小売業における価値創造(2000)
百貨店再生の方向



 1 はじめに
   わが国は、人口1億2600万人余、民間最終消費支出は
  300兆円を超える世界第二の消費大国である。
   本稿の主題となる小売業の規模は、97年で年間販売額が
  約147兆円、商店数が約142万店、従業者数が約735
  万人となっている。[1]
   卸売業と合わせた流通産業の売上規模は、GDPの1割強
  で、全製造業の半分を占める。
   かつて流通産業は、暗黒大陸といわれた。
   しかし、戦後復興に続く消費景気のなかで、米国に学んだ
  若き小売ベンチャーたちの活躍のおかげで「流通革命」が起
  きた。
   その後小売業は、高度成長のなかで順調に右肩上がりの成
  長を遂げ、今日みるような百貨店やスーパーといった大規模
  小売業に変貌した。[2]
   しかし現在、小売業は不況の長期化もあって大きな曲がり
  角に立っている。
   97年春の消費税アップ、秋口からの金融不安が不況に拍
  車をかけている。また、団塊の世代を中心に収入減、失業や
  老後への不安か高まり、買い控えが生じている。
   東急百貨店の日本橋店(もと老舗の白木屋)などが閉鎖さ
  れ、積極的な海外進出で知られたヤオハンが倒産した。[3]
     スーパーの最大手ダイエーも巨額の有利子負債をかかえて
    経営難に陥っている。
     この他、多くの企業の財務体質が悪化している。
     唯一好調だったコンビニエンス・ストアも既存店が減収に
  なった。売上増の切り札、出店競争も行き詰まっている。
      こうしたなかで流通外資の進出が本格化してきた。
   人件費などの店舗運営コストの高さといったマイナス要因
  もあるが、日米間の懸案事項であった大規模小売店舗法が廃
    止され、出店が容易になった。
   先行して日本に上陸した玩具専門店チェーンのトイザらス
  (Toys"R"Us)やアウトドア用品のL.L.ビーン(L.L.Bean)の成
  功がひきがねになり、文具・事務機のオフィスデポ(Office
    Depot)、オフィスマックス(Office Max)、カジュアル衣料の
  ギャップ(The GAP)、また地価の下落もあって全米最大の商業
   施設ディベロッパーAMI(American Malls International)
    なども進出してきた。[4]
   世界各国で旋風を巻き起こしてきた世界最大の小売業であ
    り、98年1月期の売上高が17兆円にもなるウォルマート
    (Wal Mart)の日本上陸も間近と伝えられる。   
      外資は消費者の期待を遥かに上回る商品、価格、サービス
  を提供する。バーゲン時だけでなく、毎日が低価格(Every
    Day Low Price:EDLP )で商品を提供し、無条件・無期限の
    返品保証まで行う。   
     日本経済新聞社と日経産業消費研究所が97年8−9月に
    首都圏の男女264人(コンビニエンス・ストアは251人)
    を対象とした調査結果によれば、「顧客ニーズへの対応に熱
    心である」という質問に対して「あてはまる」と答えた回答
    者の割合は、1位がセブンーイレブンで40%、2位がロー
    ソンで25%、3位はファミリーマートの21%と、新しい
    業態のコンビニエンス・ストアが上位を占めた。
     百貨店では、伊勢丹が21%、高島屋が14%、丸井が1
    3%と低い水準にとどまっている。
     スーパーでは、イトーヨーカ堂とダイエーが16%、ジャ
    スコが9%であった。
   このようにわが国の小売業は、消費者の支持を得ていると
  は言い難いので、流通外資が本格的に進出してくれば、経営
  危機に陥ることも予想される。
   株価の低迷で日本企業の買収もはじまった。
   都心の百貨店もターゲットになっているが、隠れ債務のた
  めにまだ具体化していないと伝えられている。しかし、時間
  の問題であろう。[5] 
     本稿では、まず、小売業をとりまく環境変化について考察
    する。小売業の代表として百貨店を取り上げ、日米比較を行
    い、わが国の百貨店の立ち遅れを指摘する。
     環境が構造的に変化している時代に要請されているのは、
    短期的な対応ではなく、長期的な視点に立った経営改革、す
    なわち真の消費者志向をめざしたパラダイムへの転換である。
     そのためには、やはり歴史に学ぶ必要がある。
     そこで、これまでの小売理論(マーケティング理論も合わ
    せて)の変遷を簡潔に振り返って、消費者サイドに立たない
    小売業が衰退していった事実を学ぶ。
     また、アメリカの小売業の経営改革の方向を観察すること
    によって、わが国の百貨店再生の方向を探りたい。
     そのうえで21世紀に期待される消費者志向の小売業が追
    求すべき最新のパラダイムを2つ提起することにする。

2 小売業をとりまく環境変化
   商業統計によれば、97年の小売売上高は147兆754
  1億円、商業動態統計によれば百貨店売上高は11兆154
  0億円となっている。
   小売売上高に占める百貨店売上高の推移をみると、196
  2年の9.5%が最高で、97年には7.5%と長期低落傾向
  にある。
     百貨店の売上はバブル崩壊後伸び悩んでいる。
      不況が百貨店の上得意である法人や高額所得層を直撃した
    からである。平成元年と平成6年の家計資産額を比較すると
    高額所得者(第X階級)では、24.8%もの大幅減になってい
    る。[6]
   しかし、他の小売業が97年でも伸びているのに、百貨店
    が足踏みしているのは、はたして不況のせいだけだろうか。
   小売業に影響のあるいくつかの構造変化要因をみてみよう。
   第一に人口構成の変化がある。
   少子高齢化である。若年人口が減り、高齢者人口が増加し
  ている。高齢者の暮らしをみれば分かるが、長い人生で欲し
  いものは所有しているし、食物にしても良質のものを少しし
  かとらない。その代わり、在宅型余暇需要や健康・介護サー
    ビスの需要は高い。[7]
     つまり商品需要は減り、サービス需要が増加するという構
    造変化が生じている。
     政府をはじめ、メーカーも小売業も、21世紀に向けての
    こうした物的消費需要の減退という単純な事実をなかなか認
    めたがらないが、量を追うのではなく生活の質(Quality of
     Life)の追求に消費者が価値を見出すようになっていること
    を認識すべきである。
   第二は階層分化と脱家族化の進行である。              
   不況の長期化によって「一億総中流」が崩壊しはじめ、金
  持と貧乏人への二極分化が進みはじめている。
   家族構成も大きく変わってきた。夫の失業、女性の社会進
  出、晩婚化などによって核家族化は一層進んで、共働き世帯
    や単身世帯が増加している。離婚した親と子供の世帯も同様
    に増えている。夫婦2人に子供2人という標準家庭は少数派
    になりつつある。[8]
      家族ではなく、個人がベースになってきた。事態は、あた
    かもタガが外れた材木の行方に似ている。
   脱家族化は、そこから生じる個人の意識・行動の自由度を
  増し、自己責任にもとづいた学習機会を増やす。
   この長引く不況が、そうした変化を加速している。
   家計消費について、石油危機当時と平成不況を比較すると
    興味深い事実がみられる。
   石油危機の時に減少したのは、主食、副食品、加工食品、
  家具什器、シャツ・下着、身の回り品、美容衛生であり、増
  加したのは保健医療、交通通信、教養娯楽、交際費である。
   主婦が中心になって食費など身の回り消費を切りつめたが
  レジャーや交際費など夫の支出は切りつめられなかった。
      ところが今回の不況では、主婦が切り詰めるだけではなく
  夫の交通費や交際費などの支出、さらにはじめての事態であ
    るが、子供の教育費ですらも、98年5月から2ケタ減が続
    き、9月には10.8%の減になっている。[9]
   お金のかかる外食や旅行はやめ、子供の塾通いをやめさせ
    家にこもる。そのかわりインテリアは快適にし、手の届く範
    囲でグルメを楽しみ、電話をかけあう。
     「巣ごもり消費」である。
   2つの不況の比較研究は、本稿の主題ではないので詳述は
  避けるが、不況のなかで暮らしの再編成がはじまっているこ
  とが読みとれる。   
   こうした時期における小売業の役割は、従来の売れ筋に固
  執するのでなく、新しい幸せ探しを支援することではなかろ
  うか。98年秋のイトーヨーカ堂による消費税5%分還元セ
    ールが好評だったのは、節約できるだけではなく、主婦を応
    援しようという姿勢そのものが支持されたとみるべきである。 
   第三に、グローバル化とデジタル化の進行がある。
   消費者は、高学歴で、情報を積極的に入手し、自己判断力
  をつけてきた。クルマ社会になってきたので、遠くの店へも
  気軽に出かける。海外旅行先では先進的な店舗を体験する。
   賢い消費者どころか手ごわい消費者であり、売り場の先を
  いくプロシューマーである。
   消費者は品質と価格のバランスを見抜き、大量生産品では
  なく、個性的な商品や快適なサービスを享受できる店舗をみ
  つける術にたけている。
     熟年世代は、色々な業態での買い物を経験してきたベテラ
    ン・ショッパーであり、若い世代はセルフサービスの気楽さ
    やコンビニエンス・ストアの便利さが体に染みついている手
    強い存在である。
   店舗販売、訪問販売、カタログを使った通信販売に次ぐ、
    第4の流通チャネルといわれるインターネットによる流通も
    はじまっている。[10]
   まだ、費用、プライバシーの保護、セキュリティ、代金決
  済など克服すべき課題が山積しているが、インターネットに
  よる流通は、画期的な利点をもっている。
   世界中の人々を相手に(グローバル)、24時間いつでも
  (リアルタイム)、人々の求めるものを(データベース)、
  互いにやりとりしながら(インタラクティブ)、迫力あるプ
  レゼンテーション(マルチメディア)と電子決済サービスに
  よって(セキュリティ)一人ひとりに対して(パーソナル)
  な販売を可能にする流通チャネルが登場してきたのである。
   インターネットを利用した売上高は2003年には世界売
  上の5%を占めるという予測もある。
   また、2010年にはわが国のインターネットの普及率が
  50%を超えるという予測もある。
   こうした新しい流通チャネルを体験することで消費者が一
  層賢くなっていくことは間違いない。
   しかし、わが国の小売業の多くは、まだその脅威に備えて
  いない。
   すべてを不況のせいにして、意識の底では自分たちはまだ
  安泰だと信じていて、賢い消費者から情け容赦なく選別され
  る時代がきていることに気づいていない。
   第四に環境問題の影響がある。
      アメリカ人は、自家用車、ショッピングモール、そして使
    捨て経済によって、毎日、自分の体重とほぼ同じ自然資源を
    消費している。        
   「どれだけ消費すれば満足するのか」といった観点からの
  価値観の変化が消費減退につながりはじめている。[11] 
   日本経済新聞社が95年夏に東京と大阪に住む男女200
  0人(有効回答1167人)を対象にした意識調査によれば
  「いまこれといって特に買いたいモノはない」というひとが
    50.8%を占めた。
   その理由は「欲しいものは大体買いそろえた」「モノを買
  うこと以外にお金を使いたいことがある」「モノへの欲求が
  薄れた」「買っても家に置いておく場所がない」「欲しいも
  のは高額すぎて手がでない」「魅力的な商品がない」である。
   過剰包装や容器のリサイクルなど、対策の遅れている小売
  業への批判も次第に高まってきている。
   ボディ・ショップ(The Body Shop)のような自然素材を使
  う化粧品などを扱う店舗、ベネトン(Beneton )のように環境
    問題についてキャンペーンを展開する企業、そしてウォルマ
    ート(Wal Mart)のように、エコショップ、エコ商品、従業員
    の環境保護運動への参加が三位一体となった環境貢献企業が
    グリーン・コンシューマーたちの支持を受けるようになって
    きた。[12]
   以上みてきたように、わが国の小売業は21世紀に向けて
  生じる環境の構造的変化への抜本的な対応を迫られているの
  である。

3 小売現場からの検証
   そこで以下では、百貨店の歴史をふりかえるなかから、小
  売業の未来像を探ってみたい。
   
 イ)百貨店の歴史
   1852年、ブシコー(Aristide Boucicaut)が、パリの
  流行品店、ボンマルシェ(Bon Marche)の共同経営者になっ
  た。百貨店のはじまりである。当時は、従業員12名、売上
  は45.2万フランと小規模だった。
   かれは夫人と協力して、女心を捉える革新的な商法を次々
  と創造し、今日の百貨店の原型をつくった。
   入退店の自由、定価明示、現金販売、返品可を徹底し、薄
  利多売、バーゲンセール、大売出し、目玉商品、大量広告を
  導入し、多種類の商品の大量販売を実現した。
   百貨店は、シャンデリアの輝く劇場であり、店内は天上の
  楽園を思わせるような装飾に溢れ、熱狂する大群衆が溢れる
  スタジアムのようだった。読書室、無料のビュッフェ、快適
    なトイレもあったことにも驚かされる。ほぼ150年も前に
    現在よりも女性客の熱い支持を受けた百貨店が存在していた
    のである。[13]
   この百貨店革命は海を渡った。新大陸でも、女性の贅沢願
    望に火をつけたのである。
   1858年にジョン・ワナメーカー(John Wanamaker)が
  ペンシルバニア州に百貨店第一号を開店した。大量生産時代
    とともに繁華街には続々と百貨店ができ、ひとびとはワン・
    ストップ・ショッピングや比較購買を楽しむようになった。
      消費者の支持を受け、1890年代には百貨店は大企業に
    なり、1929年頃には全米の百貨店数は4221にもなっ
    た。百貨店の黄金時代である。[14]
   第二次大戦後アメリカ人はハイウエーの開通によって郊外
  に移り住み、スーパーやショッピングセンターで買い物をす
  るようになり、都心の百貨店からは人波が引きはじめた。
   「生ける恐竜」とまでいわれた。この危機を、百貨店は、
  都心の再開発に協力して高級化する、チェーン化して郊外に
  出店する、そして合併によってコスト削減を図る。
   この三つで乗り切ったのである。
   しかし80年代後半から百貨店は再び危機に直面する。  
   市場の成熟化で総需要は伸びず、顧客層も変わって、ベビ
  ーブーマー世代になり、実質志向(Value Oriented)の購買パ
  ターンに変ってきた。[15]
      長年の試行錯誤のあと苦渋の選択がなされた。
      その結論は、大合併による規模の利益の追求と事業の再構
    築だった。
     94年、名門メーシー百貨店が倒産し、フェデレーテッド
    デパートメント・ストア(Federated Department Stores) 
    に買収され、98年には高級百貨店サックス・フィフス・ア
    ベニュー(Saks 5th Avenue )が4位のプロフィッツに買収
    されるなど上位集中が進んでいる。[16]
   百貨店は、自社の顧客は誰なのかをより厳密に定義し、そ
  れに対応して品ぞろえ、価格設定、接客方法を改善した。
  「何でもあるが、ほしいものはない」状態を「このカテゴリ
  ーの商品ならば、あの百貨店に行けばそろっている」といわ
  れるように努力した。
   サックス・フィフス・アベニューは最新流行のファッショ
    ンの店に変身した。
   最大手のメーシー(Macy's)は店舗のリニューアルを行い
  婦人衣料、アクセサリー、靴、紳士服に特化し、いわばこの
  分野のカテゴリーキラーとなることによって復活した。
   わが国の流通関係者がよく視察にいくブルーミングデール
  ス(Bloomingdale's)もファッションに特化した。
    しかし、もっとも気難しい消費者といわれるキャリア・ウ
   ーマンの心を捉えるには、品ぞろえだけでは足りない。
     そこで新世代店舗の開発を試みた。
   1995年、シカゴにオープンした新店舗は7840坪と
  従来の店舗面積の4割増である。[17]
   高い天井、広いガラス窓、木目の床などによって「ひとと
  自然が織りなす」快適で華麗な空間を創造している。
  「売上とは、従業員をはじめ商品や通路、床、什器、照明、
  窓等を含めた、店舗すべてのスペースからもたらされるもの
  であり、そこに顧客との調和(心の絆づくり)を見出す努力
  の結晶こそが売上増大につながる」という考え方が、その基
    本にある。
   アメリカの百貨店は、わが国のコンビニエンス・ストアか
  らも売り場づくりを学んだ。[18]
   「サンドイッチのそばには惣菜がおいてあって、カウンタ
  ーで電気代も払える。小さいけれどもとても買い物がしやす
    い」
   また、ノードストローム(Nordstrom )が、急速に売上を
  伸ばしているのは、商品、店舗に加えて顧客サービスの面で
  も新たな試みを行っているからである。
   同社は、応対・返品・トイレ・配送・修理などすべての面
  で顧客に提供するサービスを洗い直している。
   その徹底ぶりは有名である。
   一例をあげれば、親娘連れが靴の売り場にやってくる。
   三足が候補になるが、なかなか親娘の意見が合わない。
   「お姉さんの意見も聞こうかねえ」
   そこで店員はいう。
  「どうぞ、三足ともご自宅にお持ち帰りください。気に入ら
  なければ、三足ともご返品いただいても結構です」
   同社は衣料品については「お茶の間を試着室にする」方針
    をとっているが、これも消費者に支持されている。
      返品率は15−20%に達するが、それを処分するアウト
    レットを持っており、販促費用と考えれば安いものであると
    している。
   95年にニューヨーク郊外ウエストチェスターにオープン
  した店舗、そして98年にオープンしたシアトル新本店では
  とくに靴の売り場が充実している。もともと靴屋からスター
  トしたこともあって力が入っている。
   通路が広く、売り場全体がどこからでも見晴らせる。壁面
  とテーブルを多用し、量感陳列の模範である。
   選びやすい秘密は、縦軸は品種品目、横軸はその品目に関
  連する品種を並べているからである。
   品切れがない秘密は、売り場に400足並べてあるとする
  と、バックヤードには2万5000足もの在庫があるからで
  ある。[19]
   サイズ、形が豊富である。ピアノの生演奏があるなかで、
  ゆったりとソファにすわり、店員にかしづかれるように品定
  めができる。
   「五感のすべてが満足」がリピートを誘うようになってい
  るのである。

 ロ)わが国の百貨店の歴史
   わが国の百貨店のルーツは、1673年に三井高利が江戸
    に開いた越後屋である。その「現銀掛け値なし」は近代商法
    のはしりであった。
   1904年三越呉服店は株式会社になり、「当店販売の商
  品は今後一層種類を増加し、凡そ呉服装飾に関する品目は一
  棟の下に御用弁相成様設備致し、結局米国に行なわるるデパ
  ートメントストアの一部を実現すべく候事」と謳った。
   年々品ぞろえを充実させるとともに、新館は5階建てのル
  ネッサンス風、エスカレーターも初登場し、余興室や休憩室
  もできた。
   まさに「きょうは帝劇、あすは三越」という当時の上流婦
  人に洋風生活を提案する殿堂になったのである。
   三越の日本橋店は外観、店舗構成など、驚くほどニューヨ
  ークのメーシー百貨店に似ていた。規模も大きく、両者とも
  世界最大級を誇っていたのである。
   1929年大阪梅田に阪急百貨店ができた。ターミナル・
  デパート第1号である。駅に隣接するという立地は自動車中
  心のアメリカとは違う。[20]
   このように日本とアメリカの国情の違いがすこしずつ現れ
  てくるが、残念なことに悪い方向へのズレが目立つ。
   1972年、はじめて百貨店は売上王座を譲った。
   抜き去ったのは、スーパーであり、ダイエーは「生産者を
  その権力の座から引きずり落とす」革命思想で、イトーヨー
  カ堂は「商品は売れないのが当たり前、お客さまはきてくだ
  さらないのが当たり前」という前垂れ精神で、消費者の支持
  をえて急成長してきたのである。
   80年代前半は「百貨店・冬の時代」となった。
   生き残りのためには、アメリカの百貨店のように大胆な方
  向転換を行う必要があった。
   人員削減と投資抑制だけでは前途に希望がない。そこで、
  この危機をわが国の百貨店はアメリカの百貨店がかつて行っ
  たのと同じように、三つの方向で切り抜けようとした。
   第一は都心の再開発に協力して高級化する方向である。
   しかし、高級化のシンボルであるアパレル売り場は、ブテ
  ィックやインストアショップの強化というと聞こえはいいが
  実態は返品制と手伝い店員の派遣によってメーカーや問屋に
  牛耳られる状態であり、化粧品売場は売らんかなのメーカー
  美容部員の吹き溜まりだった。
   悪しき商慣習が固定化され、自己責任で消費者サイドに立
  った商品や売り場開発を怠った。
   第二に、百貨店はアメリカと同様チェーン化して郊外に出
  店した。しかし、それはスーパー並み、あるいはそれ以下の
  店舗面積だった。優秀なバイヤーや販売員を育てることを怠
  たり、中央集権か地方分権か路線に迷いが出て、百貨店離れ
  を加速しただけだった。
   第三にアメリカと同様、合併を進めた。地方百貨店の系列
  化である。しかし、肝心のコスト削減は不徹底に終わった。
  [21]
   こうして問題を先送りしたまま、わが国の百貨店はバブル
  期を迎えて一息つく。各社はいっせいに店舗をリニューアル
  し、新館を増築した。
   高級ブランド売り場を増やし、食品売場を充実し、豪華ト
  イレを導入した。また、法人向けの外商を強化し、バーゲン
  会場も常設化した。
   一見すると、方向はさほど間違っていないように見える。
   しかし、消費者からみての評価はどうだったか。
   特色のない店が全国的に溢れた。アメリカの百貨店が高級
  路線、大衆化路線、あるいは商品充実路線、サービス強化路
  線というように顧客ニーズに沿って多様化していったのとは
  反対に同質化と消費者軽視が進行したのである。
   度肝をぬくような海外高級ブランドが増えて、それまでと
  は値段が1桁ちがう。何10万円かもっていないと落ち着か
  ない。
   現在、百貨店は未来の顧客である若い世代に見限られてい
  る。若いひとのセンスに合ったファッションが手薄だからで
  あり、既存の有名デザイナーに頼って若手デザイナーを育成
  してこなかったツケが出ている。
   代わって無印良品などの専門店が支持されている。無印良
  品は、モノクロ、装飾なし、シンプルな生成りのノーブラン
  ド、値段もリーズナブルである。1点豪華主義ではなく、衣
  食住全般にわたってコーディネートできるのが若い世代に支
  持される理由である。[22]
   また、百貨店は駐車場不足を解消するどころか、有料化、
  料金値上げを行った。売上の多くを占めるお中元・お歳暮の
  送料も有料化した。
   新館が加わったものの、POPの氾濫も加わり、お目当て
    の商品が探しにくい迷路空間ができた。値札も見にくい。
   狭い通路や暗い階段、混雑するエスカレータや無礼なエレ
    ベーターガール。買物疲れを癒す椅子もない。
   売上に直結しない空間やサービスは軽視され、店内移動は
  ストレスの温床となった。
   庶民の味方としてはじめたはずのバーゲン会場には売れ残
    りの粗悪品が並べられ、混雑で不健康な空間となった。
   儲からない屋上遊園地は、戦後風景のまま残され、家族連
  れの憩いの場だった食堂は値段が高い、まずい、サービスが
  悪いの三拍子がそろっている。
   店員は売らんかなの態度でしっこい、聞いても商品知識が
  なく、買う時と買わないときとでは態度がちがい、上得意に
  は目の前で違う応対をする。[23]
   愛情クレームへの対応もお粗末で消費者には意見を述べる
  権利がないかのようである。
   総会屋との不明朗な取引や内紛も表面化した。
   組織の硬直化も進んでいる。立地、マーチャンダイジング
  価格戦略、売り場の活性化、情報化対応など課題は山積して
  いるにもかかわらず、後ろ向きの施策に追われ、改革の方向
  すらつかみかねているのが実情である。[24]
   ちなみに本学の学生165名(有効回答161名)に対し
  て98年10月に行った百貨店への要望のアンケート(自由
  回答で項目列挙方式)の集計結果は、以下の通りである。
   1位は店内の不便さ(297)、2位は駐車場の不便さや
  料金高(191)、3位は品そろえの悪さ(188)、4位
  は高価格(143)、5位は接客の不快さ(130)となっ
  ている。
   この調査の新発見は、品ぞろえ、価格、接客といった基本
  的なことではなくて、それ以前のことが、若い世代を百貨店
  から遠ざけているということである。
   つまり、1位になった店内の不便さ(休めるところを67
  エレベーターやエスカレーターが少ない61、どこに何があ
  るか分からない59)や2位になった駐車場への不満が百貨
  店へのストレスになっている。コンビニ世代の新しい物差し
  で計ると「百貨店は近づきにくい」という評価になってしま
  うのである。

4 求められる新たな小売理論
   わが国の小売業は、昔から他の産業以上に熱心に海外視察
  を繰り返し、最新の動向を学び、それを迅速かつ積極的に採
  り入れてきた。
   POSの導入も早かったし、われ先にとカードを発行して
  ポイント制も採り入れ、常連客の囲い込みを行っている。
   しかし、それらが単なる値引きに終って、実効があがって
  いないのも事実である。本来の目的である顧客情報の活用が
  できない。
   一例をあげよう。
   ある百貨店から自宅に常得意様と銘打った招待状がくる。
   カードで住所、氏名が分かったからだろう。
   「何か買ってあげようか」という気になって、出かけるが
  何も買いたいものがない。品ぞろえも悪いし、価格、接客と
    いった基本ができていない。
   後述するように、顧客の囲い込みは流行の小売新理論であ
  るが、実際にはその前提となる小売の基本ができていないの
  に、適用されて現場が空回りしているのである。
   たまたま店長にそのむねを忠告すると、「本部が、本部の
  指示で」を連発する。顧客本位というのは掛け声だけで、愛
    情クレームも含めて顧客の声を聞く体質になっていない。
     こうした状態では外国の先進事例や新小売理論のシャワー
    を浴びれば浴びるほど現場の混乱が増す一方になる。
   今後百貨店の再生のためには、顧客ニーズに真摯に応えて
    いくという小売業の原点に立ちかえらねばならない。
   さらに、21世紀に向けて、消費社会の重圧がひとびとを
  窒息させてきたことを反省して、過度の消費を是正し、精神
  的な豊かさや環境を考えた社会を実現するためにリーダーシ
  ップをとる必要がある。
   当面のことで精一杯なのに、そんな先のことをという気持
  ちも分からないではないが、眼高手低という言葉もある。
   21世紀がくっきりと見渡せなければ、今日やること、明
  日やらねばならないことに確信をもてるはずもない。
   こうした巨視的な観点の重要性を認識するためにも、以下
  では簡潔に過去100年あまりの小売理論の系譜を振り返っ
  てみたい。[25]
   それは一言でいえば、需要と供給の力関係によって売り手
  市場と買い手市場の間を、企業活動も理論も、ゆれ動いてき
  た歴史である。
     20世紀初頭の大量生産のスタート以後、まず供給者サイ
    ドの理論であるマス・マーケティング理論が登場した。
      T型フォードに代表されるように、大量生産が劇的なコス
    トの低下を可能にし、「生産の福音」とよばれるほど、多く
    の消費者にその恩恵が行きわたった。
     このなかでチャネルの果たしうる役割と機能が研究され、
    チャネルの多段階性や非効率性が問題にされた。
     チェーン・ストアの発達は、大量販売の要請に応えるもの
    となった。A&Pをはじめ、シアーズ(Sears,Roebuck)、J.
    C.ペニー(J.C.Penny)といった革新的な小売企業群が出現し
    た。当初は消費者にも供給者にも歓迎されたが、ビッグ・ビ
    ジネスに成長するにつれて反消費者の色合いが濃くなってい
    った。[26]
   1929年の大恐慌では、供給過剰が表面化した。
   本来ならば、消費者サイドの理論の出番である。しかし、
  消費者の力強い味方になったのは、チェーンストアの実態に
  不満を抱いた小売ベンチャーだった。
   1930年、ニューヨークでマイケル・カレン(Michael
   Kullen)が、スーパーマーケットのキング・カレン(King 
   Kullen)を開店した。[27]
   カレンは、自分が働いていたチェーンストアがもはや消費
  者の味方ではなくなったことを痛感し、新業態を提案したが
  受け入れられず、独立を決意したのである。
   カレンは、世界一の価格破壊者(The World's Most Daring
   Price Wrecker)をスローガンに、セルフサービスを導入し
    人件費を節約し、現金払いの持ち帰り(Cash and Carry)に
  よって金利と配送費を削った。低マージン商品を組み合わせ
  驚異的な低価格を実現した。
   かれの食品スーパーは大成功を収めた。
   新業態のスーパーは、低価格を武器に、衣料品、化粧品、
  薬品、家電なども扱い、チェーン化を図った。
   しかし、消費者のニーズは低価格だけではなく、高品質や
  サービスのよさを求める方向へと変化しはじめる。スーパー
    は、急成長のツケが出て、次第にそうした高次元の要求に応
    えるパワーを失っていった。
   そこで、60年代に登場するのがクレスゲ(S.S.Kresge)
  による新業態、ディスカウント・ストアである。
   こうした小売業態の変遷・発展を理論化したものにはさま
    ざまなものがあるが、なかでもよく知られているのは、マク
    ネア(M.Mcnair)教授の「小売の輪の仮説」である。
   何らかの革新によって低価格で参入した新業態はやがて成
  熟期を迎えて高価格化し、消費者の支持を失い、やがて新し
  い小売業態の新規参入を許すというものである。
   百貨店からスーパーへ、そしてディスカウントストアへと
    いう交代劇の理論化である。[28]
   そのころメーカーは、こうした目まぐるしい小売業の交代
  劇を対岸の火事のように考えていた。
   マス・マーケティングから一歩進んで、ターゲット・マー
    ケティングを採用することで消費者を獲得できるという絶対
    的な自信をもっていたからである。
     道具立てはそろっていた。市場調査、モチベーション・リ
    サーチ、広告・販売促進、信用販売などの理論と技術を駆使
    すれば、欲望を喚起し、標的消費者を攻め落とせると信じた
    のである。[29]
     たしかに、大戦勝利国のアメリカは空前の繁栄期を迎えて
  いたので、売り手市場がしばらく続き、浪費のすすめも有効
  だった。
   しかし、ベトナム戦争による国力の疲弊もあってひとびと
  はディスカウントストアへと向かう。そのなかからKマート
  (Kmart)やウォルマートが育ってくる。
   とくにウォルマートは、最新の物流・情報技術を駆使する
  ことによって経費を徹底的に削減した。一時しのぎのバーゲ
  ンではなく、毎日が低価格(EDLP)を実現した。
   同社は消費者を味方につけ、「購買代理人」となることを
  目指している。
   したがって、同社の消費者の味方を旗印にしたメーカーへ
  の圧力にはすさまじいものがある。大量仕入れを武器にした
  低コストの要求が容れられなければ、競合メーカーに対して
  ストア・ブランドの生産を委託する。低価格実現のためには
  世界中を生産基地にすべく探しまわる。
   ウォルマートの急成長につれて、その脅威は全業種・全地
  域に拡大していく。メーカーは予想したよりも早く収益水準
    が低下し、生存すら危ぶまれる状態になっていった。     
   そこで1988年、日用雑貨品大手のP&Gは、ウォルマ
  ートと製販同盟を組んで、ECR(Efficient Consumer  
  Responce )を試行する。これによって欠品や不良在庫が大幅
  に減少し、P&Gとウォルマートの双方の収益が改善した。
   そこでP&Gは、小売とだけではなく、もうひとつの取引
  先であるサプライヤーとの間にも、これを適用して、それま
  でのWINーLOSE(勝ち負け)の関係を、WIN−WI
  Nの関係へと変えようと呼びかけた。
   こうして上流のサプライヤーからメーカーへ、そして下流
    の小売業から消費者までの一貫した「サプライ・チェーン・
    マネジメント」が可能になったのである。
   P&G、そして後述のデルコンピュータの成功をみて、各
  メーカーは生産から消費までの流れを効率化し、コストを下
  げることによって危機の突破を図るようになった。[30]
   マーケティングも、理論面で一歩前進した。
   ターゲット・マーケティングをいかに洗練させても、賢い
  消費者は理論や現場の先を走っていく。
   企業は、新製品開発に拍車をかけ、既に市場に出た競合製
  品の調査に頼るのではなく、市場に出すまえの製品コンセプ
  トテストを強化じた。
   また、「何がどれだけ売れたか」よりも、「なぜ売れたの
  か」という理由を探るために、購買行動やブランド選好の調
  査に重点を置くようになった。[31]
     急速に発達してきた情報技術を駆使した新理論も生まれて
    きた。
      これまでのように顧客を集団として捉えるのでなく、個客
    として扱うワン・トゥー・ワン・マーケティング、データ・
    ベース・マーケティング、常連客に焦点をあてるリレーショ
    ナル・マーケティング、双方向性を重視したインタラクティ
    ブ・マーケティングといった新理論のラッシュである。[32]
      危機感の高まりがこうした理論を生みだしたのである。
   小売の現場でもカール・スウェルのように「一回のお客を
    一生の顧客にする」ために率先垂範して顧客満足を実現する
    小売業者も生まれてきた[33]
      しかし、残念ながら多くの小売現場は、流行のキーワード
    と戯れるだけに終ってしまう。
     顧客価値、生涯顧客価値、顧客シェア、顧客の囲い込みと
    いった概念がかえって新たな混迷を招いている。
      現場の意識を変えない限り、顧客価値(Customer Value )
    という言葉は、たくさんお金を費ってくれる顧客の価値と勘
    違いされてしまうだろう。
   顧客シェアというのも、他店に顧客を奪われないようにし
    なさいということになる。何ら従来と変わらない。
      顧客の「囲い込み」という言葉も胡散臭い言葉である。
   もともと「囲い込み(Enclosure)」という言葉は中世の英
  国において領主が私欲のために共有地を囲い込み、農民から
  土地を召し上げたことを意味する言葉である。それがなぜ、
  最新の理論で使われるのか。
   言葉尻だけの問題ではない。   
   より致命的なのは、これらの理論が既存の消費社会の価値
  観を何の疑いもなく容認して、21世紀まで引きずっていこ
  うとしていることである。
      現代消費社会は、情報を媒介として必要以上の欲望を作り
    出している。それには際限というものがなく、消費者は欲望
    ゲームの虜になり、絶えざる欠乏感にとらわれている。
      「どこまで消費すれば満足するのか」「いまは買うべき時
    ではない」「この小売業から買ってはいけない」
     いまや、こうした消費者の声は無視できないまでに高まっ
    ているのに、学者と小売現場の多くの者がその本来の使命を
    忘れて、相変わらずメーカーの片棒をかついで欲望の喚起装
    置の延命を図っているのは滑稽というほかない。  
   価値とは「ものの売り買いの際、貨幣に換算して公正かつ
    適切とみなせる対価」が原義である。
      21世紀には、まだ貨幣に換算されていない静けさ、空気
    のきれいさ、思いやり、助け合いといった諸価値が商品やサ
    ービスとして誕生してくるだろう。
      豊かな社会とは、物資的に豊かなだけではなく、精神的に
    も自然にもやさしい社会でなければならない。
     そういう意味で、佐藤知恭氏の指摘するように顧客価値は
    むしろ「顧客評価」と理解したほうが、今後の発展性がある
    だろう。[34]
     大企業にありがちな社内や取引先の評価を重視するのでな
    く、「顧客の評価」にもっと敏感になるべきである。そうす
    れば、もっと豊かな社会が誕生するだろう。
      しかし、それではまだ十分な答えになっていない。
      供給者サイドの論理を根底から否定するところまで徹底し
    なければ、とてもパラダイムの転換とはいえない。  
      本稿の表題でもある「価値創造」とは、徹底的に消費者サ
    イドに立つことを意味する。
     価値創造とは、顧客の人生を豊かにすることを通じて顧客
    の人生そのものを価値あらしめることと定義したい。
   いつの時代も、大衆は独特の嗅覚で、メーカーが自分たち
  の味方なのか、流通業はメーカーの手先に過ぎないのかを見
  分け、追い詰められたときには、自分たちの手で組織をつく
  ってきた。
   古くは、1844年の英国におけるロッチデール公正開拓
  組合(The Rochdale Society of Equitable Pioneers )の活
    動がある。
   1840年代は「飢餓の時代」といわれ、ひとびとは自分
  たちの手で身を守らねばならなかったからである。
   企業が一方的に供給する商品の価格、品質、安全性に満足
  せずに、自分たちの満足のいく商品を供給する事業組織を創
  った。生活協同組合運動のはじまりである。[35]
   このように、苦境のなかから、自らの手でパラダイムの転
    換を図ってきたひとびとが小売業を革新してきた。
   現在は、消費者の不満のマグマが溜まっている時期である。
      この長い不況で、わが国の中産階級の少なからざる部分が
    没落しつつある。
      いま小売業は消費者の味方になった購買代理人の方向に大
    胆に転換する以外に再生の道はないのである。
   以上みてきたように、小売業の歴史を振り返ると、供給者
  サイドの動きと消費者サイドの動きが絶えず拮抗してきた。
   力関係をみると、ある時期は供給者サイドが強く、ある時
  期は消費者サイドが強かった。そしてダイナミックにらせん
  状にからみあいながら発展してきたといえる。
   ワトソン、クリック両博士が1953年に発見したDNA
  の2重らせん構造のように、らせんが2つ形成されたことで
  構造が安定して、細胞増殖をうながしてきたのとよく似てい
  る。
   供給者、消費者、そのどちらか一方が強ければよいもので
  はない。その拮抗が供給者と消費者の双方を富ませてきた。
   両者の理論と実践が拮抗しあうことが、言葉の正しい意味
  での顧客価値の創造につながる。
   しかし、そのような認識をしたうえで、なおかつ、今後は
  とくに不況が長期化するなかでは、徹底して消費者サイドに
    立った理論構築が待たれているのである。

5 小売業の新たなパラダイム
      そこで、以下では、21世紀の小売業にとって極めて重要
    な2つのパラダイムを示したい。
      第一のフリクション・フリーは消費現場の最前線における
    理論構築の試みであり、第二のライフデザインの支援は消費
    者の価値観やライフスタイル形成の最前線における理論構築
    を試みたものである。
  イ)フリクション・フリー
   最近、急速に普及しはじめたインターネットにおける市民
  (ネチズン)の動きやマイクロソフトのビル・ゲーツの動き
  をみると、かれらの惹き起こそうとしているパラダイム転換
  の第一は、フリクション・フリー( Friction Free) の購買
  である。
   「インターネットは、近い将来,世界の百貨店になる」と,
    ビル・ゲーツは予言する。クリックするだけで、フリクショ
    ン・フリーで世界中の商品を画面上に簡単に呼び出し、必要
    があれば、クリックすると開発担当者に商品説明を求めるこ
    ともできる。
   先駆的な例としてよく引き合いに出されるのが、デル・コ
  ンピュータである。同社は、法人需要に強いが、顧客のため
  に専用のホームページを設けている。[36]
   顧客はインターネットでメーカーの専門家と相談しながら
  好きなハードウエアやメモリーなどの仕様を選択し、注文す
  るとができる。
   勿論、個人客でも大丈夫で、選択に迷えば、担当者に電話
  で相談すればよい。デザインなど実物をみないと不安ならば
  東京の秋葉原などにショールームもある。
   クレジットで支払いを確認すると、2週間後に商品が宅配
  される。もし気にいらなければ、10日間のクーリング・オ
    フがある。価格は余分な流通経費がいらないので、市価の2
    割程度は安い。
   フリクション・フリーに近づいている。             
     このインターネット販売は、コンピュータだけではなく、
    自動車や書籍、そして単価が安く、鮮度が問題な食料品にま
    で急速に広がっている。
     いずれ、この新業態は百貨店と競合するようになる。
   そのなかで消費者は、百貨店がいかにフリクションの多い
  業態なのかに気がつくようになるだろう。
   アメリカでは、既婚女性の就業率が、最近7割を超えた。
   仕事、家事、育児と多忙なので、買い物を手早くすませた
  い。[37]
   そこで、アメリカの百貨店は「ストレス・フリー」を合言
  葉にいくつもの対策を実施しはじめている。
   ノードストローム、サックス・フィフィス・アベニュー、
  ブルーミングデールスは、従来ならば考えられないような店
    舗や顧客サービスの開発に力を入れている。
   第一段階は、顧客が店舗に近づき、店に入り、移動し、お
  目当ての売り場を探し、交渉し、購入し、支払いをし、休憩
    し、店舗を出るまでのすべてのプロセスを解析し、フリクシ
  ョン・フリーにするという研究である。
   まず、駐車場からそれがはじまる。
   広大な駐車場から売り場にたどりつくのは大変である。
   そこで、フリクション・フリーのためにバレット・サービ
  スを採用する。顧客は店の前にクルマを横づけして、キーを
  係りに渡せばよい。
   広大な売り場のどこに行けばよいか、いくら表示を完備し
  ても商品数が数十万点にもなる百貨店ではそれは求めるべく
  もない。しかし、お目当ての商品にフリクション・フリーで
  たとりつけねばならない。
      そこで、常連客のためにサックス・フィフス・アベニュー
    は、サービス大使(応対係)を置いている。顧客を売り場に
    案内し、体型、サイズ、好みに合わせた洋服選びを手伝う。
     また、予約をすれば午前11時から午後2時の間、店員が
    付き添って買い物の手伝いをしてくれる。帰りには軽食を用
    意してオフィスへ持ち帰って食べる。「ランチパック」とい
    うサービスである。[38]
   奥方が買い物をしたり、用を足している間は男性にとって
  魔の時間であるが、ブルーミングデールスでは、待ち時間の
  フリクション・フリーを狙ってトイレに応接セットを置く。
   第二段階は、買い物のすべてのプロセスにおいて、エキサ
  ィテイングな要素を盛り込むことである。
   ディズニーランドを思わせるようなエンタテイメント、五
  感をわくわくさせる売り場構成(テナントや品そろえ)、環
  境計画(光、色、素材、サイン、デザイン)がそれである。
   アメリカでは、”Retailtainment”という言葉が流行して
  いる。RetailとEntertainmentをあわせた造語である。
   アメリカでは、宇宙・航空産業についで規模の大きい産業
  がハリウッドやディズニーランドに代表される娯楽産業であ
  る。その底力を活用しようというのである。
   このために、サイエンスとアートとビジネスの三要素のす
  べてが総動員される。
   店舗のリニューアルはお金がかかる。簡単にやり直しのき
  くようなものではない。デザイナーの思いつきでも、採算一
  辺倒でも、あまり理屈っぽくても、顧客には歓迎されない。
   そこで設計に入る前の段階で基礎情報を収集する。
   これまでは、顧客数しかつかめなかったが、新技術を駆使
  すれば売り場での顧客の動きまで分かる。
   手法としては、防犯用の隠しカメラで撮影したり、ショッ
  ピングカートに赤外線発信機をつけて天井のセンサーで追跡
  するなどいろいろなやりかたが考えられる。
   次にデザイナーがCADシステムを使ってラフな設計図を
  書く。これによってデザイナーの負荷が減り、自社の顧客層
  に合った設計ノウハウの蓄積も図ることができる。[39]
   そして、練りに練る。ヴァーチャル・リアリティ技術を応
  用して作られた3次元の仮想空間には、壁や床や通路、什器
  、マネキンや照明などがプロットされているが、そこで対象
  顧客層から慎重に選ばれた被験者に脳波計をつけてもらい、
    画面内を移動すると、反応数値がグラフ化される。
   もし、脳波が低い数値を示したならば、その場所のフリク
    ションは大きいので、やりなおしということになる。
   シミュレーションは繰り返され、フリクション・フリーの
  店舗が設計されるが、それで終りではない。
   さらに設計が改良されて、今度は顧客層のテイストや五官
  を満足させるように設計改良をおこなう。満足度の高い設計
  が売上を生むからである。
   最後に、コスト低減や標準化が行われて、ようやく設計完
  了となる。
   百貨店における買い物もますます衝動買いが増えており、
  また買わないで出ていく客も多いので、こうした新店舗やリ
  ニューアルについての研究開発はきわめて重要になってきて
  いるのである。また、新サービスなど顧客価値についての研
  究開発も今後は活発になっていくと思われる。
   わが国の百貨店はこれまで研究開発費を計上してこなかっ
  たが、今後は、研究開発投資の多寡とその効率化がその生存
  を左右するという認識をもつことが必要であろう。

 ロ)ライフデザインの支援
   パラダイム転換の第二は、人間を消費者としてしかみない
  根深いあやまちから脱却し、生身の人間として扱い、そのラ
  イフデザインを支援する方向へと転換することである。
   こうした理念的な問題を取り扱うに先立って煩雑になるが
  現代人はどのような特徴をもっているかについて考えてみた
  い。
   過去から現在、そして未来へと、ヒトは生きていく。でき
    れば幸福な人生を送りたいとみなが思っている。
   昔は、人生が50年と短く、誰もが誕生したあと、結婚し
    出産し、子育てをし、老後と死を迎える人生だった。
   親や近所のひとと同じように生まれ故郷で、一生定められ
  た職業についた。誕生日や結婚記念日、子供の進学、共同体
  の行事である盆や正月を祝いあった。
   しかし、現代社会では、ことはそう単純ではない。
   現代人の一生は、人生80年と長く、複雑であり、ダイナ
  ミックな変化に富んでいる。
   ひとは次第に自分で自分の人生をデザインするようになっ
  た。ある調査ではわが国では16%ほどのひとがライフデザ
  インをしており、そして先進的なひとびとほど人生に対する
  満足感が高い。
   ここでいうライフデザイン(Life Design)とは、生活領域
  (家庭、職業、余暇、健康、交流など)、生活資源(時間、
  空間、資金、仲間)、ライフスタイル(生き方における価値
  観)とその設計状況をさす。[40]
   これをより具体的に時間軸で解明しつつあるのが、197
  0年生まれの若い学問であるライフコース理論である。
   現代人のさまざまな経歴に焦点を当てることで、その人生
  を解明しようというものである。[41]
   現代人の人生を構成している経歴を分類すると、居住経歴
  家族経歴、教育経歴、職業経歴、友人経歴、社会活動経歴、
  健康経歴、内面的経歴などになる。
   これに購買経歴や資産形成経歴、あるいはスポーツ暦や趣
  味の経歴などを加えてもよいが、いずれにせよ、現代人は、
  昔のひとよりも多くの変化に富んだ経歴を有し、積極的に、
  経歴(Career)を自ら創造しようとする。
   マズローのいう高次の人間的欲求である自己実現は、さま
  ざまな経歴、例えば家族経歴(いい家庭に恵まれ)と職業経
  歴(会社で出世して)が相互にうまく組み合わさることによ
  って決まる。
   しかし、これは両刃の刃でもある。   
   現代人のなかには、思いのままの人生を送ることのできる
  ひともいるかもしれないが、多くのひとは、欲求水準の高さ
  ゆえに波瀾含みの人生を送ることになる。
   得意絶頂なとき、不運なときといった「浮沈曲線」に翻弄
  されることになる。
   そこで現代人には、多くの人生の転機が訪れる。
   ひとびとは祝杯をあげ、あるいは涙を流し、事態打開のた
  めに自助努力だけでは何ともならないので、他人からの支援
  求める。
   しかし、残念ながら現代社会は、家族、友人、職場、地域
  社会といった共同体は崩壊しているので、頼れるひとが少な
  くなっているのが実情である。
   社会が複雑性を増し、安定を欠くうえに、欲求水準は高い
  分だけ、転機もしばしば訪れることになる。
   転機は、昔のように誕生日や子供の進学・就職、盆や正月
  といった単純明快なものではなくなって、本人でしか、ある
  いは当の本人ですらわからない転機が多くなっている。
   これが、小売業の顧客である現代人の人生である。
   顧客ニーズがつかみにくくなった背景には、こうした事情
    がある。
   簡単にあきらめないで、何とかして顧客ニーズを把握した
  いというメーカーーや小売業の見果てぬ夢の実現を可能にし
  たのが、インターネットなどの情報技術の発達である。
   ここでもまた煩瑣になるが重要なことなので、情報化社会
  誕生の原風景を再確認しておきたい。
   パーソナル・コンピュータやインターネットの理論的指導
  者である思想家イワン・イリイチ(Ivan Illich )は、産業文
    明そのものの欺瞞性を問い、若い世代の共感を得た。
   せっかく発明された科学技術や獲得された知識が、過度の
  専門化や官僚制の強化をもたらした結果、却ってひとびとを
  疎外し、不幸にしてしまった。
   そうではなく、個々人の能力や自発性を手助けする方向に
  使われねばならない。
   かれは、「コンヴィヴィアリティ Conviviality」という
  言葉を用いて情報化社会がめざすべき方向を示した。[42]
   何かに支配され、孤立化した個人が際限ない消費願望の罠
    にかかったような社会は変えねばならない。
   生と死の間を揺れ動く生身の人間たちが学習結果を分かち
  あいながら、お互いの人生を豊かに築いていく楽しい開かれ
  たネットワーク社会に転換したい。インターネットをそのた
  めの道具にしよう。
   この願望がWWWをつくり、知識と情報を共有しあえるネ
    ットワーク環境を作り出した。
   この新たな情報環境を人々の幸福追求のために、どう使い
  こなすか、それが21世紀の小売業に問われている。
   ところが、わが国の百貨店は、アメリカにおけるデジタル
  流通の実験例を前にしても、インターネットの普及は、はじ
  まって間もないし、利用者層も30代男性に限られているの
  で、はたして採算に合うのかと及び腰である。
   しかし、百貨店はいつもアメリカの後追いをしてきた結果
    今日の低迷を招いたのではなかったか。スーパーやコンビニ
    エンスストアにまで抜かれつつある。
   これまで百貨を扱ってきたのが、他の業態に侵食されて、
  家電も家具もなくなるなど、五十貨店、三十貨店へと衰退の
  一途をたどっている。アウトドア用品や介護用品といった新
  百貨も腰が引けているので、収益に寄与していない。[43]
   百貨店は数十万点もの商品にあふれ、その物量に誇りをも
    っているが、その物量はいわば不良在庫の集積である。
      百貨店の未来は、もはや物販業にはない。
   商品ばかり見ていないでもっと顧客を見ようというパラダ
  イムの転換が必要である。
   従来から、百貨店は人間産業であるとよくいわれてきた。
   百貨を扱ってきた豊富な経験を通じて、百人百様の生き方
  があることを他の小売業よりも感じとってきたはずである。
   その努力の果実として、アメリカの百貨店に較べれば、社
  会的評価もまだまだ高い。
   それならば、わが国の百貨店はいまのうちに、その資産を
  徹底的に継承しようではないか。   
      幸い情報技術の急速な進展によって、従来は不可能とされ
  てきた多くのことが可能になっている時代である。
     まず、WWWを単なる情報ネットではなく、セーフテイ・
    ネットとする、顧客の人生を支援することが重要である。
     インターネットに熱中する若い世代の基本精神は、ジョン
  レノンの歌「民衆に力を( Power to the people)」にあらわ
  されているが、この言葉を百貨店に応用するならば、「顧客
  に力を Power to the customer)」が、次の目標になる。
     顧客の財布というパイの奪い合いに明け暮れるのではなく
    顧客に力をつけさせること(Empowerment)によって全体のパ
    イの増大をめざすべきである。
     21世紀の百貨店の役割は、いわば、サポーターであり、
    チアリーダーである。
      百貨店は、単なる物販業から、知的集約型の総合サービス
    業へと脱皮すべく人材を発掘・起用すればよい。
     それは、ショッピング・アドバイザーであり、ファッショ
    ン・コーディネーターであり、フィナンシャル・プランナー
    であり、ライフ・デザイナーたちである。
     百貨店は、誰よりも現代人を理解することで、新しい小売
    業態を確立しうる好機を見逃すべきではない。
   すなわち、現代の顧客を獲得するために百貨店のなすべき
  ことを要約すれば、以下のようになるだろう。
   第一に、顧客のライフデザインを支援することを使命とし
  て事業の再定義をすることである。
   第二には、個々のライフコ−ス( Life Course)におけるキ
    ャリア形成を支援する商品やサービスを用意することである。
   すべてをねらうの困難なので、企業によってライフコース
    毎に専門特化したほうがよいだろう、
   第三には、顧客の直面するさまざまな転機を商機として把
  握し、迅速に対応できる体制をつくることである。
     この三つの改革が、21世紀の百貨店の未来を切り拓く。
     顧客の人生設計を支援していくという企業姿勢を鮮明にし
    て、キャリア形成の節目を顧客とともに喜び、悩む。
     崩壊した共同体に代わって百貨店はヴァーチャル・コミュ
    ニティの主役になる。
   これが21世紀の百貨店の新しい姿である。      
   そのさい死活的に重要になってくるのが、経歴の節目の把
  握であり、これが真の商機(Magic Momment)である。
   では現代の商機はどのようにして把握できるのか。
   昔からある種の小売業は巧みに商機に関する情報をつかん
  できた。
   一例をあげよう。
      我が国独特の宅配制度をもつ新聞販売店は、毎日朝晩配達
    しながら町内を巡回しているので、さまざまな兆候から詳細
    な顧客の経歴情報を継続的に入手できる。
      建築中のアパートの完成予定日、引越しの証拠である未処
    分のダンボール箱、電気やガスのメーターの動き、そして近
    所の噂話など。そうした何気ないデータから引越してきたこ
    と、つまり居住経歴の一部がわかる。
      引越し日がわかれば、当然、さまざまな商機が生まれる。
      98年末から花王が試行するように、ホームページで引越
    しのノウハウを教えれば、関連商品が売れるだろう。
   各業種や業態は、このように、工夫してさまざまな顧客の
    経歴情報を入手できる。
   問題はふんだんにデータは存在しているのに、誰も体系的
  に顧客情報を収集してこなかったことにある。
   より正確にいえば、ライフコース理論が明らかにしている
  経歴情報の束として顧客情報をとらえ、蓄積・活用すべく情
  報投資をしてこなかったことが問題である。
   しかし、すでに、この問題の重要性に気づいたひとたちが
  インターネットを駆使し、試行錯誤をはじめている。
   例えば、1973年にコネチカット州に設立された GUCは
  買物、飲食、自動車、旅行、住宅、健康、アウトドア、金融
  サービスなど広範な分野において情報提供をはじめている。
   生活情報の提供が、やがて顧客の支持をえて、強力なヴァ
    ーチャル・モールに発展すると信じているのである。
     1989年イリノイ州に設立されたピーポッド(Peapod)
  は、スーパーマーケットのセーフウエイ(Safeway)と提携し
    て買い物代行サービスを開始している。インターネットで食
    料品を注文すれば、指定する時間に配達してくれる。
      同社の優れているところは、毎回の利用の最後に必ず「前
    回の買い物に何か問題がありませんでしたか」と聞くなど、
    双方向型で学習関係を築こうとしていることである。その結
    果、3つの青いトマトと3つの熟したトマトといった商品指
    定までできるようになっている。
   忙しい消費者は、これで毎日の食卓を充実することもでき
  ようになったのである。[44]
   世界最大のヴァーチャル書店であるアマゾン(Amazon)も、
    すでに活用に向けて確かな手応えを感じている企業である。
     同社は、顧客の購入履歴についての情報を入手するだけで
    はなく、双方向での情報交換が次の戦略の中心になるという
    観点から、おすすめ(Recommend)サービスを開始している。
   顧客には、膨大な書籍から好みの書籍がすぐ探せるので好
  評であり、書店としては商機に関する情報の精度が高まると
  いう利点がある。取り扱い商品の範囲を音楽のCDなど書籍
    以外に広げていけば、より詳しい経歴情報を蓄積することが
    でき、競争上きわめて有利になる。
      マイクロソフトが目をつけて提携にこぎつけているのは流
    石である。[45]
   もうひとつの重要な試みが、ノードストロームによって開
  始されている。
   それは、顧客の信頼を得るにはハイテクに頼るだけでなく
  ハイタッチで生身の人間が顧客と対話しよう、そのほうが本
    筋であるという考え方である。
    いかに情報化が進展しようとも、あらかじめプログラムさ
    れ、コピーされた情報は、日々の顧客との深い対話から生ま
    れる情報にはかなわない。
      百貨店はインターネット上に成立するバーチャル・コミュ
    ニティでみた商品を試してみる「三分間の幸せ」を提供し、
    チャットで仲良くなったひとびとの楽しい出会いの場へとそ
    の意味を変えるにちがいない。[46]
     同社は、パーソナル・タッチ・アメリカ( Personal Touch 
     America)と名づけ、94年10月から電子メールによるショ
    ッピングを開始している。[47]
      ここで活躍するのが、パーソナル・ショッパーという名の
    専門のベテラン担当者である。問い合わせに対して電子メー
    ルで答える。顧客の相談に乗るなかで、経歴情報を収集し、
  サイズ、前回の購入品、贔屓のメーカー、好みの傾向、特別
  注文などもメモする。「売らんかな」ではなく、「いまはお
  買い時ではないですよ」といった従来の小売業では考えられ
  ないような助言もするので、信頼されている。
   顧客の注文を受けると、商品を探しだし、フェデラル・エ
  クスプレスで自宅に届ける。
     続いて、96年9月にはサックス・フィフス・アべニュー
    が、11月にはブルーミングデールスがインターネット上に
    店舗を開いた。
     いよいよ百貨店業界でも本格的な競争がはじまったのであ
    る。
   住所や電話番号、趣味といった程度の単純な顧客情報では
    なく、顧客のライフデザインや経歴情報を広範かつ継続的に
    収集し、活用する競争がはじまった。
   この競争の勝者は、投資余力があり技術的リーダーシップ
  をもち、さらに戦略的提携によって情報の交換と蓄積ができ
  る企業である。[48]
   経歴情報の交換・売買もはじまっている。金融・保険業界
  がその先陣を切っているが、顧客の資産形成を手伝う見返り
  に、信用情報という形で詳細な経歴情報を入手する。
   それを航空会社、ホテル、クレジット会社、小売業、メー
  カーと提携し、情報を交換して利益を上げている。
   このように、戦略的提携や合併が、経歴情報の共有をめざ
  して開始されているのである。
   電子掲示板やフォーラムのチャットでの本音の会話を文脈
  で分析し、顧客の経歴を把握する手法も開発されている。
   将来は、割引などのメリットがふんだんに提供され、コン
  テンツも優れていて、メトロポリタン美術館のように溢れん
    ばかりの作品があり、名声と信頼感をもち、しかも楽しさが
    いっぱいのヴァーチャル・モールが出現してくるだろう。
     アメリカでは、"Infotainment"という言葉が流行はじめて
   いる。Infomationと Entertainmentの合成語である。[49]
   情報化社会では、早いもの勝ち(Fast Eat Slow)である。
   ここでは最近よくいわれるように、収穫逓増の法則が働く。
   「楽しいからのぞく」「評判になれば参加者が増える」、
   「売れば売るほど、もっと売れる」ようになるからである。
  [50]
   世界一の小売業になったウォルマートがその好例である。
   同社は果敢に情報投資を行うことで、ますます多くの安い
  商品を消費者に提供でき、売れば売るほど、もっと安く売れ
  るるようになった。
   同じことが顧客経歴情報についても言える。単に購買履歴
  だけではなく、さまざまな経歴情報を入手すれば、情報の精
  度が高まる。
   そして的確なライフデザイン支援を行えば、より顧客に信
  頼されていっそう商機の発見が容易になる。
   わが国の百貨店は、こうした観点に立った経営改革に一刻
  も早く踏み切ることが望まれる。
   
6 むすび
    本稿では、これまで小売業,とくに百貨店に焦点をあてて
   いかにわが国の百貨店が環境変化に対して立ち遅れている
   かをみてきた。
     環境が構造的に変化しているのに、なかなか殿様商売の体
    質から脱却できない。
     小売業の歴史は、消費者サイドに立たない者が舞台から消
    えていったという冷厳な事実を教えてくれる。
     そうした教訓に学んだアメリカの百貨店の経営改革の徹底
    ぶりには目をみはるものがある。
     本稿で2つの重要なパラダイムとして提起したフリクショ
    ン・フリーにせよ、ライフデザインの支援にせよ、消費者志
    向を徹底的に追求しようというものである。
     こうした大転換ができなければ、わが国の百貨店は時代に
    取り残されていくことは確実である。
   とはいえ、最近の新しい動きについて触れないのもアンフ
    ェアというものであろう。
   新店舗を歩いた結論は、希望がないでもないということで
  ある。
   有楽町西武は、当初「情報百貨店」として鳴り物入りでス
  タートしたが、「買いに行ったが、買いたいものがひとつも
  ない」という悪評をえた。その反省のうえに立って、199
  5年のリニューアルでは貴金属・美術品、インテリア、食品
  の売り場を縮小・廃止し、婦人衣料・雑貨の売り場を9割以
  上に拡大した。銀座まで買物にくる婦人層のファッション「
  専門大店」として再生を図ったのである。[51]
   いまや総合スーパー(General Merchandising Store)と百
    貨店とは、店舗面積の面でも商品構成の面でも見分けがつか
    なくなり、業態間競合が日常化している。
      また、カテゴリーキラーという新業態がひとつずつ百貨店
    から得意商品を奪っている。
   したがって、地域一番店という形で規模の大きさを図った
  バブル期の過ちを反省して、「専門大店」化するのはひとつ
  の方向であろう。
   しかし、いまだに差別化の決め手は、高級ブランド頼みと
  いう実力からすると、まずは自力で「地域一番フロア」を育
  てることから再建の手がかりを得る必要があるのではなかろ
  うか。
   1996年に開店した高島屋新宿店は、駅の再開発計画に
  巧みに乗って、新世代ターミナル・デパートとしてスタート
  した。[52]
      屋外のボードウォークを採用して移動を快適にするなど、
    フリクション・フリーの萌芽がみえる。
   当初は、わが国最大の店舗面積(約3万2200坪)をも
    つ三越本店を上回ることをめざしたが半分の1万5731坪
    に縮小し、代わりに紀伊国屋書店、東急ハンズ、大型CDシ
    ョップHMV、セガのジョイポリスなど時流にあった複合施
    設とすることで客足を増やした。
   97年オープンのJR京都伊勢丹も新世代ターミナル・デ
  パートである。
   店舗面積は1万1363坪、ヤングファッションと食品売
  場が充実している。幅26m、高さ30mの11階まで伸び
  る大階段をつくって、息苦しい店内移動を減らしている。
   フリクション・フリーの試みであり、さらに階段をスペイ
  ン階段を思わせる非日常的空間としたのは Retailtainment
  の新傾向も採り入れたものである。
   高島屋新宿店に隣接する多くの百貨店が売上を減らすなか
  で健闘しているのが、伊勢丹本店である。[53]
   同店は店舗面積1万8942坪、グッチやプラダといった
  有名ブランドの店舗を独占する。
   「お買い場革命」をキャッチフレーズに売場を供給者に都
  合のよいものではなく、消費者にとって買いやすい場へと転
  換を図っている。
   同社では先に述べたフリクション・フリーとライフデザイ
  ン支援の2つのパラダイム転換の試みが見受けられる。  
    疎遠になっていた顧客との関係を見直したのである。
   商品を展示する什器の数を従来よりも3割程度減らし、そ
  の分壁面を有効利用する。生まれたスペースを通路を広げた
  り、くつろげる椅子を置くことにした。品質と価格のバラン
  スがとれ、個性を満足させるオンリーアイ商品群を自主企画
  した。サイズ切れや色違いを徹底的に排除し、衣料品の回り
  にはそれに合う肌着など関連商品を並べた。それも自社カー
  ドの情報を分析して、買い物をする順番に、ワイシャツ、ネ
  クタイ、肌着というように売り場を並べ変えた。次の課題は
  ヤングやミセスといったターゲット分類だけではなくライフ
    スタイル分類、さらにはライフコース別、商機別にも売り場
    を編成することが求められよう。
   また接客については、まず、基本である挨拶を徹底させ、
  「ありません、できません、知りません」を一切排除した。
   アイ・アテンダーという上顧客のお買いまわり相談役も設
  けた。ねらいは、商品知識をもっていることは勿論のこと、
  顧客の期待度を上回るサービス、そして顧客にいわれるまえ
    に必要なことをしてさしあげられるような気の利いた接客の
    できるプロ店員の育成である。[54]
   以上、顧客価値創造への新しい動きを紹介したが、これで
  十分とはとても言えない。
   伊勢丹ですら、アメリカの百貨店のやってきたことを5年
  から10年遅れで追従しているに過ぎないからである。
   顧客価値、顧客評価から一歩踏み込んで、人生の価値創造
  者であれという本稿の観点からすれば、大勢の優秀な従業員
  を抱えていながら、その創意を生かせない百貨店はいったい
  何をやっているのかという疑問は消えない。
   消費者に一番近い産業といわれる小売業にとって、問題の
  核心は人間理解の深さである。
     百貨店の発明者ブシコー、アメリカの百貨店の草分けメー
    シー、通信販売からGMSへの大胆な転換に成功したシアー
    ズ、スーパーの発明者マイケル・カレン、そしてディスカウ
    ントストアの覇者サム・ウォールトン、かれらは、みな人間
    理解の天才であった。[55]
   そして、ケンタッキー・フライドチキンの創始者、カーネ
  ル・サンダーズ(Colonel Harland Sanders)もそのひとりで
    ある。
   ガソリンスタンドをはじめたとき、かれはクルマが入って
  くると、飛んでいき、まず窓ガラスを拭き、ボンネットを開
  けてラジェータの水をチェックし、それから「ガソリンは必
  要ですか」と聞いた。
   長い旅を走りつづけてきたひとへの思いやりを示すのが先
  であって、ガソリン販売という商行為はその後だった。
   転職を重ね、不遇な人生を送ってきたサンダースにとって
  隣人からの救いの手は何物にも代えがたいものだった。
   それが人への奉仕は喜びであるという気づきにつながり、
  顧客の笑顔が不屈の活動の原動力となった。
   顧客もその気持ちの応えて商売は繁盛した。[56]
   挫折も含めて多様な人生が存在するということは、単一で
  はなく多様な人生の最適解があり、小売業にとって広大なフ
  ロンティアが存在するということである。
   すなわち、小売ベンチャーが誕生しうるのは、このためで
  ある。
   いまもアメリカでは、アメリカンドリームを求めて若者が
  小売ベンチャーに挑戦している。
   本稿で提案したフリクション・フリーにせよ、ライフデザ
  インの支援にせよ、消費者の心をつかむには、痛みを感じた
  ひとたちの命を賭した努力が不可欠である。
      歴史が教えるように、こうしたパラダイムの転換は、大企
    業に安住したひとびとの手によってではなく、若きベンチャ
    ーの手によってなされてきた。
   不況下で、グローバル化とデジタル化が同時進行する21
  世紀初頭は、若き小売ベンチャーが活躍する絶好のチャンス
  になると思われる。              (完)

                        名古屋商科大学教授  佐々木 亨

 参考文献・サイト
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            1998年 p.91-94
    [49]荒川圭基、青木輝夫「デジタル流通革命」
        ダイヤモンド社 1997年 p.47
    [50]ジョン・ヘーゲル3世、アーサー・G・アームストロン
       グ、マッキンゼージャパン・バーチャル・コミュニティ
       グループ訳、南場智子日本編執筆・監修
     「ネットで儲けろ」日経BP社 1997年 p.15-17
    [51]日経流通新聞編「反攻する百貨店」日本経済新聞社
      1996年 p.67,96.108
    [52]菊地仁「新宿伊勢丹村」オーエス出版 1998年
           p.31-33
    [53]伊勢丹 http://isetan.co.jp/
       菊地仁「新宿伊勢丹村」オーエス出版 1998年
       p.206-208 
    [54]長原紀子「お客がわかれば売り方が分かる」
            株式会社商業界 1997年 p.178-181
    [55]鳥羽欽一郎「アメリカの流通革命」日経新書 
        1974年 p.37-40
    [56]藤本隆一「カーネル・サンダース」      」
        産能大学出版部 1998年 p.41-42


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