オトーサンの2000年

ほのぼの映画批評


前口上

この映画批評は 映画好きのひとが、にゃっと笑ってしまうサイトです。 だって、映画そのものよりも、見る前と後を楽しもうというもの。 これって、日本初? そういう映画の楽しみ方だって、許されるのです。 2000年は映画の新しい全盛期。 これまで映画に縁遠かったひとに言いたいけれど、 映画って、ほんとうに楽しいですよ。 映画三味で人生を心豊かに過ごしましょう。

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目次

103 シックス・デイ 102 ダンサー・イン・ザ・ダーク 101 グリンチ 100 13デイズ 99 オーロラの彼方へ
98 ホワット・ライズ・ビニース 97 宮廷料理人ヴァテール 96 バーティカル・リミット 95 セクシャル・イノセンス 94 カル
93 タイタス 92 シャフト 91 悪いことしましょ 90 この胸のときめき 89 チャーリーズ・エンジェル
88 リプレイスメント 87 グリーン・デスティニー 86 薔薇の眠り 85 スペース カウボーイ 84 ナッティ・プロフェッサー2
83 キャステイング・ディレクター 82 バトルフィールド・アース 81 インビジブル 80 ダンサー 79 X−メン
78 シベリアの理髪師 77 60セカンズ 76 ボーイズ・ドント・クライ 75 キッド 74 マルコヴィッチの穴
73 オータム・イン・ニューヨーク 72 パトリオット 71 ミュージック・オブ・ハート 70 U−571 69 WHITEOUT
68 リプリー 67 ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ 66 パーフェクト ストーム 65 ムッソリーニとお茶を 64 レインディア・ゲーム
63 M;i-2 62 サイダーハウス・ルール 61 二番目に幸せなこと 60 ザ・ハリケーン 59 エニイ ギブン サンデー
58 グラディエーター 57 インサイダー 56 ミッション・トゥ・マーズ 55 エリン・ブロコヴィッチ 54 ロミオ・マスト・ダイ
53 マーシャル・ロー 52 オール・アバウト・マイ・マザー 51 アメリカン・ビューティ 50 ザ・ビーチ 49 ボーン・コレクター
48 スリー・キングス 47 救命士 46 ヒマラヤ杉に降る雪 45 グリーンマイル 44 ストレイト・ストーリー
43 氷の接吻 42 ヴアン・ダムin コヨーテ 41 ほんとうのジャックリーヌ・デュ・プレ 40 マグノリア 39 スリーピー・ホロウ
38 ダブル・ジョバディー 37 キッドナッパー 36 シャンドライの恋 35 ストーリーオブ・ラブ 34 ラブ・オブ・ザ・ゲーム
33 雨あがる 32 アンナと王様 31 シュリ 30 ワールド・イズ・ナット・イナフ 29 ロルカ、暗殺の丘
28 ファイト・クラブ 27 トゥルー・クライム 26 ライフ・イズ・ビューティフル 25 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 24 エンド・オブ・デイズ
23 ターザン 22 海の上のピアニスト


海の上のピアニスト

オトーサン、 2000年に入って 初のハッピー・マンデー3連休を どう過ごすか、悩みましたが、 エーイ、 映画三昧で過ごそうと決めました。 初日は、「海の上のピアニスト」 予告編を何度も見ているので、大体感じは つかめています。 主演男優の顔がどうも好きになれません。 眉を吊り上げると、額に皺が3本寄って 誰かに似ています。 「誰だったかなあ。 そうそう、日光サル軍団の次郎クンだ」 それに、海の上のピアニストなんていう あまりに甘いタイトルも気にいりません。 豪華客船が舞台。 これって、 大ヒットしたタイタニックの柳の下の ドジョウをねらっていませんか。 いやですね、こうした興業のあり方。 さて、休日とあって切符売り場は行列です。 後にいたオバサン2人連れの会話が聞こえます。 「よかったって言ってたので、来たの。 音楽もよかったといっていたわ」 誰がそう言っていたのか、聞き耳を立てていると、 話題は、すぐお受験の話に。 そうなんだ、 オトーサン、納得しました。 映画をたまにしか見ないひとたちにとっては 映画は息のつまりそうな日常生活での わずかな息抜きなんだ。 つかれたときのチョコレート、 甘ったるくてもいいじゃないか。 オトーサン、 行列きらいなので、 途中から引き返そうかとも思いましたが、 この会話で踏み止まりました。 このように及び腰で鑑賞態勢に入った オトーサン、 いつものように一番前の席に座ります。 横一列、誰もいません。 貸し切り状態。 前方スクリーンまでは15メートル、 足をいくら伸ばしても届きません。 おまけに肘掛けにはカップホルダーまで ついています。 オトーサン、 急にゴキゲンになって、 自販機までコーヒーを買いにいってしまいましたよ。 映画は進化し、 さまざまな様式に分かれてきたというのに、 映画館は旧態依然。 サスペンス、ラブストーリー、ホラー、SFXといった ジャンル毎に、 あるいは,製作国別に 内装や椅子がちがってたりしたら 楽しいでしょうに。 21世紀中には実現してほしいもの。 さて、海の上のピアニストの原題は、 新世紀、あるいは1900年代のアメリカ移民たちの伝説がテーマです。 そうでした。 2000年を迎えて感激しているオトーサンたちと同様に、 1900年を迎えたひとびとも熱狂していたのでした。 まして ヨーロッパから新大陸への長い船旅に耐えて来た人々にとっては 新世紀と新生活を同時に新大陸で迎える その感激はいかばかりだったでしょう。 「アメーリカ」 甲板に密集した移民たちのひとりが 絶叫! 指さすかなたには、何やらシルエット。 ほどなく、 霧のなかから、突然、のしかかるように巨大な 自由の女神の像があらわれます。 その指は天をさして伸びています。 「アメーリカ!」の大喚声。 海上からみる高層ビルの並ぶNYは 何度みても感動的です。 神をも恐れぬ勇気がつくった都市。 オトーサン、感激。 これほど感動的な冒頭のシーンは 見たことがありません。 「このシーンだけでも1100円払っても いいほどだ」 ところが、続くシーンでは 名曲が続々と演奏されます。 「演奏会に行ったと思えば、安いもの。 2200円分の価値はあるなあ」 時化で舞踏室をすべるピアノでの演奏シーン ジャズの創始者とのピアノ演奏対決シーン 腕が4本あるかと思う超速演奏シーン 人のしぐさをすぐ音楽にする即興演奏シーン かれんな少女に一目ぼれして演奏するシーン など名場面も続々。 映画はあっと言う間に終わりました。 エンディング・タイトルが続く間に流れる曲も最高でした。 「で、オトーサン。どうでしたか」 と感想を聞かれれば 「よかったですよ、特に音楽が」 さきのオバサンと同じ感想になります。 まあ、主演のピアニストのティム・ロスも 次郎くんぐらい頑張っていたし 親友役のふとっちょのトランペッター プルート・テイラー・ヴィンスは、名演技でした。 新人女優メラニー・ティエリーの小悪魔的なかれんさも 素敵でした。 (marie claire2000年2月号のカバーガール!) パンフレットも素敵。 大判で横長700円。 表紙に豪華客船ヴァージニアン号の絵画。 パンフレットの解説を読むと、 このイタリア映画の監督、ジュゼッペ・トルナドーレと 作曲者エンニオ・モリコーネとは長年の盟友。 相談しながら脚本を作り、 事前に曲が出来て、それを聞かせながら 俳優に演技指導をしたということです。 オトーサン、納得しました。 「すごーい。 こんな映画の作り方もあるんだ。 音楽と映像とストーリーが一体化するように映画がつくれるんだ。 暴力とセックスとCGだけが映画の未来ではないんだ」 ジュゼッペ・トルナドーレ監督に名声をもたらした 名作「ニュー・シネマ・パラダイス」同様に 友情を描くのも映画の未来につながるのだ。 また、パンフレットには、 音楽評論家と映画評論家と そして、 映画感想家!のコメントが載っていました。 オトーサン、 これまでおそるおそる映画評論家と名乗ってきたのですが、 「映画感想家」なら通用するかもね。 でも、駐車違反を見逃してもらえそうもありません。 また、 エッセイストと名乗っているほうも 「webの上のエッセイスト」 とまで限定しなくてもいいのではないか。 当面、このままでいきたいとおもいます。 なお、この映画には名文句もいくつかちりばめられていました。 「いい物語があって、それを語るひとがいる限り、人生、捨てたもんじゃない」 ”Change life, Start fresh!” (日々、新たなり)


ターザン

アーア これオトーサンのため息。 アーアーアー これターザンの雄叫び。 木から木へ、自由に飛び回る ターザン それに対して 会社から会社へ自由に飛び移れない それどころか 地上に転げ落ちる始末の オトーサンたち。 ターザンっていいなあ。 そんなひとが多いので、 昔からターザン映画はヒットしてまいりました。 オトーサン、 昔、 ジョニー・ワイズミューラーでしたか オリンピックの水泳で優勝した方を起用した ターザン映画を見たことがあります。 蔦のロープを使って木から木へと飛び移ってはいましたが 仲間のサルよりも下手でした。 時は流れて いまはCGアニメの時代。 今度のターザンがどのくらい自由に 木から木へと飛び移れるか オトーサン、 それが楽しみです。 さて 結論からいうと 仲間のサルよりもずっとお見事。 さらに ひょうよりもダイナミックに、 蛇のようにすべっていくのです。 目にもとまらぬ早さ。 アニメならではの快挙! さすがディズニー。 密林の王者ターザンが活躍する舞台である ジャングルもきちんと現地取材しているので 同じ青色でも幾種類もあって、 さまざまな形の樹木が幾重にも重なり合い、 蔦が微妙なたれさがりかたをして 実によくできていました。 思わず息を呑むような見事な滝。 これはヴィクトリア瀑布を取材したからでしょう。 猿の大群の移動シーンも芸術的。 ターザンを育てるゴリラの母親の愛情あふれる仕草や表情も秀逸。 ところが、 肝心のターザンの顔が好くない。 まるでアントニオ猪木。 眉毛が濃く、鼻が高く、あごが張っています ターザンの恋人役のジェーンも少女まんが。 キュートでオキャン過ぎて、ラブシーンには不似合いです。 もっとも、ディズニー映画は健全が売りなので 濃厚なラブシーンを期待するのはどうかと思いますが、 それにしても不似合。 何より、スピードとテンポの早さが問題。 目と頭がとてもついて行けません。 筋を追うひまもありませんでした。 おかげで文明と反文明の相克というテーマが 未消化に終わりました。 さらに、がっかりしたのが、期待していた ターザンの雄叫び。 オトーサンが見たのは、吹き替え版。 金城武クンは悪くはないけど、 あのジョニー・ワイズミューラーの 何ともいえぬ動物的な雄叫びとはちがって、植物的、 映画のパンフレットには、 フィルコリンズが主題歌を熱唱とあったけど これも日本人歌手の吹き替え。 そんなわけで、 オトーサンのこの映画の評価は、低くなりました。 シリーズものにはマンネリがつきものです。 映画が終わってロビーに出ると 親子連れが売店にたかっています。 Tシャツやテレカもあったけど、 売れているのはターザンの表紙のノートパッド。 家に帰ったら、またお勉強でしょうか。 「もう一度、このまま見ていたいね」 なんていう子供の声もしました。 オトーサン、子供たちを塾から密林に返して上げたくなりました。 後で 原作者エドガー・ライス・バロースの経歴をみると、 事務員、会計係、速記者、セールスマン、カウボーイ、騎兵隊員、 鉄道保安官など職業を転々としています。 いわばツタならぬツテを求めて、綱渡りの連続、 絵に描いたような不運な人生。 ところが、最後に「ターザン」を書いたら これが大当たり。 映画化され、1918年をはじめに何と47本も製作されたのです。 抜け目のない人で、キャラクタービジネスの元祖。 ターザンのキャラクターのライセンス供与で大儲けしたそうです。 オトーサン、 つぶやきました。 ターザンってほんとは、 リストラ時代のヒーローなんだ。 それにしても、このノートパッド、300円は高いなあ ターザンの表紙がなければ、せいぜい50円なのに。


エンド・オブ・デイズ

ハッピーマンデーの最終日 天気予報では 大雨、突風、雷と言うことでした。 オトーサン 「面倒だな、外出はやめておくか。 でも、まさに、この世の終わりという 題名の映画をみるにはふさわしい日では あるまいか」と考え直しました。 でも、オトーサンが家を出るころには 風もおさまり、気温もあがって 雨上がりの静かな冬の朝になりました。  「そういえば、ノストラダムスの大予言も Y2Kも当たらなかったなあ」 実は、オトーサン、 シュワちゃんこと、 アーノルド・シュワルツェネッガーのファンであります。 昔、くるまの宣伝に使おうかと考えた程。 電通から詳細な経歴書が提出されました。 それを読むと、 ボディビルで鍛えた単なる筋肉マンではなく 知勇兼備の大スターでありながら、 まことにきさくなお人柄。 家庭にあってもいい夫、いいパパで、 近年はスポーツを通じて 社会奉仕活動にも積極的とありました。 その後、大統領候補にもなりました。 その大物が、突然、日本のお茶の間に出現! ご存じの方も多いでしょう。 アリナミンのコマーシャル。 チチンプイブイ。 アリナミンのビンを背負ってロケットのように 空を飛んだのであります。 あれには、笑えました。 「エンド・オブ・デイズ」 昨年末読んだニューズウイーク誌では 酷評されていました。 妻子を殺されアルコール依存症になった 元刑事シュワルツェネッガーが、 1999年12月31日に世界を滅ぼすべく NYに降り立ったサタンと戦うSFX映画、 荒唐無稽、百聞の一見にも値いせずとありました。 「シュワちゃん、カワイソウ。 せめて、このおれが見てあげなくては」と オトーサン、見にいく気になりました。 「買ってはダメは買ってはダメ」を買いたくなるようなものです。 客はまばら。 「年明けは、客足が引いただろう」と係員に聞くと 「前からですよ」とのこと。 パンフレットもたったの500円。 オトーサン、心配になりました。 もしかして、シュワちゃん、お金に困って駄作に出演? あの「タイタニック」のジェームス・キャメロン監督の 「ターミネーター」で大スターになったシュワちゃん、 晩節を汚してはいけません。 さて、 物語は、 サタンがミレニアムの日に 牢獄から解き放たれるという聖書の予言通りに進行します。 シュワちゃん、民間警備保障会社に勤めていますが、 投資銀行マンの警備を依頼されて、 出動するやいなや屋上から犯人に狙撃されます。 幸い防弾チョッキを着用していたので無事。 追跡開始、 ヘリコプターに飛び乗り、屋上から飛び降りて 地下鉄の線路まで犯人を追い詰めます。 その時、ぐれんの炎が。 やがて真相が明らかになってきます。 すべてはサタンの仕業でした。 1999年12月31日が終わる瞬間に サタンが宿命の若い女性と交わったとき、神の支配は終わりを告げ、 次の1000年はサタンの支配するところになると。 宿命の若い女性を探せ サタンの魔手から守り抜け その後の展開は、 まさにシュワちゃんのアクション・スターとしての面目躍如。 考えられるかぎりの危険なシーンの連続。 怒髪衝天のシュワちゃんの機関銃連射などもあって、 スリル万点のめまぐるしい展開です。 最後に、シュワちゃんは信仰に目覚めます。 妻と娘の殺人を許したもうた神なんか信じるものか。 オレには、拳銃がすべてだ と思っていたシュワちゃんですが、 強力なサタンの前に 万策つきて祭壇にひざまづきます。 残り時間はわずか、あと4分。 その隙をねらってサタンは何とシュワちゃんの肉体にもぐりこみます。 シュワちゃんは宿命の若い女性と祭壇の前で交わろうとします。 しかし 最後の力を振り絞って シュワちゃんは、 祭壇に祭られた聖なる剣にわれとわが身を貫いて死にます。 若い女性は救われ、 人類も滅亡から救われたのであります。 荒唐無稽と片付けてしまえば、それでおしまいですが オトーサン、感激しました。 わが身を捨ててまでひとを救うなんていう 難しい役を演じられるのは、 シュワちゃんのほかにはいないのではないか。 たくましい肉体。 凶暴な目と優しい目の2つを兼ね備えた役者は シュワちゃん以外にいないのではないか。 外へ出ると、 雲ひとつない青空、汗ばむほどの陽気。 2000年に20歳を無事迎えた若い女性の晴着姿を見かけます。 オトーサン、つぶやきます。 「君たち、知らないだろうけれども、 こうして平和な正月を迎えられたのも、 みなシュワちゃんのおかげなんだよ」 オオーサン この映画で NYのさまざまな名所も見られて幸せでした エンパイアステートビルのイルネーション、 ロックフェラーセンターの巨大クリスマスツリーとスケート広場。 クライマックスに使われた タイムズスクエアのカウントダウンの瞬間、 その前に現れたライオンキングの練り歩きや熱狂する群衆のアップ。 まるで自分が撮ってきたビデオをみているようです。 ところが、映画のパンフレットを読んでいた オトーサン、ビックリ仰天。 何と、 タイムズスクエアのカウントダウンは 1998年末に撮影したもの。 あのとき、オトーサンの間近にいた撮影隊が シュワちゃんたちだったのです。 「おうおう、シュワちゃんの映画に出演していたのだ。 知らなかったあ」 オトーサン、昨年は、映画評論家兼映画俳優だったのです。 ノーギャラで、外国映画に初出演していたのでした。 この偶然は、神のおぼしめし。 本年もオトーサンは、浅学非才の身ではありますが、 「不惜身命」 映画評論に全身全霊を捧げる覚悟でありますので、 よろしくお願いいたします。


ブレア・ウィッチ・プロジェクト

オトーサン、 この映画の予告編をちらっとみました。 どうやらホラー映画のようです。 「アメリカを震撼させた最大の悪夢、日本上陸 アメリカ・メリーランド州でドキュメンタリーを 撮影していた映画学科の学生3人が、 行方を絶った。 1年後、かれらのフィルムだけが発見される」 オトーサン、前にも言いましたが、 ホラー映画は嫌い。 お金払って、怖がりにいくひとの気が知れません。 でも、99年の映画興業収入で第10位という 話題作を見ないようでは、 映画評論家としては失格です。 「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」 オトーサン、 虎の赤ん坊なんてほしくも何ともないのですが、 見にいくことにしました。 「あーあ、映画評論家になんかならなきゃよかった」 この題名、何でしょうねえ。 ブレアは、英国首相ですよねえ。 ウィッチは、魔女、ウォツチは、時計。 プロジェクトは会社でよく使いました。 プロジェクターは映写機。 投影する、もくろむ、計画する 以上を手掛かりに、まとめると 「英国首相特命の魔女計画?」 分かりやすい日本語の題名をつけてほしいものです。 「よーし、題名をつけるのを楽しみにして見てやろうっと」 オトーサン、 せめて 新しい映画の楽しみ方を開発するのを楽しみに 見ることにしました。 観客は、見事に若い人だけ。 パンフレットは700円で、黒一色、不気味なかんじ。 なぜか袋綴じ。 「昔、袋綴じの雑誌買ったっけ」 開けると、どーってことはなかったなあ。 それまではドキドキ。 「その手できたか」 さて、 冒頭は 映画学科の学生3人のリーダー、 女子学生・ヘザーの自宅のシーン。 仲間の2人、ジョシュとマイクを拾って、 カメラなどの撮影機材やキャンプ用品の積み込む。 食料品の買いだしなど滑りだしは順調です。 魔女伝説をドキュメンタリー風に撮るので、 ブレアの町で住人を対象に取材を開始します。 「魔女の存在を信じますか」 「子供7人の惨殺現場をみましたか」 ヘザーは矢継ぎ早に質問を浴びせます。 「順調に撮れたわ、あと編集すればOK」 いよいよ森に入ります。 車を置いて、 重い荷物を背負って 歩きはじめます。 「フィルムが損だから、そんなの撮らないで」 この辺までは、冗談も出て、余裕たっぷり。 すぐ暗くなるからと、早目にテントを張ります。 3人で雑魚寝。 最初の夜は何事もなく過ぎましたが、 翌日、 いつの間にか、道に迷います。 ジェシカの地図の読み方を次第にみなが信用しなくなります。 それでも、3日目。 どうやら惨劇の舞台を林間に発見。 小石が積んであって、数えると7ケ所。 どうやら、ここで子供たち7人が殺されたようです。 撮影隊の意気があがります。 その夜、妙な声が聞こえます。 殺された子供たちのすすり泣きか 魔女の忍び笑いか はたまた、鹿の声か。 起きてライトをつけて周囲を撮影しますが、 木立や枯れ草がそよぐだけ。 「空耳かも」 でも、翌朝見ると、テントの回りに小石が積み重ねてあって その数3つ。 ちょうど学生3人と同じ数。 撮影しますが、恐怖に映像は上下にぶれます。 「帰ろう、もう撮影などまっぴらだ」とマイク。 「ようやくみつけたから もう一息」とヘザー。 仲間割れ。 緊張をはらんで、恐怖の幾夜かが過ぎて行きます。 ある日、地図を紛失。 いつでも車まで帰れると 甘くみていた報いがやってまいります。 気を取り直したヘザーが川沿いに下ろうといって 一日歩くと、もとの丸太橋に戻る始末。 相互不信はいよいよ高じて ささいな事で喧嘩をするようになります。 実は、 オトーサン、 中学生のころ仲間5人と 踊り子で有名な伊豆の山中で道に迷ったことがあります。 おまけに雨が降ってきて 寒くて、空腹で、道を間違えた責任のなすり合い。 映画とそっくり、 川沿いに道を下って行って、 営林署の小屋をみつけたときのうれしさ。 暖かい囲炉裏ばた。 熱い豚汁。 次第に乾いていく衣服。 あの時の安堵感は、わすれられません。 しかし、映画のほうはそうはいきません。 寒さ、 飢え、 恐怖、 の夜がようやく明けると、 今度は、テントの回りに枯れ枝を縛った山が3つ。 魔女が置いていったとしか思えません。 その夜、 マイクの姿が見えなくなります。 ヘザーとジョシュアがマイクの名を呼ぶ声が いつしか 絶叫に変わります。 次の夜。 2人だけの夜。 2人は、心を安らげる話題をみつけようと努力します。 好きな食べ物の名前を次々にあげて笑ってみたり、 アメリカ国家を斉唱したり。 翌朝、今度は、枯れ木の束に肉片。 触ったヘザーの手に、ベットリと血。 もはや、我慢も限界。 誰も助けに来てはくれません。 すべて言い出しっぺのヘザーの身から出たサビ。 「おかあさーん」 次の夜、 「もうだめ。ここにはおれない」 魔女の声を振り払うために 荷物もすてて、 闇のなかを走ります。 すると行く手に廃屋。 壁に魔女の気味悪い符丁。 消えたマイクの上げる絶叫のほうへ 階段を駆け上がります。 すると、 声は下の方からに変わります。 闇のなかではぐれたジェシカの絶叫。 「こりゃあ、面白いわ。久しぶりの5つ星だ」 ところが、突然、ここで映画は終わり。 「えっ、これでおしまい?」 オトーサン、拍子抜け。 だって、捜索隊が出て、消えた3人の学生のなぞが 解明されると思ったからです。 劇場が明るくなって オトーサン、さすがにホッとしました。 「題名は何がいいかなあ」 「魔女伝説」 「呪われた森」 「森で生きのびる方法」 「叫び」 最後の案は、ムンクの絵の題名ですが なかなかいいじゃないですか。 オトーサン、 やはり、こわかったものですから、 明るくひとの多い喫茶店を選んで コーヒーを注文し、 水をガブガブ飲んで メニューケースをハサミ代わりにして、袋とじを切ります。 「何? 製作費がたったの300万円? 学生5人で作った実験映画だって? 興業収入が製作費の2000倍? ほんとかよー」 オトーサン、びっくり。 アメリカってすごいなあ。 学生のつくった 画面がザラザラして、 画像がブレていて、 時には、何も写っていない映画。 そんな変なものをよく映画会社が配給を引き受けたもんだ、 また、それを大勢のひとが面白がって見にいくなんて、 アメリカ人って面白いなあ。 日本じゃ、とても無理。 考えられませーん。 さらに、パンフレットを読むと、 この魔女伝説そのものがフィクションでした。 インターネットのホームページで、次々に話が増殖し、 年表ができ、本ができ、TVがとりあげ、CDが発売され、 口コミで観客が増加。 それを見はからって上映。 「へえ、インターネット時代になると、製作手法も変わるんだ] すると オトーサンの 映画批評も 案外、時代を先取りしているのかも知れません。 だって、映画そのものよりも、前後左右を重視しているもん。 本当に面白いドラマは、すでに、映画館のなかになんかなくて、 外にあるのです。 だって、毎日のニュース、奇想天外。 映画より面白いじゃないですか。


ライフ・イズ・ビューティフル

この映画、見逃したので、 オトーサン、 ビデオで見ることにしました。 アコムで借りました。 「なに?お前は、ついにサラ金に手を出した のか?] 「まさか。 実は、アコムがレンタルビデオをやって いるんですよ」 アダルトビデオは扱わず、健全なんです。 言わば、企業イメージアップのための多角化 事業ということでしょうか。 いつ行っても、貸しだし中。 3回目にようやく借りられました。 映画を映画館で見るのと、 ビデオでお茶の間で見るのとは いくつかちがいがあります。 まず、緊張感がちがいます。 お茶の間ってダメですね。 トイレに行ったり、 新聞を見たり、電話に出たり、 いつの間にか眠ってしまっていたり、 ながら視聴のクセがついてしまいました。 第二にパンフレットがない。 ですから、監督や俳優たちの名前が分からない。 早速見ました。 好かったですよ、イタリア映画。 人生を謳歌する どんな逆境におかれても陽気さは変わらない どこかの国のひとのように バブルがはじけただけで すぐシュンとなるようでは まだまだ修行が足りません。 主人公の陽気さは 特筆もの。 出だしからド派手です。 何しろクルマのブレーキがこわれて 坂道を次第に速度を上げて下っているのに 大喜び。 野原を突っきったりするのは いいのですが 市街地のひとが密集しているところを 突っ切るのですから さあ、大変。 でも、この事態を 機転と幸運の力によって  切り抜けるのですから、 オトーサン、すっかり映画の世界に 入ってしまいました。 こうなると、画面がちいさいのも 気にならなくなるから不思議です。 かれはユダヤ人の大立者の伯父の家に 親友と転げ込み、新生活をスタートするや いなや、すぐ若い女性に一目ぼれ。 「恋することは生きること」 これってイタリア人ですよねえ。 干し草の農家での出会い、 オペラ劇場で突然の顔会わせ 監督官の身代わりとしての出会いなど  いろいろあって 婚約者もいた彼女のハートをゲット。 結婚してかわいい息子も誕生。 万事順調かとおもいきや ナチスのユダヤ人迫害が始まります。 かれの家族はあのアウスヴィッツ収容所へと 送られます。 画面は一転して暗い色調。 すしずめの列車。 でも、かれは息子にこの旅行はゲーム なんだよと言います。 1000ポイント集めると 戦車に乗せてもらえるんだ。 みつからないようにかくれんぼ。 どんなに重労働でバテても、息子の前では 明るさを失わない。 ドイツ人将校の給仕をやらされたときは 拡声器を外に向けて 同じ収容所ですが隔離された妻に なつかしいオペラの歌声を流したりします。 ラストシーンは感動的でした。 かれは銃殺されますが、無事、 息子は生き残ります。 戦車にのって勝利の帰還。 途中、解放された女囚の列のなかに 母親を発見。 しっかと抱き締めます。 オトーサン、 当日貸しで388円。 安いなあ。1100円のところを 半年我慢すれば、388円。 でも、夕方借りて翌朝8時半返却は きつかったですよ。 巻き戻しが待てない、 あんなにすばらしかったシーン それがまだ続いていてイライラ。 夢の破片が飛び散る思い。 ビデオは巻き戻さないで返却したほうが いいようです。 オトーサンの人生も 振り返らないほうがいいかも知れません。 だって、夢の破片ばっかりだもの。 でも戦争に負けたのに殺されなくって よかった バブルが弾けてリストラにあわなくって よかった。 まあ、そんなところです。


トゥルー・クライム

オトーサン、 たまに駅で夕刊を買います。 日刊ゲンダイです。 朝日とか読売というのは、 夕方の駅の風景に合いません。 それに夕刊は手抜き。 優等生的なので、 朝はいいのですが、 夕方の疲れた気分には合いません。 そこへいくとゲンダイはいい。 小渕がノー天気だとか 小沢はもうダメだとか 悪口言い放題の記事を読むと、 スッキリします。 この株を買えとか、 誰と誰とが別れたという芸能記事 清原は結婚しろというスポーツ記事も 共感しながら丹念に読みます。 そこに、 たまたま この映画を猛烈にほめた記事が 載っていたのです。 ゲンダイでほめる記事なんて珍しい。 昔、オトーサンがはじめて書いた本の 好意的な書評をしてくれましたが それ以来?ではないでしょうか。 秋本銭次さんが ムービーギャングというコラムで 「お正月映画のピカイチ。イーストウッドの 孤高で寡黙な男の美学!」 と題して、 「これは中高年の星、イーストウッドを味わう映画だ。 2000年の初映画がまだなら 迷わずこれをすすめする! と結んでおられるではないですか。 べたぼめ記事はひさしぶり。 ところが、パンフレットは500円。  サイズも週刊誌よりも小さくてモノクロ。 オトーサン、 おもわずうめきました。 「そんなに年寄りをイジメるなよ」 「ダーティハリー」で一世を風靡した クリント・イーストウッドも、 今年でもう70歳。 月日のたつのは早いものです。 その老優が、まだ現役で、しかも 主演、監督、主題歌の作詞作曲。 そのがんばりだけでも パンフレットを大判カラーにしてあげたい くらい。 700円でも買ってあげたいくらい。 イーストウッドの 言ってることがいいじゃないですか。 「観客はそろって幼稚園レベルで、 特殊効果を見るためだけに映画館に行って、 どれが一番うまいしか話題にしない、とは 私は信じたくない。 古臭い趣味かもしれないよ。 でも、私はこういう映画が好きなんだ」 始まりました、 おどろおどろしい導入部なんかなくて すぐカリフォルニアのサン・クエンティン 刑務所の死刑囚に飛びます。 妊婦を射殺した若い黒人がいよいよ死刑の日の朝を 迎えております。 一方、バーで孫娘のような女性記者を くどいているのが、イーストウッド扮する 老記者。 「おいおい、ほんとに年とったな。 痩せて、顔は皺だらけ。 亡くなったきんさんほどじゃないけど。 この若い記者にはふられますが、 別のシーンでは 上司の女房とのベッドシーンを披露して おります。 胸の筋肉がおちてかわいそうなくらい。 さすがのオトーサンも 「もう、映画に出るなよ」 と忠告してあげたくなりました。 とにかくイーストウッドはもてるんです。 普通ならば 「この野郎、いい気になりおって」 と言いたいところですが、 かれの役ところはアル中で、 スクープに失敗して お呼びもかからなくなった老記者。 息子くらい若い上司は 女房を寝とられたのを知ってカンカン オーナーにむかって あいつの首を切ってほしい でなきゃ自分は辞めると迫っております。 職場でも、 中高年に対しては みんなが 陰でボロクソ。 若い上司にいじめられているのでしょうねえ オトーサン、 もてもてのイーストウッドに 嫉妬しかけましたが、 すぐ許してしまいます。 「おれもまだ若い女性に もてるようにドリョクしなくては」 「それには、胸板を厚くするとか、 肌を磨くとかしなくては。 ボディビルでもやるか?」 などと映画の筋とは関係ない馬鹿なことを 考えております。 さきほどくどいていた若い女性記者が 交通事故で死んで 急遽オピンチヒッターになって 死刑囚に会った老記者は 「この男は、無罪だ」とピンときます。 しかし、若い上司からは、 スクープなど期待していない。 死刑直前の死刑囚の心理を取材してこいと 言い渡されます。 それをオーナーと直談判して 何とか突破、 捜査を始めます。 しかし、時間は切迫。 たったひとりの捜査には限界もあります。 別居中の女房からは電話がかかってきて、 娘を動物園に連れていってと 言い渡されます。 カートを借りて駆け足で キリンやゾウやトラを通過。 スピードを出し過ぎて横転。 子供にケガをさせ、女房は激怒。 離婚を言い渡されます。 取材も行き詰まり。 新聞社も解雇され、 刻々と死刑執行の時間が 迫ってまいります。 そこを何とか突破して イーストウッドは、死刑囚をすくって めでたし、めでたし この映画で オトーサン、 ひとつ勉強しました。 アメリカの死刑はてっきり 電気椅子かガス室かと思っていましたが より苦痛のすくない薬物注射に 変わっていました。 そして、何と市民がガラスの窓ごしに 現場に立ち会うのです。 オトーサン、 「まるで、さらし者」 と思いましたが、 市民が死刑を決める陪審制度の 趣旨からすれば、 最後まで責任をもって監視するのは当然。 市民社会の重みをあらためて 感じました。 アメリカ市民って大変だなあ。 裁判もして、 死刑執行にも立ち会って いざとなれば戦争にも出かけて おまけに、すぐ離婚っていわれて。 ラストシーンでも ホームレスの男がクリスマスで 臨時アルバイトでサンタ役にあいついて しゃれたせりふをいいました。 「女房もトナカイもなし。 サンタは独立したのさ」 こういう雰囲気のなかで 子供にも自立意識が育つのでしょうね。 オトーサンも いつまでもひとの世話にならないで はやく自立しなくては。


ファイト・クラブ

オトーサン、 この映画、まったく見る気持ちなど ありませんでした。 若者向けの暴力映画。 「暴力教室」といった類の映画 と錯覚していたからです。 ところが、新聞の映画案内欄に本日限りと ありました。 オトーサンの世代は 「閉店セール」というくどき文句に弱い のです。 だから、東急百貨店の閉店セールにひとが 押しかけるんです。 さて、映画館は若いひとばかり。 出だしは、脳細胞の宇宙空間を 強烈なロック音楽がとどろくなかを 超高速で走り抜けていく映像です。 「ヤバイ。帰ろうかなあ」 と思ったら、 字幕翻訳は、あの戸田奈津子さん。 「こりゃあ、もしかしたら名画かも」 主人公の青年は ナレーターとして、回顧する形で 映画は進行します。 彼は、北欧家具やオーディオや ファッションなど すべてブランド品で固めるのが趣味。 洗練されたライフスタイルを完成させるのに 余念がありません。 でも、心が癒されることはありません。 実は、 自動車メーカーのリコール査定員。 できるだけリコールなんかせずに 保険でごまかすのがお仕事。 全米各地を駆けづり回っております。 時差があるので、強度の不眠症。 医師に薬をくれと言っても、よく運動して 熟睡せよと言うだけ。 懇願すると、 君の悩みなんか大したことはない いっそ膀胱ガンの患者の集まりにでも 出てみろよ。 そこでナレーターが行ってみると、 患者が集まって告白ごっこ。 号泣してペアになった相手に抱き着いて 悩みを告白し、癒されるというわけ。 主人公の青年は、不眠症が直ったので、 あちこちの会合に出ます。 結核患者の会、皮膚ガン患者の会など。 すると、陰惨なかんじの女マーラシンガーと いつも出会います。 気になって、思いきり泣けなくなります。 抗議したのが、彼女との出会い。 飛行機で乗り合わせた風変わりな青年 タイラー・ダーデンと 意気投合して自宅に帰ると ガス爆発で木っ端みじん。 困って、彼女に電話しても不在。 しょうがないので、思いついて さっき出会った青年に電話。 「泊まりたいなら正直にいえ。 そのまえに、おれを殴れ」 こうして2人は廃墟のようなアパートで 共同生活をはじめます。 殴り合いは、唯一男を実感し、 生きていることを感じさせます。 次第に仲間が増えて各地に ファイトクラブが誕生。 しかも、 タイラーダーデンは 段々過激になって行きます。 この呪われた文明を破棄しない限り、 生の回復はありえない。 いつの間にか、 マーラ・シンガーまで部屋に引きこんで 毎夜はげしいスポーツ・セックス。 オトーサン、 「やだなあ、こんなテロリストの映画なんて」 と思いました。 ラストシーンはきれいでした。 ナレーターが テロをとめようとしても タイラー・ダーデンは拒否。 ナレーターはついに 銃口を口にいれて引き金を引きました。 そこへマーラ・シンガーが登場。 彼女がナレーターを抱いて見守るなか、 次々と目の前の高層ビルが 爆破され、くづれ落ちていきます。 いわば地獄の黙示録。 流石、革新的な映画監督 ディビット・フィンチャー。 こうしたアンチ・ヒーローが活躍する 暗い世界を描かせたら 右に出るものなしというわけです。 見終わって、新しくできたJR東海タワーズに 上りました。 眼下に広がる名古屋の街。 晴天で青い空。 でも、 緑がなくてコンクリートばかり。 20世紀にあわただしく造られた無秩序な街。 オトーサン、 タイラー・ダーデンの気持ちがすこしばかり 分かるようになりました。 この街を全部こわして 緑多き街につくり変えられないだろうか。 でも、 万博を口実にして逆に 緑多き海上の森をコンクリート住宅に 変えようとしているのに黙っている 遅れた意識の人が多いから 無理だろうなあ。 でも、かんがえてみれば 21世紀は、 アンチ・ヒーローが活躍する時代かもしれません。 シアトルで世界中からNGOが集まってきて WTOを粉砕したように 世界中のタイラ−ダーデンたちが この街に集まってきて 万博粉砕デモでもやったら 爽快だろうなあ。


ロルカ、暗殺の丘

いい題ですねえ。 原題は、 Death in Granada 「グラナダに死す」 オトーサン、 ヘミングウエイの「誰がために鐘が鳴る」 を思いだしました。 スペイン戦争の人民戦線派に身を投じた 大学教授と市民の娘との熱愛。 ゲーリー・クーパーと イングリット・バーグマンの名演技が 光っていました。 いずれも舞台はスペイン、 作家・ヘミングウエイは、 右翼の弾圧に抗議して戦いましたが、 詩人・ロルカは故郷グラナダで 38歳の若さで 無実の罪で殺されました。 誰が殺したのかはいまだに不明です。 さて、オトーサン 3年前に一度だけ スペインに行ったことがあります。 この国が生んだ天才画家、 ピカソ、ダリ、ミロ、ゴヤ、ヴェラスケス の作品を見にマドリッドのプラド美術館へ、 そのあと列車でアンダルシーア地方へ セビリア、コルドバ、グラナダの3都市を 巡り、バルセロナから帰国 10日ほどの駆け足旅行。 プラド美術館もよかったし、 アルハンブラ宮殿もよかったし、 ガウディのサグラダ・ファミリアの大聖堂 もみました。 でも、一番強烈な思い出は 何といってもグラナダの フレナドール(frenadol) 「何? スペインは何度も行ったが、 そんな名前、聞いたことないなあ。 フラゴナールっていう画家なら知ってるが、 闘牛士の名前か、フラメンコの曲名か」 そりゃそうでしょ。 これ、実はスペインの風邪薬。 真夏の旅行で汗かいたり冷やしたりの 繰り返しで オトーサンすっかり 風邪を引きました。 JTBのひとに教えてもらって、 薬屋で買ったこの薬を飲みました。 ガーンと殴られたようなもの。 意識も失ってホテルの部屋で熟睡。 一時は死ぬかと思いましたよ。 大汗かいて、翌朝には快癒。 まさに、これぞ生と死が 光と陰が交錯する スペインそのものでした。 さて、 オトーサン、 ロルカ暗殺の丘をみようとしていたら 3年ぶりに風邪を引きました。 引き出しの風邪薬を探したら 手元にあったのが、 奇しくも フレナドール。 毒気に当たらないように 3分の1だけ飲みましたので、もちろん 効くはずもなし。 医者に行って薬をもらいなおして 3日ほど寝ていました。 ようやく起きて おそるおそる試運転がてら映画館へ。 上映の最終日。 薬でボーッとしているので、 映画の紹介は、手短に終えます。 要するに ロルカを殺したのは誰かを探る物語でした。 14歳のときにロルカのサインをもらった 少年が、 プエルトリコに難を逃れて成人し、 作家になって グラナダに戻って犯人捜しをするのです。 まだフランコ右翼政権の暗い時代が 続いているので、 捜査は難航するだけでなく、 妨害され、 刑務所にほうり込まれたり 最後は銃殺寸前。 ようやく真実を探り当てますが、それは 耐えられない真実でした。 この作品の魅力は 何といっても 低い声で、あるいは叫ぶように 切りつけるように、絞り出すように 朗読されたロルカの詩 「イグナシオ・サンチェス・ェヒーアスへの 哀悼歌」の一節でした。 500円のパンフレットでは 少ししかこの詩が紹介されていなかったので、オトーサン、 帰りに丸善で 「ロルカ詩集」を買ってしまいました。 「午後の5時。  午後のきっかり5時だった。  ひとりの子供が白いシーツを持ってきた  午後の5時。  石炭が一籠、もう用意され 午後の5時。  あとは死を待つばかりになっていた  午後の5時」 午後の5時が何10回も繰り返される 長編詩です。 午後の5時は、 闘牛のはじまる時刻で、 この詩は 死んだ闘牛士への鎮魂歌ですが、 いまでは ロルカの非業の死を痛む時刻になっています。 オトーサン、 ここまで書いて時計を見ました。 ちょうど5時でした。 「喫茶店のおばさんが  おしゃべりをしている午後の5時  相手のおじさんが保証人になんかなっては  いかんヨといっている  午後の5時。  不意に会話が 中断する  午後の5時 侵入者は夕刊配達人だった  安全な午後の5時。 会話が再開される 午後の5時。 平穏で平凡で平和な会話のときれない  午後の5時。  フレナドールで病みあがりの  けだるい午後の5時」 今回の映画批評は、この辺でご勘弁を。 だって 「野党抜きの国会で  定数削減法案が可決された  午後の5時、  民主主義の暗殺された  午後の5時なんて」 オトーサン、 思いたくないもの。


ワールド・イズ・ナット・イナフ

お待たせ、 007の最新作。 字幕翻訳はあの戸田奈津子さん。 「いよっ、待ってました」 風邪がなおったオトーサン、 大声を出してしまいましたよ。 アメリカでは、 クリスマス映画の本命として MGM映画史上、 最大のヒットといわれました、 わが国では、 ようやく2月上旬ロードショウ! ジェームス・ボンドには おなじみピアーズ・ブロスナン。 お相手の美女は、 石油王の美しい娘、エレクトラ。 「その激しい美しさは、愛か罠か」 いいですねえ。 予告編も盛り上げ方がうまいですよ。 さて、初日は朝一番というのに満員。 中年男ばっかり。 予告編、 007とタイアップしたオメガのコマーシャルなどがつづいて いよいよ開始。 スイス銀行のスペインの支店での銃撃シーン が終わるやいなや ロンドンはテムズ川でのボート・チェース・シーン。 あのおなじみのタイトルと音楽が流れるまでに 2つも活劇シーンの大サービス。 オトーサン、大喜び。 次に舞台はアゼルバイジャンの山中での スキー・アクション。 石油王の娘とボンドが自由自在に滑りおりて 敵のパラグライダー部隊の襲撃を逃れます。 お次は彼女との濃厚なベッドシーン。 エレクトラを演じるソフィー・マルソーは フランス美人。 華やかでありながら どことなく哀愁があって 男心をそそります。 ところが、あとの展開は がっかりでした。 何やら、盛りだくさんで筋をはしょったのか 荒唐無稽になって説明不足。 ボンドの愛するエレクトラが、実は敵。 ライバル会社の石油パイプラインを爆破して 世界の富を独占しようという野望を 持っていました。 ボンドは 捕らえられて古代の処刑椅子に しばりつけれれて 捻り殺されるはめに。 間一発、難を逃れて、 彼女を射殺。 そりゃないぜ。 ボンドらしくありません。 また、ボンドを苦しめる男役も元気なく 映画は、 最後に核兵器の専門家なる美女と ボンドがいつものラブシーンに及ぶところで 終わるのですが どうも殺してしまったエレクトラの方が 男心をそそるのです。 あとでパンフレットを読むと 監督が前作とは別人。 シリーズ19作目ともなると、 マンネリに陥りがち その打破のために新しい監督を起用。 どうも、それが裏目に出たようです。 オトーサン、 エンディング・タイトルの差し替えも 気に入りませんでした。 日本語版だけ若者に人気のバンド LUNA SEAが歌っているのです。 こういう妙なタイアップやめてほしいなあ。 観客は中年ですよ。 でも、新発見。 ロンドンのシーンには 話題のミレニアムドームが写っていました。 007とタイパップして前宣伝と 去年の新聞に大きく出ていましたっけ。 ところが不入りで、 いまはもうブレア首相の責任問題とか。 でも、 オトーサン 今年の夏行く予定なので ふーん。 参考になりました。 それにスペインのシーンでは グーゲンハイム美術館の新館が 写っていましたよ。 NYではなくてスペインのビルバオという ところに作ったのです。 ガイドブックを買って場所を調べなくては。 また、出掛けるところが増えました。 これだから、 たとえ凡作でも、 007をみるのはやめられません。


シュリ

オトーサン この韓国映画の前評判は聞いていました。 南北分断の下での悲恋を描いて 韓国で大ヒットとか。 半年前にはラジオで映画評論家の若い女性が 大感激で紹介していました。 日曜日の雨の朝。 場末の映画館で上映中。 傘をさしてガード裏をとぼとぼと歩きました。 映画評論家なんかにならなければよかった。 家でコタツでぬくぬくと朝寝坊できたのに。 TVの国会討論でもみて、議員のバカヤローなんて 毒づいておれたのに。 ガード下を濡れながら 焼き肉の看板をみながら 歩いていると、 昔歩いたソウルの場末にいるようです。 考えようによっては うらぶれたマイナーな韓国映画をみにいく プロローグとしては 最適ではありませんか。 でも、劇場は若い男女で満員。 オトーサン、ちょっと驚きました。 パンフレットも600円。 力が入っています。 オトーサン 出だしから度肝をぬかれました。 稲のクローズアップ。 これ新感覚。 そして北朝鮮の特殊工作員の訓練。 戦争中の日本軍のすさまじさを思わせる 残忍な訓練。 いま隣国は戦時体制だという冷酷な事実を あらためて思い知らされます。 一転して舞台は韓国。 熱帯魚の飼育に精を出している二人。 結婚も間近。 日本と同じ豊かな国です。 キッシング・グラミーなんていう魚がいて 一方が死ぬともう一方が後を追うのよ なんて女がささやいています。 そんなエピソードが 2人の将来を暗示しているかのようです。 実は、 恋人役の男、ハン・ソキュ(韓国の大スター)は 韓国の情報部員でした。 そして恋人役のキム・ユンジンは 北朝鮮きっての凄腕の特殊工作員でした。 彼女は、 次々と韓国要人を暗殺してきた 名うての名狙撃手。 男はそれも知らずに彼女を愛してしまい 彼女も、また男の愛におぼれはじめていたのです。 南北和解で、別の人生を歩めるかもしれない。 しかし、ついに北朝鮮の破壊工作が発動されました。 ハン・ソキュの部隊では なぜか、 機密が漏れて、次々と仲間が死んでいきます かれの心に彼女への疑いが... 舞台は、北と南の和解を図る親善サッカー試合へ。 大群衆の熱狂するなか、 爆弾は仕掛けられ、タイマーの針は、時をきざみ 大惨事は目前。 仕掛けに気付いたハン・ソキュは 北朝鮮の部隊長との決闘のすえに 血まみれになりながら 爆破を阻止します。 そこで気付かされます。 愛する彼女が要人暗殺者であることを 大観衆のなかに ひっそりとまぎれこんでいることを 他方、彼女は 彼との別れを心に引きずりながらも、 祖国統一の大義のためには大事の前の小事と 思いなおして 銃の標的を大統領に向けます。 超人的な活躍で爆発を防いだハン・ソキュは 血まみれになりながら彼女を発見 彼女と対決。 愛する彼女とにらみ合い ためらうことなくその場で銃殺します。 一転して静かなラストシーン。 破壊された2人の愛の巣にもどったかれは 偶然残された留守番電話のメッセージを 聞きます。 「あなたといるときだけが幸せだった」 オトーサン 映画の途中で、内心、 「こりゃあ5つ星かも。 若手のカン・ジュグ監督は、ただものではないな。 脚本もいいし、俳優も迫真の演技力。 SFXもそつなく使っているし。 アクション・シーンなんて最高!」 とつぶやきました。 でも、大体は途中で訂正するのですが、 この映画は最後まで5つ星でした。 音楽が静かに流れているなか 場内は、異様な静かさ。 オトーサン、泣きました。 感動で泣きました。 帰り道、 5つ星の映画がつくれない 日本映画のふがいなさが 悔しくて 何度も 「くやしいなあ」を 繰り返しました。 一体、この50年、 日本は何をしてたんだ。 つまらん映画、TV,ビデオ、CFを 垂れ流して。 後で、令婿になって 考え直しました。 「日本だ、韓国だという時代じゃないかもなあ。 すぐれた映画がアジアに誕生したことを 一映画フアンとして喜ぼう」 でも、くやしいなあ。 サッカーで負けたときより、もっと口惜しいなあ。


アンナと王様

あの名画「王様と私」のリメイク。 オトーサン、 昔、この映画をみて シャム(タイ)の王様を演じた ユル・ブリンナーの 眼光、 見事な禿げ頭、 いかにも勢力絶倫な風貌 そして演技力に 圧倒されました。 かれはこの映画で アカデミー主演男優賞をとりました。 英国からきた家庭教師役のデボラ・カーも よかったなあ。 1956年の映画ですから、随分と昔。 オトーサンが学生時代 ダンスをはじめる前でした。 その後、随分踊ったなあ。 シャル・ウィ・ダンスのメロディで。 いまも忘れ難い思い出になっています。 何年かまえ、 そのユル・ブリんナーが ガンにかかって痩せ衰えた姿を 雑誌でみて、胸を突かれました。 あの元気な男がなあ。 諸行無常を感じました。 さて、時は流れて 「アンナと私」 観客は若い男女。 ちらほらとオトーサンたちの世代も。 デボラ・カーに代わってアカデミー賞女優 ジョディ・フォスター。 ユル・ブリンナーに代わって 香港映画のトップスター、チョウ・ユンファ。 山本寛斎さんに似ているというと 怒られるなあ。 でも、2人とも熱演・好演でした。 製作費は何と7000万ドル。 ブレア・ウイッチ・プロジェクトが 300万円 シュリが3億円、  に比べるとケタ違い。 70億円! ハリウッド映画超大作というのは お金をはき捨てるように使うのです。 今回のお金を使った場面は マレーシアのリゾート地につくった王宮。 19頭の象のパレードをはじめとする多くのロケ。 戦闘シーンに使った橋とその爆破費用。 国王の専用船の建造費。 国王の23人の妻、42人の側室、58人の 子供たちの衣装代だって 生地の長さが15キロメートルというから 半端ではありません。 でも ハリウッドは夢を売るのが商売。 たった1100円で みさせてもらってえいいのかなあ とオトーサンが思ったくらいですから この映画は成功でしょう。 身分と文化のちがいを乗り越えて 相手に敬意と尊敬心を抱くようになり、 最後は愛が芽生えるという ラブ・ストーリーの展開も無理がなく 好感を持てました。 「王様と私」よりも 時代考証も凝っていました。 でも、いくら原作に忠実でも 時代は、大きく変わりました。 かつて タイとおなじように ブラウニング夫人が英国からやってきて 日本の皇太子を教育しました。 皇室の近代化に役立ったようです。 でも、 そんなこと知って いまさらどうします? ダイアナ妃が離婚し、 事故で死んで、 英国王室無用論すらでている 現代において はたしてリアリティがあるでしょうか。 植民地にならずに済んだ 英明な国王をスターととらえる姿勢の どこに現代性があるのでしょうか。 ハリウッドの栄光は 実は悲惨さと隣り合わせではないでしょうか。 投資リスクを避けるためには、 過去のデータのもつ説得力を借りねばならず そのために過去の大作のリメイク。 当然、脚本は古いステレオ・タイプにならざるを得ず、 そのほころびを覆いかくすのに 有名スターを起用せねばならず、 スターを生かすために他の俳優はけちる なんだかんだヒットさせるための やりくりに、四苦八苦。 でも、まあ、この映画は ハリウッド映画としては良心的。 おひまならみてよね。


雨あがる

黒沢明監督、 1998年9月6日死去 享年88歳。 羅生門、7人の侍、天国と地獄などで 日本人ここにありと世界に知らしめた男。 黒沢明、三船敏郎の名コンビで オトーサンの青春を 豊かにしてくれた恩人でした。 逝去の後、 秋の長雨が続き 氷雨が降り 長い梅雨があけての 一回忌の席で。 集まった黒沢組の間で この映画製作の話が持ち上がりました。 幸い黒沢明の脚本が残っていたのです。 オトーサン、 黒沢、三船コンビ以外の黒沢映画は 好きではありません。 映画芸術の価値は 普遍性、独自性、そして地方色の 3つの絶妙なブレンド と確信しております。 普遍性や地方色は ヒューマンな時代劇ならば演出できますが、 三船がいないと独自性において 物足りなくなってしまうのです。 仲代達也さんだって名優ですが、 物足りない。 ですから、 主演・寺尾聡と聞いたとき 「もうあかん」 と思いました。 グループ・サウンズの歌手あがり。 そんな男に三船の代役が勤まるもんか。 でも、これが予想はずれ。 実に好かった。 やはり名優・宇野重吉の息子でした。 時代は江戸中期の享保。 体制は固まり、企業社会が成立。 浪人とは正社員になれないひとのこと。 主人公は浪人。 剣術の腕は一流ですが、 無類の好人物。 それが煙たがられる原因。 長雨による増水で大井川を渡れす 宿は満員。 足止めをくらって、気分も荒みがち。 主人公は争いを調停し、 女房に士官の邪魔になると禁止されている かけ試合をやってもうけたお金で 食べ物をひとびとに差し入れします。 座は盛り上がって飲むや歌えやの大騒ぎ。 いい雰囲気です。 寺尾聡は この好人物を演じて余すところなし。 剣術の達人を演じて破綻なし。 人柄と猛稽古のお陰でしょう。 たまたま 喧嘩の仲裁にはいって武芸の腕を 披露したのが 藩主の目にとまって 藩の剣術師範に採用へ、 御前試合で腕前を披露。 藩主ですら、こてんぱんにやっつけたので 士官の道は危うくなります、 雨が上がり、 女房と川を渡って 次なる土地に士官の道を探しに 旅立ちます。 山は美しく、 海も美しく 雨もあがって快晴。 心も晴ればばれといいたいところですが、 浪人の身でまた女房に苦労をかけるのが 気がかりです。 最後のシーン。 主人公と女房(宮崎美子)の会話。 「さあ、行きましょう。 未練は切って捨てました。 元気を出してくだい」 「わたしは元気ですよ、 といってもいいと思います」 いい会話ですねえ。 製作費4億円。 いつもの半額以下。 黒沢明を敬愛する フランス資本の援助でようやく 製作にメド。 大作はムリ。 どうしたって小品になります。 お金がないと、 大井川の水量も貧弱なままで撮影敢行。 渡し人夫たちも ひ弱で青白な体の人しか集められません。 黒澤明の全盛時代を知るものとしては さびしい限り。 でも、 オトーサン、 満足して映画館を出ました。 「いい国だったなあ、日本は。 四季豊かな自然があり、 貴族文化と庶民文化が絶妙にブレンドし、 宝石のように美しい島国だった。 よき家庭の美風を世界がうらやんだ国。 たとえ1時期であれ、 そんな日本に住めて幸せだったなあ」 黒沢組の平均年齢は68歳。 ああ。


ラブ・オブ・ザ・ゲーム

オトーサン、 またもや予備知識なしに映画館へ。 恋愛映画での 恋の駆け引きに期待して。 ところが、野球映画。 もうキャンプがはじまっていることくらいは 知っているけれども、 どのチームのフアンというわけでもなし。 強いていえばアンチ・ジャイアンツ。 大金をはたいて補強したり、 オリンピックに協力しないなど せこいところが嫌いです。 でも、映画がはじまって 主人公の大投手 ケビン・コスナー演じるチャペルが 子供の頃を回想するシーンをみて 突然、少年野球の思い出が よみがえりました。 キャッチボールで 弟を相手に ふりかぶって ピッチャーのまねをしたときのことを 思い出しましたよ。 あのグローブ、 おばあちゃんが手づくりで ズックの布で中に綿をいれて 丁寧に縫ってくれたのでした。 でも、硬球だと弟の球でも痛かったなあ。 当時は貧しく、革製のグローブなんか 貴重品でした。 遊び場にしていた 東大駒場のグラウンドで 近所の友達と野球の草試合。 運動神経の鈍いオトーサンは外野。 簡単なゴロを後逸。 あとで、散々馬鹿にされたなあ。 あれ以来、 野球のうまい奴をみると 反感を覚えるようになりました。 さて主人公のチャペルは当年40歳。 デトロイト・タイガースに所属、 19年間、主戦投手として大活躍、 優勝を目前に控えたNYヤンキーズとの 対戦を前に、 NYのホテルに滞在中。 黄金の右腕が痛んで、 アイシングをしています。 でも、彼女とのデートが楽しみ。 ところが肝心の彼女が なかなかやってきません。 突然、ドアのノックされ、 オーナーの訪問を受けます。 「おれももう年、球団を売却しようと思う、 あんたは長い間がんばってくれてきたが、 新オーナーはあんたを買っていない。 トレードに出すと言っている。 おれと一緒に引退しないか」 突然のリストラ通知です。 「野球一筋の人生、 おれから野球をとったら何も残らない やめる気持ちなんか毛頭ない」 そう断った直後、彼女が到着。 ホテルでは何だから セントラルパークで会いたい。 何事かと思って行くと、別れ話。 「ロンドンで仕事することになった。 あなたは野球があればいいひと。 私なんか必要としていない」 こうして足元が崩れ落ちる状況のなかで 翌日ヤンキースタジアムで試合開始。 傷心のチャペルはマウンドに立ちます。 「おいぼれ、やめちまえ」 の罵声を浴びます。 NYつ子は口が悪いので有名です。 優勝目前ですから鼻息も荒い。 すべてを失った 今夜のかれは いつもとは違います。 かれは三振の山を築いて行きます。 かれの長い野球人生は波乱万丈。 ケガして 再起不能と いわれたこともありました。 彼女との出会い、 愛のかけひき 彼女に大きな子供がいることが判明 そんな回想を交えて 試合は進行。 ヤンキースの得点は7回まで0の連続。 チャペル、 40歳にして夢の完全試合達成か。 解説者は絶叫、 大観衆はかたずをのんで見守ります。 さっきまでのブーイングはどこへやら。 熱しやすく、冷めやすいのもNYっ子の特色。 これ以上、ストーリーを紹介するのは 制作者に失礼。 よくできた脚本、 ケビン・コスナーも 「フィールド・オブ・ドリーム」に負けぬ名演技。 恋人役のケリー・プレストンも好演でした。 彼女がジョン・トラポルタの奥さんだって 初めて知りました。 うらやましいなあ。 美人女優を奥さんにするなんて。 そうそう、 昨日亡くなったドリフターズの 荒井注さん(72歳)の奥さんは 33歳だって? おい、荒井、ほんとうかよー、 このズンドコ野郎、 どうでもいいけど、 38歳も年齢がちがってんのに どうやったら愛なんか芽生えるんだよー。 荒井さんは、 晩年は伊豆の伊東に住んで釣り三昧。 オーストラリアにも別荘。 完全試合の人生でした。 オトーサンたちも がんばらなくっては。 死ぬまえに 一花もニ花も咲かせなくてはねえ。


ストーリー・オブ・ラブ

バレタイン・デー、 オトーサンが若い頃には、 こんな奇習はありませんでした。 いまや、この日にチョコレートを贈るのが定着。 義理チョコなんていうものもあります。 「デパ−トを儲けさせてどーするの?」 オトーサンたち、 義理チョコももらえないので ひがんでいるのです。 オトーサン、 バレンタインデーに 「ストーリー・オブ・ラブ」を見に行きました。 3連休は終わりましたが、 映画館は若いひとが群がっています。 「バレンタイン・デートに恋愛映画なんて最高!」 なんて勘違いしたに違いありません。 オトーサン、 予告編で少し内容を知っているので、 切符売り場で 礼儀正しく順番を譲ってくれた 若いカップルだけには 「おいおい、見るのやめとけよ」 と小声で忠告しようかと思いましたが 踏みとどまりました。 朝、出掛けに聞いた ニッポン放送のラジオ番組でも 山田邦子さんが、 「ラブラブのひとはみないほうがいいと思うよ」 と言っていました。 彼女も永すぎる春を過ごして最近結婚したばかり。 ラブラブの映画を期待して見に行って ガックリきたクチでしょう。 そうなんです。 誰だって 「恋人たちの予感」の名監督、 ロブ・ウィナーの最新作といえば、 恋愛映画の再来と思うじゃないですか。 ところが、どっこい。 恋愛のあとには、離婚の危機が待っています。 ですから、今回は離婚劇でした。 離婚の危機に直面した夫婦の悲喜劇。 主演男優は、ブルース・ウィリス、 主演女優は、ミシェル・ファイファー。 おいおい、 恋愛映画に ブルース・ウィリスってこたぁねえだろう。 そーなんです。 「ダイハード」、「アルマゲドン」のアクション・スターが いくら何でも恋愛映画ってこたぁないでしょ。 これって、ミス・キャスト? ロブ・ウィナー監督もブルース・ウィリスから 出演の申し込みがあったときは 頭をかかえたそうです。 だって、 役柄が合わないだけでなく、 ギャラがべらぼうに高い。 ウィルス来襲! ところが、ウィルスならぬ ウィリスは大熱演。 別居を申し渡された夫を コミカルにまたシアリアスに演じ分けたうえに 意外や意外、 ヴェニスの波戸場では2枚目として 見事なダンス・シーンを 演じてくれたし、 サマースクールでしばらく離れ離れになる 2人の子供たちへを抱きしめる愛情の濃さも 熱演していました。 オトーサン、 主演女優のミシェル・ファイファーを 知りませんでしたが いやはや驚きました。 うまい、うまい。 アカデミー賞もの。 女の一生、つまり 恋に落ちて幸せの絶頂の時 夫とのささいなボタンのかけちがいが起きた時 出産の苦しみをともに分かちあった時、 子育てや家事に追われてノイローゼ気味になる時 夫とのマンネリ・セックスに不愉快になる時 ついに我慢ができず、夫に別居をいい渡す時 夫からの電話で未練が沸き、気持ちが大きくゆれる時 新しい恋人にひかれていく時 子供たちのためにも夫とやり直そうと決心して 長い長い思いのたけを一気にぶちまける時 こうした 多面的で複雑な役柄を見事に演じ切りました。 あと光ったのが、 ミシェルの女友達レイチェルを演じる リタ・ウィルソン。 「プリティ・ブライド」でも好演していましたが、 レストランに女3人集まっての男性談義をリード。 「男のペニスは火柱なのよ、それを暖かく包むのがヴァギナ」 なんていいながら、手の平でペニスを包む仕草をしたかと思うと、 振り向きざま、ボーイに 「あ、お冷や、チョーダイ」 なんていいつける仕草や間のとりかたは絶妙でした。 エンディングの音楽もよかったですよ。 あのエリック・クランプトンのスロー・バラード。 「ごめんね。でも、どうして僕があやまるの?」 なんてせりふ、見におぼえがありませんか。 映画が終わって オトーサン、大満足。 「ハリウッドも、 ようやく大人の映画をつくれるようになったか。 そういえば、アメリカは離婚先進国だもんなあ。 こういう映画が生まれる素地があるわけだ。 5つ星つけようかなあ、どうしようかな」 出口で、 さっき出会った 若いカップルをみると、 しょんぼり。 前途に待ちかまえる人生の諸問題に直面して 考えこんでしまったようです。 オトーサン、 思いました。 「カワイソー。 おれだって、 まさかこんな人生になるとは 夢にも思わなかったよなあ。 分かってたら 結婚などしなかったかもなあ」 そーなんです。 世の中、無学無知のほうがいいこともあるのです。


シャンドライの恋

オトーサン、映画館に電話しました。 「もしもし、シネスイッチですか。 おたく、どこにあるのですか?」 「銀座4丁目、和光の裏手です。 お待ちしています」 「へえ、銀座のどまんなかに 映画館があるんだ。」 そんなことで、 銀ブラ気分で出かけました。 「銀ブラってなあに?」と 若いひとたちに聞かれそうですが、 銀座をぶらぶら散歩するということなんです。 三越や和光でお金持ちの女性が 買い物をして、 歌舞伎座や帝劇で芝居をみる。 昔は、渋谷や新宿なんかダサイところ デートは銀座と決まっていたんでーす。 さて、 オトーサンがいくと、 映画館の窓口には黒山のひとだかり。 「どうして?そんなにいい映画なの?」 よくみたら レディース・ディ900円とありました。 通常1800円のところを900円で映画がみられれば、 残り900円でお昼においしいものでもたべましょう。 こんな感じのおばさまが行列中。 この映画は イタリアの巨匠、ベルナルド・ベルトルッチの作品。 「ラスト・タンゴ・イン・パリ」で一躍世界的名声を獲得。 マーロン・ブランドを知ってますか。、 かれの退廃的な表情と官能的な演技はすごかったなあ。 さて、 冒頭のシーンは、アフリカ。 大木の根元で、黒人がみなれぬ楽器で アフリカン・ミュージックを演奏し、 張りのある声で痛切なメロディを歌っております。 しかし、 この のどかな人類の誕生の地にも 革命と戦争の嵐が吹き荒れ、 女主人公シャンドライ (好演!サンディ・ニィートン) の夫は教室で授業中で突然乱入した兵士たちに 政治犯として連行されてしまいます。 泣きくづれるシャンドライ。 舞台は一転してローマ。 ローマといえば、 オードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」 その舞台となったスペイン階段を思いだしますが この映画も、まさに同じ場所。 ただし、階段脇の古い屋敷が舞台。 建物の入口は 騒々しい地下鉄の入口に面しています。 なかにはらせん階段があって 上っていったところに出口があって ここはスペイン階段の上というわけ。 天国と地獄の2つをもつ特異な屋敷です。 オトーサン、つぶやきました。 「へえ、あんなところに らせん階段のあるお屋敷があったんだ うまいロケハンだなあ」 シャンドライは、アフリカを出て ローマで医学を専攻しています。 生活費と学費をかせぐために、 この屋敷で住み込みの家政婦をやっています。 持ち主は祖母から財産を譲り受けたお坊ちゃん いい年して独身でひとり暮らしの 内攻的な英国人・音楽教師。 活発に、また丁寧に らせん階段や部屋を掃除している シャンドライに一目ぼれ。 彼女の露出した腕のまるみすら まぶしく映ります。 この映画では 官能的な映像と音楽がすべてと 分かってきます。 かれが 激しく あるいは 愛撫するように 弾くピアノのメロディが そのときどきのかれの気持ちのゆれを 通弁に物語ります。 陽気なジャズ、 喜びにあふれるモーツアルトの曲 陰鬱ないつになったら終わるのかという 狂おしいメロディ。 アフリカン・ミュージックの アップ・テンポのリズムにしか感応しない シャンドライでしたが、 いつしか彼の気持ちを伝える音楽が シャンドライに迫ってくるようになります。 階上の部屋に住む男 中2階の部屋に住む女 2人だけの閉鎖的な空間は、 新潟の少女監禁事件の男女の部屋そのまんま。 ある日、 かれは思い切って シャンドライにプロポーズ。 しかし、抱擁しかける腕のなかで シャンドライは叫びます。 「あたしには刑務所に放り込まれている夫が いるのよ」 2人の関係はその一言で断ち切られたかのように 見えました。 同じ医学校で学ぶボーイフレンドが 訪問してくる始末。 ところが、ある日 シャンドライは、 かれが命より大事にしているピアノを 売り払う交渉をしているところを 目撃してしまいます。 やがてピアノがクレーンで運び出され、 そして、夫からの便りが枕元に。 夫は 釈放されて、 数日後の早朝に きみのところを訪ねるとあります。 シャンドライは かれがピアノを売って 保釈金を捻出したのを知ります。 うれしさに学友と遊びあかすシャンドライ。 家に帰って お礼の手紙を書くシャンドライ。 サンキュウの文字で手紙をうめつくしますが、 どうしても泡だつ気持ちが整理できません。 やがて 彼女は、 夫と釈放を祝うつもりで買った シャンペンを飲み干してしまいます。 そして、 真夜中、 音楽教師のベッドへいき、 恋の終わりの切望感で泥酔して寝ている かれの靴を脱がせ、 やさしくシャツのボタンをひとずつ外していき、 シーツをまくって横にすべりこみ、 しなやかな足を男の足とからませます。 翌朝、地下鉄の出口から 大きな荷物を持った男が出てきて ドアのベルを鳴らします。 ベッドで抱き合っている2人にも 当然、その音が 聞こえてまいりますが、 2人とも動こうとはしません。 やがて、大きな荷物を持った男は 地下鉄の入り口へと消えていきます。 見終わって、 オトーサン 久しぶりに官能のたかぶりを覚えました。 通路のまわりは、着飾ったおばさま族でいっぱい。 「ひとりくらいはデートに応じるかも」 なんて若い頃の気分にもどっていたら オトーサン あるおばさんと目を合わせました。 で、 どうなったと思います。 何と おばさんは、 口元に手を当てて 大あくびをしたのです。 あーあ。 「シャンドライならぬオトーサンの恋」は」 あえなく「ジ・エンド」とあいなりました。 めでたし、めでたし。


キッドナッパー

オトーサン、 ひさしぶりに映画館へ。 ひとに会うまでの時間つぶしに 有楽町に出てきたのですが、 上映時間が10時からと思ったら、 それは休日。 急に2時間近くヒマになりました。 JTBに行ったり、 銀行で通帳に記入したり、 コンビニで料金を払いこんだり、 コーヒーを飲んだり、 本屋をのぞいたり、 こういうときは、なぜか なかなか時間はつぶれません。 しょうがないので、 11時10分からやっている映画にしました。 「キッドナッパー」とあります。 シネスイッチ。 場所は、もう分かっています。 この前、「シャンドライの恋」をみたところ。 銀座4丁目、和光の裏手、銀座のどまんなか。 有楽町からは目と鼻のさき。 そんなことで、30分前にはもう到着。 「開館前か。こまったな。 そうだ、予習をしよう。」 受付の窓口の娘さんに、 「先にパンフレットだけ買いたいのだけれど} とお願い。 するとOK でも、シネマスイッチ2の担当は別の娘さん。 2階からわざわざ降りてきて、 パンフレットを売ってくれました。 丁寧な応対でしたが、 余計な仕事をさせられたので、 目は怒りにもえていましたよー。 さて、パンフレット。 これが、たったの20P。 A4サイズの半分。 「これで600円は高いよなー、銀座値段にしても」 オトーサン、驚きのあまり、うめいてしまいましたよー。 内容も力が入っていません。 30分で、全部読みました。 勉強終わり。 さて、ようやく上映開始。 リトアニア出身のフランスの若い監督、 グラハム・ギッドの第2作。 南仏を舞台にしたアクション映画です。 滑り出しの部分で 主役4人の性格紹介がありました。 アルマン:刑務所から出たばかりの金庫破りのスペシャリスト クレール:奔放な女。ハッカー、アルマンの恋人。 ゼロ:クレールの弟。スピード狂。 ユリス:大金を稼ぐ話を持ちこんだ男。すぐにキレル。 実に切れ味がよく、 オトーサン、 「こりゃ、新感覚の泥棒成金だな」 とおもいましたが、 あとの展開は? 大金稼ぎのおいしい話は ヤクザから持ちこまれたもの。 そのヤクザもまたまされていた。 そこで、起こるのはドンパチ。 実にあっけなく ひとが殺されていきます。 お金がないので45日で撮影したとか。 ドンパチでケリをつけて 新感覚を謳うところは、 ちょっとタケシ映画に似ています。 もうじき大相撲がはじまりますが、 相撲でいえば、千代大海のはたき。 苦し紛れにやるのでしょうが、 あっけないから、観客はガッガリ。 あっという間に 予習した通りの展開で ジ・エンド。 「なあーんだ。 南仏とスピード狂ゼロの組み合わせで 面白いカーチェース・シーンが みられるかと思ったら、ゼロ」 オトーサン、映画館の外に出ます。 観客は、たっの9人の男だけでした。 「見て損した。 こんなことなら、 このビルにある香水瓶博物館でも 観ておけばよかったなあ。 ルネ・ラリックなら初期の作品も、 面白いかも」


ダブル・ジョバディー

オトーサン 鬼のいぬ間の洗濯で 奥方が美容院に行っている間に 映画をみてしまおう、と発心。 家から一番近いところ、 一番上映時間の短い映画という条件で 見当をつけて 川崎のチネBEへ。 駅の構内にあるデパートの4階。 駅がすでに3階にあります。 発心して17分後には入館。 切符を買って、パンフレットを買って 係りのひとに 「はじまってから何分くらい?」 「30分です」 答えを聞いて、館内へ。 目が慣れていないので、真っ暗闇。 だいぶ客がいそうですが、 一番前の席ならダイジョーブ 空いているだろうと、 座りました。 すると、 ドーンと どつかれました。 どうやら座っているひとがいたようです。 おとーさん、 驚いたの何の。 でも、相手のやくざ風のおじさんも驚いただろうなあ。 さて、 肝心の映画。 まず目に飛び込んできたのが、 女の囚人たちが作業している場面。 「ありゃ、ナチス映画を観にきちゃったかあ」 とオトーサン、錯覚。 1時間45分の上映時間なのに 30分も経っていますから、 あとでパンフを読むと シアトルに暮らす平凡な主婦が 夫殺しの罪で、 実は、無実なのに 刑務所にいれられたということでした。 オトーサン いきさつを知らないので、 「何だか、この女性、電話魔だなあ」 と思ってみております。 だって、 彼女の後ろには いらいらして待っている 大勢の女刑囚がいるので。 これも、あとで分かりましたが、 引きはなされた息子の声を聞きたい という親心に加えて、 息子をあづかってくれた親友の女性が 行方不明。 手がかりを探して、 あちこちに電話をかけまくっているためでした。 で、ようやく ロサンゼルスにいることを突きとめて電話。 女友達の声は冷たいのですが、 何とか懇願して息子の声が聞けました。 「ママよ、分かる?」 てな会話の後に、息子の声。 「パパお帰り」 その直後に電話はガチャン。 「????・・・・」 死んだはずの夫は生きていた。 親友と共謀して、巨額の保険金を詐取。 妻を殺人罪で刑務所に放り込み、 ぬくぬくとリッチな生活。 囚人用の2段ベッドの長い列を 放心した彼女が歩いていくと 景色は次第にゆがんでいきます。 「おっ、このシーン、秀逸!」 彼女は、打ちのめされます。 しかし、女刑囚仲間から、 夫殺しで、一度、つかまったのだから、 もう一度、夫を殺しても、罪には問われないよ と教えてもらいます。 その一言で 彼女は立ち直り、復讐を誓います。 そのために、体を鍛えぬきます。 6年後。 彼女は模範囚として 早くも、仮釈放の身になります。 でも、 保護監察官トラヴィスに厳重に注意されます。 微罪を犯すなよ、 毎日、定刻までに、戻れ。 ところが、彼女は 息子の居場所を探して 住居不法進入で 追われる身に。 家の裏手にある砂浜を 脱兎のごとく逃げ、 追っ手のジープをふりきりますが、 結局、トラヴィスに逮捕。 手錠されて、フェリーで刑務所に戻ります。 ところが、 彼女、逃げたい一心で 助手席側のドアのノブに手錠をはめられたまま クルマを発進させて、フェリーの後尾から 海中に転落。 救おうとトラヴィスが海に飛びこみ、 手錠をはずしますが、 そのすきに泳いで逃亡。 以後、全米各地を舞台に逃亡劇。 逃げる彼女と追うトラヴィス。 転々として 最後の舞台は、ニューオーリンズ。 「この映画、このロケでヒットしたんだ」 というくらいすばらしいものでした。 NOといえば、 ジャズの発祥地、 バーボンストリートの雑踏 フランス植民地の面影の残る街路。 雨中の捜索活動、 追っての迫るなか 親友を殺し、 いまやホテルのオーナーにおさまって もてもての独身男になっている憎い夫を発見。 彼女は、アルマーニのドレスをまとって ホテルの「独身者オークション」なる催しに潜入。 夫を1万ドルで競り落として、 ついに再会を果たします。 あとは、みてのお楽しみ。 彼女、美人女優、アシュレイ・ジャネットが 女性のさまざまな表情をみせて秀逸な演技でした。 また、トミー・リー・ジョーンズは トラヴィス役を重厚に演じていました。 「メン・イン・ブラック」以来、久しぶり。 オトーサン 見終わって大満足。 すると、急にさっきの事件が心配になりました。 見終わったところで、 オトーサンを突きとばしたやくざ風のオジサンが イチャモンでもつけてこないかなー。 「おまえ、ちょっと外に出ろ」なんて。 ところが、何事もなく エンディング・テーマの間に オジザン帰っていってしまいました。 オトーサン、 ほっとして、つぶやきました。 これが、ほんとうの ダブル・ジョバティー。 一事不再審。 一度犯した罪で2度と裁かれることはないという アメリカ独特の法律。 オトーサン、 奥方のご帰宅までに帰宅。 待たされなかったので 奥方も、ゴキゲン。 やくざに2度突き飛ばされることもなく ダブル・ジョバディーの日でした。


スリーピ−・ホロウ

オトーサン、 久しぶりに 豪華な劇場で映画みたいなあ。 と思って 有楽町は、マリオンにある日本劇場にと向いました。 花粉病の予防でマスクに黒い帽子。 変なかっこうですが、いたしかたがありません。 「そういえば、昔、ここに 日劇ミュージックホールがあったっけ。 なつかしいなあー。 あの頃は、花粉病なんてなかったよな」 土曜日の朝9時というのに、 エレベーターは超満員。 でも、 どっと9階で降りていきます。 親子連れでした。 「どらえもん」と「トイストーリー2」のせいでした。 さて、 スリーピー・ホロウは、11階。 見るひとは若い女性ばかり。 看板をみると、恐怖でひきつった若い男女2人の顔。 オトーサン、ぼやきます。 「ホラー映画だな。 弱ったなー。 まあ、いいか。 怖くなったら、 目をつぶればいいんだから」 でも、劇場はサイコー。 赤い絨毯、やわらかな間接照明、絹布のどんちょう。 緑色の非常口のサインだけが、ぶちこわし。 「こんなデザインを放置している間は、 日本が文化国家なんて、誰も信じないぞ。 エラソーな顔してるけど、このザマ」 さて 映画は、のっけからホラー調。 赤い血が ぽたぽた、 とろり、 とろりんこん。 遺言状に字が書かれていきます。 そして血判が押されました。 シーンは一変。 青白いモノクロ画面へ。 夜間、雲行きのあやしい天候。 雷鳴がとどろきます。 疾駆する馬車に乗るひとりの老人。 かれが、座席から転落。 とうもろこし畑です。 おばけが出現。 よく見ると、 かぼちゃで作ったハロウイーンの 人形の頭をしたとうもろこし。 一安心するひまもなく、 「ぎゃあー」 黒い影が動いたかと思うと 老人の体からは、首が飛んでいきます。 切り口のクローズ・アップ。 「おい、おい」 時は、1799年。 新世紀を間近にした18世紀。 多くのひとが科学より迷信に頼っていた時代。 舞台は、スリーピー・ホロウの村。 ニューヨークから ハドソン川をさかのぼった オランダ人開拓地。 この村には昔から 次のような伝説が流布されています。 「この騎士の死体は、この教会の墓地に埋葬されているが、 その亡霊は夜な夜なもとの戦場に馬を駆り、頭を探すのである」 伝説のとおりに 首なし騎士によって 連続3件も、首をはねられる事件が発生します。 その事件の捜査を命じられたのが、 ジョニー・ディップ扮するイカボット・クレーン。 迷信を馬鹿にし、科学捜査を主張する若き捜査官。 丘の上から見下ろすと 村は、谷底にあってオランダ建築。 勾配の急な屋根や尖塔。 風車が闇に浮かび上がります。 紹介された地主の屋敷を訪ねると 光の渦、パーティの最中。 男女の顔やきらびやかな衣装は、 オランダ絵画、 ヴァン・ダイクのものとそっくり。 「いやあ、美術館にいるようだなあ」 渦の中心にいるのは、 この世のひととも思えぬ若い美人、 クリスティ−ナ・リッチ扮する地主の娘、カトリーナ。 イカボットは一目ぼれ。 あとの展開は、例のごとく簡単に。 捜査を開始したものの、 科学捜査も役立たず 部外者には村人たちの協力も得られず、 それどころか 第4、第5の首なし騎士の犯罪が起こり、 あやうく自分も殺されかけて 失神。 カトリーヌの看護を受ける始末。 「科学捜査なんかどーでもいいや」 とクレーンくんは、占い師に頼りだす始末。 オトーサン、 「変な映画、首なし騎士などいるはずないじゃん」 といぶかります。 ところが、 その後も、首なし騎士が縦横無尽に活躍するものですから かえって、鞍馬天狗や ドラキュラの出現を心待ちにするような気持ちに なってきました。 映画は、首なし騎士が 実在したまま、終わってしまいます。 「そんなバカな、神隠しじゃあるまいし いまどき、こんな映画づくりが許されるか」 ホラーの巨匠ティムバートン監督に イチャモンをつけたくなってきました。 オトーサン、 エンディング・タイトルが終わる前に 今日はひとが大勢で混むから トイレに早めに行こうと思って 帽子をリュックから出して 膝に置きました。 ところが、 しばらくして立ちあがろうとして 膝に手をやると、 帽子がありません。 黒い帽子ですから、 暗闇では探しにくいなあ、 しょうがないなあ、 明かりがつくまで待とうと じっと尿意をこらえます。 明かりがつきました。 ありません。 ない、ない、ない。 掃除係のひとにも探してもらいましたが ありません。 もう一度、劇場に戻ってさがしましたが 見当たりません。 勿論、リュックのなかにも、 ありませんでした。 「どこか、劇場に入る前に、忘れてきたんじゃない?」 「そんなことはないよ。だって、さっき取り出したんだから」 まるで、神隠し! その結果、 オトーサンは、 首なし騎士が、首を求めてさまようように 帽子を求めて、さまよい歩きましたよー。 結局、SOGOの前で ホワイトデーでの帽子安売りを発見。 800円で似たような形の帽子を見つけて 事なきをえました。 花粉対策は、これでダイジョービ。 あとは、奥方に何といわれるかだけが心配。 こんな事件があったからいうのじゃないけど、 さんざんこわい思いをさせられたうえに 帽子までなくなるんだから、 ほんとうに、 この映画、見ないほうがいいと思うよ。 でも 首がとんだひとが、 何百万もいる世の中、 映画より 現実のほうが、よほど怖いかもねえ。


マグノリア

オトーサン、 この映画を見たくて見たくて だけど、3時間半もかかるので敬遠。 ようやく見ることができました。 3時間半といえば、 新幹線で東京から神戸まで行けます。 おまけに上映開始が11時で 終わるのが2時半では、 いったい、お昼ごはん、どーするの? しょうがないので、 ドーナツとミネラル水を買って 食べながら鑑賞。 若いカップルが目立ちます。 まあ、有楽町での日曜日のデートに 映画見物というのは、いいんじゃないの。 おまけに雨も降っていたので 劇場は若いひとたちで満員でした。 さて、 この映画 どう紹介したらいいのでしょうか。 マグノリアといえば、アメリカ南部を代表する花。 オトーサン、 てっきり風とともに去りぬのような 大輪の花の女優さんと アカデミー賞にノミネートされた 美男子、トム・クルーズとの一大ロマンスを 想像していました。 ところが、 トム・クルーズがのっけから何といったと思います。 Respect the Cock オトーサン、恥ずかしくって 戸田奈津子さんがどう翻訳していたか メモするのを忘れましたよー。 戸田さんといえば、字幕翻訳の第一人者。 年間4,50本の映画にお呼びがかかるお方。 オトーサン、戸田さんを慕って 字幕翻訳者志望のひとが増えたと聞いております。 さて、 この映画で、トム・クルーズは、大勢のひとりに過ぎません。 「チョイ役? 松田聖子みたいに?」 いやいや、そうではなく この映画の脚本を書き、監督でもある ポール・トーマス・アンダーソンの狙いは、 カリフォルニアの郊外に住む市民たち つまり 死の床にあるTVプロデューサー、その若い妻、 かれが昔捨てた息子、献身的な看護人 そして ガンを宣告されたTVクイズ長寿番組の司会者、その妻と娘。 娘に一目ぼれする誠実な警官、 番組に出演する天才少年、もと天才少年のダメ中年男の群像を通じて、 かれらの仮面の下に潜む 裏切り、葛藤、憎悪を暴き、 現代人における愛と希望の再生を描くことでした。 トム・クルーズはマスコミで信者を獲得する教祖役 それもセックス教。 自分のチンポの力を信じて、人生を切り開けと説く とんでもないヤツ。 オトーサン、いぶかります。 「よくも、ハリウッドを代表する大スターが こんな変な役を引き受けたもんだ」 あとでパンフレットを読むと、 若い監督にほれこんで、自ら志願したとのこと。 アメリカってすばらしいですねえ。 30歳の監督に大スターがほれたり、 プロデューサーが3時間もの大作の製作を許すなんて。 例によって 筋は省略しますが、 一見全く関係のない9人の生活が 最後の一日にからみあって、 大団円。 そのきっかけは、 偶然の かえる雨。 「かえる雨?  何それ?」 って聞かれたって オトーサン、 「いいませんとも。口がさけてもいいません」 さて、 エイミー・マンの歌が心にしみて 映画が終わりました。 みると、やはり、隣の若いカップルは、ションボリ 気まずそうに顔をそむけあっています。 オトーサン、内心つぶやきました。 「そりゃあそうだよなあ。  若いうちは、  人生の機微なんか  知らされないほうがいいんだよなー」 この映画、デートでは見ないほうがいいと思います、 内容は勿論ですが、 連れの若い女性をトイレで行列させるなんて、 サイテー男ですよ。 それから年寄りも、要注意。 上映時間の直前に、 トイレに行っておいたほうがいいと思います。 何しろ、上映時間が長いんだから。 オトーサン、 ドーナツだけでは、 さすがにお腹が空いたので ラーメン屋へ。 2000年3月12日、東京、雨のち晴。 2000年3月12日、名古屋、晴。風速6m。 ちょうどラジオで女子アナが叫んでいました。 どうやら名古屋女子国際マラソンの結果のようです。 「高橋尚子選手、2時間21分19秒で優勝! これでシドニー・オリンピックの切符は、間違いなしです。 勝つべきひとが勝つなんて 考えてみれば、すごいことですよねー」 オトーサン、 時計をみます。 「11時から映画がはじまって、 終わったのが2時21分19秒。 マラソンのゴールインと同じ時間。 まるで、あらかじめ、計算していたみたいだ。 へえ、世の中、偶然ってあるんだなあ」 そーなんです。 映画鑑賞の楽しみのひとつが、偶然。 日常生活の決まりきったレールから脱線するのも、 たまには、いいもんです。 でも、若いひとの頭をかち割るような 偶然という名の未必の故意は困るよ、 営団地下鉄。


ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ

オトーサン、 30分前に映画館をのぞいて 受付の娘に聞きました。 「どう、混んでる?」 「いいえ」 安心して、お昼ごはんを食べました。 戻ると、パンフレットを購入。 「いくら?」 「500円です」 こりゃ、力が入ってないなあ。 さて、始まりました。 字幕翻訳は、また戸田奈津子さん。 「こりゃ、期待していいかも」 最初のシーンでは、二人の子供が砂浜を じゃれあって走っています。 「私は13歳のころ、 黄金の國へ行った。 キンバローゾ・コトパクシーが 私の案内役。 オリノコから 灼熱のカラハリ砂漠を越えて ヴェルト草原の大自然へ」 画面では二人の姉妹たち 渚から砂丘へ 砂丘から小高い丘へと 駆けて行きます。 このシーンに合わせて、詩が朗読されて 字幕に、 この翻訳が流れるのです。 さすが、戸田さん、 美事な翻訳です。 彼女は、津田塾大英科を卒業、 海外留学経験もないしがない翻訳者でした。 そこへ運命の仕事。 「地獄の黙示録」の字幕翻訳。 この映画の大ヒットで一躍スターへ。 今や、円熟期。 ひとつの映画を3回みて書かれるとか。 一本につき30万円から40万円。 二人の姉妹のお家は音楽好き。 母親のピアノに合わせて 姉のヒラリーはフルート、 妹のジャックリーヌはチェロを練習。 すこし上達したので、発表会。 二人とも受賞。 拍手をもらいます。 妹のほうが、拍手が多かったようです。 オトーサン、 「どこかでみたようなシーンだなあ」 と思いました。 「まるでわが家にそっくり」 そうでした、そうでした。 遠い昔、 奥方は、 わが家を音楽一家にすることを夢見たのです。 自分はピアノ。 「オトーサン、管楽器かなんかどう?」 すぐ音痴と判明して、早々に説得を断念。 結婚前に中学校での音楽の成績は 5段階評価で2だったと 話しておいたハズなんだけどなあ。 そこで奥方は 子供三人に期待して バイオリンを習わせました。 家庭教師が厳し過ぎて、息子は挫折。 音楽塾に通わせた娘二人は、 順調に練習して発表会へ。 曲目は「キラキラ星」でしたっけ。 オトーサン、 夢中になって写真を撮まくりましたよー。 その程度のおけいこ事で終わるか 音大まで進んで専業主婦になって、 近所の子供に教える程度まで行って終わるか それとも、海外留学し、何かのコンクールで優勝し、 将来を嘱目されるものの、日本の交響楽団で演奏する そんな程度で終わってしまう。 いずれにせよ、 大勢のひとに挫折の運命が待っているのが、 この世界。 「厳しい世界だよなあ」 この映画でも、 姉のヒラリーはなかなか上達しません。 早々と平凡な結婚生活へ。 でも、 妹のジャックリーヌ・デュ・プレは 違います。 一世紀に一人いるかいないかの 天才チェリストになります。 ウィーン、モスクワ、ベルリン、マドリッド、 ニューヨークと世界各地で演奏会。 拍手は鳴り止まず、新聞には大きな写真が掲載。 「確かに演奏はすごいけど、話がうま過ぎるよなあ。 そんなにすぐ有名になんかなれるかよー。 まあ、映画だから、絵空事も許されるのだろうけれど、 でも、ちょっとなあ」 音楽に疎いオトーサンは、 まだ、この段階になっても ジャックリーヌ・デュ・プレが 実在の人物であることを知りません。 彼女が20歳のときに演奏した 「エルガーのチェロ協奏曲」が 20世紀の名盤ベスト10の第2位に輝いて いるなんて知るはずもありません。 カラヤン、 バーンスタイン、 フルトヴェングラー よりも上。 「ほんとかよー」 実は、 この映画、 ジャックリーヌ・デュ・プレという (1945−1987) 若くして死んだ天才チェリストの ドキュメンタリー映画なのです。 原題は、 「ヒラリーとジャッキー、ほんとうの物語」 それを戸田さんの助言もあってか、 「ほんとうのジャックリーヌ・デュ・プレ」 としたのでした。 ですから クラシック・フアンならば 分かるタイトルになっているのです。 そういえば、 観客も若い女性と年とったご夫婦だけ。 何にも知らないオトーサン、 変な観客構成と思ったのですが、 共通項はクラシック音楽フアンでした。 見終って 「こりゃあ星3つだな」 と思いましたが、 パンフレットを読んで納得。 「星4つにあげようかなあ。でも」 とオトーサン、ゆらぎのせ界へ。 そういえば、 「鉄道員」の採点も厳しすぎたかなあ。 日本アカデミー大賞をもらったし 授章式で高倉健さんが号泣したというし。 しかも、 ジャックリーヌ・デュ・プレを演じた エミリー・ワトソンは アカデミー賞候補にもなった実力派。 「でもなあ、熱演しすぎで、疲れるよなあ」 実は、はずかしながら オトーサン、 上映中に居眠りをしたことを告白いたします。 酔うとすぐ眠たくなるのですが、音楽も同じ。 娘が並んでせっかく取ってくれた NYシティバレエの公演でも眠ったし 毎回、演奏会では快い眠りに誘われます。 でも、 この映画は、居眠り公認です。 だって、 エンディング・タイトルのBGMは、 何とモーツアルトの子守歌でした。 「眠れ、よい子よ」 オトーサン、 おわびの印に、 今度の日曜日には ジャックリーヌ・デュ・プレの 「エルガーのチェロ協奏曲」を 買いにいくことにいたしましょう。


ヴァン・ダムinコヨーテ

オトーサン、 3月20日は月曜日、 映画館もがらあきだろうと勘違い。 3連休の最終日とあって 映画館の切符売り場は長蛇の行列。 係員が叫んでいます。 「ただいまの回は立見になりまーす」 「なつかしいなあ、 昔はよく立見したもんだ。 映画の全盛時代。 黒沢明、木下恵介の2大監督が活躍。 みんなが映画をみに行ったもんだ。 俺も、あの頃は元気だったなあ。 1日に4本も見たこともあったっけ」 オトーサン、 「年だから、立見ならやめよう」 と思いましたが、 立見が出たのは、 「どらえもん」と「マグノリア」でした。 オトーサンがお目当ての 「ヴァン・ダムin コヨーテ」はガラガラ。 まあ、 休日にのんびりと 三流アクション映画を見るのもいいか と自分を納得させました。 出だしのシーンはよかったですよ。 広い砂漠をコヨーテが走っています。 そろそろ遠くの山影に夕陽が沈む頃。 コヨーテを追うように 1台の赤いオートバイに乗った男が走ってきます。 黒い髪、黒いサングラス、黒いジーンズ 丸首シャツから出ている腕からすると、筋肉マン。 やがて、かれはオートバイをおりて 夕陽を見ながら ウィスキーをぐびぐび飲んで 砂漠に座りこみます。 「おいおい、 砂漠の夜は寒いから 風邪ひくぞ 凍死するか、コヨーテに襲われるか 大変なことになるぞ」 オトーサン、心配しきり。 ところが、 かれ、 今度は、 砂漠にゴローンと寝そべります。 太陽が 山の影に消えた頃、 いつの間にか、 そばに、しゃがんでいる男がいます。 インディアン。 2人の会話から推測すると、 くだんの男は 世をはかなんで 自殺するつもりのようです。 戦友だったインディアンが オートバイを受け取ってくれれば、 あとはこの世にもう何も思い残すことはない。 ところが インディアン、 頑として オートバイを受け取ってくれません。 男は、苛立って銃を空に向かって撃ちます。 その音を聞きつけて ジープに乗った3人組がやってきます。 これが、名うてのワル。 あちこちの店主を脅かして テラ銭を巻き上げたり、 すぐ暴力をふるって弱い者いじめをしたり、 はては麻薬取引のおやじとつるんだり。 ですから、 見知らぬ男がいて、 コルト45と赤いオートバイをもっていると 巻き上げることしか考えません。 インディアンを追い払って 男を殴り倒し、 とどめの1發を撃っておけよと 兄貴どもが末弟に命令し、立ち去ります。 「これで、もう終わりかあ。 こりゃ2つ星だあ」 オトーサン 暗闇のなかで何とか時計を透かしみます。 まだ、30分しか経っていません。 実は、 この後、 男は何とか助かって インディアンに介抱され コヨーテの魂をもらって 戦士として復活し、悪人どもをやっつけるのです。 いい男前ですから 勿論、女性にもてもて。 救ってあげた若い女性2人と 明け方までファックしてから、 格闘に出掛けるほどのタフガイ。 銃を乱射したり、 家を爆破したり、 空手のとびげりを披露したりの大活躍で 悪人どもを無事退治して、ハッピーエンド。 オトーサン、スッキリ、 これって よくあるパターンじゃないですか。 水戸黄門? 西部劇? 香港のカンフー映画? いやいや,むしろ 黒沢明映画かも。 「7人の侍」をまねした「荒野の七人」(1960) 「用心棒」をまねした クリント・イーストウッドの出生作となった マカロニ・ウエスタン「荒野の用心棒」(1964) にも似ています。 でも、どこか違う、 どこかでみたような痛快でコミカルな切れ味。 あとでパンフレットをみたら 監督は「ロッキー」(1976年)の ジョン・G・アビルドセンでした。 オトーサン、それで納得。 そうなんです。 活躍する男は、 シルベスター・スタローンが もう、この分野から引退したものだから ジャン=クロード・ヴァン・ダムを起用。 スタントマンあがりの 中堅俳優ですが、 こつこつと 地歩を築いてきて ついに主役をゲットしました。 うまくいけば、新しいスタイルの 西部劇シリーズになるかも知れません。 砂漠をファントム・ジェット戦闘機が 轟音をあげて低空飛行したり、 悪人どもの死体処理にダンプカーを使ったり 現代のハイテクの味付けもしゃれてます。 さらに オトーサンが気にいったのは 脇役のお年寄りたちがみな元気なこと。 みんな味のある個性派ぞろいなのです。 砂漠の町で長く暮らしていると コヨーテ魂が乗り移ってくるのでしょうか。 今回の字幕翻訳は、 栗原とみ子さん。 インデイアンのいいつたえを 美事に訳しましたよー。 「春の満月 コヨーテ・ムーンは 道に迷った戦士を照らす。 コヨーテは命の守護霊。 満月の晩、 コヨーテに導かれ、 戦士は再び道をみつける」 まわりの観客をみると みんなお年寄りばっかり、 みなさん見終わって元気そう。 うれしくなりました。 停滞と再生の物語り。 敬老精神の新西部劇の誕生! オトーサンも誓いました。 「このまま、老けこんじゃいかんなー。 がんばらなくっちゃ。 コヨーテのような老人にならなくては」 「コヨーテだ。 お前に似ている。 コヨーテの勇気と英知と茶目っ気。 イチモツは小さいが」 ねえ、 栗原とみ子さんって 翻訳うまいでしょ。 最終行の翻訳なんてお美事、 胸にグサッとくるもん。


氷の接吻

今朝もよく晴れて 一面の青空。 オトーサンもいい気持ち。 自然に歌を詠みたくなります。 そこで一句。 「春の野に 幼子抱きて 若菜摘む みめよき女(ひと)と 見れば山姥(やまんば)」 やまんばの微笑は「氷の微笑」 やまんばの接吻は「氷の接吻」 エロティック・サスペンス 「氷の微笑」(1992)では アイスピックで抱き合っている男を殺す シャロン・テートの艶技は すごかったですねえ。 キッチンでのセックス・シーンの 嵐のような激しさ。 うぶなオトーサン、びっくりて、 お口あんぐり。 その後、7年もたったのに 覚えているくらいですから 今度の「氷の接吻」でも さぞや激しいシーンがみられるのではないか と期待が膨らみます。 さて、映画が始まりました。 若い男(アイ)が、向かいのアパートの 一室を望遠鏡で監視しています。 オトーサン、 快調な滑りだしにゾクゾクしてきました。 「裏窓みたいだなあ」 ヒッチコックの裏窓(1945)では、 覗いている男は、ジェームス・ステュワート、 覗かれている女は、グレース・ケリー。 「でも、 グレースケリーが モナコ王妃になるなんて 思わなかったよなあ」 オトーサンが回想にふけっている間に 女は、次々と衣装をぬぎ捨てていきます。 相手の若い男は、にやける一方。 「あっ」 男が背中を向けている間に 女は用意したナイフでメッタ刺し。 泣きながら絶叫。 「メリークリスマス! パパ」 息絶えた男をビニール袋に入れて 引きづっていって運河へドボン。 全裸の女は、 返り血を激しい雨で洗い清めます。 振り向いた女の美しい横顔 雌豹のような鋭い目付き。 アイは、息を呑みます。 このシーンを 一部始終を目撃していた男(アイ)は 実は、英国諜報部員。 上司の息子の素行調査を頼まれて監視中に この事件が起きたのでした。 アイは高跳びする謎の女を追って ワシントンからピッツバーグへ。 列車の個室で、また被害者。 今度は宝石のセールスマンです。 次の被害者は、ニューヨークの刑事。 さらに女は、空港で金持の盲人に接近、 サンフランシスコへ。 一緒に暮らしはじめます。 その間に、アイは風呂場で採取した女の 陰毛を本部へ送付し、身元を割りだします。 アイは、ボストンの刑務所に飛び、 保護観察官に、かつての彼女の様子を取材。 意外な素顔でした。 「いい娘だったわ。7歳のクリスマスに 父親に捨てられたのよ。 あまり、かわいそうなので身を守るすべを 教えた。 自分をさらけ出さないこと、」 かつらで変装する技術を」 アイの謎の女をみる目が大きく変わります。 殺人犯どころか、 危なかしくって 守ってやらねばならない少女へ。 アイは諜報部員から守護天使へと変わりはじめます。 これ以上、 あらすじの紹介はやめますが、 なかなかいい映画でしたよー。 全米各地の観光旅行もできたし、 何といっても、主役2人が素敵でした。 アイを演じたユアン・マクレガーは あの「スターウォーズ3」で オビ=ワン・ケノービを演じた好男子。 そのひたむきさが何とも可愛いのです。 謎の女は、アシュレイ・ ジャッド。 この間みた「ダブル・ジョバディ」の ヒロインだった美人女優。 悪女役なんだけど魅力十分。 スタイルも、独特の表情の演技も、上手でした。 ヴァレンティーノが特に貸してくれたという 彼女が着た衣装も素敵でした。 みーんな、よかった。 オトーサン、 タイトルの「氷の微笑」 というのは 何かちがうな、 と感じました。 だって原題は、 eye of the beholder 直訳すれば、監視役の眼。 オトーサン、 戸田奈津子さんに張り合って いくつかタイトルを考えて見ました。 「覗く男」、 誤訳ではないけれど、品がないし。 「守護天使の眼」でも、 無宗教の日本人には、意味不明。 「氷の眼」では、 最初から見る気がしないし。 タイトルってなかなか難しいものです。 「見つめるふたり」では、 あまりにも平凡、センスのかけらもないし。 オトーサン、 面倒臭くなってきました。 「逃げる堕天使ってどう?」 「ダメ?」 それなら、いっそのこと 「逃げるヤマンバ」 なーんちゃって。


ストレイト・ストーリー

オトーサン、 上映時間の少し前に劇場に到着 まずは、パンフレットを買います。 「700円か。いい映画なのかなあ」 と軽くジャブを出したのですが、 女子係員は、 「ええ、いい映画だそうですよ、私はまだ見ていないけど」 まともに答えます。 トイレに行く途中、 予告編をやっているのでしょうか、 大きな音が中でしています。 「今日は、ウルサイ予告編なんかみたくないなあ」 と、しばらくして劇場に入っていきます。 真っ暗闇。 転ぶのもイヤですし、 誰かの膝の上に座るのもイヤなので ゆっくりと移動します。 まるで、斥候になったような気分。 映画の字幕が出ています。 ストレイト・ストーリー。 モノクロの満天の星を写した画面をバックに タイトルが静かな音楽とともに流れていきます。 「こりゃあ、ほんとにいい映画かな」 最近のひとりよがりのタイトルには食傷気味です。 この映画、実際にあった話の映画化。 73歳の老人が、 10年来絶交したいた弟に会って 子供の頃とおなじように満天の星を一緒に眺めるために、 時速8kmのトラクターに乗って アイオワ州のローレンスから ウィスコンシン州のマウント・ザイオンまで 200マイルを6週間ががりで旅をしたのです。 それを 「エレファント・マン」で一躍有名になった デイビット・リンチ監督が、 奇をたらわずに、淡々と 旅の途中の風景や出会いを描きだしました。 主役の老人アルヴィン・ストレイトが 頑固で、親切で、独立精神に富んでいて 中西部に生きる田舎のアメリカ人そのもの。 足腰が弱っていて バタンと床に倒れて 起きあがれないようなこともあるのですが、 いくら娘がすすめても、 医者などにはかからんと言い張ります。 とうとう医者に診てもらっても、 レントゲンなんか大嫌い、断るといい、 歩行機を勧められても、断り 杖をもう1本増やして2本で歩く始末。 それなのに、弟が倒れたという知らせを聞くと 目が悪くて運転もできないので 誰かに送ってもらえばいいのでしょうが、 ひとの世話になりたくないとガンバッテ 自分のジョンデイア製66年型のトラクターでいくことにします。 自作のトレ−ラーの箱で寝泊まり。 緑色のコールマンのコンロで煮炊き。 アウトドアライフにも、強いのです。 例によって これ以上の紹介は避けますが、 リンチ監督ならではの ちょっとした仕掛けの数々をお楽しみください。 オトーサン、 一度、泣きました。 旅の途中で、 この夜も、焚き火をして星空を楽しみます。 するとさっき出会った家出した女の子がやってきます。 ヒッチハイクでクルマが拾えず、 夜になってしまったのです。 焚き火をしながら、 「お腹へっただろう」とソーセージをすすめます。 「寒いだろう」といって毛布を差し出します。 妊娠5ケ月、ヒッチハイクでクルマがつかまらず 世の中のもろもろの不条理、 家族や男への怒りで満ちていた 心が次第に、ほぐれていきます。 老人は、ポツロポツリと身の上話をしながら こんなことをいいます。 「子供たちに、 この枯れ枝を折ってごらんと差し出すと 簡単にポキンと折る。 では、もう1本。 これも簡単に折れる。 でも、何本か束ねると、 いくらやっても折れない。 これが家族なんだ」 診終わって、 オトーサン、 「こりゃあ、5つ星だ。 年をとっても気高く生きる老人の姿は、 高齢化社会の模範。 この映画、小品だけど、 このサイトでは、あえて5つ星にしよう」 いつものように観客層をチェックします。 「変だな。 老若男女、すべてそろっている。 いままで、こんなことなかった。 なぜかなあ」 その理由がわかりました。 ロビーに大きく張り紙。 アカデミー賞が3月28日に発表されて アルヴィン・ストレイトを演じた リチャード・ファーンズワースが 何とアカデミー主演男優賞を受賞したのです。 ながらく下積み。 52歳でようやくせりふつきの役。 いま、82歳。 82歳にして人生の頂点を極めました。 タイム誌は 「ファーンズワースは宝石のようにすばらしい」 といいました。 オトーサンも同感。 こういうステキな老人になれたらいいなあ。


グリーンマイル

オトーサン、 実は、 原作を書いたステーブン・キングを、 あまり好きではありません。 ベストセラー作家なので、 「ミザリー」など何作か読みました。 モダーンホラーという様式を作った功績は認めますが、 これでもか、これでもか こわいぞ、ほら、こわいだろという 意図が見え透いていて 卑しいのです。 でも、映画評論家としては 話題作をみておかないとマズイということで 出かけました。 上映時間3時間8分。 11時から午後2時まで。 「おいおい、昼飯はどうしてくれるんだ」 しょうがないので、 コンビニで、おにぎり2つとお茶を買って入場。 ところが、ほぼ満席。 そうでした。 さっき払ったお金が1000円。 映画サービスデーだから、混んでいるのです。 字幕翻訳は、戸田奈津子さん。 「それなら、いい映画、間違いないな」 オトーサン、ようやく、その気分になります。 グリーンマイルを戸田さん、どう訳したと思います。 マイル(通路)とルビを振っていました。 死刑囚が、処刑室へと歩く緑色の通路のこと。 映画は、死刑囚と看守たちのさまざまな相克を描きます。 3時間があっという間に過ぎました。 理由は、主演の看守主任のトム・ハンクス 相棒のデヴィット・モース、 死刑囚の黒人大男、フランク・ダラボンの演技力の せいでしょう。 トム・ハンクスの奥方役、ボニーハントも好演。 とくに、旦那の病気が治って 一晩で4回もやったあとの、うれしそうな顔が 真にせまっていました。 敵役たちも、まあまあの演技。 また、1匹のねずみも名演技を披露してくれました。 でも、見終わって、 何かスッキリしません。 黒人死刑囚が、最後の望みはといって「映画」というあたり、 アカデミー賞をとろうというコビが感じられました。 オトーサン、 原作を読んでみようと思って 本屋に行きました。 アメリカでは、 キングの毎月1冊ずつ刊行という新趣向で ヒットしたそうですが 日本では、どうもそうではなさそうです。 だって、 第1巻だけ売りきれで、あとは山積み状態。 つまり、大騒ぎに興味をもって 1冊買ってみる。 大体、手口がわかるので 「あとは、いいや」 と売れないのです。 この作品のつまらなさは、巨人打線そっくり。 有名作家、有名監督、有名俳優と女優、 みんなを立てようとするので、 かえって、メリハリがなくなるのです。 でも、原作を読んでから、映画を見ると、 「これだけの対策を、よく3時間にまとあげたものだなあ」 ということになるのではないでしょうか。 原作と映画の関係は、なかなか難しいのです。


25 ヒマラヤ杉に降る雪

オトーサン、 95年の冬は 雪のニューヨークに行っていました。 足元が悪いなかを、 バーンズ&ノーブルに行って 本をみて回りました。 入口近くに うずたかくつみあげられていたのが、 Snow Falling on Cedars という地味な本。 たまには原書でも読んでみようと 買い求めました。 3分の1くらい読んだところで、放棄。 アメリカにいると、 なぜか英語の本がすらすら読めるのですが、 日本では、 ほかに読む日本語の本が溜まっているせいか つい楽なほうに走ります。 翌年のことでした。 成田空港で、 飛行機のなかで読む文庫本を探していました。 搭乗時刻も迫り、焦ります。 そのとき、ふと目に止まった 「殺人容疑」という題が、面白そうなので 内容も見ずに買いました。 機内で落ち着いて、 最初のページを開いた途端、 オトーサン、 「しまった」 と舌打ちしました。 まさか、 Snow Falling on Cedarsが、 「殺人容疑」とは 誰だって気が付かないでしょう。 でも、オトーサンの英語の読解力が いい加減だということがよく分かりました。 ストーリーを取り違えていたのです。 まあ、旅の恥はかき捨て。 映画批評に取りかかりましょう。 「ヒマラヤ杉に降る雪」 いい映画でしたよー。 法廷映画のスタイルをとっていますが ラブ・ストーリー。 カメラワークも秀逸、 交錯する回想シーンの編集は、お見事の一言。 現代判ロミオとジュリエット。 イシュマエルとハツエの物語。 男は白人 演じるのは、イーサン・ホーク 細面で繊細な心をもった若手俳優。 女は日本人。 演じるのは、ご存じ、工藤夕貴。 ふたりは、結婚まで約束した幼なじみ。 ところが、真珠湾攻撃をさかいに 日本人排斥運動が激化し、 2人の仲は、引き裂かれるのです。 舞台は、 カナダ国境に近いサン・ピエドロ島。 折しも濃霧。 漁師たちが最も恐れる魔の時間。 カンテラの明かりだけが船の衝突を防ぎ、 命を守ります。 北の海の雪景色、 キー、キーと鳴く海鳥の声が 雰囲気をいやがうえにも高めます。 港に戻る途中、引き上げた網には 漁師カールの死体が。 その殺人犯として逮捕されたのは、 何とハツエの夫カズオ・ミヤモト。 舞台は、法廷に移ります。 この映画での 工藤夕貴の最初の印象は 唇が異様に赤い能面。 いまは、別の男ミヤモトと結婚した人妻。 いまもあきらめ切れないイシュマルに 向かっての言葉は、 Get Away オトーサンが 心配していたこの英語の発音、 すばらしかったですよ。 ゲットアウエイ でなく ゲアエイ。 最後のシーン、 イシュマルが調べた新事実によって ミヤモトは無罪、 ひしと妻のハツエと抱き合います。 もし イシュマルが 新事実を伏せておけば、 刑務所に送られるミヤモトに代わって、 再びハツエの愛を得ることができるかもしれません。 しかし、自分の良心の為に、 人種偏見と戦ってきた父の志を継ぐために 決心してしまったことですから、 もう逆戻りはできません。 その決断がもたらした 苦い光景を 目に収めて ひとり足早に立ち去るイシュマル。 その彼を ハツエが追いかけます。 そして、長らく封印してきたせりふを吐きます。 「抱いてもいい?」 ひしと抱き合う二人に ヒマラヤ杉に降る雪が、はらはらと。 「優しい心、ありがとう」 と言い置いて、 ハツエは身を翻し 家族のところへと走り去ります。 ラストシーンも印象的でしたよー。 街灯の灯る雪道を遠ざかる イシュマルの 黒い影。 かぶせるように哀切なメロディ。 どこかで見たようなシーン。 そうです、第三の男でした。 しかも、最後に 字幕翻訳は戸田奈津子と出てまいりました。 オトーサン、 2時間8分の上映時間の間に 2度泣きました。 「いい映画だ。こりゃ、5つ星だ。 それにしても、工藤夕貴は幸せだなあ。 名画「シャイアン」の スコット・ピッウス監督に 見い出され、 しかもおいしい主役をもらったのは 幸運以外の何物でもありません。 夕貴ちゃんは、 2月8日に凱旋帰国しての インタビューのなかで 「アメリカが私にくれたチャンスに本当に感謝します」といいました。 でも、抑制された名演技は、彼女の資質と努力の賜物です。 オトーサンとしては 国際派女優の誕生を素直に喜びたいと思います。 いい映画ですので、 戦争の苦い記憶を抱いている老人は、ぜひ見に行ってください。 なお、カップルにもお薦め。 だって劇場から出てきた若いふたり、 感激して、 めちゃめちゃ抱き合っていましたよー。 コノヤロー、イチャイチャスルナ。


26 救命士

オトーサン、 変なタイトルだなあと思いました。 救急車に乗っているひと たしか 救急隊員 と呼びませんでしたっけ。 原題は BRINGING OUT THE DEAD 死人を救う ねえ、やっぱり救命隊員ではありませんか。 字幕翻訳は、戸田奈津子さん。 「戸田さんともあろう方が、 誤訳するはずはないしなあ」 オトーサン、 悩みます。 あとでパンフレットを読むと アメリカの救急隊員は 日本よりも大幅に権限が大きいそうです。 救急車のお世話になった方なら お解りのように、 救急隊員は、病人やケガ人の運搬、 そして人工呼吸や止血までで、 仕事は終わり。 「助けて、早く何とかしてあげて」 と首相夫人が叫んでもダメ。 ところが アメリカでは、医療行為もするそうです。 器具を使用しての気道の確保、 電気ショックでの心臓拍動回復、 点滴、注射など。 救急救命士(para-medoc)というのが、正式名称。 やはり、戸田さんは正しかったのです。 さて、 この映画の主人公は その救命士のフランク。 演じるのは、ニコラス・ケイジ 生と死、正気と狂気の間を 瞬時に往復する救命士を演じて 余すところありません。 さすが、 アカデミー主演男優賞をとった名優です。 舞台は、 1990年代前半のニューヨーク その頃のNYは、 犯罪横行で有名な都市でした。 マリファナなんて日常的。 オトーサンが出張すると よく現地の駐在員や旅行社のひとから 「地下鉄に乗ってはダメ」 といわれたものです。 でも、 人一倍、好奇心旺盛なオトーサンのこと、 地下鉄に乗りました。 プラットフォームに降り立っただけで すでに猛獣がいる檻の中。 ジャングルに置き去ざりにされたエサの気分。 すぐに、次の駅で降りましたが、 しばらくヒザのふるえが止まりませんでした。でも、あとで 乗った乗ったと 大宣伝しましたよー。 そうしたおそろしい都市で 昼夜の区別なく 無線で呼びだされ、 病人、怪我人、アル中、麻薬患者、犯罪人、売春婦、自殺志願者 とつきあわされる救命士という職業、 正気のひとがやれば、ストレスが溜まって、 精神異常すれすれの心理状態になるのは、当然であります。 「そんな仕事、すぐやめればいいのに 主人公も同じ。 ところが、 人出不足で上司から懇願され引き留められ、 同僚には一威変わったやつが多いものの みないい奴ばかりだし、 たまには、 ひとの命を救って、神の気分を味わえなくもない。 そんなこともあって、 フランクはやめられず、 次第に首の縄目が締まっていく日々でした。 映画は、 木曜、金曜、土曜の3日間の 救命士たちの奮闘ぶりを描きます。 木曜日に、 フランクが救った患者の名は、バーグ。 もう心臓が止まり、 電気ショックでも回復せず、 死亡宣告。 付き添っている娘にフランクは命じます。 「好きな音楽をかけてやれ」 フランク・シナトラの歌が流れて そして 奇跡が起きます。 平坦だった脳波が、上下動。 娘メアリーのよろこぶこと。 それがふたりの運命的な出会いでした。 例によって 粗筋の紹介はやめますが、 それこそめまぐるしいほど、いろいろのことが起き、 いろいろな結末がありました。 オトーサン、 警察の不祥事が相次いでいて、怒っているほうですが、 この映画をみて、警察が気の毒になりました。 どうでもいいことでも警察に相談にくる奴。 警察官とじゃれるのが趣味の奴。 どうして、こんなにバカな奴が世の中に多いんだろう。 いいたくなる気持ち、わかります。 さて、 バーグは、まだ生きています、 しかし、電気ショックによる 蘇生術はもうこれで17回目。 もう勘弁してくれ、 このまま、安らかに死なせてくれと 懇願しますが、誰もそうさせてはくれません。 ところが、 フランクは、安楽死をさせてやります。 誰にも分かりませんでした。 神様は見ていらしたでしょうが。 そして、 土曜日、 フランクは、バーグの死をメアリーに告知。 「部屋に入って」 と父の死を知ったメアリーがついに言います。 「父はもう十分苦しんだわ」 フランクとメアリーが結ばれた ベッドのなかで 娘の胸に抱かれるフランクの姿は、 聖母マリアに抱かれた幼子のようです。 おお、 暗い部屋が、 次第に明るくなり、 最後には 正視できないほど、 まばゆくなります。 キリストの降臨でしょう。 この現代の寓話を 映画にしたのは 「タクシー・ドライバー」 で 1976年にカンヌ映画祭でグランプリを取って 鮮烈なデビューをした マーティン・スコデッシ監督です。 かれは、 この地味なテーマを選んだ理由を聞かれて 自分のために撮ったと言ったそうです。 最近の映画は、 「アメリカン・ビューティ」 のアカデミー賞受賞に代表されるように シアリアス路線が受けているようです。 この映画も、その代表作です。 エルマー・バーンスタインの音楽も なかなか効果的でした。 元首相が回復されたら 一度、ゆっくり ご覧になることをおすすめします。 また、救急車でなく、 ライトバンでの病院入りを決めた方も ぜひご一緒に見てください。 救命できたのに、そうしなかった不手際を 究明しましょう。


27 スリー・キングス

オトーサン、 「見るのやめようかなあ マーシャルローのほうにしようかな」 と迷いました。 ゴールデン・ウィークになれば、 話題の映画が続々登場するのですが、 いまは、端境期。 それでも、 湾岸戦争を取り上げたと聞いていたし、 ヴェトナム戦争では、 フランシス・コッポラ監督の「地獄の黙示録」 という名作が誕生したので、 あるいは、 湾岸戦争でも、いい映画が誕生したかもと 思ったのでした。 ところが、 やっぱりだめでした。 湾岸戦争は、ハイテク戦争。 米軍の死者は、たったの150人。 一方、こてんぱんにやられた サダムフセイン率いるイラクの死者は 数十万人。 それを米軍側に立って描けば、 どういうことになるかは火をみるより明らか。 単なる国威発揚のプロパガンダ。 大本営発表になってしまいます。 それでは、 いくら何でも 映画芸術の掟に反すると 思い直して 良心的に描こうとすると 反体制になってしまって、やばい。 そこまでは踏み切れないとすると、 どうしても中途半端なものになります。 舞台は、 湾岸戦争の終わったイラクの米軍基地。 若い兵士たちのパーティ。 まるでディスコで踊っているようです。 何しろ、 ハイテク兵器が敵をやっつけたのですから、 戦闘に参加しない兵士ばっかり。 戦争は、アーケード・ゲームみたいなもの。 帰国すれば、また平凡な日々が待っています。 就職だって、できるか心配。 戦争は、 結局、 無駄ばたらき。 「つまんねえの、 何かいいことないかなあ」 と思っていたところへ、 捕虜のお尻から発見された重要文書。 「臭いなあ」、 なんていいながら調べると、 何と イラクがクエートから奪った 金塊の隠し場所が 書いてあるではありませんか。 この設定自体がナンセンスです。 あの抜け目のないサダムが そんなに甘い情報管理をするはずありません そのうえ、 この機密に気づいた兵士3人だけが 金塊奪取の秘密行動に出るというのも またまた、ナンセンス。 現代の米軍の管理の行き届いた軍事組織では、考えられません。 未明に出発。 砂漠の風景が美事だなあと 感心しはじめたところで 問題発生。 白い風景に白い字幕 字がまったく読めないのです。 「英語を聞いていれば分かるだろ」 そんなこといわれても無理。 オトーサンの語学力では無理というもの。 見えない字幕なんて最低です。 この時点で オトーサンのこの映画の採点は、星2つ。 本年度のサイテー映画になりました。 例によって その後の粗筋は省略しますが、 公平を期すために、 いくつかの印象的なシーンもないでは なかったといっておきましょう ひとつは、 重油まみれになって息絶えだえの鳥の動画。 写真でみたことはありますが、 動画は始めて。 もうひとつは、 イラク兵が捕まえた米軍兵士の口に 重油を流しこんで、 こいつがほしくて戦争したんだろう。 いくらでもくれてやると言い放つ場面。 こんなシーンにだまれて ボストンの批評家たちが この作品に賞をあげたのでしょう。 でも、戦争の悲惨さは 戦勝国のリッチな国民には分かるはずも ありません。 何10万人もの罪なき民衆を殺した原罪は、 いずれアメリカに呪いの雨となって 降り注ぐ時がくるでしょう。 主人公の3人の兵士、 演技力もなく、 どうしてキングなのか、最後まで意味不明。 その後、 パンフレットを読むと 全米総一流マスコミが総ベタボメなんて 書いてあります。 うそばっかり。 ボストンだけじゃないか。 おまけに、 パンフレットでも ピンクの画像の上に赤字で書いたりして 読みにくいことこのうえなし。 デザイナーの顔がみたいところです。 サイテーのパンフ。 この映画をみたいと思っているひとに 警告はただ一言。 見ないほうがいいですよ。 時間のムダ、 お金のムダです。


28 ボーン・コレクター

オトーサン、 かねて、この映画に注目していました。 だって、この原作が 週刊文春ベスト・ミステリーNO1 になっていたからです。 ところが、映画評をみると 芳しくありません。 アカデミー賞にもノミネートされないし。 見るのやめようかなあ ところが、休日の朝、たまたまヒマ。 有楽町に行きました。 「ザ・ビーチ」 は混んでいるので敬遠。 9時20分から上映で。 ちょうどいい。 やっぱり見て置くか。 でも、つまんねえ映画はいやだし。 「スリー・キングス」で懲りたばかりです。 パンフレットは600円。 まあまあ力が入っています。 それに字幕翻訳は、戸田奈津子さん。 オトーサン、 こりゃあ、期待できるかも。 急にうれしくなりました。 さて お話しを一言でいうと、 NYを舞台にした 連続猟奇殺人事件の犯人探し。 連続殺人犯には 何らかの自己顕示が伴います。 例えば、神戸の少年A. 得体の知れぬメッセージを犯行現場に 残します。 この映画の犯人は、 ボーン・コレクター、 殺人のあと被害者の骨を収集するのです。 えぐりとられた傷口が無惨。 第一の殺人の発見者は 新米パトロール警官のアメリア。 好演しているのは、 新進女優アンジェリーナ・ジョリー。 少年の通報を受けて トンネルで死体を発見。 線路の砂利の間から 手のひらだけが出ているのです。 (これって内田康夫さんの「萩原朔太郎の亡霊」にありましたねえ」) 砂利をかき分けると、無惨な顔。 列車が接近。 彼女は、現場保存のために、 身を挺して列車を止めます。 少年に買いにやらせたインスタント・カメラで 丹念に証拠写真を撮影。 さて、 アメリアは 現場保存のために 列車を止めたことで上司に叱られます。 しかし、そんな彼女の態度を買ったのが 科学捜査のエキスパート、 リンカーン・ライムでした。 いまは病床にあって 動かせるのは指と肩から上だけ。 かれはアメリアを 自分の動く手足、目と鼻と耳にして 犯人捜しに乗り出します。 アームチェア・ディテクティブ。 (安楽椅子の探偵)ならぬ ベッドにしばりつけられた探偵。 この難しい役を演じるのは アカデミー助演男優賞の 黒人俳優デンゼル・ワシントン。 なかなかの名演技でした。 例によって これ以上の粗筋の紹介は省略しますが、 なかなかいい映画でしたよ。 充分こわかったし、 NYの夜景もきれいに撮れていたし、 ふだんは滅多にいけないNYの地下空間も見学できたし。 最後のほうでは、ロックフェラーセンターの クリスマス・ツリーも拝めたし、 なかなかの観光映画でありました。 それにしても 最近、映画の舞台にはよくNYが登場します。 その理由は、市が映画撮影に さまざまな利便を図っていることにあります。 交通だって簡単に遮断。 ところが、 日本では警察など当局の頭が固いこと固いこと。 郷ひろみが渋谷でパフォーマンスをやると 無届けであるときついお叱り。 かといって、届けると、 こうるさいことの言い放題。 だから日本を舞台にした外国映画は皆無。 ようやく通産省が動きはじめたようですが ここは、石原信太郎都知事の出番です。 「東京都、全国のトップを切って映画撮影解禁」 というのはいかがでしょうか。 観光産業発展のために 都庁爆破をテーマにした映画も 考えられるのではないでしょうか。 NYではテロリストによる ワールドセンター爆破がありました。 それにヒントを得て オトーサン、考えましたよー。 舞台は、新宿。 題名は、「都庁タワリング・インフェルノ」 脚本は、石原慎太郎。 製作は、石原プロダクション。 当然ながら、 三国人が犯人で 自衛隊が出動します。 石原さんも、ちょい役で友情出演。 取り巻きに押さえられて 身動きできない自衛隊の長官役です。 ビートたけしが、 すぐピストルをぶっぱなす 三国人、蛇頭のボス。 その情婦が野村沙千代。 松田聖子と和田あき子が刑事で名コンビ。 動けない和田の手足になるのが、松田聖子。 高島礼子はどうする? まあいいでしょう、 そのほかの配役はみんなで考えましょう。 でも、 エンディング・ソングを歌うのは、 絶対、椎名林檎さんにしましょう。 歌舞伎町を思わせる 暗い感じがたまらなくいいのです。


29 ザ・ビーチ

オトーサン この映画を予告編でみて タイのビーチの美しさに目を見張りました。 来日したレオナルド・ディカプリオの 記者会見も見ました。 ワシントンで行われたアースデイ2000での えらそうな演説もTVで見ました。 何で、若い娘たちが レオ様、 レオ様と 騒ぐのか分かりません。 何でデカ様と呼ばないんだろうと 思ったりもいたします。 「映画「タイタニック」で 一躍評判になっただけだろう。 でも、あの役は合わなかったよなあ」 恋人役のケイト・ウインスロットが大女なので、 デイカプリオはやけにチビに見えました。 でも、 一足先に この映画を NYで見てきた娘が、 「アメリカ人のワルをやらせたら デイカプリオは天下一品だよなあ」 と漏らすのを聞いて、 オトーサン、 「そんなにいいか。 じゃ、レオ様に銀幕でお目にかかるか」 と、ようやく世間並に レオ様と呼ぶことになりました。 さて、 平日の朝一番だというのに 映画館は、若い女性で一杯。 みんなレオ様が大きく写った パンフレットを買っています。 映画が始まりました。 最初から、われらがレオ様を大写し。 かれはバックパッカー。 アジアの秘境の旅の入口。 バンコック 安宿が集まるカオハン通り。 レオ様、 蛇の生血を飲まないかと 聞かれて仰天して、 一旦は断りますが、 冒険旅行なんだからと自分にいい聞かせて 気持ち悪いのを飲み干します。 宿につくと、 部屋のカギが開かない。 通りかかった娘が手伝ってくれます。 「わーお、いいことありそう」 なんて鼻の下を長くしていると 彼女の連れ合いが現れて ガックリ。 一人旅は寂しいもんだよなあ。 部屋でウトウトしていると 廊下に大音響、続いて雄叫び。 どうもラリッているようです。 部屋で知らぬ顔を決め込んでいると、 何と、部屋の壁の上部の破れていたところから そいつがのぞき込んで 「おまえは文明の寄生虫だ」とか何とか 悪態をつきます。 でも、われらがレオ様、 いたって付き合いのいいほうですから、 同じく、壁をよじ登って会話を開始。 相手のダフィー君もレオ様に好意を持ちます。 そして、地上の楽園の場所を示す地図をくれます。 翌朝、部屋を訪ねると 部屋は血の海。 ダフィー君は、手首を切って自殺していました。 レオ様は、 例のカップルを誘って、 秘境への旅に出発いたします。 タイのプーケットまでは通常の観光ルート。 旅立ちは楽しいもの。 オトーサン、 バンコックには何度も行ったことがありますが、 プーケットはまだ。 すっかり行って見たくなりました。 その後は、 予行編で見なれた風景が連続します。 向こうの島まで泳いで渡るシーンとか 滝壷にダイビングとか。 さらには、大麻の畑を発見。 「朝晩、不自由なくマリファナが吸えるじゃん」 と喜んだのも束の間。 現地人に銃撃されて 命からがら避げる始末。 この世には楽園なんてないと思い知らされます。 でも、 山を越え 川を下っていくと、 断崖絶壁に囲まれた小さな湾を発見。 青く澄み渡った海、 ひろがる白い砂浜。 ついに夢にまできた ビーチのなかのビーチ、 ザ・ビーチに出くわしたのです。 「やったあ」 見ると、大勢の若者たちがいます。 じかも、 レオ様たち3人を歓迎してくれます。 コミューンができていたのです。 「まさに、この世の楽園」 レオ様はゴキゲン。 例によって これ以上、粗筋の紹介はやめますが、 後半は、レオ様が大活躍するものの、 ストーリーとしては、地獄の黙示録風。 とても暗いのです。 天国編と地獄編の2本立て映画を 見ているようでした。 オトーサン、 地獄編のほうは、 暗闇で何度も時計をみて 早く終わらないかなと思いました。 この映画、 要するにディカプリオ映画ですが、 それにしては、物足りまません。 身空ひばり主演映画、 石原裕次郎主演映画、 寅さんシリーズのように もっと「レオ様、いのち」と割り切って 映画づくりをすべきではないでしょうか。 デイカプリオ以外の俳優女優も下手。 唯一注目すべきは、 ダフィ役のロバート・カーライル。 それと撮影を担当した ダリアス・コンジも優れていました。 だって、レオ様の胸板やTシャツ姿を あれだけ切きれいに撮るのって芸術ですよ。 タイの当局が協力して 島のビーチにヤシを100本も植えたそうですが、 葉がみんなしなびていました。 それに現地人を土人のように 描くのも失礼な話しでした。 オトーサン、 久しぶりに 植民地支配の高慢さを非難した 「醜いアメリカ人」という言葉を思い出しました。 後味の悪い映画でした。 若いひとが、 レオ様、 レオ様と騒ぐのは勝手ですが、 アジアン・ビーチにいきたくなって 旅の恥はかきすてと やりたい放題はしないように。 醜い日本人にならないことを 切に祈る次第です。


30 アメリカン・ビューティ

オトーサン、 この映画がアカデミー賞を取る前から 予告編を何回も見て、 見たくて見たくてたまりませんでした。 それにしても日本での公開は遅いなあ。 もっと早く上映できるのに、 客入りのいいゴールデンウィークまで 待たされるなんてなあ。 いらいらさせるよなー。 連休の映画館なんて 満員に決まっています。 そんなところで見るなんて サイテー。 そこで、空いているだろうと 上野セントラルへまいります。 以前、ガラガラでした。 おばあさんがひとり ポツンとお弁当を食べていました。 「ふるさとの なまりなつかし 停車場の 人込みのなか そを聞きにいく」 上野駅には石川啄木の石碑があります。 まだまだ、上野駅には ジャパニーズ・ビューティなるものの 原風景が色濃く残っているのです。 この場所で、 最新流行の映画 アメリカン・ビューテイを見るのは ミスマッチ。 でも 考えようによっては、 あめりか物語を書き、 晩年は上野・浅草を徘徊した 永井荷風・風狂老人になったような気がします。 これもまた、なかなかオツなのであります。 ところが行列。 それも、若いカップルばかり。 いやあ、まいったなあ。 そんななかに永井荷風に倣って 風狂老人がひとりポツンでは、 似合わわないよねえ。 でも、 そんなに混んでなくて オトーサン、 いつもの指定席である 最前列中央を確保。 この映画館、 画面がホームシアター並の大きさなので、 ちょうど見やすいのです。 はじまるまで 何と20分も待たされました。 オトーサン、 パンフレット(700円)を 暗いなかでほとんど読んでしまいましたよ。 公開が遅いので。 第72回アカデミー賞 5部門受賞なんていうのが もうパンフレットに掲載されています。 作品賞 監督賞:サム・メンデス 主演男優賞:ケビン・スペイシー オリジナル脚本賞:アラン・ポール 撮影賞:コンラッド・L・ホール 豪華パンフレットの 表紙と裏表紙の裏は ともに見開きで 深紅のばらで埋めつくされています。 へえ、アメリカン・ビューテイばかりを あしらうなんて、センスいいじゃん。 アメリカン・ビューテイは 米国の美人のことかと思ったら、 実は、バラの名前なのでした。 デザインは有吉美佐子さん。 このすばらしいデザインで 一躍、この世界でスターになれるかも。 さて、 舞台は アメリカのどこにでもあるような 郊外住宅地。 第2次大戦後、 大量に兵士が復員してきて 土地の安いハイウエー沿いに 区画整理されてできあがったのです。 平均坪数は、700坪。 中流階級にとってのあこがれの住宅地。 白い家には 広いリビングとキッチンとベッドルーム。 電化製品一式、 芝生の庭、広いガレージには車が2台。 アメリカン・ドリームでした。 「アイ ラブ ルーシー」なんていう ホームドラマの舞台にもなりました。 「この変も、近くにショッピングセンターもできて ずいぶん便利になったわね」 「ねえ、あなた、うちもお庭にプールを作りたいわね」 そんな会話が交わされる郊外住宅地。 平均的日本人には とてもうらやましい風景です。 敷地700坪だって? 若いひとが 一生アクセク働いても 到達できない生活水準ではないでしょうか。 でも、 周囲がみな同じ広さなら どうってこたーありません。 むしろ、おとなりさんとの 差異や見栄が大問題になってまいります。 「おとなりさんにだけは負けたくない」 こんな気持ちは、どこでも同じ。 この映画の主人公レスターさんは 家のドアを深紅にしました。 妻のキャロリンは、 ガーデニングに凝っています。 美事な深紅のバラ、アメリカン・ビューティを 栽培しているのが、自慢。 食卓に豪勢に飾って 親子3人の幸せを演出しています。 映画は、 この幸せを絵に書いたような家庭が 1年後に完全に崩壊するまでの プロセスを描きます。 冒頭でレスターは会社をクビになります。 誰からも好かれる必要もなくなって、 不祥事をネタに 会社を脅かして大金をせしめます。 そして、 ダルな夫婦生活でも決別して 娘の友人に突然、恋をしてしまいます。 もう仮面夫婦はやらない。 退職後は マクドナルドのしがない店員。 でも、立派な生きがいがあります。 娘の友人が娘に漏らした一言から生まれたもの。 偶然、立ち聞きしてしまったのです。 「おたくのパパステキよ。 もう少し筋肉がついていたら、 抱かれてもいいわ」 レスターさん、 にわかにジョギングやベンチプレスで 体を鍛えはじめます。 例によって粗筋の紹介はやめますが 映画終了後、 カップルたちは重苦しい雰囲気。 まだ、エンディング・タイトルが 続いているのに、 字幕翻訳、戸田奈津子と出ているのに それもみないで 早々と立ち去るひとが多かったのです。 だってそうでしょ。 この監督、 おれたちをからかってるんじゃないの。 おれたち、これから、お金をためて 郊外に広い家を買って 精一杯、幸せをつかもうとしてるんだぜ。 それなのに、ああそれなのに、 こんな結末ってないだろう。 そう思ったのでしょう。 末期の眼って 知っていますか。 死ぬ間際に自分の全人生を振り返るのです。 いい人生だった あるいは 失敗しちまった あるいは 平凡だったけど、それなりのいい人生だった この映画が 受賞したのは 批評家の評判がよかったからであります。 批評家に必要なのは知識もありますが、 何よりも客観性、 つまり末期の眼であります。 レスターやその一家の崩壊を イギリスの舞台演出家、 サム・メンデスが はじめて映画づくりに挑戦して 末期の眼で描き切った美事さに かれらは拍手しました。 そして、アメリカン・ドリームなるものの いかがわしさを描いたことにも かれらは拍手しました。 超大国アメリカの繁栄はいつまで続くのか、 実は、レスター家の崩壊に代表される 中流階級の崩壊という形で すでに空洞化が進行しているのではないか。 つまり 物質的繁栄の影に忍びよる 個人と 家庭と コミュニティの 精神的崩壊。 でも、 まだまだ わが庶民は、別次元にいます。 オトーサン、 見終わって、 家族連で一杯のアメ横を散歩しました。 大きな声を出し続ける売り子にとっての ジャパニーズ・ドリームとは 一体、何なのでしょう。 束の間の休日を楽しんでいる この家族たちは みな仮面をかぶっているのでしょうか。 生きるって大変なことなんだ。 オトーサン、 息苦しくなって 映画に出てきた風に舞う白いビニール袋のように 歩きつづけました。 ふと見ると、 小川町交差点。 新しくできたスターバックスに入って カフェラッテを飲みました。 ここは空いていて 紙コップでなく マグカップで出してくれるのです。 おまけに そう混んでなくてソファもゆったり。 パソコンをする若いひとも多く、 まるでニューヨーク気分。 新しいアメリカの美があるのです。 オトーサン、 そんな光景を眺めながら 永井荷風が現代に生きていたら やはりスターバックスに立ち寄るのかなあ なーんて、とりとめのないことを考えたのです。 まあ、小品ですが、いい映画でした。 採点は、少し甘いけれど、 クリントン大統領の退任ビデオにも出ていた ケビン・コスナーさんに敬意を表して 5つ星。


31 オール・アバウト・マイ・マザー

オトーサン、 ゴールデン・ウィークは いい映画が目白押しで、大忙しです。 この映画もアカデミー賞受賞。 最優秀外国語映画賞。 タイム誌なんか、 これがベスト10のナンバーワンというし、 映画評論家のおすぎさんなどは 「この映画に出逢い、そして、みんなに紹介するために 映画評論家になったようなもの。映画の20世紀最後の傑作」 と手放しです。 マトリックスは勿論、アメリカン・ビューティよりもいい。 ほんとかなあ。 でも、カタログを買うと、 何と800円。 過去最高のお値段。 そして、 期待して読むと、過去最低の内容。 表紙がマンガ、レイアウトも下手、構成もデタラメ。 いやなのは、ホメ言葉のられつ。 「私はこの映画で5回泣いてしまった」、 「この映画をみて何とも感じない人は 心臓の専門医に診てもらうことをお薦めする」 品の悪い広告ページが中に3頁も入って、邪魔。 強いてほめるならば、浅田彰さんの解説だけ。 さて オトーサン、 5回も泣けませんでした。 まあ、2回かなあ。 マトリックスよりいいとも思いませんでした。 5つ星がいいところ。 批評家たちは、全盛期の名画をみたこともない 若い世代になってしまったのでしょうか。 涙や笑いがいっぱいあった時代、 それはデジタル化のなかで消えてしまったのでしょうか。 でも、スペインには、 裸のマヤを描いたゴヤ、 サグラダ・ファミリア教会をつくったガウディ 情熱の詩人・ロルカ あるいはドンキホーテの精神や風土が まだまだ、色濃く残っているのです。 また、旅したいなあ。 この映画の前半には 若者のらんちき騒ぎや野原での性交シーンが続き 後半では 性転換をした男、エステバンが登場します。 妻を無視し、整形手術で、オッパイをつけ、 オチンチンはそのままの夫。 そんな身勝手な男を許せますか。 女主人公、マヌエラは、 そんな男に見切りをつけて お腹の子供とともにマドリードに逃亡。 今日、17歳の最愛の息子エステバンは 誕生日を迎えました。 トルーマン・カポーティのような作家を志し 母の一生を書こうとしています。 でも、母を知るには、 何としても いやがる母を説き伏せて 父親像を知らなければ、 真実に近づくことができません。 ようやく、その気になったとき マヌエラの眼の前で、 唯一の生きがいだった息子は事故死。 果たして、嘆き悲しむ彼女に 未来はあるのでしょうか。 オトーサン、 ここで少し泣きました。 母親がオトーサンが3つの時に 夫を失ったからです。 例によって これ以上、あらすじは紹介しませんが、 母は強い。 無名の女は強いのです。 どんなことがあったって 生きて 生きて 生き抜くのです。 この映画の監督 ペドロ・アルモドバルは スペイン人。 若いときは、ドラッグ漬け。 アングラ映画やロック音楽の喧騒のかなで育ちました。 何ものおも失うものがない世代でした。 男女の役割モデルの崩壊する時代の最先端にいました。 モホやレズは当たり前。 何でもありの世代。 親を裏切り、妻を裏切り、 家族を捨て、故郷を捨てました。 でも、 その破壊のあとに、野の花が咲いたのです。 それが、劇中劇のヒロイン、 大女優ウマのせりふです。 「困っているとき、私はいつも他人に助けられたのよ」 自分の道をけなげに歩んでいくときに現れる奇跡の手、 その名は、連帯。 われわれは。 家庭が、 会社が、 コミュニティが 国家が 崩壊する時代に生きていきます。 この映画では、 登場人物がみな生き生きし、個性的で、 感動的な存在として、つながっているのです。 来るべき21世紀には、 ロボットのような人造人間があふれることは確実です。 すでに、オトーサンの身の回りにも 無表情の若いひとたちが増えてきました。 化粧とファッションでしか自己表現ができないのです。 経営者だって同じ。 会社がつぶれたくらいで死ぬなよ。 大銀行の経営者が自殺するなんでサイテー。 おめえ、人生なめるなよー。 まだ、残ってるもの、たくさん、あるじゃないか。 ひとに分けてあげるもの、たくさん、あるじゃないか。 差し伸べる手だって、ちゃんと、ついているじゃないか。 オトーサン、 この映画で、 しなやかに生きぬく女性群像をみて わが祖国の現状がなさけなくなりました。 でも、 オトーサン、 この映画を手放しでほめない理由は 臓器移植コーデイネーターとか エイズにかかった母と子とかが出てくるところです。 「ちょっと、監督、そこんところ、卑しいんじゃないの。 変に時代を描こうといて、大向こう受けを狙わなくたっていいのに」 といいたくなりました。 気品の欠如も現代病かなあ。


32 マーシャル・ロー

オトーサン、 アカデミー賞の2作品をみてから、 映画から少し遠ざかりました。 だってグルメのあと、 B級グルメへ行く気になれないよなー。 でも、美食したあと、 カップラーメンを食べないと落ち着かない 庶民派のひとりとして、 オトーサン、 B級アクション映画の1本も見ておくかと 思い直しました。 ところが、ところが、 大いなる誤算。 この作品、ずばり、5つ星映画ですよ。 まず、3大スター競演というのがウソではありません。 「ボーン・コレクター」のデンゼル・ワシントン 「アメリカン・ビューティ」のアネット・ベニング 「シックス・センス」のブルース・ウィリス 3人とも旬。演技派。 さて、舞台はNY。 ジュリアーノ市長の活躍で、犯罪は大幅に減少したとはいえ、 アラブ原理主義者が行った 1996年の世界貿易センタービルの爆破事件の恐怖は、 NYッ子の頭から離れません。 最近の日本でいえば、17歳の少年の引起す凶悪事件と同じ。 まだまだ、続くぞという予感では共通します。 だってマンハッタンには、今日もコーランが流れ、 アラーの神のために死ぬのは美しいと洗脳され、 ダイナマイトをお腹に10本巻いて、自爆したら 親兄弟みなVIPにしてあげると指導者がいう風土が存在すれば、 純真な青少年なら、みんな 社会学部「血と殺戮コース」専攻になりますよね。 ソ連も、日本も、中国もこわくないアメリカ、 そんなアメリカがいま一番おそれているのは、 アラブ過激派のテロ。 どんどんばテロがエスカレートして、 アラブ人の多く住んでいるブルックリンからはじまって 劇場街のあるブロードウェイ、そして政府機関へと広がっていき 無名のひとから著名人までターゲットになったら、 アメリカ人は、アメリカ大統領はどうする。 この映画は、まさにその恐怖から生まれました。 行きつく先は、NY市に戒厳令。 数万人規模の軍隊が出動して、 14歳から30歳までのアラブの若者を 片っ端から逮捕して、収容所に送る。 拷問しても、首謀者の名前や居場所を吐かせる。 これって、軍国主義。ファシズムの再来? アラブ人だってアメリカに住んだ以上はアメリカ人。 そのひとたちを隔離したら、 自由平等博愛のアメリカ魂は、いずこへ? アメリカの誇る民主主義は、果たして、いずこへ? すごく重たいテーマでしょ。 この社会派映画を、ちゃんとした娯楽映画にしたのだから 監督、エドワード・ズウィックは、ただものではありません。 聞けば、ハーバート大卒、中東事情の専門家。 オトーサン、 「やっぱりなあ」 湾岸戦争を描いた「スリーキング」 そのお粗末さにへきえきしていたので ハリウッドでは、時事ネタは無理かいな と思っていたのですが、さにあらず。 ハリウッドは人材の層が厚いのです。 それにうらやましかったのは、NYロケ。 SFXに頼らず、軍隊やデモ隊まで出動した おおがかりなロケが、NY市では可能なのです。 やっぱり映画は、 アメリカの国民的娯楽であり 第一級の大衆の情報操作手段なのです。 FBIとCIAと軍の駆け引きも面白かったですよ。 どこかの国の。 野中・青木と森と神崎のみみっちい暗躍よりも ずっと面白かったですよ。 オトーサン、大満足でした。 字幕翻訳が戸田奈津子さん。 いいですねえ。いい映画を選んで、 いい仕事をしてますねえ、


33 ロミオ・マスト・ダイ

オトーサン、 この映画のタイトルみて しゃれてるなあと思いました。 だってシェーススピアの不朽の名作 ロミオとジュリエットをもじって 「色男、死ね」 なんて、いいじゃありませんか。 看板には、 「マトリックス」を凌ぐ、X-RAYバイオレンス なんて書いてあります。 オトーサン、てっきり大好きな007風の アクションものかと思いました。 こんな程度の予備知識で 入館しましたが。観客はパラパラ。 すさんだ感じの中年男だけ。 ?マークが灯りました。 始まりました。 字幕には、英語と漢字が流れています。 ありゃあ、もしかしたら、これ香港映画。 お断りしておきますが、 オトーサン、 香港映画、そう嫌いではありません。 ブルース・リー、ジャッキー・チェンなどの 映画なら、それなりにドラマとアクションを 楽しめます。 今度は、どんな手でやってくるかな。 さて、本題に戻りましょう。 しばらく見ていると、この映画、カナダの オークランドを舞台にした中国系マフィアと 黒人マフィアの勢力争いを描いた映画だと 分かってまいりました。 香港映画ではなく、 ハリウッドが香港映画のテイストを採り入れたもの。 中国人の首領の息子が殺されて、 双方の対立が激化。 血で血を洗う抗争。 そこへ戻って来たのが、 主人公、ジェット・リー。 父親の身代わりになって 香港の刑務所で服役中です。 弟死亡のニュースを聞いて脱獄。 逆さ吊りの姿勢から、看守5名をノックアウト これって、カンフーのX-RAYバイオレンス、 たいした技です。 ところが、あとのアクション・シーンは その繰り返し以下で、正直いって退屈。 ストーリーも割れているので、 オトーサン、こっくりこっくり。 時々、大音声がすると目が覚めます。 主人公のジェット・リーが たまたま愛し合う仲になったのが 相手方の首領の娘、アリーヤ。 ロミオとジュリエットの現代版かと 期待しましたが、 あたりまえの恋の展開でした。 配慮してラブ・シーンもなし。 見終わって、 オトーサン、ガックリ。 こりゃ三つ星だあ。 原因は、マトリックスが当ったプロデューサーの 「柳の下のドジョウ」作戦の失敗。 「低予算でもアイディアがよけりゃ、ヒット作は生まれる」 という信念のもと、 黒人と中国人が中心で、 白人なしの 映画を企画しました。 主人公には、中国人のカンフーの名手を起用。 相手役は、これもギャラぼ安い若手女性シンガー、アリーヤを起用。 監督も新人。 すごい人件費の節約です。 X-RAYバイオレンスで客をよぼうという魂胆。 ところが、虚実皮膜の間という 芸術の奥義を無視してしまいました。 マトリックスのキアーヌ・リーブスの場合は カンフーのど素人ですから 特殊撮影のおかげで 何とか様になって、 ほんとのようであり、 うそのようであり 何ともいないよい味が出たのですが、 今回のジェットリーは達人。 撮影は楽なのですが、 スターという感じもなく そこらのオニーサン。 しかも、カンフーのシーンを ドキュメンタリー風に撮ったので 市川昆監督の 東京オリンピックの記録映画みたいになって しまったのであります。 唯の一収穫は、アリーヤ。 何でもマライヤ・キャリーくらい有名なひとらしいのですが、 これが、映画初出演とは思えないすばらしい存在感でした。 歌も音楽もよかったですよ。 今後の活躍に期待しましょう。 字幕翻訳は、ベテランの林完治さん。 「そんなあ やむちゃ いわんといてえな」 これ何のダジャレか分かりますか? 飲茶という言葉が入っているのです。 香港映画の一種だから、飲茶っていうわけです。


34 エリン・ブロコヴィッチ

オトーサン、 ニューズ・ウィーク誌の5月31日号が この映画、とくに主演のジュリア・ロバーツを べたぼめしているのに驚きました。 だって、普段は、けなしてばっかりいるのです。 ほめるにしても、何かしら留保したりして、 ジャーナリズムらしさを保ってきたのにねえ。 さて、そんなことで ある種の期待をもって出掛けました。 劇場は、2階。 エレベータホールで待っていると、 ヤマンバの5人連れがやってきました。 オトーサン、 どの階に行くのかなあ なんて思っていると、 何と、オトーサンをしたってか 同じ映画館に続いて入ってくるでは あーりませんか。 だって、この映画、 公害問題の映画だぜ。 ヤマンバには、縁遠いテーマのはず。 どうしてだろう。 予告編を上映している間、考えていました。 この映画、実話に基づいているそうです。 カリフォルニアで 大企業の工場が排出した廃液で 付近の住民が重病になりました。 それに対して、エリン・ブロコヴィッチなる女性が 立ち上がって 裁判に勝訴、史上最大の和解金33億ドルを入手した という話しを映画化したもの。 1955年の水俣病 最近では名古屋の東芝工場の廃液たれ流し事件など 公害裁判は長期化して、 原告は死亡、 遺族が戦っているものの いつの間にか、うやむや。 顔を引きつらせ、叫ぶ原告団の陰気な行進が TV画面にクローズアップ。 それが常識です。 どう考えたって、ヤマンバなどの見る映画では、ありません。 そうか 看板に 全米史上最高額の和解金を手にした女 と書いてあったなあ、 さては ヤマンバたち、 競馬や宝くじの券を買うのと同じ気分で この映画の入場券を買ったのかも。 でも、 ヤマンバを馬鹿にしてはいけません。 彼女たちは、最新情報に敏感なのです。 ケータイで映画情報をチェックして 「うわあ、面白そうー。 今度みんなで見にいこうよ。 いまハリウッドで いちばん輝いている女優って 誰が知ってる? ジュリア・ロバーツよ。 彼女の最新のファッション、 見ておかなくちゃあねー。 「知ってる? あの人、ペチャパイなんですって それが、この映画では、 ほら ワコールの寄せて上げるのブラのおかげで 巨乳に見えるそうよ。 胸元をきれいにみせるテクニックが いっぱいあるんですって」 この方面の情報については、 ヤマンバは、すごく敏感なのです。 オトーサン、 ヤマンバたちと一緒に この映画を思う存分、楽しみました。 高校卒の離婚した3人の子持ち女が 法律事務所に押しかけ入社。 おじゃま虫のはずが、 ファイルの整理中に ふとしたことで PG&E社の公害事件を発見、 オトーサン、 家庭用品のP&Gと エレクトロニクスのGE をくっつけた珍社名に思わずニヤリ。 この両社とも超優良企業、 公害なんかとは無縁という顔をしています。 エリンは 俄然、闘志を燃やして、 大企業にたちむかいます。 彼女の武器は、 被害にあった下積みの者同士の共感力、 そして男性の鼻を長くさせる巨乳チラチラと 膝上20センチのド派手衣装で 相手をいいなりになせて証拠集めに邁進すること。 あまりのケタはずれなやりかたに、 法律事務所の所長も苦言を呈しますが 何のその。 さらに エリンは、 3人の子どもの面倒をみてくれる オートバイ狂の恋人の制止も振り切って 仕事に専念します。 抗議する恋人にいうせりふが、いかしてました。 だって、私は、生まれてはじめて 人から尊敬されるようになったんだもの。 脅迫電話がかかったくらいで、 仕事を途中で放り出すわけにはいかないわ。 女性の自立と叫ばれますが、 こんなに分かりやすく 見せてくれたのははじめてです。 このエリンを熱演するのが、 ジュリア・ロバーツ。 「ユーモラスで華やか、かつドラマティック」 とはニューズ・ウィーク誌の評ですが、 まさにその通りの当り役でした。 そんなエリンに手を焼く法律事務所の所長を演じるのが、 英国の名優アルバート・フィニー。 ジュリア・ロバーツは、 ファザコンだそうですが ほんとにピッタリ息の合ったコンビです。 あとの脇役たちも、 なかなかの名演技でした。 パンフレット600円。 あの女闘士・田嶋陽子センセイも 解説を引き受けていていましたし、 公害問題の専門家、 東大が助教授どころか、助手にしかせず ドブ漬けの刑にした 宇井純さん(いまは沖縄大学教授)も 解説を書いておられて、 「私たちもジュリア・ロバーツのような 女性たちと共に、にぎやかに楽しく、 環境問題に取り組むことにしよう」 とおっしゃっています。 オトーサン、 つくづく コンシューマリズムがはじまって半世紀の アメリカ社会の成熟を感じました。 そして スティーブン・ソダーバーグ監督(37歳)を 産んだハリウッドの成熟に脱帽しました。 ヤマンバだけでなく、 すべてのひとに見てほしい映画です。


35 ミッション・トゥ・マーズ

オトーサン、 SF映画は、実を言うと、あまり好きではないのです。 機械装置ばっかり、これでもか、あれでもかと大写しして 肝心の人間ドラマは、ほんの添えもの。 でも、たまたま週刊文春を手にしたら、 椎名誠さんが連載中の「新宿赤マント」に、 この映画を見にいったと書いてありました。 シーナさんは、この映画の監督のブライアン・デ・パルマを 「ミッション・インポシブル」や「殺しのドレス」を見て すっかり気にいったようで、大いに期待して行ったそうです。 「何しろ、舞台は火星であることだし」 そう書いておられます。 このくだりを読んで、 英語の意味がようやく分かったオトーサン、 目が点になりました。 そうか、 マーズというのは、火星のことか では、「ミッション・トゥ・マーズ」 というのは、「火星行きの使命」という意味なんだ。 火星といえば、 オトーサン、 昨年の夏のこと、 ワシントンのスミソニアン博物館で 火星探査船「パス・ファインダー」から送られてきた 画像をみて感激しました。 だって、 オトーサンは、もうお年。 生きている間に火星に行くこともないでしょうし、 その風景なんかみることもあるまいと思いこんでいたのですから。 赤茶けた地表を見て感激しました。 昨年末には、NASAが火星の風の音を実況するというので 大いに期待していましたが、 機械故障でダメになりました。 オトーサン、 ガッカリしましたよー。 でも、この映画をみれば、 火星旅行を存分楽しめるかもしれません。 そう思って、 旅先でしたが、 岡谷のスカラ座まで出かけました。 前日には、長野日報で上映時間まで入念にチェック。 ノートに書きこみました。 容易万端、準備OKのハズでした。 はじめての町のこと、 ようやく映画館を探し当てて、 11時50分の第1回上映時間に間に合いました。 ところが、 窓口では、、 2時25分からですと宣告されました。 おいおい、知らない町で2時間半どうやって過ごすの? 雨が降り出したし、おまけに傘は忘れてきたし。 オトーサン、 一足先に、火星に置き去りにされた 雨中飛行士になったような気分でした。 ローソン、食堂、岡谷東急ストア、衣料品スーパー・カネジョウ、 理髪、ミスター・ドーナツと散財して歩いて、2時に窓口へ。 シルバー料金1100円を差し出すと、1260円ですとのこと。 おいおい、違反じゃないのと、口先まで出かかりました。 そんなことで、 観る前に疲れていましたので、 上映中にウトウト。 いつの間にか、宇宙飛行士は火星に着陸していました。 すごい砂嵐のシーン、 救出に向った別の宇宙飛行士4人のシーン 火炎の渦 など いくつかすばらしいシーンもありましたが、 あとは、どうってことはありません。 そしてラストシーンは、といえば、 「最後の謎解きでぼくは一気にずっこけた」 とシーナさんが書いていた通りでした。 観客は、若いひとばかり。 まあ、そのうち火星に行くひとたちですから、 いいお勉強になるかも。 でも、シーナさんも、オトーサンも、 いまさら、お勉強は不必要。 出演者の演技も下手だし、 パルマ監督もSFきちがいで、 画像と特撮に酔っておられるようですが... オトーサン、 思わず、うめきました。 「こりゃあ、撮り直したほうがいいんじゃないの?」 週刊文春では、 シーナさんは、口直しに 「グラデイエーター」を観に行ったそうですが、 オトーサンも、同じ心境です。 帰路、総選挙のポスターをたくさん見かけました。 候補者はと見ると、いずれも相も変らぬ顔ぶれ。 おまけに候補者は、 よせばいいのに、 森喜朗こと、 ミッション・シンキロー と一緒に写って、ニタニタ。 こちらも、撮り直し、口直し、世直しが必要のように 思われます。


36 インサイダー

 オトーサン、  はじめ、 「インサイダー」(内部告発者) というタイトルから 地味で陰鬱な映画を連想しました。  いますよねえ、  新橋の飲屋街あたりで、  上司や会社の悪口言っている奴。  でも、この映画はアメリカで実際にあった内部告発者の物語。  それも、ビッグ・スケール。  何しろ、タバコ会社をクビになった研究開発担当の副社長が、  3大TVネットワークのひとつCBSの看板番組で、告発。  内容は、ニコチンは害がないという7大タバコ会社のトップの  証言は偽証だとするもの。    しかも、  ニコチンの体内摂取を促進させるために、  発ガン物質まで添加しているというのですから、  穏やかではありません。  超弩級の特ダネです。    さしずめ、ニュース・ステーションで、  どこかの産地の野菜はダイオキシンで汚染されているという  報道が一時話題になりましたが、それどころではない  一大スクープなのです。  内部告発者を演じるのは、  「LAコンフィデンス」のラッセル・クロウ。  退職金も医療保険も剥奪され、  家を売り、離婚し、高校の化学の教師に転職したものの、  脅迫が相次ぎ、  500ページもの過去の過ちを暴くレポートが  マスコミに大量に流布されるという辱めまで受けます。  自殺と殺人のはざまにゆれる男の心理を描いて  余すところありません。  ところが、そんなにまで大きな犠牲を払って撮影された  内部告発の映像は、CBSの上層部から放映中止を言い渡されます。  タバコ会社の訴訟を恐れたのです。  ちょうどCBSの買収が行われている最中で、  会社は重大な損害を蒙る恐れがあるからです。  多大な犠牲を払って、内部告発者を説得し、保護し、訴訟から守って  信頼を勝ち得たTVプロデューサーの面目は、丸つぶれ。  こんなことでは、以後、誰も彼を信頼して情報を提供してくれないでしょう。  それは、  TVプロデューサーとしての  彼の人生が否定されることにほかなりません。  「大人になれよ、冷静になれよ」  という悪魔のささやきがあったとしても  絶対に譲れない一線です。  そこで、彼もまた、内部告発者になります。  この第ニの内部告発者を演じるのが、  「ゴッドファーザー3」のアル・パチーノ。  最後の手段として  会社を裏切って、  CBSがタバコ会社の訴訟を恐れ放映中止という内部情報を  ニューヨーク・タイムスやワシントン・ポストに流します。  最後は、ハッピーエンドになるわけですが、  オトーサン、  2時間38分の間、  NHKのあさま山荘事件の実況中継や  西鉄バスジャック事件の実況中継を  手に汗を握ってみたときのように  スクリーンの前に釘つけになりましたよ。  ラッセル・クロウとアル・パチーノの競演。  競演とはこのことかというくらい、  ふたりとも入魂の演技でした。  ラッセル・クロウは、  今年のアカデミー賞にノミネートされたものの、  惜しくも主演男優賞受賞を逸しました。  何でも、ここでも、タバコ会社の圧力があったとか。  一方、アル・パチーノといえば、  かつてのアカデミー主演男優賞受賞者。  役者中の役者です。  ラストシーン、  特ダネをものにして  みんなに祝福されるなかで、  辞表を提出。  引きとめる上司を振り切って  コートを羽織ながら、会社のドアを出ていく後ろ姿は  チョーかっこよかったですよ。  男の美学。  あんな風にして、会社を辞めたかったなあ  なーんて、  みんなが思うのではないでしょうか。  それにしても、  実名まで出して、  タバコ会社とTV局をコテンパンにやっつける  映画を作れるなんて、  ハリウッドってスゴイじゃありませんか。  これもインサイダー情報ですが、  製作した映画会社は、ディズニー系で、  そのディズニーは、CBSのライバル、ABCの大株主。  いわば、ライバルだからやれたとのこと。  でも、日本では、  TBSがNTVをコテンパンにやっつけるなんて話  聞いたこと、ありませんよねえ。  生ぬるい業界秩序が存在します。    オトーサン、  この映画を見ることを、  日本のサラリーマン諸氏におすすめします。  入社式での社長の退屈な訓示の代りに、  この映画を上映することをすすめます。  会社と従業員の間に緊張関係があれば、  日本の会社、日本の社会は、もっとよくなるはずです。  談合、贈収賄、世襲などの不祥事も、だいぶ減るハズ。  この映画にチラホラするのが、日本の影。  SONYというブランド名、ブラウン管や撮影機材。  みなさんも、CBSソニーって知ってますよね。  ラッセル・クロウが高校で化学のほかに日本語を教えるというのも  興味深い設定でした。  アル・パチーノと日本料理屋で会食。 「てんぷら」「ししゃも」とカタコトの日本語をしゃべるのです。  そして、きわめつきは、NYタイムズの記者として  ピート・ハミルが出演。  この作家、たしか青木富貴子さんのダンナさんでしたよねえ。  監督のマイケル・マン、撮影監督のダンテ・スピノッティ、  そしてみんがほめないけれど、音楽のピ−ター・バークと  リサ・ジェラード、よかったですよ。  やはり世紀の変わり目の今年は、映画の当り年です。  来週は、  アル・パチーノ主演の  「エニイ・ギブン・サンデー」が待っているし、  これも、おそらく5つ星でしょう。  今年は、5つ星のラッシュです。


37 グラディエーター

  オトーサン、  旅先だというのに、  また、映画がみたくなりました。  先週、岡谷でこりたばかりなのに懲りないひとです。  「エニイ・ギブン・サンデー」が俺を待っている!  てえなわけで、今度は松本エンギザへ。  11時半に到着。  上映開始は、何と3時45分。  そんなの、あり?  しかたないので、市営駐車場(30分150円)に入れたまま  4時間時間つぶしをすることにしました。  でも、松本は、流石に文化都市。  松本城だけでなく、名店がズラリ。 岡谷よりは時間つぶしはしやすい都市でした。  まず、昼食。  エンギザは、何とフランス料理の「鯛萬」の眼の前。  2度ほど食べべたことがありますが、この味は忘れらえません。  わざわざ東京から駆けつけるひとがいるほど。  でも、お値段がとびきり高い。  鯛萬と向い合った「桜家」、ここは和食の名店。  でも、オトーサン、駐車代金が頭にあるので  昼食は蕎麦にしました。  女鳥羽川そいに歩いて、「もとき」へ。  ところが、休業。  おいおい、それはないだろ。せっかく汗をかいてまでやってきたのに。    しょうがないので、仲通りの名店「デリー」のチキンカレーを食べに。  おいしかったですよ。700円。  そのあと、コーヒーの名店「まるも」へ。  さらに、蕎麦をたべたくなって弁天本店で、もりそば550円。  まあまあでした。つゆがすこし甘いかなあ。  そんなことで、女鳥羽川そいを退屈しのぎに流していると  川は改修工事の最中で、縄手通りも一部は、工事中通行止め。  何でも四柱神社が明治天皇行幸120周年記念だそうです。  大鳥居が出来るのに合わせて、付近の商店街もリニューアルするとか。  そんななかに松本中劇を発見。  この辺り、蔵が多く、大正ロマンが漂っているということですが、  この映画館のうらびれ+さびれたところハンパじゃありません。    おおっ、  先行上映「グラディエーター」  3時からとあるじゃあーりませんか。  駐車料金1時間分300円が助かる!    オトーサン、エンギザの切符売り場のオバサンに  「じゃあ、もどってくるからね」といったのを、  いさぎよく撤回して  (誰かさんとちがって発言に重みがないのが、庶民の取り柄です)  「グラディエーター」をみることにしました。  シーナさんと同じコースになりました。  「ミッション・トゥ・マーズ」の口直しに「グラディエーター」というわけ。  主演は、何とラッセル・クロウ。  「インサイダー」で、タバコ会社の元副社長を好演したばかり。  「エニイ・ギブン・サンデー」のアルパチーノを見逃した代りに  競演したラッセル・クロウに出合うとは、これも何かのご縁かもねえ。  入り口で、切符を買います。  1000円。  安いじゃん。  ところが、パンフレットくださいというと  「ありません」  「何? パンフレットがない?」  前代未聞です。  オトーサンの長い映画人生で、  パンフレットのない映画なんて、一度もありませんでした。  「来週なら届くのですが」    いいでしょ、いいでしょ。  オトーサン、劇場に入りました。  古びているなんてものじゃありません。  いまにも、倒壊寸前。  観客パラパラ。  これじゃ、アベック(カップルのこと)で見に行く気分には  なれません。  そうなんです。これが日本各地での映画館の現状なのです。  六本木や有楽町あたりでみている  おすぎさんなどの映画評論家には、分からないでしょう。    でも、暗くなれば、どこも同じ。  舞台はローマ帝国。  時代は、アウレリウスが統治する西暦160年、  ローマの全盛期。世界の人口の4分の1が帝国の支配下。  今日も、ローマのために辺境の部族の反乱を制定するために  血なまぐさい戦いが続いています。  冒頭の戦闘シーン  なかなかの迫力でした。  ラッセル・クロウは、勇猛果敢な将軍マキシマスとして大活躍。  激励に、皇帝シーザー、その息子コモドゥス、  姉?(美人? パンフレットなしで氏名は不明)  姉の子、ルシアス  が豪華な馬車にゆられて戦場のゲルマニアへやってまいります。  野営地で、皇帝は将軍マキシマスに後継者になってくれ、  と依頼しますが、マキシマスは断ります。  戦争が終われば、  一刻の猶予もなく  妻子の待つ田舎、麦の穂のゆれる田舎へと  帰りたいからです。  皇帝は、息子のコモドゥスを呼び、こう告げます。  残念ながら、智恵も徳も勇気も正義もないおまえを皇帝にはできぬ。  怒り狂った野心的はコモドゥスは、その場で父を絞殺してしまいます。  事情を知った姉は、コモドゥスを平手打ちしますが、  次の瞬間、新皇帝に敬意を表してひざまづきます。  あざやかな変身です、  それもこれも、  最愛の息子ルシアスを守りぬきたいためにほかなりません。  ところが、呼び戻されたマキシマスは、真相を見破り、  正統性に欠ける新皇帝には、断固、服従しようとはしません。  怒りを買い、追っ手を逃れてようやく故郷へ。  しかし、そこに待っていたのは、焼け落ちた我が家。  処刑され宙吊りにされていた息子。  輪姦されたあげく殺された最愛の妻の姿でした。  そして、かれ自身も捕らえられて、遠いアフリカの地へ  奴隷として売られてしまいます。  「失うものは何もない。巨大ローマ帝国にひとりで闘った男」  これは、映画館の看板の文句です。   いつものように、これ以上の筋書きの紹介はやめますが、  剣闘士としてコロシアムで戦う彼の後半の物語は、  波瀾万丈で大いに楽しめました。  看板には、  全米が燃えた!この夏No1大ヒット、   リドリー・スコット監督の最高傑作、  早くも来年度アカデミー賞最有力候補作品  とありました。  じゃあ、また、5つ星というわけ?  ところが、オトーサン、  一大活劇で、みどころ満載でしたが、  もうひとつ感動できませんでした。  なぜ、いまローマなのか、  なぜ、いま剣闘士を取り上げるのか?  強いていえば、  アメリカ帝国の崩壊を警告しているのでしょうか。  NY株も下げているし、景気も後退しはじめているようだし...  奢る平家も久しからず。  こんな言葉、アメリカ人って知っているのかしらん。  自民党はどうなのでしょうか。


エニイ・ギブン・サンデー

オトーサン、 松本の映画館に 午前11時頃、 この映画を見に行って、 上映開始は、午後3時45分からと言うので 「グラディエーター」を先に見てしまいました。 でも、それは正解でした。 と言うのは、 この日曜日に偶然、 清里の萌木の村で製造・販売している 地ビール「タッチダウン」を飲んだのです。 梅雨の晴れ間に畑仕事をして 大汗をかいたあとのビールですから これが、うまいの何の。 ついでに、ラベルを読みました。 タッチダウンという名前は、 清里に開拓村と清泉寮を開いて 戦後の荒廃した日本の青少年たちに 希望を与えたポール・ラッシュ博士が 大のフットボール好きで はじめて日本人に紹介したのに因んでつけたもの と書いてありました。 フットボールと云えば、 アメリカの国技。 野球よりずっと人気があります。 野球でいえば、日本シリーズにあたる NFLのスーパーボウルなんかの日となると さあ、大変。 国中が大騒ぎ。 大統領も観戦します。 オトーサン、 アメリカ人って、 何であんな変な防具をつけての ボールの奪い合いが好きなのか分かりませんでした。 ラクビーのほうが、まだ分かりやすい。 でも、アメリカに行くと、 日曜日ともなると、 話題は、フットボール中継の話ばかり。 チアーガールのダンスを除くと、 一体、どこが面白いんだって思っている オトーサンは、 まあ、平均的な日本人のひとりではないでしょうか。 この「エニイ・ギブン・サンデー」 全編が、そのフットボールの話。 日本人にはなじみが薄いスポーツなので、 マスコミも、話題にしません。 入場すると、 観客もいないかと思うほど、ガラガラ。 若い人、数人だけでした。 でも オトーサン、 尊敬するポール・ラッシュ博士が あれほどいれこんだスポーツだし、 ヴェトナム戦争に2度も従軍して、 生死をくぐりぬけてきた英雄、 男の戦いを描いては、ハリウゥドでは右にでるものなし、 アカデミー賞を2度もとった監督、オリバー・ストーンだし、 あの名優・アルパチーノ主演となれば、 見ないわけには行きません。 見終わって、 ほんとに全編、フットボールの話しばかり。 主人公は、マイアミ・シャークスの鬼コーチ。 万年最下位の阪神みたいなチームを率いての敗戦続き。 叱咤激励も逆効果。 試合では、1インチ、1秒の違いで、成功不成功が決まる。 人生とおなじだ。君たちは負け犬になりたいのか。 先代のオーナーとは仲が好かったのですが、 後を継いだ若い女性オーナーとはウマがあいません。 だってビジネス優先なんですもの。 アルパチーノを年寄り扱いして、引導を渡す時期や チームを売却して、ロサンゼルスに新しいチームを つくることしか頭にないのです。 チームは3連敗中。 おまけに、司令塔のクオーター・バックが負傷、 代役も負傷、 しょうがないので、3人目を出場させます。 これが無名、大観衆を前に試合するなんてはじめて びびりまくっています。 活をいれて、フィールドに送り出しますが、 不慣れな上に、ゲームのルールも知りません。 当然の事ながら、試合に大敗します。 でも、次の試合から この無名選手、 ウィリーくんはなぜか大活躍。 走ってよし、投げてよしで 次々と、タッチダウンを奪います。 チームの意気もあがり、連勝街道まっしぐら。 ウィリーは一躍スーパースターへ。 紙面にはでかでかと彼の顔、ブラウン管にも登場して いいたい放題。 お金がすべて、チームプレイなんてクソ食らえ。 鬼コーチは、忠告します。 偉大な長続きする選手は、みんな「フォー・ザ・チームだよ」 しかし、増長したウィリーの耳には届きません。 例によって これ以上の筋の紹介は省きますが、 評価ば、5つ星です。 アルパチーノの熱演は、 まさに名優の名に恥じぬものでしたし ウィリー役のジェイミー・フォックスも好演。 若い女性オーナーのキャメロン・ デイアスもなかなかのものでした。 コミッショナーには、 あの「ベンハー」のチャールストン・ヘストンが 出ているのも、なつかしい限りでした。 でも、この映画での最大の見物は 新人撮影監督サルバトーレ・トチーノでしょう。 ローアングル、移動撮影技術を駆使した 臨場感あふれる映像は オトーサンを釘づけにしました。 その夜、 オトーサン、 巨人-中日戦のTV中継を見ましたが、 何ともだれたマンネリ画像ばかりで いつの間にか、白河夜船。 こんな画像ばかり年中みせられていては 国民が堕落するのも、ムベなるかなと思いました。 この映画、TV関係者の必見の名画です。 サッカーだって、ラグビーだって 撮り方を改善すれば、もっともっとエキサイティングになるはずです。


39 ザ・ハリケーン

オトーサン、 上映時間まではたっぷりあるわいと思いながら 京浜川崎で下車。 どうせ、JR川崎駅のそばだろう 映画館はすぐそばだと たかをくくったのが、大間違い。 最後は、ハリケーンのようなはやさで駆け出して ようやく映画館「シネチッタ」に到着しました。 日本の梅雨時の蒸し暑さは、世界有数。 汗ビッショリ。 ですから、椅子に座るやいなや、 靴を脱ぎ、 靴下も脱ぎ、 汗でグッショリのシャツの着替えをしたいところですが、 パンフレットでパタパタと肌着の間に風を送ったり、 ハンカチを胸の回りに下着代りに入れて 何とか風邪をひかないように工夫しました。 これって、 土曜日というのに空いている 映画館の暗闇だからできる演技? さて この映画の題名「ハリケーン」は、 台風でもサイクロンでもありません。 実在のミドル級黒人ボクサー、 ルービン・ハリケーン・カーターの 名前です。 かれは、 1963年 当時、最強といわれたウエルター級チャンピオン ジミー・グリフィスを 第1ラウンドでリングに沈めた男でした。 その3年後、 バーで3人を射殺したという容疑で、 投獄され、 無実が立証されたのは、19年後でした。 服役中に書いた 「16ラウンド」という本は、 話題を呼びました、 次々と却下される訴え、 無期懲役 怒りと絶望、 愛する妻や知人にも、 声を荒げて、もう逢いにくるなという心情 でも、そんななか かれは 不屈の闘志を燃やして 無罪を訴えました。 その切々とした叫びが ひとびとの魂をゆさぶったのです。 釈放のために尽力するひとが 大勢出ました。 そんななかに、伝説的なシンガー ボブ・ディランがいて かれの歌った「ハリケーン」は 広く歌われ、 モハメッド・アリなどの著名人も 立ちあがり、 黒人差別に反対するデモが アメリカ中で繰り広げられたのです。 でも、ほとぼりが冷めると、 もう彼を支援するひとはいません。 弁護士さえ、あきらめ顔。 そんなとき9人のカナダ人が ボランテイアでたちあがり、 ついに犯行時間に先だって 警察が現場に駆けつけた謎を解明し、 ついに無実を立証したのでした。 この映画化の話しを耳にしたのが いまをときめく黒人俳優デンゼル・ワシントンでした。 役づくりのために1年間トレーニング。 20キロも減量しました。 オトーサン、 この映画のボクシングシーンに感動しました。 だって、1060年代の白黒フィルムのシーンと 現実のデンゼルのファイト・シーンの区別がつかないほど デンゼルはチャンピオンになりきっていたからです。 獰猛な目つき、盛りあがる筋肉、 すばやいフットワーク、稲妻パンチ。 惜しくもアカデミー賞をのがしましたが 歴史に残る名演技でしょう。 でも、週刊文春の映画評では 救援に立ちあがるカナダ人の影が薄いとか 実話にもとづいた窮屈さが感動をさまたげていると 書いてありましたが、 その通りです。 すべては、脚本の失敗。 何も服役期間19年を30年にまで延ばすことは なかったのです。 でも、 劇中で歌われた ボブディランのハリケーンは、 当時、流行したプロテスト・ソングの代表作。 すばらしかったですよ。 一挙に黄金の60年代に戻ったような気がしました。 当時のオトーサンは、 安保反対で毎日デモばかりしていました。 学友の樺美智子さんが殺されて、 権力の横暴さに怒り 心の底から憎んだものです。 役者では、 ニューズ・ウィーク誌は、カナダ人少年レズラを演じた ビセラス・レオン・シャノン好演といっていましたが、 オトーサンは、 最後に無罪判決を下した サロキン判事役のロッド・スタイガーの 圧倒的な存在感に感銘を受けました。 ベテラン、 ノーマン・ジェンセン監督に 「作り直しを」とプロテストしたいところです。


2番目に幸せなこと

オトーサン、 この映画のタイトルをみて 何だか、さえない映画だなあと思いました。 だって、 日本で2番目においしいラーメン屋というなら 謙虚だな、 ひょっとしたら おいしいかもと思うでしょうが、 夢を売る商売の映画で 2番目といわれて 1800円も払って 見る気分になりますが。 原題は、 THE NEXT BEST THING 次善の策です。 これじゃあ、地味すぎて、誰も見ません。 でも、入場すると 人数は多くはありませんが、若い女性ばかり。 やっぱり、 主演しているのが マドンナのせいかな。 マドンナのファンが見に来ているのです。 いわば、 美空ひばり 山口百惠 松田聖子 の主演映画のようなもの。 演技は下手ですが、 ひばりちゃんが出ているなら 何をおいても 見にいかなくっちゃ. というわけで、一定の収入が見込めます。 どこの国でも、 フアンって有り難いものですねえ。 でも、 こうした作品を引き受けた監督には どうしてもフラストレーションが溜まります。 この映画のベテラン監督ジョン・シュレジンジャーさんも同様。 だって、マドンナときたら, 演技が下手なんだもの それに忙しいから、撮影時間がとれない。 そのくせ、出演シーンは増やさないといけないし 最後は、ハッピーエンドにしないと フアンから袋叩きになります。 そのうえ、 歌手のくせに、演技派女優になりたがるものだから、 やたら役柄に注文をつけます。 相手役だって、あの人にしてと注文します。 前夫の友人、ロバート・エベレット。 その他の出演者だって 引き立て役に決まっているから どこかで白けてしまいがち。 歌手の主演映画っていうのは どうしたって平凡な映画になる運命にあります。 いくらマドンナがすごいといっても 映画界では駆け出し同然。 前作、「エピータ」だって 話題は呼んだものの、失敗作。 この映画も同様です。 でも、 オトーサン、 なぜか、マドンナのフアンです。 マドンナの最新アルバム 「レイ・オブ・ライト」も買いましたし 経歴だってお勉強しています。 マドンナは、 貧しい白人家庭に生まれ、 金儲けのためにポルノ映画に出演したり、 業界の大物と寝たりもして スターの座を目指しました。 84年の「ライク・ア・ヴァージン」 が1100万枚 続く、「マテリアル・ガール」の世界的ヒットで 27歳でスーパースターになリました。 モンローに代わるセックス・シンボルへ、 金ピカ物資文明の落とし子になったのです。 しかし、 マドンナは 40歳になると、 一転して 恋愛も結婚も離婚も経験した自立する女性へと 時代を先取りして鮮やかに変身します。 家庭回帰の波にのって シングルマザーとして子育てに専念。 家庭の新しい形を提起したのです。 一夫一婦制にしばられなくても、いいじゃないか、 たとえ、2番目に願ったことであっても 幸せになれれば、いいじゃないの。 この映画では、 そうしたマドンナのメッセージが魅力的です。 マドンナの子ども役を演じる マルコム・スタンプ君(8歳)は、 映画初主演だそうですが、好感がもてました。 後は、やはりマドンナの2児の母とも思えぬ スレンダーな体に、感心しました。 何でも、ヨガをやっているそうです。 足なんて頭のほうまで上がるんですよ。 そして 何といっても マドンナなら、 歌。 友人の 葬式のシーンで歌う 1972年の「アメリカン・パイ」が素敵でした。」 マドンナのフアンなら見逃せないシーンですよ。 ところで、 オトーサンが1番目に驚いたのは、 この映画でマドンナの相手役、 ゲイの男を演じる ロバート・エベレットが、 実生活でもゲイだということでした。 道理で、生々しい演技でした。 しかも、「芸(ゲイ)は、身を助く」の諺どおり ゲイであることをカミング・アウト(告白)したら、 却って、仕事の依頼が増えたそうです。 オトーサンが2番目に驚いたのは、 このことを唯一書いていたのが、 お硬い日本経済新聞だったということ。 世の中、いろいろ変っていくのですねえ。 ちっとも変らない政党もあるようですが。


サイダーハウス・ルール

オトーサン、 サイダーハウスって、一体、何だろう。 ラムネ、サイダーのあのサイダーのことかなあ。 大体、当たっていました。 林檎を収穫し、ジュースを加工する作業所のことでした。 オトーサン、 この映画が 現代アメリカ文学を代表する作家 ジョン・アーヴィングの作品を映画化と聞いて 期待していました。 それも、作家がその映画化に10数年も情熱を燃やし ついに念願がかなったと漏れ聞いて、 内心、大満足でした。 作家って、映画を見下だす傾向があります。 作家にとっては本に書いたことがすべて、 映画化されたものは、所詮は、他人がつくった別物 責任はもてないよ でも、 そんな作家ばかりだと、 映画はストーリーの豊かさを失って、 主演男優や女優が有名だとか やたらド派手なアウション・シーンにこるとか セックスだ、ホラーだ、SFXだ、CGだ、特殊撮影だと どうでもいいようなテクニック重視に流れて 感動をよばない 作品ばかりが出てきます。 そこへ行くと、この映画、 まじめに王道を行った作品です。 アカデミー賞の主要7部門にノミネート。 そのうち、助演男優賞、脚色賞を受賞しました。 この最後の脚色賞にご注目あれ、 ジョン・アーヴィング本人がやっているのです。 見事なストーリーの展開です、 ですから、 今回、オトーサンは その辺の映画評論家や雑誌のように この映画の荒筋を紹介しないことにします。 知らないでみた方がいい。 感動を初体験すべきだと思います。 最初のシーン 雪が残る山のなかの駅、 プラットフォームさえない寂しい駅 いまSLが到着し、 数人の旅客が降りてきました。 このSLは、1891年に製造された260型。 カメラは高い位置からSLを捉えています。 近づいていくと 駅長。 これを演じているのが、 ジョン・アーヴィング本人ですので、 見逃さないように。 このSL、いまもグリーン・マウンテン鉄道の列車として ニュー・イングランドを現役で走っているそうですから 一度は乗って見たいものです。 エンディング・タイトルが映し出される間中 ピアノを中心にした哀切なメロディが流れました。 ベテラン、レイチェル・ポートマンの音楽です。 観客は若い人が多かったのですが、 映画の余韻を味わっているためか 誰も立ち上がるひとはいませんでした。 名画の証拠です。 オトーサン、 主役の純真な青年、トビー・マクワイア、 相手役の可憐な美人、シャリーズ・セロン 孤児院の院長、マイケル・ケイン サイダーハウスのボス、デルロイ・リンド 自然なすばらしい演技でした。 その他の脇役も、みんなすばらしかったですよ。 ロケ地もよく選ばれていました。 アメリカの最良の村々を旅行して来たみたいだ。 こりゃあ、文句なしの5つ星だあ と叫びました。 それにしても、 パンフレット代の高かったこと。 何と、過去最高の800円。 でも、見終わった後、 女性たちが 群がって買い求めていましたよ。 40ページのそれ自体が作品集のようなパンフレットです。 欲をいえば、海辺の写真のページ、 マリンブルーの上に、細かい黒色の文字 これじゃあ、読めないじゃないですか。 誰の仕業か知りませんが、 ジョン・アーヴィングが知ったら怒りますよ。 パンフレットだって映画の一部なんだよといって。


M:i-2

オトーサン、 話題の映画を見に、 寝不足のまま、映画館に向かいました。 11時5分から上映じゃ、昼飯どうするの。 しょうがないので、簡単にサンドイッチ。 500円。 ところが、パンフレット代は、800円。 昼飯より高い。 どうやら、トム・クルーズ来日の際のアゴアシ代が 入っていると見ました。 窓口は、若いカップル の行列。 案内のオネーチャンは、指定席だから白い席には座らないでくださいと ひとりひとりに注意をしています。 むかつくな、この映画館。 オトーサン、 寝不足もあって、ご機嫌斜めです。 でも、前列から3番目の真ん中。 オトーサンの指定席に座れて、一安心。 この映画、大音響だから前のほうには座らないようにと 誰かが云っていましたが、 目だではなく、耳だって遠くなりかけているから かまいません。 冒頭シーンは、シドニー湾。 あの特徴的ないくつもの貝殻を伏せた形のオペラハウス。 一度行きましたが、中に入れば、同じようなもの。 オリンピックがあるから、舞台はシドニーか。 せこい安直な発想。 こりゃあ、三流娯楽映画かも。 お次は、 トムクルーズの 高所恐怖症のひとなら 縮み上がるような 高くそびえ立った岩山での 超絶なロック・クライミングのシーン。、 トム・クルーズって、すごいですよ。 これが趣味なんて。 でも、これって、「クリフ・ハンガー」のパクリじゃん。 浜ちゃんじゃないけど、倉木麻衣じゃん。 でも、その次のシーンは スペインのセビリア、華やかなフラメンコの場面です。 踊りも見事ですが、 ギターの響き、床に打ち付ける足音も官能的。 周囲の観客の猥雑な感じも いかにもスペインです。 オトーサン、 数年前のスペイン駆け足旅行を思いだしました。 セビリアか、コルドバか、はたまたグラナダか どこかの都市で、夜、フラメンコを見に行くはずでした。 本場のフラメンコが見られる 出発する前から楽しみにしていました。 ところが、強行日程で風邪を引きました。 JTBのガイドさんのお骨折りで、 薬屋に駆けつけ、薬を買いました。 「日本の風邪薬とちがって、こちらのは強いので[ 1発で直りますよ」を真に受けて、 1包分、全部、飲みました。 ガーン、バタンキュー。 あんな強い薬はじめて。 フラメンコどころか、生きているのが奇跡のようでした。 さて、このフラメンコのシーンで 指令を受けた諜報員、トム・クルーズが探している相棒が 美女で腕利きの泥棒、タンディ・ニュートンです。 オトーサン、つぶやきます。 こりゃあ、007のパクリだなあ。 でも、 ダンディ・ニュートンが ただのボインちゃんでなく、 あの「シャンドライの恋」で好演した アフリカ人でありながら、ケンブリッジ大学で 人類学の博士号をとった知的美人と 気づいて、ニヤリ。 さすが、トム・クルーズ、 「マグノリア」でアカデミー助演男優賞をとった 俳優というだけではなく プロデューサーとしても、ご立派。 彼女を抜擢するなんて、なかなかやるじゃん。 この映画、 要するに、全編、 トム・クルーズ=命というフアン向けの映画です。 アクション娯楽大作。 でも アメリカで流行のバイオ企業の 陰謀を題材にしているのが新味ですし、 コンピュータやGPSを駆使した見事な画面も マトリックスのようなスローモーションの格闘シーンも 楽しめましたし、 車やオートバイのカーチェースのシーンも 迫力満点。 ヘリコプターやさまざまな拳銃などの小道具も生きていて、 見所満載でした。 これは、 やはり思い切って 「ミッション・インポシブル」の第2作に 香港映画出身のジョン・ウー監督を 起用したためでしょう。 サービス精神満点。 だって、 この1本で 007、クリフハンガー、マトリックスの3本立てを みたような気になれるのですもの。 中華料理で云えば、満漢全席。 判定は、 以上の合わせ技で、 ようやく5つ星に届きました。


レインディア・ゲーム

オトーサン、 この映画少し期待していました。 RONINのフランケンハイマー監督作品 と聞いたからです。 でも、肩透かし。 だって午前中に行くつもりでいたら、 何と上映は、午後2時半開始とのこと。 午前中は、 「ティガムービー、プーさんの贈り物」 をやっているそうです。 おいおい、 それはないだろう。 ガキの映画優先とは。 でも、考えてみると、 もう夏休みに入ったのです。 ディズニー映画のほうが客入りもいいのでしょうか。 パンフレットの代金も500円とお安く、 客の入りはといえば、 ガラガラ。 こうなると、 流石の映画狂のオトーサンも 気合が入りません。 でも、冒頭のシーンは なかなか好かったですよ。 モノクロでした。 雪の積もった人気のない駐車場で サンタクロースが車のボンネットの上に横たわっています。 カメラが近づくと、 死んでいます。 血の跡があります。 どうやら銃殺されたようです。 善意の固まりのようなサンタさんが殺される。 この設定、 意表をついていて、 なかなか面白そうじゃ、ありませんか。 この映画の見どころは、 アーレン・クルーガーという新進気鋭の脚本家が 創造したストーリーにあります。 2転3転。 観客は何度もだまされます。 それが、見どころですから、 オトーサン、 いつも荒筋はいわないことにしていますが、 この映画については、 口がさけても言えません。 でも、 少しヒントを 差し上げましょう。 善人かと思うと悪人 悪人かと思うと善人。 見た目だけでは、 ひとの善し悪しは分からないということを この映画はくっきり描いているのです。 例えば、 自民党政調会長の 亀井静香さん、 このひとは お名前を見ると、楚々たる美人という感じですが TVで見ると、いかつくて騒々しい方です。 そごうへの税金投入を白紙撤回させる善人かと思うと、 闇社会とつながった虚業家・許永中の親友だそうですから 悪人のような気もします。 ジキルとハイドか、 清濁あわせのむ方なのか どうもよく分かりません。 まあ、ひと一人とったって、 喜怒哀楽がいりまじっているのですから 複雑な現代社会では、 複雑な人格をもったひとが出てくるのも、 まあ、 しょうがないのでしょうか。 主演男優は、新人ベン・アフレック 車泥棒で刑務所入りしたノーテンキな男、 だまされ続ける男を演じます。 主演女優は、シャーリズ・セロン。 「サイダールール・ハウス」で可憐な娘役を演じたばかり。 囚人と文通している間に恋仲になった娘の役。 ふたりともなかなかの熱演でした。 助演男優のなかでは、ゲイリー・シニーズが 光っていました。 舞台俳優出身で見るからに個性的。 そうそう「ミッション・トゥ・マーズ」に出ていました。 でも、 鬼才アーレン・クルーガーの 描く複雑な人格を演じるのは、 どんな役者にとっても、難しいようです。 オトーサン、 見終わっても、 あまり感動しませんでした。 家に帰って、 たまたま TVのワイドショー番組をみました。 高校一年生の娘を殺そうとした准看護婦 坂中由紀子(43)容疑者が この4月に娘と一緒に撮っている プリクラの写真が衝撃的でした。 だって、お澄ましした顔つきなんですよ。 年より若く見えるのも、こうなると不気味。 ぜんそくの治療薬、 硫酸サルブタノールが 殺人の手段に一変。 兄も弟も死んだから、ひとびとを救うために 私は、お母さんのように 看護婦になりたいという娘を 保険金目当てに 非情にも殺そうとする母親。 何でも妹も弟も この母親ときたら 同じ手口、 同じ薬を使って殺して 2000万円の保険金を詐取したようなのです。 まさに、 「事実は小説より奇なり」ではありませんか。 何も高い映画代払わなくても、 この程度のストーリーだと TVでみられるのです。


ムッソリーニとお茶を

オトーサン、 いまは夏枯れでロクな映画がないな 今週は、映画見物を見送ろうかと 思いました。 ところが、新聞の映画欄を見ていると、 すずらんと書いてあって 併映で、その下に小さな活字で 「ムッソリーニとお茶」 とありました。 ムッソリーニと言えば、 ヒットラー、東条英樹と組んで 日独伊、三国同盟を結んで 第二次世界大戦をおこした独裁者。 そんな戦争犯罪人・ムッソリーニとお茶をという タイトルのつけかたは、ただものではありません。 オトーサン、 「匂うなあ、 名作の予感がする」 と、つぶやきました。 入場して、 いつもの通り、パンフレットを買おうとすると 係員いわく 「ありません」 いやはや、 オトーサン、 驚いたの何の。 こんなことは、 オトーサンの長い人生ではじめて。 映画のパンフレットがないなんて。 ごはんにみそ汁 コーヒー にミルク 寝るときには枕というくらい 映画とパンフレットは切っても切れない仲のはず。 それが、ないなんて。 係員は、代わりに 一枚のリーフレットをくれました。 白い布をかけたテーブルを囲んで 五人のおばあさんが座っています。 その脇に、水兵服を着た子どもが一人。 オトーサン、 こんな地味な配役で、映画ができるの? バアサンとガキだけで?。 若い美人のひとりもいなくっちゃ、 絵にならないのではないの、 と思いました。 しかし、予想に反して 絵になっていたのです。 これは、何といっても イタリアの巨匠、フランコ・ゼフィレッリ監督の手腕と 5人のアカデミー賞受賞(またはノミネート)女優の名演技と イタリアはフィレンツエやトスカーナ地方の自然と町と美術品 の三拍子がそろっているせいでした。 そうなんです オトーサンも何回もいきましたが、 ほんとに、 ヨーロッパの古い町並みには なぜか、老婦人が似合うのです。 物語は、 秘書が経営者から子ども(ルカ)の面倒をみてくれるようにと 頼まれたところからはじまります。 浮気相手に産ませた子、 肝心の母親が死んでしまい 託児所にあづけるのですが、 すぐに逃げ帰ってきます。 当然、奥方にばれては大変と、 経営者は焦ります。 そこで、世話を頼むのは、 秘書である老婦人。 結局、断りきれずに引き受けます。 友人の老婦人4人が分担して 子どもの面倒を見ることになります。 食事係、美術館見学係など、 最初のうちは、うまく行きます。 ところが、世の中は戦争に向けて走り出します。 イタリアが大好きで、 せっかく英国やアメリカからやってきて 機嫌よくフイレンツエに住んでいるのに 外国人は、次第に迫害されるようになるのです。 それでも、夫が元イタリア大使だった 老婦人、ヘスター(マギー・スミス好演)は、 独裁者ムッソリーニに面会を申し入れ、 待遇改善を要求します。 効果テキメン。 しばらくは、下にもおかぬ、もてなし。 しかし、 イタリアが英国とフランスに宣戦布告すると そんな約束は、たちまち吹き飛んでしまいます。 老婦人たちは、強制収容所に入れられてしまうのです。 でも、数日後に、願いがかなって ホテル住まいを許されます。 ムッソリーニとお茶を飲んだ新聞写真の威力と 老婦人、ヘスターは信じていますが、 そんなはずはありません。 実は、仲間の一人、 アメリカの女優エルサ(シェールが好演)が 大きくなった子供・ルカを通じて ひそかに金銭的な援助をしてくれているからなのです。 そうとはつゆ知らず ヘスターは イタリアやフランスの名画を買い漁り、 男出入りの絶えない女優を馬鹿にします。 しかし、ついに日本の真珠湾攻撃をきっかけに、 アメリカが参戦。 女優も、アメリカ人ですから、 当然、強制収容所に入れられてしまいます。 例によって 粗筋紹介は、この程度にしますが、 この映画、何といっても イタリアの景色がおすすめ。 フィレンツエのドウモ(大聖堂)を見下ろす ミケランジェロ広場の風景、 そこに立つ青年・ダヴィデの像、 そして。あの有名なウフッツイ美術館と その名作の数々。 オトーサン、 すっかりフィレンツエ観光を楽しみました。 なかでも 極めつきは 「100塔のある町」と云われる サンジミニャードの町の風景でした。 天空に向かって祈るように何本もの塔がそびえているのです。 フィレンツエからわずか55キロのところにある この町には、今なお、中世の時間がゆったりと流れているようなのです。 一度行って見たいなあ。 そんなことで。 すっかり、ご機嫌になった オトーサンの評価は、5つ星。 英国アカデミー賞もとっているし、 過大評価でもないでしょう。 したたかに生きる老婦人たちも素敵でしたよ。 観客も、お年を召した方が多かったようです。 字幕翻訳は、久しぶりに、戸田奈津子さん。 名画となると、いつも戸田さんのお出ましです。 昭和天皇も、皇太后もなくなられて 戦争の記憶は日々薄れつつありますが、 たまには、こういうしゃれた映画をみて 戦争の恐怖や戦時下でたくましく抵抗した庶民の姿を 思い起こすのもいいのではないでしょうか。 若いひとにとっても 生きた歴史の勉強になります。


パーフェクト ストーム

オトーサン、 予告編で何度も、CG映像の嵐をみました。 いいかげん、食傷気味。 でも、ある日、TV番組で、 ジョージ・クルーニーの来日インタビューをみました。 型どおりの映画についての質問のあと、 アナウンサーは、やおらボードを取りだしました。 8人の日本人の美女の写真が貼ってあって 「どの娘があなたのタイプですか」 と聞いたのです。 オトーサン、 あきれかえりました。 「質問に事欠いて、 キャバクラでもあるまいし、失礼な」 そう憤慨していたら、 ジョージは、 「みんなすてき」と答えて、 ニコニコ笑って、 見事に、愚問を、はぐらかしました。 「なかなか、やるじゃん」 オトーサン、 すっかり、クルーニーのフアンになりました。 で、いきましたよ、 岡谷スカラ座の初日。 若い女性で混んでいました。 結構、若い女性にもてているようです。 ところが、 入場料、シルバー65歳以上とあるではありませんか。 「おいおい、それはないだろ、シルバーは全国的に60歳からだろ」 と思いましたが、受付の娘が美人だったので、 すぐ軟化して、大人料金1750円 これも変な値段ですが を支払い、パンフレット700円も払って いつもの通り、最前列中央の指定席へ。 ところが、あまりにスクリーンに近いので、 3列目の中央に移動しました。 靴を脱ぎ、靴下もぬいで、長期戦覚悟。 映画のストーリーは、 単純そのもの。 舞台は、 ボストンのすぐ北にある全米最古の漁港グロスター 登場人物たちは、ここをベースに北大西洋の漁場にいく漁師たち。 お目当てのジョージ・グルーニーは、 沖合い漁業をする漁船の船長。 ところが、このところ不漁続き。 乗組員から、不平不満が出て、 あげくのはてに 「船長、ぼけてきたんじゃないの」 とからかわれる始末。 ライバルの女性船長のほうは、豊漁続き。 これでは、やっていけないと、 嵐を覚悟で、 いつものグランドバンクスから さらに遠い漁場であるフレミッシュ・キャップをめざします。 乗組員には、恋人と布々の別れをつげた男、 離婚した相手の許しをえて、束の間の息子との出遭いを楽しんだ男、 一獲千金を夢みる男など、いろいろな男たちが乗っています。 ところが、今回の航海は、不吉な予兆続き。 乗組員同士の喧嘩、 突然の大波 落水事故。 引き返そうという者も出てきますが、 船長は「白鯨」のモビィ・ディック船長さながら、 「グロースターの男なら勝負しろ」と叱咤します。 何しろ、グロースターの漁師は命がけの漁で知られています。 この4半世紀で1万人は命を落としているのです。 さて、フレミング・キャップでは、大漁! 船が沈むくらい魚が穫れました。 乗組員はみな上機嫌。 ところが、悪いことに 帰路には、気象観測史上最大のハリケ−ンが待っていたのです。 嵐が過ぎるのを待つつもりでしたが、 悪いことは重なるもので、 冷凍機が故障、 待っていると、魚はみな腐ってしまいます。 そこで、船長は、嵐を突っきって帰航しようとします。 あとは、見てのお楽しみ。 オトーサン、 CG画像の嵐を充分堪能しました。 その日は、プールに泳ぎにいくつもりでしたが、 映画で、びしょぬれになったので、 行きませんでした。 日本も海に囲まれて、 昔から世界に名だたる漁師たちの国。 漁師をテーマにした映画のひとつもあって いいのではないでしょうか。 監督は、「Uボート」で一躍世界的な名声を獲得した ウォルフガング・ペーターセン。 海を描かせたら、スリリングな映像づくりのベテラン。 この映画、 感動の嵐とまではいきませんが、 まあ、夏休みに見に行っても、 航海(後悔)しないでしょう。


ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ

オトーサン、 週刊朝日に連載中の 「船橋洋一の世界ブリーフィング」(8月4日号)で この映画のことを知りました。 「見終わって、キューバ革命をくぐり抜け、生き抜き、 歌を歌ってきた老いたミュージシャンの心意気に 心の中で乾杯をあげた。 過去が醸成する芳醇な今に乾杯!」 居ても立ってもいられず、 汽車に乗って二時間、 東京は、 新宿文化シネマに駆けつけました。 上映時間はインターネットで調べ、 場所は、電話して聞きました。 明治通りを挟んで、伊勢丹の反対側。 シルバー料金1000円、 パンフレットは、B5版なのに700円。 そして、中に入ると、 「ありゃぁ、ホームシアター?」という狭さ。 客席数56。 でも、満員でした。 オトーサン、 いつもの指定席なんていってられません。 立見になってしまいます。 ようやくのこと、前から2列目の中央、 カップルのとなりをゲット。 やれやれ。 この映画は、ドキュメンタリーです。 60年代に活躍していた ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ(以下、BVSC)の 老ミュージシャンたちを再結集させた ナツメロ・プロモーション・ビデオといってもいいでしょう。 でも、今年見た、どんな映画よりも、泣けました。 それも、3回。 1回目は、キューバの首都、ハバナの惨状に。 2回目は、老人2人が目をみつめあって歌う愛のデュエットの収録風景に 3回目は、カーネギーホールでの熱狂的なスタンデイング・オペレーションのシーンに。 さて、 冒頭のシーンです。 葉巻を口にくわえた老人(コンパイ・セグンド)が 青い古いオープン・カーを走らせています。 時々、車を止めては BVSCはどこにあったと 人々に尋ねるのです。 ところが、返事はまちまち。 記憶に残っている過去は、ひとそれぞれ、 一様ではないのです。 オトーサンの若い頃、 キューバ革命の勝利者、フィデル・カストロや ゲリラの星、チェ・ゲバラは、 若者たちにとって希望の星でした。 資本主義から共産主義へ、 カール・マルクスのいうとおり、世界革命は必然のはずでした。 ところが、いまや共産主義は挫折。 米国の経済封鎖で、 キューバは徹底的に痛めつけられました。 スペイン時代の豪奢な建物はみな古び、 街路はガタガタ、車はみなオンボロロ 貧しいこどもたちが、あちこちにたむろし、洗濯物がぶら下がる... まるで、挫折したオトーサンたちの世代の 心象風景をそのまま映し出しているようでした。 オトーサンたち安保世代の後になる団塊の世代にとっては、 リストラ後の平成時代の心象風景でもあるでしょう。 内心は、すさんで、荒れているのに、 白く漂白されたように明るく乾いた日常生活を送っている。 次に 映画は、 名ヴォーカリスト、イブライム・フェレール(72歳)と オマーラ・ポルトゥオンド(69歳)の 愛の歌の録音風景に移ります。 黒い大きな録音マイクを間に、 老人と老婆は歌います。 老人の顔は黒ずんで、歩くとよたよた。 あの坂本九ちゃんが生きていたら、こんな風な顔になるでしょうか。 膚はしわくちゃなのに、目はキラキラ。 曲名は「シレンシオ(静寂)」 僕の花園の中で 白い百合とバラが踊る 僕の心は悲しく重く沈む この苦い痛みを花は隠そうとする 僕が花に知られたくないことは この人生における僕の苦しみ もし花が僕の苦しみを知ったら 同情して泣き出すだろうから 老人がみつめあって愛の歌を歌う。 泣けましたねえ。 人生の終わりが近づいて 愛が成就したひとも、 愛が叶わなかったひとも みな泣けるのではないでしょうか、 それぞれの愛の思い出を胸に。 映画は、 ひとりひとりのミュージシャンたちの今と現在を モノクロ画像とカラー画像で対比していきます。 さきのイブライム・フェレールは、靴磨き職人でした。 でも、歌が好きで好きで、 一生懸命歌っているうちに、ようやく陽の目をみますが、 すぐまた忘れられた存在になります。 その彼が、復活し、とうとう念願のニューヨークに行けるようになります。 貧しい小国の老人がお上りさんになって 「ありゃまぁ、なんて活気のある街なんだぁ、NYは」 キョロキョロ、ウロウロ。 でも、カーネギーホールでのコンサートになると 赤いブレザーを着て、しゃきっとして 天性の美声で聴衆を魅了するのです。 ギター、ベース、ピアノ、トランペット、テインバル、ラウー みな老人ですが、昨今の音とは音がちがいます。 コンピュータで合成した音ではなく、人生の喜怒哀楽が熟成した魂の音。 とくに、白髪の老人、ルベーン・ゴンザレス(80歳)のピアノの音は 一生忘れえないものでした。 演奏が終わると、 拍手喝さい、全員総立ち。 舞台に花束をもって駆け寄るひと、握手を求めるひとたち。 かれらは、喜びに頬を耀かせて 聴衆にむかって、何遍も手を振ります。 ああ、 人生の最後に このような至福の時が訪れたら、どんなに素敵なことでしょう。 でも、無理なんだろうなあ。 大部分のオトーサンたちにとっては。 そこで、 オトーサンの目には大粒の口惜し涙がポロリ。 見終わって しばらくの間、みんな静かでした。 オトーサン、 やあやあ、ヴィム・ヴェンダー監督、 久々のヒット映画、よかったじゃんと拍手しました。 老ミュージシャンを再発見した米国の名ギタリスト、 ライ・クーダー、ありがとう!って、いいました。 若い男は連れの女性に 「キューバってあんなところなんだ」と いいました。 それってどういう意味? ちゃんと映画、味わったの? 若いひとにも、この映画の意味の重さ、わかるのかなあ。 それとも、照れて、涙を流したのを隠すための言葉? オトーサンが、BVSCのCDを聞きたくて 帰りによった近くのヴァージン・メガ・ストアの売り場では、 同じ思いの若い女性に会いました。 「あの映画見ちゃったら、どうしたってCD買いたくなりますよね」 そうなんです。 キューバ音楽は、 オトーサンたちが昔盛んに踊った マンボやルンバに代わって、いまや、サルサ。 経済はダメだけど、 音楽が沸き立つ島、キューバ。 不況が終わらないけれど、 音楽フアンがますます多くなっている日本。 どこか似てませんか。 いま、 オトーサン、 山荘で、 BVSCの豊かなサウンドに浸りながら この映画批評を書いています。 至福の時を過ごしています。 往復交通費、CD代金、高くついたけれどなあ。 でも、この映画の評価は、勿論、断然の5つ星です。 今年、一番よかったです。


リプリー

オトーサン、 さすがにBVSCのサウンドにもあきて また映画をみたくなりました。 いま話題の映画「リプリー」 何でも、「太陽がいっぱい」のリメイクとか。 昔、見ましたよ。 アラン・ドロンが一躍世界的なスターになった映画。 舞台が、ニースかカンヌか、 モナコかノナカかオナカか すっかり忘れてしまいましたが、 南フランスの太陽と青春が眩しかったのは覚えています。 で、またまた岡谷スカラ座にいきました。 優待券で1750円のところを1550円。 儲かったと思ったら、パンフレットが何と800円。 過去最高です。 A4版を横に使って、56ページの分厚さ。 よく出来ていますが、 たかが、パンフレットですよ、 いくら何でも高すぎませんか。 発行は、松竹。 大船撮影所閉鎖など経営難もわからないではありませんが、 豪華パンフレットで儲けようなんて、どうかと思います。 大衆に映画を安く楽しんでもらおうという 創業の精神は、どこに行ったのでしょう。 岡谷スカラ座は、 4つの映画館から構成されているというと、 「おおすげえーな」ということになりますが、 今日みた劇場ときたら、 座席が1列で5つ、8列しかありませんから、 全部で40席のミニ・シアター。 それでいて、観客は、まばら。 オトーサン、 何だかわびしくなりました。 切符を売ったり、廊下の掃除をしている 額に険のあるお兄ちゃんが二代目なのでしょうか、 ガムを噛んでの入場はお断りというのが、 伝わってくる唯一の経営方針です。 でも、先代の路線を刷新して、 シネコンにしているのは、立派ではありませんか。 おかげで、田舎でも、いろいろな映画がみられます。 さて、 映画は、 あるお金持ちからリプリー青年が、 うちのドラ息子が、どこかで遊び暮しているから 連れもどしてくれという依頼を受けるシーンから始まります。 リプリー青年を演じるのが、 ご存知、マット・デイモン。 「グッドウィル・ハンティング/旅立ち」で有名になった好青年。 全編を通じて、熱演しています。 でも、欲をいえば、 アラン・ドロンほど輝きがありません。 輝きで、アラン・ドロンにも負けないのが、 リプリーが探し当てたドラ息子を演じるジュード・ロウ。 舞台俳優で映画界では、新人とか。 この映画の名演技で、アカデミー助演男優賞にノミネートされました。 このドラ息子、すこぶるつきの美青年で、遊び人。 イタリア女を妊娠させて、入水自殺まで招きます。 恋人役で作家を演じるのが、グウィネス・バルトロウ。 彼女は、「恋に落ちたシェイクスピア」で 見事アカデミー主演女優賞をとったほどですから、演技は見事。 明るい笑顔は、はっとするほど美しく、 リプリー青年がドラ息子を殺したと疑って詰め寄っていく時の 表情の変化もヂラマティックです。 リプリー青年は、ドラ息子を発見するのですが、 遊び仲間にされてしまい、 ナポリ、ベニス、ローマ、サンレモと各地を遊び歩きます。 ヨットに乗ったり、ジャズクラブに出没したり、 オペラを見たり、女遊びをしたり、 上流階級の遊びという遊びを片っ端から経験します。 でも、結局は、おじゃま虫。 最初は、面白がっていたドラ息子から軽蔑されて ボートの上で、ケンカになります。 あげくのはて、オールでドラ息子を殴り殺してしまいます。 海を赤く染める血の色 すべてを呑みこむ海のうねり。 永遠の太陽の輝き。 周囲には誰もいず、完全犯罪のように見えました。 その後、ドラ息子とよく似ているのを利用して リプリー青年は、ドラ息子の名前を騙り、 各地を遊び歩きます。 その悪事は、やがて警察に知られることになり 追求を受けますが、巧みに逃れます。、 しかし、今度は ドラ息子の友人に嗅ぎつかれてしまいます。 仕方なくその男も殺して、危うく難を逃れます。 最後は、ドラ息子の恋人、バルトロウにまで疑われて 殺しかけます。 2時間20分を見終わって、 オトーサン、ため息をつきました。 この映画、オトーサンの評価は、残念ながら、 4つ星です。 やっぱり「太陽がいっぱい」のほうがよかった。 アンソニー・ミンゲラ監督の脚本はひねりが効いていて アカデミー脚本賞にノミネートされただけのことはあったのですが、 結末に、少し無理があるように感じました。 だって、リプリー青年の悪事が罰せられないというのは まずいのではないでしょうか。 マット・デイモンの演技力では、 その無理を観客になっとくさせるのは出来ないのではないでしょうか。 映画は、結末が大事ですが、後味がわるかったのです。 でも、リプリー青年を恋する女性を演じた ケイト・ブランシェットは、楚々たる美人で、 アカデミー主演女優賞にノミネートされた あの威厳ある「エリザベス」を演じた女優と 同一人物とは、とても思えませんでした。 また、イタリアに憧れている人にとっては、 この映画、とてもいい観光案内になっています。 ベニスのサンマルコ広場から海を臨む夕焼けのシーンなどは、 ため息が出るほどきれいでした。


WHITEOUT

オトーサン、 日本映画は基本的に見ないことにしています。 だって、この1年半、失望の連続でしたもの。 せいぜいが3つ星。 ところが、週刊誌の映画評で 誰かがこの映画のことをほめていました。 日本映画にないスケール感、織田裕二が好演。 真保祐一原作「ホワイトアウト」の映画化、 作者もシナリオつくりに参加など。 オトーサン、 思いました。 ふーん、 こりゃ、もしかしたら、面白いかも。 で、おなじみ岡谷スカラ座へ。 窓口には、例のおにいさん。 「朝、お宅に電話したら、留守電だった。 でも、あの留守電、いいね。 上映中の映画名と上映時間を流しているんだから。 だから、11時に間にあるように来られたんだ」 おにいさん、 にやっと笑ってくれました。 でも、代金は負けてはくれませんでした。 優待券で200円引き、1500円。 館内は、若いカップル5組のみ。 さびしいものです。 まあ、平日だからしょうがないか。 前から3列目の特等席。 空腹に備えて、ポッキー(105円)を買っています。 そうそう、パンフレットは、500円でした。 さて、映画がはじまりました。 黒部ダムの雪景色、 おっ、壮大なスケールじゃん。 ところが、聞えてきた発電所のメンバーの声に がっくり。 大声で、妙に芝居がかって臭いのです。 日本映画の俳優の声って、 なんで、 みんなワザとらしい作り声を出したがるのでしょう。 オトーサン、 やめた、やめた、もう帰ろうと思ったら、 織田裕二くんが登場。 赤いアノラックを着てなかなか格好いいのです。 そうか、織田裕二って、cdma oneのCMをやっている奴かあ。 そういえば、「東京ラブストーリー」にも出ていたなあ。 あんな格好ばっかりの奴に、 真保さんのむすかしい山男の役なんてやれるのかなあ。 よし、やれるかどうか、最後まで見届けてやろう。 1500円、500円、105円の合計、2105円も払ったのだから。 さて、例によって、荒筋は省略したいところですが、 パンフレットの見開き部分がよく出来ているので、それを紹介しましょう。 12のシーンの画像と題名。コメントは長くなるので、省略。 1 スキー場&スキーロッジ 2 シルバーライン・トンネル 3 放流管ゲート室 4 ダム第九監査部 5 発電所・発電機室 6 ドラフトチューブ 7 奥遠和川・河原 8 大白ダム・事務室 9 奥遠和ダム・天場 10奥遠和ダム開閉所 11潅木の林・湖 12片貝ダム・ヘリポート近く 織田裕二くんが、 テロリストたちに対して、 たったひとりで、 転々と場所を変えて、 挑んでいくのだけは、お分かりになるでしょう。 オトーサン、 見終わって、 まあまあ、面白かった。 よかったんじゃないと感想を漏らしました。 主演は、織田裕二くん、 ほとんどのシーンに出ていて、熱演していました。 日本アカデミー主演男優賞は確実でしょう。 主演女優は、松嶋菜々子ちゃん。 ぽっちゃりしていて可愛いけれど、力不足。 テロリストにレイプされそうになるシーンなんか、 ちょっと物足りない。裸にならないんだもの。 清純派女優なんか、かなぐり捨てなくては。 でも、多分、事務所がいやがったのでしょう。 助演男優では、テロリストの首魁、佐藤浩市くん 警察署長の中村嘉津雄さんが好演していました。 でも、この映画の成功の理由は、 何といっても、 原作者の真保祐一さんが、シナリオを書いたことです。 それも、前歴がアニメ・ディレクターということで、 小説と映画のちがいを良く理解していたことでしょう。 小説は、文章のあやで、意味を伝え、 映画は、映像の積み重ねで、意味を伝える。 テレビ・ディレクターで映画を撮るのは、 はじめてという若松節郎監督も、この映画の成功で おそらく日本アカデミー監督賞を取ることになると思います。 帰り道、 オトーサンが、 諏訪湖の周りに新しく出来た快適なドライブ・ウエーを走っていたら 織田祐二くんが素敵なCMをやっていたIDOの汚れた看板が残っていました。 たしか、IDOは合併して、auに変わったはずなのにね。 アウッってゲップが出る感じ。 この映画が、4つ星どまりで、 5つ星を取れなかった理由とよく似ていました。 イメージを大事にして、細部にまでこだわらないと、 商売なんて、うまくいかないのです。 時間とお金と手間、そして才能あるひとを集めないと。 だから、 日本映画は、外国映画に、 auは、ドコモに、 いいようにやられてしまうのです。


U−571

オトーサン、 この映画、 予告編を何回も見させられたうえ、 旅先のロンドンやパリでも、 いろいろな映画館で上映中でした。 見たいなあと思いましたが、時間なし。 さて、 帰国して ようやくチャンス到来。 岡谷スカラ座に電話。 「11時45分からです」 念のために、スワシネマレイクに電話。 「12時30分からです」 いくら戦争映画といっても、 昼飯ヌキは辛いものがあります。 そこで、スワシネマレイクの選択を決断。 この決断、正解でした。 シルバー料金も、 1200円と1750円より安かったのです。 観客は、男性3人。 戦争映画を敬遠したのでしょうか、 女性は、いませんでした。 筋書きは単純ですが、良くできています。 ドイツ軍の誇る潜水艦、 Uボートの脅威を取り除くためには その暗号を解読せねばならない。 それには、 Uボートを偽装した潜水艦で 敵のUボートに近づき、 制圧して 暗合機を入手すべし。 その重要任務を受けたのが 連合軍の潜水艦S−33の 副館長のタイラー大尉。 このひと、艦長になりそこねて、 腐っています。 「艦長は、非情であれ」、 「艦長は、迷うことなく命令せよ」 タイラー大尉は、 部下に慕われてはいますが 厳しさに欠けると 上官に判断されていたのです。 戦闘で破壊されて 漂流中のUボートを発見。 成功裏に制圧しますが、 Uボートを救助にきたドイツのUボートの 魚雷を受けて、あえなくS−33は撃沈されます。 漂流中の敵のUボートに乗り移ったまま。 生還を狙います。 しかし、味方からはUボートは敵艦と思われますし、 いつ何時、ドイツ軍に Uボートに乗っているのが敵の連合軍兵士であると 見破られるか、分かりません。 最悪の事態が起きました。 敵に正体を見破られ、 巨大な巡洋艦の攻撃にさらされたのです。 さて、このUボート、 機械名は、すべてドイツ語なので、 操作の仕方がわかりません。 しかも、タービンのひとつは故障中。 攻撃用魚雷も残るは、ひとつだけ。 深く潜水すると、漏水が激しくなります。 ボロボロの潜水艦を駆使して 敵の水中爆弾攻撃から逃れるために、 タイラー大尉は、 死んだ艦長に代わって指揮をとることになります。 部下からは、白い目で見られ、 決断できず、 絶対絶命。 あとの筋書きは、例によって省きますが、 手に汗にぎる展開の映画でした。 タイラー大尉を演じたマシュー・マコノビー、 クロフ軍曹を演じたハーベイ・カイテル いずれも熱演でしたし、 撮影監督のオリヴァー・ウッドの人物描写も見事でした。 脚本も書いた監督、ジャンサン・モストウは この映画が第2作とは思えない指揮ぶりでした。 CGを使わないで、 潜水艦の英姿をドラマティックに描き、 爆破される敵艦の火災炎上シーン、 海の美しさ、大きさ を描ききった姿勢と力量にも、 好感をもちました。 オトーサン、 「5つ星かなあ」 と何度も思いましたが、 4つ星としました。 結局、 いま何故、 戦争映画なのかということでしょうか。 第2次世界大戦では、 わが国だけでも、 300万人が戦死したという重い事実は いつまでも語りつがねばならとしても... オトーサン、 帰路、台風による大雨に遭遇。 路肩は、すべて冠水状態。 車が水没して、Uボートになりそうでした。 対向車の水飛沫で、何度も前方が見えなくなりました。 オトーサン、 「タイラー大尉の苦労に比べれば、こんなもの、目じゃない」 そう思いました。 ところが、 次は、ドシャブリの雨で、全くの視界ゼロ。 雲の上にまで、 潜望鏡でも出さないと運転できない事態に。 しょうがないので、路肩に車をとめて 雨の襲来が去るまで、待機するのを 決断。 でも、恐かったですよ。 いつ何時、そそっかしいクルマが 突っ込んでくるのかわからないもの。 でも、名古屋の記録的な大水害で ほんとに水没したクルマに比べれば、 オトーサンの水難は、軽微なものでした。 被災した方々に、心からお見舞い申し上げます。


長崎ぶらぶら節

オトーサン、 ここだけの話しですが、 吉永小百合はライバルです。 「何だって? 天下の美女が なぜお前のライバルなんだ?」 よくぞ聞いてくれました。 大分前のことですが、 どこかの新聞に、 小百合さんも水泳をやっていて 1000メートル の記録が、24分と出ていました。 オトーサン、 当時、22分30秒を出していましたから 吉永小百合さんを上回っていたのです。 今は、 シドニーオリンピックの真っ最中。 競泳は、花形種目のひとつです。 オトーサンだって 赤道ギニアに生まれていたら、 オリンピックに出場できたのです。 ねえ、そうでしょ。 エリック・ムサンバニ選手の 100メートル、1分52秒くらいならば オトーサンのほうが上。 吉永小百合さんだって、 赤道ギニアに生まれていたら 努力次第では、オリンピックに出られたかも。。 そんな縁で オトーサン、 吉永小百合さんの映画は、大体見ています。 「キューポラのある街」 「天国の駅」 邦画はみないことにしていますが、 吉永小百合さん主演となれば、 話は別です。 この長崎ぶらぶら節、 吉永小百合主演とあったので 早速、見に行ってきました。 いやあ、 オトーサン、 驚いたの何の。 その日は、敬老の日?かと思いましたよ。 そんなはずはない、 今日は、9月19日。 それでは、 老人会の映画鑑賞会開催かなあと思った程です。 それほど、 オバーサンばかり、 それもヨレヨレのおばあさんばかり。 吉永小百合の熱烈なフアンのことを 昔は、サユリストといったものですが、 あたり一面、老サユリスト。 映画がはじまって 吉永小百合さんが 長崎は、丸山の芸者姿で登場。 老残、 姥桜、 オトーサン、 小百合さんの 年老いた顔、化粧でも隠せぬ 皮膚のつやの衰えに 胸をどつかれたような気持ちになりました。 「小百合ちゃんも、もう年なのだ!」 映画は、 長崎の異国情緒たっぷりな風景を 鮮やかに描写します。 有名な眼鏡橋や思案橋。 料亭・花月。 長崎くんち、龍おどり。 オトーサン、 芸者遊びなどしたことはありませんが、 主演の渡哲也さんが扮する 万屋12代目の古賀十二郎が 財産を蕩尽すべく、 長崎中の芸者を座敷に呼びよせるシーンで 「総あげ」 なるものを、はじめて見ました。 高島礼子さん、原田智丗さんなど 40数人の美人女優が 派手な和服を着て 一度に出演しているのですから、 そのあでやかなこと 目をみはりました。 おもわず、 「嗚呼、日本の伝統文化のすばらしさよ」 なんて思ってしまいました。 長崎の観光映画としては、 最上のものではないでしょうか。 何でも、通常10月に行われる おくんちを撮影のために わざわざ6月にやったとか。 でも、肝心の主題が不完全燃焼でした。 というのは、 吉永小百合扮する丸山の芸者、愛八と 万屋12代目の古賀十二郎との純粋な愛という主題が さっぱり伝わってこないのです。 大きな原因は、 好漢、渡哲也の力不足。 かれは 豪商・万屋12代目であるよりも 学者として生きることを選び、 長崎に残る歌を記録し、 後世に伝えようという情熱に燃える人物なのです。 ですから、 芸者・愛八との恋に のめりこむようなタイプではないのです。 学問最優先。 その姿勢が、渡哲也さんからは伝わってこないのです。 あくまでもかっこいいボンボン。 明らかにミスキャストです。 昨日、亡くなられた三国一郎さんか これももう亡くなられた山村聡さんならば 知的な面が出せたかもしれません。 もうひとつは、 まさか 国民的女優、吉永小百合を 体を売る商売である芸者・愛八として 汚れ役にするなどということは とてもおそろしくって出来ないという事情です。 ですから、 古賀との愛を、 純粋な精神の愛として燃焼させようとする 肉体の愛と精神の愛というコントラストが まったく伝わってこなかったのです。 でも、 TVドラマ界の重鎮、深町幸男さん、。 これが映画監督、第1作ということですが、 テンポのよい場面のきりかえは、 お見事でした。 あと、 サユリストには、 吉永小百合さんの土俵入りという 大サービスも見逃せません。 藤島親方(お兄ちゃんの若乃花)の指導を受けました。 そんな縁もあってか 小百合さんが横綱審議会委員に推薦されたと 新聞に出ていました。 このところ、 大相撲人気が落ちてきているので、 男性ばかりで女性がひとりもいない審議会に 小百合ちゃんを入れてみようという陰謀です。 これを断ったと聞いて、 オトーサン、 小百合ちゃんが気に入りました。 吉永小百合さんは 公私ともに いつまでも、 世の陰謀に荷担することなく、 春の小川のように、サラサラ流れていてほしいのです。 実は、 オトーサン、 子供の頃、 近くに住んでいたこともあって 幼い頃の小百合ちゃんの家を知っているのです。 東京は、渋谷。 小田急線・代々木八幡駅のそばの平凡な民家。 それが、小百合ちゃんの実家でした。 そばには、 小川が流れていて、 そのほとりには、 歌碑が立っていて 「春の小川の碑」とありました。 この小川のほとりで、 名前は忘れましたが、 高名な作詞家が 小学唱歌、「春の小川」の歌詞を 思いついたそうです。 ですから、 サラサラというのは、 小百合ちゃんの DNAとなっているはずなのです。 小百合ちゃん、頑張れ。 お互い、とも白髪まで、映画とかかわっていこうね。 参院選挙なんかにかつぎだされても受けちゃダメですよ。


ミュージック・オブ・ハート

オトーサン、 たまたま ヒマができました。 このところ旅行に行っていて しばらく映画から遠ざかっていたので、 何か見ておくか。 でも、上映中の映画は、大体みています。 残った映画は、題名を見るだけでも、 ヘドが出そうな駄作ばかり。 こんなのを見るくらいなら、 シドニーオリンピックを見ていたほうが、まし。 タダのうえに、はるかに興奮させられます。 そこで、唯一、面白そうだったのが、 この映画。 何となく、 題が 「サウンド・オブ・ミュージック」に似ています。 オトーサン、 パンフレットが700円というので、 びっくり。 「やけに高いなあ」 場内に入って また、びっくり。 大勢のひとがいるのです。 それも、性別、年齢がバランスよく。 こんなことは、滅多にありません。 そして、 字幕翻訳が戸田奈津子さんとあって またまた、びっくり。 「戸田さんが引き受けているのか。それじゃ、名画だ」 さて、 オトーサン、 いつもストーリーは、紹介しないことにしていまので 今回も、映画のもとになった実話だけを紹介しましょう。 主人公の女性は、 夫が海軍に勤務している関係で、 あちこち引越しをして、 キャリアがズタズタになってしまっては、いるものの 2人の子供にも恵まれて 幸せな人生を送っています。 ところが、 幸せは、長続きしないもの。 夫が裏切って、彼女の親友といい仲になってしまいます。 離別のショックは、子供達にも暗い影を投げかけます。 そんななか、生活していくには、働かねばなりません。 スーパーで、リボンかけのパート。 そんなとき、偶然に昔のクラスメートに出会い、 彼の紹介で、ようやく 公立小学校の音楽の臨時教師の職を得ます。 最初の授業。 こどもたちは、 バイオリンの弓でチャンバラごっこをはじめる始末。 てんで、教師のいうことなど聞こうともしません。 何しろ、場所は、ハーレム。 黒人やラテン系のひとびとの吹き溜まり。 毎日、銃声がひぎき、ゴミが学校に投げこまれます。 主人公のロベルタ・ガスパーリは、孤軍奮闘します。 同僚教師のそねみ、妨害。 子供の親の無理解。 事故や病気などクラスを離れる子供が続出。 そんななか、 ようやく、こどもたちは 「キラキラ星」をマスターして、 学校の講堂で、父兄の前で演奏します。 オトーサンの脳裏を、 これとまったく同じ光景が横切りました。 いまはもう立派に成人して ロンドンで勉強している娘ですが、 あの頃は、奥方や先生に、 叱られぱなし。 厳しい練習に、 涙、ナミダ、なみだ。 ようやく、 どこかの会場を借りての演奏会。 黄色い衣装を着せられた娘が、 顔を引きつらせて引き始めます。 キラキラ星。 うまいとはいえません。 それでも無事に演奏し終えたとき、 隣に座っていた奥方のなみだをみて オトーサン、不覚にも涙。 もう20年ほど前のことです。 ロベルタの教室にも10年の年月が流れました。 いまや、彼女のクラスはハーレムでは、大の人気。 生徒は、3学校150名にまでふくれあがり、 抽選でないと、入れません。 愛かろうものなら、 親も子供も、まるで慶応幼稚舎に合格したような喜びよう。 苦節10年、 ロベルタの人生にも、ようやく明るさが見えてきました。 ところが、 市の教育委員会は、 財政難を理由に 芸術・音楽のクラスの廃止を決定します。 ロベルタのクラスも、当然、消滅。 しかし、 ロベルタは、立ちあがリました。 父兄の支援を受けて、チャリティ・コンサートを開き その収益金や寄付金でクラスを存続しようとしたのです。 有名なバイオリニスト、 アーノルド・スタインハートは、 妻の写真家ドロテアの友人、 ロベルタから送られてきた寄付を募る手紙を 長いこと机の上に置きっぱなしにしていました。 何かをしなければと思ってはいましたが...。 ある時、ロベルタに会いに行きます。 「驚いたことに、ロベルタと話していたら、 彼女の子供たちが集まり、ヴァイリンを弾きはじめたんだ。 まるで、蜜蜂の群れのように、 あっちで群れて、 こっちで群れて...。 その演奏ときたら、実にすばらしかった。 そして、かれらは本当に楽しそうだった。 あれは胸が踊るような楽しい瞬間だった。 その時、私は、 「ああ、これは絶対に何か手助けしなければと思ったんだ」 彼の尽力で、有名な音楽家達が、 ロベルタのコンサートに出演することになったのです。 ロベルタと子供たちの猛練習に拍車がかかります。 ところが、予定していた会場が 事故のために、使用不可能になります。 切符も売ってしまったし、さあ、どうしよう。 急なことで、代わりの会場のあてもありません。 絶対絶命。 暗い表情で支援者たちと善後策を協議している部屋へ 写真家ドロテアが飛びこんできます。 「いいニュースよ」 夫がアイザック・スターンに話してくれ、 その結果、 何と カーネギーホールが使えることになったのです。 飛びあがって喜んだロベルタは、 早速、スターンをカーネギーホールに訪問します。 オトーサン、 昔、かれの演奏をカーネギーホールで聞いたことがあります。 精悍な風貌でした。 繊細にして大胆な演奏が気にいって、 CDで、サターン演奏の4大交響曲を買ったほどです。 そのスターンが、 この映画に、 しかも館長として出てきたので、 びっくりしました。 年のたつのは、早いもの。 もう80歳の好々爺、 背も小さく、丸くなっております。 彼は、1955年に リンカーンセンターができて、 カーネギーホールが取り壊されそうになったとき、 猛烈に運動して、それを取りやめさせ 市に購入させたことで 総館長に就任していたのです。 オトーサン、 驚きます。 「知らなかった。 彼が、そんなにいいことをしていたとは」 スターンが、 無人の カーネギーホールの舞台中央に立って、 ロベルタを演じるメリル・ストリープに 客席を指していいます。 「ここに立って じっと耳を澄ますと、 1891年のこけら落としでの チャイコフスキーの演奏が聞こえる。 あそこから、ハイフェッツ。 そこからは ホロヴィッツのピアノが聞こえる。 彼らは、みな、ここに立つものを歓迎してくれている。 それがカーネギーホールだ。 君もその一員だよ」 そう語るのを聞いて、 オトーサン、 胸の鼓動が高まりました。 自分が出演するわけでもないのですが。 そんなことで、 ロベルタとその教え子たちは、 内外の有名演奏家たちと 1993年10月25日 カーネギーホールの舞台に立ったのです。 ロベルタを演じるメリル・シトリープが 子供達にいいます。 「いつもの通りに弾けばいいのよ。 私を見て、客席を見ちゃダメ。 あなたたちは、すばらしい演奏ができるのだから」 そして、自分の胸に手を当てて 「ここで弾くのよ」 この映画の題名である 「ミュージック・オブ・ハート」は、 ここから取ったのでしょう。 見終わって、 周囲をみると、 女子高生2人が真っ赤に目を泣き腫らしていました。 実は、 オトーサンも、 すこし泣きました。 だって、 この映画のチカラで、 市の教育委員会は、 芸術・音楽の授業再開を決定したのです。 みんなが力をあわせれば、 大きなことができる。 明るい未来が見えてくる。 監督は、ウエス・クレイブン。 ホラー映画「スクリーム」で有名ですが、 ロベルタの活動に賛同して参加しました。 主題歌を歌っているのが ラテン・ポップスの女王といわれる グロリア・エステファン。 「エピータの主役」を断りました。 「大作の主役なんて興味はないの。 ずっと出演する意義のある映画の薬を探していたわ」 その他、 プロデューサーをはじめ、 大勢の音楽家、出演者、スタッフが みんな賛同して参加したのです。 オトーサン、 心からうれしくなりました。 映画は、単なる娯楽だけではないのだ。 映画は、無名の英雄たちの奮闘を伝える手段でもあるのだ。 実は、 オトーサン、 この原稿を テレビをみながら、書いています。 スタジアムに高橋が先頭で入ってきた瞬間 地響きのような大歓声。 「高橋、金メダル!」 世界的には無名に近かった高橋尚子さんが シドニー・オリンピックの女子マラソンで、 金メダルをとりました。 アナウンサーが、聞いています。 「緊張しなかったですか?」 「緊張というより集中していました。 沿道ずうっと、みんなの声援が途切れることがなくて 心強かったです」 オトーサン、 つぶやきます。 「そうなんだよなあ。 映画もそうだけれど、 ドラマは総合芸術なんだ。 みんなが力を会わせて作るから、 意外で、刺激的なのだ。 そして有益でもあるのだ。 それがたまらない映画の魅力なのだ」 生きる喜びを、感じさせてくれるのだ」


パトリオット

オトーサン、 長い間、映画をみていますが、 今日は、生まれてはじめての出来事が起きました。 映画館は茅野。 早目に茅野周辺に行ったので、 自動車デーラーで新車を冷やかしたり、 回転すしで時間つぶしをしたりしていたら、 12時20分。 12時30分から上映開始。 あと10分になってしまいました。 慌てると、ロクなことはありません。 道を間違えて、 「茅野新星劇場」 への到着は、12時35分。 飛びこんで、 受付のオバサンに、 「予告編の時間ですか?」 「いえ、すぐはじめます」 変な返事だなあ。 オトーサン、 劇場に入って気付きました。 誰もいません。 オトーサンだけの貸し切り。 誰もいないので、 オバサンは、 上映を取りやめようとしていたのです。 はじまりました。 しかし、 字幕は、出ているのですが、 音がまったく聞こえません。 オートーサン、 観客がひとりだから、 音はケチッたのかなあと思いました。 しばらく我慢してから、 外へ出て、 「オバサン、音が出ていないよ」 と忠告しました。 さて、音も出て、 ようやく普通の観賞体制になりました。 最初の場面は、 市民があつまって イギリス軍と開戦するか否かを議論しています。 主人公のマーチンは、 フレンチ・インデイアン戦争での英雄ですが、 反対します。 「これまでの戦争は、開拓地や原野だったが、 今度の戦争は、家の周りだ。子供達も巻き込まれる」 「臆病者!」 マーチンは、周囲のひとびとだけではなく、 息子たちからも軽蔑されます。 反対を振りきって 長男は、志願して前線へ。 ところが、 彼は、怪我をして、 家に逃げ帰ってきます。 英軍が追いかけてきて、彼を逮捕。 捕虜になった男達を目の前で射殺しようとします。 次男がたまらず、妨害に行って 逆に射殺されます。 家も、火を放たれて、燃やされてしまいます。 家族を失って、 マーチンは、ついに、立ちあがります。 銃3丁を炎上する家から持ち出し、 幼い息子2人にも手伝わせて、 英軍を襲います。 20人全員を射殺し、長男を奪還します。 あとのストーリーは、 例によって省略しますが、 この映画、アメリカの独立戦争が舞台。 これは珍しいようです。 名画「風とともに去りぬ」は、南北戦争。 名画「地獄の黙示録」は、ヴェトナム戦争。 名画「プライベートライアン」は、第二次世界大戦。 そうした戦争映画のなかで、 特色を出すには、 国家のためではなく、 家族愛から、男は銃を取るという メッセージが新しいのでしょう。 ところが、 どうも、 監督はそういうメッセージよりも、 ラブシーンや戦闘シーンが好きなようです。 それが延々と続きます。 オトーサン、 2時間20分を回ったところで、 猛烈にトイレに行きたくなりました。 なかなか終わりそうもなく、 誰もいないことをいいことに、 立ちあがって 劇場内をウロウロ。 ついに、我慢しきれずにトイレにいきました。 何だか後ろ髪を引かれる思いでした。 だって、 せっかく上映しているのに、 誰も見ていないなんて。 無人状態なんて....。 戻ってくると、 もう、エンデイング・タイトルが流れていました。 オトーサン、 スッキリしたためでしょう、 「実にいい音楽だなあ」 と思いました。 この映画、 インディペンデント・デイやGODZILLAを手がけた ローランド・エメリッヒ監督の作品ですが、 どうも この監督は、 絵空事が好きなようです。 マーチン役のメル・ギブソンが 大熱演すればするほど、 空回りが激しくなっていくのです。 でも、 昔の教会や風格のある家々、 女性たちの華麗な服装、 広角レンズを駆使した戦争場面など 画面は、風格があって、見事なものでした。 何でも、撮影を担当したのは、 カレブ・デシャネル。 最近では「アンアと王様」を撮りました。 それにしても、 昔の戦争は、悠長なものです。 赤い軍服を着た英軍と 黒い野良着を着た民兵が 隊列を組み、合図しあって 相手を一斉に銃撃。 最前列のひとが、バタバタと倒れます。 それを繰り返すのです。 関が原の戦いの 「遠からんものは......」 みたいに名乗りをあげるヒマもありそうです。 でも、 でも....、 オトーサン 笑えませんでした。 この映画から得た貴重なメッセージは ただひとつ、以下のものです。 「最前列に出たら、死ぬ」 時代は、変わっても、 場所も、変わっても、 人間のやることには変わりはありません。 だって、 日銀の元理事が 経営破綻した日債銀の 社長を引き受けさせられて 半月後には、 もう自殺したケースを 思い出させられるではありませんか。 後ろに隠れている 日債銀を食い物にしてきた政治家たち、 実質的オーナーの ソフトバンクの孫さんや オリックスの宮内さん、 なぜか このひとたちが、 生き残るようになっているのです。 どうやら、 昔から、 戦い方は、 すこしも、 変わっていないようです。


オータム・イン・ニューヨーク

オトーサン、 この映画の題名に いたく刺激を受けました。 娘が、かの地に住んでいる関係で 何度も行っています。 春休み、夏休み、冬休みには行きましたが なぜか、秋休みというのがないので、 ニューヨークの秋を、味わったことはないのです。 ここまで書いて、思い出しました。 そうそう1回だけ行ったことがある。 出張で、ニュージャージーにある リーダース・ダイジェスト社を見学に行った時でした。 オフィスを想像していたら、林間の大邸宅。 時は、10月半ば。 まるで、紅葉狩りにきたかのようでした。 公用で紅葉が見られて、気分が高揚しました。 (このシャレわかるかな) もう一度、あの真っ赤な紅葉に包まれたい オトーサンが、そう空しく願っているというのに 時間の自由のある奥方ときたら、 10月に入ったら ニューヨーク、そしてカナダに 紅葉狩りに行くのです。 オトーサン、 うめきます。 「くやしいなあ。 せめて映画で欲求不満を解消するか」 さて、劇場は、女性でほぼ満員。 満員に近い映画館は、久しぶりです。 若い女性から中年まで、女性ばかり。 そうなのです。 この映画は、ラブ・ストーリーなのです。 オトーサン、 つぶやきました。 「これだけ大勢の女性が、欲求不満なのか」 とはいえ、 オトーサンにすがって 欲求不満を解消してもらおうという女性も 見当たりません。 だって、隣の席にいるのは、 ここでは唯一人と思われる若い男でした。 冒頭のシーン、 紅葉のセントラル・パークを 静かに肩を寄せ合って歩む二人。 「おお、リチャード・ギアだ」 年をとっても、やっぱり、素敵だなあ」 女性たちが、どよめいたようです。 何たって、 「愛と青春の旅立ち」」(1982年) のリチャードギアは、素敵でした。 それに先立つ1980年の 「アメリカン・ジゴロ」での アルマーニを着こなしかたも見事でした。・ 以来、アルマーニが すっかりハリウッドで流行したのです。 オトーサンも一着だけ背広をもっていますが、 信じられないほど軽くて、着やすいのです。 この映画でのリチャード・ギアは プレイボーイなのです。 和風に言えば、好色一代男。 49歳にもなるのに、 家庭ももたず、 子供もいず、 刹那的な後腐れのない恋愛を繰り返しています。 今日も、紅葉の落ち葉で埋め尽くされた 公園の小道を歩きながら、 別れ話を切り出すタイミングを見計らっています。 彼は、有名レストランのオーナー。 ロバート・デニーロが経営している トライベッカ・グリルのように いつも超満員。 挨拶に回っているリチャード・ギアの目に 誕生祝いをしてもらっている若い娘が目に入ります。 彼女は、22歳の帽子デザイナー。 そして、昔、愛し合って別れた女性の子供。 母親にそっくり。 例によって、 これ以上、筋の紹介はしませんが、 この親子ほど年の差のある二人の間に はたして、 真実の恋は 生まれるでしょうか。 監督は、 「シエイシエイの恋」で鮮烈なデビューをした 1961年上海で生まれのジョアン・チェン。 「はじめてニューヨークにきたときの感激を 空9飛ぶ天使の目で映像化したかった」 というねらいは、完全に成功しています。 オトーサン、 見終わって、 殺伐としたニューヨークというよりも 情緒のあるパリみたいだなあ」。 これには、カメラワークのマジックも 大いに寄与しています。 光にゆらめくガラス窓、鏡、海面、プール、シルクのドレスなど 撮影監督は、クー・チャンウエィ。 アカデミー賞優秀撮影賞ノミネートの実力派です。 そして、 ヒロインを演じるのは ウィノナ・ライダー。 オトーサン、 はじめてお目にかかりましたが、 少女と成熟した女性の両面を見事に演じていました。 黒い短くカットした髪が印象的でした。 オトーサン、 昔、オードリー・ヘップバーンが ローマの休日」 や「テイファイーで朝食を」で 大ブレークして その髪形が大流行したのを 思い出しました。 「このウィノナ・ライダーの髪形も 日本で流行するといいのだがなあ」 だって、彼女、本当はブロンドなのに 黒髪に憧れて、若い頃から 黒く染めているというじゃありまんか。 昔から、 「髪はからずの濡れ羽色」 といわれて、 濡れた黒髪は それはそれは素敵なのです。 それを若い日本女性が忘れているのが とても残念です。 まあ、素敵な映画でした。 若い女性は、一度、見にいくといいですよ。 若い男性は、くどきのテクニックを教わるつもりで ひとりで見に行ってください。 絶対に、カップルでは行かないように。 どう考えても、君よりもリチャード・ギアのほうが 素敵だと彼女が思うはずですから。


マルコヴィッチの穴

オトーサン、 秋の映画シーズンがはじまって、 新作が続々と登場。 忙しいの何の。 1週間に1本のペースでは、とても追いつけません。 そこで、今日も寸暇を惜しんで、映画館へ。 「マルコヴィッチの穴? 変なタイトルだなあ」 インターネットで映画評をみても、ちんぷんかんぷん。 「ドタバタ喜劇かなあ?」 「でも、世界各地で受賞しているみたいだし」 そこで、上映の30分前に映画館に行って パンフレットを買いました。 受付のおばさんに切符をみせて 「あとで見にきます。予習したいので パンフレットを売ってください」 ところが喫茶店では 週刊文春の記事のほうに気がとられました。 「日債銀社長、自死の真相」 とあっては、映画パンフレットどころではありません。 「フムフム、そうかやっぱりなあ。 この前、パトリオットの映画批評で書いた通りだった」 「死ぬくらいなら、 社長なんかやってられないよといって 真相を暴露して、辞任してしまえばいいのになあ」 オトーサン、 そんな風だったので あと、5分というところになって、 ようやくパンフレットに目を通します。 「ほーっ、アカデミー賞3部門ノミネートか。 そりゃあ、すごい。 監督賞、脚本賞、助演女優賞か、 何? スパイク・ジョーンズ、 この監督、まだ31歳だって。 へえ、若いなあ」 そんなことで、 もう予告編の上映がはじまっていて 真っ暗な劇場に入ります。 前から3列目の中央、 当然、見ているひとの邪魔になります。 「じゃまするのも、ひさしぶりだなあ」 このところ、いつもガラガラの映画か、 予告編のはじまる前に見ています。 さて、 映画の冒頭のシーンは、 人形劇です。 その人形の示す愛憎が、 ほんものの人間よりも ずっと真に迫っていて、 オトーサン、 「こりゃ、見たこともないすごい映画だ」 と引きこまれます。 例によって、 ストーリーの紹介は、省略しましょう。 でも、監督自身の脚本についての コメントを書いておきましょう。 「この作品は、ニューヨーク、人形劇、悲劇的な結婚、 チンパンジー、上司、受付嬢、もうひとりの女、俳優、 ニュージャージーの高速道路、ラザニア料理の話だってさ」 この映画、 騙されたと思って、見にいってください。 大傑作。 21世紀の映画はこうなる。 それを予感させてくれます。 「でも、いくら何でも、それじゃ、分からない。 見に行っていいのかどうか。お金をはらうのだから」 そうですよねえ。 じゃあ。もう少し粗筋をご披露しましょう. 主人公は、 売れない人形師。 妻にせっつかれて、定職を探します。 求人広告で探しあたてたのが、 手先の器用なひとを求むでファイル係。 早速、その会社に行きました。 オフィスは、ビルの7階と2分の1にあります。 「71/2?」 そうなのです。 7階と8階の間。 天井の高さは、通常の半分。 背を屈めないと廊下も歩けません。 いるのは変なひとばかり。 ある日。 キャビネの向こう側に書類を落としてしまいます。 キャビネを動かして、書類を発見。 すると、扉がありました。 おもしろいので、開けると 穴。 おもしろさ半分、恐さ半分で 穴に入っていきます。 すると、 ああ....。 もういいでしょう。 あとは、ご自分で体験してください。 オトーサン、 「こりゃ、5つ星だ」 見終わって場内を見回すと 何と若いカップルだらけ。 ほぼ満員。 NHKのTVなどのダルな映像にあきあきじた 若者たちが、 31歳の若手監督の鮮烈な映像世界に 触れようとやってきているのです。 オトーサン、 東京に行くので、 名古屋駅の構内を歩きました。 いつもと全く変わらない光景ですが、 マルコvッチの穴を通ってしまった オトーサンには、 安手の背広を着た操り人形がゾロゾロ歩いているように 見えました。 みんな自分の意思などないのです。 そういえば、 日債銀の社長と激しく対立した オリックスの専務さんも 背後にいる誰かの操り人形だったにちがいありません。 命令に忠実なあまり、 自殺に追いこむような激しい言動をしたにちがいありません。 オトーサン、 つぶやきました。 みんな「マルコヴィッチの穴」を見ようよ。 自分を見失っている人たち、 この映画をみて 正気になろうよ。 自己責任とか金融改革とかリストラとか アメリカのいいなりはやめようよ。 同朋を死に追いこむなんて アメリカかぶれもいいかげんにしなよ。


キッド

オトーサン、 今日は、 白内障の手術前検査の日。 朝の9時45分に病院に行って、 検査終了は午後1時半。 疲れました。 食事をとっても、 まだ薬で瞳孔が開いたまま、 視界不良。 それでも、 映画を見ようというようのですから われながら、 執念を感じます。 ベートーベンが聞こえない耳で月光を作曲し、 松本清張さんが見えない眼で晩年の作品を書く。 執念って、こういうものでしょうか。 場所は、丸の内ピカデリー。 有楽町は、マリオン。 まあ、土曜の午後とあって、 1Fの切符売場には行列。 入れ替え制とあって、9階の劇場前の階段に並びます。 行列が伸びた分だけ、どんどん階段を上る羽目になります。 オトーサン、 つぶやきます。 「ひさしぶりだなあ、並ぶなんて」 あたりを見まわすと、若いカップルだらけ。 週末のデートに 有楽町で会いましょう 映画でも見ましょう。 懐かしい光景です。 オトーサン、若い頃を思い出しました。 こういうときは、 人畜無害な映画に限ります。 オトーサン、 前から3列目の中央の席を確保。 目の前の巨大スクリーンを見上げる場所です。 もう少し後ろの席のほうがいいのですが、 今日の目の状態からすれば、まあしょうがないでしょう。 劇場内では、 新幹線の車内のように、 若い売り子のカップルが ポップコーンとお茶のペット・ボトルを売り歩いています。 さて、映画がはじまりました。 赤い複葉のヒコーキが飛んでいます。 それを背景にして、タイトルが次々に映し出されます。 この導入部は、悪くはありません。 次は、本物のヒコーキの機内。 ブルース・ウィリス扮する イメージ・コンサルタントの ラスは、 隣の席の女性から話かけられます。 質問に答えるとナンボというのが、コンサルタント業。 口をきくのもソンというのが、彼のスタンス。 こんな風ですから、39歳にして、まだ独身なのです。 そんな彼が、唯一心惹かれているのが 撮影アシスタントであるエイミー。 今日の仕事は、 プロ野球のオーナーで 悪いことをした奴のイメージを一新するためのビデオ撮影。 子供達を大勢集めて、 オーナーに向かって パイを投げさせるという趣向です。 「あいつも気の毒だなあ」と思わせて イメージ・コンサルタントの仕事が成功というわけ。 そんなビデオを撮影する彼に エイミーは、三下り半を突きつけます。 「あなたって、サイテーね」 そこで、ラスは、撮ったばかりのビデオを ポイとゴミ箱に投げ入れます。 エイミーは、言います。 「ステキ、付き合ってあげてもいいわ」 たまには そんな風に、いいこともありますが、 彼の仕事中毒からくる神経症は、いっそう嵩じていきます。 ある夜、 自宅の警報機が鳴ります。 用心のために野球のバットをもって、 玄関に行くと 赤いヒコーキの模型が置いてあります。 次の日の夜。 また、また警報機。 今度は、賊は室内に侵入した模様。 賊を発見。 何と赤いシャツを着た肥った子供。 ブルース・ウィリスにそっくりの子供です。 実は、その子は、8歳のラスなのです。 そんなはずはないと、ラスは思います。 オトーサンも思いました。 誰だってそう思うでしょう。 でも、映画だから、所詮、絵空事。 手早く納得させてほしいのですが、 その子が自分だと納得するまでのイキサツが やけに長いのです。 オトーサン、 目が疲れているので このあたり、うとうとしてしまいました。 目が覚めると、 子供が 「僕は、いじめられている。何とかして」 とラスに頼んでいます。 ラスは友人のボクシング選手に頼んで ケンカの仕方を教えてやります。 オトーサン、 「そうそう、オレも子供の頃いじめられたっけ」 と小学校低学年の頃を思い出しました。 泣きながら家に帰ってくると、 祖母に、しかられました。 「男の子だろ。ケンカに勝つまで家に入っちゃダメ」 しょうがないので、 クソ元気を奮い起こして、外に出ていきました。 死にもの狂いで闘っているうちに 足蹴りが有効と気付いて、 相手を蹴散らして、今度は、意気揚々と帰宅しました。 祖母はもういませんが、いい祖母でした。 子供は、エイミーとも仲良くなります。 ラスの子供の頃が分かって、 エイミーは、ラスにふたたび惹かれはじめます。 ところが、ふたりがキスをしようとするだんになって、 テレビには、間の悪いことには、 子供達にパイを投げつけられているオーナーが写ります。 「あなた、 あのビデオ、 ゴミ箱から拾ったのね。 サイテー!」 ラスが家庭を持つのは、また先のことになりそうです。 これ以上、映画の粗筋の紹介はしませんが、 この映画、 正直いって、 駄作でした。 今回は、子役に恵まれませんでした。 ただの憎々しいガキ。 可愛くないのです。 「シックス・センス」の少年は、 サイコーに可愛いかったのに....。 エイミーも下手。 監督は、ジョン・タートルトーブ。 中堅どころ。 ディズニー御用達では、甘い映画しかゆるされないのかも。 字幕翻訳は、戸田奈津子さん。 「へえ、戸田さんも駄作を引き受けることもあるんだ」 オトーサン、 せっかく、執念で見にいったのに、 残念でした。 若いカップルも、みな白けていました。 孫と見にきたおじいちゃんだけが、満足そうでした。 オトーサン、いいました。 「ブルース・ウィリスも、いい奴だけど、 出演作を選ばなくてはなあ」 オトーサンも、 つまらない映画は見ないように 注意しなくてはいけません。 時間とカネのムダ使いになります。


ボーイズ・ドント・クライ

オトーサン、 今日で3日連続の映画鑑賞。 今日は、新宿の文化シネマ3。 12時の上映開始までに ちょっと時間があったので、 パーカーのボールペンの芯替えでもしようと 三越に向かいまました。 「あれ、三越がない」 ルイ・ヴィトンになっています。 ティファニーにも正面を貸してしまって、 それこそ露天商くらいの狭いところが 三越の入口になっているのです。 「文房具売り場は、何階ですか?」 「ございません」 どうやら、三越は、もう百貨店ではなく 貸しビル業に転換したようです。 「昔は、包装紙も評判だったのになあ」 時代は、激しく変わっていくのです。 劇場は、ミニシアター。 数えると76席、入場者7人。 内訳は、中年女性2人、あとは若いカップル2組、 映画は、何やら、 昔、オトーサンがみた 「暴力教室」 「俺たちに明日にない」 風のザラザラした若者たちの生態描写でした。 舞台は、 アメリカ中西部。 ハイウエーと トレーラーハウスと ドラッグストアと バーしかない退屈そのものの田舎町です。 ここで起きた殺人事件を映画化したのが、この映画です。 主人公のブランドンは、 21歳の性同一障害者。 身体は女性ですが、気持は男性そのもの。 胸にきつく晒しの布を巻きつけ、 股間に張りをもたせるために詰め物をします。 髪は、超ショーット・カット。 顎が角ばっているので、 ジーンズを穿き、 煙草をふかしていると 角度や仕草によって、 少女にも、 女性にも、 そして 青年にも さらに ジェームス・ディーンのような あやうさも 見え隠れします。 「こりゃ、やはりアカデミー主演女優賞だ」 入魂の演技というか、 演技をこえた 存在そのものの ゆらぎが 何ともいえないキラメキを放つているのです。 かれは、 思いきって 故郷を捨てて 男としての自分探しの旅に出ます。 行き着いた町は、 フォールズ・シティ。 人口5000人。主な産業は農業。 そこで 彼は、 刑務所から出てきたジョンの仲間に入ります。 男と皆が思ってくれて ハイウエーを暴走してみたり クルマを牛に見立てて曲乗りをしたり 不良青年のやることすべてに挑戦します。 女の子たちも 「素敵!」 と近寄ってきます。 そのうちの何人かとはキスもします。 ある日 ブランドンは 美少女ラナに出会い、 ふたりは、激しい恋に落ちます。 狂おしく乳房をなで、ヴァギナをこするブライトン。 あえぐラナ。 そうです、 ブライトンは、女性を歓喜に導くことだって出来るのです。 ほんものの男なのです。 例によって これ以上の粗筋の紹介はやめますが、 ブランドンは、法律的には、女性です。 スピード違反から、女性であることがバレてしまいます。 それが、惨劇のはじまりでした。 オトーサン、 見終わって また三越の前を通りました。 よくみると、 GAPにも正面を貸しています。 「ギャップかあ、こんなところにもあるんだ」 考えてみれば、 世のなか、 ギャップだらけではありませんか。 親は子と、 夫婦は相手と、 教師は教え子と 分かりあえず、 深いギャップに苦しんでいます。 性、 年齢、 学歴、 収入、 職業、 ライフスタイル、 価値観のギャップ。 世界が広くなっなのて これに 宗教、 人種、 言語、 のギャップが加わりました。 そんななかで、相手に偏見を抱かずに 生き延びていくというのは大変なことです。 オトーサンの目の前、 歩行者天国で オカリナで 「コンドルは飛ぶ」 の素敵な演奏をやっていた外国人グループが、 警官に退去を求められていました。 オトーサン、 慨嘆しました。 「NYでも、パリでも、ロンドンでも、OKなのになあ...」 日本は、 まだ、 何かと 異邦人や変わり者には、住みにくい場所のようです。 この映画をつくったのは、 キンバリー・ピアースという うら若い女性監督です。 アカデミー賞受賞は、 彼女の差別に対して闘う姿勢が高く評価されたのです。 さすが機会の国アメリカ。 オトーサン, 満足そうに述懐します。 「昨日のキッドはつまらなかったが、 今日のは面白かったなあ。 掘り出し物だった。 やっぱりコマメにチェックしなくては」 そんなことで 21世紀を担う 若い監督たちが輩出している アメリカの映画界は、当分要チェックです。


60セカンズ

オトーサン、 この映画、 予告編で何度もみて イヤな映画だなあ、車泥棒の話なんか どこがおもしろいのだと敬遠していました。 でも、 あちこちの映画館でやっているし、 上映中の映画は、 ほとんど見てしまったので しかたなく見に行きました。 受付嬢は愛想がなく、 客席にいるのは オトーーサンと若い男の2人のみ。 「失敗したか。見にこなきゃよかった」 ところが、 冒頭のタイトル・シーン。 どこまでも伸びるハイウエーが写って それが、時計の長針に変わります。 「ふーん、しゃれているじゃん」 オトーサン、 すこし機嫌を直しました。 物語は、 高級車を盗むプロ集団の暗躍するシーンから はじまります。 ところが、警察にバレて、盗難車20台あまりが没収。 怒った首領が、ドジを踏んだ男を 廃車と同じように スクラップにしようとして、 考え直します。 「そうだ、こいつの兄貴メンフィスは、 伝説的な車泥棒。 60秒あれば、 1台盗めるというじゃないか。 こいつの命と引換えに、車を手にいれよう」 ニコラス・ケイジ扮する メンフィスは、 もう足を洗っていますが、 弟の命を救うために、 48時間以内に高級車50台を盗めという難題を引き受けます。 ひとりでは無理なので、昔の仲間を呼びます。 なかには、別れた女もいます。 その名はスウェイ、アカデミー賞助演女優賞をとった アンジェリーナ・ジョリーがセクシーに演じています。 50台の高級車のリストは ベンツ、ポルシェ、ジャガー、ロールス・ロイス、フェラーリなど。 日本車も4台あります。 レクサス(セルシオ)、インフィニティ、スープラ、ランクル。 なかでも、メンフィスがご執心なのが、 エレノアと命名したシェルビー・ムスタングGT500。 メンフィスにとって、 車泥棒稼業のなかで何度も危ない目にあった 因縁のクルマです。 今度も同じでした。 タイムリミットが刻々ちかづいているのに エレノアを盗んだ時に 警察に見つかってしまったのです 何でもこのシーンのために、 エレノアを11台も用意したとか。 ニコラス・ケイジもカーキチなので 壮烈なカーチェイス・シーンを スタントマンに頼らずに、 ほとんど自分でこなしたということでさう。 圧巻でした。 過去最高のカーチェースではないでしょうか。 見終わって、 オトーサン、うなずきました。。 「ああ、おもしろかった。 俳優もみなうまい。 刑事役のデルロイ・リンドー、いつみてもうまいな。 くるま好きには堪らない映画になっている。 アメリカでは 「Mi-2」よりもヒットしたというが、 本当かもしれないなあ。 5つ星は無理にしても、4つ星はいける」 心地よい音楽が流れ、 エンディング・タイトルが続く間、 オトーサン、 じっと余韻にしたっていました。 ふと、後ろを見ると、 お掃除のおばさんが2人、待機中でした。 「早く帰れ」といわんばかりです。 どうせ、2人しかいないのだから ゴミなんかないのになあ。 せっかく ドミニッウ・セナ監督はじめスタッフたちが サービス満点の映画づくりをしているのに 一方では、この有様。 映画界不振の理由は、 受付嬢やお掃除のおばさんたちにも 顧客満足の精神が徹底されていないことにも 原因があるように思います。


シベリアの理髪師

オトーサン、 最初にこの題名をみたとき、 セヴィリアの理髪師の間違いかと思いました。 モーツァルトのオペラの名作「フィガロの結婚」に登場する あの滑稽な役。 それを、もじっているようです。 「何だかよく分からないが、 何となく面白そうだな」 それで、お出かけ。 待合室で絶世の美女に出会いました。 観客も多くはありませんが、 中年の上流階級らしき人ばかり これまでとちょっとちがいます。 さて、はじまると、 上空から撮影した シベリアの針葉樹林、 黄色く色づいて、まるで東山魁夷画伯の世界。 SLが煙をはいて、森林のなかを走っていきます。 「ふーん、一度、ロシアに行ってみるか。 シベリア鉄道に乗って 何日もかかって大陸を横断して、 セントペテルスブルグまで行く。 エルミタージュ美術館の名画を見る。 ロマノフ王朝の秘宝を見る。 ポリショイ・サーカスも見る」 何だか、とっても豊かな気分になってきました。 字幕翻訳は、戸田奈津子さん。 「こりゃ、名画かも」 舞台は、 19世紀末の 帝政ロシア。 若いアメリカ人女性が、列車に乗っています。 そこへ、士官候補生の一団がどやどやと乗り込んできます。 その一人が、トルストイ。 退屈をもてあましていた彼女は、 ウブな若者にシャンペンをすすめて誘惑。 酒が入ってよい気持ちになった若者は フィガロの結婚の一節を歌い出します。 そう、彼は士官学校で上演される 「フィガロの結婚」で セヴィリアの理髪師、フィガロを演じることになっていたのです。 つかの間の出会いでしたが。 トルストイは彼女を忘れられなくなってしまいます。 オトーサンだって、同じ。 だって、絶世の美女ですもの。 ドレスの下の白磁の肌。 若い白人女性のなかには、 神様がえこひいきをしているのではないかと思うほど きれいなひとがいますが、 まさに彼女がそう。 ヴィヴィアン・リーよりも オードリー・ヘップバーンよりも エリザベス・テイラーよりもきれいです。 彼女の名前は、ジェーン。 イギリスの女優、 ジュリア・オーモンドが演じています。 オトーサン、 すっかり夢心地。 こういうひとと一緒の時を過ごせるなんて 映画って、なんてすてきなんだろう。 何でも、 ニキータ・ミハルコフ監督は 当初、アカデミー賞女優で演技派の メリル・ストリープを予定していたそうですが、 ギャラが高すぎて、断念。 オトーサン、 胸をなでおろします。 「よかって、よかった。 もしそうなっていたら、 ジュリアに一生会えずしまいに終わるところだった」 ジュリアは、何と、あのグリーンピースの活動家。 国際捕鯨に反対したり、 ウラン燃料の輸送を阻止する 過激な団体の一員。 映画のなかで毛皮を着るシーンの撮影を拒否したそうです。 「いいな、いいな、元気な女の子は」 さて ジュリアのロシア訪問の目的は、 発明家マクラケンに依頼されて 研究開発資金をロシア政府から出させること。 彼女の魅力で、ラドロフ将軍に近づき、 アレクサンドル3世に紹介してもらって、 資金援助を求めることでした。 物語は、 ジェーンに対する将軍の恋模様と ジェーンとトルストイの純愛を 交互に描いていきます。 将軍の 士官を指揮する威厳に満ちた姿、 ウォッカに酔って、雪原で水浴びするコミカルな姿、 ジェーンへの結婚の申し込みをなかなか切り出せないウブな姿。 そうした将軍を演じるのは、アレクセイ・ペトレンコ。 名演技でした。 ロシア人の2面性を見事に演じていました。 さて、 トルストイ、 友人にジェーンとの間をからかわれて 決闘をし、負傷して 士官学校を中退しようと思いましたが、 ジェーンの説得で、思いとどまり、 晴れて卒業。 アレクサンドル3世の見守るなかで、行進をします。 このシーン、素敵でした。 軍隊きらいのオトーサンでも 「いいなあ、この厳粛なセレモニー、 シドニーオリンピックの開会式よりもいいな」 と思ったほどです。 ロシア陸軍の協力を受けたそうです。 国威発揚の国民映画の面も濃厚です。 何でも、 この映画の試写会には、 ゴルバチョフ元大統領も招待されたそうですが、 民主化の過程で弱体化した祖国の現状、 それに対して この映画で描かれる輝かしい栄光の昔を どんな気持ちで見られたのでしょう。 恋に狂ったトルストイは あろうことか、 アレクサンダー3世がお出ましになった 「フィガロの結婚」の上演中に 恋敵のラドルフ将軍に飛びかかります。 皇帝を襲おうとしたということで 投獄、シベリア送りの重労働の刑になります。 将軍の方は、 暴漢を防いだということで ご褒美。 ジェーンの希望も容れられて、 発明家マクラケンの機械への援助も認められます。 ジェーンは、仕事の目的は達成したものの、 7恋人を失ってしまっては、心はうつろ。 おまけに身体のなかには、 トルストイの子供が宿っています。 必死になって、トルストイを探しますが、 ようとして流刑先は分かりません。 そして、歳月は容赦なく流れて.... 題名の「シベリアの理髪師]の意味も 分かるのですが.... 例によって、これ以上の粗筋紹介はやめます。 いい映画でした。 オトーサン、 ひさしぶりに 文豪トルストイの大作、 「戦争と平和」を読んでいるような気になりました。 叙事詩の醍醐味を感じました。 映画は、歴史と文化の教科書である。 そうなのです。 ハリウッド製でない映画には、 何ともいえない民族のいい味があります。 名作でした。 それにしても、 アメリカ以外の映画を上映する機会が少ないのは、 おかしいと思います。


X−メン

オトーサン、 この映画、 アメリカで大ヒットと新聞で読みました。 何でも原作は、 アメコミ(アメリカン・コミックの略)の X−メン。 1963年に誕生以来、 今日まで4億冊も販売したとか。 スーパーマンをしのぐスゴイ売れゆき。 超能力者(ミュータント)の活躍がテーマだそうです。 日本でも、昔、 月光仮面や仮面ライダーが活躍しましたが、 超能力者って、 フツーの人間にとっては 憧れと畏怖の存在。 映画化すると、大体、大受けするのです。 しかし、 原作と映画は、別物。 原作を読んでいるひとと、読んで「いないひとの 両方を満足させるのは、きわめて困難です。 オトーサン、 近所の本屋に行って 翻訳でもないかと探しましたが、 なし。 比較のしようもありません。 そこで、 以下は、原作を知らないひととしての感想になります。 出だしに流れる テンポのよい音楽と 解説文。 「進化をとげてきた人類は 突然変異で、さらに進化する。それがミュータント」 そして、 いきなり、1914年のポーランドへ。 モノクロ画面で、 ナチスの兵士がユダヤ人たちを強制連行するシーン。 母と息子が行進させられる群集のなかではぐれて、 お互いを必死に探して、叫びあいます。 ようやく見つけたとき、 無常にも鉄の扉が締まって 親子は引き離されます。 少年が泣き叫びます。 手を差しのべ、もだえる母親。 そのとき、 突如、轟音をあげて 鉄柵がはじけ飛びます。 少年の念力が、爆発したのです。 かれは、実は、ミュータントだったのです。 人類の愚行への憎悪を貯めこんだ彼、 マグニートーは、やがて、 人類を撲滅する過激なミュータント・テロ組織 のボスになります。 さて 舞台は またまた変わって 現代のアメリカ上院公聴会。 ミュータントをめぐって ケリー上院議員が、 その脅威に対処するには 何らかの規制策、つまり登録制の導入が必要である と力説しています。 それに、対して 8頭身の女性(オランダの女優:ファムグ・ヤンセン)が ミュータントは人類に対立する存在ではない、 登録などしようものなら、新たな差別を作り出すことになると 反論します。 しかし、圧倒的に規制派が有利です。 これを傍聴席でみていた 過激派ミュータントのボス、マグニートーは、 良識派ミュータントのリーダー、エグゼビア教授に対して 「それみたことか。俺は人類と戦う、俺に構うな」 と言い放って、去っていきます。 またもや、画面は変わって、 愛らしいふくよかな少女。 ボーイフレンドとはじめてのキスをしようとしています。 キスした途端、 バーン! 相手は失神し、死んでしまいます。 そう、 ローグも、 またミュータントだったのです。 触れた相手の力を吸い取る超能力をもっています。 しかし、愛するひとに触れないとは、何という苦しみでしょう。 傷心のローグは、ひとりアラスカへと旅立ちます。 さびれた村の酒場では、 金網を張ったリングでプロレスの最中。 どんな大男にも負けない 野生動物のようにギラギラした男がリングで暴れ回っていました。 彼の名は、ウルヴァリン。 実は、 彼こそが、 この映画の主人公なのです。 演じるのは、ヒュー・ジャクマン。 オーストラリア出身の俳優で、アメリカ映画は初出演。 ひげをはやした面構えは、ド迫力いっぱい。 オーストラリア出身で有名になった ラッセル・クロウよりも、美男子ですから、 大ブレークするのではないでしょうか。 全身の骨格が超合金で出来ていて、 3本の包丁のように長い爪を武器とするミュータントなのです。 ローグは、 一目みたときから ウルヴァリンが好きになります。 ふとしたことから、ミュータントであることを知って、 酒場から出て帰路につく ウルヴァリンを追いかけます。 ようやくクルマに乗せてもらった途端、 クルマは大木に激突。 襲ってきたのは、 過激派ミュータントのボス、マグニートーの手下の セイバートゥーズでした。 2メートルを越す巨漢なうえに 動きが敏捷で、怪力の持ち主。 このセイバートゥーズを演じるのは、 元プロレスのチャンピオン、タイラーメイラー。 流石のウルヴァリンも、ローグも窮地に陥入りますが、 その時、眼もくらぬような稲妻。 良識派ミュータントのリーダー、 エグゼビア教授の教え子である ストームとサイクロップスが助けにやってきたのです。 ストームは 背中まである純白の髪と 天候を自在に操る超能力をもっています。 彼女が超能力を操るとき、 その眼は白色電球のようにギラギラ輝くのです。 オトーサン、 ミュータントの超能力のなかで このアイディアが一番気にいりました。 そんなことで、 まだまだ沢山いる ミュータントの名前と特徴、そして活躍ぶりを ご紹介していると、夜が明けてしまいますので、 このへんでやめましょう。 かれらの壮絶な戦いは、 マトリックスを上回る迫力と新機軸に満ちていました。 しかし、 上映時間は、1時間44分と まだこれからかと思っているときに。 映画は、あっけなく終わってしまいました。 オトーサン、 見終わって あたりを見まわすと、 若い男性ばかり。 なかには、何人かの小年もいます。 何か欲求不満みたいな顔をしています。 どうも、ファミコンゲームのほうが面白かったようです。 これからの映画づくりは、 幼少から激しい映像に慣れた子供たちを 満足させなければならないから、大変です。 オトーサン、 この映画の監督、 ブライアン・シンガーに同情しました。 「脚本が、いまひとつ整理されていなかったなあ」 長編小説を映画化するときに 一番困るのが、脚本家です。 どこをどうはしょって、どこをどう強調するか。 おまけに、相手がミュータントとなると、 超能力に眼がいって、性格描写があいまいになります。 また、登場人物も多すぎて ストーリーも複雑になりすぎます。 すると、 主題が分裂して、 何を訴えたいのか分からなくなってしまうのです。 「まあ、今回は ミュータントの顔見世興行だな。 次作に期待しよう」 おそらく「スターウォーズ」のように シリーズ化するのでしょう。 なお、字幕翻訳は、戸田奈津子さん。 プログラムは、700円の大判サイズ。 マトリックスほどの名作ではありませんでしたが、 興業主の気合が入っているのは、間違いありません。 まあ、ヒマだったら、見てもソンはないのでは...。


ダンサー

オトーサン、 この3連休、毎日映画を見にいきました。 実は、「インビジブル」を見るつもりでした。 かんちがいしていて、 今日は日曜日。 先行オールナイトをやっていたのは、昨日の土曜日でした。 上映中の映画は、ほとんど見てしまったので、 残るは「ダンサー」のみ。 「ダンサーかあ」 オトーサン、 ちょっとがっかりしました。 でも、 映画広告には 「リュック・ベッソン、ダンサー」とあります。 「そうか、それならば見に行こうか」 オトーサン、 実は、リュック・ベッソン監督が好きです。 フランス語を勉強して、 たびたびフランスに行っていますから、 フランス映画が好きということもあります。 でも、なによりも、 彼の映画のヒロインが好きです。 「ジャヌダルク」は、凡作でしたが、 手のつけられない不良少女から秘密工作員になった「ニキータ」、 「レオン」の命を狙われている12歳の少女マチルダ、 逆境にあって、精一杯生きようとしているヒロインたちの姿が、 たまらなく魅力的です。 平凡な日常生活を送っていると、 生命の輝きやひたむきに生きることの大事さを つい忘れがちになるではありませんか。 そんなとき、 リュック・ベッソンの映画のヒロインたちは、 胸に鼓動があることを思い出させてくれます。 まあ、リポビタンD。 出だしは 「レオン」そっくり。 舞台はニューヨーク。 カメラは、 「レオン」では、 セントラルパークの森を空から撮し、 摩天楼へ、そして舞台となるイタリア街へと移るのですが 「ダンサー」では、 雲海が切れると摩天楼の夜景、そして 舞台となるブロードウエイへの喧騒へと移動するのです。 オトーサン、 妙に趣向をこらしたイントロよりも このほうが好ましく思えました。 土曜の夜のデイスコ。 ちょうど12時を回りました。 有名DJの叫びに観衆が熱狂しています。 5週連続で勝ちぬいてきたダンサーの登場です。 DJが、突然曲を変えるのに合わせて 次々と即興で新しい振り付けで踊らねばなりません。 登場したのは、 黒人ダンサー、インディア。 その身体のしなやかなこと。 編みわけた腰まである金髪が 踊ると炎のように燃え上がるのです。 華麗で、パワフルで、魅惑的でした。 オトーサン、 「ああ」 と息をのみ、 「こりゃ、すごいわ」 とつぶやき、 よせばいいのに、 「これに比べると おれの踊りも、 ピンク・レディーのみーちゃんやケイちゃんの踊りも ド素人。 最近では、小柳ルミ子の相手の大澄健也も ダンサーと名乗るのがおこがましく見えるわい」 というほど、いたく感心いたしました。 インディア、 本名は、ミラ・フライア。 1972年NY生まれ、12歳でパリへ。 ダンス・スクールに入り、 天才的な踊りの才能が認められて 最年少インストラクターになる。 リュック・ベッソン監督の目にとまって 「ニキータ」に端役で出演。 今回、主役に抜擢されました。 彼女、 踊りが天才的というだけでなく、 言葉が不自由というダンサーの役を見事に演じていました。 夢は、ブロードウエィに進出すること。 ところが、言葉が不自由というハンデで、 数十人が踊っているはしから、 次々と、 落ちるひとが呼ばれるような 厳しいオーディションに勝ちぬいてきても、 最後に落ちるのです。 インディアは、 オーディションに落ちて、 落胆のあまり、ディスコにも姿をみせず、 教えているダンス・スクールにようやく姿をみせます。 教え子の子供達を抱くシーンには、 オトーサン、思わず落涙。 「アカデミー主演女優賞ものだ」 監督は、 リュック・ベッソンではなく、 彼の弟子のフレッド・ギャルソンでした。 これが監督第1作とか。 「何だ、映画広告、だましやがって」 でも、 オトーサン、 プログラムに書いてあるフレッドの言葉が気にいりました。 「私は、ガンも、格闘シーンも、殺戮もない、 でもフィーリングのこもった アクション映画を作りたいと思っていました」 ハリウッド映画批判でしょうか。 それとも、 北野武監督批判でしょうか。 ほんとうにそうです。 ひとがひたむきに愛しあい、生きようとする姿以上の アクション映画はないのです。 そこを勘違いしている監督の多いこと。 あふれるエネルギーが、 音楽とダンスに満ち溢れていた2時間。 オトーサン、 至福の時をすごしました。 10月上旬にサウンド・トラックが発売されるようですが、 ぜひ1枚買いたいものです。 観客は女性だけ。 でも、 男性諸君にも ぜひ見てほしいものです。


インビジブル

オトーサン、 白内障の手術をしました。 10月は 13日の金曜日の夜に 東京・お茶の水の井上眼科に入院しました。 水晶体を摘出して、代わりに人工レンズを入れます。 「こわいなあ。目を切るんだぜ」 でも、いっぽうで、 手術中にどんな画像がみえるか楽しみにしていました。 さあ、11時に手術台の上。 まな板の鯉。 左目は 開けたまま固定。 赤い背景に黒いそらまめが2つ。 メスでしょうか、時々細い線が視界を横切ります。 たった30分で手術は無事終了。 あっけないものでした。 麻酔で痛みはまったくなし。 翌朝には検査してもう退院。 一日おとなしくしてから、 日曜日には映画館へいきました。 「これからは、前の座席に座らないですむかなあ」 渋谷の道玄坂にある渋東シネタワー。 床は、じゅうたん張り。 エレベータボーイまでいます。 オトーサン、 「しばらくこない間に、こんないい映画館ができていたか」 右眼の視力が0.01から0.7まで回復したので どんな風に画像がみえるか 楽しみです。 「もうインビジブルではなくなったのだ」 なんてダジャレをいう余裕もてきました。 さて この映画、 透明人間がテーマ。 誰にも見えないと、 あなたなら どうしますか? 正直なところ オトーサンもフツーの男。 スケベなところがあるので 女性の裸なんかを,のぞいてみたいですねえ。 この映画もそうでした。 何たって監督が 「氷の微笑」のポール・バーホーベン。 あの映画、評判になりましたが 相当のポルノ映画でした。 透明人間を発明したセバスチャン博士は 天才ですが、一方で相当のハレンチ男です。 自分が透明人間になったら、 本性まるだし。 女性のトイレをのぞきみたり、 寝ている女性のブラジャーをそっと外したり、 アパートの隣の裏窓からみえる若い女性の部屋に 忍びこんだりします。 若い女性は、 何やらひとの気配は分かるのですが、 姿はみえません。 これって 相当、不気味です。 オトーサン、 すっかりポルノ映画をみているような気分になってきました。 つばを飲みこんで、ゴクリ。 ところが、 バーホ−ベン監督は、 肝心のレイプシーンを写しません。 「どうして?」 簡単です。 透明人間が相手では、 オナニーシーンにしかみえないからです。 また、 セバスチャンは、 同僚のリンダに横恋慕しているので、 透明人間になったのをいいことに執拗に迫るのですが、 このシーンも露出度の点で物足りないのです。 何でも、リンダに扮したエリザベス・シューに 断られたからだそうです。 そんなことで 大変期待はずれでした。 でも、見所もあります。 バンホ−ベン監督は、 透明人間に変身していく過程に 大変執着しました。 まず、ケロイド状の斑点が出来て、 それが全身に広がり、 皮膚は溶け出して血の色になり、 そして骸骨になり、 やがて骨がすこしずつ消えていくのです。 あとは、 実験室とそのビル内での殺し合いが 面白い程度。 オトーサン、 「つまんねえの」 といいました。 「オレの体験のほうがスット面白いや」 実は、 手術した右眼で外界をみると、 まぶしいくらい白く輝いているのです。 そして、すべてが大きく近づいて見えます。 一方、 もとのままの左目でみると 外界は黄色く濁っていて、 小さく、遠くに見えるのです。 オトーサン、 電車に乗って、 左目で向かい側に座っている女性をみました。 中年女性でした。 いままでと同じ。 ところが、 両目でみると、 小さな顔の上に 白いのっペらぼうの皺だらけの顔が 大きく飛び出してくるではありませんか。 「ぎゃあ」 四谷怪談は、 実話だったにちがいありません。 オトーサン、 この映画の要所要所 美人が裸になるところだけは 手術した右眼でみました。 大きく、白く、近づいた精密画像。 でも、あまり面白くありませんでした。 映画はストリップではないのです。 観客は男性ばかり。 中年男性も多く、ポルノ映画フアンでしょうか。 そんなことで オトーサンの結論。 アメリカで評判なんていうけれど、 ウソばっかり。 こりゃあ、 B級エロ映画のできそこないだあ。


バトルフイールド・アース

オトーサン、 白内障の手術をしました。 10月13日の左眼に続いて 10月20日に右眼を。 明るい視界を取り戻すやいなや 映画館へ。 場所は、お台場のシネマ・メディアージュ。 フジテレビの目の前です。 21世紀の映画館はこうなるだろうという 意欲的なシネマ・コンプレックス。 4月22日オープン。 13スクリーン、全3043席。 スタジアム席、最新デジタル音響、 全指定席。 シアター11へ。 ここは220席+車椅子2. オトーサン、C16を指定。 前から3列目の中央。いつもの席どり。 今度は眼がよく見えるので、近すぎの感あり。 でも、周りに誰もいないので、快適です。 さて、西暦は3000年。 いまから1000年あと。 地球に突然現われた巨大宇宙船の攻撃で わずか9分間で人類のきづいた文明は滅亡。 異星人の支配下に入ります。 生き残った大部分のひとはナチスの強制収容所のような暮らし。 映画の冒頭のシーンは、 美しい雪山を俯瞰する光景。 ロッキーマウンテンのようです。 その洞窟に一団のひとびとがひっそりと暮しています。 時々異星人・サイクロ人の戦闘機が頭上を通過します。 これ優れもので、気化銃を装着。 当ると一瞬の間に、人間を気化。 蒸発するのです。 見つかったらアウト。 そんな暮しにあきあきした若い男ジョニーが 長老や恋人の制止を降りきって山を降ります。 でも、あっという間につかまって 強制収容所の檻のなかへ。 地球を支配しているのは、 サイクロ人の司令隊長タール。 体長3メートル。 任期を終えて早いところ帰国したくてウズウズしています。 ところが、その願いが却下。 何とか帰国するためには、手柄を立てるべし。 希少資源の発掘に乗り出します。 それはヒトにやらせるしかありません。 その時、眼にとまったのが、 若い元気な男、ジョニー。 「こいつにサイクロ人の膨大な知識を教えてやれば、 労働生産性が上がるだろう」 レーザー光線みたいなものを照射すると 知識が急速にインプットされるのです。 オトーサン、 「いいなあ、あの装置」 これさえあれば、 英語だって習得は3分で完了。 白川秀樹博士のように ノーベル賞だって簡単に取れます。 SF映画っていうのは、 こういう安易なところがあるので、 ストーリーも安易になります。 オトーサン、 出来の悪いスターウォーズをみせられて 途中でばかばかしくなってしまいました。 こりゃ3つ星がいいところだ。 見所があるとすれば 廃墟と化した大都会の光景。 黙示録の世界です。 あとは、 サイクロ人の司令隊長タールを演じる ジョン・トラポルタの熱演くらい。 オトーサン、 最高の映画館で つまらぬ映画を見終わって どうしようかなあと 思いました。 お腹が空いているから、 どこかのレストランへいくか。 3Fのgigiへ。 快晴です。 東京湾が青くみえます。 レインボウ・ブリッジのパノラマが眼の前です。 眼病が治ってみると 地球の光景は夢のように美しいのです。 注文をとりにきたのが、 長身のハンサムなボーイ。 聞くと、 ハーフで日仏混合の吉野くん。 オトーサン、 ハイな気分になっていますので、 思わずフランス語をペラペラ。 ひさしぶりに流暢なフランス語をしゃべる日本人に会えて 彼も、超ゴキゲンになりました。 支払いをしていると、 かれ、 出口まで駆けてきて ふたりは、 固い握手までしてしまいました。 異星人のなかで暮していると、 同星人に会うと無性にうれしいようです。 いま、 ちょうど サッカーのアジア選手権で 日本がイラクに勝ちました。 4−1。 夢のようです。 ドーハの悲劇は終わったのです。 トルシェ監督をクビにしようと動いた 釜元さん。 トルシェ監督には、 ぜひフランス語でお礼を言ってください。 「メルシー ボク」 ボクまちがっていました。 みんな仲よくして この美しい地球を滅ぼさないようにしましょう。


キャスティング・デイレクター

オトーサン、 窓口の女性と喧嘩しました。 上映10分前に行くと、 「しばらくお待ちください」 という手書きの汚い札が出ています。 しょうがないなあと じっと待っていると どこかのおじさんが横から割り込んできて 窓口の女性と応対し、 用事をすませて サッサと映画館に消えます。 「おいおい、 後からきた人を先にすませるとは何事だ。 そりゃあないだろう」 でも、ここは我慢。 なかなか窓口は開きません。 レジスターを見にきた男がいて、 二人で何やら話し合っていて オトーサンは完全に無視されています。 「いつまで待ったらいいんだ」 そう聞いても、何の返事もありません。 ようやく、 窓口が開きました。 オトーサンが 「シルバー」といって 1000円差し出すと、 無愛想な声で 「ですから、どの映画ですか」 と聞いてくるではありませんか。 普通なら 客商売なら、 「お待たせしました」 の一声があっていいところ。 オトーサン、 ついに切れました。 「キャステイング・ディレクター」 って叫んでしまいましたよ。 この不愉快な Fという頭文字の女性の名前も Gという映画館の名前も、 N日本興業という名前も ここでは公表しませんが、 こんなことでは、 映画フアンは増えるはずはありません。 映画不安が増えるだけ。 同じ給料を払うなら、 もっと愛想のいい女性を 雇うべきでしょう。 そうなのです。 どんな企業でも 人選は重要です。 映画も同じ。 重要なのは配役を決めること。 早い話が、 レオナルド・ディカプリオ主演とか、 ジュード・ロー主演と聞くだけで 映画を見に行きたくなるではありませんか。 ですから、タレント・スカウトを受け持つ キャステイング・ディレクターは とても重要なのです。 この映画、 題名はパッとしませんし、 窓口でこんな目にあうくらいなら いっそ見るのをやめてしまおうかと思いましたが、 何しろ配役がいいのです。 「アメリカン・ビューティ」で アカデミー賞をとったケビン・スペイシーが キャステイング・ディレクターの役で出ているし、 主演のショーン・ペン、 あまり聞いたことのない俳優ですが、 この映画の熱演で 第55回ヴェネチア国際映画祭で主演男優賞をとったというのです。 それに、実力派女優メグ・ライアンも出演するのです。 さて、 オトーサン、 いやな気分を引きづったまま 入場して、3列目の中央へ。 ところが、2列目の中央に女性が一人。 その頭の動きが気になり、少し横の席に移動。 またまたイヤな気分で 上映を待ちます。 ところが、 映画の方も オトーサンと同じで イヤな気分を抱えたひとばかりが登場。 主人公のショーン・ペン、 かれもキャステイング・ディレクターで ケビン・スペイシーとペアを組んでいるのですが、 のっけから朝食代わりに コカインを吸ってラリっています。 かれの悩みは仕事ではなく、 恋人が相棒のケビン・スペイシーとも 寝ているらしいこと。 そして、しょっちゅう出入りしている 売れない俳優のフィル。 奥さんから愛想をつかされて、悩んでいます。 なぜか、ショーン・ペンとは気があうのですが、 どうも相手は心を許しているようには思えません。 軽蔑しあい、傷をなめあいながらの付き合い。 いまも、女房との不和を打ち明けていますが、 話し方が下手なので、喧嘩。 またムシャクシャしてコカインを飲みます。 そこへ、 アルマーニのスーツを着こなして 部屋にさっそうと入ってきたケビン・スペイシー。 「エディ、コーヒーでも飲め」 それに対して、 ショーン・ベンは、 「カフェインは身体に毒だ」 と答えます。 ケビン・スペイシーがからかいます。 「ヤクはヘルシーフードか?」 こんな会話からはじまって 彼女と本当に寝たのかどうかの探り合い。 この二人、 片時も携帯電話を離しませんから、 家から外に出て くるまの中でも話し合います。 ショーン、 「俺はお前を責めようとは思っていない」 ケビン、 「お前は、自由にしろといったぞ」 ショーン 「そうとも その通りだ。人は誰だって自由だ」 ケビン 「じゃあ 何だ」 ショーン 「俺が何をいいたいかって? 現実とどう折り合いたいか悩んでいる 知らない間に俺だけ孤独で偏執的な妄想の世界に落ちたくないのさ。 現実からはみだしたくないんだ。 お前だって現実の中にいたいだろう」 ケビン 「その通り、現実からはみだしたくないさ」 700円もしたプログラムには こんなことははじめてですが、 せりふがすべて掲載されているので、 その一部を採録しました。 なぜかというと、 この映画、大当たりした舞台の映画化なのです。 しかも、ケビンもショーンも 舞台でこれを演じたことがあるのです。 ですから、 舞台と同じくらい、 ちょうちょうはっしと二人がやり合うのです。 台詞も洒落ていますし、言い回しも実に見事です。 オトーサン、 アメリカで舞台も見たいのですが、 貧弱な英語力では 俳優が何をいっているのか分かりません。 ところが、この映画では 舞台が映画化され、せりふが字幕になっていて、 しかも、後で、プログラムで確認できるのですから こんなうれしい事はありません。 若い女優、アンナ・パキンも 見事な演技力です。 彼女は、ショーンの友人が拾ってきた ハリウッドをめざしてやってきた変な女の子を演じています。 誰にでも身体を許す気配。 気分がムシャクシャしている ショーンとファックしたりします。 最後のシーンのせりふもなかなでした。 アンナ 「すごい」 ショーン 「何がすごいんだ」 アンナ 「だって同じ話している。やっと心が通じあえたのよ」 ショーン 「俺はまだ起きている」 アンナ 「いいわ」 ショーン 「楽にしろよ。俺はもう2度と眠らないかも。永遠に起きている」 アンナ 「いいわよ。私は家の中で眠れて幸せ。外の世界は絶望に満ちている。 私が眠る前にファックしたい?」 ショーン 「いや」 アンナ 「よかった。したくないんじゃないの。ただ、眠くて」 ショーン 「精神安定剤は?」 アンナ 「いらない。おやすみ」 ショーン 「おやすみ」 アンナ 「いい夢を」 映画が終わりました。 辺りを見回すと、 観客は、 若い女性たちと中年男数人という妙な取り合わせです。 眠っている中年の男のひともいます。 オトーサン、苦笑しました。 「そうか、この映画をハリウッドの内幕話で 簡単に寝てしまう女優がたくさん出てくる ポルノ映画とかんちがいしたようだ」 オトーサン でも、自分に言いきかせます。 「おれも途中ですこし寝てしまったけれど、 基本的には、いい映画だった。 こういう映画もたまにはいいな。 でも、お芝居を見にいくときのように 着飾って見に行く覚悟が必要な映画だなあ」 それに、やはりいい映画館でみたいな。


ナッテイ・プロフェッサー2

オトーサン、 久しぶりにコメディをみたくなって、 タクシーに乗って映画館に 駆けつけました。 エディ・マーフィは 「メン・イン・ブラック」でもいい味をみせていましたし、 たしかトヨタのセリカのCFにも起用されていました。 憎めないキャラクターです。 この映画は、パート2。 つまり、第一作がヒットしたので、 第2作が誕生したというわけ。 前作では、天才研究者クランプ教授は、 やせ薬を発明して、珍事件続発で大笑いでしたが、 今回は、若返り薬を発明。 バイアグラよりもずっと強力です。 だって、映画館の近くの電柱に張ってあったビラには バイアグラ1500円とありました。 どうやらそんなに効果はないようです。 でも、クランプ教授は、問題をかかえています。 実は、前作でつくった自分の分身がわるさをするのです。 せっかく恋人デニースに 結婚OKをいってもらいたい一心で、 彼女の部屋にバラを飾り、 夕べには楽師4人を呼んで マリアッチで恋の歌を歌って せっかくいいムードになってきたのに、 口をついて出て来る歌詞は、下ネタばかり。 肉棒、 太いソーセージ、 これじゃあ、彼女が怒るのもムリはありません。 でも、しょげかえるデブちん、クランプ教授は憎ない存在です。 そんなこんなで クランプ教授とその一家、、 恋人のデニースとその一家を巻きこむお笑いの数々は、 エディ・マーフィが演じる ひとり9役の上手さに感心したりしている間に どんどんテンポよく進行します。 あっという間の2時間弱。 エディは、 美川憲一さんや森進一さんを演じる コロッケさんみたいに上手でした。 あとでプログラムを読むと、 エディは、 少年時代からモノマネは得意だったとのこと。 まさに芸は身を助くです。 特殊メイクも合成写真もCGの使い方もまあまあ。 恋人役のデニースは、 (デニーズだとファミレスですよ) 何と、歌手ジャネット・ジャクソンで、 彼女、なかなかの好演でした。 主題歌の「ダズント・リアリー・マター」は 全米ヒット・チャート第1位だそうです。 でも、 日本人の オトーサン、 心の底から笑えませんでした。 だって 「笑い」っていうものは 優れて、 ローカルで 特定の対象層だけに通じるものではないでしょうか。 例えば、 落語の面白さって若い人に分かる? コロッケのものマネって、外国人に分かる? それに オトーサン、 遺伝子操作映画はあまり好きになれません。 だって、 遺伝子操作食品は、 儲けたい一心が透けてみえて大キライだからです。 したがって、 遺伝子操作映画も大キライです。 いくら、 エディでも ウケ狙いで、 遺伝子を操作して ひとの心をもて遊ぶのはよくありません。


スペース カウボーイ

オトーサン、 この映画、9月上旬に ロンドンやパリの映画館で上映中なのをみかけました。 でも、旅先での映画鑑賞は時間が勿体ないのでとりやめ。 「いつになったら見られるかなあ」 と期待していました。 どうして、日米同時上映にしないのでしょう。 配給システムが遅れているような気がします。 映画館は、岡谷スカラ座。 上映開始は1時50分なのに、 オトーサンが駆けつけたのは、2時過ぎ。 予告編が10分、 さらに 上映開始が5分遅れていたので、 やっと間に合いました。 しかし、快晴のなかを ドライブして暗闇に飛びこんだので、 何やら柔らかいものの上に腰を下ろしたようです。 若い女性の上に腰かけてしまったようです。 何度もお詫びして、事なきを得ました。 期待の映画の冒頭は、 超音速の戦闘機が 地上から成層圏まで一気に駆け上るシーンです。 でも、 若い飛行士フランクたちが、 無茶をやりすぎて、あっと間に墜落。 地上すれすれで脱出して、 戦闘機は炎上。 しかし、 フランクと同僚は、パラシュートで地上に無゛事生還します。 「いやあ。こりゃあ、出だしから面白い!」 40年後。 かれらは引退して、 牧師になったり、それぞれの人生を送っています。 すでに宇宙ロケットの時代になっています。 ところが、ソ連の宇宙船が老朽化して 地上に墜落しそうという情報がNASAに入ります。 ソ連の要請もあって、 何とか軌道に戻さねばなりません。 ところが、誘導装置が旧式なので、 NASAの若いスタッフでは修理できません。 そこで、NASAの責任者が フランクに声をかけます。 「若い連中に修理法を教えてくれんか」 クリント・イーストウッド扮するフランクは、 一徹者ですから、 昔の喧嘩相手がNASAの責任者になっている関係で いくら頼まれたって、ウンとはいいません。 オトーサン、 この偏屈なクリント・イ−ストウッドが 大好きです。 かれは1930年生まれですから、 もう70歳。 若いもんになんか負けないぞという意気やよし。 でも、 かれは考え直します。 もしかすると、 これは、 かつて、最初の宇宙飛行士になりそこねたウラミを 晴らす絶交のチャンスが到来したのではないか。 NASAの責任者にかけあって ついに、 ソ連の宇宙船を修理するために かっての仲間4人と一緒に スペースシャトルに乗りこんで はるかな宇宙に行くことになります。 そこで、 老人4人は NASAで宇宙飛行の猛訓練。 ほんものソックリで迫力満点。 でも、 オトーサン このへんはウツラウツラ。 やはり、 一日忙しかった疲れが出たのでしょう。 目を覚ますと、 オレンジ色の宇宙服に身を包んで 老人4人が打ち上げられる寸前。 「いやあ、スゴイ迫力だあ」 オトーサン、感激しました。 打ち上げ風景はTVで何度も見ていますが、 大画面でみると、ものすごい迫力です。 例によって、 これ以上のストーリーの紹介はやめますが、 オトーサン、 見終わって大満足。 「いやあ、おもしろかった。 特撮がスターウォーズみたいだった。 ストーリーが、西部劇みたいだった。 STと西部劇のバランスが絶妙だった。 4人の老人も、 みなそれぞれに味があって、 いいキャスティングだった」 外はもう暗くなっていて ハイウエーは3連休のクルマが 猛スピードで家路についています。 オトーサン、 白内障の手術が成功して 目がよくなったものですから 若いもんなんかに負けないぞと 奥方に借りた軽自動車で爆走。 制限速度80Kmの中央道で130Kmも出しました。 老人力全開! でも、 あとで冷静に考えてみると、 やはり危ない橋を渡っていたようです。 オトーサン、 年をとったというのに どうも分別力は身につかなかったようです。 我ながら、困ったものです。 どこかの首相と同じですねえ。


薔薇の眠り

オトーサン、 この映画のタイトル きらいではありません。 何となくロマンティックです。 冒頭は、空撮。 フランスのプロバンスの 田園風景を写していきます。 一時ブームになったあのプロバンスですよ。 「きれいだなあ} さて主人公のマリー(デミ・ムーア)は、 二年前に最愛の夫を失った悲しみから立ち直れないものの、 可愛い盛りの二人の娘と甘い薔薇の日々を送っています。 庭の椅子に座って、友人と「雨と薔薇とホットケーキ」の世間話。 「あなた、本当は話したいことほかにあるのじゃないの?」 そうなのです。 彼女の悩みは、夜、眠りにつくと、 きまってNYのキャリアウーマンになってしまうのです。 独身、豪華なペントハウスに住んでいます。 めちゃめちゃ忙しいけれど、花の独身。 言い寄る男には事欠きません。 でも、心の底から愛するひとはいません。 舞台は変わって、 プロバンス。 彼女のもうひとつの顔は批評家。 自分のためにひそかに小説も書いています。 でも、子育てと庭いじりが主な仕事。 そんな彼女の平穏な日常生活に男が登場します。 作家、それも、彼女がその作品を酷評してしまった作家。 でも、彼は子供好き。 二人の子供はぐんぐん彼になついていきます。 そして、結局、彼女も彼に惹かれるようになります。 誕生日を祝ってのデート。 どこで? かれは、何と あのサド公爵のお城に案内し、 その荒れた城の部屋のなかにテーブルとキャンドルをもちこみ、 ワインで乾杯したあとは、 手づくりのフランス料理で 歓待。 誰だって女性なら陥落します。 身も心も許した彼女が目覚めると、 こんどはNY。 セントラルパークの池をみながらデート。 プロバンスの彼女はロングヘヤーでフェミニンですが、 NYの彼女はショート・ヘヤーで黒いビジネス・スーツ姿。 誘ったのは、会計士の物静かな男。 ジュースのボトルとハンバーガーでのランチョン・デート。 彼女は だんだん、 かれに惹かれていきます。 そしてある日。 彼女は同時に二人の男を愛している自分に気付きます。 はたから見ると、モテモテでうらやましい限りですが、 二重人格ではないか? あるいは、精神病ではないか? と彼女は真剣に悩みます。 悪いことに、 彼女はその悩みを精神科医に相談するだけでなく、 二人の男に打ち明けてしまいます。 それが、かえって、男たちを苦しめ、 悲劇へとつながっていくのです。 筋書きはこの辺できりあげましょう。 この映画の見所は、 デミ・ムーアの演技と プロバンスとNYの美しい風景。 この映画を見たひとは、 みな 一度、行ってみたいなあ。 そう思うにちがいありません。 女性ならば、 デミ・ムーアをみながら キャリアウーマンで、 なおかつ、 幸せな主婦、 その両方を 同時に味わえないかなあ なんて 思うのではないでしょうか。 現代女性なら、 そうした心の葛藤。 満たされぬ想いに日夜悩んでいるのではないでしょうか。 原題は、”PASSION OF MIND” このほうがよく感じが出ています。 「薔薇の眠り」は、 ちょっと大げさ。 見終わって オトーサン、 立ちあがって 客席を見渡しました。 誰もいません。 オトーサンだけです。 ああ、やっと、30代のOLふたりが 次回の上映を見に入ってきました。 映画って難しいですねえ。 大衆娯楽か、大衆芸術どまりか その辺で、妥協しないとだめなようです。 あまり凝って客層を絞りすぎると、 誰も見にこないということになります。 純粋芸術まで昇華すると、観客の大量動員は期待できないのです。


グリーン・デスティニー

オトーサン ジャッキー・チェンに代表される 香港のアクション映画、 決してキライではありません。 1800円で まれに 万漢全席を味わえることもあるからです。 でも、大体は、安あがりのB級グルメです。 それに観客がきらい。 パチンコ屋と同じ客層で、 一緒にいると、何やらわびしくなります。 でも、最近は事情が変わってきました。 中国出身の俳優、女優、監督がどんどんハリウッドに進出。 日本のプロ野球でも、 野茂、吉井に続いて、 佐々木やイチローまでが 大リーグに進出しています。 高給もらって みんなヤル気、まんまん。 オトーサン、来シーズンは シアトル・マリナーズの試合を見にいきたくなっています。 ですから、 誰だってビッグ・チャンスを与えられれば、 張りきります。 アンリー監督だって同じ。 米中合作で 伝統芸と資本が合体。 世界の2大大国ががっぷり組んだら、 日本映画なんて惨めなもの。 マンネリ化したハリウッド映画が蘇るのです。 その好例がこの映画。 オトーサン、 疲れていたので、 時々眠りましたが、 でも、 二人の女武術家が中庭で戦うシーン、 酒場で暴れるシーン、 竹林の上での飛龍の舞いのような武闘シーン、 すべてが美しく、心地よいものでした。 中国観光映画としても サイコー。 ああ、死ぬ前に 一度ゴビ砂漠に行きたい ああ、身体が動くうちに タクラマカン盆地から天山山脈の雪をみたい。 西部劇としても、 サイコー。 なつかしいなあ。 インデイアンの襲撃ならぬ 馬賊の襲撃シーン。 チョウ・ユンファとミシェル・ヨーの大人のラブシーン チャン・チェンとチャン・ツィイーの若者のラブシーン これも、いいなあ。 10億人もいると、 なかには飛びきりの美男美女もいるんです。 うらやましいなあ。 そんなことで、 この映画、 デートにも最適です。 観客は、 パチンコ屋にいるおじさんたちと 若いカップルたちが半々でした。


リプレイスメント

オトーサン、 マトリックスはよかった。 あの時のキアヌ・リーブスの 黒い皮のロングコート姿の雄々しさが まぶたに焼きついています。 DVDだって、 買ってしまいました。 いわば、にわかフアン。 キアヌ・りーブス=命ってほどではありませんが、 かれの最新作上映となれば、 見にいかねばと思う程度のファンです。 オトーサン、 このところ ちょっと風邪気味。 せきとたんに効くクスリを飲んでいるので、 やたら眠いのです。 おまけに館内は暗い。 眠らなければ不思議です。 「お金をはらって、 映画館で寝ることないでしょ、 家で寝てればいいのに」 それは凡人の考えること、 オトーサンは、 いまや映画評論家です。 映画を 見ることが 生きがいであり。 仕事ですから、 ちがう考えをもっています。 クスリで眠くなるような映画は、 ロクな映画ではない。 キアヌ、 おれと対決だ。 絶対、寝てやるぞ。 ??? 最初のシーン、 キアヌが海に潜って、 アメリカン・フットボールのボールをみつけ、 海中で蹴って 両手をあげて喜んでいます。 そう、かれは、 かつては、 オハイオ大学のクオーター・バッグ。 チームの司令塔。 花形プレイヤーだったのです。 さて、 ワシントン・センティネルズは あと3勝すれば、 プレーオフ進出というのに、 選手が賃上げを要求してストライキ。 困り果てたオーナーは、 かつてクビにした監督を呼んで 臨時チームの結成を命じます。 拾いあつめられた面々は、 いずれもひと癖もふた癖もある連中です。 チ−ムプレイなんてできません。 はたして、連戦連敗。 キアヌもここぞというところで、 負け犬根性がポロッと出て チームは、またも連敗。 このキアヌ チア・リーダーのアナベルに 恋心を燃やしているくせに いざとなると怖気づいて、 何もできません。 もたもたしてるのは 映画のストーリーも同じ。 オトーサン、 グッスリ寝てしまいました。 映画館がすいていたので、 前の席と席のあいだに 足を突込んで寝てしまったようです。 誰かが オトーサンの足にタッチしました。 オトーサン、 あわてて足を下ろしました。 前の席のひとが伸びをして オトーサンの足に当ったようです。 タッチされてから ダウン。 これって タッチダウン? そうなのです。 オトーサンがタッチダウンしてから、 映画のほうも、 キアヌが タッチ・ダウンで 得点をあげるシーンの連発です。 今度は、 連戦連勝。 チームのかなめとして、 キアヌは、 快走、快投、快衝突? 恋人・アナベルとのキッスも成功! ところが、 ストが終わって、 主力選手が戻ってきて、 あえなくキアヌはクビを申し渡されます。 このあとのストーリーの紹介は 例によって省略しますが、 ほんとうに この映画、 キアヌのための映画でした。 見終わって オトーサン、ブツクサ。 「キアヌ、何でこんな凡作にでるの?」 あとでプログラムを読んだら、 マトリックスの成功で イメージが固定されるのがイヤだったので、 ちがう役に挑戦したとのこと。 キアヌ ちょっと欲ばっているのでないの? 「名声=生きながらの死」 という等式くらい知っておくといいよ。 美空ひばりさんだって、 都はるみさんだって、 名声のあとに訪れた過酷な運命の罠にはまって どんなに苦しんだことか。 今日、優勝した曙だって、 そうでした。 「春は曙」 なんてダじゃれをいっても 優勝できていた頃が、絶頂期でした。 その後は長い不調。 やめようと思ったことも再三だったとか。 まあ、 福岡場所でも優勝できればいいよね。 おめでとう。 キアヌ、 じっと待ってますよ。 マトリックスよりいい演技をする日がくるのを...。


チャーリーズ・エンジェル

オトーサン、 懲りないひとです。 まだ風邪が直っていないのに、 またまた映画館へ。 予告編で美女3人がにっこり頬笑んでいたので、 それに負けてしまったのです。 そのうちのひとりが、 あのキャメロン・ディアスです。 スレンダーな美女で、笑顔がすてきです。 「マルコヴィッチの穴」「エニイ・ギブン・サンデー」 でも大活躍。 その彼女が、 マトリックスの武術指導をしたユエン・チョニャンの 指導を受けて、 今度は、 アクションに挑戦。 長い足で相手を回し蹴り。 オトーサン、 目を丸くして、 その長いきれいな足にお口をあんぐり。 取りかえ、引っかえ着替える衣装も楽しみました。 ストーリーは単純。 「グッド・モーニング、エンジェル」 というスピーカーから流れる声。 謎の人物、チャーリーから命令されて 3人のエンジェルは、 ビル・ゲーツみたいな大立物の誘拐事件の解決に邁進。 救出に成功しますが、 話しは2転3転。 でも、 3S、 スピード、スリル、セックスもこれだけ次々と出てくると、 オトーサン、 ウンザリしてきました。 つい居眠り。 目が覚めると、ヘリコプターが爆発。 そうそう、 冒頭シーンも タネ明かしはしたくないでの 説明しませんが、 とても、すばらしかったですよ。 まあ、騙されたと思って見に行ってください。 あとの2人も美人ですよ。 007の女性版。 この映画、シリーズになりそうです。 いまやアクション映画も 女性が主人公。 ウーマンパワーの時代 その流れが、ますます強くなってますなあ。 あああ。


この胸のときめき

オトーサン 映画フアンとして 日米同時公開を待ち望んでおります。 半年、場合によっては1年後公開なんてイヤですね。 すっかり冷え切ったお茶を飲むようなもの。 書きわすれましたが、 昨日みたチャーリーズ・エンジェルの 日本公開は、アメリカの たったの1週間遅れですから 大したもの。 アメリカにいる娘とおなじ時点で 映画について話しができるのですから、 うれしいことです。 いいことづくめのようですが、 オトーサン、 問題を発見。 日本の映画評論家は アメリカの評判をもとに 批評を書くものですから、 同時公開だと、その手が使えず、 したがって、 映画雑誌にもTVにも下馬評が載っていません。 日本人は、モノマネ根性がしみついていますから、 「なにそれ? 誰かほめてた? まだ? じゃ、もうすこし様子みるわ」 なんていっちゃって、結局、見にいかないのです。 新人監督の映画もそう。 とくに、女性監督の映画なんて 頭から信用しません。 この映画もそう。 「ボニー・ハントって知ってる?」 「さあ」 「ほら、グリーンマイルでトム・ハンクスの妻の役で出ていたでしょ」 「そうだっけ。死刑囚の黒人の大男なら覚えているけれど」 「あれは、 マイケル・クラーク・ダンカン。 そうじゃなくって、 トム・ハンクスがあの大男に持病を治してもらうシーンがあったでしょ」 「あったかなあ」 「その後、ひさしぶりに妻とベッドをともにしたでしょ」 「そんなシーン、あったかなあ」 「あったの。その時の女房役がボニー・ハントなの」 「ふーん」 「あの時、1晩に何回やったか覚えてる?」 「そんなこと、覚えてるわけないだろ」 (ご興味のある方は、この映画批評のグリーンマイルをごらんください」 そんなわけで、 プログラムは500円の安物。 たったの1週間で、上映は打ちきりです。 冒頭のシーンは、 大都会の夜景。 オトーサン、 早とちり。 「また、NYか。 ふーん、建築中のビルの屋上にカメラが寄っていく。 新手の撮りかたっていうわけか」 実は、シカゴでした。 屋上にいたのは、主人公のボブ 建築技師です。 (デビット・トゥカブニーが好演) かれの愛妻が、エリザベス。 リンカーン・パークにある動物園の動物学者。 ゴリラ基金を創設して、 狭い檻から、もっと広い施設に ゴリラちゃんを住まわせてやりたいと願っています。 基金集めのパーティでスピーチ。 うまくいって、ふたりは大喜び。 大好きな曲をリクエストして踊ります。 曲名は「RETURN TO ME」 デイーン・マーチンの歌う甘い調べは、 Return to me Please come back, bella mia Hurry back, hurry home To my arms,to my lips, and my heart フランク・シナトラやビング・クロスビーが活躍した 1950年代の歌は、あくまでもロマンチックです。 ところが、 悲劇が起こります。 何と、交通事故で愛妻は死亡。 その心臓は、臓器提供を待ち望んでいる患者のもとへ。 出だしだけで、ストーリーの紹介を終えますが、 なかなかいい映画でした。 オトーサン、 昔のシカゴの暖かい家庭や友人づきあいに感動。 イタリアはローマで赤い自転車に乗るシーンで感動。 臓器提供を受けた女性、 主人公のグレースも素敵でした。 「グッドウィル・ハンティング/ 旅立ち」で マット・デーモンの恋人役で アカデミー賞助演女優賞にノミネートされた ミニー・ドライバーが好演しています。 ボニー・ハントも出演。 監督・脚本・助演女優、 さらにロケハンやキャスティング・ディレクターと大活躍です。 ボニー・ハントは シカゴ生まれのシカゴ育ち、 隣近所に、 いい触らしている声が聞こえてきそうです。 「ねえ、みてみて。 あたし、監督やったのよ。 あのキャロル・オコナーさんが、 25年ぶりに出演してくれたのよ」 「オコナー?」 「じれったいわね。 クレオパトラ(1963)に出てたひとよ」 「40年も前の俳優なんか知るわけないだろ」 「エミー賞を4回ももらったのよ」 「ふーん」 そんなわけで オトーサンにしたって、 かつて愛しあった回数も、覚えていないし、 ひょっとすると 愛し合ったひとのことも いまじゃ思い出せないかもしれないのです。 世の中、そんなものです。


悪いことしましょ

オトーサン、 この映画のタイトルは、 傑作だと思います。 いまの自民党に ぴったりだと思います。 いまの自民党には、 「悪いことしましょ」に 縁のないひとなんて、いないのではないでしょうか。 でも、 ひとのことはいえません。 自民党はわれわれの縮図なのです。 オトーサンだって、そうです。 昨日は、スピード違反をしましたし、 今朝は、燃えないゴミを燃えるゴミの袋に入れて出してしまったし、 いまは、「悪いことしましょ」を見にきてしまったし... オトーサン、 この映画を見にきたひとは、 みな極悪人のように見えて仕方がありませんでした。 おじさんは コンビニ強盗のように見えたし、 おばさんは 保険金殺人事件で刑務所から出てきたばかりに見えたし、 カップルは 子供を車内に置き去りにしてきたにちがいないし... 窓口の女性は トリカブトを切符の裏に塗ってたにちがいないし... オトーサン、 この映画で 気に入ったのは、 出だしのシーンだけでした。 NYの街角の ごく日常的な雑踏を撮っているのですが、 通りすぎるひとに 次々と レッテルを貼っていくのです。 頭の悪いひと、気の弱いひと、さっき悪いことをしたひと 色情狂、教え魔、貧乏人...、 中村ふさぎ、花田倫小、飯島哀... 下等乞う位置、やな感じちゃう、森終章... あとは どうってこたぁ ありませんでした。 悪魔に魂を売り渡す男、 ブレンダン・フレイザーの演技も、 悪魔を演じた エリザベス・ハーレーの美貌も。 だって、 いま、われわれは、 事実は小説より奇なりの世界にいるし、 みな悪魔に魂を売り渡してしまったのですから。 あーあ、 つまんねえの。 オトーサン、 アクビをしました。 トイレにいくと、 さっきのコンビニ強盗風のオジサンが 大アクビ。 エレベータに乗ると、 さっきの保険金殺人事件風のオバサンが 大アクビ。 オトーサン、 念のために 500円の安っぽいプログラムを読みました。 「やっぱりなあ」 出るのは、ためいきばかりなり。 安直な企画、 ハリウッドの売れない面々を集めて あのオーステイン・パワーズの面々が結集しての悪ふざけ。 いい加減な視覚効果、 臭い芝居。 上映時間は たったの 1時間33分。 最近、 悪魔に 金玉を抜かれた 「下等なにがし」の茶番劇以上に あっけない幕切れでした。 この映画、 本年はじめての★★です。 どう考えても、時間のムダです。


シャフト

オトーサン、 あまり期待もせずに シャフトを見にいきました。 でも、トビキリ面白かったのです。 1960年代は、黒人暴動が荒れ狂ったころ。 公民権運動が実を結び、黒人の地位が向上。 そのブラックパワーが炸裂した分野のひとつが映画界です。 ハリウッドは、 低予算のアクションものが、黒人層に受けるのを発見。 「黒人の黒人による黒人のための映画」をつくろう。 出演者も、監督も、スタッフもみんな黒人。 そんな思惑で、ヒットしたのが、 1971年の「SHAFT」 邦題は、「黒いジャガー」(上映時間100分) 黒人探偵シャフトが、 ハーレム街の帝王の娘の誘拐事件を見事に解決します。 演じたのは、リチャード・ラウンドツリー。 タートルネックのシャツにレザーのジャケットの シャフト・スタイルが大流行。 ここに、黒人のヒーローが誕生したのです。 「しめた、シリーズにしよう」 そんなことで、ハリウッドは第2作を作ります。 それが、1972年の 「Shaft's Big Score」 邦題は、「黒いジャガー、シャフト旋風」(上映時間104分) シャフトは、今度は、子供たちのための病院建設資金の盗難事件を解決。 造船所のドッグのなかでの壮烈なヘリ撃墜シーンが話題になりました。 第3作は、 1973年の 「黒いジャガー、アフリカ作戦」(上映時間112分) シャフトは、アフリカの奴隷密輸事件に挑戦しました。 監督が変わったこともあり、今度は駄作。 そんなことで、以後、シリーズは打ちきり。 さて、 30年近くたって、 ハリウッドはリメイクばやり。 映画づくりはお金がかかります。 ヒットすれば、大儲け。 当らないと、大損害。 ビジネスとしては、 どうしたって安全サイドに流れます。 「そうそう、シャフトがあったなあ。 あれ、昔、ヒットしたなあ。 今度も、当るかもな」 そこで、 第4作「シャフト」(上映時間99分) の登場とあいなりました。 今回のシャフトは、 私立探偵ではなくて、NY市警15分署の鬼刑事。 監督も、 1968年生まれの若い黒人 ジョン・シングルトン。 オトーサン、 異議を申したてます。 「おいおい、上映時間が一番すくないじゃないか」 そうなんです。 はじめは、低予算の小品のつもりが、 みんなが燃えに燃えて ふくらんでいきました。 オトーサン、 見たあとでは、 さらに考えが変わって、 「何でも長ければいいってものじゃないだろ。 中身が濃ければいいんだ」 「何でも、お金をかければいいってものじゃないだろ。 気合が入っているかどうかだ」 オトーサン、 メチャメチャ興奮してきました。 いやあ、 シャフト役の 実力NO1の黒人俳優、 サミュエル.L.ジャクソン、 かっこよかったなあ。 もともと黒豹みたいな身のこなしで、 眼光鋭いのですが、 ギャングどもに、たったひとりで対峙し、 拳銃をぶっ放すと、 もううっとりしてしまいます。 それに、 聞いて、聞いて、 かれ、 アルマーニの黒いレザーコートを着てるんですよ。 しかも アルマーニが、かれに惚れこんで、 直々にデザインしたんですって。 似合わないはずはありません。 男でもほれぼれ。 キムタクなんかメじゃありません。 オトーサン、 うめきました。 「いいなあ、一着ほしいなあ。 いくらするんだろうな」 何でも、 NYでは この映画のせいで レザーコートが、めちゃめちゃ流行しているそうです。 「去年カシミア、今年レザーか」 ユニクロのフリース派のオトーサンとは無縁な世界です。 ここで 冷静になって 筋書きをご紹介しましょう。 NYのレストランの前でひとりの黒人学生が 血を流して倒れているという一報が入ります。 駆けつけたシャフト刑事は、 若い白人の男が犯人と目星をつけます。 死の直前の痙攣をみて笑う、その男。 シャフト刑事は、 白人を殴るとやばいぞという 同僚の制止をふりきって、 そいつを殴り倒します。 そうなんです。 シャフトは、正義漢なのです。 その男の親は、不動産王。 殺人をおかしたのに、証拠不充分で、 裁判で20万$を払って、保釈。 すぐに国外逃亡。 シャフトは、刑事なんかやってられないと バッジを捨てます。 しかし、 何としても、 あいつをつかまえてやる。 こうして、 波瀾万丈の捕り物帖がはじまるのです。 事件の唯一の目撃者である 証人も逃亡。 これが、すごい美人。 誰あろう、 シックッセンスでアカデミー賞にノミネートされた あのトニー・コレットですよ。 美男美女。 アルマーニ。 ブラックパワー炸裂。 それに、 音楽がいいのです。 「黒いジャガー」のテーマが戻ってきました。 これってアカデミー賞もらった名曲ですよ。 テンポがいい。 カラーの使いわけがいい。 脇役もみんなうまい。 もうこれ以上何を望むのでしょう。 ★★★★★だあ。


タイタス

オトーサン、 この話題作を待っていました。 だって、あの「ライオンキング」を成功させた 女流演出家・ジュリー・ティモアの監督第1作と聞いていたからです。 1999年にNYに行って ブロードウエイのミュージカル、 「ライオンキング」を観たいなあと言ったら、娘に笑われました。 「切符取れるはずないでしょ、来年までダメよ」 1999年に、オトーサン、カウントダウンに参加しました。 集まったひと、その数50万人。 寒いなかで、2時間も震えながら、年が変わる瞬間を待ちました。 途中、出し物がいくつかあって、 ライオンキングのぬいぐるみが出てきたときは、 みんなが、わーぉ。 そんなことで、 ジュリー・ティモア監督初作品と聞けば、観たくなるのは、当然です。 誰だって、映画監督には憧れます。 巨額の予算が投入され、大勢の出演者、スタッフが動員され、 そして出来あがれば、世界中で上映されます。 うまくいけば、一夜明ければ、時の人になる いや、それどころか、世界の歴史に名が残る。 身震いするほどのチャンスなのです。 でも、 ジュリーにとっては、栄光はすでに手中にありました。 だって、「ライオンキング」が、大ヒットしたからです。 女性ではじめてトニー賞を受賞。 そこで、意気軒昂、 歴史に名を残さん、あのシェイクスピアを凌駕せんと 野心まんまんで挑戦したのが、この作品なのです。 下敷きは、 シェイクスピアの戯曲「タイタス・アンドロニカス」 たまに舞台で上演される程度。 理由は、血なまぐさいから。 時代が、お上品さを求めているときには、非難ごうごう。 ところが、いまや、殺戮は日常茶飯事。 昨日のニュースステーションの特集でも、 女子高校生を集団レイプし、 監禁し、 ゴメンナサイ、ゴメンナサイと嘆願するのに サンドバッグのように殴りつけて、 殺し、 遺体をドラム缶でコンクリート詰め。 そんな事件の犯人の談話が報道されていました。 ジュリーにとっては、 舌なめずりしたくなるほどの絶好のチャンスです。 シェイクスピア劇にある 強姦、拷問、殺戮、裏切り、復讐、戦争、いけにえの儀式、赤子殺し... この映画では、 それらのすべてを、この世の災厄のすべてを、残酷に冷酷に描こう。 だって、それは現に起こっていることなのだから。 そう決心したのです。 オトーサン、 それにしても、 ジュリーの演出には驚きました。 このひと、天才かも知れない。 おもえば、 人間のなかに潜む残虐装置は、 ローマの昔から絶えることはありませんでした。 ナチスやムッソリーニの大量殺人、 2度にわたる世界大戦、 湾岸戦争、イスラエルとアラブの永久戦争... そして、絶えることのない巷のレイプや殺人事件。 ですから、 この映画、 グラデュエーターのような ローマ史劇を題材にした娯楽大作を 期待してきた観客はびっくりします。 途中で、 あら変だわ ローマ軍の凱旋行進に 何でオートバイや自動車が出てくるの? この高層ビル、ムッソリーニが建てた市庁舎じゃない? 王子ふたりが何でゲームセンターで踊り狂っているの? このシーン、 どこかでみたことがある、 ハムレットのオフィーリアの独白シーンかしら? あらあら、 いやらしいことしてる フェデリコフェリーニの甘い生活のシーンみたい それとも ローマの酒池酒林ってこんな風だったのかしら? そうして ジュリー・コースターに乗せられて ほんろうされたあげく あっ、これって いま自分たちがやっている残虐行為を描いた映画なのね! そう気付くのです。 この映画の評価は、 2分されるでしょう。 「スゴイ、天才だ」 「ツマラン、損した」 あなたが、どちらに属するかは、観てのお楽しみ。 ローマの将軍を演じた アンソニー・ホプキンスの名演技は圧倒的でした。 この映画の最後のシーン、 かれがコックになって 人肉入りのパイを食べさせるところなんぞ、 ドキドキ、ハラハラ。 オトーサン、 もういまからワクワク、ドキドキ。 上映が待ち遠しいなあ。 「羊たちの沈黙の」続編 話題作「ハンニバル」も、実は、彼が主役なのです。 「まるで、ハンニバルの予告編を観ているようだわい」 ほかの俳優・女優の演技も、スゴイの一言。 撮影日数が延びに延び、 ジェリーにしごかれての苦悶の日々も、 出来あがってみれば、いい思い出になるのではないでしょうか。 映画史上に残る名作が誕生しました。 20世紀バンザイ。 21世紀が楽しみです。


カル

オトーサン、 久しぶりに渋谷の街に行きました。 最近開店したユニクロの渋谷神南店を捜しあて、 エアテックのコート5900円を買ったあと、 セレクトショップのご三家、 ビームス、シップス、ユナイテッド・アローズを覗き、 「高いなあ」とつぶやき、 zaraに立ち寄って、 「いいセンスだなあ。値段も手頃だし...そのうち買いにこよう」 そう店員にお世辞をいって、店を出ました。 オトーサン、 小学4年生から大学を卒業するまで ずうっと渋谷に住んでいたので、自分の領地を見回る気分でした。 ところが、渋谷は大きく変わりました。 奥方も言います。 「こんなへんぴな場所まで繁華街になってきたのね」 奥方は、下北沢に住んで、青山学院ですから、 オトーサンと同じ気分のようです。 井の頭通りの宇田川交番のそばにあった 松濤中学校の同級生がやっていたバーがなくなっていました。 その跡地がパルコ、パート4。 この3、4階にできた東大門市場を覗きました。 ここは、ソウルの東大門市場のイキのいい店を50店ほど引っ張ってきたもの。 韓国語が飛び交い、夜店気分。 奥方は、白いセーター2000円を1000円にまけさせて、ご機嫌。 オトーサンは、メガネを作りました。 安い安い。それにすぐできあがります。 ちょとした韓国観光旅行気分。 翌日、オトーサン、 映画館の集まっている繁華街に行きました。 年末は、忙しくなります。 新作ラッシュの時期なのです。 「毎日映画館に通わなくてはなあ」 時は金。 いまから上映という映画にしました。 題名は、「カル」 予備知識なしで飛び込んだものですから 画面にハングル文字のが流れ出したのには驚きました。 「あっ韓国映画だった」 それに、のっけから、顔も見えない犯人が 手術台に横たわった全裸の若い男の腕を切り落とす不気味なシーン。 床に置いたバケツに血がポタポタ。 それだけかと思いきや、 全編が猟奇殺人事件。 死体がゴロゴロ。 例えば、 エレベータの片隅におかれた黒いビニール袋。 子供がふざけて乳母車をぶつけます。 袋が破れ、どっと大量の血が流れ出します。 ごろんと生首。 絶叫! 「ありゃ、しまった。俺のキライなジャンルだ」 そんなことで、 オトーサン、 何回、目を覆ったことでしょうか。 指のすきまから覗き見るのもやめました。 そんなことをしたら、生首が見えちゃうもの。 主役の刑事を演じているのは、 ハン・ソッキョ。 あの「シュリ」 で好演した韓国映画界のトップスター。 飛び切りの美男子ではありませんが、演技の安定感は抜群。 相手役の謎の女を演じているのは、シム・ウナ。 冷たさを感じさせる美貌が光ります。 オトーサン、 「ありゃ、娘に似ている」 とつぶやきました。 顔立ちがちょっとわが娘に似ています。 すっかりハン・ソッキョに親しみを感じてしまいました。 感情移入のせいか、彼女が犯罪に巻き込まれるたびにハラハラ。 刑事とアパートで一緒に夜を過ごすのを見るととても心配です。 キムタクみたいに「デキちゃった婚」はダメだよ。 飯島愛ちゃんみたいに、メチャメチャなことしないでね。 最後のシーン、 ハン・ソッキョがパリに旅立つために、無事に飛行機の座席に落ち着くのを見て、 オトーサン、いたく安心しました。 「よかった、よかった」 本当は、ちっともよくないのですが、それは映画を見てのお楽しみです。 TSUTAYAみたいなCDショップで殺人事件が起きたりして すごく現代的というか、日常的な視点に感心しました。 チャン・ユニョン、 これが監督第2作目とはとても思えぬよい出来です。 オトーサン、すっかリ感心しました。 「韓国映画は、あなどれませんねえ」 2002年の日韓サッカー共同開催に向けて、映画界も互いに切磋琢磨しましょうよ。 ちなみに観客は、若いカップルばかり。 迫力満点のスリルを求めてやってきたようですが、予想以上で、みな青ざめていました。


セクシャル・イノセンス

オトーサン、 この映画、ずうっと気になっていました。 9月に、海外旅行をしたとき、 ロンドンの映画館でも、パリの映画館でも、 U−571と並んで派手に上映中でしたので。 「帰国したら見にいくぞ」 と待ち構えていました。 ところが、 U−571のほうは、とっくに上映されたのに こちらはなかなか上映されません。 上映されても、広告もなくマイナーな扱い。 「どうしてかなあ」 そんな疑問を抱いて、入場。 シーンA 最初に、アフリカの赤い土地。 子供が自分の背よりも高いとうもろこし畑のなかを歩いて 黒人の女の子の家にいき、部屋を覗きみます。 下着姿の女の子が好色そうな老人の前で本を朗読しています。 それだけ。 これは監督が、かつて子供の頃、アフリカに住んでいて はじめてセクシャルな体験をしたときの鮮烈な映像のようです。 いってみれば、森鴎外のイタ・セクスアリス。 本人にとっては、強烈な体験ですが、 問題は、それが他人に話して意味があることなのかどうか。 でも、考えてみれば、他人に話すために体験をしたり、 人生を生きていくわけではないから、 このほうが自然なのかもしれません。 シーンB 彼は、青年期を迎えます。 彼女とイチャイチャ。床のじゅうたんの上に横たわって、キス。 白いブラウスのうえに突き出ている胸に触ろうとすると、彼女が手で外す。 その繰り返し。 でも、次第にその気になってきます。 ところが、父親が突然帰宅して、行為は中断。 しかも、父親は、その場で心臓発作。 セックス気分は吹き飛びます。 シーンC 彼は、結婚して美しい妻と可愛い子供をもちます。 山荘へいきます。 子供を寝かしつけて、台所で料理をはじめた妻の後ろに立ちます。 ブラウスのボタンを外して、盛りあがる乳房を愛撫。 ブラジャーを外して、乳首を執拗に愛撫します。 やがて若い妻もその気になってきます。 そこで、スカートをまくりあげて、後ろから挿入。 モゾモゾ。 若い妻の何ともいえない恍惚の表情がクローズアップされます。 そこに訪問者があって中断。 このシーンがプログラムの表紙になっています。 これだけみれば、まるでポルノ映画です。 このようにまとめると、 一応のストーリーができますが、 これはあとでプログラムを読んで、整理してようやく分かったのです。 しかし、 上映中は このほか気になるシーン、それも断片的なシーンが パズルのように組み合わさって次から次へと出てくるので 何が何だかわかりません。 双子の生まれたての赤ん坊が延々と写るシーン 若い黒人の男と若い白人の女が全裸で湖に立つシーン 2組のカップル。片方の男と片方の女が一瞬手を握るシーン 砂漠で黒人の集団に若い娘が殺されるシーン。 そのなかで、 分かりやすいのが、 いま説明してきたシーンA、B、C。 これは、幼年期、思春期、壮年期の順ですから分かりやすいのですが、 もしこの順番をずらして BCAにしたり、CABとしたらどうでしょうか。 さらに、 CBA,BAC、ACBとしたらどうでしょうか。 分かりにくくなります。 人間の記憶というのものは、面白いもので、 突然、脈絡もなく、あるシーンを思い出すことがあります。 だって、みなさんも、いま、このシーンCを読んで 突然、ああ、若いときは奥方を相手にバカやったなあ なんて思い出すかも知れません。 その気になって、いま古女房を相手に事に及べば、 CCCということになります。 CCCっていえば、このHPの正式タイトル。 「おまえ、何いいたいの?」 何が何だかわからなくなるでしょう。 これが、現代作家の手口。 何の疑問もなく、平凡に過ごすひとたちに 一撃を与え、別の人生へと送り出す。 もし、ABCの順で語ったら、何の衝撃も与えられません。 そこで、順番を変える。 この映画は、前衛映画なのです。 監督は、もとミュージシャンですから、 じつに音楽の使い方がたくみなのも見所です。 ご紹介したように、いくつもの印象的なシーンをランダムに編集。 まあ、気になったら見に行ってください。 映画が終わって 場内が明るくなったら、 あらあら、 観客はオトーサンと若い娘の2人きり。 「何じゃあ、これ?」 オトーサン、そう吐き捨てて、劇場をあとにしました。 でも、 このシーンを、 95年に「リービング・ラスベガス」で アル中患者と娼婦との絶望的な恋を描いてアカデミー賞にノミネートされた 若き俊英映画監督マイク・フィギスが映画に仕立てるとどうなるでしょうか。 白髪の老人がいいます。 「何じゃあ、これ?」 若い娘さんが、とろんとした目でうなずきます。 映画の性的なシーンの衝撃で、すっかりその気になってしまったようです。 ひょっとして、誘ったらホテルまで行くかも... 白髪の好色な老人は、若い娘に話しかけて、一緒にエレベターに乗ります。 二人っきり。好色な老人は、そっと若い娘の手を握ります。 娘は、手をそのままにしています。 これが二人の出遭いのはじまりでした。 親子以上に年のちがうアル中患者と娼婦との絶望的な恋。 時は、第二次大戦前の緊迫した街、ベルリン。 なーんちゃって、 マイク・フィギスの映画だと、 こういう風にして物語が展開していくのです。 勿論、現実には、オトーサンには、何事も起りませんでしたよ。 あああ。


バーティカル・リミット

オトーサン、 この映画、日米同時公開ということで 大いに注目していました。 先週の土曜日には,先行オールナイトがあって アメリカより早く見られるということでしたが、 「夜遅くじゃねえ」 オトーサン、 暗くなれば寝るという習慣を変えることはできませんでした。 日米同時公開。 すでに発売と同時にコピーが出回るようになっていますし、 映画がデジタル化すれば、DVDやVTRも半年後ではなく、 同時発売になります。 そのほうが、相乗効果で売れ行きもいいはず。 でも、同時となれば、 字幕翻訳の時間も短縮せねばなりません。 岡田荘平さんは、めちゃめちゃ忙しかったのではないでしょうか。 日米同時公開を敢行したのは、コロンビア映画。 ソニー・ピクチャーズ エンタテイメント ソニーが買収した会社です。 デジタル化で先行しているソニーだからこそできる快挙です。 さて、 オープニングの初回、劇場は満員でした。 老若男女、といっても オバーサンはいませんでしたが、 幅広い年齢層で溢れていました。 どうやら、ヒット作になりそうです。 最初のシーンは予告編でみた通り。 西部劇によく出てくる赤い岩山とロック・クライマー。 よく、あんな垂直の壁を這い登れるものです。 若者たちは、余裕しゃくしゃくで、絶壁で流行歌をハミング。 ところが、転落事故の巻き添えになって、 1本のロープに娘、兄、父親が辛うじてつかまる羽目に。 岩に打ちこんだペグが、重みで徐々にはがれはじめます。 「ロープを切れ」 一番下の父親が叫びます。 「そうしないと、3人とも墜落死するぞ」 「いや」と娘。 迷ったあげくに手にしたナイフでロープを切る兄。 父親を殺したこの体験は、2人の兄妹に深い心の傷となって 残ります。 シーンは一転してK2のベースキャンプ。 エベレストより登頂が難しいといわれる8000メートル級の山です。 妹のアニーは、父親の遺志を継いで、クライマーになり、 3人でチームを組み、K2登頂をめざしています。 一緒にいるのは企業家エリオットとトップクライマーのトム。 幸い好天続き。 いよいよ出発です。 途中までは順調ですが、天候が急変します。 トムは引き返そうとしますが、エリオットはあくまでも登頂継続を主張。 結果、強風にさらされ、視界ゼロで動くこともできなくなります。 そこに雪崩が襲いかかりました。 3人はクレバスに落ち、しかも、岩が入り口をふさいでしまいます。 3日たてば、酸素不足で肺水腫で死亡確実。 一方,登山家にならず、写真家になった兄ピーター。 ひょんなことで、K2のベースキャンプにたちよりました。 無線が入って、アニーの遭難を知ります。 「あんな高いところ、ヘリも飛べない」 「岩をどうやって人力でとりのぞくのだ?」 「あきらめろ、救助隊のほうが遭難する...」 そういう声のなかで、ピーターは妹の救出を主張します。 救出劇は手に汗をにぎるハイテンポで行われますが、 それは見てのお楽しみ。 例によって、これ以上の筋書きの紹介は省略しましょう。 この映画のみどころは、 何といってもK2の美しさ。 大画面ならではのヒマラヤ山脈の雪景色です。 オトーサン、うめきました。 「足腰が弱くなる前に、Kさんみたいに、一度、この目で実物をみたいなあ」 オトーサンの上司のKさんは、70過ぎでも元気ハツラツ。 10月18日から24日までネパールを旅されました。 ホームページに掲載された神々しいエベレスト! K1 さて 映画のほうですが、 オトーサん、見終わって、不満です。 プログラムには、 「21世紀はこの映画で始まる」 なんて書いてありましたが、それはオーバー。 せいぜいが山岳を舞台にした娯楽アクション映画。 出演者も中堅どころで、下手な演技。 監督は、あのマーテイン・キャンベル。 「マスク・オブ・ゾロ」は面白かったですが、 この映画はいまひとつでした。 雪崩や爆破や山岳撮影に気を取られて、 肝心の人間ドラマがおろそかになってしまったようです。 せっかくのSFXも不発。 プログラムの表紙のシーンがそうです。 だって、重いリュックを背負って、 8000メートルの高山で岩から岩へ飛び移れる写真家がいるでしょうか? どう考えたってムリ。 それとも、 21世紀には、人類は鳥になれるという強いメッセージなのかも...


宮廷料理人ヴァテール

オトーサン、 ある記事をみて目が点に。 日本経済新聞の12月7日の記事。 「個性派作品ゆったり鑑賞」 新しい映画館・センチュリーシネマが10月2日に 名古屋市の中心部・栄のパルコ東館8階にオープンしたとあります。 記事を読むと 160席、定員入替制、自由席、 スタジアムシート、座席ゆったり、カップホルダー付きとあります。 料金は、ほかの映画館と同じ。 しかも、カフェ併設のロビーがあって、 ここでは、高速インターネットを+200円で楽しめるとか。 「ふーん、名古屋にもお台場のシネマ・メディアージュみたいなのができたんだ。 見に行こうっと。でも、この記事が出たせいで混んでいるといやだなあ」 そこで電話をしました。 052−264−8580。 「上映時間を教えていただけますか」 「10:30ー12:40、1:10−3:20、3:50−6:00です」 新聞にメモします。 さらに、念を押します。 「座れますか」 「いつですか」 「明日です。だいじょうぶかなあ」 「明日なら問題ありません。お待ちしています」 金曜日の夕方、 疲れて風邪気味でしたが、早速、出かけました。 ところが、招待客だけとの看板が出ています。 「おいおい、そりゃないだろ」 美しい受付嬢に文句をいいました。 「お客様、申しわけありません」 柳に風と受け流されそうになったので、 オトーサン、 腹のムシがおさまらず、 「ここまでの交通費がムダになった。一体、どうしてくれるんだ」 とスゴミました。 「ちょっとお待ちください」 効目があってか、若い男のひとが出てきました。 名刺をみると、支配人・松浦隆とあります。 オトーサン、 まさか支配人が出てくるとは思いませんでした。 しかも、松浦隆さん、柔らかい物腰のひとだったので、 すっかり怒りが収まってしまいました。 「お詫びにコーヒーでもいかがですか」 「いやいや、そんなつもりで言ったんじゃないんだ。 間違えたら間違えたと素直に謝ってほしかっただけなんだ。 あなたが代わりに素直に謝ってくれたので、気がすんだ。 一映画フアンとして、こんな良い映画館が出来たのはうれしいなあ。 応援するよ」 「ありがとうございます」 そんなわけで、 日曜日に雨の中を出直しました。 受付で、松浦隆さんに、また逢いました。 「やあやあ」 もう旧知の仲のようです。 オトーサン、単純ですから、 新しい映画館を成功させて、松浦隆さんを男にしてあげたいと 強く思いはじめています。 知人・友人、先輩・後輩にも、この映画館を大宣伝しようなんて思っています。 オープニングの上映作品に、 2000年カンヌ映画祭オープニング作品を選ぶなんて オツじゃありませんか。 しかも、「宮廷料理人ヴァテール」 オープニングにふさわしく、華やかではありませんか。 さすが日本ヘラルド映画です。 さて、肝心の映画ですが、 舞台は17世紀フランスはシャンティイ城。 名門、コンデ伯爵が 不興を買った王の好意を取り戻そうと 3日間の饗宴を催します。 地上でもっとも贅沢な饗宴といわれました。 いまの日本の金に直して3兆円。 その饗宴のすべてを取り仕切ったのが、 名料理人として歴史に残るヴァテールです。 饗宴のテーマは 1日目:太陽の栄光と大自然の恵み 2日目:水 3日目:氷 大勢の貴族、女官を引きつれて国王の一行が城に到着します。 その行列のきらびやかなこと。 京都の時代祭のようです。 これだけ多くの人数のために食事を出すのは大変。 何トンという食材の調達からはじまって 料理、盛りつけ、演出。 並大抵のことではありません。 しかも、国王の弟君など、 好き勝手をするひとがいて、応対が大変。 ルイ14世も、毎夜、女官を取り替えるご乱行。 おまけにコンデ伯爵も持病のリュウマチでたびたび七転八倒。 あげくの果てに、カードでの賭け。 エスカレートして、ヴァテールまでがその対象に。 そんななか、 コンデ伯爵の料理人ヴァテールが ふとしたことで、王の女官アンヌと恋に落ちます。 これは運命的なもので、どうしようもありません。 ところが、 王がたまたまアンヌをみかけて、夜伽の相手に選んでしまいます。 王の命令ですから、断るわけにはいきません。 しかも、秘書役のローザン公爵までがアンヌに横恋慕。 隙あらば、花の蜜を吸おうと近寄ってきます。 これを演じるのが、あの海の上のピアニストのテイム・ロス。 監督は、中堅、ローランド・ジョフィ。 衣装は、イヴォンヌ・サシノー・ド・ネール 音楽は、巨匠、エンニオ・モリーネ さて 豪華絢爛たるショーを見終わって オトーサン、ある種のむなしさを感じました。 観客は中年のご夫婦とおばさん仲間が大勢でしたが、 エレベータのなかで、オバサンの一人が仲間に言いました。 「何で、ああいう終わり方するのかしらねえ。 ハッピーエンドのほうがよかったのじゃないかしら」 その通り。 風光明媚な城、 豪華絢爛の衣装、 山海の珍味を盛った食卓、 あでやかな女官たちの人間模様 あっと度肝をぬくさまざまなショウ 料理人を演じる当代きっての名優・ドパルデュー 触れなば落ちんの風情を漂わせる名花、ユマ・サーマン 夢よ、永遠に続いてほしい、はじまった恋は成就してほしい でも、 オトーサン、 辛うじて踏みとどまりました。 芭蕉の一句を思い出したからです。 「面白うて やがてかなしき 鵜飼かな」 すべての物事にははじまりがあって、そして終わりがあるのです。 「そうなんだ。オレの人生もすでに終盤、楽しまなくては」 でも、 はじまったばかりの センチュリーシネマの営業はこれから、 支配人・松浦隆さんのご健闘を祈りましょう。 見果てぬ夢をずうっと人々に贈りつづけてほしいものです。 追記: 松浦さんのおすすめもあって、 ヘラルドのシネマクラブ特別会員になりました。 年会費シニア4000円ですが、よく見るオトーサンには得になるようです。


ホワット・ライズ・ビニース

オトーサン、 ハリソン・フォードには借りがあります。 「スターウォーズ」(1977)の主役ハン・ソロで 一躍トップスターになりました。 その後もスター街道まっしぐら。 「刑事ジョン・ブック/目撃者」(1985)では、 アカデミー賞にノミネートされるなど数々の栄誉 「エアフォース・ワン」(1997)では、大統領役を好演。 ハリウッドで、長い間、輝いている名優です。 オトーサン、 最近では、 昨年の「ランダム・ハーツ」が記憶に残っています。 巡査部長を好演しましたが、それよりも、 自分が駐車違反で危うくつかまりそうになって、 「ハリソン・フォードを見てきました、映画評論家です」 といったら、警官が許してくれたからです。 いわば、水戸黄門の印籠。 そんなことで、ハリソン・フォードには借りがあります。、 さて、映画の出だしは ヴァーモントにある湖畔に臨む1軒の美しい屋敷を 写しだします。 この家には、 著名な科学者、ノーマン・スペンサー博士と 元チェリストの美しいクレア夫妻が住んでいます。 二人は、何不自由ない暮しをしています。 いまも、娘を気にしながら、朝から抱擁。あやうくベッドイン。 でも、今日は忙しい日なのでいつまでもいちゃいちゃしてはおれません。 大学の寄宿舎に入る娘を送っていかねばなりません。 娘と離れ離れになった クレアの心にポッカリと空洞があきます。 そのせいなのでしょうか。 隣に引っ越してきた夫婦の動きが気になって仕方がありません。 庭で派手に夫婦喧嘩、 夜には、激しい営みの声。 ある雷鳴とどろく夜、ふと窓からのぞくと、 夫が黒いビニールにくるんだ物体を車に積んでどこかへ出発。 夫ノーマンを起こしますが、もういなくなったあと。 「お前、最近、すこしおかしいぞ」 でも、訪ねても、奥さんはいないのです。 もしかしたら、殺人事件? 家のとびらがスーッと開いたり、 ドライヤーが止まったり 額縁が落ちたり、 急にパソコンの電源が急に入ったり、 家のなかでも次々と妙なことが起きはじめます。 「隣家の奥さんの幽霊が出てきたのかも」 精神科医に相談にいきます。 彼はその幽霊を呼び出してみたらとアドバイス。 そんな風にして、いつしか 秋の深まりゆくヴァーマオントの瀟洒な屋敷は、 ヒッチコックの映画のように 不気味な屋敷に変わっていくのです。 でも、例によって、あとのドラマは省略します。 オトーサン、 「ハリソン・フォードの映画なら安心」 「また、かれの大活躍がみられる」 そうたかを括っていましたが、次第にこわさで震えだしました、 スリラーだったのです。 途中、何回も目をそらしました。 闇のなかで時計をみて、 あと1時間もあるのかあ。 トイレに出て、外の明るい光をみて一息ついたりしました。 監督は、ロバート・ゼメキス。 「フォレスト・ガンプ」でアカデミー賞。 ノーマン・スペンサー博士にハリソン・フォード、 クレアに美人女優ミシェル・ファイファー。 このひと、88年、89年と2年連続でアカデミー賞にノミネートされた実力派。 あの巨匠ジョルジオ・アルマーニの親しい友人で、 イタリアのパンテレリア島の別荘に招かれる数少ないひとです。 なお、恐怖をあおる音楽は、これも実力派、アラン・シルヴェストリ。 「強くなければ生きられない、 優しくなければ生きている値打ちがない」 確かハードボイルドの探偵マーロウのせりふだったと思いますが、 この映画で、ハリソン・フォードは、新境地を開きました。 強さ、優しさに、渋さ、危うさが加わりました。 この調子だと、まだまだハリウッドのトップスターを続けられそう。、 クリント・イ−ストウッドのように、 いつまでもスクリーンで活躍してほしいものです。 そうそう、いい忘れましたが、字幕翻訳はあの戸田奈津子さん。 だから、いい映画なのです。


オーロラの彼方へ

オトーサン、 この映画、いい題名だなあと思いました。 「南極物語」風の物語かなあ。 ところが、 見る前にパンフレットを買って 予習すると、 原題は、FREQUENCY。 辞書には、頻度、周波数などと出ていますが、 ここでは、無線機の「周波数」。 無線機で親子が交信する、親子の心の交流を描いた映画。 「へえ、そんな意味なのか」 今年は、 11年ぶりにオーロラが多く出る年だったそうです。 オーロラというのは、 太陽から出る電子が地球の大気と衝突して起きる現象。 この巨大なエネルギーによって異なる時空を超えて 情報の移動が可能になる。 オーロラがでると、 30年の時空を超えて父親と息子が交信できる。 タイムトラベルが可能になるのです。 そこで、 NYでオーロラが現われる今年、 親子の交信が可能というのが、この映画のミソ。 ちょっと怪しい説ですが、 冒頭のシーンに、 妖しくも美しいオーロラが画面いっぱいに写ると、 「おお」 オーロラ怪しい説など、どうでもよくなってしまいます。 オーロラが消えると、 1969年のNYでの地下発電所の大火災、 消防隊員によるド派手な人命救助か活動のシーンに変わります。 もう疑問など抱くひまはありません。 CNNのひとが 「最初の数秒で虜になるドラマは、最後まであなたを捉えて離さない」 とコメントしていますが、その通りでした。 この勇敢な消防隊員が、フランク。 舞台は一転。 2000年のNYのとある家。 荷物をまとめて家をでていく妻。 がっくり頭をかかえる夫。 ジョンは、NY市警の殺人課の刑事。 未解決のナイチンゲール(看護婦)連続殺人事件の謎を追っています。 仕事の面では大活躍ですが、どうも私生活は多難なようです。 がっくりきたジョン、 居間の写真をみて、昔のことをおもいだします。 亡くなった父親と母親、そして子供が写っています。 この子供がジョン。 「そうそう、休みの日には、野球をやったっけ。 毎晩、帰宅してから、自転車に乗れるように教えてくれたっけ」 ひょんなことで、無線機を物置から取り出します。 ピー、ビー。 周波数が合うと、クリアな声が聞こえてきました。 「こちらCQA112。どうそ」 相手の身元を確かめ合っているうちに、 相手は、何となくなった父親の声だったのです。 30年の時空を超えての親子の交信がこうしてはじまったのです。 でも、オーロラ次第で交信はいつ不可能になるか分かりません。 どうやって身元を確かめ合ったって? カギは、NYメッツ。 息子は、すでに30年前の歴史的なリーグ優勝戦の経緯を知っています。 当り前か。 9回裏、J選手の奇跡的なソロホームラン。 父親は次々と当る息子の予言に、 時空を超えた交信がほんとうであることを確信します。 「おやじが生きていたら、ああもしてやりたかった。 一緒に、心を開いてゆっくり話し合いたかったなあ」 誰にでもある後悔の念。 それが、このスクリーンでは、現実になって 触れ合いそうな近さで親子の顔が大写し。 「うわっ、涙腺がシゲキされる」 後半は、 スリラー映画が得意なグレゴリー・ホブリット監督の技が冴え、 ナイチンゲール連続殺人事件の謎を親子が力を合わせて解決に邁進。 手に汗にぎるテンポで進行します。 結果は、まあ、話してしまっていいでしょう。 ハッピー・エンド。 父親役は、デニス・クレイド。 息子役は、ジム・カヴィーゼル。 中堅どころですが、好演していました。 でも、この映画は何といっても意表をつく優れた脚本。 何と脚本は、はじめてというトビー・エメリッヒのもの。 ニューラインシネマの音楽部門の社長さんだそうです。 思いついて、一日12時間部屋にこもって書き上げたとのこと。 オトーサンも、 そのうち、 とんでもない傑作をものにしたいものです。 そうそう、それから YAHOOの話しがうまく散りばめられていて、 笑っちゃいました。 これから見に行くひとは、よく注意して見てください。 株価が上がると分かっていれば、オトーサンも買っていたでしょうに。 そうそう、もうひとつ。 阪神の新庄選手がメッツ行きですって? はたして成功するのでしょうか。 レギュラーになれるのでしょうか。 この映画の無線機に聞いてみたいところです。


13デイズ

オトーサン、 この映画をみて、 久しぶりにキューバ危機のことを思いだしました。 1962年。 会社へ入ったばかりの頃です。 米ソの対立が激化して、あわや第3次世界大戦。 目を皿のようにして、新聞や白黒TVにかじりついたものです。 これで、おれの人生ももうお終いかな、なんて深刻に考えましたよー。 ズドーン、ぴかぴか。 ピカドンで、この世は終わり。 人類滅亡。 この映画の最初のシーンでは、 子供5人の大家族の朝の食卓風景が写ります。 それにオーバーラップするように、きのこ雲の映像。 この家族の幸わせを一瞬のうちに吹く飛ばす原水爆の恐怖が暗示されます。 電話のベルで、父親は緊急に呼び出されます。 この父親は、大統領特別補佐官、ケネス・オドネル。 そうです、偵察機が撮影した写真には、ミサイルが写っていたのです。 ソ連が、アメリカと国交断絶した隣国・キューバにミサイル基地を建設中なのです。 そうなると、アメリカ本土は、核弾頭を装備したミサイルの射程圏内に入ります。 発射されれば、たったの5分で爆発。 きのこ雲の脅威が、現実のものとなってきたのです。 この喉元に突きつけられた匕首を取り除くにはどうしたらよいか。 ワシントンの大統領周辺はにわかにあわただしくなってきます。 かといって、国民を不安のどん底に落とすわけにもいかず、 敵国、ソ連に国内の動揺や分裂をさとられてはいけないので、 隠密裏にすばやく対策を打ち出す必要があります。 万が一、間違った判断を下したら、どうなるでしょう。 それは、愛する家族全員の死。国家の消滅。 キューバ危機からもはや38年。 当時、オトーサン、新入社員に毛が生えたくらいでしたが、 もうオレの人生,終わりかなあと思ったものです。 せめて熱烈な恋愛のひとつやふたつ成就してから死にたいものだ。 ところが、キューバ危機はあっけなくソ連の一方的な譲歩で終結。 キューバに持ち込まれたミサイルは撤去されて、平和が戻ってきたのです。 オトーサンは、生き延び、結婚をして、子供たちも生まれました。 でも、すうっと、頭の底に、ほんとうは一体何があったのだろうか、 そういう疑問が残っていたのです。 それが、この映画をみてすべて氷解。 なぜなら当時の文書の機密保持期限が過ぎて、公開されたからです。 この映画の脚本を書いたデビット・セルフは、 そうした歴史的記録文書と関係者のインタビューによって ホワイトハウス内の動きを手にとるように再現することができたからなのです。 これってスゴイことではありませんか。 軍部は強硬。 空爆、そしてキューバ侵攻を主張します。 その結果は、火をみるより明らか。世界大戦です。 オトーサン、背筋が凍りつくような恐怖を感じました。 幸い、当時のアメリカには、JFケネディ大統領(45歳) 弟のロバート・ケネディ司法長官(36歳)、 この映画の主人公、大統領特別補佐官、ケネス・オドネル(38歳) という3人の若き俊英のチームが存在していました。 かれらが、国を救ったのです。 その背後には、 ひとつの判断ミスが、 世界の運命を決めてしまう重圧に打ちひしがれ、 眠れない日々が、 地雷原を歩いて渡るような13日間があったのです。 優秀な指導者がいたからよかったようなものの、 もし、凡庸な判断ミスを犯すような指導者をもったらどうなったでしょう。 アブナイ、アブナイ。 それは、即、身の破滅につながるのです。 (わが国では、森首相は、自衛隊の総司令官。 われわれは、深く考えもせずに、かれに命を預けているのです) オトーサン 身の毛のよだつ13日を追体験して 有楽町マリオンの高い天井ホールを抜けて、 銀座のほうに歩きだしました。 ちょうど天気が回復して、雨あがりの舗道がきらきら、生き返ったようです。 もうひとつの人生を神様から与えられたような気がしました。 それにしてもと オトーサン、つぶやきます。 大統領補佐官を演じたケビン・コスナーは、うまい役者だったなあ。 アカデミー主演男優賞にノミネートは確実だろうな。 ケネディ大統領もかっこよかったなあ。そっくりだった。 全体に、テンポも、映像の切れ味もよく、なかなかよかった。 監督は、ロジャ−・ドナルドソン、中堅実力派。かれ、頑張ったなあ。 観客は、大勢。 どういうわけかオジンばかり。 そうか。みんなキューバ危機の被災者だったんだものなあ。 オトーサンのとなりに女子高校生3人がいましたが、 はじまる前は、ぎゃあぎゃあ、おしゃべり。 ところが、上映中は、こっくりこっくり。 字幕翻訳は、久しぶりに戸田奈津子さん。 やはりいい映画でした。 この映画、文部省推薦にすべきです。 受験問題はこの映画から出すようにしましょう。 そうでもしないと、人類の貴重な経験は次世代に受けつがれませんよ。 おい、おめえたち、寝てる場合かよ。


グリンチ

オトーサン、 年末年始は、おおいそがしです。 だって、お正月映画が目白押しだからです。 映画産業にとっては、かき入れ時。 学校が休みになり、休日が多くなるからです。 「何をみようかなあ。 バトル・ロワイヤルは、文部省が見るなというから、見たいし、 シックス・デイは、凡作らしいけれど、シュワルツネッガーが好きだし... 困ったなあ」 TV、VTR、DVDならいつでも見ることができますが、 映画だけは、決まった時刻にどこかへ見にいかねばなりません。 結局、上映時間の関係で、グリンチ。 これって、吹替版と字幕版と2種類あります。 子供は、字幕がよめないので、吹き替え版をえらびますが、 オトーサンは、迷わず字幕版。 だって、下手な声優の吹き替えなんて、イライラします。 たまたま、 劇場に早く到着。 川崎チネチッタ。 ここはシネマ・コンプレックスになっていて、 12本が並行上映中。 共通窓口のおねえさんに聞きました。 「座れるかい?」 「座れるとは思いますが、 お早めにロビーでお待ちになられたほうがいいですよ」 その言葉を信じて、煙草の匂いのたちこめる狭いロビーで15分待ち、 映画が終わって出てくるひとをみつけて早々に劇場に入ります。 ガラガラでした。 エンディング・タイトルと歌が流れています。 「ふーん、なかなかイイ歌だなあ」 結局、5分かかって映画終了。 それから休憩時間と予告編があって、上映開始まで20分以上の待ち。 暖かく暗い部屋に手持ち無沙汰で座っていると、眠くなります。 オトーサン、 グリンチがはじまったときは、もう睡眠モード。 出だしは、いかにも作り物と分かる小さな村の雪景色。 赤ん坊が次々と誕生しますが、このフービルの村では 赤ん坊は母親の体内から出てくるのではなく、 小さな小さなパラソルにのって、空から粉雪とともに舞い降りてくるのです。 「ディズニー映画みたいだなあ。童話の世界だなあ。どうってことはないなあ」 ぼんやり、そう確認すると、もういけません。 オトーサン、うつらうつら。 「TAXI 2」もほとんど寝てしまったので、 この映画批評にカウントできず、1本数字を損しました。 「このグリンチも、結局、見たことにならないのかなあ」 でも、 ところどころですが 要所は、見ましたよ。 グリンチというのは、どうやら、この映画の主人公のようです。 全身が緑色の毛で覆われていて、指は細長く20cmはあるでしょうか。 ひねくれ者で、意地悪で、悪智恵ばかり働く変わり者。 成長すると、ひとりで高い山の洞窟に住んでいます。 クリスマスが大キライ。 何であんなに大騒ぎをするんだ。贈り物の交換なんてウソくさい。 ジングルベルが聞こえてくると、耳をふさぎます。 あるとき、グリンチは思いつきます。 「あの下に見えるフービルの村からクリスマスを盗んでしまおう」 オトーサン、うつらうつらしながら、 「クリスマスなんて盗めるものじゃないよなあ」 と反抗的な気分になって、また、うつらうつら。 目がさめると、 グリンチのところに、可愛い女の子が訪ねてきています。 さんざん、脅かしたりしてみますが、 この女の子、根っから純朴な子で、ちっともグリンチを恐がりません。 根負けして、結局、その子の言う通りに クリスマスのフービルの村へと降りていきます。 次に目がさめると、 グリンチは、何やら表彰されていて、 さらに次に目がさめると、 グリンチは、村人の贈り物ぜんぶを盗んで山のてっぺんに運び上げています。 そのあと、また目がさめると、 グリンチは、少女のやさしい純真な心にうたれて、善人になっています。 贈り物を満載したソリをフルスピードで走らせて、村人に戻してやろうとしています。 THE END。 オトーサン、 アクビをしながら、 「ああ、終わった」と一安心。 最初にみたエンデイング・タイトルをバックに音楽が流れています。 さっきはそうも思わなかったけれど、しみじみとしたクリスマスの名曲です。 「グリンチを演じている俳優、あれ何っていう名前なのかな。 大活躍で、さぞかし、つかれただろうなあ」 あとで、プログラムで確認すると、 ジム・キャリーという有名な喜劇役者だそうです。 セットも衣装も工夫されていたし、特殊メイクもこったものでした。 こんなに盛り沢山では、つくるのは、さぞかし大変だったでしょう。 監督は、中堅実力派のロン・ハワード。 原作は、ピューリッツアー賞をとって有名なDr.スースによるもの。 現代のマザーグースといわれ、44冊発行、2億冊以上の販売とか。 字幕翻訳は、またまた戸田奈津子さん。 オトーサン、眠っていて、評価以前でしたが、 戸田さんが字幕を引き受けたからには、名作のようです。 オトーサン、 グリンチ効果で イルミネーションがひときわキラキラ輝いてみえる 川崎駅前商店街を歩きまがら、生き延びている幸運に感謝しました。 「偶然だけれど、クリスマス前に見られてよかったなあ」 この映画、見るつもりなら、早く見に行ってください。 家族そろってが最高ですが、恋人と一緒でもいいのではないでしょうか。


ダンサー・イン・ザ・ダーク

オトーサン、 今年、映画を見るのは、これで82本目。 「ああ、よく見たなあ、 でも、結局、100本には届きそうもない」 思いが交錯するなかで、川崎チネチッタへ。 ここは、前にもご報告したように、 シネマ・コンプレックスになっていて、なかなか便利なのです。 窓口で、切符を買おうと 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」といいました。 「????」 何やら、わからないことをいわれて、 一瞬、香港モード。 中国語かと思いましたよー。 「えっ?」 聞きなおすと、 「ダンサー・イン・ザ・ダークは、こちらではやっておりません。 BE4のほうにお回りください」 といっております。 「あっ、そうか。ありがとう」 横断舗道を渡って、駅へ逆戻り。 BE4は、駅デパートの4階にあるのです。 「危ない!」 目の前で 宅配便のお兄さんが、 赤信号をムリに渡ろうとして、 クルマに引かれそうになりました。 さっき、こちらの映画館に向うときにも、 クルマに引かれそうになったひとではありませんか。 「おいキミ、配達なんか、すこしくらい遅れたっていいいじゃないか。 それより命のほうが大事だぜ」 そう忠告しようと思いましたが、彼の黄濁した目をみてやめました。 完全に、気が触れているひとの目です。 そんなことで、 見る前から異変が続きました。 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」がはじまりました。 音楽は鳴っていましたが、 画面が真っ暗なので オトーサン、 不思議に思いました。 「ありゃ、映写技師もラリってるのかなあ」 「それとも、オレの目がおかしいのかなあ。 香港で禁を破って泳いだので、目の調子がおかしくなったのか」 でも これは ラース・フォン・トリアー監督がワザとやったこと。 なぜなら、彼は前衛映画の旗手のひとりだからです。 1、ロケ撮影をおこない、大道具、小道具は使わない 2、音は自然音に限り、バックに音楽を流してはならない 3、撮影は、手持ちカメラで行う 4、フィルムはカラーで、特殊な照明はおこなわない 5、トリック撮影、特殊効果、フィルターは使用しない 6、殺人や武器の使用など、うわべだけのアクションはもちこまない 7、時間的に別の時代、空間的に別の場所を舞台として設定してはならない 8、商業的なジャンルの映画はつくらない 9、フィルムは、35ミリ、スタンダードサイズとする 10、監督の名前はクレジットしない これが、1995年にかれが結成した映画人集団の誓い、ドグマ95の内容です。 「映画よ、自然に帰れ」 それが、かれの主張なのです。 もし、かれのいうように厳格にこのドグマを適用したら、 オトーサンが今年みた映画で合格するのは、おそらく1本もないでしょう。 オトーサンも、 この映画批評で、 あらすじのすべては紹介しないというコードを守ってきましたが、 今回だけは、年忘れ記念で、破ってしまいましょう。 物語は、ある女性の転落談。 失明する遺伝子をもっているのに子供を産んでしまったのが、 そもそもの不幸のはじまり。 子供に目の手術を受けさせるべくチェコからアメリカに渡ります。 田舎の工場で働き、内職や夜勤までして、せっせとお金を貯えます。 楽しみといったら、素人集団でやっているミュージカルの舞台に立つことだけ。 しかし、彼女の目はドンドン悪くなっていきます。 もう失明寸前で、手探りで家の中を歩くようになるほど悪化してしまいます。 仕事は金物のプレス工程ですが、チョンボつづきで、クビになります。 楽しみにしていたミュージカルの主役の座も辞退せざるをえません。 目標額までは溜まりませんでしたが、お医者さんにお願いして、子供の目の手術をすることにしました。 ところが、その日、親しくしていた隣家の警官が金に困って、彼女のお金を盗んでしまうのです。 彼女は、警官にお金を返してくれと頼みにいきます。 争っているなかで、ピストルが暴発、男は重傷を負って床に転がります。 しかし、なぜか、財布を抱き締めて、離そうとしないのです。 「さあ、とれるものならとってみろ、おれを殺せ」 彼女は、男にいわれるまま、メッタ打ちにして、男から財布を取り戻します。 血まみれの衣服は湖に捨て、犯行現場から逃走し、医者にお金を渡して子供の目の手術を依頼します。 しかし、あっという間に逮捕、裁判にかけられます。 お金をコツコツ貯めてきたこと、それは子供の目の手術代だといえばいいのに、 それをいうと、子供が知ることになり、目に悪い影響があると信じきっているので 真実を話そうとしません。 陪審員の誰もが、彼女が金ほしさに残虐な犯行に及んだものと思ってしまいます。 判決は、絞首刑に決定。 途中、友人の奔走で、再審請求のチャンスがありますが、それも拒否。 カメラは、彼女の絞首刑の瞬間も描写します。 しかも、アメリカでは、死体が落下するのを、市民が見守っているのです。 「ああ、気持悪い。いやよ、そんな映画、見にいくの」 そういう方は、見なくても結構ですが、 この映画、賛否両論が渦巻くなかで、 今年のカンヌ国際映画祭の最高賞・パルムドールを受賞したのです。 主演のアイルランドのポップス歌手、ビョークも主演女優賞を獲得しました。 このビョークさん、 最初は、映画音楽を作曲し、歌うだけの依頼だったのが、 監督がほれこんで、主役も引き受けることになってしまいました。 演技力などありませんから、当然、頼むは、体当たりの演技のみ。 オトーサン、 最初彼女がスクリーンに登場したとき、 黒ぶちの趣味が悪い度の強い眼鏡をかけていましたし、 おまけに世帯やつれしているので、 「何だ、このチビブス」とおもいました。 でも、必死の演技に、 だんだん感情移入してきて、 最後の死刑になるシーンでは、ついに、大泣きしてしまいました。 「いやあ、こりゃあ、5つ★だあ」 「入魂の演技。主演女優賞、当然だあ」 脇役陣も充実していましたよー。 友人役のカトリーヌ・ドヌーブ。 淀川長治さん流にいえば、 「ああ、ビョークさん、かわいそうですねえ、 この彼女の面倒をあれこれと見るのが、カトリーヌ・ドヌーブ。 なつかしいですねえ。 あの「シェルブールの雨傘」の初々しさはありませんが、 まだまだ美人ですねえ。 うっとりしますねえ。 勿論、演技力は抜群、衰えていませんね。 それどころか、年とともに、磨きがかかっていますねえ」 隣家の警官役を演じたデビット・モース。 情事がばれたあとのクリントン大統領のような表情が 何ともいえいない、いいお味。 彼女に恋する気弱な男を演じるピーター・ストーメア。 ひょろながい顔と身体つき、なさけない表情が、 ダンスシーンになると一変するのは見物です。 ダンス・シーン! 実は、この映画、ミュージカルなのですよー。 「信じられなーい」 オトーサン、びっくりしました。 だって、40分もたってから、ダンス・シーンがはじまるのですよ。 それも、彼女が働く汚い工場が舞台。 そして、続くシーンで、 鉄橋を渡る列車をよけている盲目の彼女が 突然、歌い踊りはじめるのです。 オトーサン、うめきます。 「もう一度、あのシーンだけは見たい」 だって、映画史に残るであろう名場面だったのです。 オトーサン、 ミュージカルが大好きです。 落ち込んだときの治療薬は、 何といっても、 ミュージカルを見るのが一番です。 奥方に内緒で小型液晶DVDを買って ミュージカルの古典「雨に唄えば」を繰り返し見ています。 ダンスって、人間が到達した最高の芸術様式ではないでしょうか。 全身で感情を表現する、すばらしいことです。 「ウエストサイドストーリー」、「オクラホマ」も見たいのですが、 どういうわけか、DVDが発売されていません。 でも この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は、 確実にDVDになるでしょうから、 いまから来年の発売が楽しみです。 「ああ、早く、DVDが発売されないかなあ。 それとも、もう一度、あのシーンを見に映画館に行こうかなあ」 ラース・フォン・トリアー監督が コード95を破って 100台のカメラを駆使した めくるめく映像と音楽の奔流を思い出すと 背筋がゾクゾクします。 オトーサン、 ついに決心しました。 「あのシーンだけでもいいから、年内にもう一度、見に行こうっと」 映画を2度も見に行くなんて、 「雨に唄えば」と「スターウォーズ」以来のことです。


シックス・デイ

オトーサン、 今年はじめに見た「エンド・オブ・デイズ」で この映画の主役、シュワルツエネッガーについては 語り尽くしております。 要するに、シュワちゃんのフアンであり、 なおかつ、友情出演までしていると申しあげております。 「お前、ふざけているんじゃないだろうな」 「滅相もない。真面目に真実を語っております」 そんなわけで、 オトーサン、 事前の映画評論家の批評が いかに悪かろうが、 この映画を今年最後の映画批評に 取り上げることにしたのであります。 年末の川崎チネチッタは、 若いひとだけでなく、老人男性で溢れております。 いかに、シュワちゃんが大衆に愛されているかの証拠。 オトーサン、 突然、 「シュワちゃんは、いわば、水戸黄門なのだ」 そう思い当りました。 かつては、 筋肉マンですから、悪役も似合いましたが、 「ターミネーター」が馬鹿当りした頃から、 確実にヒット作が見こめる俳優として、 正義の味方になってしまったのです。 どんなにシュワちゃんが、いじめられ、もがき苦しんでいても、 最後に、絶対シュワちゃんは勝つのですから、安心してみておられます。 映画評論家にとっては、許せない存在なのです。 パターンが決まっているから、批評のしようがないのです。 オトーサン、 その辺は気楽です。 「別にパターンが決まっていても、いいじゃん。面白ければ」 さて、 映画はというと、 シュワちゃんが郊外の家で 美しい妻と可愛い娘と一緒に、 幸せに暮しているところからはじまります。 「どうぜ、これから一波瀾あるぞ」 観客=大衆はそう思います。 その通り。 これが定石というもの。裏切ってはなりません。 シュワちゃんは、観光ヘリのパイロットです。 時代は21世紀の中頃に設定されていますから、 この最新型ヘリは自動操縦もできますし、 雪山の谷間を低空で超高速飛行だってできるのです。 「スターウォーズに出てくる乗り物みたいだ」 観客=大衆は、そう思います。 それでいいのです。 何しろ、シュワちゃんのこと、 親切ですから、いろいろ楽しませてくれるのです。 21世紀の中頃というと、 もうホログラフィが実用化されています。 オトーサンのいとこは、その道の権威ですが、 実用化にはまだまだ難題山積だそうです。 でも、シュワちゃん映画ならOK! 突然、空間に立体画像が出現するのです。 それも、セックス相手の超絶美人が出現するのです。 ここでは、彼女をホロちゃんと呼んでおきましょう。 シュワちゃんの同僚は、独身で、このホロちゃんと二人暮し。 帰宅すると、ホロちゃんが、出迎えてくれて、 「脱いでいい?」 なんていって、見事な姿態をさらけ出すのです。 シュワちゃんが訪問しても同じことをします。 シュワちゃんが、気がつくと、 いつの間にか、ズボンのジッパーが開いていたりして..,。 観客=大衆は、大喜びします。 アダルトビデオなんかより、ホロちゃんのほうがいいなと思います。 でも、この場面、評論家は勿論ですが、 オトーサンのいとこの研究者が見ようものなら、 女性ですから、「女性蔑視、絶対許せないわ」と怒りそうです。 評論家が もうひとつ眉をひそめるのが、 クローンの犬。 1997に誕生したクローンの羊だって、 神の代わりをついに人間がやるのか、 そんなことを許してはならないと大問題となったくらいですから、 この映画で、愛玩用に大量生産している光景なんか許せるはずはありません。 観客=大衆だって、同じでしょう。 ですから、シュワちゃんも、クローン反対です。 でも、家で飼っている愛犬が 悪性伝染病に罹って死んだことを、 娘が知れば、悲しむのは必定。 どうやって慰めたらいいでしょう。 シュワちゃんは、大いに悩みます。 この未来社会では、 周囲のみんなが買っている 愛犬のクローンを娘のために買うべきかどうか。 このシーンも、 あまりにみえみえで、評論家には不評でしょうが、 観客=大衆は、 「シュワちゃん、いいパパだなあ」 と思うのです。 さて、そんなシュワちゃん、 仕事を終えて、帰宅します。 愛犬のクローンはどうしても買えなかったので、 代わりにアイボが発展したお人形を娘のおみやげに買ってきました。 この人形、おしゃべりで、まるで生きている女の子そっくり。 クルマを降ります。 外から明るい家の中が見えます。 パーティのまっ最中。 「ありゃ」 今朝、死んだはずの愛犬が尻尾を振って飛び出してきます。 どうも、妻が娘可愛さにクローン犬を買ってしまったようです。 「まあ、しょうがないか」 そうシュワちゃん、妻を許して、家の中を覗きます。 すると、シュワちゃんがみたのは、 自分のそっくりさん。 妻と抱き合っているではありませんか。 例によって、 これ以上の筋の紹介はやめますが、 シュワちゃんの顔のしわ、首筋の衰えが目立ちました。 オトーサン=観客=大衆は、 「可哀想にシュワちゃん、シュワだらけじゃん」 と思いました。 ですから、 あとの展開がいかに安易でも、 CGを乱用しすぎていても、 007そっくりのシーンがいくらあっても、 オトーサン、 許してしまいました。 監督は、 おなじみ007 「トゥモロー・ネバー・ダイ」(97)の ロジャー・スポティスウッドでした。 では、皆様、いいお年を! ところで、 ここだけの話しですが、 オトーサン、年明け早々に息子の彼女とのご対面が待っています。 「そんな役目、恥ずかしいよ。お前がやれよ」 と奥方に嘆願いたしましたが、全然相手にされませんでした。 ダメおやじ、絶対絶命のピンチです。 シュワちゃんのようにいいパパを演じなければなりません。 オトーサンのクローンがいれば、当然、代わってほしいところです。 でも、まだそこまで科学が発達していないので、ムリ。 トゥモロー・ネバー・ギブアップの精神でその席に望みたいと思っております。


映画の採点簿

海の上のピアニスト        ****  ターザン             ***   エンド・オブ・デイズ       ****  ブレア・ウィッチ・プロジェクト  ***   ライフ・イズ・ビューティフル   ****  トゥルー・クライム        ***   ファイト・クラブ         ***   ロルカ、暗殺の丘         ****  ワールド・イズ・ナット・イナフ  ***   シュリ              ***** アンナと王様           ****  雨あがる             ****  ラブ・オブ・ザ・ゲーム      ****  ストーリー・オブ・ラブ      ****  シャンドライの恋         ****  キッドナッパー          **    ダブル・ジョバディー       ****  スリーピー・ホロウ        ****  マグノリア            ****  ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ ***   ヴァン・ダム in コヨーテ     ****  氷の接吻             ****  ストレイト・ストーリー      ***** グリーンマイル          ***   ヒマラヤ杉に降る雪        ***** 救命士              ****  スリー・キングス         **    ボーン・コレクター        ****  ザ・ビーチ            ***   アメリカン・ビューティ      ***** オール・アバウト・マイ・マザー  ***** マーシャル・ロー         ***** ロミオ マスト ダイ        ***   エリン・ブロコヴィッチ      ***** ミッション・トゥ・マーズ     ***   インサイダー           ***** グラディエーター         ****  ザ・ハリケーン          ****  2番目に幸せなこと        ***   サイダーハウス・ルール      ***** M:i-2               ***** レインディア・ゲーム       ****  ムッソリーニとお茶を       ***** パーフェクトストーム       ****  ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ ***** リプリー             ****  WHITEOUT         ****  U−571            ****  長崎ぶらぶら節          ***   ミュージック・オブ・ハート    ***** パトリオット           ***   オータム・イン・ニューヨーク   ***** マルコヴィッチの穴        ***** キッド              ***   ボーイズ・ドント・クライ     ****  60セカンズ           ****  シベリアの理髪師         ***** X−メン             ****  ダンサー             ****  インビジブル           ***   バトルフィールド・アース     ***   キャスティング・ディレクター   ****  ナッテイ・プロフェッサー2    ***   スペース カウボーイ       ***** 薔薇の眠り            ***   グリーン・デスティニー      ***** リプレイスメント         ***   チャーリーズ・エンジェル     ****  この胸のときめき         ****  悪いことしましょ         ***   シャフト             ***** タイタス             ***** カル               ****  セクシャル・イノセンス      ***   バーティカル・リミット      ****  宮廷料理人ヴァテール       ****  ホワット・ライズ・ビニース    ****  オーロラの彼方へ         ****  13デイズ            ***** グリンチ             ***   ダンサー・イン・ザ・ダーク    ***** シックス・デイ          ***  

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