講演:愛について
富士見高原夏季大学(1999.8.5)


1 はじめに いま、ここ富士見町を舞台に高島さんたちが出演する TVドラマの収録が行なわれています。 この夏季大学の世話役である小松康孝さんが、この長期ロケを 裏方として支えられておられるとうかがいました。 それを聞いて、とても心強く思いました。 町おこしの主役は、ハコモノではなく、ひととひと との出会いの演出であると主張してきたものですから。 私は、この地に山荘を構えて5年になりますが、八ケ岳の 美しい姿をみるたびに、還暦を迎えたのに、少年のような 胸のときめきをおぼえます。よいドラマができて、日本中 のひとに富士見町のすばらしさを知ってもらえるといいな と思います。 八ケ岳では、30万年前に、大噴火があったそうです。 雲仙普賢岳の数十倍もの岩石流が発生し、七里ケ岩大地を つくり、甲府盆地の基盤となりました。 古期の八ケ岳は、日本一。 富士山よりも高かったのです。 この事実を知ってから、私は八ケ岳を遠望するたびに、 古期・八ヶ岳の大いなる姿を天空に思い描くようになり ました。 富士山よりも、高い山が天空にそびえています。 仰げば尊し。 思わず手を合わせたくなる心象風景です。 日常的に大いなるものと触れられる富士見という土地は 何と恵まれた、祝福された土地なのでしょう。 縄文人が、この地を首都にした理由がよく分かります。 古期・八ヶ岳イメージ図 2 愛について             さて、本日は「愛について」お話しをさせていただきます。 私たちは、異性を愛し、こどもを慈しみ、郷土や隣人に愛着 の念を覚えます。 愛する力が本来的に備わっています。 tところが、現代人の多くは、殺伐とした満たされない思い を抱いています。 そして、心の奥底で「真実の愛」「永遠の愛」を追い求めて いるように思えます。 私には、そうした理想の愛の姿が、古期・八ケ岳の大いなる 姿に重なって見えてなりません。 天空にそびえ、雲をまとった古期・八ケ岳のような理想の愛 が、かつて存在していたのではないか。 これから1時間ほど、八ケ岳の麓、富士見町のコミュティ プラザにお集まりになられたみなさんとご一緒に、大いなる 愛のルーツ探しの旅に出て見たいと思います。 夏期大学参加のこころもからだも若いみなさん(1) 3 生命現象の頂点に立つヒト ヒト。 数百万年前に生まれたヒト。 40億年前に暗い宇宙の青い星、地球の海の混沌のなかから 誕生した生命。 知能に恵まれたヒトは、はるかな生命の発展史を研究するよう になり、そして「愛の系統樹」を探る努力を重ねてきました。 その結果、愛はヒトの占有物かもしれないけれども、生命体は その土台を周到に作りあげてきたという驚くべき事実が判明し てきました。 雌雄は、ヒトの占有物ではありません。 精子と卵子による生殖作用も、メスをめぐっての争いも、男性 生殖器の勃起も、オルガスムスも、こどもの養育も、一夫一婦 制も、ヒトの占有物ではありません。 単にセックスをするだけならば、ヒトでなくてもいいのです。 戦時中の従軍慰安婦問題、産めよ増やせよ、あるいは最近の 女子高生の援助交際の横行、さびしい限りです。 ヒトはセックスという土台の上に、愛をはぐくんできました。 万葉集の相聞歌の名手、和泉式部の歌。 「黒髪の 乱れもしらず うちふせば まずかきやりし   ひとぞ恋しき」  愛するひとを、この胸に、しっかりと抱く。 この原型はヒトデが孵化したこどもを守るように抱く姿だそう です。 西洋では、キリストを抱く聖母マリア像が広く知られています。 ヒトのすばらしさは、「抱く」という単純素朴な行為をテーマ、 に美術や文学といった文化を創造しえたことではないでしょうか。 夏期大学参加の郷土を愛するみなさん(2) 4 愛の世界史 古代ローマ帝国は、1000年つづきました。その秘密は、法と 秩序の徹底にありました。 一夫一婦制をとり、「敬愛に基いた愛」を保証するために婚姻法 も整備し、徹底的に守らせました。フリーセックスや不倫など しようものなら投獄です。 つづいて、キリスト教は、「神への愛」をひろめました。 「げに信仰と希望と愛と、この三つのものは限りなく残らん。  しかして、そのうち最も大いなるものは愛なり」 キリスト教の1000年がなしとげたもののなかで、最大のもの は、何といっても神への愛に燃えた「天の都市」づくりでしょう。 日本の都市は、なぜ、かくも乱雑なのか。 ヨーロッパの街は、なぜ、あのように美しいのだろう? 私は、長らくその問いを抱えていました。 その答えが、ルイス・マンフォードの「歴史の都市、明日の都市」 にありました。 「祝祭日。誕生、洗礼、結婚、葬式。  街中のひとが集まってくる。  みな参加者であり、見物人などいない。    行列が動きはじめる。  街路や広場を練り歩くにつれて、行列は周囲の建造物に近づき、  また遠ざかる。  建造物のマッスが忽然と目の前に広がり、また消え失せ、急勾配  の切妻、屋根の鋭い線、小さい尖塔、格子飾りなどをもった建築  のシルエットが、小波を立てて流れ、また凝固する。  そして、やがて大聖堂の塔が見え、鐘の音が魂をゆさぶる。    人生は長い巡礼の旅である。さまざまなひとに出会い、不慮の  出来事に心を悩ませることも、また神のおぼしめしである。  最後にひとは救われ、天国にいける。  そのリハーサルとして、すべての建造物は旅をデザインし、街は  至福の人生を成就する舞台として、「天の都市」としてデザイン  される」  まさに賛美歌の「もろびと こぞーりて 歌いまーせり...   久しーく 待ちーにし、主よ来ませり」の通りです。  「神への愛」を賛美した都市。それが、キリスト教が生み出した  遺産、天の都市でした。  そして12世紀。  ヒトは、息苦しいローマ帝国の「一夫一婦制」やキリスト教の  「神への愛」に代わる新しい愛を創造しました。  不倫も、浮気も、いいじゃないか、しあわせならば。  それが「真実の愛」ならば、というノリです。   「ロミオとジュリエット」「シラヌ・ド・ベルジュラック」そして  「チャタレイ夫人の恋人」、最近では「松田聖子と郷ひろみ」、  「クリントンとモニカ・ルヴインスキー」といったさまざまな  バリエーションが、これ以降、続々と生まれました。 夏期大学参加の知を愛するみなさん(3) 5 現代における愛  最後に、現代。  現代を切り拓いた精神分析学の創始者S.フロイトが命名した”ego”  すなわち、自己、または自我。  現代人の最大のテーマは「自己実現」であり、それと表裏一体の  「自我の危機」の克服です。  愛は、それらと、どうかかわるのでしょうか。  1つのデータをご紹介しましょう。  愛の一方の当事者である女性の一生に大きな変化があらわれました。     寿命 結婚 出産期間 子育期間 寡婦期間 老親扶養期間  大正 62 21  15   27   4     5   平成 84 27   5   23   8    20   まず、寿命がのびました。人生50年が、いまや80年以上!    問題は、その内訳です。  結婚年齢が21歳から27歳に。  その分を、自己実現のためにキャリアを積む期間にあてています。  結婚相手は、自由な生活を妨げないひと、自分の価値観を理解できる  ひと、家事や子育てを分担してくれるひと、もちろん経済力があり、  ハンサムであれば、いうことなし。、  そして、結婚してキャリアがさまたげられないように、子供は2人  が限度、早く産み、育てあげたい。  大変、結構なことです。  ところが、ここに大いなる落とし穴が待っていたのです。  こどものことを、知らなさすぎたのです。  こどもは、生命体の進化を驚くべき短期間に凝縮して発育する。  すべての精神欠陥は、発達過程での手抜き・手ちがいに起因する。  そう主張したS.フロイトの弟子、E.H.エリクソンは、自我の形成 について、以下のような処方箋を示しました。    時期区分 自我の形成場面      自我の危機    乳児期  母親への絶対的信頼感   不信    幼児期  自立としつけ       恥、疑惑    児童期  外と内のバランス     罪悪感    学童期  学習やモノづくり     劣等感    青年期  自分らしさ        identity拡散         成人期  異性と親しくなる     孤立   まず、乳児期。   聖母マリアとその子の間にある熱いコミュニケーション。   授乳する母の行為とそれに応える乳児の吸う行為。   決して裏切られることのない相互作用。   これがヒトとヒトとの間の絶対的な信頼関係の土台を形成   するのです。   ところが、母親が、いそがしくて授乳を面倒くさがったら、   いったい、どうなるのでしょう。   幼児期になると、こどもは独り立ちしようとします。   母親のそばで、自分なりに何かをやり出します。   「何、やってんのようー」   ヒステリック声が響き渡ります。   こどもの無垢な心に、恥と疑惑が芽ばえます。   児童期になりました。   母親だけではなく、父親の出番です。   母が代表する内と父親が代表する外がこの時期に交錯し、   こどもに内と外のバランスを教えます。   ところが、日本のパパは仕事人間ですから、不在です。   家事・育児、そして仕事疲れがたまった妻とのあいだは   ギクシャクしてきます。   神戸の少年Aは、けっして例外ではありません。   夢想という内と殺人という外の区別が、この時期に   身につかなかっただけなのです。      学童期になります。   こどもが「仲間との愛」をはくぐむ時期です。   だれかのマネをしたがり、好き勝手に遊びまわり、モノを   つくってみたりしはじめます。   これは、誰がエライとか、正しいいう世界ではありません。   それによって、こどもは劣等感を克服します。   人生を自分に自信をもって生きる力を蓄えるのです。   ところが、周囲はそんな他愛のない遊びを許そうとは   しません。   「何々ちゃーん、そろそろ塾に行くお時間よ」   「えー、今日の体育の授業は野球です。キミは投げるのが   下手たねえ」      青年期。   ゲーテの名作「若きウエルテルの悩み」のように、放浪もし   いろいろの事象や事物に出会うなかで、自分らしさが形成され   ます。   インド音楽が気にいったから、その方面に進もう。   ところが、ここでは、社会的ロールモデルが立ちふさがります。     「いい学校、いい会社」が脅迫観念となります。     ビートたけしやグレイのtakuroになりたいなんて、もってのほか   というわけです。   最後に、成人期。   異性と出会い、自我というコインの裏側である孤立から脱出   しようとします。   ところが、男性過多。   高い理想をもった女性には、ふられっぱなし。   絶望的な行動に走るまでには、あと一押しで足りるのです。   「オレが悪いんじゃない。社会が悪いんだ」 5 愛の復興に向けて   この席におられる方は、みなこうした自我の危機を乗り越えて   現在に至った方ばかりなので、あるいは現代の危機的状況を軽く   お考えかも知れません。   「いじめ、学級崩壊? 昔からあったさ。大体、マスコミが   騒ぎすぎるんだ」   間違ってはいませんが、すこし乱暴な意見ではないでしょうか。      堤防がアリの一穴からもろくも崩壊する   メキシコ湾の蝶の羽ばたきのひとつがあの猛烈なハリケ−ンの原因。   実に、ささいなことが、大変に大きな波紋を社会全体にひろげて   いくということが最新理論で判明してきました。   「夫のひとことが破局の原因だった」   よくワイドショーで聞くせりふですが、そうなのです。   ヒトのこどもという生命現象の頂点に立つ存在は、何十兆もの精密   部品からできている機械のようなものです。     こうした事実を知れば知るほど、ミサイルが飛び交い、欠陥車が   大量生産され、暴言が飛び交う現代が、いかにヒトの未来である   こどもたちを危うい状況に追い込んでいるのか、お分かりいただけ   るかと思います。   まして、本日の主題である「愛」は、八ヶ岳の山頂に咲く高山植物   のようなものです。   そろそろ時間がなくなってきました。   では、ヒトとその愛の将来は危ういだけで、希望はないのでしょうか。   宗教哲学者のティヤール・ド・シェルダンは、こう予言しました。   「愛は、21世紀を動かす大いなるエネルギーである」   この予言はあたるでしょうか。   その手がかりのひとつ。   20世紀の最後12月の話題は、火星探査船ポーラー・ランダーが   送ってくる火星表面の画像や風の音の実況中継だそうです。   1000年後、人類は火星に居住するとNASA(アメリカ宇宙開発局)   は予想しています。   ヒトは、過酷な居住条件にある火星上なるがゆえに、お互いに助け   合わざるをえず、その結果、大いなる愛の楽園を築きあげるように   なるのでしょうか。      もうひとつの手がかりが、愛の宣教師、マザー・テレサの行動です。   マザー・テレサは、インドのカルカッタで死にゆく難民を助けて   その生涯を終えたひとです。ノーベル賞をもらいました。   マザー・テレサに対して、あるジャーナリストが質問しました。   「どうせ大勢死んでいくのに、なぜ、そんな無駄なことを続けるの   ですか」   テレサは、それに対して、うつむいたままでした。      高齢者、患者、弱者、敗者、精神異常者....   完全無欠のヒトなんてこの世に存在しません。   いまは元気いっぱいのあなたは、ひょっとして加害者になっては   いませんか。   でも、いずれは、あなたも弱い存在になって、世の中は弱いひと   だらけ、だから母がこどもに接するようにヒトに接することが   必要だということに気づかされるはずです。   かつてフランスの詩人ボードレールは、こう歌いました。   「吾れは、傷にして、刃なり」      「あなたたちは、なぜ、疲れないのですか」 マザー・テレサの答えは、以下のようなものでした。   「生命の流れと深くかかわるなかから、一切の喜びのなかでも   最大の歓びである愛を掘り出しているからでしょう」     あなたも、愛が根底にある行為は疲れにくい、そうした体験を   されたことがあるのではないでしょうか。    熟年になって離婚したり、孤立して静かな絶望感に落ち込んで   いるひとが大勢います。   超高齢化社会になって、この数はいっそう増加するでしょう。   今朝の新聞には、自殺者の増加で、男性の平均寿命が77.16   歳と、前年より0.03歳低下したと出ていました。   若い頃、大江健三郎さん(ノーベル賞作家)、石原慎太郎さん   (都知事)とならんで「文壇若手三羽烏」といわれた江藤淳さん   (評論家)が最近66歳の若さで自殺されました。   遺書には、こどももおらず、愛妻をガンでなくし、ご自身も看病   疲れの末に脳梗塞で倒れ、執筆活動も思うように進まないので、   前途を悲観したとありました。   氏の暗闇のなかでの決断に、口をはさむ余地はありません。   愛の消滅、そして自我の危機が、生きる力を奪ったのでしょう。   でも...最後の最後まで、後輩たちに一筋の光、メッセージを   送り続けて欲しかった...      これからも厳しい時代が続くでしょうが、われわれ熟年世代は、   マザー・テレサのように「宇宙創世以来の豪奢な刺繍に、たとえ   少しでも、網目を添えるのだ」という意識を強くもち続ける必要が   あるのではないでしょうか。   ヒトとして、愛し続け、生き続ける責務があるのではないでしょうか。      人生の<残り時間がわずかなものであればあるほど、こうした意識と   行動を保ち続けることが、人間の尊厳を守ることにつながるのでは   ないでしょうか。   ナゲタラ、アカンデ。   最後に、若いひとたちへのメッセージ。   「愛は、自己愛の延長、そのはるかな高みにあり、この上なく   精妙なものである」ことを理解して、われわれの世代を乗り越えて   すばらしい世紀を切り拓いていただきたいと思います。                                                             (完)   お断り:8月5日の講演をもとに、新しく書き下したものです。  その後の反響  8月9日: 富士見の農協スーパーに奥方といっしょに買い物に        いきました。突然、受講者のかたからご挨拶を        いただきました。奥方の心証改善に寄与しました。  8月10日:角田茂穂さんが山荘を訪問され、1時間ほど懇談。 その後、小淵沢の喫茶店;ブルーベリーで続き。        オーナーの和田勉さんに、このコピーをさしあげました。 奥さんの静子さんは、拙著「愛の哲学」はいい本。        ぜひ、みんなに読んでほしいとのこと。   参加者のみなさん、一度八ケ岳の山荘にお越しください。   留守のときもあるので、お電話を。


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