目次1 へい、マスター、知ってるかい? 2 いいコロナー 3 赤いスプリンターで暴走族に... 4 アスレチック・マーク2 5 走らないコロナ 6 クレスタの事故で憧れのソアラへ 7 ムーブの車両火災
1 へい、マスター、知ってるかい?
いまどき、 「おーいクルマ屋さん」 なんて大メーカーのひとにいおうものなら、 キツーイ目でにらまれるかもしれません。 オトーサン、 クルマ屋があまりえばらないほうが、世の中よくなるようにも思います。 明治時代は「車夫馬丁」などとよばれて、軽蔑されていたし、 戦後は、当時の日銀総裁から 「外国にいいくるまがあるのに国産車などいらない」といわれておりました。 そのくらいでちょうどいいのです。 どうせ、不要不急の品物。 クルマなんかなくたって、ホントは、こまりません。 にんげんは、みな、立派な足をもっております。 オトーサンが 若気の至りで、名古屋の自動車販売会社に就職したとき、 まわりからは 「なぜ、都落ちするの?」と聞かれたものです。 財閥系の会社じゃ、規則がうるさくて、窒息しそうだったので、 自由な雰囲気の中小企業を選びました。 意気込んで入社しましたが、すぐに後悔しました。 最初に入った寮は、八事。 お墓の横でした。 次の寮は、名古屋郊外は、清洲。 これは、田んぼの中でした。 6畳1間に2人。裸電球がわびしかったのです。 残業後、少し夜遊びして帰ると、あたりは真暗です。 田んぼに落ちて、寮にたどりつくと、門灯のあかりが見えて...、 そこに浮き出た文字は、 何と、 「ヨタ自動車販売OO寮」 ヨタですよ、ヨタ。 その頃のトヨタなんて、ほんとうに、ヨタヨタしていました。 中小企業で、かっこうよくいえば、ベンチャー企業。 ニッサンにいいようにやられて、年中ヨタヨタしてました。 オトーサンの初任給は、たしか1万3000円でした。 1年365日、 クルマに接していれば、自家中毒になります。 「ああ、クルマがほしい」 心がうずきます。 「でもなあ、こんな給料じゃ、クルマなんか買えないよなー」 オトーサン、 悶々とした日々を送っておりました。 ところが、 ある日、 同期で同じ寮生で、 遊び友達の酒井進児クンが、 (トヨタ専務からKDD副社長。KDDは合併で名前が変わってKDDI) 意気揚々と1台のクルマを寮にもってきましたよー。 4人、割り勘で買わないかといいいます。 先輩から中古車を買ったそうです。 いくらだと聞くと、 1万6000円! オトーサンたち、 ひとり4000円でクルマを買ったのでした。 そのクルマの名前が、マスター。 わが国自動車史の「裏方的存在」でした。 じつは、クラウンの姉妹車。 トヨタ自動車で作らず、関東自動車工業に造らせたのです。 エンジンは1500ccで共通、車体も共通。 どこがクラウンとちがうかというと、足まわり。 つまりシャシーが、クラウンは乗用車用、マスターはトラック用だったのです。 当時の日本の道路は、未舗装が多かったですよー。 くるまは、すぐガタがきます。 しかし、トヨタとしては、ハイウエーを走る外車のような足回りにしたい とはいえ、壊れやすいという評判がでたら、サア大変。 初の国産乗用車として社運を賭けて売り出した以上、失敗は許されません。 そこで、リスクヘッジといえば、聞こえはいいいけど、二股をかけたのですな。 クラウンがこけても、マスターがあるさ。 で、そのマスター。 いくらオンボロでも、4人で所有しようとも、 愛車は愛車。 気兼ねしないで、好きなように使えるっていいですよね。 オトーサンたち、 よく運転の稽古をしました。 ドアは観音開きで、3ドア シースルーフロア、4気筒2気筒の可変エンジンでした。 若いひとにそういうと、目を丸くして 「へえ、そんなスゲエ、クルマがあったんですか」といいます。 「なあに、4ドアだったが、ドアの1つが錆びて開かなかったので、 3ドアというわけさ。 床に開いた穴から地面がみえたからシースルーフロア。 時々、ディストリビュータが外れて4気筒が2気筒になったんだ。 アクセルをいくら踏んでも、スピードは30キロしか出なかった」 オトーサン、つい得意になって解説してしまうのです。 腕木式(!)の方向指示器。 おまけに、これが故障していました。 ある夜、例のごとく4人で、寮の周りを走っていると、 不審なクルマと思われたらしく、パトカーにつきまとわれました。 角を3回、回ったと思し召せ。 もう1回、回るとちょうど一周になります。 パトカーは、まだ、ついてきます。 方向指示器は故障中。 絶体絶命の時に、 なぜか、この方向指示器が、働いてくれたのです。 おかげで、難を逃れました。 後にも、先にも、この1回だけ。 当時のクルマは、マイコンでなく、念力で動いたのです。 このマスターは、エピソードには事欠きませんでしたよー。 繁華街でクラクションを鳴らしました。 ところが、なぜか、鳴り止まなくなりました。 何事か、とひとびとがオトーサンをみます。 若い娘も集まってきます。 あー、はずかしい。 どうしよう、どうしよう。 オトーサン、顔を赤らめます。 (こんなウブな時期もあったのです) 万策つきて、ハンドルごと引きちぎって、 ようやく鳴り終わりました その間10分。 なーんてこともあったので−す。 ある冬の早朝のこと。 スケート場で割引料金で滑ってから、出社しようとしました。 突然ブレーキが壊れて、名古屋駅前の交差点の赤信号に突っ込んだのです。 幸い、事故にならずにすみました。 「どーして?」 当時は、まだクルマの数が少なかったからです。 今じゃ、そんなこと、考えられないでしょ。 断崖絶壁のそばで、 横転事故を起こしたこともあります。 運転者(若い寮母さん)が免許取りたてで、 スピードを出すのが、うれしくてしょうがなかったのです。 「じゃあ、みんなで恵那峡までドライブしようや」 若い独身男女4人、楽しいドライブになりました。 帰路、後ろからルノーが追い抜きにかかってきました。 「外車なんかに抜かれるな」 なんて、リアシートから騒ぐひともいます。 彼女、砂利道でしたが、ガンバッテ、スピードをあげました。 目の目にカーブ。 「こりゃ、危ない、回りきれないわ」 と思ったのでしょう。 砂利路で急ブレーキをかけたのです。 ゆっくりと世界が回わりました。 オトーサン、 「ああ、こんなものか、死に際に、走馬灯のように人生がみえるというのは」 と思いました。 1回転して裏返しになりましたが、 崖っぷちで止まりました。 全員無事。 4人で、 「よっこらしょ」とクルマをもとにもどして、 点検しましたよ。 被害はといえば、 フロントガラス全損と、 オトーサンのメガネのガラス破損だけで済みました。 23歳で、あやうく閻魔大王の腕に抱かれるところだったのです。 あとは、余生。 ずいぶん、長い余生です。 いわば、オトーサンは、 余生のべてらん マスターのおかげで、いち早く人生のはかなさをマスターできたのでした。 人生、生きているうちが花。せいぜい、たのしまなくっちゃ。
2 いいコロナー ご存知でしょうか。 小林旭さんの唄に「モーター唱歌」があるってことは。 モーターショウと唱歌のかけことばです。 「小林旭って、だあれ?」 若いひとのなかには歌謡曲には縁がないので、 こういう質問を発するひとがいます。 「だって、キミィ」 とついオトーサン、 声を張りあげたくなります。 「美空ひばりのダンナさんだよ」 「uso! あの美空ひばりが結婚していたのー?」 まあ、いいでしょ、いいでしょ。 原注:「美空ひばり」こと加藤和枝は、 1962年11月、25歳の時に 小林旭と日活国際ホテルで盛大に結婚式をあげた。 東京・上野毛に新居を構えたが、1か月そこそこで 夫婦仲は冷却、64年6月、離婚を発表した。 1年7か月の加藤和枝としての生活だった。 オトーサンは、 音痴で、 カラオケなどには行きません。 人前で、歌うような そんな はしたないことはいたしません。 それでも、やんごとない事情があると、 歌うこともあります。 ひとつしかない持ち歌が、小林旭さんの 「キョウト ニィー イルトキャァー シノブー ト イワレタノー コウベジャー ナギーサ ト ナノォーッタノー」 ではじまる「昔の名前で出ています」でした。 原注:作詞:星野哲郎、作曲:叶弦人 日本列島改造論のバブル期に銀座のホステスが急増。 その後、石油危機で一転不景気。 各地に流れたホステズの実態を歌ったものです。 オトーサン、そのワビサビが好きでした。 この小林旭さんの持ち歌に モーター唱歌があって、こちらはコミカルでした。 コロナが、歌いこまれています。 今回引用しようと、思って図書館でさがしましたが、 みあたりませんでした。 」 当時のクルマの名前のほとんどが歌詞に入って いますので、コロナが入っていても不思議はないのですが、 とりあげてもらえなかったクルマだってありました。 つまり、売れないクルマです。 コロナだって、危うくそうなりかけていました。 「雨漏りする」 「砂利道を走れない」 そんな悪評だらけ。 危うく消えてしまう運命にあったのです。 ところが、懸命の製品改良、ジャンプしたり、 崖から転げ落ちても大丈夫といったCF、 名神高速道路10万キロ連続走行などといった 努力で何とか踏みとどまっていました。 そんなとき、オトーサンのような貧乏社員に 新車のコロナを買うチャンスがめぐってきました。 新型車の最初の500台を、社員に格安で販売しようという のです。 これ以上、不具合が出たら大変。初期不良がままあるから 社員にテストがてら買ってもらおうというのです。 オトーサン、 貯金などありません。 もちろん、ボーナスでも足りません。 母に手紙を書いて仕送りをしてもらいました。 コロナの新車!を、春日工場に取りにいった帰り 道に迷いました。 はじめてのクルマって、どこに何があるか分からないものです。 それに道路の不案内でした。 運転に迷い、道に迷っても、 あんなに嬉しかったことはありません。 オトーサン、 文字とおり天にも上るような気持ちでした。 だって、新車に乗っている! 乗れるようになったのだ。 そういう恵まれた身分に一挙に抜擢されたのだ という気分でした。 考えてみれば、おそろしい。 だって、「運転」でなくて、「運天」だったもの。 奥方となるべきひととデートするために、 名古屋から東京まで走っていったこともあります。 「別に、どうってことないじゃない。 せいぜい、4,5時間でしょ」 とんでもなーい。 東京オリンピックを前に、新幹線は開通していたが、 東名高速道路は、まだ開通していませんでした。 国道1号線を時速60Km以下で、のろのろ。 11時間かかりました。 その間、一回だけ、トイレ休憩。 そんなわけで、東京についた頃はもう意識もうろう。、 渋谷の松涛の陸橋の橋げたに危うく激突しそうに なりました。 これも、「運天」のほうです。 でも、まあ... その後の私の人生も、愛車遍歴も、まさに 運を天に任すように 進展していったのでした。 このコロナについては、こんな程度のことしか 思い出せません。 次のコロナは、ハードトップでした。 結婚してしばらく、奥方が街でみかけて 「あれ、いいわね」 といいます。 それが、コロナのハードトップでした。 どうやって入手したのかは忘れましたが、中古車。 これも買った当初のことをよく覚えています。 奥方と国会議事堂のあたりを走っていて ちょうど隣に並んだのが、同じコロナのハードトップ。 色もおなじ白。 りっぱな身なりの紳士は弁護士か医者か。 こっちは、ただのサラリーマン。 クルマは、中古。 でも、ウチのほうが、少しクルマのグレードが上。 自動的にアンテナがあがる。 「どうだ、ホレ、ウチのは、こんなこともできるのだぞ」 奥方も得意顔でした。 ところが... 相手も、同じようにアンテナをするすると 上げます。 お互いに顔を見合わせて、大笑いになりました。 先方も、買いたてで、うれしかったのでしょう。 いまじゃ、割り込んだお詫びにハザード・ランプを点灯するのが 流行しているが、アンテナのあげさげも なかなか オツ なもんですよ。 コロナ2台の噺は、そろそろ、こんなところで、 終わりにしたほうが、いいコロナー。
カローラ、 2000年もベストセラー。 発売以来、連続34年間首位とは、ものすごい記録です。 カローラが発売されたのは、1966年。 会社は総力をあげて、このクルマを育てました。 オトーサンが所属していた販売拡張部(宣伝部)も、 キャンペーンに全力投球しました。 売れ行きも好調でした。 カローラの発売後2年して、 変り型のスプリンターが発売されました。 カローラが箱型のセダン、 スプリンターはファストバックのスポーティ・セダンです。 このコマーシャルの曲が、しゃれていました。 クルマよりも、コマーシャルのほうの出来がいいほど。 作曲家は、ご存知、ハマクラこと、浜口倉之助さん。 「バラが咲いた」「黄色いサクランボ」「愛しちゃったのよ」 など、数々の名曲をヒットさせた方です。 オトーサン、 コマ−シャルに出てくる赤いスプリンターが すっかり気にいってしまいました。 カタログを何度も読み返します。 どんな小さな字で書いてあるところも見逃しません。 しまいには、寝床の中にも持ちこみます。 お分かりですか? 新車購入前の数ヶ月のあの興奮状態。 納車されると、 生田の社宅から多摩川を渡って駒沢のボーリング場に 奥方と通いはじめました。 当時は、ボーリングの全盛時代。 2時間待ちがザラでしたよー。 駐車場に置いて、振り返ると、ちょうど雨が降っていて コマーシャルのシーンそっくり。 ふたりは、映画の主人公になったような気がいたしました。 まだ、若かったから、そんな錯覚に身をゆだねることもできたのですなあ。 で、そんなことを繰り返していたある日。 帰宅しようと、世田谷道路を多摩川方面に向かって走っていると、 後ろから妙な走り方をするクルマがちかづいてきました。 かまわなければ、よかったのでしたが、 傍若無人の走り方に、 オトーサン、 つい持ち前の正義感が出て、交差点で並んだときに、窓を開けて 「あぶないじゃないか」と注意いたしました。 「何をッ」が返事です。 「出て来い、車から降りろ。噺をつけようじゃないか」 と畳かけてきます。 しかも、強そうな若いアンチャンが4人も。 TV番組では、ここで、決まって 「助さん格さん、懲らしめておやんなさい」 と水戸黄門が発言するのですが、あれはドラマ。 こちらは、か弱い奥方と2人。 とても、勝ち目はありませーん。 そこで、遁走することにしました。 この辺りは、勝手知ったる道、何とかなるでしょう。 ところが、 オトーサンが 相当のスピードで走って 振り切ろうとしても、赤信号を無視して、追走してきます。 オトーサンも、逆上していますから、信号無視で走る。 危険このうえない。 奥方がとなりでおろろしております。 20分も続いたでしょうか。 前方に交番がみえました。 交番脇の狭いスペースにクルマを滑り込み。 暴走族は、窓から頭を出して、 「バカヤロウ!」 怒鳴って走り去りました。 待ち伏せしているのではないかと、 おそるおそる 多摩川のほうへ走っていきましたが、 何ごともなく、 この件は 「一件落着」 とあいなりました。 メデタシ、メデタシ。 このカーチェイス事件もこわかったのですが、 もっと怖かったのは、パリ郊外でのドライブでした。 オトーサンが、フランス語を学んだことは、 読者の皆様、ご存知でしょう。 (参照:パリグルメ探訪) 娘たちが生まれたばかりの年、 1972年の暮れから73年のお正月にかけて、 はじめてパリにまいりました。 その時の武勇伝はいろいろありますが、 後日、公開することにして その目標が達成されると、オトーサンの次なる目標は、 奥方とパリの郊外をドライブすることにしぼられたのでした。 地平線まで、どこまでも続く、あの絵のような風景を、ひたすら走る。 そんなオトーサンたちに、ポプラ並木は、あいさつをし ひなげしの花は、ほほえみかける。 やがて教会の尖塔がみえてき、至福の鐘の音が聞こえる。 ああ、なんて素敵なんだ。 その夢を実現せんと、 オトーサンは、奥方をアテネ・フランセに通わせて、 運転免許も取らせました。 準備は万端、あとはパリにいってからレンタカーを借りるだけ。 、 パリ市内の場末に、ようやく探しあてたのが、トヨタ・レンタカーの店。 道理でみつからないはずです。裏通りにある、小さくて汚い店でした。 まあ、モーター屋が、本社のやつらがうるさく言ってくるから、 何台か置いてやろうかという感じの客扱いであります。 ハーツやエイビスのように、きれいなオネエチャンが、 「ハーイ、メイ アイヘルピュー」というわけにはいきません。 汚れきった人生に疲れきったオヤジが、 アゴで従業員のアラブ人を呼んで、何やら指示しております。 「いっそ借りるの、やめたろか」 とオトーサン、思いましたが、ふみとどまりました。 パリ中、さがしても、トヨタのカローラを 貸してくそうな店は、ほかになさそうだったからです。 でも、本当に、そこで、やめておけばよかったのです。 ハラワタがよじれるような、恐怖のドライブに船出しないですんだのです。 オトーサンは、学生が弁解するときに、 「知りませんでした」という言葉を吐くと激怒いたします。 「知らぬ、存ぜぬ」ほどひどいことはないぞ。 知ってて過ちを犯すのは、万やむをえない事情があってのことだろうが、 知らぬ存ぜぬは、無邪気に他人を傷つけるのだから、もっとタチが悪い。 オトーサン、 パリでの運転法については、まったく無知でした。 右ハンドル、左側通行というのは、知っていましたが、 それだけでした。 さて、パリ市内は、まごついたものの、何とかなりました。 いよいよ高速道路に入ります。 そこで、オトーサン、驚いたの何の。 スピードの速いこと。 すべて速そうな外車(あたりまえか)が 目にもとまらぬ速さで、目の前をとおりすぎていきます。 どうやって衝突しないで、本線に進入できるのか分かりません。 低速車線から高速車線への移動も 決死隊のような気持ちでやらないと、永久にできません。 実は、 高速から下りて田舎道を走ったときのほうが、 もっとこわかったのです。 2車線しかない道路を、対向車が、時速100Kmで向かってきます。 すれちがう時の音をいまでも思いします。 ヒュッ。 オトーサンは、 手が白くなるほど、きつくハンドルを握り締め、 前方から衝突ゴメンという感じで急速接近してくるクルマを みないようにしてできるだけ、路肩のほうを走りました。 「ギャア」と奥方がさけびます。 中央の運転席側は、恐怖のクルマすれちがい。 そこで、どうしても、オトーサンのほうは、路肩に寄る。 すると、奥方のいる助手席側は、路肩のデコボコに乗り上げる。 樹木も、ザーッと車体をかすめる。 あとから気がついたことですが、ゆっくり走ればよかったのです。 当時のカローラのハンドリングやコーナリング性能の悪かったこと。 30分ほど、必死の形相で、運転して、 ようやく 1軒のオレンジ色のレストランが前方にみえてきました。 まさに、砂漠のオアシス。 オトーサン 顔面蒼白でクルマから降り立ち、大地の安定感を確かるように、 どたーっと草原に倒れこみました。 奥方が、結局、あなたってひとは、私より自分のほうが可愛いのね なんていっているのを確認する余裕すらありません。 目の前にひなげしの花があって、 風にそよいでいました。 勿論、ポプラ並木もありました。 オトーサンは、 疲労困憊で、 あの夢にまでみた風景の中に 自分たちがいま横たわっていることの幸せを 味わうどころではなかったのです。 やがて... ああ、無事が何より。 大事故にならなくてよかった。 生き延びた! 異国の地で白骨にならなくてすんだ。 感謝の念がじわじわと湧きでてきました。 しかし、 ああ、 人生とは皮肉なものです。 帰国後、数カ月たった頃でしょうか。 オトーサン、朝、いつものように会社の同僚2人をのせて いつもとおなじ通勤コースを通って会社に向かっていました。 岡本町の辺り、上り坂で、緩やかなカーブ。 突然、横丁からトラックが飛び出してきました。 急ブレーキも、間に会わずに、激突! 赤いスプリンターはボンネット大破の無残な姿に、 そして同乗者は1カ月入院。 巷では、カローラやその姉妹車・スプリンターを 「オジングルマ」という向きもあるようですが、 決して、そんなことはありません。 以上のお噺で、読者も、十分お分かりになったでしょうか。 クルマは、いつだって狂喜にもなり、凶器にもなりうるのです。
4 アスレチック・マーク2「あんな奴の顔など2度とみたくない」 長い人生のなかでは、そういうことが時に起こりえます。 オトーサンも、人並みに、そういうイヤな奴が何人かおりました。 ほんとに喧嘩しても勝てないので、夢の中で殴りつけたりしています。 さて、大破した赤いスプリンターが保険修理で無事戻ってきました。 でも、このクルマ、もうれっきとした事故車。 運転するたびに、事故のことがアタマに浮かんで、気持ちが悪いのです。 奥方も、 いつもは、家計支出の全品目、とくにオトーサンの支出品目に対して きわめて控え目なほうでありますが、今回は別のようです。 「あんな縁起の悪いクルマなんか早く処分してしまいなさいよ」 とキッパリのたまいます。 「事故のことを考えると、大きいクルマのほうがいいわね。 私みたいに小柄だと、運転しづらいけど」 とはいえ、家計は火の車。 双子も生まれ、3人の養育費は馬鹿にならないので、 とても新車どころではありません。 そこで、オトーサン、飛び切り安い中古車がないかと物色しました。 大きくて、年式が新しくて、走行距離が短くて、フル装備で、事故車でなくて... そんな掘り出し物があるハズがない? いやいや、それが、あったのです。 じゃーん 家族の期待を一身に浴びて登場したのが、 黄色いマーク2. 「思ったよりも、新しいわね」と奥方。 「これ、いいじゃん」と娘たちが声をそろえます。 「かっこういいねえ」と息子。 「そりゃあ、そうだよ。 あの野崎さんがデザインしたんだもの」 とオトーサン。 「そう、あの野崎さんの?」 奥方、すこし尊敬心が足りな言い方になります。 長い話をはしょっていうと、 誰あろう、野崎さんこそ、 あのトヨタ2000GTのデザイナーですぞ。 たまに、2000GTをしらないひとがいると、 オトーサン、 「控えおろう、頭が高い」といいたくなります。 野崎さん、芸大を出て、アメリカのアートセンタースクールに留学。 GMやフォード志望のカーデザイナーをを退けて、 堂々と首席で卒業されました。 やんごとなきお方なのであります。 トヨタ2000GTは、20年たったいまでも、 熱烈なフアンがいて、世界自動車史に残る名車であります。 みなさん その野崎さんが、オトーサンの親友ですぞ。 よく生田の社宅にこられて、豪快にお酒を飲まれました。 いつも、すっかり酔っ払って、 「あのひとお酒を飲みすぎなければ、素敵なのに」 と奥方にいわしめたお方であります。 その野崎さんが、自信をもって世に問うた傑作、 それが、この目の前のマーク2であります。 もっとも、オトーサンちにきたのは、中古車なんだけど...。 早速、家族5人でドライブ。 奥方は、スプリンターよりも広く豪華なシートにご満悦。 こどもたち3人はリアシートではしゃぎます。 カーブを曲がると、 「お兄ちゃん、キャー」 とわざと肩をぶつけあって、じゃれあっております。 「ん?」 しばらく運転すると、妙な違和感を覚えます。 オトーサン、 そこで、冷徹なテストドライバーに早変りいたします。 クルマの挙動をたしかめます。 「あーそうか。これじゃあ、売れるわけないわ」 「中古車が安いハズだよ、超不人気車なんだからなあ」 とひとりごちます。 野崎さんのマーク2、みかけはいいのですが、性能がまるでダメ。 ハンドルが重い。 加速感がない。 コーナリング性能が悪い。 (子供たちはジェットコースター気分で喜んではいますが...) このマーク2、 1978年に新発売されました。 発売当初の数カ月は、ベストセラーを記録しました。 ところが、そのあとがいけません。 まったく売れなくなりました。 原因は、上にあげた性能の悪さ。 その後、マーク2はいくらモデルチェンジをくりかえしても、 日産のブルーバード、スカイライン、ローレルの BSL連合軍に歯がたちません。 トヨタの問題車種になってしまったのでーす。 雌伏10年、性能がよくなって、ハイソカーブームでカムバックしました。 しかし、オトーサンちのマーク2は古いモデル。 半年も乗ると、イヤ気がさしてきました。 同じようなひとが、会社にもいました。 役員のひとりです。 マーク2の営業担当ですから、立場上乗らざるをえません。 しかし、役員にもなるひとは、万事、考え方が前向きですなあ。 ハンドルの重さに感じるところがあって、 アクセルペダルも重くいたしました。 改良を徹底して、アスレチック・マーク2に仕立てあげたのでーす。 販売店には、さすがにいえないので、 オトーサンだけに、得意気にいわれます。 キミイ、キミのも、オレのクルマのようにしろよ。 毎日、筋肉使うから、丈夫な体になるゾ。 その言葉が正しかったのかどうか、 もう故人になられたので、 確かめようがないのは、残念です。 運転ばかりしているので、 足腰が弱くなるって? そんなことはありませーん。 みなさんも、アスレチック・セルシオなんていうクルマを お仕立てになられたらいかがですか? オトーサンが、保証いたしまーす。 きっと、世界に1台しかないクルマになりますよ。 それに、きっと長生きするかもしれませんよ。
念力というものの効果については、 すでに、マスターの方向指示器のケースで実証されています。 要は、強く思い続けさえすればいいのです。 わら人形をつくり、そこに五寸釘を打ち込み、 憎いアイツを呪い殺すという風習が古来から連綿と続いてきました。 あれなんかも、傍証のひとつであります。 さて、 わがマーク2、 いやだなあ、このクルマ、鈍重でー。 どうも、オトーサンはそう思い続けていたようです。 買ってから、半年後に壊れました。 部位は、オートマです。 故障だ、やはり中古車だからと、世間一般は考えます。 でも、オトーサン、そうは考えませんでした。 念力のせいではないか。 そうに決まっておる。 こういう根拠のないことを、ことさら言いつのるとは やはり、相当ボケが進んできたな、なんて思わないでください。 当時のオトーサンはまだ40代の働き盛り。 そんな根拠のない噺をするわけないでしょ。 終りまでお読みにんれば、読者も納得していただけるでしょう。 マーク2、よくぞ壊れてくれた。 勇躍、オトーサンは、次のクルマ探しに乗りだしました。 あの、胸躍るクルマ探し探しです。 でも、あまりに早くこわれたので、ボーナス時期が1回しかやってきません。 また、中古かあ。 おれも、このまま平凡なサラリーマンとして一生おわるのかなあ。 たかが新車を買えないくらいで、そこまでとおっしゃる方は 中年にさしかかった先のみえてきたサラリーマンの悲哀を知らない方です。 オンボロ車でオンボロ人生 明日になれば、いいことが きっとくるよと待ちわびて 顔をこわばらせ、高笑い、 ボロロン、ボローン、オンボロロン、 オンボロ車に、ローンなあー。 なーんて歌がすぐにできてしまう心境、わかるかなあ。 そして明日、 いえ、昨日、 そうなんです。 オトーサン夫婦は、失敗続きの愛車選びにつかれて、 「そういえば、昔のコロナハードトップはよかったなあ」 「なんで、あれ手放しちゃったのかしら」 「じゃあ、またコロナのハードトップにするか」 と明日への希望を失って、昔のクルマの話をしておりました。 「でも、まだ、売ってるかなあ」 そこはモチ屋はモチ屋、全国的に在庫状況を調べることができます。 ありました。 昔のなまえーで、でてーいーま−す。 早速、ウチに帰ってご報告。 「あった。走行距離10万Km。フル装備、色は白」 「おなじね。白なら」 ということで衆議一決。 オトーサン、20万円をもってクルマ屋さんに走ります。 ところが、このコロナ きげんよく走っていたのに、 半年後に、走らなくなりました。 原因は、故障。部位は、やはりオートマ。 再現しました。 ほら、いったでしょ、 念力、念力が存在するって。 でも、今度のクルマは気にいってたんだろう。 そうですよ。 今度の念力は、絶対、自動車会社の念力ですよ。 新車を買ってくれ、買ってくれって、 毎日何十万人もの営業マンが念じているんだから。 また、お金がありません。 「クルマをやめて電車通勤にしたら」と奥方が一応、いったりします。 でも、本心はというと、 自動車会社に勤めていてクルマがないなんてみっともないわ。 重たい荷物も運ぶのは大変だし、 それに、この社宅までの坂がきついのよ オトーサン、 奥方の本心は、先刻承知していますので、 一応、「そうだな。そうするか」といってみます。 すると、やはり 「この社宅は坂がきついのよ」と自白するではありませんか。 まあ、熟年がちかづくと、愛だの恋たのを卒業して、 こういう軽妙な?かけひきの相手として、 かつての恋人をとらえなおすものです。 これもリストラのひとつ。 リストラククチャリング、夫婦関係の再構築なのでーす。 オトーサンたち、 結局、1600ccで緑色のコロナの新車を 社宅のある生田にちかい横浜トヨペットの営業所で ローンで買うことにあいなりました。 ほんとうにいいデーラーですよ、横浜トヨペットは。 神奈川県にすんでいるひとは幸せです。 ほんと? 本当ですよー。 毎年、表彰されています。 何年も、表彰式の演出を担当したのですから、間違いありません。 もうなくなられたようですが、社長の宮原さんには、 トヨタレンタカー創設の頃に、ずいぶんお世話になりました。 だから、営業所にいっても、わが家にいるような気分。 まあ、身内ですな。 商談というほどの駆け引きもなく、奥方にも丁重に応対してくれます。 (でも、当時のセールスは張りきっていて、 昨今のように低調ではありませんよ、念のため) オトーサンたち、応対ぶりにいたく感動いたしました。 ピカピカの新車をじっと眺めてから 、カギをもらって、ドアを開けて乗り込みました。 新車の匂いがプンプン。 シートに座って、計器盤など確かめて、エンジンをかけます。 ブルルン、ブルルン とエンジン音がひびきます。 ボロロン、ボロロン、ボロロンナーではありませんよ。 新車特有のいい匂い。 何度かいでもいい匂いです。 中古車のあのすえたような、腐ったような、 魚を1年間も放置していたような匂いとは、おさらばであります。 オトーサンたち、 意気揚々と家路につきました。 前途有望、わが人生もようやくきつい上り坂を登り終えたなあーっていう 希望が湧いてまいります。 新車購入を機に、 明日から心機一転、人生やりなおすぞーってな気になりました。 かたわらの奥方をみると、上気したせいか、美人にみえます。 「ほれた尿簿に(原文のママ) (どうして、このWORD2000の変換は「女房」がという字が 素直に出ないのですかねえ。せっかく盛り上がっていたのに) 「掘れた女房に」 (またやり直し、どうして惚れたが変換候補の4番目にしかないのですか ビルゲーツさん、あなたは、PCやお金に夢中で、 惚れた女はいなかったんですか?) 「惚れた女房に...」 この変換騒ぎで、せっかくの歌詞を忘れてしまいましたが、 鼻歌まじり、ルンルン気分で家路についたのでした。 ジ・エンド。 ところが、 {?」 どうも、坂がきついのです。 普段走っているときよりも、きついカンジ。 「まさか、昨日の雨で地盤がゆるんだねんてことはないか。 ないよなー」 「そうか、夢中になっていて、サイドブレーキを引いたまま 走っていたのか」 奥方という名のサイドブレーキではなく、本物のサイドブレーキをみやります。 でも、大丈夫。ちゃんと戻してあります。 「へんだなあ」 「前のコロナのハードトップが1700cc、 今度の1600ccだから、100ccちがう。その差かなあ」 散々、カローラの「+100ccの余裕」のCMで 日産のサニーをいじめたことが思い起します。 「そうか。やはり、わずか100ccといっても、 走行性能に相当影響するのだなあ。 しかし、それにしても鈍重だな。 あのアスレチック・マーク2そっくりだなあ」 「しまった!」 オトーサン、 急に気がつきました。 排気ガス対策が強化されて、最初の頃の出来の悪いクルマでした。 ハッキリいえば、不良品。 「よくこんなクルマを平気で売るなあ」 そうつぶやきました。 でも、みなさん 悪いのは社員ではありません。 横浜トヨペットでもありません。 みんな社長のわたしがわるいんですって、社長さんはいわなかったなあ。 その頃は、世間もまあ、社長には、あまかったんです。 はしたないコロナのお噺はここまで。 いや、入力ミス。 走らないコロナのお噺はここまでといたします。
コロナには何年乗りましたっけ。 ジーッとがまんして、坂は登らないようにして、 お金が溜まるのを待っていましたよー。 オトーサン その頃、転勤で、名古屋の社宅に引っ越しました。 敷地80坪、トヨタホームの1軒家であります。 お隣りに先輩でビスタ店の部長をされている方が住んでおられました。 家族ぐるみのおつきあいとなりました。 古い体質の会社では、厳然とした階級・序列があります。 平社員、係長、課長、部長、役員ってえな按配です。 この順にクルマの車格(Grade)を当てはめると、どうなるか。 トヨタ車の序列でいうと、 下からスターレット、カローラ、コロナ、マーク2、クラウンと あいなります。 したがって、 平社員がクラウンにでも乗ろうものなら、 「いつかはクラウン」というトヨタの名コマーシャルで洗脳された 役員の方々が、役員食堂なんぞで、 「どうも、最近の若いもんは、けしからん。 生意気だ。礼儀ってものを知らない」 なんて嘆いております。 昔は、その意を汲んだ人事部から辞令が出て、 その若いもんは、どこか遠方に飛ばされたりしたもんです。 でも、最近はそうもいかない。 「はやくも、クラウン」なーんてコマーシャルがあっても 何の不思議もない時代になりました。 部長になると、部長駐車場にクルマを置きます。 すると、ずーっと、マーク2クラスが並んでいて、 どうも、コロナでは見劣りする。 あいつは、まだ課長なのかってな目でみられているような気がいたします。 お隣りさんも部長ですから、 マーク2三姉妹のひとつクレスタに乗っておられます。 クレスタの営業もご担当されております。 オトーサン、別に担当でもないので、合わせることもないのですが、 結局、おとなりと同じクレスタにしました。 マーク2も考えたのですが、あまりに平凡で個性がないし、 チェイサーは、出来そこないのスカイラインってな感じです。 そこへいくと、クレスタは、やや知的な感じがいたします。 まあ、端からみれば、どーでもいようなことですが、 こまやか神経を使わないと、 この国では、何かと不都合なことがおきるのです。 そこで、クレスタを買いました。 まあ、ほどほどに快適であります。 そこそこに走ります。 オトーサン、 善良な中流階級というイメージで、 毎日を 無事に送っておりました。 ところが、また転勤。 東京ですから、これは希望がかなったというわけです。 クレスタも、当然、移動いたします。 昔とちがって、東名高速道路があります。 どーってことはありません。 やはり毎日を無事に送っておりました。 毎日 朝おきて、顔を洗い、かばんを下げて、 渋滞をさけて、早めに家をでます。 帰りも、 毎日、 定時前にご帰宅とあいなります。 おいおい、トヨタって、そんなに優雅な会社か? 濡れた雑巾をいくらでも絞ったりする「絶望工場」じゃないの。 そんなのは昔話。 フレックスタイムが導入されて、早出すれば、早帰りとなります。 毎日、 早くお帰りになります。 そう、 毎日、 毎日無事に。 おまえのことだから、そろそろこの辺で何かが起きるだろう。 当たり! ほんとうに、当たり! 毎日新聞社前の交差点で当てられたのです。 (どーりで、毎日を繰り返していたわけだ) 赤信号で止まっていると、 後ろからすごい勢いで走ってくるクルマがバックミラーにみえました。 よくある手合いかなと思いました。 急ブレーキの愛好家。 でも、このときは、残念ながらそうではなく、 ドーンときました。 トランクルームがなくなってます。ドアも変形。 修理に出すと、100万円以上との見積もりです。 で、おまえのほうは? オトーサン、 3カ月ほど通院しただけですみました。 あるいは、と身構えていたので、クビだけに衝撃がきませんでした。 突っ張った足や腕にきて、そこら中の筋肉が痛んだくらいですみました。 適度に力が分散されたのでした。 そこで、クイズ。 ぶつけられて いやー、よかった、よかった なんていうひとは、この世の中にいるでしょうか。 いますよ、当たり屋ってやつ。 そう、オトーサンは、突然、当たり屋に変身いたしました。 なぜでしょう。 加害者が、何とトヨタ・デーラーの営業所長さんだったのです。 仕事のことでアタマがいっぱいになっていて、 つい交差点の赤信号を見落としたというから、 おそろしいじゃ、あーりませんか。 最近は、ケイタイで夢中になっているひとをよくみかけます。 なぜ、車内での使用を全面禁止にしないのか不思議です。 お役人が、賄賂でももらってるのかしらん。 それとも、ぶつけられた体験のない人が、法律の管理をしているせいなのか 不思議ですなー。 で、彼の上司がオトーサンの元上司。 本社からの天下りですなー。 原注:20世紀日本の奇習と分かってはいるんですがねえ 「いいつけませんとも。 ええ、いいつけません。 交通事故のことは一切、いいつけません」 そう、オトーサンは、加害者に断言いたしました。 「修理代はちゃんと出します」 彼は、すこし、立ち直っていいます。 「そりゃあそうだよ、どうせ保険がおりるんだろ。 でもなあ、壊れたクルマに乗るのは、縁起が悪いっていうじゃないか」 「そうですね」 会話は私のペースで進みます。 「中古でいいけど、事故ってないクルマがほしいなあ」 「わかります、わかります。そのお気持ち。 で、ご希望の車種は」 と、彼もなかなかしたたかで、すぐ商談に入ろうといたします。 「お金もないから、追い金は出せないよ」 オトーサン、いいます。 「できるだけ努力します」 「ウチの奥方がソアラがいいっていってるんだけど。 あれは高いからなあ。新車だと400万はするんだろう」 「そうですね。セルシオ並みですからね。」 「中古だと、どの位するの」 「まあ、いろいろありますが...」 「あんまり、古いのも、事故を起しそうでイヤだしなあ」 とオトーサン、会話の主導権回復につとめます。 「じゃあ、追い金をできるだけ少なくする方向で探してみましょう」 そのあと、彼は、精一杯の努力をしてくれました。 奥方も、憧れのソアラに乗れるんだったらと、 どこからかヘソくりが出てまいります。 オトーサン、追い金もはらって、ソアラを入手して、大満足。 営業所長さんのほうも一件落着で、満足気です。 そんなことで、 憧れの白いソアラが オトーサンの家にやってまいりました。 グレードも上のほうで、年式もそう古くはありません。 何よりも、スタイルがいい。 トヨタでは、代々技術屋が主査になってきましたが、 はじめてデザイナーが主査になったケースであります。 名車中の目医者。 (またも、変換候補に名車なし。 なんて、このWORD2000はバカなんだろう) そこへいくと、 ソアラを担当された岡田さんは、 頭脳明晰なうえに長身で端麗なマスクと 三拍子そろっておられます。 わが敬愛する内田康彦センセイのミステリーを彩る名探偵、 ソアラに乗っている浅見光彦そっくりなのであります。 その彼がつくったわけですから、 平民がつくったトヨタの他のクルマとはわけがちがいます。 釧路湿原のカモとツルぐらいの気品の差があります。 それまでのご難つづきのクルマどもにくらべて このソアラとの日々 昔見た映画の 「甘い生活」そっくり。 「酒とバラの日々」 てーえな感じでした。 あ、失礼、クルマの話しのなかでは、酒は避けましょう。 英国の貴族にでもなったような数年でした。 帝国ホテルに行こうが、参議院議長公邸に行こうが 胸を張って、ホレホレ、ソアラの、お出ましじゃい。 控えおろう、下におろうてぇな感じですなー。 でも、高級車にのると、 確実にヒトは退化するということも分かりましたよ。 だって楽チンなんだもの。 何の努力もしないでも、ひとは尊敬してくれるし、運転は楽だし。 だから、若いのに高級車に乗ってると ホントに、WORD2000みたいになっちゃうよ。 では、おあとがよろしようで。 この噺は、これで打ち切りー。 岡田さんが主査をやめてからのソアラは、 残念ながら、 生産打ち切りでも、不思議でないほどの低迷ぶり。 「責任者、出てこい」 「前任者、戻ってこい」 というのが、ソアラ・フアンみんなの気持ちであり、 また、オトーサンの正直な気持ちでもあります。
ここで、奥方の愛車を紹介しておきましょう。 最初は、軽のスズキ・アルトでした。 55万円でした。 家からスーパーへちょっと。 雨がふったので、学校へ子供を迎えに。 あとは、テニス・クラブに通う程度。 チョロチョロ。ちょろちょろ。 奥方が、街の中で使うぶんには、何の不便もありません。 何しろ、10年間で走行距離1万kmというような使いかたですからねー。 ところが、古くなってまいりました。 いろいろ不具合が起きてまいりました。 バッテリーがあがる。 ドアのハンドルがとれる。 車体のあちこちにサビが目立つ。 それでも、奥方は、「でも、まだ走れるわよ」と頑張っていました。 ところが、天井がはがれて落ちてまいりました。 しばらく、アタマで天井を支えて走っていたようですが、 「もう寿命ね」 とついに、オトーサンに告白いたしたのであります。 これも、長年の夫婦の会話のニュアンスを汲みとらなくてはいけません。 その頃、オトーサンはすでにアウディに乗っていましたから、 この事態を放置しておこうものなら、 「あなたって、いいわねえ。自分ばっかり外車にのって」 と喧嘩がはじまり、はては、熟年離婚という非常事態に発展しかねません。 そこで オトーサン、 翌日には、ダイハツの副社長さんに電話して、 「ムーブ買うことにしたけれど、連休前には納車してね。まけてね」 とお願いしたのであります。 また、マーチの中古車を買って、これは東京の家の足代わりにしました。 息子と娘の専用車です。 若い諸君、人生を快適に過ごそうとするならば、何でもサッサとやることです。 話が、わき道にそれました。 さて、山荘専用車として使ってみると、ムーブはすばらしいクルマでした。 高速走行では、110kmを超えるとふらふらしますし、 車体もぺらぺらした感じですが、 ターボですから、並の小型車以上の出足で、急な坂もスムースに登れます。 リアシートを折りたたむと、広いスペースが出現するので、自転車も積めるし、 山荘で使う材木を運搬するときは、汚れを気にしないですみます。 何より天井が高いので、視界のいいこと。 たまに、お客さまをお乗せして、八ヶ岳の裾野を走ったりすると、遊覧車になります 奥方がきわめて気にいっているので、 先日、駐車場で燃えてしまったあとも、修理して使っています。 「燃えた? それって欠陥車でなーい?」 ダイハツさんの名誉のためにいいますが、そうではありません。 隣に駐車したタクシーの運転手さんが、 夜中に酔払って寿司やから帰ってきて、そのまま寝こんでしまったのです。 寝ぼけてアクセルを踏みっぱなし。 エンジン過熱、火災発生、わが家のムーブに延焼というわけです。 オトーサン、 何度か交渉して、 修理費用を相手に全額もってもらうことにしました。 奥方にいいます。 「ねえ、あれ、縁起が悪いし、山荘に置き放しだろう。 バッテリーもあがるし、塗装もいたむから、そろそろ売払わないか?」 うなずくかと思うと、 奥方は、ケンもほろろ。 「あれ、気にいっているのよ」 直したら前よりキレイになたから、 そのまま使うといっております。 ムーブは そのくらい奥方が気にいっている名車なのであります。 軽は、税金も維持費も安いからねえ。 あまり距離も走っていないし。 それに、八ケ岳のふもとあたりだと、軽が主流派なのです。 これが、環八沿いだと、外車が主流なのですが。 クルマにも「ところ変われば、品変わる」があてはまるのです。 当分、わが家では、ムーブが居座るとおもいます。 わが国でも、一番売れているのは、カローラやヴィッツではなく、 スズキのワゴンRやダイハツのムーブ。 軽が、国民車なのです。 奥方は、人並みにしてると、 わが国ではきわめて安心ということを知っているのです。
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