです。 それから早く1年。 「そういえば、 オサナ・ビン・ラディンって どうなったのかなあ。 生きてるのか、死んでいるのか」 1年365日という歳月は、 大きく状況が変化するにも、 記憶を消し去るにも、 充分のようです。 オトーサン、 この1年は、 映画ばかり見ていたような気がします。 一家にも、変化がありました。 「引っ越ししたよなー。 オフクロが91歳でなくなって、 葬儀、49日とあわただしかった。 次女は、留学を終えて、 帰国し、幸いすぐに就職。 息子のほうは、 僕は結婚しないよと公言していたのに、 結婚するよ、引越しだ、 海外挙式だと騒いでいる」 そんななかで、 1年ぶりにアメリカに行こうというのです。 今回は、NYにしばらく滞在して、 グラウンド・ゼロがどうなっているか、 この眼で確かめよう、 その後、ボストンで ケネディの足跡をたどろう そういう計画です。 したがって、 この旅行記の題名は、 前半は、 「あくせくアクセス、ニューヨーク」 後半は、 「鞄片手にボストニアン」 としようかなあと思っています。
オトーサン、 旅支度は早いほうです。 「5分もあれば、済む」 な−んて豪語しているひともいますが、 聞いてみると、 前の旅行のときの鞄に 必要なものがすべて入っているので、 押し入れから出してくればいいだけ、 ということでした。 「なーんだ」 勿論、真似してやってみました。 得意になって言いふらしたこともあります。 でも、それは中級者だということが 分かってきました。 「やってやれないことはないけれど、 旅支度に時間をかけるのも、 楽しみのひとつ」 定年になって ヒマになれば、 「ビジネス旅行じゃないんだから... 旅行に行く前、旅行中、行った後、 ぜいぜい3回は、楽しまなくては」 オトーサン、 そんなことで 今回、時間をかけたのは、 1)ポータブル・スーツを買う 2)海外モバイルの準備をする の2つでした。 ある夏の朝、 洋服の青山で、折りたたみ式のスーツを 売っているという記事を見かけました。 早速、青山にかけつけました。 「何年ぶりかなあ。10年前か。 久が原に住んでいたころだったな」 当時は、洋服の青山がブームで、 開店のチラシを見て、早朝に駆けたというのに、 もう店の前は長蛇の列。 それが、いまは、人っ子ひとりいないのです。 店員すらいないようなのです。 ようやく探し当てて、 「新聞で見たけど」 といます。 「ああ、あれですか」 さすがに、自社の宣伝記事は 各店舗に連絡がいっているようです。 幸い、色もグレイと白の2種類があります。 体型もぴったり。 「デザインも、まあまあじゃないの」 奥方も賛成してくれます。 「これ、どうやって折りたたむの?」 「さあ」 「頼りないわね」 「そんなことじゃ、折角の新製品が泣くぜ」 いまや、お客様は、神様。 オトーサンたち、 お金を出すので、言いたい放題。 「そうですよね。こんなことじゃいけませんょね」 「いい店員さんね」 「青山五郎さんがほめるよ」 「えつ、会長をご存知ですか?」 そんなことで、 折りたたむと、 B5サイズのパソコン並みになりました。 「よーし、これで、持ち運びは簡単だし、 いざとなれば、NYで高級レストランにも入れるぞ」 次は、海外モバイル。 これが、また、大騒動でした。 「やっぱり、モバイル用のパソコンを買おうかなあ」 海外に行くときは、これまで、 シャープの小型ワープロを持っていきましたが、 「メールができないし、ネットも見られないし、 ホームページの更新もできないし...」 うなのです。 ここ数年、すっかり、 ヴァーチャル世界に、はまってしまったのです。 日によっては、4時間以上、パソコン生活。 「もう禁断症状ね」 と奥方に揶揄される有様。 オトーサン、 「あまりお金を費いたくないな。 まあ、15万円が限度だなあ。 中古パソコンだっていいや」 そういうあたりからスタートしたのですが、 やはり20万円は出さないと、 夏モデルは買えないようです。 価格comを見ます。 「店によって、だいぶ値段がちがうな。 ようし、最低価格の店に行くぞ!」 と勢いこんで秋葉原に行きますが、 お目当ての店がありません。 「そうか、無店舗販売なんだ」 あまり得体の知れない店で買うのも、心配です。 「それに、アフターサービスのこともあるし...」 オトーサン、 「一体、どの機種がいいんだろう?」 パソコン雑誌、価格comでの調査、 秋葉原や有楽町の電気屋めぐりをしました。 その結果、最後に残ったのが、 以下の2機種でした。 1 PANASONIC:Let's note LIGHT CF-R1PCAXR 2 SONY:VAIO PCGSRX3F/BD 結局、2に決めました。 理由は、 重量は、PANASONICの960gに対し、 SONYは1.26kgとやや重いし、 バッテリー駆動時間は、 PANASONICの6時間に対して、 SONYは3.5時間から 5.5時間とやや短いのですが、 サイズは、10.4インチと同じ、 メモリーも256M(PANASONICは、128M)、 ハードディスクの容量も30G(PANASONICは、20G) と優っているし、 DVD/CD-RWもついているし、 ソフトもPANASONICとは違って XPホームエディションや ワード、エクセルなど、 ひととおりついています。 オトーサン、 ついに判定します。 「ソニーのほうが、 コスト・パフォーマンスがよい!」 最後の決め手になったのは、 新橋駅前のキムラヤでの17万円という値段。 価格comでの最低価格が、16万9800円ですから、 これは、お買い得でしょう。 「苦労した甲斐があった」
オトーサン、 買ってきたノート・パソコンで、 海外モバイルができるようにと、 設定をはじめました。 「1日もあれば、何とかなるだろう」 そう嵩をくくっていたのですが、 どうして、どうして。 最初の日は、 取扱説明書を読んだり、 ユーザー登録をしたり、 ウィンドウズXPの使いこなしで あっという間に終わってしまいました。 2日目。 DVDの映像が どのくらい鮮明に映るのかを チェック。 「やや画面が暗いが、まあまあだな」 気をよくして、音楽CDも聞いてみました。 「うん、なかなかいい。 イヤホーンで聞くと、音質も、まあまあだ」 デジカメからの画像が、 従来どおりPCカードから 取り込めるかもチェック。 「そうか、メモリースティックでなくても、 いいんだ」 念のために、 奥方のソニーのデジカメの画像を 取り込んでみました。 「おい、一体、何枚入っているんだ」 「632枚よ」 パソコンがパンクしそうなので、 あわててキャンセルをクリック。 ことなきを得ました。 3日目、 「さあ、今日こそ、 インターネットと電子メールの 設定を終えるぞ!」 おやりになった方は、ご存知でしょうが、 これが、まあ大問題。 「うまくいかんなあ」 出るのはため息ばかりなりという状態になります。 「秋葉原のツクモ電気のサービスに 相談に行くか。 いやいや、男子いったん心を決めた以上は、 初志貫徹だあ」 要するに、設定したときのデータを きちんと残しておかなかったのが、 間違いでした。 「ええと、ユーザー名か。 オレの名前を入れればいいんだろう」 ところが、 日本語で氏名を入力しても、ダメ。 英語半角で、氏だけでよかったのです。 「パスワード?忘れたなあ。どこにメモしたっけ」 「DNSって、何だったつけ?」 そんな調子ですから、 いつまで経ってもラチがあきません。 日が暮れた頃、 ようやくインターネットが使えるようになりました。 「ああ、肩がこった」 プロバイダーのホームページで、 記入の仕方を調べたおかげで、 奇跡的につながったのです。 4日目。 「今日は、メールを使えるようにしよう」 SONYの取扱説明書の手順で、入力していきます。 「うーん、今日は順調だ」 ところが、すぐに、行き詰まります。 メール・アドレスを入れます。 「忘れたなあ、 そうだ手帳に書いてある。 s1213s@da.mbn.or.jpだっけ」` ところが、何回やっても パソコンから拒否されてしまいます。 「変だなあ?」 奥方に助けを求めます。 「おれのメール・アドレス、確認させて」 「いいわよ」 奥方のパソコンのアドレス一覧を見ます。 「あれ、ちがってる。 s1212s@da.mbn.or.jpじゃないか」 たった1字ちがいですが、 パソコンは、あくまでもシビアなのです。 「こりゃ、大変だ。 マリオット・ホテルに変なアドレスを教えてしまった。 道理で、予約確認のメールがこないはずだ」 オトーサン、 これにこりて、 新しく「仮の個人ファイル」という ファイルを新しく作成して、 そこに、まず、インターネットとメールの設定に 必要な事項を記録しました。 興がのって、 メールアドレス一覧表、 住所録、電話番号リスト、免許証番号、 健康保険証番号、年金証書番号、銀行口座名、 さらに、新聞屋の電話番号や自転車の鍵の暗証番号まで 記録しました。 「よしよし、これで今後数年は、悩むことがなくなるぞ。 よかった、よかった」 5日目。 「外付けDVDには、CD−RWもあったな」 CD、CDーR、CD−RW、 記録媒体にも各種あって、 CDは再生だけ、 CD−Rは、書き込み1回だけ、 CD−RWは、何度でも書き変えられるのです。 「考えてみれば、 パスワードなどを、 パソコンのファイルに入れておくのは、危険だな。 そうだ、このCD−RWに入れておこう。 そうとなったら、善は急げだ」 早速、CD−RWを買いに走りました。 ところが、この使い方が、 はじめてなので、よくわかりません。 「面倒な世界に足を踏み入れたもんだ」 ぼやきながら、 手始めに、VAIOに搭載してある プロバイダーとの契約ソフトは不要なので、 これをCD−RWに移しました。 「へえ、結構、簡単じゃん」 オトーサン、 そんなことで、気をよくして、 パソコンに入っている不要なソフトを、 CDーRWに移したり、 ゴミ箱に放り込むする作業をしました。 「やあ、だいぶ、スッキリした」 パソコンの画面に、 必要なアイコンしかないというのは、 実に気持ちのいいものです。 ついでに、 部屋のゴミ箱にあるゴミも 捨てに行きました。 「そうだ、 パソコンのゴミ箱もきれにしよう」 ゴミ箱を空にするをクリックしました。 オトーサン、 その直後です。 「しまった。消しちゃったぁ」 昨日苦労して作成した インターネットとメールの設定に必要な事項、 メールアドレス一覧表、 住所録、電話番号リスト、免許証番号、 そして、自転車の鍵の暗礁番号まで すべてを消去してしまったのです。 「...CD−RWに記録したとばかり思っていた」 6日目。 オトーサン、 一晩寝て、元気を取り戻します。 「もう過ぎたことはクヨクヨすまい」 昔、ある高名な言語学者が苦節10年がかりで 書いた国語辞典の原稿を 電車に置き忘れてしまったという 事件がありました。 警察に届け出も原稿は見当たらず、 悲嘆にくれたのですが、 思いなおして、 その後、また10年かけて、書き上げたそうです。 オトーサンの消去した記録など、 半日もあれば、回復可能。 「どうってこたぁ、ないや。 ヒマになったときに、やればいいや」 んなことで、 ほかの作業にかかります。 「FFTPを使えるようにしよう」 これは、ホームページをUPするときのソフトです。 「窓の杜からダウンロドできたよな」 この窓の杜には、ありとあらゆるソフトが収録されていて FFTPのような無料のソフトも沢山あるのです。 ところが、 「夏休み中ですので...」 というつれない注意書きが画面に出ているではありませんか。 かまわず、ダウンロードしてみましたが、 うまく行きませんでした。 「解凍ソフトもいるんだっけ」 世の中、そう甘くありません。 どうも変です。 どこにダウンロードしたのが、サッパリわからないのです。 「弱ったなあ」 オトーサン、 しばらく腕組みして、対策を考えます。 「そうだ。YAHOOの付録があった」 数年前の雑誌「YAHOO」の付録に、 プラウザやソフトのフリーウエアを収録した CDがついていました。 「あれをDVD/CD−RWに入れればいいんだ」 そんなことで、すぐにFFTPが見つかりましたし、 パソコンに取り込むこともできました。 「あとは、簡単だ」 オトーサン、 そう思ったのは早計でした。 「ローカルの初期フォルダー? ホストの初期フォルダー? 何じゃこりゃ」 途方に暮れました。 でも、あるいはと思って、 これまで使っていたパソコンの FFTPソフトのホスト一覧にある 設定変更をクリックすると、 ちゃんと以前のデータが載っているではありませんか。 でも、 初期フォルダーは、これまでの2000と 新しいXPでは、ちがっていたのです。 2000は、C:\My Documents \マイホームページ XPは、C:\Documents and Settings\佐々木¥\My Documents より複雑になっていたのです。 オトーサン、 マイドキュメントを右クリックして、 プロパティを開いて、確認しました。 「うーん、オレも相当パソコン通になったなあ」 なーんて、うぬぼれていましたが、 でも...でも、 FFTPが使えるようになったのは、 何と深夜になってからでした。 「パスワードは*****になっている。 でも、こんなの簡単じゃん」 ところが、簡単ではなかったのです。 オトーサン、 最後になってようやくその理由が分かりました。 「どうってことなかったんだ!」 そもそも、パスワードが間違っていたのです。 インターネット用のものや、 メール用のものと違う記号でした。 ノートの端にさりげなく書きとめてあったのですが てっきり、昔のパスワードかと思っていたのです。 以上、非常に長文になりましたが、 旅行前に疲労困憊した事情は よくお分かりいただけたかと存じます。
オトーサン、 パソコン騒ぎのために、 肝心の旅行プランに、 まったく手をつけていなかったのです。 とりあえず、 地球の歩き方の 「ボストン&ニューイングランド」を 買い求めました。 奥方に聞きます。 「NYのあと、 ボストンに行くことに決めたけど、 そのあと、どこに行こうか? ケープコッドなんかどうだい? 何泊しようか? どのホテルがいいかなあ」 奥方、 「....あたし、海なんかキライよ」 今回の旅行には、気が乗らない様子です。 「あと一週間もしたら、 あの娘、日本に帰国するでしょ。 わざわざ、会いに行かなくても会えるわよ」 そうなのです。 旅行を申し込んだ時点では、 娘の一時帰国は、まだ決まっていなかったのです。 ビザの更新のためか、 グリーンカード取得のためか、 聞きもらしましたが、 8月26日には、 娘は日本に一時帰国するのです。 だから、NYでは、1週間ほど一緒ですが、 あとはスレちがい。 「今回は、おみやげも、あまり要らないわね」 奥方にとっては、 ひさしぶりに娘に会うのも楽しみですが、 食料品を中心に1年分のおみやげを買い整えるのが、 それ以上に大いなる楽しみのようです。 そんなことで、 「まだまだあるぞ、旅支度」の内容は、 いちいち書いていたら、キリがありません。 箇条書きにしましょう。 1)ホテルの手配(ボストン) これは、日本にも事務所のあるマリオットにしました。 2)ホテルの手配(ケープコッド) 申し込みは英語なので、娘に依頼しました。 出国の日になっても、まだ連絡がありません。 夏場は混んでいるので、取れないのかも。 3)国際免許証 使わないかもしれませんが、 一応、免許試験場に行って取得しました。 何年か前に、ボストンからLLビーンの本社のある ポ−トランドまでドライブしたことがあります。 運転は楽ですが、 ボストン市内への入りかたがわからず、 うろうろした苦い経験があります。 4)衣装 「なーに、あなた、そんな変な格好でいくの? やめてよ、それだけは」 奥方から厳しいチェックが入ったので、 シャツやズボンは新調せねばなりません。 近所のイトーヨーカ堂で買いました。 5)暑さ対策など NYでは歩くことが多いので、 汗をふきとるために 大判のウエットティッシュをマツモトキヨシで 買いました。 6)治療 耳だれがひどいので、 耳鼻咽喉科に行って、診察を受けて、 薬をもらってきました。 7)植木の水やり 「面倒ねえ」 次女が文句をいうので、 大きな鉢を浴槽に運びいれました。 10cmくらい水をはりました。 「あの娘は、シャワー派だから、いいでしょう」 犬でも飼っていれば、留守中、その世話をどうするか さらに大変でしょう。 オトーサン、 奥方に声をかけます。 「何か忘れものないかなあ?」 「パスポートとお金さえ、忘れなければ大丈夫よ」 オトーサン、 それで、忘れ物に気づきます。 「そうか、VISAカードを持っていかなくては」 アメリカは、カード社会ですから、 カードは、身分証明書のようなもの。 必要不可欠なのです。
オトーサン、 出かける日の朝は、3時起き。 「翻訳ソフトの使い方をマスターしておかねば」 昨日、急遽、八重洲ブックセンターで買い求めたのです。 「以前に使っていたのと、ちがう奴にしよう」 「コリャ英和」を使っていたのですが、 今度は、「ピカイチ翻訳」にしました。 「翻訳ソフトなんて、みな同じようなものだろう」 そう思う一方、 「ひょっとすると、よくなっているかも。 IMDBの英文翻訳が楽になるかも」 以前のものは、例えば、 監督(directer)を、指揮者と訳したりするのです。 オトーサン、 「ピカイチかどうか試してみよう」 予約したボストンのマリオットのホームページの 一部を訳してみました。 対訳形式で出力するようになっています。 Hotel Information ホテル情報 「うん、こりゃ、いいわ」 38 Floors,1100 Rooms,47 Suites 38の床、1100の部屋、47の組合せ 「38の床でなくて、38階だろうな。 47の組み合わせは、スイートルーム47室だろう」 The Room that Works: 働く部屋: 「なかなか使える部屋という意味かな」 200 guest rooms specifically designed for the business traveler. 200の客室は、特にビジネス旅行者のために設計しました 「これは、OK」 36 meeting rooms; 36の会議室; 「これもOK」 65000 sq. ft. total meeting space Mobil Travel Guide Stars: 宇宙モービル旅行に応ずることは 導く65000平方フィートの合計は、きらめきます: 「うーん、何が何だかわからないなあ」 オトーサン、 あまりの翻訳レベルの低さに唖然とします。 でも、よく見ると、原文が悪いのです。 「2つの文章を1つにするから、 翻訳ソフトが間違えるのだ」 手直しして、トライしてみました。 65000 sq. ft. total meeting space. Mobil Travel Guide Stars: 65000平方フィートは、会議スペースとなります。 モービル旅行ガイド・スター: 「うーん、これなら、前段は、よくわかるな」 でも、後段のモバイル・トラベル・ガイド・スター、 これって、何だろう?」 みなさんは、以上のデータから、 翻訳ソフトについて、どう判断されたでしょうか? 「まだまだ使えないわね」 オトーサン、 そういう方に、申しあげたいと思います。 「クリックひとつで、 大体のことがわかるって、 スゴイことですよ。 これまで無縁だった 英語のホームページが、読めるなんて」 念のために、判明した ホテルの概要をご紹介しましょう。 Hotel Information Boston Marriott Copley Place 110 Huntington Avenue, Boston, MA 02116 Phone: 1-617-236-5800 ---------------------------------------------------- 38階、1100室、スイート47室 200の客室は、特にビジネス旅行者のために設計しました。 36の会議室;全体で65000平方フィートの会議スペース モービル旅行ガイド・スター: 3AAAダイヤモンド: --------------------------------------------------- チェックイン:午後4時00分; チェックアウト:午後12時00分 *エクスプレス・チェックイン(チェックアウト) --------------------------------------------------- 施設とサービス ペットについて:身体の不自由な方々のみ 無料駐車場 インターネット可能なレストラン 24時間のルームサービス 喫茶店 カクテル・ラウンジ 洗濯サービス 靴磨き 案内人サービス ギフトショップ/新聞売場 ビジネス・センター PC利用可 プリンター利用可 秘書サービスあり フロント・デスクの貸金庫 レンタカー(ロビー):ダラーとライフスタイル・リムジン --------------------------------------------------- 客室アメニティ *ランプ付き仕事デスク 2回線の電話 ボイスメール 電話のデータ・ポート リモコン・テレビ ケーブル/衛星テレビ ニュース専門チャンネル 映画 *新聞配達(月‐金) 水道付きバー(部屋限定) 室内コーヒー・サーバー *アイロンとアイロン台 ズボン・プレッサー *ヘアドライヤー *セーフテイ・ボックス ベビーベッド利用可 インターネット・アクセスのための2回線電話 ---------------------------------------------------- 観光 Boston Common (0.5 マイル) Boston's Italian North End (2 mi) *Copley Place Shops *Fenway Park (0.7 mi) Fleet Center (2 mi) *Museum of Fine Arts (0.7 mi) *Newbury Street Shops (0.2 mi) *Prudential Center *Quincy Market/Faneuil Hall (1 mi) Symphony Hall (0.3 mi) ------------------------------------------------------ スポーツ関係 *Indoor pool Full spa (nearby) Health club *Whirlpool Sauna ------------------------------------------------------ ゴルフ場: Colonial Wakefield/Lynnfield (18 holes; 6500 yards; 72 par; 15.0 miles away) ------------------------------------------------------- オトーサン、 得意そうに、翻訳結果を奥方に見せます。 「何よ、全部翻訳してないじゃない」 「...だって」 「だって何よ」 「72 parって何だか分かるか?」 「パー72でしょ」 「その通り。 でも、ピカイチがどう訳したと思う?」 「そんなのわかるハズないでしょ」 「72の同等だぜ」 オトーサン、 ピカイチと、まともにつきあっていたら、 ヒコーキに乗り遅れてしまうので、 パソコンの電源を切りました。 注:ホテルのファシリティにつけた*印は、 今回、オトーサンたちが利用したものです。
オトーサン、 8月中旬出発の海外旅行は、はじめて。 「おお、空いてるなあ」 湾岸道路も、東関道もスイスイ。 箱崎から空港まで、普段なら65分のところを 50分! 出発時間まで、3時間以上ありますが。 すぐに、チェックイン・カウンターに行きました。 行列もなし。 「しめしめ。窓側のいい席がとれるぞ」 「お客様、、 お席の番号は、63EとFですが、 よろしゅうございますか?」 「63Eといったら、中央だろう」 「そうです」 「それじゃあ、よろしくないよ」 「でも、本日は満員ですので」 「いままで、こんなことはなかったよ。 航空会社が勝手に席を決めるなんて」 「お客様、予約ゲートのほうで、 言ってみていただけますか? キャンセルがあると、変更可能かもしれませんから」 オトーサン、 すごすごと、レストランに向かいます。 「ああそうだ、その前に、両替しておかなくては」 みずほは、避けて、あさひにしました。 「ここで食べようや」 BIG BOYでした。 「高いわね、スパゲティ明太子で1000円、 このサラダセットの量の少ないこと」 「コーヒーカップも小さいなあ」 このあと、奥方が文庫本を買うだけで 出国ゲートへ。 「テロ事件以降、検査がきびしくて 時間がかりますので、お急ぎください」 さきほどの女性のいうとおり、急いだのですが、 「何よ、がらがらじゃない」 「まあ、いいじゃないか。ゲート47へ行こう」 ゲート47の遠いこと。 「成田空港でノースウエストは冷遇されているなあ」 徒歩10分。 「満員だ。座る席もない」 「ユナイテッドとJASとの3社共同便なのね。 道理で混むはずよね」 「ほかの航空会社がいい席を押さえているのかしらね」 オトーサン、 ゲート47の男性係員に近づきます。 「クレームだけど」 このひとことが効果的だったようです。 「行きの便は、キャンセル待ちですが、 何とかやってみましょう。 帰りの便は、いまから窓側を手配しましょう」 そう彼は言って、コンピュータに向かいます。 「あのひと、親切ね」 *注:帰りの便の席は、62Aと62Bでした。 「窓際、ちゃんと手配してくれたのね」 出発時刻は、午後3時。 10分ほど前にアナウンスがあって 名前を呼ばれました。 「おお、呼ばれている!」 大勢のひとの前で名前呼ばれるなんて、久しぶり。 「佐々木ですが」 「お客様、席がとれました。 交換されますか?」 「席の番号は?」 「25のAとBです」 「どうする?」 「どうするもこうするもないでしょ」 奥方、 「何でも言ってみるものねえ。 この席、窓際でしょ。 しかも、ビジネスクラスに近いし、降りるときも楽ね」 奥方は、大満足でした。 「やっぱりノースに乗りつづけるか」 「また、マイレージを稼いで、フリーマイルを ゲットしましょうよ」 「去年のアラスカ旅行は、タダだったよな」 「あのおかげで、フリークエント・トラベラーの 特典が消えたのよね」 「おかげで、こんな苦労か。 ...まあ、よかったじゃないか。 いい席が取れて」 オトーサン、 一安心したものの、 世の中、そう甘いものではないことを 思い知らされます。 「一晩中、赤ん坊がうるさかったなあ」 「そうね、よく眠れなかったわ」
オトーサン、 13時間の長旅でした。 「でも、思ったほど疲れなかったなあ」 夕食と朝食の間に、 映画4本の上映がありました。 すべて英語。 「しめた! 字幕がある」 喜んだのも束の間、中国語でした。 この便も、中国人が多いようです。 映画3本は、 "big fat liar": comedy 88min "john q" drama 115min "clockstoppers"comedy 94min "crossroad" でしたが、しっかり見たのは、 "john q"だけでした。 デンゼル・ワシントンが好演していました。 息子に心臓移植手術を受けさせようと 奮闘する父親が、常識では考えられないような手段に 訴えるというもの。 「うまいなあ。これは映画批評で扱おう」 オトーサン、 機中で、バッテリーを使って VAIOにトライしました。 「ふーん、結構、画面が明るいなあ」 1時間ほど、この旅行記を書いて、 終了しました。 さすがに眠くなったのです。 VAIOの発熱は、問題になっているようですが、 「これって、性能いいなあ。 足温器として」 機内の冷房が強くて、半袖で寒かったので、 足から伝わってくるSONYの 暖かさに感激しました。 「出井くん、ありがとう。 キミも、しょっちゅう、飛行機に乗っているようだから、 この気持ち、よく分かるでしょ」 オトーサン、 着陸の1時間ほど前にも、 VAIOにトライ。 でも、このときは、失敗しました。 黒人のスチワーデスさんに、 思いっきり、睨まれました。 オトーサン、 ぶつぶつ。 「着陸に支障をきたすのは知ってるよ。 でも、まだ、そのアナウンスがないだろうに」 現地時間、午後3時20分。 ようやく、ケネディ空港に到着。 およそ20分遅れです。 「出発が1時間近く遅れたからなあ」 テロで警戒現状で手間とりそうな 出入国審査や税関検査は、すぐ終了。 改装したケネディ空港は、 ゆったりして、検査ブ−スも大幅に増設されています。 オトーサン、 「エクスプレス。チェックインだね」 といって、係の黒人女性を笑わせました。 「あなたって、いつもそうねえ。 ひとこと、余計なのよね。 でも、こんなに検査が簡単で、いいのかしらね」 このようにNY到着までは、順調でしたが、 グランド・セントラル・ステーションまで行く バス売り場がどこだか分かりません。 「改装したせいで、どこがどこだか、 分からないわよね」 ようやく訪ね歩いて、 乗り場を発見。 「あれっ、雨が降っている!」 機内での案内は、曇りでした。 バス亭に行ったときには、 バケツの水を引っくり返したような状態。 「あれ、大丈夫かしら。 パソコン、入っているのでしょう?」 バスのお腹にいれたリュックにまで 横なぐりに雨が吹き込んでいます。 「まあ、大丈夫だろう」 「そうね」 その時、ドーン、バリバリ。 落雷です。 オトーサン、 ブツブツ。 「手荒い歓迎だなあ。 先が思いやられるなあ ...傘もってくればよかった」 荷物を極端に減らしたので、 置いてきてしまったのです。
オトーサン、 ニューヨークへは、 モバイルをしたくてきたようなものでしたが、 なかなかその機会に恵まれません。 娘と待ちあわせたグランド・セントラル駅そばの ハイヤット・ホテルのロビーで、 VAIOを取り出そうと思っていました。 ところが、すでに娘が待っていました。 「遅かったわね」 いつもは、30分ほどこちらが待つのですが、 今日は、飛行機のNY到着が遅れたし、 雷雨で道が混んだために、 娘のほうが職場から早く着いたようです。 「じゃあ、タクシーを拾いましょう」 オトーサン、 先に立って歩いていく娘の姿に、 「頼もしいなあ」 昔、娘がこの街で暮らしはじめたころの あの頼りなげな姿は、どこにもありません。 マンハッタンでは午後3時頃、 シャワーがあったそうですが、 もう路面も乾いて、傘の必要もないし、 スムースにタクシーも拾えました。 「夕食どうする?食べに行く?」 奥方がもってきたおみやげを広げ終わったところで、 娘が聞いてきます。 「うん、行こうか。腹減った」 「じゃあ、近くにできたお寿司やさんに行ってみる?」 2ブロックほど先だけど」 「うん、いいいい、行こう」 ヨーク・アヴェニューを歩きます。 「何だかこの辺、洗練されてきたなあ」 「そうなのよ、この辺り、家賃が高くなって、 普通のひとは、もう住めないようになったのよ」 「キミは、払えるのかい?」 「前から住んでいるひとの家賃は、 むやみにあげてはならないという法律があるのよ」 「だって、NYもバブルがはじけたんだろう?」 「ところが、家賃は上がる一方なのよ」 「でも、よかったなあ。 キミのアパート、外壁を塗りなおして、 まるでヴェルサイユ宮殿みたいだ」 「オーバーねえ」 そんなことで、 YUKOなる新しいお寿司屋さんから 帰宅したのが、午後9時過ぎ。 ようやくVAIOの電源を入れます。 「おお、これで、NYの電気がVAIOに入ったんだ」 オトーサン、 つまらないことに感動しています。 「さあ、インターネットに接続するぞ」 勢いこんで、設定を開始。 まず、GRICという海外ローミング・サービスの アクセスポイントの電話番号を入力します。 接続名は、Newyorkとします。 「うーん、われながら格好いいな」 2時間後、 オトーサン、 VAIOの電源を切ります。 「もうダメだ」 さきほどまでの幸せな気分はどこえやら。 この2日間、ほとんど寝ていないところに、 お寿司やで飲んだスーパードライの酔いも加わって しかも、設定が思うようにならない 挫折感に打ちひしがれております。 「モバイル・ブームに乗って、 NYでモバイルしようなんて、 大それたことを考えたのが、そもそもの間違いなのだ」
オトーサン、 それなりに長い人生を振りかえって、 「あの時、何であんなことに悩んだんだろう」 そう思うことがあります。 例えば、初夜の過ごし方。 心配で心配で、 ひと足先に結婚した友人に聞きました。 「花嫁が待っている布団には、 右側から入るべきか、左側から入るべきか?」 友人は憮然として、 しかし、親切なひとだったので、 「そりゃ、好きずきじゃないかなあ」 そう答えてくれました。 8月17日正午。 オトーサン、 朝1時間ほどトライしてうまく行かず、 朝食後、元気を回復してから、 また挑戦して成功しました。 「やったあ。 われ、NY−TOKYO間の 太平洋を隔てた遥かなる地への接続に成功せり!」 全世界に対して勝利宣言したい気分です。 いまや、 ビギナー・モバイラーを卒業し、 初夜とインターネットと 双方の接続に成功しております。 「えへん」 先輩として、断言しますが、 インターネットの接続なんて簡単であります。 「基本に忠実に」 それに尽きるのであります。 「慌てず、手順を踏んで」 まず、以下の用紙を 手元に、用意すべきであります。 それまでは、 パソコンの画面を決して開いてはなりません。 これは、初夜に何の心構えもなく 花嫁にのぞむようなものであります。 1)ISP名: 2)電話番号:接続元 3)電話番号:接続先 4)ユーザー名: 5)パスワード: では、順に記入していきましょう。 1)ISP名 お好きな名前をつけてください。 ISPというから、つい緊張しますが、 ISPとは、 インターネット・サービス・プロバイダー名という意味ですが、 どんな名前をつけてもいいのです。 オトーサンの場合は、 最初に、Newyorkとつけて接続に失敗し、 それを削除し、 次にNY、その次はEAST、 さらには、79と娘の住所を並べては、 失敗−削除を続けました。 最後につけたのは、KONでした。 コンチョクショーの頭文字です。 KONでもつながったのですから、 本当に何でもいいのです。 2)電話番号:接続元 オトーサン、 娘に聞きます。 「おーい、NYの市外局番、いくつだった?」 「211よ」 これだけでOKです。 3)電話番号:接続先 簡単そうに見えて、これがクセモノでした。 オトーサンの場合の正解は、 011-81-3-5201-5510 まず、011-81ですが、 海外から日本にかけるときの番号です。 次の3は、東京の場合、03ですが、 0を取るようになっています。 オトーサンの場合、0を取り忘れていました。 このため、いつまでも間違ったままだったのです。 最後の5201-5510は、 オトーサンのプロバイダ−の アクセス・ポイントの電話番号です。 われながら情けない話ですが、 頭にきて冷静さを失い、 自宅の電話番号を入力してしまいました。 「おっ、やっとつながった!」 と叫んで、聞き耳を立てていると、 奥方の留守電メッセージでした。 「おい、お前、自宅じゃないぞ、 プロバイダーの電話番号だぞ!」 4)ユーザー名: 「これって、おれの名前だろう、簡単じゃん」 でも、プロバイダーに届けた名前でなければ いけませんよ。 5)パスワード: これも同じです。 これで、以下の項目がすべて埋まりました。 1)ISP名:KON 2)電話番号:米国 212 3)電話番号:011-81-3-5201-5510 4)ユーザー名:s1212s-da 5)パスワード:AtuKANBe いよいよ パソコン画面に向かいましょう。 手順は以下のとおりです。 1)コントロール・パネルを開き、 電話とモデムのオプションをダブルクリック。 新規クリック:所在地:KON 米国を選択 市外局番:211を入力 トーンを選択 適用をクリック 2)エクスプローラで、ツールから インターネット・オプションを開く。 セットアップをクリックすると、 新しい接続ウィザードが出てくる。 ◎インターネットを接続するをチェック。 ◎接続を手動でをチェック。 ダイヤルアップ・モデムを選択し、 以下を入力。 ISP名:KON 電話番号:011-81-3-5201 5510 アカウント情報が出てくるので、 ・ユーザー名:s1212s-da ・パスワード:AtuKANBe ・パスワード:再入力 このショートカットをデスクトップにチェック 完了をクリック 以上で完了です。 オトーサン、 晴れ晴れとした顔でいいます。 「どうです、簡単でしょう」 「...面倒そうだな」 「そんなことないですよ。 習うより慣れろですよ 要は、失敗を恐れずに。 失敗したからといって、死ぬわけでもないし、 全人格が否定されるわけでもないからね」 オトーサン、 そういいながら、ひとりごと。 「これで、インターネットは接続できたけど、 あとメールとFFTPの接続が残っているなあ」
オトーサン、 その後、 無事、メールとFFTPの設定にも成功し、 「よーし、NYのあのスタバでモバイルするぞ」 と張り切っています。 「なんで、そのスターバックスなの?」 「そう思うでしょ」 娘のアパートに程近いスタバは、 そこらのスタバとは、 ひと味もふた味もちがうのです。 店の2階は、 古い煉瓦壁、木張りの床。 ゆったりしたソファがいくつもあって、 電源つきの机もあって、 のんびり新聞を読むひと、 書類をひろげてパソコンをやるひと、 おしゃべりしながらパソコンをやるカップル、 静かな環境で、 パソコン狂には、天国のようなものです。 コロンビア大の学生などが、 ソファに寝っころがって読書という有様。 店員も、滅多にやってこない解放区。 オトーサン、 ここが大のお気に入り。 「せっかくのモバイルだから、 インターネット・カフェみたいに 無機質ではなく、快適な場所でやりたいじゃん」 ところが、奥方がいうのです。 「あのテロの場所を見に行きましょう」 娘が即座に賛成したので、目論見が外れました。 オトーサン、 これで結構立ち直りが早いのです。 「まあ、いいか」 一度は、行ってみたいと思ってはいたのです。 地下鉄フルトン駅下車。 ものすごい人出。 「これじゃあ、鎮魂・追悼というよりも 観光名所だ」 街路には、観光客目当ての 絵葉書やTシャツの売店が、沢山出ています。 「何だ、あれは?」 教会を取り巻く鉄柵があって、 そこに手書きの寄せ書きやら、 遺品のシャツなどがところ狭しと並んでいます。 奥方が娘に聞きます。 「どこなの?」 「あそこよ」 指差す先は、急ごしらえの塀。 そのなかが、爆撃で崩壊した 世界貿易センタービル(WTC)の跡です。 観光客が、塀の割れ目から巨大な廃墟を覗きこんでおります。 「何か、匂うわね」 「そう?」 焼け跡の匂いでしょうか。
GROUND ZERO;photo by Richard Press An investigator finds pieces of clothing amid the debris... New York Historical Society
消防士と記念写真をとっているひともいます。 娘、 「あれ以来、消防士は人気者なのよ」 オトーサン、 「昔から命がけ。 昔は、縁の下の力持ちだったのが、 テロのおかげで、久々に表舞台に登場したわけだ」 オトーサン、 売店で、世界貿易センターのアルバムを買って ひと安心。 ゆっくりと、遺品などを見てまわります。 「24歳、誕生日おめでとう」 と書いてあって 幼さの残る顔写真のある貼り紙を見ると、 さすがに胸が痛みます。 「こんなテロがなければ、 楽しい誕生パーティでも、開いていただろうに」 "Missing" などという張り紙もあります。 「尋ねびとか」 オトーサン、 戦後そんな名前の番組があったのを思い出します。 戦争で行方不明になった 兵士の家族向けのラジオ番組でした。 「親御さんは、どんな思いだろうなあ」 となりの無事だったビルには、 大きな看板ができています。 テロの犠牲者への寄付を呼びかけるもので、 9.11の文字がデザインされています。 11という数字をWTCの2本の高層ビルに見たてているのです。 「しゃれているなあ。 これからは、11という字を見ると、 テロで倒れたビルのことを思いだすだろうな」 オトーサン、 こんな状況では、とてもモバイルなどする 気分にはなれませんでした。
オトーサン、 ぼそぼそとつぶやきます。 「せっかく近くまできたから、 トリニティ教会の墓地をみたいなあ」 奥方 「由緒のある教会なの?」 オトーサン 「さあ?」 あとで調べると、 英国国教会派の古い教会で、 1697年に建てられ、 およそ半世紀にわたって、 NYでもっとも高い建物だったそうです。 ニューヨーク証券取引所の脇をぬけると、 そこがもうトリニティ教会。 ゴシック様式の立派なもので、 外壁はブラウン・ストーン。 黒ずんでな年代もののようですが、 これで3回建て直されていて 現在のものは、1846年のもの。 ちょっと離れたくらいでは、 284フィートの尖塔がカメラに収まりません。 「ここに何があるの?」 「フルトンのお墓さ」 「?」 オトーサン、 蒸気機関を発明したジェームス・ワットと同じくらい このロバート・フルトンを尊敬しております。 かれが蒸気船を発明したおかげで、 輸送量が駅馬車の1万倍にもなって アメリカで産業革命が起きたのです。 そして、今日の世界が誕生したのです。
Robert Fulton 1873:Meuseum of the City of New York
「その隣のお墓のほうが、立派じゃない」 奥方が指さすお墓には、 ALEXANDER HAMILTON (アレクサンダー・ハミルトン) と刻んであります。 オトーサン、 「このひと、誰だったかなあ」 「大統領じゃないの?」 と娘。 オトーサン、 「そうだったかなあ」 疑問が残りました。 オトーサン、 日銀にあたる連邦準備銀行、 そしてNSADAQの前を通りかかりました。 最近のNYの株安を思い出しす。 「日本のナスダック、最近、つぶれたよなあ。 ここも、大丈夫かなあ。 ウォルストリートを動かしているひとたち、 これからは、心を入れ替えてくれ、 会計操作やインサイダー取引なんかするなよ。 金融危機が起きるぞ」 そんな悪態をついていたら、 今度はオトーサンに罰があたりました。 突然、大粒の雨が降ってきたのです。 「あっ、VAIOが濡れる。 機器が壊れて、モバイルできなくなる。 まさに、モバイル危機だ!」 あわてて、スターバックスに逃げ込みました。 このお店、NEW OPENとあります。 奥方、 「焼け太りねえ」 テロのおかげで、観光客が増えて、 スターバックスは、儲かっているようです。
オトーサン、 最初にお断わりしておきますが、 このWCは、トイレでも、 WTC(World Trade Center)でもありません。 Woodberry Common Autletの略のつもりです。 もう6年前になりましょうか、 「アウトレットって、何?」 といわれていた頃に、 NYヒルトン・ホテルのなかにある 岡田屋に集合して30ドルくらい払うと、 日本人客は、ウッドベリー・コモンに バスで連れていってもらえました。 オトーサン、 「こんなに高いバス代を払って買い物して ペイするのかなあ」 そうぶつぶついいながら、奥方と娘についていきました。 NYから1時間半くらいの田舎です。 「そうそう大雪の後だった」 雪かきしたWCは、まるでスキー・リゾートの感じでした。 最初は、半信半疑だった奥方と娘は、 「うわーっ、ポロが半値。 アルマーニEXもある、カルバン・クラインもある。 ナイキもあるわあ」 半狂乱状態になってしまいました。 オトーサン、 いまでも思い出すと、身の毛がよだちます。 「ありゃぁ、ひどかったなあ」 買い物袋をいくつも持たされて、 長時間、フードコートで待たされる羽目になったのです。 「日曜日は、WCに行くわよ」 そう娘が申しし出たとき、 奥方は、もちろん、ご満悦。 「そんなの、やめとこうよ。 いまさらWCに行くことはないだろうよ」 オトーサン、 本来ならそう抗議すべきところですが、 次に発せられた娘の一言で、 考えが180度変わりました。 「ウォルマートのス−パーセンターが すぐそばにあるのよ。 パパは、そこを見に行けばいいじゃない」 「おれも、WC、少しくらいなら付き合うよ」 オトーサン、 内心、シメシメ。 「待たされる間に、モバイルやろう」 ついにアメリカでモバイルを試す機会がやってきたのです。 バス、地下鉄と乗りついで、 ポート・オーソリティの1階の Au Bon Panで、手早く朝食をすませ、 2階のShort Lineの切符売り場で 27.2ドルの入場券つきの切符を買って、 3階の乗り場へ。 日曜日の8時45分発だというのに もう長蛇の行列。 「乗り切れるのかしら?」 若者ばかりですが、昔とちがって 中国人ばかり。 「あいつは、日本人だろうな。 ベッカムかロナウドみたいな頭してる」 日曜日なので、 交通難所のリンカーン・トンネルもスイスイ走って、 9時40分には、ウッドベリー・コモンに到着。 「1時間もかからないのか」
NY在住6年になった娘が、 案内所で、割引クーポンをもらってくれて、 テキパキと指示してくれます。 「午前中に下見して、 午後からWalmartで見学がてら食事して、 戻ってきて、お買い物にしましょう。 バスに乗るのは、午後6時15分。 いいわね」 奥方 「はいはい」 オトーサン、 「おれ、このフードコートか、 スタバで待ってるから、 12時半に落ち合おう」 オトーサン、 アメリカ初モバイルのための 充分な時間を確保して、ご満悦。 「2時間半もあるから、少しだけ売り場も見ておくかな」 アルマーニに直行。 その昔、ジャケットを買ったことを思い出します。 「何だ、たいしたもの置いてないなあ」 7万円台のが最安値でしたが、 柄も形も気にいりませんでした。 「ちょっといいと思ったのは、 34万円を値引きして22万円か。 バカ馬鹿しくて手がでないよなぁ」 POLOもみました。 ここは混んでいましたが、 半袖シャツで最安値が19ドル。 サイズも柄も気にいりません。 「いいなと思うと48ドルか」 オトーサン、 30分もたたないうちにフードコートに戻ります。 「220店舗あるというけれど、 ほかの店もおなじようなものだろう」 バブルの昔とちがって、 いまではアウトレットの値段に感動しません。 現に、いま着ている黒の半袖のTシャツは、 イトーヨーカ堂で500円。 「中国製だけどな」 オトーサン、 広いフードコートをうろうろします。 まだ昼食時には間があるので、がらがら。 席はよりどりみどりなのですが、 モバイルしやすい場所って 意外にないものだと実感します。 モバイルの条件をあげれば、 1)壁に面している 2)周りに繁盛店がない 3)店員の目が届かない モバイルというのは、プライバシーが大事です。 近寄ってきて、 画面をのぞかれたりしては、 集中できません。 オト−サン、 ようやく1ケ所だけ発見して座ります。 やおら鞄からVAIOを取り出して 4人がけのテーブルにそっとおきます。 スライド式のスイッチを入れます。 「VAIOのこのスイッチは、いいなあ」 いままで使っていたSHARPのは、 ボタンを押す方式なのです。 強く押し過ぎて動かなくなって 修理に出したこともあります。 「SONYって、すごいよなあ。 パソコンは後発なのに、 あつという間に先発組を抜き去るのだから」 デザインもいいし、バッテリーもスタミナだし、 おまけに使い勝手もいいときている」 気分がいいと、 仕事?のほうも、はかどります。 あっという間に、一節を書きあげます。 「次の節は、スタバに行って書こう」 せっかく確保したいい席ですが、 立ち去って、100mほど離れたスタバへ。 「何だ、狭いじゃないか。 ロクにテーブルもないし、 それに冷房も効きすぎている」 オトーサン、 フードコートに 舞い戻ってきます。 幸い、先程の席は空いていました。 ちょうど11時。 近くの売店のホットドックが気になります。 可愛いオネーチャンもいるし、 Nathan's Favorite Hot Dogという名称も 気になります。 "One Hot Dog and coffee" 英語で注文します。 写真にあるトッピングの名称がわからないので、 指さしで注文します。 "?????”" 得体のしれぬ返事が戻ってきます。 オトーサン、 すばやく撤退を決めます。 不承不承、トッピングのない裸のHot Dogと コーヒーの入っていない紙コップだけを受け取ります。 周囲を注意深く見回しているうちに、 事情が飲み込めてきました。 別に,オトーサンだけが意地悪されたわけではないのです。 フードコートの反対側に、 ドリンクのマシンが並んでいて、 そこから好きな飲料を選ぶようになているのです。 トッピングのほうは、 その脇のカウンターのうえに マヨネーズやケチャップのパックと一緒に ザワークラフトの容器が置いてあります。 「そうか、これをHot Dogに乗せればいいんだ」 オトーサン、 とりあえず、ホットします。 そんなことで 奥方と娘が戻ってこたときには、 フードコートであちこち食べあるいて、 かなりの満腹状態になっていました。 原稿のほうもあまり捗りませんでした。 ここで、 モバイルの条件を追加するならば、 1)手近なところに食べ物屋がないこと 2)あまりヒマすぎてもいけない そんなところでしょうか。 収穫といえば、 川柳を思いついたくらい。 「あんなやつがモバイルするとは、ブームも終わり」 ソニーが世界に誇るVAIOをもってして、 買い物につきあうのは苦痛でした。
オトーサン、 今度の訪米の目的のひとつが、 日本進出を決めた世界最大の小売企業であり、 いまや世界最大の企業でもある ウォルマートの店舗見学。 「ウォルマート・ストアのほうは、 何店か見てるけど、 やっぱり、成長の原動力となっている スーパーセンターを見ておかないとなあ」 日本で、ダイエーやイトーヨーカ堂の店舗を 視察するのと違って、 ウォルマートの店は、大都会にはないのです。 ニューヨークのそばなどにはないのです。 昔、クルマをチャーターして ウォルマート・ストア見に行ったときなんか、 優に1時間のドライブ。 ずいぶん、お金がかかりました。 オトーサン、 娘に頼みます。 「NYのそばに、スーパーセンターないかなあ」 自分で調べてもいいのですが、 アメリカではZIPコード(郵便番号)があって、 これを入力しないと、 ストア・ロケションのデータが出ないようなのです。 「いいわよ」 娘が快く引き受けてくれました。 そして、場所が分かる地図、 さらに最近彼女が書いたウォルマートについての記事も くれます。 4−6月の売り上げが好調という内容。 「最近、アメリカ経済は不調というのに、 なぜウォルマートだけが好調なのだろうなあ」 「Kマートがつぶれたから、 そのお客が流れてきているのでしょう」 「ふーん、そんなものか」 そんなことで、 WCに行くついでに、 ウォルマートのスーパーセンターに行くことになりました。 タクシーもテキパキと手配してくれます。 オトーサン、 心のそこから感謝、感謝。 「持つべきものは、いい娘!」 WCのフードコートは、 どうせ超満員になるだろうからということで、 お昼をかねて、ウォルマートに行くことにしました。 タクシーで4ドル。 「すぐそばなんだ」 「すぐそばだけど、歩いていくには ちょっと遠いわね」
オトーサン、 スーパーセンターの店舗が見えてきて 大感激。 店内に入って、 「広いな、明るいな、色づかいが大胆になったなあ」 そういう印象を持ちました 店舗面積は、4500坪とか。 「それでいて、お金はかけていない」 天井は鉄骨むきだしですし、 照明も蛍光灯を並べただけ。 それでも、赤いあざやかな色のレジ番号の所在表示が 天井にづらっと並んでいるのは、壮観です。 「POPの風船か」 でも、黄色で大き目のものですから、 いやがうえにも目立ちます。 奥方と娘、 「お腹減ったわ」 「そうねえ」 昼食を取りに食堂に行きます。 入って1ケ所だけ、 それも、日本のスーパーの軽飲食コーナー程度のもの。 店の名前は、Radio Grill。 粗末なテーブルに着きます。 娘に注文を任せたら、 ホットドッグ、ハンバーガー、ピザ、 そして、プレッツエルとポプコーンを買ってきました。 オトーサン、 「この娘、半分現地人なんだ」 ドリンク類は、お金を払うと、 巨大な鮮やかな色のポリカップをくれ、 それで、マシンからセルフで注ぎます。 コーラやコーヒーが飲み放題。
お昼時なのに、そんなにひとはいまん。 オトーサン、 「これ、直営かなあ」 娘、 「そうじゃない?」 奥方、 「アメリカ人って、いつもこんなものばかり 食べてるのかしらね?」 娘、 「日本人が、ぜいたくすぎるのよ。 あたしが留学していたところなんて、 もっとひどかったわ」 奥方、 「ほんとうに、貧乏人ばかりね」 さっきまで、アウトレットとはいえ、 有名ブランド店にいた奥方は、著しく不満顔です。 「何で、ああ肥ってばかりいるのかしらね」 黒人も、貧乏そうな白人も、 メキシコ系の女性もみな腰の周りが 異常に肥っています。 椅子から肉がはみでている感じ。 歩くのも辛いそうです。 オトーサン、 「ウォルマートは、貧乏人の天国か。 まあ世界中に飢えているひとが多いなかで、 貧乏人が肥っていられるなんて、 天国だよ」
オトーサン、 お昼を食べて、 「さあ、店舗見学だ。 あとでいいから、主婦としての感想をのべてね」 そう奥方に頼みます。 「....」 奥方の頭は、すでに高級ブランド店のほうに 向かっているようです。 オトーサン、 やたら張り切っています。 何しろ、ディスカウント・ストア一本槍だった ウォルマートが政策を一変して、 食品を併設した巨大店舗スーパーセンターを オープンしたのが、1988年。 随分長い間、是非見たいと思っていたのです。 別の方向に行きかける奥方を引きとめます。 「食品売り場から見て行こうや。 おい、このクロワッサン、6ケで2.97ドル。 安くないか?」 奥方は、パンには目もくれず、 野菜売り場を一瞥して 「こんなの見たってしょうがないじゃないの」 確かに、日本のスーパーのほうが 種類も豊富で、ずっと洗練されています。 「そんなこといわないで、一応、見てよ」 「このアスパラガス、なによ。 太いし、先がしなびているじゃない」 奥方にかかっては、 世界一のウォルマートの野菜売り場は、散々です。 「バナナは、どうだい? ジャガイモも安いだろう」 「...そうね」 気のない返事が返ってきます。 奥方にいわせれば、 生鮮野菜の少ない野菜売り場なんて、 クレープを入れないコーヒーみたいなもの、 いや、それ以下です。 オトーサン、 ウォルマートを弁護します。 「要するに、ウォルマートは、 生鮮野菜で勝負していないんだ」 奥方、 「そんなこと言ったって、 ダメなものはダメよ」 そんな奥方のご機嫌が回復してきたのは、 食肉売り場でした。 「どうだい? この肉のブロック」 「大きいわねえ。 でも、こんなのどうしょうようもないわね」 枝肉をそのまま売り場に出したような 大きなブロックが並んでいます。 日本では、冷蔵庫に入り切れないでしょうし、 料理もしづらいでしょう。 オトーサン、 ついステーキに目がいきます。 「お勘定のことを気にせず、 たらくふステーキを食べたーい」 これは、平均的日本人の潜在願望でしょう。 それが、こちらでは、 ステーキだって、1ダースでパック。 「ステーキ3.7ポンドが、10.76ドル。 ということは、1ホンドが約453gだから... えーと...」 電卓を叩きます。 「1676gか。 それから、いま1ドル120円として、 1291円。 ...すると... 1000円出せば、 1.3Kgのステーキが買える。 そういうことになる」 奥方に説明します。 「ステーキ100gが77円だぜ」 奥方、 「肉質によるわよ」 オトーサン、 「でも安いだろう」 「....」 娘の品物選びは、真剣です。 買って、自宅に持ちかえるつもり。 「これ、安いわね。 鶏の手羽先が24本入りで、4.6ドルよ」 オトーサン、 「そんなに重いもの買うなよ。 第一、家に帰る前に溶けちゃうよ」 結局、娘は、ベーコンの巨大パックを買いました。 オトーサン、 ほかの買い物も持たされて 「重いなあ」
オトーサンたち、 このあとチーズ売り場、冷凍食品、 ドリンク類の売り場をひとわたり見ました。 「うわ−っ、ミネラルウォーターだけで こんなに広いわよ」 オトーサン、 「水も重いし、日持ちする。 なるほど、ウォルマート向きの商品だ」 そんなことで、 ウォルマートの食品売り場の コンセプトがようやく分かってきました。 「生鮮野菜や魚は思い切って切り捨てる。 肉やハム、ベーコンなどの加工品、 チーズや冷凍食品、ドリンク類など日持ちするものに絞り、 食生活における必需品だけを 他店では真似できぬ低価格で、 まとめ買いしてもらう」 あくまでも、ディスカウントが基本で、 その延長で、それに適した食品を 選び出しているのです。 「うーん、自分の強みを徹底的に生かしている。 流石、ウォルマートだ」
オト−サン、 大事なことを言い忘れました。 最初に食品売り場に向かったのですが、 レジと食品売り場の間に、 どーんとエアコンが山積みされていたのです。 「124ドル!1万5千円だぜ。 これ、買って返りたいなあ」 ちらっと見ただけなのですが、 5400kwとありました。 「それにしても、 最初に、超お買い得商品を、 しかも、いまのこの暑い盛りの必需品を 展示して、強烈な安さをアピールする手法は、 なかなかのものです。 ところが、それだけではなかったのです。 売り場を歩いていると、 至るところに、 商品のPOPが陳列棚に張ってあったり、 横に突き出ていたりするのです。 そこには、 "Wow!" "We'll Match It" と書いてあります。 「スゴイ!」 「わが社はやるぞ」 そんな意味でしょうか。 娘が、 日曜雑貨のコーナーで、 トイレット・ペーパーを物色してういます。 「ブランドの数はあまりないわね。 有名ブランドがいくつかあって、 あとは自社ブランドでしょうか。 娘が、2ケ入りのパックを手にとっていると 通りかがりのおばさんが 「そんな高いの買っちゃダメ」 と注意します。 「...???」 おばさんが指しているのは、 2ダース入りの巨大パック。 オトーサン、 その大きさにびっくり、 値段をみて、またびっくり 「4.98ドル。 600円。1ケあたりにすると、 25円だぜ。 安くないか」 娘は、おばさんが立ち去ったあと、 2ケ入りを買います。 「これでもマンハッタン価格の半値よ」 オトーサン、 このエピソードのあと、 注意してPOPが出ている商品を見ましたが、 それが該当するのは、 全商品ではなく、 目玉商品に限られているのは当然ですが、 揃いも揃って大量にパックされたものだけに 張られているのです。 「まとめ買いをしよう」 絶えず、そういう呼びかけがなされているのです。 大量仕入れによる低価格を支えているのは、 こういう、消費者ひとりひとりの まとめ買い=大量購入の習慣化なのです。 娘がいいます。 「パパは ウォルマートに肩入れしているから、 言いにくいけど、 ここの従業員のお給料、安いようよ」 「そうかい?」 そういわれてみれば、 以前より、従業員の顔色がすぐれていないような 感じがしないでもありません。 創業者のサム・ウォルトンは、 従業員をアソシエート(仲間)と呼んだり、 自社株をもたせて、急成長のなかで、 運転手でも大金持ちになれた時代は もう終わったのかもしれません。 そうすると、仕事ばかりきつくて、 組合もない会社への反発が 正直に顔色にあらわれてきたのかもしれません。 オトーサン、 トイレに入ります。 用を足して鏡をみると、 そこに簡易視力検査表が貼ってあります。 "Free" 無料でやれるというのですが、 最近、お店に併設しはじめたVision Centerの 広告でした。 トイレを出たところの壁には、 店長のScott Satterfieldさんの顔写真。 「冴えない中年男だなあ」 娘が袖を引きます。 「これ、現在の株価よ」 「ふーん、"STOCK 57.39$"と書いてある。 こんなところに貼るのは、どういう狙いかなあ」 よくいえば、 目につく場所で情報公開でしょうが、 もっとよい目につきやすい場所は、 低価格の宣伝文句やPOPで 埋めつくされているからでしょう。 そして、すぐ目の前に、 やや照明の暗いコーナーがあります。 おばあさんが何やら中年の冴えないおばさんと 話あっています。 「そうか、これが返品コーナーか。 それにしては、大型TVとか勉強机とか 大物商品が積みあげられているなあ」 オトーサン、 娘に助けを求めます。 「ねえ、ちょっと、あのおばさんに、 ここで何をしているか聞いてみてよ」 「パパ、自分で聞けば」 そういいながら、聞いてくれるのですから、 持つべきものは、よい娘。 「あのね、ここ取り置きコーナーなんですって」 「取り置き?」 「そうなの。 買いたくなったれど、お金がない。 でも、売り切れたら困る。 お金が溜まったら、買いにくるというわけ。 60日間は有効なのですって。 ほら、壁に"LAYAWAY PLAN"の説明があるでしょ」 「そんな悠長なことを言っていないで、 カードで買えばいいじゃないのか」 「ウォルマートのお客さんには、 カードを持てないひとが多いのよ」 「そうか、低所得だから銀行に相手にされない、 カードも持てない」 「そうよ。アメリカには、そういうひと多いのよ」 オトーサン、 納得しました。 ウォルマートの新しい視点です。 「貧乏人の味方」 最後に、 レジで並びました。 みな大型のカートに商品を山積みしているので、 30くらいレジがあるのに、行列です。 オトーサン、 並ばされるのは大キライ。 「なんで、みんな、ウォルマートに乗せられて、 あれこれ見境なく買いまくるんだ」 どこか空いているレジはないか、 うろうろします。 「あった!がらがらじゃん」 見ると、アイテム数20以下のひとは こちらと書いてあります。 "Express checkout" オトーサン、 感心しました。 「少ししか買わなくても、馬鹿にされないんだ」 このあたり、 いくつか気になる点もありましたが、 ウォルマートの創業者サムの 人柄の温かさと 客の心を読む商売人としての 優れた着眼点が、 店全体ににじみ出ているようです。
店を出て振り返ると、 おなじみの看板が見えました。 "Always Low Prices" オトーサン、 「うーん、なるほどなあ。 看板に偽りなしか」
オト−サン、 銀行があまりにでかい態度なので、 頭にきているひとりです。 「銀行税、いいねえ、やれやれ」 石原都知事に賛同しています。 都心のいい場所を占拠して、 午後3時に窓口閉鎖では、 都心の一等地のムダ遣いもいいいところ。 銀行、 「貧乏人は相手にしない、ATMに並べ」 オトーサン、 「お前のところに、なけなしの金を 無利息同然で預けてやってるんだぜ」 銀行、 「預ってやってるんだから、有難いと思え。 タンス預金してみろ、不安だろうが」 オトーサン、 大いなる不満をもちながらも、 日本の銀行に忠節を誓ってきたのですが、 浮気することにしました。 お相手は、外国銀行。 ブロンドの美女。 その名もシティ・バンク。 そもそもの発端は、 娘のボーイフレンドのひとりが シティ・バンクに勤めたこと。 その薦めもあって、 奥方は、口座をもち、 高利回りのドル預金も手がけました。 「あのな、高金利に釣られてなよ、 為替変動で損することもあるんだよ」 ところが、日本経済の不調 ドル高が長いこと続いたので、 奥方はご満悦です。 「111円で買ったけど、 いまは129円よ。しめしめ」 オトーサン、 それを脇目にみて、数年過ごしました。 ある日、たまたまヒマだったときに、 五反田の割と便利な場所に シティ・バンクの支店が移転してきたので、 「よーし、おれも外国銀行とやらに口座を持とう!」 何やら重々しい感じの窓口で、 口座開設の手続きをしました。 金利は、 オトーサンが預金した金額では、 たいしたことありませんが、 「窓口が24時間オープン」 これが、魅力でした。 シティバンクのもうひとつの魅力は、 海外旅行のさいに、 カード1枚で簡単に自分の口座から ドルを引きだせること。 世界中に支店がありますから、 これは便利です。 現地で、日本円を両替したり TCをドルに替えてもらうには、 いちいちパスポートを見せなければなりませんが、 シテイの場合は、カード1枚あれば、 日本と同じ感覚でお金を引きだせるのです。 古今東西、 お金持ちになる秘訣は、 ただひとつ。 「入るを計って出るを制す」 これに尽きます。 ところが、 オトーサンは、 まったく正反対のことをやっております。 普段から、 入るを計る技術もないのに、 出るを計る技術にかけては天下一品。 それにシティカードが加わったのですから、 シテイの口座残高が減る一方なのは、 火を見るよりも明らかです。 「なあ、残高がいくらになったら、 口座手数料を取られるんだっけ?」 なーんて、奥方に聞くくらいですから、 シティと取引のあるひとは、 オトーサンの残高は推定できるでしょう。
さて、前置きが長くなりましたが、 オトーサン、 NYの娘のアパートに程近いシティバンクに 出向きます。 成田空港で両替した2万円は、 160ドルほど。 底をついてきたのです。 「いくらぐらい出そうかなあ。 持っているとすぐ費う性質だし、 ないと不便だし...」 カードをATMに入れるときに迷っていました。 いま思えば、それが間違いのもとだったのです。 物事、優柔不断は禁物。 シティが便利なのは、 カードを挿入して最初に現れるのは、 言語選択画面だということです、 オトーサン、 迷わず、「日本語」にタッチします。 一度は、 「english」とか 「espaniol」などを押してみたい 気がしないでもないのですが、 それは禁じ手。 もし、妙なことになったら、 カードが出てこなくなるかも知れません。 自分のパソコンなら誤動作は、 ある程度許されますが、 シティを相手にそれは失礼です。 オトーサン、 次に、暗証番号を入力。 「えーと、何だったっけ。 ああ、そうそう」 その次に出てくるのが、 金額選択。 50ドル、100ドル、200ドル...と いろいろな数字が並んでいます。 「200ドルにしておこうか」 その後、考え直します。 持っていると、つい使うのです。 「それに、VISAカードもあるし、 ほとんどの買い物はそれですむからなあ。 やっぱり、100ドルにしようっと」 そこで、取引終了を押します。 カードが出てきます。 オトーサン、 最初からやり直します。 100ドルを押します。 すると、さっきまでは気づかなかったのですが、 小さな字で、12616円とかいう数字が出ています。 もたもたしているので、 後ろの行列が長くなっています。 「12616円? ひょっとして、日本円が出てくるんじゃないだろうな? いや、そんなハズはない。 でも、今日のこの為替レートだと損するのかも」 そんな疑問がわき出てきました。 「よく考えてからにしよう」 オトーサン、 そこで、また、取引終了を押します。 そこへ奥方の声。 「お金、おろしておきなさいよ。 せっかくここまで来たののだから」 オトーサン、 後ろの行列が猛烈に気にかかってきました。 全部、外人です。 このところ、日米関係は比較的安定してはいるものの、 日本人は、何事につけ、 もたもたしているという悪印象を、 これ以上、与えてはなりません。 オトーサン、 すばやいキータッチで暗証番号を押します。 「しまった。入力ミスだ」 再び、最初のカード挿入からやりなおしです。 オトーサン、 自分に言い聞かせます。 ミスショットのあとのおまじないを唱えます。 「落ちついて、落ちついて。 リラーックス」 霊験あらたかで、 今度は、まちがいなく暗証番号を入力できそうです。 「あっ!」 何か、見慣れぬ文字が出てまいりました。 "Sorry, we can't do it right now" (只今、お扱いできません) 「そんな馬鹿な! おれは、一度も借金を踏みたおしたことないぞ。 公の場で、シティを非難したこともないぞ」 とりあえず、そのATMから離れることにしました。 オトーサン、 奥方に相談します。 「まあ、機械故障ということもあるからな」 「そうね、別のATMでやってみたら」 間を置いて、別のATMを試してみます。 "Sorry, we can't do it right now" 4台ほど験してみましたが、すべて同じ答え。 「ふーん、見事に意思統一されている」
オトーサン、 思いあまって、 カスタマー・サービスの黒人に相談します。 "Japanese? Foreigner? I dont know Why..." あとは肩をすくめるだけで、 相手にしてくれません。 "Try another machine" 「...そんなこと、さっきから何べんもやったよ」 まったく頼りになりません。 オトーサン、 "Thank you" と皮肉を言ったつもりで、 シティを出ました。 オトーサン、 その後、マンハッタンの ペン・ステーションのそばのシティバンクで カードをためしてみましたが、 いずれも答えは同じ。 "Sorry, we can't do it right now" 「おれ、もう空で、この文章言えるようになったよ」 奥方、 「あの女性、親切そうだから、 相談してみたら?」 彼女は、 ふむふむとオトーサンのたどたどしい説明を聞いてくれて、は、 ふむふむとオトーサンのたどたどしい説明を聞いてくれて、 "Show me your card" カードの裏面を示して、 ここに電話してごらんなさいというのです。 「そうか、ここに電話番号が書いてあったんだ。 カードの裏なんてはじめて見た」 オトーサン、 娘のアパートに戻って、 OVERSEAS 81-3-5462-9275に電話。 「おっと、011をつけねば」 無事、日本につながります。 でも、女性の録音テープ。 「...にご用のある方は、4を押してください」 といった調子。 どの番号に該当するのかなあ。 女性の録音テープ、 「暗証番号の変更の方は....を押してください」 オトーサン、 「いっそのこと、変更してしまおうかなあ。 いやいや、もう少し録音テープを聞こう」 すると、最後に いい情報が聞こえきました。 「カスタマーサービスは、0番か。 これにしょう」 オトーサン、 0を押します。 ややおいて、 「はい、カスタマー・サービスです。 ご用件は?」 流暢な男性の声です。 日本語の声! オトーサン、 「困ってるんだ。助けてほしいんだ」 男性、 「はい、どういうご用件でしょうか? ふーむ、ふーむ。 そうですか。 では、お差し支えなかったら、 カード番号の下7ケタをお教えください」 オトーサン、 「カード番号って? 下7ケタ?」 男性、 「カードの表に16ケタの番号があると 思いますが」 オトーサン、 「うん、あるある」 男性、 「その下7ケタを読み上げてください」 オトーサン、 「下8ケタでなくていいの?」 男性、 「結構です」 オトーサンが読み上げると、 男性 「では、暗証番号を押してください」 オトーサン、 「あのね、押すのは構わないけど、 大丈夫だろうね、セキュリティのほうは」 男性、 「大丈夫です.... えー、それでは、いま電話をおかけになっている ところの電話番号をお教えください。 折かえしお電話いたします」 オトーサン、 この電話、切らないでよ。 ライフラインなんだから」 男性、 「はい分かりました。私、久保ともうします」
オトーサンにとっては 永遠と思われる時間が過ぎて、 しかし、実際には、 しばらくして、 電話がかってきます。 オトーサン、 電話にとびついて 「はい、はい、待ってました」 久保さん 「●●さんですか」 オトーサン、 「はい、●●です。 確かです、本人が言うことですから」 久保さん、 「ははは。 では、念のために、 東京のほうのご住所と電話番号をお教えくだい」 オトーサン、 住所と電話番号を言います。 久保さん、 「口座を開設した支店名は?」 オトーサン、 「五反田支店。娘の友人がシティにいて薦められたもので」 久保さん、 「そうですか。 よろしければ、口座残高がどのくらいか お教えください」 オトーサン、 「少ないけど、言っても怒らない?」 久保さん、 「結構です。身元確認のためですから」 オトーサン、 大事な個人情報を あらかた久保さんにもらして、 すっきりしました。 「もうこれで、ひと安心、 カードが使えるようになるだろう」 ところが、 返ってきた答えは、 「●●さま、大変申しわけないのですが、 カ−ドの解除は、日本ではできません。 そのカードで、シテイ以外の PLUSとかのマークのある場所でならば、 いつでも引き出せますので、ご安心ください」 オトーサン、 「だって、その場合は手数料を取られるでしょう」 久保さん 「はい、そうですが...」 オトーサン、 「あの、何日後にアラームが解除されるか 教えてくれない?」 久保さん、 「それは、私どもには分かりません」 オトーサン、 最悪の事態を覚悟しました。 「じゃあ、もしかすると、 日本に帰っても、引き出せないの? 自分のお金なのに」 久保さん、 「それは、ご安心ください。 日本では何の不都合もなく引きだせます。 アメリカのシティが最近セキュリティを強化するために 導入しただけですから」 オトーサン、 「すると、日本は、あまり安全ではないということ?」 久保さん、 「まあ、物は考えようですが...」 オトーサン、 翌日、シティに行って、 もう一度トライ。 "Sorry, we can't do it right now" (なお、1週間後も同じでした。 NYから帰国する朝に もう一度験してみましたが、 答えは、同じ。 "Sorry, we can't do it right now" 見飽きた英文が出てました) その日、 オトーサンは、 「よーし、もうシティカードなんか使わないぞ」 そう言って やおら、VISAカードを出して、 シテイのATMに挿入します。 まったく同じ手順で、 問題なく200ドルが出てきました。 オトーサン、 じっくりと、 シティカードを手にとって見ます。 「いいカードだなあ。 青い色も素敵だし、 デザインもなかかかいい。 それに、あまりお金を遣うなよという 機能までついているんだから」 奥方、 「アメリカで使えないような カードやめてしまいなさいよ」
オトーサン、 いま、ボストン行きの列車の中で、 この文章を書いています。 時々ゆれますが、座席もゆったり、 日曜日というのに乗客も少なく、 2人掛けひとり占め。 おまけに電源付です。 「バッテリーの寿命を験そうと思ったのに...」 NY-BOSTONは、約4時間の旅。 本を読み、昼飯をたべ、居眠りしていると、 もうあと小1時間で、ボストン。 奥方が、 地球の歩き方を読んでいて 新発見。 「サウス・ステーションでなく、 バックベイのほうがホテルに近いわよ。 歩いていける距離」 オトーサン、 「それじゃあ、着くまでに あと30分しかないのか」 と、ここまで書いたところで 車内アナウンス。 "Within few minutes the train will arrive at Back Bay Staion. Don't forget parsonal Belongings" オトーサン、 あたふた。 このファイルを上書き保存し、 メモ帳を終了し、 スタートボタンをクリック、 次に終了オプションから 電源を切る。 もう駅のプラットフォームが流れていきます。 「大変だあ。間に合わないかも」 VAIOの蓋を閉じ、 AMTRAKのコンセントから コードを抜き、 ぐるぐるっとまとめて鞄に入れます。 もう降り口のところにいる奥方に 追いつきます。 「何か、忘れものなあーい?」 「あっ、座席の前の袋をチェックするのを 忘れてた!」 オトーサン、 息せききって座席に舞い戻ります。 「あった!」 カメラを置き忘れていました。 オトーサン、 このドサクサ騒ぎと その後のボストンの午後のめまぐるしさのなかで、 すっかり、NYでの出来事を忘れてしまいました。 おそらく大したことをしなかったせいでしょう。 朝食を取りに外出して、 帰宅してパソコンをやって、昼寝。 午後、散歩に出て、 帰りに高級スーパーでちょっと買い物して、 帰宅。また時差の関係で昼寝。 娘が帰宅すると一緒に食事。 そのあと少しパソコンうをやって9時には就寝。 深夜にめざめて、 DVDで映画を見る。 そんな繰り返しでした。 オトーサン、 われながら情けない感じがします。 「年とって元気がなくなったでいかなあ。 音楽会にも行かなかったなあ。 ブロードウエイにも行かなかった。 映画も見なかったし、 美術館にも行かなかった。 知人と出会ってグルメなーんていうこともなかったし、 一体、おれ、この一週間、何してたんだろう?」 まあ、パソコン三昧のNYも、また、よしです。
オトーサン、 基本的にボストンが好きです。 最初に来たのは、もう35年前。 慶応義塾大学の名物教授、 村田昭二さん率いる視察団に参加して、 ハーバート大学を視察。 生協で記念にネクタイを買ったりしました。 その後、大学前の酒場で、 みんなで、大いに盛りあがりました。 その時、はじめて知ったのが "Samuel Adams"なるビール。 「へえ、サミュエル・アダムスって、 建国の英雄の名前なのか」 このひと、急進派で、 アメリカ独立の引き金となった ボストン茶会事件を引き起こしたひと。
あのハンサムなケネディ大統領が 生まれたのも、この地。 そんなことも手伝って、 NYの娘の家にいるときでも、 晩酌は、"Samuel Adams"。 娘も、最初にアメリカに行ったときの ホームスティ先が、 ボストン近郊のタングルウッド。 そんなことで、 大のボストン・フアン。 「町もきれいで落ち着いているし、 みんな知的で、親切だし」 オトーサン、 ボストンは、これで4回目ですが、 ファニエル・マーケットの 肩が触れ合う雑踏のなかで、 屋台に毛のはえたような店に行き、 まず、クラムチャウダーで お腹を整えてから、 生きのいいロブスターを肴に、 本場の新鮮な"Samuel Adams"を飲む、 それが、毎回の定例行事。 今回もそれがボストン行きの 目的のようなもの。 午後1時半、 ボストンのバックベイ・ステーションに 到着。 出発が30分遅れましたが、 ほぼ取りもどしたようです。 駅のすぐ目の前が 巨大ショッピング・センターの Copley Place。 ニーマン・マーカスや サックス・フィフス・アベニューといった 百貨店、 ティファニー、ルイ・ヴィトンなどの 高級ブティックのあるフロアを抜けていくと、 マリオット・ホテルにつきます。 このホテルは、2度目です。 オトーサン、 すぐにチェックインできて ほっとしましたが, フロントの女性の言葉が、 一瞬聞きとれませんでした。 "Hajimemashite" よほど、 "Would you repeat your phrase?" と問い返えそうと思いましたが、 キーカードも、無事、もらったことだし 手間取りたくないので、やめました。 部屋は、25階。 エレベータは、 27階までとそれから38階までが 別のものになっています。 オトーサン、 「中層階だけど、 この前泊まった時の部屋よりも いい眺めだなあ」 奥方、 「あれ、確か、 チャールズ・リバーだったわよね」 とご機嫌です。 前面180度に川が横たわり、 川向こうが、 MITやハーバード大学のある ケンブリッジでしょうか。 手前には、ボストンきっての にぎやかなNewberry Streetの 低いビルが延びています。 欲をいえば、手前にある高層ビルが その風景を遮っていることでしょうか。 オトーサン、 荷物整理が終わったところで、 奥方に話しかけます。 「さっきのフロントの女性、 なんか変な日本語しゃべっていたなあ」 奥方、 「"はじめまして"って、言ってたわよ」 オトーサン、 「そうか。日本語だったんだ。 でも、あの場面で、あんな使い方しないよなあ。 "Iratsushaimase"か、 "Youkoso、Marriot Hotel ni"だよなあ。 教えに行ってやろうか?」 奥方、 「よしなさいよ。 せっかく、得意になっているんだから」 オトーサン、 この後、あわただしく、 観光案内所で地下鉄の3日間パスを買い、 レンタカーの予約をしに 隣のWestin Hotelにある Hertzを探しに 広大なコンプレック内を、走りまわりました。 ロビーを通りぬけるときに、 「はじめまして」の彼女を見かけました。 オトーサン、 ほんとうは、近づいて行って 話たかったのですが、 そばに奥方が控えているので、 やめておきました。 「可愛い娘だったなあ。マリリン似の」 その後、 地下鉄グリーンラインに乗って ブルーラインに乗り換えて State駅で下車。 ファニエル・マーケットに行きました。 肩が触れ合う雑踏は変わっていませんが、 ブティックやしゃれたカフェが増えて、 屋台に毛のはえたような店がどこにあるのか 分からないようになっていました。 「あった」 お目当ての店を発見。 まず、クラムチャウダーで お腹を整えてから、 生きのいいロブスターを肴に、 本場の新鮮な"Samuel Adams"を飲みました。 「ここは、昔のままだなあ」 店員は、トルシェ監督のようなブラジルの青年。 「ジーコを知ってるか?」 オトーサン、 初級日本語会話の相手をしました。 内心、ぶつぶつ。 「おれ、昔の思い出にひたってるんだから、 最近の話なんかで、じゃましないでよ」
オトーサン、 かねてから一度、 鯨なるものを見てみたいと 念願しておりました。 日本だと、小笠原とか高知沖でしか見られません。 ところが、 ホテルの旅行案内所をうろうろしていると、 パンフレットのひとつに、 Whale Watchesなるものがありました。 案内のおばさんに、 "We want to see the whales" 変な英語で語りかけました。 whalesは、 大洋ホエールスでおなじみ。 ところが、 オトーサンが、 何度正確に発音しても 「???」 状態です。 パンフレットのクジラの写真をみて "Oh,Whale!" あとは親切にホテルから地下鉄までの 歩き方を白地図にブルーマーヵーで記入し、 地下鉄は、ここで乗り換えて Aquariumで降りろと教えてくれました。 "Thank you so much" とお礼を言って、退散。 オトーサン、 「オエーかよ」 奥方、 「ボストン訛りなのかしら。 下品な発音ね」 そんなことで、 翌朝、9時半発の ホエール・ウォッチングに出かけることにしました。 さて、当日、 この日の天候は、 ホテル差し入れのUS Todayによれば、 Plenty of sun つまり、快晴。 ほんとうに雲ひとつないのです。 気温は、82/66。 こちらは、華氏表示ですから 華氏80が27℃、華氏60が16℃ で換算すると、 最高気温が28度、 最低気温が19度といったところでしょうか。 パンフレットに、 "Bring a light sweater or jacket" と書いてあります。 オトーサン、 「おまえ、そんな格好じゃ寒いぞ」 「だって、NYは真夏だというから、 あたし、厚手の衣服なんか持ってこなかったわよ」 でも、衣服の件は、杞憂に終わりました。 いい天気で、気温は30度近くありそうです。 乗船待ちで行列していると、 「暑いなあ」 オトーサン、 暑い日差しで、半袖1枚になってしまいました。 いよいよ出発。 白い船体は3層構造。 2層目の甲板の椅子にみな殺到。 奥方、すばやく自分の席を確保して、 残ったわずかな隙間にバッグをおいて オトーサンを招きます。 オトーサン、 首を振って、イヤイヤ。 別に喧嘩したわけではありまえんが、 そんなに必死に席を確保するまでもありません。 風が強いから、 どうせ、すぐにその席は開くはずです。 オトーサン、 この船がすっかり気に入りました。 "Boston's ONLY 3-hour whale watch!" という宣伝文句は、 ウソッぽく感じたのですが、 走り出すと、 「うん、この"High Speed Catamaran"なら、 あるいは、クジラの見える海までいけるかもなあ」 そう思わせる走りです。 この船、すぐれもので、 最高速度は、時速40マイル。 ボストンの高層ビル群が どんどん遠ざかっていくではありませんか。
オトーサン、 ひとわたり船を見学した後、 船室へ。 がらがら、 家族3人がトランプをやっています。 あちらでは、家族5人で食事中。 オトーサン、 3人がけの椅子にゴロン。 心地よい眠りを楽しみます。 「高速艇の割には、静かだし、 ゆれもすくないなあ」 毎夜、DVDで映画を見ているし、 朝は5時起きでパソコン。 そして6時からホテルのプールで水泳。 もう10時になれば、 オトーサンの体内時計では お昼寝時間です。 奥方がやってきます。 「何やってるのよ。せっかくの船旅なのに」 オトーサン、 「どうせ、クジラなんか見られるはずないし、 景色も青い空と青い海だけなんだから、 ノンビリ寝ているのに限るよ」 奥方、 「29ドルも出して、クジラがみられなかったら、 詐欺みないたなものね」 オトーサン、 「さっき、乗船したとき、 ロープを操っている乗組員のおじさんに "Can we see a whales?"って聞いたら、 首を振っていたよ」 奥方、 「そうよね。 1時間走っただけで、 クジラが見られるはずないわよね」 あたし、ボストンの遠景撮ったわよ。 飛行機が海面すれすれに飛んでいる のは、撮れなかった」 「ローガン空港だったっけ」 「そうよ、このSONYのデジカメ、 起動に手間どって いつもシャッター・チャンスを逃すのよ」 オトーサン、 そんな奥方の愚痴を聞きながら、 心地よい眠りに誘われます。 やがて、船の速度が落ちます。 エンジン音も静か。 くじらのいる海域に到着したのです。 オトーサン、 「よっこらしょ」 と言って、 「これは禁句だ。 よっこらしょと言うようになったら、 老人だそうだから」 そう再確認しながら、 甲板に出ました。 先ほどの争って座った席が がらがらだったので、ドスンと座ります。 奥方が、どこからか近づいてきて 座ります。 オトーサン、 納得します。 「そうか、このひとは、 もう還暦になったというのに、 甲板にふたり肩を寄せあって座るという ロマンティックな雰囲気を愛しているんだ」 オトーサンの脳裏には、 大昔に流行した「ハワイ航路」のメロディが 浮かんでまいります。 ♪晴れた空、そよぐ風、 港、出船の銅鑼の音、楽し 別れテープを笑顔で振れば、 あああ、憧れのハワイ航路 「あつ、クジラが見えた!」 奥方が叫びます。 若い小太りの女性説明員のマイクの音が ひときわ、甲高くなります。 乗客がみな係員の指さすほうを見つめます。 「おお!見えた!」 オトーサン、 感激します。 奥方、 「見えるのよねえ」 オトーサン、 「これで29ドル損しないですんだ」 見えたのは、7回くらい。 それも、海面からジャンプしたり 巨大な尻尾をばたばた振るような 壮絶シーンではなく、 遠くの海面に背びれが見えかくれする程度でしたが。 ホテルに戻って、 オトーサン、ぼそり。 「まあ、ネス湖の怪物を目撃したようなもんだな。 背びれしか見られなかった」 奥方、 「あたし、アタマも見たわよ。 あなた、どこ見てたのよ」 オトーサン、 あえて返事をしませんでした。 正直に答えようものならタイヘン。 「若い女性がいっぱい居たろ。 見事な太腿だった」 このボストンの ホエール・ウォッチング・ツアー たとえ、クジラが見られなくても、 太陽がいっぱい、 若い女性がいっぱい。 十分ペイします。 満足を保証します。
オトーサン、 魔女狩りにチョッピリ興味があります。 日本でも、鈴木宗男パッシングは、 一種の集団ヒステリー現象。 嵐が吹き去ってみると、 田中真紀子さんも消えている始末。 オトーサン、 ボストンに行ったからには、 魔女狩りの本場セーラムを 覗いてみたくなりました。 「でも、観光バスはいやだなあ」 ぞろぞろ歩くのは、 見たいところに時間をかけられないので ごめんです。 「そうか、地下鉄と郊外鉄道を利用すれば、 小1時間で行けるんだ」 地球の歩き方を精読した結果、 グリーンラインで、ノースステーションまで行き、 そこからコミューター・レイルに乗れば、 30分でセーラムに着くとあります。 「よーし、これにトライしてみよう」 翌朝、 オトーサンたち、 まるで小学生がはじめて電車に乗るような 緊張感で、ホテルを出ました。 ノース・ステーホンまでは、 簡単です。 ホテルのあるCopley駅から、 数えて6つ目で下車すればいいのです。 「おい、ノース・ステーションの乗り場、 どこにあるのかなあ」 「どこかしらね」 どの国でもそうですが、 経営がちがうと、駅と駅がつながっていません。 「ここだ!」 100メートルくらい離れたところが、 駅でした。 「日本から来ました。 セーラム行きは、いつ出発するのですか?」 オトーサン、 親切そうな女性係員をみつけて質問します。 彼女、時刻表を取ってきてくれて、 その見方も教えてくれます。 「ありゃっ、出たばかりだ。 あと1時間15分後だ」 8時台には3本もあるのに、 9時台は45分の1本だけ。 「しょうがない、朝飯でも食べに行こうや」 薄暗い駅の構内にもスナックがありますが、 食欲が沸きません。 駅を出て大きな道路に面して、 マクドナルドやバーガーキングがあります。 「マックに行こうぜ」 「そうね」 「うゎっ、汚ねえ」 「ここ、貧乏人の町ね」 マックはあまりに汚いので、 うらびれてはいるものの、 客室数の多いバーガーキングで バーガーとコーヒーの朝食。 「こんなもの、うまいのかねえ」 「でも、あの娘が留学していた中西部の町では、 一番おいしい店だと言ってたわよ」 「アメリカ人って、かわいそうだよなあ。 こんなものがうまいと思うなんて」 「日本人に生まれて幸わせだと思わなくてはねえ」 9時45分発。 「アメリカの鉄道沿線で、 どうして、こう小汚いのかしらね」 さびれた工場や倉庫が並んでいます。 資材置き場なのでしょうか、 乱雑に放置されています。 「ニューヨークもそうだったなあ」 10時15分。 セーラムに到着。 「海のそば、なんだ」 「何だかわびしいわね」 プラットフォームがあるだけで、 駅前の賑わいなどというものはないのです。 夜になって、 魔女が出てきても不思議がないほど、 さびしい風景です。
「何だ。あれは?」 駅裏に、黄色のタウンハウスが建設中です。 「そうか、30分でボストンに出られるから 魔女の町も、平凡な郊外団地に変ってしまうんだ」 「京都がビルだらけになるようなものね」 オトーサンたち、 そんな風にセーラムを貶しながら、 町の中心部に入って行きました。 「ここらは、なかなかいいじゃないか」 「そうね、このモール、緑にかこまれていて 素敵じゃない。 ビジター・センター、どこかしら?」 「あっ、あの建物じゃないか、 ひときわモダーンな」 「素敵な建物ね」 日本だと、田舎の町で一番立派なのは、 町役場と決まっていますが、 このセーラムは観光で食べていますから ビジター・センターが一番立派のようです。 「早いところ、七破風の家を見て、 ボストンに帰ろうぜ」 「でも、せめて、その前に、 魔女博物館だけでも見ておかない?」 「そうしようか」 オトーサン、 この旅は婦唱夫随と決めていますので、 いやいや従います。 「魔女のアトラクションなんか、 見たって、どうせ面白くないよ」 ところが、このアトラクション、 25mプ−ル大の部屋に入って、 四囲の壁に次々と写しだされる 当時の魔女物語は、なかなか迫力がありました。 早口の英語は、分かりませんでしたが、 魔女狩りに至る集団ヒステリーの雰囲気は しっかりと伝わってきました。 「鈴木宗男のケースとまるで同じだなあ」 このセーラム・ツアー、 やはり、「緋文字」で有名な ナタニエル・ホーソンの実家である 七破風の家が一番の見どころでした。 街路に引かれた赤ペンキの線を たどっていくと、およそ10分あまり、 The House of Seven Gable という標識がみえました。 「何だ。ビジターセンターのおばさん、 歩くと20分かかると言っていたけれど、 えらく近かったじゃないか」 「トロリーにのらなくて すんだわね」 海に面した急勾配の7つの屋根が、 何やら異様な佇まいを見せています。 セーラムは、アメリカ初期に栄えた港町。 潮の香りがただよってきます。
オトーサンたち、 もう一組のアメリカ人夫婦と一緒に ガイドツアーに参加しました。 老婦人は少人数だったので、 じっくりと解説してくれました。 とくに、狭い急傾斜の階段を上って、 秘密の部屋に出たときには、感激しました。 「ウォー、まるで、伊賀の忍者屋敷だ」 オトーサン、 見終わって、 「へえ、太田区とセーラムが 姉妹都市とは、知らなかった」 奥方、 「そんなの、昔から知ってたわよ」 オトーサン、 「お前、そんなこと、 事前に、一度も話してくれなかったじゃないか」 奥方、 「あなた、あたしの話を聞いていなかったでしょ」 オトーサン、 「太田区が姉妹都市だなんて、言ってたか?」 奥方、 「昔、話したでしょ」 オトーサン、 「昔って、いつごろの昔だ?」 奥方、 「昔は、昔よ!」 オトーサン、 だんだん不機嫌になっていく 奥方の顔が、何やら、 魔女に見えてまいりました。
オトーサン、 ボストン美術館には、2回きています。 雪舟の水墨画があって、 「へえ、日本よりいい絵があるじゃないか」 と言って、連れの物知りのひとに笑われました。 「そうなの、明治初期に、 外人が根こそぎ絵画などを買い占めたの? へえ、そんなことがあったの」 オトーサン、 「もうボストン美術館はいいだろう。 パスしようよ」 「そうね」 奥方も一度来たことがあります。 「イザベラ・S・ガードナー美術館に行こうぜ」 意見が一致して、 月曜日の午後、 地下鉄グリーンラインの musium of fine artsで下車。 ボストン美術館の脇をぬけて、 公園沿いに5分ほど、 日ざしが暑いなかを、 汗をかきかき、 イザベラ・S・ガードナー美術館に 行きました。 リュック姿の女子学生の後をつけて 入り口を探します。 「変ねえ?」 四角い敷地をぐるりと一回り。 どこの門も閉まっています。 「変だなあ」 オトーサン、 思いあまって、柵のあいだから 屋敷のなかで水やりをしている男性に 声をかけました。 "Where is the entrance?" "closed" "???" そうでした。 月曜日は、休館日だったのです。 「しまったなあ。 地球の歩き方をよく読んでおけばよかった」 そんなことで、 時間ができたので、 ボストン美術館を見学。 西館いりぐちに 変な人形を発見して、 カメラに収めました。 現代美術画家 Jasper Jonesの特別展を やっているせいでしょうか。 オトーサン、 係員に聞きます。 「日本コーナーーは、どこですか?」 "matsugu itte hidari ni magaru" オトーサン、 "You speak Japanese verry well" "Dou itashimashite" 見終わったあとで、 オトーサン、 奥方にぼやきます。 「どうも、変な日本語をしゃべる外人が多いな。 この街は」 「でも、NETSUKEのコレクションは、 すごかったわよ。 あんなにすばらしいものだとは 知らなかった」 「そのうち、 日本人が外人教師から 正しい日本語を教わる時代がくるかもなあ」
オトーサン、 翌日、 セーラム見学をほどほどに切りあげて 午後4時前に、 イザベラ・S・ガードナー美術館に到着。 「何か歓迎されていない雰囲気だなあ」 狭い入り口で、 ドアも閉まっています。 受付で日本人と分かると、 英文パンフのほかに、 日本語の解説パンフをくれました。 「このあたりは、行き届いているなあ」 目を通すと、 撮影禁止、鉛筆以外の筆記具禁止など うるさいことが書いてあります。 オトーサン、 目の前に広がる中庭の見事な造園に感激して、 やおらカメラを向けようとして、 思いとどまりました。 ガードマンに聞くと、 力強く、"No!"といわれました。 「この美術館、ううさいなあ。 絵を撮るわけではないから、 被害はないと思うけどなあ」 建物は4階建て。 中庭を取り囲むように ギャラリーがあります。 「何か古臭い絵ばかりだなあ」 「あなた、地球の歩き方に また、目を通してないわね」 オトーサン、 ちょっとむくれます。 「魔女は、地球の歩き方がお好きなんかよー」 でも、その後読んでみると、 「なるほど、ここ絵画はつけたりなんだ。 調度品460点、織物250点、 陶器ガラス類240点、その他350点が 主流で、彫刻彫像280点のなかに 絵画290点が埋もれているという感じ。 それも、古いイタリア絵画がほとんどで 地球の歩きかたには、 いろいろな有名画家の名前が列挙してありますが、 絵画にいちいち名前を書いていないので、 さっぱり分かりません。 オトーサンたち、 小1時間で、この美術館を退出。 「すげえ、おお金持ちだなあ」 「4階は私邸だったのね」 「むかつくなあ、あの女、 イザベルとかいう奴」 「あの美術館、 ベニスの宮殿をまねて つくらせたんですって。 家のなかに教会があるのには、 度肝を抜かれたわ」 「あの成金女、いったい どこでお金儲けをしたんだろう?」 「あの中庭、素敵だったわねえ」 この美術館の評価については、 ふたりの意見はすれちがったままでした。 オトーサン、 これまた、後で、 イザベラの素性を調査しました。 「そうか、ボストンの富豪と結婚し、 子どもも生まれて、 何不自由ない暮らしをしていたのに、 悲劇が起きたんだ。 2歳の子どもの急死! 心の傷をいやそうと、夫が欧州旅行に誘う。 そこで美術に開眼。 それから二人のコレクションがはじまったんだ。 それこそ手当たり次第に!」 このひと、 お抱え画家のサージェントの手になる 肖像画では、すごい端正な美人でした。 オトーサン、 「このひと、 ひょっとすると、 魔女だったのかも。 子どもを失った悲しみのあまり、 美という魔物に取りつかれたんだ。 オレも旅先で、 奥方を起こさないように 明るい場所を求めて、 ホテルのロビー、部屋のトイレ 早朝・深夜、時も場所もかまわず こうしてパソコンに向かっているが、 実は、魔男になりかかっているのかも」
オトーサン、 数年前に、 ボストンから北上すること 3時間のポートランドまで、 クルマで行きました。 「楽しかったなあ。 行けども行けども、地平線につづく一本道。 アメリカに行ったら、 また、レンタカ−を借りて、 自在に大地を走ってみたい」 その後、 オトーサンの 目の状態は、極度に悪化し、 運転ができないほどになりました。 レーザー治療をうけようと 医療先進国のアメリカの医者に診てもらうと、 「日本の名医に手術してもらえ。 術後のケアが必要だから」 とアドバイスされました。 その後、いろいろあって、 名医のおかげで、視力は回復。 そうなると、 「もう一度、 アメリカの大地をクルマで走りたい」 という内なる思いが強くなりました。 「そうだ、コッド岬を走ろう} 「ケープコッドって、 どこにあるのよ? そんな場所、聞いたことないわ。 あたし、夏の海辺はきらいよ。 汚くてひとがぞろぞろ。 おー、いや」 そういう奥方の声を聞き流して、 せっせと国際免許の取得にいそしみました。 アメリカの代表的な避暑地、 ボストンにほど近い細長く湾曲した半島です。 コッド岬を見て回ろうとすると、 列車もバスも不便で、 足は、クルマしかないのです。 オトーサン、 出発当日の朝は5時起き。 ハーツとの交渉を控えて、 気持ちが高ぶっております。 「何としても、 ボストンに帰る道順を教わっておかなければ」 午前8時、 ウエステイン・ホテルの ハーツ・カウンターが開きました。 赤い制服のおばさんに、 「Wensdayの朝8時に予約していた者だ」 と名乗り出ます。 おばさんは、慣れたもので、 どんどん彼女のテンポで、 貸出契約書にサインさせようとします。 オトーサン、 説明をさえぎります。 「ちょっと待った! ボストンに帰る道順を教えてくれ」 赤いおばさん、 「道順の話は、後で。そういうものなの」 オトーサン、 「昔、ボストンからポートランドに行った時、 ボストンのダウンタウンに入る出口が分からずに 非常に苦労した。 だから、教えてくれ」 赤いおばさん、 「お前は、ケープコッドから帰ってくるのではないのか? それとも、ポートランドからなのか?」 話が混乱してきました。 オトーサン、 急に頭に血がのぼりました。 「道順は、おれにとってcritcalなんだ。 最初に説明してくれ」 赤いおばさん、 「サインした後、する手筈になっている」 オトーサン、 「わかった、そっちがそういう態度に出るなら キャンセルする」 このキャンセルという英語は 彼女に通じたようです。 このあと、素直に地図にボールペンで 行きと帰りの道順を記入してくれました。 オトーサン、 そんな風で、 クルマ1台を借りるだけの交渉事なのに、 無事、MAZDA626のシートに座ったときには、 もうすっかりバテていました。
オトーサン、 しばらく座ったまま、 数年ぶりの左ハンドルの感じを 確かめます。 「ハンドルは、丸いなあ」 当たり前です。 奥方がいつもは左に座っているのに 今日は、右。 「何か違和感があるな」 ルート95の入口を目指して 走りはじめます。 「10番目の信号まで走れ」 そう配車係りのおじさんに教えてもらいました。 奥方は、もともと地図音痴ですから、 頼りになりません。 そこへもってきて、 英語の街路名の連続ですから、 「いま、何とか通りを過ぎたわよ」 「お前、早めに指示を出せよ」 「そんなこと言ったって、 どこ走っているか分からないだもの」 「じゃ、地図なんか見なくていいから、 信号の数だけ数えてくれよ」 「そんなに次々言われても、困るわよ。 いま地図を確かめてるのだから」 「....」 ルート95には 案ずるは生む易しで、簡単に入れました。 大きな緑の標識が目の前に出ていました。 高速レーンへの進入の時には すこし緊張しましたが、 あとは楽。 3車線だし、 日本のせせこましいハイウエーよりも、 道幅は広いし、 交通マナーもいいので、 実に快適です。 オトーサン、 「アメリカのフリーウエイはいいなあ。 景色はいいし、料金はタダ」 標識を気にせず、30分ほど クルマの流れに身をゆだねます。 低木の森に囲まれてどこまでも 一直線に続く道。 「苦労したけど、クルマ借りてよかったなあ」 やがて、異常に気づきました。 「いま、どのルート走っている?」 「3aよ」 「えっ? ルート95じゃないのか」 「さっき、そう思ったけど、 まっすぐ 3a のほうに行くから、 気が変わったのかと思って」 「早めに言えよな」 「そんなこと言ったって」 オトーサン、 このミスのおかげで 無味乾燥なルート95ではなくて、 海辺の魅力的な風景を楽しむことができました。 ニューイングランドの絵葉書にあるような 村をいくつも通りすぎて行くのです。 「きれいねえ。 今度、家を建てるときは、 ああいうのがいいわねえ」 オトーサン、 「もう家なんかつくる金ないよ。 老後資金がいそがしいから」 そう思いましたが、黙っていました。 せっかく口喧嘩が収まったのに また仕掛けることはありません。 奥方、 「そろそろプリムスよ」 「あとどの位だ?」 「あと少しよ」 「あのなあ、何マイルとか 具体的に言ってほしいのだよ」 「マイルなんて言われても、分からないわよ」 オトーサン、 「...」 奥方は、昔から 地図の距離表示を読み取るという習慣を 持ち合わせていないのです。 「この先に、待避所があるから、 止まろう」 地図を再確認して 出口の名前を口で唱えます。 目と耳と口の3つを動員すると 英語の地名が覚えやすくなります。 「プリムスという標識が出ると、 もうすぐ出口だよ。 だけど、プリムスもいくつか出口があるから、 その出口が、Mayflower号の場所に近いか、 地図で確認してくれよ」 「いいわよ」 そう言ってはくれますが、 研究期間が長びいています。 オトーサン、 内心、ぼやきます。 「さっさと言えよ、 通りすぎてしまうじゃないか」 幸い、標識が現われました。 緑色でなく、茶色で、 観光地や史跡、州立公園の出口案内が出ています。 「出口は、12番だ」 「どうして分かったの?」 「あのな、地図ばかり見ていないで 外の地形や景色を総合的に勘案して、 判断しろうよ」 奥方、 「そんなこと言ったって」 オトーサン、 内心ぶつぶつ。 「昨夜、地図を渡して 研究しておいてくれよ」と言ったのに 手をぬいて、他のことばかりやってるから こういうことになるんだ」 オトーサン そんなことで、 1620年に清教徒が英国から はるばる海を渡ってたどりついた記念の場所、 プリムスにたどりつきました。 海辺には、数多くのヨットが停泊しています。 リゾートの風景そのものです。 そのなかに、メイフラワー号の雄姿が見えました。 「おお、あれだ」 「素敵な船ねえ」
オトーサン、 海岸の駐車場にクルマをとめて 背のばしをしました。 「ああ、やっと目的の地についた。 苦難の道だったなあ」 でも、考えてみれば 102名の乗客と乗組員の体験した 苦労に比らべれば、 こんな苦労、何ものでもありません。 比べるのも、お恥ずかしいような苦労でした。 「ああ、つかれた」 奥方、 「ご苦労さま」 オトーサン、 そのひとことで、 疲れが潮風に吹き飛んでいきました。 「やったぁ、ついに念願のメイフラワー号を この目で、見ることができたんだ」 この後、 船内、プリムス・ロックを見学して 当時の生活を再現した プリマス・プランテーションを訪問しました。 「そうか、最初の厳冬を越せなくて 半数がここで死んだのか」 でも、夏のうららかな吉野ケ里遺跡という感じで、 悲劇を感じとることは、到底できませんでした。 「この世の中、 当事者でなければ、分からないことって たくさんあるんだよなあ」 傍から見ると、 お気楽な愚痴にしか聞こえないかもしれませんが、 オトーサンにとって、 このプリマスの聖地にたどりつくのは、 大変な冒険だったのです。
オトーサン、 3aを南下し、サンドイッチを目指しています。 「地球の歩き方」によると、 「古き佳き日のケープコッドの姿を今日に色濃く残す町」 とあります。 「いいね、いいね。 ところで、どのホテルがいいかなあ?」 娘が問い合わせてくれて、 3軒の候補のなかから、 「ここが一番親切な応対だったよ」 奥方は、 「地球の歩き方」の文章が気にいったようです。 「Dan'l Webster Inn、読みにくいわねえ。 でも、18世紀の雰囲気を見事に現代によみがえらせている って書いてあるわよ。 ダイニング・ルームが素敵なんですって。 ガラス張りのサンルーム風、 窓の外には色とりどりの花々に鮮やかな緑の木々。 鳥たちも集まってくる。 天蓋つきのベッド、大理石のバスルーム 驚きの高級感ですって。 いいわねえ」 そんなことで、ダニエルに2泊することにしました。 オトーサン、 「腹減ったなあ」 奥方、 「あのプリマス・プランテーションで 食べておけばよかったわね」 オトーサン、 「あそこは、スナックに毛が生えたものしか置いていなかった」 奥方、 「その店どう?」 海辺の町にぽつんと1軒あった小さなレストラン。 オトーサン、 急停車しました。 その後、後続車がいないのを確かめました。 「しまった」 田舎の道でよかったようなものの、 やはり気をぬくと ドライブはいつも危険と背中合わせです。 「いいレストランのようねえ」 「Fappianoか、イタリア料理かな」 店中に入ると、照明は薄暗いものの、 老夫婦が数組楽しそうにおしゃべり。 田舎の繁盛店の感じがします。 大柄で元気なおばさんが注文を取りにきます。 奥方は、パストラミ・サンドウィッチ。 オトーサンは、テンダーロイン・ステーキを注文します。 奥方、 「何よ、アメリカでステーキなんか食べるの?」 オトーサン、 「サンドイッチは、後にしたら? サンドイッチに着いてから、 サンドイッチを食べたほうが面白いのに」 奥方、 「ひとの食べたいものに、 ケチつけることないでしょ」 オトーサン、 以下の言葉をぐっと飲みこみました。 「先にケチをつけたのは、お前のほうだろうが」 その代わりに店内を見回します。 壁にやたら映画スターの写真が飾ってあります。 「おお、モンローの写真がある。 グレタ・ガルボもいる。 全盛期の彼女、きれいだなあ。 あれは、「カサブランカ」のボガートだ。 ジェームス・ディーンもいる! あの顔、誰だったかなあ? 「裏窓」の主演男優」 奥方、 「あら、ヘップバーンもいるわ」 オトーサン、 「あの映画スターたち、 もしかしたら、この店に来たのかな?」 奥方、 「そんなはずないでしょ」 オトーサン、 「映画っていいな」って、 あらためて思いました。 老夫婦を仲直りさせる効果がります。 なお、このお店、 ZAGART(BOSTON RESTAURANTS 2002/3)には、 掲載されていませんでした。 「意外に、いい店だったなあ。 ステーキもおいしかった」 「焦げすぎだけど、ジューシーだったわ。 味つけもよかったし」 奥方にも、ステーキは好評でした。 しかし、奥方はサンドイッチを 半分も、 食べられませんでした。 「どうして、こっちのひとって、 こんなに大きいもの食べるのかしらねえ。 わたしたちと違う動物みたいね」 「何しろ、連中は、大型肉食動物だからなあ」 そんな馬鹿話しをしているうちに 前方に大きな鉄橋が見えてきました。 Sagamore Bridge ここをわたると、いよいよケープコッドです。 サンドイッチまで、あと数マイル。
オトーサン、 2度ほど聞いてホテルの場所を探しあてました。 「いいな、いいな。 まるでイギリスの湖水地方の家みたいだ」 サンドイッチは、何もないけれど、 ニューイングランドの面影を残した静かないい町でした。 ホテルもほぼ「地球の歩き方」に 書いてある通りでした。 ...もっとも、オトーサンたち、 部屋代をけちったので、 天蓋つきのベッドではありませんでした。 奥方、 悔しそうにひとこと。 「天蓋つきのベッドなんて、 寝てしまえば、ないと同然よね」
オトーサン、 地球の歩き方で、 ケープコッドの地図をしげしげ眺めます。 「この半島、面白い形をしてる。 氷河のいたづらだそうだけど、 大自然の力ってすごいなあ」 伊豆半島のように、 海にドーンとせり出してはいません。 能登半島のように湾曲。 それも、尋常な湾曲の仕方ではありません。 「バレリーナが、長く細い腕を頭上にかざして、 指先を曲げた形かなあ。 ...かえって分かりにくいか?」 ま、写真を見てください。 プロビンスタウンは、 その半島の先端にあります。 この地形が広い内海を抱いているので、 天然の良港ということで、 18世紀には捕鯨基地として栄えました。 「...ケイプコッド沖は世界的にみても 屈指の豊かな海であり... マサチューセッツ州で もっともホエールウォッチングが盛んなのが このプロビンスタウン」 オトーサン、 この記述を呼んで叫びました。 「おーい、決めた、決めた。 プロビンスタウンに行くぞ」 奥方、 「ハイアニスにも、 マーサス・ヴィニヤード島にも行けないの?」 奥方は、ケネディ大統領など 有名人の高級別荘地を見たいようです。 オトーサン、 「そう、ファルマスにも、 ナンタケット島にも行かない。 プロビンスタウンだ。 ホエール・ウォチングに専念するぞ!」 奥方、 「また、ホエール・ウォチング?」 オトーサン、 「ボストンじゃ、背中を見ただけだろう。 今度は、ジャンプを見るんだ!」 ケープコッドに、たった2泊ですから、 有名人の高級別荘地も見たいし、 美味しいレストランの食べ歩きもしたのですが、 それはすべて断念。 「鯨のジャンプを この目で一度見ないことには 死んでも死にきれないよ」 奥方、 「そこまでいうか。 でも、鯨のジャンプ、見たいわ」 ダニエルの親切なフロントの女性に聞くと、 パンフレットをくれました。 "WHALE WATCH Portuguese Princess The most talked about Whale Watch On the East Coast!" 「この船、この前のよりちゃちねえ」 「でも、この表紙の鯨のジャンプしている写真は 大迫力だぜ」 「写真は当てにはならないわよ」 「それもそうだなあ」 オトーサン、 行くと決まったら、急に不安になってきました。 「...鯨が見られるかなあ。 都合よくジャンプしてくれるかなあ。 乗船時間が書いていないけど、何時なのかなあ。 そもそも、慣れない道を無事 プロビンスタウンの波止場まで たどりつけるかなあ。 このパンフレットの地図を見ると、 どうも道順が複雑そうだ」 オトーサン、 当日の朝は、5時起き。 奥方は、グーグー、高いびき。 「いい気なもんだなあ。 まあ、おれを信頼しているといえば、 言えないこともないが」 早速フロントに道順を聞きにいきます。 「?」 「???」 「??」 {????」 というような応酬があって、 ボールペンで地図に線を引いてもらって ようやくルート6への入り方が おぼろげに分かりました。 「昨日行った水車小屋のある沼に そって行けばいいらしい」 8時前にスタート。 朝食は、昨日地元のスーパーで買ったババナ2本、 それとホテルのコーヒー。 ルート6には、至極簡単に入れました。 「そうか、ホテルのすぐ先のロータリーを 左折すれば、そのままルート6に入れるんだ」 あまりに自明な事実って、 かえって説明しにくいですよね。 「1足す1って、どうして2なの?」 オトーサン、 地球の歩き方の簡単な地図を頼りに 目的地に向かいます。 奥方ときたら、鼻歌気分。 事もあろうに地図を忘れてきたのです。 「まあ、いいか、運転に関することは すべてオレの仕事というわけだ。 万一、事故を起こしたら、自分だって 巻き込まれるのになあ。 日本では、ナビゲーターの責任といういのを 教習所で教えないからなあ」 ルート6は、半島のド真ん中を突っ切って プロビンスタウンまで向かいます。 途中、3車線が2車線や1車線になったりして 最高速度制限も、60マイルが25マイルまで 落ちたりしますが、ただの1本道。 森の中から町へ、そして砂丘へ。 砂丘になってからの長いこと。 奥方、 「地図なんて必要なかったでしょう」 オトーサン、 「あのな、いまどこ走ってるか分かるか?」 奥方、 「そんなこと知ってどうするの?」 オトーサン、 「ホテルの女性は、大体、45分で行くと言ってたけど、 もう70分も走っている。 乗船時間に間に会わないかもしれない」 奥方、 「そうだとしても、暴走しないでね。 乗り遅れたってしょうがないのだから」 オトーサン、 「お前...」 そこで絶句しました。 奥方は、パンフレットも読んでいないのです。 9時半の船には、 "Save $$$-Ask about our Early Bird Special" と書いてあって、 割引料金が適用されるのです。 (3ドル引きでした)
前方に海が見えると、 そこがプロビンスタウン。 「はーるばる来たぜ、はこだてえー」 波止場前の駐車場には 9時20分到着。 滑り込みセーフ! 切符売り場へ走ります。 オトーサン、 「時間の余裕をみて置いて よかったな」 奥方、 「...」 ポルトギーズ・プリンセス号の船室に 落ちついたところで、 奥方、 「この船、 前に乗った船よりも 安っぽいわね。 でも、料金は安いわ。2人で、34ドルよ。 この前のボストンのは、確か60ドル近くしなかった?」 「58ドルだったよ」 「よかったわね。 あたしが、町に入ってからの道順まちがえなくって。 でも、このパンフレット持参なら、 2ドル引くと書いてあるわよ、 あなたパンフレット見せるの忘れたわよね。 損したのかしら?」 オトーサン、 「....」 読者のみなさまのなかの 数人のかたは、 オトーサンが局地戦にきわめて弱いことに お気づきになったことでしょう。 オトーサン、 P.プリンセス号が もやいを解き、 ボワーと汽笛を鳴らし 次第に埠頭から遠ざかっていくのを 甲板から見守ります。 いまや、陸地が俯瞰できます。
「うん、なかなかいい眺めだ。 あの塔、何なのかな。 教会か、それとも灯台か?」 出発から30分、 まだ右手遠くに、 ほそくながく砂丘が連らなっています。 「いつになったら、 陸地が見えなくなるのかな。 ボストン湾では、 今時分、まわりはすべて海だった」 ほんとうに、いつまでも周囲に陸地が見えるのです。 「これ、もしかしたら湾のなかを ぐるぐる回っているだけじゃないのかなあ。 時間かせぎに」 オトーサン、 鯨の餌場になっている"Steelwagen Bank"の位置を 「地球の歩き方」の地図で探しますが、 見つかりませんでした。 船室の壁には、 "Birds you might see in Boston Harbor and Steelwagen" とあって、 いろいろな海鳥のイラストが描いてあります。 ヒマなので、書き写しました。 ・Parastic Jaeger ・Norton Gannet ・Sooty Shearwater ・Greater ・Laughing Gull ・Herring Gull ・Great Black-Blacked Gull ・Common Turn ・Wiltonic Storm Petrel ・Double Crested Cormonant 「どれがどれだか分からないが、 そのうちヒマになったら、 辞書や鳥類図鑑でも引いてみよう」 ようやく砂丘の先端がみえてきました。 海辺にはクルマが10台ほどとまっています。 「誰も泳いでいないようだなあ。 まあ、小雨まじりの天気だし、 気温も20度以下じゃ、無理もないか」 黒い車が人気のない浜辺を何台も走っています。 「あれは高性能の清掃車なんだろなあ。 道理で、こちらの浜辺はいつもきれいなはずだ」 やがて、 船のスピードが落ちました。 「あれ、まだ40分しか経っていない。 ボストンのときは、フルスピードで 1時間以上走ったのに。 まだ、陸地に囲まれているじゃないか。 でも、止まるというのは、 鯨が見られる地点に来たということだから、 甲板に出てみよう」 オトーサン、 甲板から船室の窓を叩きます。 「おい、鯨が見えるぞ」 奥方、驚いて 「どれどれ、どこに? どこなのよ?」 実は、まだ見えないのですが、 先程来の仕返しをしたつもりです。 ところが、 奥方が、手帳を鞄にしまい、 カメラをもって、甲板に出てくるやいなや、 顎髭の濃い男性の甲高い興奮した声。 "Whale! 10時の方向!" オトーサン、 数百メートル先に、潮吹きを見ます。 そして、海面から尻尾が出てきて、 しばらくすると、 突然、海面が盛りあがるかと思うと、 鯨の頭が空中に出現します。 「おお、ジャンプだ。 ジャンプしてるぞ!」 どっと船室からひとが転がり出てきます。 狭い船首甲板は数人しか入れません。 奥方は、最後の5人目。 ところが、背がひくいので、 前の大男のフードにさえぎられて、 鯨のいる海面が見えません。 カメラを両手で高くあげて、 何とかして鯨を写そうと必死です。
幸い前の男性が 奥方に気づいて前に出してくれました。 奥方、 パシャッ、パシャッと撮りまくっています。 「うれしいわねえ。 何度もジャンプしてくれて」 振り返って、オトーサンに笑いかけます。 超、ご機嫌です。 「よかったわね、ここまでやってきて」 SONYのデジカメのいいところは スタミナ機能。 一度充電しておけば、長時間もって、 数百枚もの写真が撮れるのです。 ところが、短所もあります。 明るいところでは、液晶画面がほとんど見えないのです。 奥方、 船室の暗いところで、 撮った画像をチェック。 「あらっ、写ってない!」 そうなのでした。 SONYのデジカメのもうひとつの 短所が露呈したのです。 つまり、ボタンを押してから、 シャッターが切れるまでの速度がのろいのです。 奥方が、鯨の頭が海面に出たところで、 シャッターを押すと、 鯨はすでにジャンプを終えて 水没。 SONYのデジカメは、 見事な水しぶきをとらえております。 オトーサン、 「おれのはいいなあ。 初期のオリンパスのデジカメだから、 画素数も130万しかないれど、 液晶画面も見えるし、 シャッターの反応速度もまあまあです。 「ほら、おれのは写ってるだろう」 もう10枚くらい鯨のジャンプが写っています。 海面に突き出した尻尾だって、 ひれで横泳ぎしているシーンも、 写っています。 「変ねえ。 ダメねえ、このデジカメ。 やっぱり、ビデオ・カメラを持ってくるべきだったわ」 非難は、重いので出発間際に置いてきた オトーサンのミス・ジャッジに向けられてきました。 「なあ、まだ鯨、盛んにジャンプしてくれているんだから、 もう一度挑戦してごらんよ」 ふたりそろって甲板に出ました。 流石にもう見飽きたのか、 船首の人数は減っています。 奥方、好位置をキープして、 パシャッ、パシャッ。 「水しぶきだけだわ」 悲鳴のような声をあげます。 「あのな、予測しろよ。 最初に潮吹きだろ、 次に、尻尾を上げるだろ、 それから、1、2、3、4、5、6, それっ、ジャンプだ」 5つ数えたところで押してごらんよ」 オトーサンの 指導よろしきを得て、 何度目かのチャンスに 奥方は、見事、ジャンプシーンをゲット! 「あら、写ってる!写ってるわあ」 船は操船がうまいのか、 ぴったり鯨の進行方向に追従しています。 一番近いのは、25mくらい。 「あっ、目が合ったわ」 小1時間も そういう状態が続いあたでしょうか。 奥方の発言。 「すごいサービスねえ」 5分後の奥方の発言。 「もしかしたら、この船会社、 鯨を飼ってるのじゃないかしら」 10分後の奥方の発言。 「まるで、USJねえ。 もしかしたら、あれ機械じゃないのかしら?」 15分後、 「ボストンのホエール・ウォッチング、 あれは、詐欺ね」 20分後、 「あたし、鯨見るの飽きたわ」 オトーサン、 天を仰いで、神に感謝をささげます。 「主よ、貪欲な我等をお許したまえ。 やさしく、永久に見守りたまえ」
オトーサン、 奥方を気遣いながら、波止場を後にします。 船旅の後半は、場所を変えて、 外海に出たためか、 波が荒くなって、 乗り合わせた子どもたちは、 あっちへよろよろ、こっちへよろよろを 楽しんでいます。 親が心配して、手すりをしっかり握っていろと 指示しています。 そんななか、 奥方は、船酔いしてしまったようです。 「Yarmouth Port(ヤーマス・ポート)で 昼飯と思っていたけど、こんな状態では、 クルマに乗るのは、無理かもしれないな。 どうする?」 「少し町を歩いたら、 よくなるかと思うけど」 オトーサン、 実は、ボストンで、ZAGARTを買って CAPE COD のグルメ・レストランを 厳しくチェックしていたのです。 すると、 27 Inaho Chillinsworth 26 Cape Sea Grill となっていました。 ZAGARTの最高得点が28ですから、 これはスゴイことです。 そこで、 Inahoのページを見ると、 大要、こんなことが書いてあります。 「古い船長の部屋での紙幅のひととき。 新鮮で味がよく、お寿司天国を味わえる。 応対も丁寧で楽しい。 極上のモーゼル・ワインを供する」 オトーサン、 「よし、決まった、稲穂に行こう」 そう堅く決心していたのですが、 奥方の船酔いという思いがけない事態にとまどいました。 でも、そこは切り替えも早いので、 「稲穂は、やーめた。 次善の策として、このプロビンスタウンに いいレストランがないか探そう」 でも、はじめてきた土地、 どこに何があるかサッパリ分かりません。 「そうだ、地図を買おう」 波止場を出て、 この町で唯一の繁華な通りである コマーシャル・ストリートをウロウロ。 雑貨屋で、Cape Codとある地図をゲットします。 「おお、.この地図、いいなあ。 この町のストリート名が全部出ている」 オトーサンたち、 まるで江ノ島のお土産屋街にきたようです。 猥雑で、売らなかなの魂胆が丸見え。 「こんな漁師町にうまい店があるのかなあ」 海辺のトイレに奥方が行っている間に、 ZAGARTをチェックします。 この評価点では、 20点〜25点が、Very good to ecellent 26点〜30点が、extraordinary to perfection となっています。 「うーん、この町には、 まあまあのレストランが4軒あるなあ」 上から順に 24点:Martin House(Atlantic St.) Front Street(Masonic Pl.) 21点:Dancing Robster(Johnson St.) 20点:Sal's Place(bet.Cottage&Mechanic St.) 波止場のそばの土産物屋を何軒か覗いているうちに、 奥方の船酔いも直ってきたようです。 「お腹空かない?」 「とっくのとうに空いているよ」 時計を見ると、もう2時近くです。 朝食がバナナ2本で、 潮風にあたったのですから、 食欲旺盛です。 オトーサン、 「せっかく遠いところまで来たんだから、 うまいもの食おうぜ」 奥方、 「そうね、このところ ロクなものを食べていないわね。 昨夜は、スーパーで買ってきた ハム・サンドだけでしょ」 オトーサン、 「それと、お前が昼食で食べ残した パストラミサンドイッチ」 つい、恨みがましい声になります。 地図で確認すると、 コマーシャル通りは、海沿いに4キロ。 そこに波止場を中心にして、 東西それぞれ、20ほどの通りがあります。 「Atrantic Streetって、どこにあるのかなあ」 24点の店から探査を開始。 およそ30分、 西側のレストランの探査は 徒労に終わりました。 Martin Houseは、夜6時からの営業。 Front Streetは、超満員。それに騒がしいのです。 Sal's Placeたるや、 通りの端まで歩いたのに、夜6時からの営業。 「腹減ったなあ」 「あたしもよ」 「どうする?その辺のお店にする?」 「でも、あと1軒あるんでしょ、 行ってみましょうよ」 オトーサン、 地図を見ます。 「残るは、 21点のDancing Robsterだけか、 Johnson 通りだろう」 波止場まで2キロ弱も引き返して その先500mほど先まで歩かねべばなりません。 「...これは、きっと 神が、われに与えたもうた試練かもしれない。 その先には、きっと栄光が待っているのだ。 それを信じて進もう」
オトーサン、 お腹は空くし、 足は疲れたし、おまけに 日ざしが暑くて、 ふらふらしてきました。 奥方は、空腹指数が低いのか、元気そのもの。 ブティックにいい帽子があると 立ち止まって覗きこんだり、 2階にピンクの妙なかたちの自転車が 飾ってあると、 「あら、面白いわね」と写真を撮ったりしています。 「ねえ、あの人魚、面白いわよ」 見ると、浜辺で砂のお城をつくるのと同じ要領で、 道端に砂で人魚の像を作って、 その前に、寝そべっている男がいます。 オトーサン、 通り過ぎて振り向くと、 奥方がその男にからまれています。 奥方、息をはずませて追いついてきて 「写真を撮ると、 "Give me a money"っていうのよ」 夏の避暑地らしい物貰いです。 「ねえ、変なひとが着たわ」 見ると、ひとがぞろぞろ周りを 取り巻くなかを、悠然と大女がふたり 手を組んで歩いてきます。 オトーサン、 「避暑地の宣伝マンは、手が込んでいるなあ」 そういうと、 奥方、 「あれは、ゲイよ」 なるほど、頬紅の下には髭。 腕も毛むくじゃら、 遠目には、派手な衣装の女性でしたが、 なるほど、ゲイでした。 「この町は、芸術家の町なのよ」 奥方が、「地球の歩き方」で得た知識を 披露します。 オトーサン、 「そんな記事ばっかり読んでいるから、 肝心の地図を忘れるんだ」
オトーサン、 不意に歌が口をついて出てきました。 「♪オラは、死んじまっただぁ。 オラは、死んじまっただぁ。 長い階段を上っていったらぁ、 天国に行ったただぁ。 ...天国よいとこ一度はおいで、 酒もうまいし、ねえチャンもきれいだ。 ハー、ハー」 その昔流行した フォーク・クルーセダーズの戯れ唄です。 ほんとうにふらふらしてきました。 「あったわ、あそこでしょ。 ダンシング・ロブスターって。 ほら、浜辺に降りていったところ」 夢遊病者は、浜辺をみやります。 Dancing Robsterの赤い踊るような 書体の看板が見えました。 お店には、ほんとうに 長い階段を上っていくのです。 奥方が、 また超上機嫌になります。 目が少女のように輝いています。 「まあ、いい見晴らしだわぁ」 オトーサン、 力なくうなづきながら、 錯乱状態の修復に努めます。 「このひと、還暦を過ぎたのに、 子どもの魂を持ちつづけているなあ。 ♪酒はうまいし、ネエちゃんもキレイだ、 はあ、はあ」 この店、おねーちゃんがきえいだけでなく、 ボーイさんがまたとびきり素敵なのです。 「トム・クルーズそっくりだ」 そんなのが、灰色の瞳でじっと見つめられて "Thank you"なんて歌うような節回しで 丁寧に給仕されるのでは。 奥方が、舞い上がるのも無理はありません。 いつも間にか財布のヒモがゆるんで、 メニューのなんで一番高いものを選んでいます。 Steamed Robster 18$ オトーサンは、すねて、 Tiped Rib Steak (1/2) 9$ 奥方の半額です。 やがて、料理が運ばれてきて 「おいしいわあ。 まるで地中海に行ったみたい。 景色も、お味も。 あのファニエル・マーケットのロブスターなんて まるで養殖ね、 ここのは味がちがうのよ。 ねぇ、ちょっと食べてみる?」 そういうので、ご好意に甘えて、 足をひとつ食べると、 奥方にジロリとにらまれました。 オトーサン、 あわてて 「おれのは、どう?」 骨つき肉を差し出すと 「そんなの、美味しくないわよ。 いらない!」 オトーサン、 頭にきました。 本来なら、 今頃は、ヤーマス・ポートで 素敵なお寿司をつまんでいるはずでした。 それなのに、 骨つき肉で我慢しているというのに 馬鹿にされる所以は、毛頭ないはず。 ロブスターが分解されていずに 丸ごとそのままだったら、 そいつで奥方の頬をぶっ叩いてやるところでした。 「お前なぁ、親しき仲にも礼儀ありだぞ!」 そう言ってやりたくなりました。 もちろん、言いませんでしたけど...。 オトーサン、 勿論、礼儀正しい神の御子ですから ロブスターで叩くようなはしたない真似も いたしませんでしたよー。 それでも、 潮風に包まれて、 窓辺を飾る花を愛でながらの 美味しい食事は、至福のひとときでした。 もし、プロビンスタウンに行く機会があったら、 ぜひ、ダンシング・ロブスターに お寄りください。
オトーサン、 夕方6時頃、無事、サンドイッチに戻ってきました。 奥方は、ハイアニスへ、 オトーサンは、ウォルマートがあるという に行きたかったのですが、 雨も降っていることだし、 疲れてもいるので、 おとなしくホテルまで戻りました。 「ねえ、夕食どうする?」 「あんまり食べたくないなあ。 このホテルのダイニングはすばらしそうだけど」 「第一背広忘れたでしょう」 「そうだなあ」 「せっかく買ったのに、NYに置き忘れるなんてね」 そんなことをいいながら、 ホテルの前を通りすぎました。 「昨日とおなじスーパーに行ってみる?」 「そうだなあ。サラダでも食べるか」 そんなことで、ホテルから数マイルのところにある スーパーまで足を伸ばしました。 このスーパー、Super Stop Shoppingなる 名称で、なかなか充実しています。 オトーサンたち、 ここのサラダバーで、 それぞれ自分の好みの野菜をとって パックに入れて、ホテルに帰りました。 「ちょっと、その店でも見ていくか」 道端に駐車したとき、ごとん。 舗石にタイヤをすこし乗り入れたようです。 油断すると、車幅感覚が合っていないようです。 降りて、5分ほど、お店を覗いて、 くるまに戻ると、 「空気がぬけてるわよ」 「えっ、パンクかよー」 仕方がないので、200mほど離れた ガソリン・スタンドへ。 日本だとタイヤのパンクくらいは、 そこで直してくれますが、 ここはアメリカの田舎。 いかつい感じの オネーチャンがひとり、 コンビニ兼用のでレジを死守している程度。 給油もセルフで、 彼女には、整備の知識もなさそうです。 オトーサン、 しょうがないので、 自分でタイヤの交換くらいしようかと トランクを開けてみました。 「小さいなあ」 修理屋までの 短距離走行を想定しているのでしょう。 「近くにタイヤ交換をしてくれる ガソリンスタンドないかなあ」 「50マイル離れたところにあるよ」 「そんなに遠いいの?} オトーサンたち、 途方に暮れます。 でも、彼女、意外に親切で、 日本のJAFにあたる AAA(American Automobile Assciation)に 電話してくれました。 「20分くらいで来てくれるらしいけど、 どこで待つ?」 このコンビニには、椅子もないので、 オトーサン、 「じゃ、ホテルがすぐそこだから、 ホテルのロビーで待つよ」 "Take Care" なかなか親切な娘さんでした。 ひとは見かけによらないものです。 奥方、 「こちらのひとは、みな、親切ねえ。 困っているひとに救いの手を差しのべる 習慣があるのかしら」 「...清教徒の伝統があるかもなあ」 オトーサン、 ホテルまで、パンクしたクルマを運転して ノロノロと戻ります。 「遠いなあ」 「そうねえ、あっという間かと思っていたけど、 こうやって走ると、遠いわね」 フロントの女性に事情を話して、 玄関脇に駐車させてもらいます。 ロビーで1時間待ったでしょうか。 待てど暮らせど、AAAはやってきません。 その間、着飾った老夫婦などが 続々とロビーを通りぬけて、 メインダイニングに消えていきます。 「みんな楽しそうねえ」 フロントの女性がみかねて 言ってくれます。 「お部屋で待っていたら? AAAのひとが着いたら、 部屋に電話してあげますよ」 それでは、お言葉に甘えてということで、 全身で恐縮の意を示して、 オトーサンたち、 部屋に引き上げます。 「もう8時か、 何でも、うまく感じるなあ。 お腹が空いていると」 「そうね」 そんな会話をしていると、 電話。 「数分でくるので、 ロビーに来てくれ」ということです。 奥方は、まだ食べ終わっていないので、 目を白黒。 それでも、ロビーに向かいます。 AAAがやってきたのは、 ロビーに出てから、また1時間後。 奥方いわく、 「一体、この国はどうなってるのかしらね」 オトーサン、 「神も仏もJAFも、いないのか」
オトーサン、 翌朝、起きたのは6時。 いつもは、午前3時頃、 奥方のいびきや尿意なんかで目覚めるのですが、 流石に、昨日丸一日の奮闘で疲れたのでしょう。 グッスリ眠ってしまいました。 昨夜、 AAAのおにいちゃんが やってきたのは、9時前。 どこかで、ゆっくり夕飯でも食べていたのでしょう。 ようやくやってきて、 作業を開始。 プロならお手のものの作業のはずが、 盗難防止用のタイヤのロックが外れず、 どこかに何度も電話して、 作業のやりかたを聞いていました。 奥方、 「あの子、頼りないわねえ。 新米なのかしら」 暗闇の作業なので、 ボルトのサイズを間違えてばかりいます。 オトーサン、 流石にみかねて、 ホテルから懐中電灯を借りてきて、 手元を照らしてあげました。 作業が終わると、 かれ、ちょっと微笑んで、 "Keep under 50 mile" そう忠告して、去っていきました。 タイヤ交換が終わって、 寝たのは10時過ぎでした。 オトーサン、 「今日は、大変な一日になりそうだなあ」 ロビー脇の小部屋でパソコンに向かいながら 覚悟します。 ボストンにスペアタイアのクルマで帰るという 一大事だけでなく、 ハーツとの手強い交渉事が待っているのです。 実は、レンタカーは、 3日間借りたつもりでした。 28日の朝8時に借りて 返却は、30日の正午。 予約のときには、 念のためにメモして係員に伝えました。 ところが、昨日の朝、 契約書類をチェックすると、 2 Days: $ 107.98(@$ 53.99) となっていて、 もし、返却が遅れると、 1時間あたり$ 27.00を追加徴収するという 内容になっているのです。 オトーサン、 怒ります。 「ハーツのあの女性係員は、 何というチョンボをしてくれたんだ」 もし、予定画通り12時に返却すると、 $27.00×4 hours=$108.00 1万数千円も追徴されてしまいます。 そのほか、保険代については、 万一のことを考慮して LOW $ 41.98 LIS $ 21.98 PAL.PEC $ 11.00 つまり、対人、対物、車両など フルカバーにしてありますし、 ガソリン代や税金などを加えれば、 レンタカー代は、 350ドルにもなってしまいます。 「いくら何でも、お金がかかりすぎだ」 オトーサン、 前夜のタイヤパンク事故のあと、 「7時になったら、フロントの女性に依頼して ハーツに電話してもらおう」 と堅く決心しております。 8時に電話したのでは、 ハ−ツのほうは、 「返却遅れ」の手続きを開始していることでしょう。 7時には、 延長手続きの電話窓口が開くので、 何とか交渉すれば、 返却時間の訂正が間に合うかもしれません。 7時。 フロントの女性に、 事情を話して電話してもらいました。 彼女、 小柄で太っちょで赤ら顔。 まあ、ブルース・ウィルスの娘さんとでもいえば、 感じが分かっていただけるかと思います。 電話して、首をかしげています。 「まだ、開いていないようです」 オトーサン、 内心、思いました。 「ハーツの係員は、どいつもこいつも サボッてばかりいるなあ」 ところが、彼女、 「ボストンは、まだやっていないわよ。 時差の関係で。 時差が1時間あるのよ」 「えっ、ケープコッドとボストンで時差がある? 考えもしなかった」 彼女、 「あなた、 8時からウチのダイニングで 朝食を取りたいと言ってたわね、 ゆっくり食べてらっしゃい。 その間に、交渉してといてあげる」 オトーサン、 自分の不自由な英語では、 そうにもならないことを彼女が親切に引き受けてくれたので、 心から感謝の気持ちが湧いきました。 「ハーツは、手強いから、 タフなネゴシエーションになると思うよ。 ひとつだけ、言っておくけど、 タイヤがパンクしたから、返却を遅らすのではないよ。 パンク事故と、返却時間ミスはまったく別のことだから、 その点をよく説明しておいてね」 彼女、 "Ok! Dont worry about it" (任せといて!) オトーサン、 うれしくなって、 余計な言ってしまいました。 "Be a tough negociator like Bruce Wilis" 彼女の笑顔が一瞬凍りつきました。 その一言が、 可憐なな乙女心を傷つけてしまったようです。 「しまった、交渉、やってくれないかな」 でも、彼女、いい娘でした。 ダインングで朝食中に、 あたふたとやってきて、 大声で、"Good News!" 聞くと、ハーツは、 事情を了解して、 すべてオトーサンの言ったとおりにしてくれたそうです。 オトーサン、 今度は、慎重に言葉を選んで お礼をのべました。 "Great! You are Perfect" 彼女の顔がパッと赤らみました。 もともと赤ら顔なのですが、 さらに赤くなったのです。
オトーサン、 朝食をすませて、 9時過ぎにホテルを出発。 「あそこのダイニングは、 まるで天国のように綺麗だったなあ。 これが、最後の食事と思って食べたよ」 「不吉なこと、いわないでよ」 オトーサン、 いよいよボストンに向けて 走りだしました。 スペアタイアが小さいので、 やや傾むいて走るかと心配しましたが、 そんなことはありませんでした。 天候も心配でした。 「危険なドライブなのに、 雨だったらイヤだなあ」 US Todayの天気予報のページには、 "Overcast"と書いてありました。 オトーサン、 「"Cloudy"や"Partly Cloudy"とどうちがうのかなあ?」 あとで分かったのですが、 NY Times は、 "Mostly Cloudy"と呼んでいました。 "Shower"の一歩手前、 今にも雨が降り出しそうなという感じでしょうか。 オトーサン、 窓ガラスの雨滴を 間歇ワイパーで拭い去って 「時速50マイル以下だぞ」 といい聞かせながら、 3車線あるフリーウエイの 一番遅い右側(日本と反対)のレーンを ゆっくりと走っています。 「みんなオレを追い越していくなあ。 いつもなら、追い越す立場なのに」 オトーサン、 クルマの流れから外れると、 危険だということは熟知していますので、 最初は右折のウィンカーを出しっぱなしで 走りました。 でも、これだと、出しまちがいと思われて、 時々後車がぴたっとつけてくるので、 訂正。 ハザード・ランプの出し放しに切りかえました。 これだと、後続車は、故障車と思ってくれてか、 やや寛容な気がします。 それでも、ぴたっと車間を詰めてくる車には、 頭で手を交差させて×印を出します。 すると、どうやら「故障車」だと 正式に認定してもらえるようです。 オトーサン、 それなりに長い人生において、 こんなに多くのクルマに追い越されたのは はじめての経験です。 「ひょっとすると、 これまでせっせと蓄えてきた追い越し数を 一挙に、今回の事態で喪失するのではないか」 何か、バブル後の日本経済のような感じが しないでもありません。 オトーサン、 「そんなこと言ってる場合じゃないんだ。 どのくらい走ったのだろう?」 前方に次々と展開する標識をチェックします。 不慣れな道ですから、 往きに立ち寄ったメイフラワー号のある Plymouthくらいは分かりますが、 あとの英文地名では、 サッパリ位置が分からないのです。 「いま、どのあたりを走っているのかなあ? これが東名なら、御殿場、静岡、浜松なんていう 標識を見ただけで、どこまで来たか一発で分かるんだが。 いまどこあたりかなあ?」 「...」 奥方の返事がありません。 奥方は、昨日買ったボストン市内地図の 研究に余念がありません。 これは、実によくできていて、 一方通行の矢印まで出ているのです。 その分、詳わし過ぎて複雑。 奥方は、 パンク事件以来、 よきナビゲーターに変身する気になってくれたらしく、 昨夜遅くまで、この地図を研究していました。 「まるで、迷路なのよねえ。 ボストンって。 チャイナタウンでルート95を降りるとすると、 しばらくはいいのだけど、 こっちへ持っていかれてしまうし、 この道を選ぶと、結局元の場所に戻ってきてしまうのよねえ」 ようやく寝る前に、素案を提示してくれましたが、 まだ、もっといいルートがあると思っているようです。 「あのなあ、ボストンの地図は後回しにして、 いまどこあたりを走っているか教えてほしいんだけど」 「そんなこと言ったって、 あたし、いそがしいんだもの」 いつまで待っても、教えてくれません。 「あのなあ、 ナビゲーターの一番重要な任務は、 運転者を安定した気分にさせることなんだ。 家の中なら、怒らせようとどうしようとかまわない。 自分だって、安全だろうけど、 高速は、ちがうんだ」 オトーサン、 イライラ。 地図を広げているので、 インターで、右側から進入してくるクルマが 見えにくいのです。 「どれどれ、いまどこ走っているんだ」 奥方の持っている地図を取りあげて 走りながら位置を確認します。 幸い、前後にクルマの影がみえない場所なので、 問題ないと思ったのです。 ところが、 ガタン!ガタ、ガタ、ガタ 路肩の凸凹に接触。 地図を持ったので、ハンドルがぶれたようです。 「...危なかったなあ」 奥方、 この後、ようやく地名を言ってくれるようになりました。 地図をみて、ボストンまでの距離の半分まで来たとか 言ってくれるようになりました。 「ラリーの場合のナビゲーターなら、 地図をにらんで、残りの距離と推定所要時間も 言ってくれるものなんだけどなあ」 ラリーの経験もない奥方に それを望むのは無理というものでしょう。 「パソコンなんかなくても、 車速をみて、 地図の距離を目分量で計れば、 簡単な割り算で、 所要時間くらい分かるはずなんだけどなあ」 オトーサン、 前方に展開する標識をにらみながら、 あられもないことを考えていました。 景色といったら低木の森と 前方にはてしなく伸び広がる道路のみ。 とにかく高速道路をゆったりと走ると、 退屈で退屈でたまらないのです。 「眠くなってきた。 ガムないか?」
オトーサン、 時々、バックミラーを見るようになりました。 「えっ? どうして見なかったの?」 「そうなんです。何か見辛かったんですよ」 あとで考えてみると、 いつもの運転し慣れている右ハンドル車の場合、 バックミラーは、左上にありますよね。 ところが、左ハンドル車だと、それが右上。 習慣というのは、おそろしいもので、 つい、いつものように左を見る。 左のサイドミラーばかり見ていたのです。 オトーサン、 バックミラーで後続車の長い列を確認しました。 2車線になって、 追い越し車線は、混んできました。 オトーサンのクルマがトロトロ走っているので、 追い越し車線になかなか入れず、 しょうがなく後ろを低速で走っているのです。 「おれが、逆の立場だったら、 怒り狂うだろうなあ」 日本では、黄ナンバーの軽自動車、積載車、バスを 前方に見かけると、 「抜かなくては!当然だよな」という感じ。 ところが、ちゃんと走れる能力をもっている 乗用車が低速走行をしていようものなら、 「お前、何モタモタやってるんだ!」 と怒りの感情が湧いてきます。 たまに、こんなこともありますよね。 パトカーが速度遵守のデモンストレーションで ゆっくり走っているときがあります。 「誰だ、トロトロ走っているやつは。 ...パトカーか、じゃ、抜けないな...、悔しい」 オトーサン、 ボストンまでのノロノロ走行が続くなかで、 何度も、バックミラーに写る長い列の映像を 確認しました。 「おれって、VIPみたいだ。 護衛の隊列が後ろにたくさん従っている!」 そんな後、 「この映像、どっかで見たことがある」 いわゆる既視感(デジャ・ビュ)が 襲ってきました。 「そうだ。ダラス1963だ」 ケネディ大統領が 1963年11月22日午後12時30分、 暗殺された瞬間の映像でした。 ケネディ大統領夫妻のパレード。 夫妻を乗せたクルマの隊列、 前後に護衛のクルマが何台も続いていて、 その瞬間、ケネディが仰向けに倒れこみ... オトーサン、 何度もその瞬間の映像をニュースで見たし、 その後も、映画"JFK"で繰り返し見たので、 映像が頭に焼きついていたようです。 オトーサン、 「しまった!」 そもそも 今回の旅で、 ボストン、そしてケープコッドに 来たいと思ったのは、 ケネディが颯爽と登場して 輝かしい新世界の扉が開かれるように思った あの時の感激をいま一度味わおうと、 ケネディの足跡をたどるのが主目的でした。 「...でも、結局、どこにも行かなかった」 ボストンでは、 ・ケネディの生まれた家、 ・ジョン・F・ケネディ・ライブラリー ケープコッドでは、 ・ジョン・F・ケネディ博物館 ・ハイアヌスの海を望む J・F・Kのレリーフ を訪ねるはずでした。 これらすべてを、 ホエール・ウォッチングをはじめとする もろもろの騒ぎのために忘れ去っていたのです。 「もう2度とこれないかも知れないのに。 後悔先に立たず、航海先に立つかぁ」 オトーサン、 「おれの人生と似ているなあ。 寄り道ばかり。 最初の志とは、まったくちがった道を 歩んでしまった」 オトーサン、 道路標識に JFK/University Massの文字を確認しました。 奥方、 「そろそろボストンが近づいてきたようよ」 オトーサン、 「....」 奥方、 「何よ、ひとがせっかく教えてあげているのに」 オトーサン、 「すまん、ちょっと考えことをしていたんだ」 奥方、 「運転に集中しなければダメじゃないの。 ボストンの出口は、 チャイナタウンという標識があるところよ。 いいわね、EXIT 20。 そう書いてあるところよ。 その先、降りてからの道は、 あたしの言うとおりに走れば、 ちゃんとホテルに着けるから、 いいわね、 EXIT 20!」 「分かった。 それにしても、 うまい具合に混んできたなあ」 奥方、 「普段渋滞って、イヤだけど、 ありがたいこともあるのね」 オトーサン、 時速が30マイルくらいに落ちたので、 ハザートを消します。 「ようやく、おれも普通の人間になれた」 オトーサン、 刑務所暮らしを終えて、 無事に社会復帰したような気分です。 幸せな気分を取り戻しました。 「あっ、20がない!」 奥方が叫びます。 EXIT 15 EXIT 16 EXIT 17 EXIT 18 EXIT 19 と順調に出口の数字が上がっていって さあ、いよいよ EXIT 20と思っていたのに、 次に、出てきた標識は、 EXIT 21でした。 工事中で、EXIT 20は閉鎖。 奥方、 「ああ、予想してなかった出口よ! あたし、もうダメ」 オトーサンたち、 そんなことで、 フリーウェイを降りて ようやくホテルにたどりついて、 ハーツにクルマを返却できたのは、 12時すこし前でした。 期限ギリギリ。 道に迷って1時間もの間、 市内をうろうろ、行きつ戻りつしていたのです。
オトーサン、 ボストンへの小旅行を終えて、 NYへ戻ってきました。 今回の滞在は、たったの2日。 すぐに帰国します。 「どこに行こうかな」 「...」 「全米オープン、やってたよな」 「...」 小声で聞き取れません。 「美術館、博物館は、 めぼしいところは、みんな行ってしまったし」 「...」 奥方、大分疲れているようです。 オトーサン、 新しい作戦を思いつきました。 独り言をいいます。 「アサメシ食いに、ウエストにでも行くか」 「そうね」 ようやく返事が帰ってきました。 バスで、ウエストサイドへ。 「この前、ラロに行ったよなあ。 あのとき、ラロより流行していた店があったよな」 「行列していたわね」 ラロ(Cafe Lalo)の存在は、 娘に教わりました。 「"You got a mail"の舞台になった店よ。 行ってみる?」 「行く、行く!」 オトーサン、 メグ・ライアンのフアンですから、 早速住所を聞いて、出かけたのです。 W.83rd St. Amsterdam & B'way ZAGARTによれば、 Food:20 Decor:18 Service:13 It's "wall-to-wall calories" at this West Side "desert dynammo"coffeehouse that's often packed (especially since"You've Got Mail put it on the map): it's a "great first-date place"too,since there are no awkward"silences" at this noisy "zoo". オトーサン、 バスのなかで話しかけます。 「でも、あの店、外目は華やかだったけど 味のほうは、たいしたことなかったな」 「ケーキもダラ甘かったし、 アメリカ人って、舌が変なのね。 小さいときからジャンクフードばかり食べているせいかしら。 それに、騒々しかったわ。 店員が多過ぎて、まるで動物園の猿山だわ」 ようやく奥方の毒舌が冴えきました。 「有名になると、とかく応対が荒れてくるよな」 バスは2両連結の最新型。 冷房がよく効いています。 York Ave 79Stから、セントラルパークを抜けて、 街を横断して、Upper Westに出るのです。 「もうフリーパスは使えないわね」 娘が買ってくれた1週間有効のパスは、 17ドルで地下鉄とバスに利用できます。 今回のNY滞在では、ほとんどタクシーを使わずに このパスばかり利用していました。 ブロードウェイで下車。 「散歩がてら街を見てあるこうや」 アッパーウエストは、裕福なひとも多く、 有名人も多く住み、カジュアルでいい感じの街です。 「この辺に住めたら最高ね」 しばらく歩いて、83rd St. Amsterdamに やってきました。 「ああ、今日は行列していないなあ」 「そうね」 「でも、せっかく来たんだから、 入って見るか?」 「いいわよ」 奥方、完全復調です。 料理が出てくるころには、 行列になりました。 歩道に並べたオープン・カフェの席も 満員になりました。 オトーサン、 奥方の注文した料理と自分のを比べて、 「そっちのほうがよかったなあ」 「フルーツサラダが大皿に山盛りよ」 「それが人気の秘密か。 こちらのひとは、多けりゃいいのか」 オトーサン、 ひとびとが、 巨大なサンドイッチに食らいついている 食風景を眺めます。 そのなかには、勿論、中年女性もいます。 「うーん、まさに大型肉食動物だなあ」 奥方、 「このお店、だめね。 この前、行ったお店よかったわね」 「ああ、あのオムレツが大きかった店か。。 COLUMBUS BAKERY。 確か、Columbus Ave. 86St.にあった」 「あそこは朝食で行ったでしょ、ちがうわ」 「どの店?」 「ほら、スムージーをサービスしてくれたお店よ。 お通し風に、ミニ・ワイングラスで出してくれたでしょ。 暑かったから、とても嬉しかったわ。 あのお店、どこにあるのかしら?」 「ああ、SQCか」 「よく覚えているのね」 オトーサン、 その昔、SQC=統計的品質管理ということで 耳タコになるくらい勉強させられました。 手帳を出して確認します。 「Columbus Ave 72nd&73rd St.だ。 Scott Cambellとかいう有名シェフがいるらしい。 もうワン・ブロック、セントラルパークのほうに 歩けばいい」 「ケーキ、おいしかったわぁ。 盛り付けも見事だったし。 あそこで朝食をとればよかったわね」 「...」 オトーサンたちは、 SQCで朝食を取りそこないましたが、 NYに行く機会のある方は ぜひ、一度トライしてみてください。 あと強いていえば、 NYに2000年4月に出店した BOOK OFFのそばにできた CAFE ZAIYA。 日本人の新しい溜まり場になています。 「さばの煮付けなんか、 ホテルに持って帰って食べたいじゃん」
オトーサン、 奥方が元気を回復したので 「さあ、タクシーに乗るぜ」 と宣言します。 「143rd St. Amsterdam」 と運転手に告知します。 奥方、 「もしかして、ハーレムに行くの? 大丈夫? 黒人だらけよ」 「そう!」 オトーサンたちの マンハッタン北上限界線は、 数年前に娘が連れていってくれた スーパーの110th Stまで。 「あの時は、怖かった。 でも、今回、限界線を突破するぞ! NYの治安もだいぶよくなったというし」 オトーサン、 143rdSt. Amsterdamで降りて、 ワン・ブロック入ります。 風景だけを取り出せば、 プラタナスの街路樹が豊かに枝を差し交わす 高級住宅街に見えます。 「田園調布みたいだろう。 このあたり、裕福な黒人が住んでいたので、 Sugar Hillって、呼ばれていたんだ」 でも、行きかうのは黒人だけ、 それも、見慣れぬ侵入者を伺っている様子。 「うわっ!」 クルマの影もない街路に 突然、轟音をあげてクルマが出現、 猛スピードで走ってきて、 オトーサンたちを一瞥し、走り去ります。 「おおこわ」 奥方、 「何でこんな物騒なところに来たのよ」 オトーサン、 「ハミルトン・グランジの見学さ」 ブラウン・ストーンの元高級住宅が並んでいるなかに ひっそりとハミルトン・グランジがありました。 奥方、 「ここなあに?」 いつになく寄りそってきます。 オトーサン、 「グラウンド・ゼロを見に行った日、 トリニティ教会でフルトンのお墓をみただろう。 あのとき、隣にもっと立派なお墓があった」 奥方、 「ああ、ハミルトンとかいうひとね。 ワシントンの副官って書いてあったわ」 オトーサン、 「地球の歩き方に出てたかい?」 奥方、 「馬鹿にしないで。 あの娘の本棚の美術館めぐりの本に出ていたわ。 えらいひとなのよね」 アレクサンダー・ハミルトン、 中南米からの貧しい移民です。 コロンビア大学在学中に革命にめざめ、 独立戦争で大活躍しました。 アメリカ建国の父、 ワシントン将軍に認められて副官となりました。 身長は、5フィート7インチ、 6フィート2インチと大柄なワシントンとは よいコンビでした。 独立後は、初代の財務長官。 NY市の財政を立てなおし、 世界的な金融センターの基礎をつくりました。
photo:Alexander Hamilton(1757-1894)
オトーサン、 「へえ、決闘で死んだんだ」 そのイラストが飾ってあります。 展示の細かい文章を読むと、 国民に人気の政治家でしたが、 政敵であるAARON BURRに決闘を申しこまれたとあります。 息子を決闘で失ったので、 決闘はキライだったのですが、 当時は卑怯者と呼ばれるので、やむを得ず応じ、 最愛の夫人に遺書を残したうえで 7月11日の朝、 自分のほうは、わざと空に向けて銃を撃ち、 重傷を負い、亡くなったそうです。
photo from Hamilton Grange
このハミルトン・グランジ、 入場料無料なのに、 見学者はオトーサンたちだけでした。 政争にいや気をさしたハミルトンは、 当時はNY郊外で人里離れた場所でしたが、 ここに別荘をつくり、 野菜や花木を植え、家族と親しみました。 決闘で亡くなったために、 この別荘には2年住んだだけでした。 その後、未亡人によって売却され、 転々と人手に渡りました。 この地に、やがて裕福な黒人たちが住みつき、 Suger Hillと呼ばれたものの、 その後、都市化の荒波のなかで、 ハーレムのなかに埋もれてしまったのです。 1962年にNational Park Serviceが 買い取って修復しましたが、 彼の偉業からすると、まことに簡素なものです。 「ただのアパートだなあ」 この記念館を拡大する計画があるそうです。 「...9.11のおかげで、予算が削減されて、 実現しないかも知れないんだ」 訪れるひとも少なく、 オトーサンたちをつきっきりで案内してくれた 若い係員は、心底残念そうでした。 「ふーん、こんなところにまで、 グラウンド・ゼロの余波が及んでいるんだ」 オトーサン、 「しまった!」 見学を終えて、タクシーを拾おうとしましたが、 まったくその気配もありません。 奥方、 「ここに住んでるひとたちは、 タクシーに乗るお金がないのよね」 しょうがなくバスに乗りましたが、 こわいこと、こわいこと。 動物園のトラの檻に入れられたようでした。 バスは、ハーレムのド真中を走っていきます。 10ドル以下の安物グッズを扱う商店が並んでいて、 黒人が大勢たむろしています。 原色の氾濫です。 奥方が、息をひそめています。 「...すごいわね」 オトーサンたち、 慌てて飛び乗ったバスが 川向こうの飛んでもない方向に行ってしまいそうなので、 バスを飛び降りました。 MalcomX 125St.と標識が出ています。 ぐれた黒人の若いのが大勢たむろしています。 若い黒人娘だって安心できません。 肩をゆすって近づいてきます。 昼間からラリっているのです。 いつドスを突きつけられるか分かりません。 地下鉄に乗るまで、 生きた心地がしませんでした。 ブッシュ大統領は、 9.11の1周年を前に イラクへの攻撃準備にいそがしそうですが、 こうした貧困と憎悪の厚い岩盤がある以上、 世界の浄化は容易ではなさそうです。 せめてハミルトンのお墓まいりがてら、 ハーレムの自国人と対話をするのが 先決のような気がしないでもでもありません。 「何か罰があたりそうだなあ」
オトーサン、 地下鉄の72nd Amsterdamで降り、 外に出て、アッパーウエストの空気を嗅ぎます。 「いいなあ、やっぱり、ここは」 ハーレムからアッパーウエストへ。 「地獄から天国へ、舞い戻ったようだ」 足は、セントラルパークの緑に吸いよせられていきます。 「このあたり、緑が濃くていいなあ」 アメリカ自然史博物館の前にきました。 「ここの恐竜の展示、すごかったなあ」 「そう? あたしは、宝石の展示に驚いたわ」 世界帝国アメリカの底力を見せつけられ博物館です。 オトーサン、 奥方に不意打ちを食らわすのが好きです。 くるっと、反対側を向いて、 小さな建物の前で立ちどまります。 「まだ、昼ごはんには間があるから、 ちょっと、ここに入ろう」 奥方、 「ここなあに?」 本日、2度目のフレーズを放ちます。 「ここか、ほら、そこに New York Historical Societyって 書いてあるだろう。 ここは、この前行った Meuseum of the City of New York と似たようなものだ」 Historical Society(歴史協会) というと、普通のひとは 入り難い感じがしないでもないですが、 ミニ博物館と思えばいいのです。 「おっ、しゃれているなあ。 あれあれ、サムのまである」 「ヘンリー・フォードの開けてみた?」 「ああ、T型フォードの累計生産台数が 書いてあった」 ちょっと説明を加えると、 廊下をうまく利用して、 あのかまぼこ型の郵便受けが 行き手に1m間隔で並んでいるのです。 アメリカの有名人の名前が書いてあって、 例えば、サム・ウォールトンの説明が 外側に書いてあって、質問がひとつ。 答えは、郵便受けを開けると分かるという趣向です。 「ウォルマートの従業員の数は?」 「100万人を超えてたよな」 奥方、郵便受けを開けて 「正解は、130万人よ。 あなた、勉強不足ね」 オトーサン、 立ち止まります。 「いいなあ、この企画」 "THE TUMULTUOS FIFTIES: A VIEW FROM THE NEWYORK TIMES PHOTO ARCHIVES" とあります。 一言でいえば、50年代写真展です。 「うわーっ、こんなんだったんだ」 「あら、食器洗い機があるわ。 こういうのがいいのよねえ」 奥方、 かねがね食器洗い機をほしいがっています。 シンクの下にぴたっと収まるのを うらやましがっているのです。 オトーサン、 「フルシチョフだ、ニクソンだ」 冷戦下で、ソ連のフルシチョフが初の訪米。 当時の新聞のトップ記事になったものです。 フルシチョフが、アメリカの物質文明に 驚嘆したという程度の記事でしたが、 この写真を見ると、一目瞭然。 「一体、何を見せたのかなあ」と いう疑問が氷解しました。
オトーサン、 お腹が空いたので、 一旦外に出ます。 「ここ、案外いいねえ」 大好きなマリリン・モンローと 当時の夫のアーサー・ミラーとの ツーショットもありました。 鳥の生態観察で有名なオーデュンの原画も何点か ありました。 奥方は、玩具の展示が気にいったようです。 「あのおばさんたち、楽しそうだったわね」 日本でいえば、すごろくみたいなゲームを 実際に遊べるように、 テーブルと椅子まで用意してあるのです。 オトーサンたち、 New York Historical Societyから ワンブロック歩いて、 Amsterdam 77St.の角にある IZABELA'Sという名のしゃれたレストランで昼食。 ウエイトレスは、絶世の美女ばかり。 「やけに繁盛してるなあ」 「この店、おいしいわね」 「2人で1皿でちょうどよかったな」 「何しろ、こちらのひとは大食いなんだから」 そんな会話のあと、また、 New York Historical Societyに 舞い戻りました。 係員のおばさんが覚えてくれていて、 「ハーイ!」なんて言ってくれます。 オトーサン、 「ここ、いいなあ」 奥方、 「あたし、歩き疲れたわ、 ちょっと外出するというから、 この靴履いてきたけど、 これって、歩きにくいのよ」 オトーサン、 「じゃあ、ミニシアターがあったから、 あそこで休憩しよう」 その後、 オトーサンたち、 2本のドキュメンタリー映画をみました。 観客のアメリカ人たちが 身じろぎもせずに見入っているのが 印象的でした。 ・WTC:The First 24 Hours by Etienne Sauret これは、ワールド・トレード・センターの 11日の朝から12日の朝までの 24時間を撮った30分ものです。 まず、タワー崩壊の映像があって、 その後、現場で負傷者を運びだしたり、 消火作業に消防隊員が硝煙のなかで活動しているさまを 生々しく密着取材しています。 「鉄骨って、あんなにねじ曲がるんだ」 ・Evan Fairbanks'video from the NY September 11 これは、フリーランスの写真家が、 たまたま、その歴史的瞬間に トリニティ教会にいて、 危険を顧りみず、 現場に走っていって撮った22分の映像です。 かれは、一度、身柄を拘束されるのですが、 北棟への航空機の衝突、 その1時間半後の南棟の崩壊のさまを 記録しています。 音声がまったくないのが却って、 おそろしさを増幅させていました。 オトーサン、 この映画のあと、 9.11の特別写真展を見学。 「うーん、やっぱり他人事じゃないなあ」
オトーサン、 いま帰国の航空機のなかで、 書きはじめたところです。 離陸したらすぐにでも パソコンを使いたいのに、 ようやく、いま電気機器の使用許可の アナウンスがあったところです。 「機内でも、画面はまあまあ見えるな」 問題は、満席で椅子の間隔が狭いので、 画面と目との距離が近すぎることぐらいでしょうか。 オトーサン、 手帳を開いて、 今回の買い物リストに目を通します。 「今回は、物を買わなかったな。 日本にいるときよりも費わなかったかも。 アメリカ経済に貢献できなかった。 買いたいものなんか、なかったし... これじゃぁ、景気悪くなるはずだ。 ...税関申告書も、不要だな」
オトーサン、 でも、ソーホ−のH&Mには、ご不満。 「サイズが合わうのがないじゃん」 五番街のH&Mに出直して買いました。 「さすが、旗艦店だけのことはある。 サイズも色数も多いなあ」 奥方、 「あれっ、SOHOでなくても、税金がかからないのね」 Sacks 5th Aveの親切な案内嬢に聞くと、 メモ書きしてくれました。 オトーサン、 手帳のポケットに、大事にはさみこんでいたので、 取り出します。 "Under $110 No tax Clothing & Shoes only" 「へえ、そうなんだ。 NY市内ならどこで買っても無税なんだ。 だから、39ドル、ぴったしだったんだ」 そう娘に報告すると、 新聞記事のコピーをくれました。 バタバタしていたので、読んでいませんでした。 オトーサン、 これも6つ折りにして 手帳にはさみこんであったので、 開けてみましょう。 「ニューヨーク6月7日時事 消費税免除で景気テコ入れ=NY州、市がテロ被災地域支援」 とあって、 「昨年9月の同時テロ事件で大きな経済的打撃を受けた マンハッタンの南部地域の景気てこ入れのため、 今夏、3回にわたり期間限定で消費税を免除すると発表した。 実施するのは6月9日から11日、7月9日から11日、 8月20日から22日の計3回、9日間。 チャイナタウンや若者の町ソーホーを含む対象地域の レストランやホテル、個人商店などでの買い物が 500ドル(約6万2000円)以下の場合、 同州・同市合わせて8.25%が免除される... ブルームバーグ市長は 「対象地域の数千店で買い物をしてもらいたい、 そうすることで景気だけでなく事業者の士気も高まる」 と訴えた。 オトーサン、 「そうだったんだ。 こんなところにも、911が影を落としていたんだ。 今回は、モバイルしたくてNYに来たようなものだけど、 結局、グラウンドゼロにはじまって、グラウンドゼロに終わった。 題名、変えようかなあ。 「グラウンドゼロ・アゲイン」に。 まあ、いいか。 「あくせくアクセス、ニューヨーク」でも。 あくせくモバイルばかりしていたからなあ。 後記: なお、本文中に出てきた奥方は、 あくまでも架空の存在であることを お断りしておきます。 オトーサン、 こう書き終わって、 窓際の席を占拠して ぐっすり寝入っている奥方の顔を見やります。 「カネ出して、付き合って、 その上、悪口書かれちゃ、立つ瀬がないよなあ」
オトーサン、 9月も半ばを過ぎると、 真夜中に目覚める時差ボケも解消して、 はやくも、次の旅行計画に着手しています。 奥方も、同じようで、 「あのね、JALのマイレージが溜まったので、 どこか行かない?」 「でも、年末は、予定が詰まっているぜ。 奴の結婚式でゴールドコーストに行くんだろう」 「そうなのよ、出ないわけにもいかないし、 そうすると、日程が苦しくなるし、 それで困ってるのよ」 「そう困るような問題じゃないだろう」 オトーサン、 ある休日、本屋にぶらりと立ち寄ります。 文庫本や新書コーナーをうろうろ。 新潮選書の朽木ゆり子 「盗まれたフェルメール」(2000) なる題名が目に入りました。 「フェルメールか、面白そうだなあ」 オトーサン、 フェルメールが大好きです。 その丁寧に描きこまれた室内画に心が休まります。 慌しい現代から逃れて、 17世紀の濃密な時間と空間のなかに 描かれた女性像や家具の数々に出会って ほっと一息をつくのです。 フェルメールは、 17世紀オランダの画家、 近年、とみに評価が高くなっています。 現在、残っているのは、わずかに30数点。 オトーサン、 「アメリカにあるのは全部見た。 メトだろ、フリック・コレクションだろう、 ワシントンのナショナル・ギャラリーにも行った。 あとは欧州各国だけど、 ルーヴルとロンドンのナショナル・ギャラリーは行ったから あとはオランダやドイツか。 次は、アムステルダムの国立美術館に行くか。 4点もあるし、レンブラントの夜警も見たいからなあ...」 フェルメール狂は、世界中におります。 勿論、日本にもちゃんといます。 どこに行けばフェルメールに会える? オトーサン、 「巡礼もいいなあ」 そんなことを思いながら、 本を手にとってパラパラめくります。 第3章 史上最大の美術品泥棒---ガードナー美術館事件 「ガードナー美術館って、あのボストンの イザベル・スチュワート・ガードナー美術館のことか?」 原則として本の立ち読みはしないほうですが、 本を手にとります。 「おやおや、この本、 全部が、この事件のことを扱っているんだ。 お金が勿体ないけれど、買うか」 この本、おすすめです。 「いやあ、面白いの何の」 まず、事件の発端をご紹介しましょう。 事件の起こったのは、1990年3月17日。 「3月17日といえば、セント・パトリック・デイ。 アイルランド人のお祭りの日だ」 NYでは、緑色の衣装に身を固めたひとびとの 大パレードが五番街で行こなわれます。 ボストンはアイルランド移民が多いので、 同様にお祭りが盛んです。 この日の夜、 ガードナー美術館の4代目館長、 アン・ハウリーさんは、夫とともに、 お祭りをエンジョイして、深夜に帰宅。 「ねえ、美術館に寄っていかない?」 「もう遅いから、帰ろうや」 夫の一言に従ったのを、後に激しく後悔することになるのです。 警察の調べによると、 警官を装った2人組が、美術館を訪れたのは、 3月18日の午前1時24分。 「不審な人物がこの辺りに侵入したようだ」 学生アルバイトの警備員が気軽にドアを開けたところ、 羽交じめにされ、後ろ手に手錠、猿ぐつわ。 午前2時45分、 賊は退散。 盗まれたのは、 オランダ絵画5点、 印象派6点、 中国の杯と鷹の飾り物でした。 このなかに、フェルメールの「合奏」が含まれていたのです。
PHOTO:フェルメール「合奏」
翌3月19日のボストン・グローブ紙には、 以下のような大見出しが踊りました。 「ボストンの2億ドルの美術品強盗。 世界に残された32点のうちの1点、フェルメールの盗難は最大の損失」 オトーサン、 「合奏はどのくらいの値段なのだろう?」 読み進みましたが、 「値段をつけるのは不可能である」 とか、 「全体で、2億から3億ドル」 としか出ていません。 「半分として、100億円以上か」 みなさんもご記憶でしょうが、 バブル時に安田火災がせり落とした ゴッホのひまわりが58億円でした。 その後、大日本製紙名誉会長の斉藤了英さんが ゴッホの「ガシェ博士の肖像」を125億円で購入しました。 史上最高額でした。 オトーサン、 「まあ、大体分かった」 本を閉じようとして、 「第7章 アート・テロリズムの幕明け」 という題名に気づきました。 「へえ、フェルメールの絵画は、何度も盗まれているんだ。 しかも、2度も盗まれた絵画もあるんだ」 以下のリストをご覧ください。 ・恋文 (マリオ・ピエール・ロイマンスの犯行: ブラッセル、パレ・デ・ボザール、1971.9.24) ・ギターを弾く女 (IRAの犯行: ロンドン、ケンウッド・ハウス 1974.2.24) ・手紙を書く女と召使 (IRAの犯行: ダブリン、ラスボロー・ハウス 1974.4.26) (マーチン・カーヒルの犯行: ダブリン、ラスボロー・ハウス 1986.5.21) IRAとは、北アイルランド解放戦線。 長年、英国を相手にテロを敢行してきた集団です。 フェルメールの絵画と引きかえに 自動車を爆破した女性囚の釈放を要求したのです。 オトーサン、 「ふーん、絵は、みんな戻ってきたのか。 すこし傷がついてけれど、無事に戻ってきたのか。 よかったなあ。 ほう、最後の事件の犯人はIRAではなかったんだ」 実は、 「手紙を書く女と召使」を盗んだのは、 マーチン・カーヒルという美術品泥棒でした。 赤外線警報装置が鳴って、警官がかけつけ、 「警報装置が故障したんだろう」ということで帰った後、 カーヒルは、邸内に忍び込み、強奪に成功。 世界各国の美術商やコレクターに声をかけて売り込みます。 その過程で、 「またもやIRAの仕業か」 という説が濃厚になってきました。 しかし、この頃には、IRAは停戦に向かっていたので、 あらぬ嫌疑をかけられて、激怒したのです。 「カーヒルを消せ」 そんなこととは露知らぬカーヒルは、 ロバート・デ・ニーロの「ブロンクス物語」なる ビデオを返却しに行くために 自宅を出てT字路で信号待ちをしているところを 待ち伏せしていた殺し屋に 至近距離からマグナムで撃たれました。 こうして、カーヒルは、 IRAのテロ事件の最後の犠牲者となったのです。 オトーサン、 「これって、映画になりそうだなあ」 しかし、ガードナー美術館から盗まれたフェルメールの 「合奏」だけは、まだ発見されていません。 ガードナー美術館は、 フェルメールの絵画を含め、 盗難に遭った美術品すべてについて 発見者への報奨金として100万ドル提供すると 呼びかけましたが、犯人もみつからず、 絵画も帰ってこなかったのです。 「へえ、この事件のことが、 FBIのホームページに掲載されているんだって」 本の脚注にあるURLを入力してみました。 ガードナー美術館からの貴重な美術品の強盗事件 「おや、出てこない」 しょうがないので、 あちこち探してみました。 すると、 FBI Websites Document Evidence Against Bin Ladin(1997.12.15) という記事に行きあたりました。 Bin Laden Endorses the Nuclear Bomb of Islam なる見出しもがありました。 「おお怖わ、核爆弾も考えていたのか?」 オサマ・ビン・ラディンの写真入りの手配書もあります。 Most Wanted Terorits オトーサン、 FBIのサイトでようやくお目当ての ガードナー美術館事件の記事を探し出しました。 「あった!」 盗難品明細と2人の容疑者像 「容疑者は白人か。 報奨金は500万ドルになっている」 アン・ハウリー館長は、 セント・パトリック・デイに事件がおきたので、 IRAの仕業と思ったようですが、 どうもそうではなかったようです。 オトーサン、 ふと、気づきました。 FBIは、そのサイトに接触してきた人物を 常時、逆探知しているということです。 何かの雑誌の記事で読みました。 「おお怖わ」 いまは、ただでさえ神経質になっているFBIが 厳戒態勢をとっている最中です。 慌てて、FBIとの接続を切断しました。 オトーサン、 NYのケネディ空港に向かったときの 運転手との会話を思いだしました。 パキスタン人の学生と名乗っていました。 「オサマ・ビン・ラディンだけど、 どこに隠れているか知らないか? パキスタンというのが有力だけど」 冗談の続きでそう聞くと、 かれは、こう言い返してきました。 「日本じゃない?」 「えっ」 ところで、 みなさん、 フェルメールの「合奏」、 どこの国に売りとばされたか分かりますか? 最有力の説は、日本なのだそうです。 ほんとうに、世界は狭くなり、 悪事も千里を飛ぶ時代になりました。