出発前
1まえがき
2 玉器:名品3点をみる
3 陶磁器の予備知識
4 陶磁器の名品4点(その1)
5 陶磁器の名品4点(その2)
6 オトーサンの旅支度>
2日目
9 おかゆ横丁を発見!
10 イナゴかキリギリスか、それが問題だ!
11 陶磁器鑑賞の表世界
12 陶磁器鑑賞の裏世界
13 天母、士林夜市ぶらぶら散歩
3日目
14 古代ロマンの世界へ
15 MRT初体験
16 昔も今も青銅器
17 青ざめる青銅器
18 鼎の軽重を問う
19 鯉の滝見酒
20 めくるめく女人世界
21 ランタン祭り
4日目
22 さらば故宮よ
オトーサン、
春休みになると
またまた
お尻に火がついて
日本脱出をしたくなりました。
でも、時期が悪い。
税金申告シーズン、
お金をむしりとられそうだし、
車検も到来。
お金もないことだし、
おとなしくしているか。
でも
風狂の心はどうしても
鎮められません。
日夜、
10万円以下で
行けるところないかと考えました。
韓国、台湾、中国、タイ、マレーシア
シンガポールといったアジア諸国、
ハワイやロス、ラスベガスなどの西海岸。
その結論は
「羽田発の海外旅行にしよう」
でした。
成田は遠い、往復するだけでも疲れます。
おまけに空港使用料も取られます。
そこへ行くと、羽田はいい。
オトーサンの家からだと、蒲田に出て
バスで30分、270円で
国際線ターミナルへ。
ただし、便は中華航空だけ。
なぜかというと
日本政府の中国への気がねのため。
台湾は国家でないと中国政府がいうので、
じゃあ成田空港には乗り入れさせないようにします。
それでいいでしょ。
おかげで羽田からも海外へ行けるというわけ。
台湾まではたった3時間の飛行。
楽ちんです。
今回は
故宮博物院三昧といきましょう。
故宮といえば、
パリのルーブル美術館、
NYのメトロポリタン美術館
ロンドンの大英博物館
と並び称される世界有数のミュージアム。
中国の北京の紫禁城にあった王室コレクションを
戦火から逃れるために梱包し、
1万3491箱を北京から南京へ、さらに奥地へと疎開。
最後に、選りすぐったものだけ4000箱分だけを
蒋介石が台湾に運び込みました。
文物は点数にして現在64万点。
北京の故旧博物院は、本家・本元と称し、
93万点の多さを誇っていますが、
台北のほうがいいという説もあります。
台北が常時展示している秘宝は1万点あまり、
3ケ月毎に変えます。
あとは、本館の後ろにある山に巨大なトンネルを掘って
爆撃されても破壊されないように貯蔵されているそうです。
勿論、温度管理もしています。
この秘宝を3日間にわたって鑑賞しよう、
故宮に通いつめようという企画です。
オトーサン、
下調べをしました。
街の本屋には故宮の本はありません。
ガイドブックの紹介もお座なり。
では、インターネットはどうか。
残念ながら、ここにもあまり
参考になるサイトがありませんでした。
公式サイトはあります。
中国語と英語だけ。
中国語は漢字だから
分かるだろうと思いましたが、
チンプンカンプン。
まだ英語のほうがいい、
でも、写真とわずかなコメントのみで
物足りません。
オトーサン、
この状態を放置しておいては、
日本人は
身近な隣国にある
世界的な文化の精髄を
知らないまま
人生を終えることになる。
これでは遺憾千万。
「若い時は西洋かぶれもいいが、
定年を迎えたら、
せめて
わが民族文化のルーツ、故宮へ行こう」
という機運が盛り上がることを願って
このマニュアルを作ることにいたしました。
実は
オトーサン
これまで3回、
故宮博物院を見学しております。
いずれも駆け足で見学。
3回目などは、さしずめ世界新記録。
入口から東エレベーターに突進、
3楼(3階)で降りるやいなや
左手の玉器の展示室へ直行。
お目当ての「翠玉白菜」の葉に
キリギリスが
2匹止まっているかどうかを確認
展示室の隣のトイレで用を足すと
「ああ、さっぱりした」
と帰路につきました。
所要時間は12分12秒。
オトーサンほど
ひどくはないにしても
平均的日本人の故宮博物院の見学は
せいぜい1時間も居ればいいほう。
「ほう、へえ、すごーい」
を連発したあと、
「疲れたなあ。
どこかに休むところないかなあ」
といいながら
1楼の売店で何か買って帰るだけです。
いつも疲労と欲求不満が残ります。
これではあまりに勿体ない。
オトーサンの
過去3回の反省は、
せんじつめると、以下の2点です。
その1「予備知識があれば
もっと楽しめるはずなのになあ」
その2「膨大な展示品で疲れるから
名品だけを見学できないかなあ」
そこで、
今回は
過去3回の反省の上に立って
故宮博物院・名品鑑賞マニュアルを
事前に作成することにいたしました。
これからちゃんとした本屋に行ってきます。
では、おあとがよろしいようで。
玉というのは宮廷に伝わる貴いものと
昔から相場が決まっております。
ほら「玉座」って言うでしょう。
オトーサンのような庶民でも
ダイヤモンド、ルビー、サファイアにはあこがれます。
お値段は高いが、宝石のあの輝きの魅力には抗し難い。
ところが中国人はちがいます。
玉のにぶい輝きやしっとりとした手ざわりのほうを
好むそうです。
オトーサン、
残念ながら、宝石とは無縁ですが。
でも、まんざら
玉とは無縁ではありません。
「珠玉のエッセイ」や
「玉砕精神」はあやしいとしても
「もらいものの極上の玉露」や
「そはそれなりの金玉」
などは確実に持っております。
冗談はさておき、
故宮博物院を見学する時は、
かつてのオトーサンのように
まずは、
3階の「玉器」の展示室に
直行すべきであります。
時をさかのぼれば
人類の祖先たちは
まず、
石の文化を築きあげております。
縄文人が獣を倒したひじりも石。
火打ち石も石ですよね。
新石器時代になると、
世界4大文明が生まれて
石の文化はさらに発展し、
洗練されたものになりました。
エジプトでは巨石文化、
ピラミッドやスフィンクスが作られました。
中国でも
秦の始皇帝(BC247−210:弥生時代)が
ピラミッドに対抗し、70万人を働かせて、
周囲6kmの地下宮殿・始皇陵を建設。
近衛軍団を埋葬。
1974年に西安近郊に発見された
あの8000体の兵馬桶には、世界が驚嘆しました。
しかし、これは例外。
中国ではむしろミクロの文化が発展しました。
黄河流域や揚子江流域に
精巧な玉器づくりがはじまったのです。
7000年前のことです。
王族たちの祭祀の礼器や装身具として
柔らかい石(軟石、透閃石)を加工しはじめたのです。
機械もない時代のこと。
石を探し、掘り出し、割り、
穴を穿ち、丹念に磨きあげるには、
たゆまぬ工夫と気の遠くなるような長い時間を
必要としました。
コンピュータのICを作るために
セランミックの精密加工をされている
京セラの稲森和夫さんは
5000年前の良渚文化の玉壁をみて
現代の技術では、こんなに見事な丸い穴は作れないと
驚嘆されています。
玉器の材料である軟石は
鉄よりも固いのですが、
石英などの硬石よりは柔らかい。
そこで、丸い穴をつくるときは
硬石の刃のついた小刀で穴を開け
砂をまぶした革紐で丹念にこするという手順を踏むのです。
気の遠くなるような作業です。
では、これから
オトーサンのおすすめ
玉器の名品3点をご紹介しましょう。
選定基準は、普遍性、独自性、地方性の3項目。
1 鳥形玉飾
新石器時代:紅山文化(中国東北部)
高さ 5.1cm
幅 5.1cm
厚さ 1.5cm
副葬品として
古代中国で、
形をまねられたのは
龍、虎、羊、亀、鳥、魚が
多かったそうですが、
これは小鳥。
翼を広げた鳥を
極端に単純化しているのが面白い。
よくみないと
どれが頭、翼、腹、尾、足、爪か
分かりません。
しかし、
薄茶色で
丸みを帯び、
石のはずなのに
柔らかい羽毛がみえ
子供を抱いているような姿勢の暖かさが
伝わってきます。
5000年前の温もり、
王妃が愛娘の首に優しくかけている情景が
よみがえってくるようです。
この鳥の頭の丸みが絶品。
なんとも言えないいい感じです。
数年の間
玉器職人が
石の頭を
なでなでしているうちに
自然にできあがったようではありませんか。
現代の効率至上主義のCGでは、
とてもとても
この味のある丸みは出せないでしょう。
現代の教育も、同じです。
「人材育成なんかに
時間なんかかけられるか。
おれたちが相手にしているのは大勢の石頭だぜ」
「そんな冷たいこといっていないで、
なんでもっと頭をなでなでしてあげないの?」
ほんとにイヤな時代ですね。
2 翠玉白菜
清王朝(1644−1911:幕末ー明治)
高さ 18.7cm
幅 9.1cm
厚さ 5.1cm
これ、
オトーサンが世界新記録で見たやつです。
故宮博物院の顔。
ルーブル美術館で言えば、
モナリザかミロのヴィーナス。
世界中どこへ行っても
こんな作品に
お目にかかることは
ありません。
誰が翡翠で白菜など作るでしょうか。
小分けして、
いくつもの翡翠のペンダントにでも
してしまうでしょう。
ところが時の権力者、
清の乾隆帝は新しものずきで太っ腹。
何ってたって
故宮博物館のもととなった
乾隆帝コレクションをつくりあげた名君でした。
玉の産地、
新境ウィグル地域を征服したのを契機に
温古知新で
玉器製作工場を造って
全国各地から名工を集め、
新時代の感覚を盛り込んだのです。
それが市民生活のリアリズムを表す
苦瓜や白菜などの野菜シリーズの玉器。
発見された大きな翡翠。
半分が白く、半分は緑。
さあ、どうしようかというとき
思い浮かんだのが
白菜。
思いつくだけなら
オトーサンでも
あるいはと思いますが、
実際に白菜のように加工するのとは
至難の技。
硬い翡翠を相手に
葉脈の一本一本を彫っていく
途方もない作業。
水々しい白い茎が
次第に緑の葉に変わっていく
グラデュエーションの見事さ。
葉にとまっているキリギリスが
踏ん張っている足の緊張感と
足ヒゲの繊細さ。
はじめて見たとき、
オトーサン、
「おいおい、
ほんとに
これ石なのかい?
本物の白菜じゃないだろうな。
葉の巻きかたも本物以上だし、
いまにも水がしたたり落ちそうだよ、
こりゃ」
とつい大声を出したら
周囲のひとにたしなめられましたよ。
「お静かに」
何でも、
白菜は、清廉のシンボル
キリギリスは生命力旺盛で子孫繁栄の
シンボルだそうです。
白菜のほうは、議員や公務員や警察官必見。
キリギリスの方は、
不妊をなげくご夫婦がおまいりすると
霊験あらたかなのではないでしょうか。
3 玉豚肉
清王朝(1644−1911:幕末ー明治)
高さ 5.7cm
幅 6.6cm
厚さ 5.3cm
これ、小品ながら
厚い豚肉。
豚の角煮の材料でーす。
いつ行っても黒山のひとだかり。
豚の角煮はわが家では息子も大好物。
何ともいえない歯ごたえと肉汁の
うまみがたまりません。
オトーサンが
「おぬし、やるなあ」
と翠玉白菜の延長で
玉器職人の細工の見事さをほめていたら
連れのひとに笑われました。
「これ人間がつくったのではありません。
人間がつくったのは、台座くらい」
「何?そんな馬鹿な。
人間が作ったのでないとすると、
つくったのは、豚自身か?
豚肉が化石になったのか?」
オトーサン、またまた恥の上塗り。
実は、
この作品は
自然が作ったもの。
石に熱が加わり、
赤褐色に変色し、
毛穴ができ
脂身と赤身が分かれ
襞がよじれて、
肉汁までしみでた
豚肉になったのです。
これには
信仰心のないオトーサンも
神業といおうか、
造化の妙といおうか
ただ感嘆するしかありません。
無機質の宇宙から
生命が誕生し、
高等動物のヒトが誕生した
奇跡はありうるのだ
自然には何でもありなのだと
頭を垂れてしまいます。
オトーサン、
前衛芸術家の
マルセル・デュシャン(1887−1968)の
いたずらを思い出しました。
展覧会に出された
かれの新作の名前は
「泉」
でも、前に置いてあったのは、
何と
ただの便器。
つまり、
見立ても立派な芸術だという
宣言でした。
下手な作品よりは、
大量生産品のほうがましだと
凡庸な芸術家たちを皮肉ったのです。
清の時代の玉器職人は
ほんとにイキですねえ。
デュシャンも顔負け。
この自然への畏敬心や遊び心は大事にしましょう。
中華思想にこり固まった現代中国の政治家たちも、
こういう気持ちは持っていてほしいなあ。
台湾やチベットの独立は認めないなんて
武力で威嚇するのはやめて
じっくり話し合って異民族をブレンドした
共同体を作ればいいのです。
脂身と赤身が交じるから
角煮はおいしくなって、
肉汁の味も絶妙のブレンドになるのです。
今夜は豚の角煮でも食べようかなあ。
では、おあとがよろしいようで。
オトーサン、
土器と陶磁器の区別くらいはつきますが、
陶器と磁器の区別となると怪しい。
買ってきた本とにらめっこ。
どうやら、
石を粉にして1250 度以上の高温で
焼いたのが磁器。
つまびくとカチンと金属性の音色がする。
日本の焼き物でいえば、
瀬戸物でも古瀬戸や黄瀬戸は陶器、
九谷焼や有田焼やいまの瀬戸物は磁器。
知人に自分の窯(かま)をつくって
焼き物に凝っているひとがいますが、
せっかくもらっても、あまりうれしくない。
茶碗、湯呑、小皿、大皿、盃、花瓶など
ひとそれぞれの好みがあるし、
どのくらいの価値があるか分からないので、
お返しの値段に困ってしまいます。
何でも、
よい焼きものをつくろうとすると
何をおいても良質の土が必要だそうです。
さまざまな色を出す釉薬(うわぐすり)も
大事です。
用途に応じて、形、文様、絵を考える、
これはまさに芸術的なお仕事。
窯にももさまざな形があるそうです。
焼く温度、薪で焼くか石炭で焼くか
窯のどこに作品を置くか、
そんなさまざまな要素に加えて
偶然が作用します。
ひび割れしたり、釉薬が溶けだしたり。
オトーサン、
このあと、高校の世界史の復習しました。
日本の時代区分くらいは言えます。
えーと、縄文時代、弥生時代、古墳時代だろう
そして大和朝廷が誕生して、
飛鳥、奈良、平安の貴族の時代が終わって
武士の時代。鎌倉、室町、安土桃山、江戸。
あとは近代の明治、大正、昭和、平成だーい。
ところが、中国史となると
まったくお手上げ。
何しろ4000年と西暦の倍も古い国。
黄、夏、商、西周、春秋、 戦国、 秦と
紀元前の2000年以上をはしょっても
まだ紀元後2000年残っています。
半分に割って、
漢、魏、晋、南北朝、隋、唐、五代までで
1000年、
日本でいえば
古墳時代から平安時代半ばまで。
そして、次の1000年は
宗、元、明、清と王朝が続いて、
後は、近代中国と台湾。
オトーサン、
以上のお勉強だけで、頭が混乱。
次に、陶磁器の変遷と技法を学び、
莫大な名品のなかから
名品8点を選定しようというのですから
さあ大変。
出発の時間は迫っているので、発狂寸前。
頭を冷やすために、
ここらで休憩をとります。
では、お後がよろしいようで、
さて、
陶器の歴史は
7000年とも5000年とも
いわれています。
古代王朝の黄では彩色土器が誕生。
素焼きの地に鉄の釉薬で幾何学模様を
描きました。
夏では黒色土器、
商では灰色土器が生まれました。
素朴な味わいがありますが、
世界に誇れる段階には至っておりません
漢の時代(紀元前206−紀元後24)
に入ってすぐ、
武帝が天山北路、すなわち
シルクロードを開きました。
西域はちょうどローマ帝国の全盛期。
エジプトやペルシャの美しい模様の陶器が
どぅっと流れ込んできました。
これに刺激されて
紀元後2世紀、後漢の頃になると、
中国は後に世界を驚嘆させることになる
磁器製作技術を開発したのです。
では、
いよいよ、
時代順に
名品8点の紹介に入りましょう。
1 三彩駱駝
唐(618−907)
高さ 92cm
唐の時代に入ると、
西域はサラセン帝国の全盛期、
シルクロードを経由して、
国際都市・長安には、西域の異民族が大勢
やって来ます。
わが国の遣唐使の顔も見えます。
世界帝国をねらう勢いと大都市の洗練が
陶器に反映されるようになります。
「おい 、天竺には駱駝っていう珍しい動物がいるそうだ?」
「どんな動物なんだ」
「馬を思い浮かべろ。首は3倍以上長い、
背中にこぶが2つもあるのだ」
「こぶって、大きなできものじゃないか。
死にかけている馬じゃなかろうな」
「じれったいな。絵がないか」てな会話が、
長安でなされたかどうか分かりませんが
いななく駱駝の迫力ある姿を造形し、
緑色、褐色、藍色の3つの色をつけたので
目をみはる出来映えです。
さしずめ、オトーサンの世代なら
総天然色の映画の出現のときの興奮状態。
残念ながら作品はすべて
王族の墓室に収められてしまって、
生活用品でないのが残念ですが、
唐の時代気分を何よりも雄弁に
物語ってくれています。
2 白磁蓮花文長頸瓶
宗(960−1279)
定窯
高さ 25.1cm
口径 6.1cm
定窯といえば 河北省にあって
泣く子も黙る官窯、つまり政府直営の名窯。
数々の名品を生みました。
皇帝が気にいった数点だけを選び、あとは
壊させたといいます。
1941年に小山富士夫さんが遺跡を発見し
「朝日に輝く白磁の山脈」と驚嘆。
それほど、壊された白磁の破片だらけだったそうです。
白磁は、
南北朝時代にはじめてつくられたもの。
カリオン質の土をこねて
白色の素地に透明の釉を施したものです。
白磁は青磁、黒釉磁と並んで、宗代が世界に誇る磁器です。
この花瓶が名品たるゆえんは
定窯でつくられたということにあります。
バックならルイ・ヴィトンでなくちゃ
白磁なら絶対に定窯よという感じでしょう。
この白の色が、アイボリー・ホワイト。
定窯では、燃料を薪から石炭に変えたので
この色を出せるようになったのです。
口がラッパのように開き、
ほそく長い首が続き、
水滴のように胴部が広がる瓶です。
胴部には蓮の文様が浮き出ています。
オトーサン、ためいきをつきました。
「ほんとうに気品があり、雅やかで、静穏
そのものの名品だなあ。
こういう花瓶が、わが家にあれば、
いつも心が癒されるだろうになあ」
3 青磁輪花盤
宗(紀元後960−1279)
可窯
高さ 4.1cm
口径 16.3cm
素地に鉄分が含まれているので、焼くと
釉薬のなかの酸化第2鉄が酸化第二鉄に
変わって、青緑が発色する。
焼き物の面白さのひとつに、
そんな偶然の戯れがあります。
人知を超えたものへの畏怖や憧れの気持ちが
ひとを引きつけるのです。
この作品の目玉は、貫入といわれるヒビ。
焼いていたら、たまたま、えもいわれぬ
ひび割れの文様が出現した。
「こりゃあ、面白いわ、またつくるには
どうすべえか」
高温で焼くと、
素地と釉薬の収縮率のちがいで
ひび割れが起きると分かってからは、
盛んに作られました。
この作品は
大皿の作品としては、
15弁の花弁をした造形が平凡で
青磁の発色も悪く、
物足りませんが、
何といっても、貫入の模様が見事。
花弁のほうのひび割れは大きく、
底にいくにしたがって小さくなる。
「これってフラクタル曲線じゃなーい。
現代数学理論の最先端をいく。
中国人は随分前に発見していたんだ」
オトーサン、ひさしぶりに、
学のあるところを見せました。
故宮博物院では
数学の勉強だって出来ちゃうのでーす。
ところで、油滴天目や曜変天目って
ご存じですか。
「ああ、すばらしかったですよ。
東京の静嘉堂文庫美術館で見ました、
国宝ですってねえ。
もう日本にしかないとか」
これも偶然のいたずら。
天目とは黒釉のかかったお茶碗のことでが、
黒の釉薬に油滴のような模様が
浮き出てものが油滴天目、
銀白色の大きな斑文のまわりを虹色で
縁取りしたのが曜変天目です。
日本に名品が残っている理由は、
1191年に禅宗のお坊さんが
当時、中国で流行しはじめた喫茶を紹介した
のがはじまり。
安土桃山時代には千利休が茶道を流行させて
高いお茶碗の需要が高まったためです。
諸大名が競ってよい陶磁器を買い求めました。
中には、お城まで抵当にいれた大名があったとか。
バブル期に高値で絵画を買いまくったひとたちの
先輩がいたようです。
あの「ゴッホのひまわり」、
本物と鑑定されてよかったですねえ。
4 青磁輪花椀
宗(960−1279)
龍泉窯
高さ 7.3cm
口径 17.5cm
中国南部・浙江省の有名な民窯、
龍泉窯の作品です。
これも青磁。
開口部は6弁の花。
やや小さい高台から花弁にむかって
のびやかな曲線が広がっています。
何ともいえず、つややかな色ですねえ。
粉青色。
オパールのソフト・ブルー。
あるいは
マリーン・ブルー。
青磁釉の気泡に光が乱反射して、
深い味わい。
ダイバーを魅了する世界が
この小さなお椀に凝縮されています。
日本人はこの青磁が大好きで
砧青磁と呼んで盛んに輸入しました。
そこで、またクイズ。
「馬蝗絆(ばこうはん)って何ですか」
「馬といなごと絆創膏?」
上野の国立博物館にある
これとよく似た青磁のお椀は
色がこれよりもっと澄んでいる名品です。
ある時、落として、高台が破損。
大量につくって輸出しているので、
同じものをほしいと中国に送ったら
龍泉窯からはもう作っていませんとの
つれないご返事。
しかも、割れた部分をホッチキス止めにして
送り返してきました。
「この野郎、ふざけやがって」と
オトーサンならば、怒るところですが、
当時の日本人は
中国人のやることは何でも貴い
と思い込んでいましたので
ホッチキスをいなごに見立てて大事に
保存しました。
これ何と、重文(重要文化財)です。
壊れていなかったら、国宝でしょう。
ここまで書いてきて
オトーサン、流石に疲れました。
いろいろな本からの切り張りは大変。
さしづめ、このエッセイは、馬蝗絆。
そう思ったら、急にやる気が失せました。
では、続きは、ひとやすみしたあとで。
オトーサン、
大相撲のファンです。
好きな力士のひとりが旭鷲山。
モンゴル、ウランバートル出身って
館内放送でやっています。
ところが、
このモンゴル、
鎌倉時代、
1274年と1281年の2回、
最初は900隻、3万人で
次は4400隻、14万人の蒙古軍が
わが日本を襲ったのですよ。
誰もが、「もう、あかん」と
あきらめていたところ、
神風(台風)が吹いて、船はみな沈没。
蒙古軍は引きあげて、
日本は植民地にならずにすみました。
蒼い狼、チンギス・ハーンは
やたら騎馬戦に強かった。
あっという間に
ペルシャから、ヨーロッパの一部、ロシアから
中国までを占領して、
蒙古帝国を建設。
当時の文明世界の4分の3は蒙古のもの。
いまのアメリカだって敵わないほどの
世界帝国を築いたのです。
この間、随分、大勢を殺しましたが、
宇宙の根元からとって元と名乗った
元王朝(1279−1368)は
陶磁器の歴史に
新たな革命をもたらしました。
一口で言えば、グローバル化
中国は、
ペルシャで入手したコバルトを釉薬に使い
白地に青模様を乗せた陶磁器・青花を
世界中に輸出するようになったのです。
日本人も青花を染付と呼んで愛好して
います。
1 青花舞楽胡人文偏壷
明(1368−1644)
景徳鎮
高さ 29.7cm
口径 3.6cm
この世界的に知られる名品は、
景徳鎮窯の手になるもの。
陶磁器の世界で景徳鎮といえば
太陽のような唯一無二のブランドです。
官窯として膨大な数の磁器を
生産し続けました。
世界中のひとかどの中華料理店には
必ず、白地に青模様の大きな壷が
飾ってあります。
「うちには景徳鎮がある。
どうだ、いい店だろう」
かつて、オトーサン、
横浜の中華街でこんな会話をしました。
「おやじさん、よく頑張ったなあ。
いつかはクラウン、
いつかは景徳鎮だものなあ」
おやじさん、顔をクチャクチャにして
笑ってましたよ。
どうやら中国人は、この青花をみると
胸キュンになるようです。
この作品は、
丸く偏平な胴部に細い筒形の
口を乗せ、その左右に弓形の把手をつけて
います。
イスラムでは金属器に多くみられる形を
陶磁器でやったので、大喜びされました。
胴部には、音楽を演奏し、踊っている
胡人たちが魅力的に描涸れています。
余白をとっているのも、実に効果的です。
イスタンブールのトプカビ宮殿には
1万3000点もの
中国陶磁器のコレクションがありますが、
その中にこれと同じものがあるそうです。
ところで、なぜ青と白の組み合わせが
歓迎されたのでしょうか。
昔から東西南北を青龍、白虎、朱雀、玄武と
4色で表わしますよね。
白は西を意味し、西方浄土で白は清らかな
色なのです。
モンゴルでは、砂嵐がしょっちゅうっで
空は黒いのが普通、
天の怒りで天子交代がしょっちゅう。
そこで東からくる青龍に憧れた。
「ほんとかなあ」
「まあまあ、すこしは自分で調べなさい」
とオトーサン、面倒臭くなって次の作品へ。
2 豆彩雲龍文壷
明(1368−1644)
景徳鎮
高さ 11.5cm
口径 6.3cm
底径 9.1cm
これまた景徳鎮の作。
1987−8年の発掘調査では
復元可能なものだけで1万2000点も
あったといいます。
いかに精選されたものしか残さなかったかが
分かります。
豆彩というのは、新技法で
青花で文様の輪郭を表わしておいて
釉薬を施した後に上に絵付けをします。
いろいろな色が闘っているようにみえるので
闘彩ともいうそうです。
この作品は
いくぶん横幅のある蓋つきの壷で
模様には皇帝の象徴である龍が
意匠化されて軽快に青花と緑釉で
描かれています。
色は闘彩というより豆彩のほうが近い。
緑の発色がきれいです。
よく見ると、龍は舌先に唐花を咲かせ、
尾も植物みたい。
かわいいゴジラちゃんってえな感じ。
皇帝の権威もすこし低下してきたように
思えます。
とても天命を受けて
東方から世直しにやってくる
風雲児の姿にはみえません。
オトーサン、ぼやきました。
「田中角栄みたいな闘宰が
ニッポンの世直しに出てこないかなあ」
ニッポン放送で誰かが言っていました。
限定300ケの小渕人形の希望者が少なくて
余ってしまったとか。
あーあ。
3 五彩花鳥草虫文瓶
明(1368−1644)
景徳鎮
高さ 55.3cm
口径 9.3cm
底径 19.0cm
とにかく大きな瓶です。
これだけ大きく優美な形にするために
5ケ所で接合してあるそうです。
景徳鎮も民間の窯に刺激されて
万暦期になると、明るさや親しみやすさが
出てきます。
まあ、電電公社からNTTドコモになったようなもの。
五彩というのも新技法です。
青花の釉薬をかけて焼き上げた
陶磁器の表面に
絵具で赤、黄、緑、黒を絵や文様を描き
錦窯に入れて焼き上げたものです。
錦窯(きんがま)というのは
外窯と内窯があって、その間に炭や薪を
いれて700度くらいの低温で焼き上げる
小型の窯だそうです。
窯もいろいろ進歩するもののですね。
この作品は、
花鳥草虫文瓶という名前の通り、
偏平の胴部には
蓮池が描かれ、水鳥が泳ぎ、
木には愛らしい小鳥が止まっています。
頸部は、花とミツバチの飛ぶ世界。
五彩は
日本では伊万里や赤絵。
極彩色に流れがちなところを
控えめに色づけしてあるのが
オトーサン、
いたく気にいりました。
だって
長崎のハウステンボスのオランダ館で
伊万里の大群に取り巻かれて
へきえきしたことがあるからです。
オトーサン、
何事もほどほどがいいと思います。
早い話がセックスだって、
やりすぎは、体に悪いし、
第一面白くも何ともない。
だから、
38歳年下の若い女性と結婚なんていう話を聞くと、
少しはうらやましく思いますが
自分が、この年になって
若い後妻(五彩のシャレ)をもらおうとは
決して思わないのです。
4 琺瑯彩山水文椀
清(1644−1911)
景徳鎮
高さ 7.7cm
口径 16.1cm
いよいよ名品紹介もこれが最後。
中国最後の王朝、清の時代になりました。
この作品は、山水画を描いたもの。
琺瑯彩は粉彩ともいわれますが、
景徳鎮が清になって開発した新技法です。
7宝に用いる酸化鈴を加えた
透明な絵具なので、
色数、濃淡、細密描写が自由に行える
ようになりました。
五彩よりいいということで流行。
こうして陶磁器が絵画に近づき、
山水画や花鳥画、人物画などを扱うように
なったために、
宮中には琺瑯作というおかかえの10人ほど
の画家の集団が誕生して
景徳鎮から運ばれてきた白磁釉に
絵を描き、詩句を黒の絵具で書き、
印章を朱であらわすという入念な仕事を
しました。
何でも鑑定団風に言えば、
「いい仕事をしてますねえ」
でも、過ぎ足るは及ばざるが如しで
制約が全くなくなると、
かえって作品は平凡になるから
不思議なものです。
オトーサン、もう清の後期の陶磁器は
どうも好きになれません。
では、名品鑑賞はこれにてお仕舞い。
あと、故宮には書画骨董もあるけど、
解説は間に合いませんでした。
ご容赦のほどを。
読者の皆様だって、お疲れでしょう。
オトーサンも、故宮に行く前に
にわか勉強で疲れてしまいました。
過ぎたるは及ばざるが如しですねえ。
では、行ってまいります。
オトーサン、
いつも、
「荷物は、軽く、軽く」と心がけてきましたが、
これまで果たせないできました。
今回は、台湾3泊4日。
2月下旬ですが、あちらは3月下旬の気温とのこと。
冬支度も不要。
今回、思い切って
荷物は小型のリュックサックひとつにまとめました。
(身につけるもの)
*パスポート、搭乗券、出入国カード
*現金5万円入りの財布、クレジット・カード
*ハンカチ、ティッシュ、万歩計、手帳とボールペン
(リュックサック)
*謝新発「故宮・ガイド」けい草書房
*オリンパスZOOM2000(デジカメ)
*モバイル書院、ACアダプター、リチウム電池3ケ
*下着の着替え2日分、ユニクロの折り畳み傘
*かみそり、歯ブラシ
*自宅のカギ
奥方のほうは、
台湾ははじめて。
知人の台湾に駐在員の奥さんが
「あたし、何遍も日本からくるひとの案内をさせられたので
観光ガイドぐらいはつとまるわよ」
と豪語されているので、
ご自宅を訪問。
故宮で売っている公式日本語ガイドを拝借。
それにうまいものやの場所や
親しいガイドやタクシーの運転手の名詞も
教えてもらいました。
準備万端OKのようです。
帰ってきての第一声は
「いいお家に住んでいらっしゃるわあ」
オトーサンの甲斐性のなさを示唆されました。
それから、おもむろに
「チップもいらないそうよ、
それにタクシー代も安いらしい。
でも、レストランは日本の8掛けで結構高いようよ。
おまけに年取ったひとは日本語話せるんですって」
とご報告されました。
オトーサン、とっくのとうに知っていますが、
家庭平和、日中友好のために
コメントは差し控えました。
奥方は、
「私、いつもの旅行鞄にするわ」
と言っています。
大きなキャリーバッグを荷造りしています。
みやげ物が多くなりそうな気配。
オトーサン、
「機内持ちこみでないと、中正国際空港で面倒になるのになあ」
そういいながら、ちゃっかりしてます。
自分用に買った「個人旅行 台湾」は自宅に残して、
奥方の「るるぶ(台湾)」を拝借することにしました。
いま、午前4時。
HISの集合時間は6時50分。
出発の2時間前というのは、早すぎますよね。
そこで、
5時に起きて、45分の電車に乗れば、
蒲田発6時ちょうどのバスに乗れます。
それだと30分で羽田国際線ターミナルへ到着して
十分集合時間に間にあいます。
バスの料金はたったの270円。
おまけに空港使用料もタダ。
成田空港に行くのとは金銭的・時間的にも
雲泥の差。
「海外旅行は羽田から」と
病みつきになりそうです。
オトーサン、5時起きのつもりが、
3時半に目覚めてしまいました。
インターットで遊んでいるうちに、
すぐ5時。
5時半に家を出て、
1時間後には羽田空港国際線ターミナル。
かかった交通費も420円。
成田なら、
交通費に空港使用料2040円がかかる。、
ですから、羽田だと成田の1折。
中国圏では、9折は1割引という意味。
およそ10分の1ですみました。
「でも、何だか米子空港みたいだなあ」
とオトーサンが言えば、奥方も
「いじめにあっているみたい」と応じます。
出発まで2時間、何もないところで一体どう
過ごしたらいいんだと思いましたよ。
オトーサン、係員に
「ギリギリ出発の何分前ならOKですか」
と聞きました。
「ここは、狭いからまあ、30分前です」
とのことでした。
次回は、7時に家を出れば間に合うのです。
素敵じゃありませんか、
スタンドで週刊誌を買ったり、コーヒーを
飲んだり、3分毎に離陸する航空機をみて
時間つぶしをします。
JAL,ANA,JASに交じって
中華航空のジャンボ747も見えます。
尾翼には花のマークが。
オトーサン、思わず
「あ、さくら銀行のマークだ」
後でステュワーデスさんに聞くと、梅。
台湾の国花だそうです。
2時間半の飛行。
時計の針を1時間戻して、
11時半に台湾到着。
台北中正国際空港です。
ところが、機内放送では蒋介石国際空港に
到着しました、と言うではありませんか。
オトーサン、疑問を持ちました。
「おいおい、いつの間にか中正が蒋介石に
なってしまったんだ
これも後でご紹介するおじいさんに聞くと、
蒋介石のもうひとつの名前が蒋中正。
中国がかつて戦った相手、蒋介石を毛ぎらい
しているので、それに配慮して名字ぬきで
名前の中正だけを使っているようです。
書くときは中正で我慢するけれども、
機内アナウンスでは蒋介石と呼ばせて。
これ言文不一致の見本みたいなものです。
さて、空港では
カメラマンの一団が
オトーサンたちのほうに駆けよってきます。
すごいフラッシの嵐で目がくらみます。
「だって、おれ不倫なんかしてないよ。
奥方同伴だぜ」
オトーサン、
100分の1秒か。
1000分の1秒くらいですが
自分の取材と錯覚しました。
「kinki kidsじゃない」
カメラマンに取り巻かれている
若い男2人をみて奥方がささやきます。
「ふーん、あれが近畿傷か」
オトーサン
キンキなんかみたこともないのですが、
輪に加わって撮影します。
ホームページに花を添えられるかもという
邪心がムラムラ。
「あっちばかり向いていやがる」
と舌打ちしたら、
近畿傷は
オトーサンのほうを向いて
Vサインまでしてくれるじゃありませんか。
オトーサン、
すぐ近畿傷のフアンになってしまいます、
奥方も
「TVで見てると小生意気なようだけど、
実物は可愛いわね。疲れているからかしら」
といいました。
さて、オトーサン
ホテルに着いて
さっきデジカメで撮った
kinki kidsの写真を呼び出そうと
しましたが できません。
一瞬、目の前が白くなりました。
「やっぱり、羽田空港で落としたからだ」
そうなんです。
パスポートの提示をさせられたとき
リュックサックのひもを締め忘れて
カメラが床に落ちたのです。
その衝撃で電池が4つ、床に転げ落ちました。
オトーサン、慨嘆しました。
「あーあ、5万円パーだ。
まったく海外旅行ではいつも何か起きるけど
今度もなあ」
でも、奥方を写してみたら撮れていたので、
旨をなでおろしたのでしたが。
kinkiが写っていないとはねえ。
さて翌朝、ホテルに近いところにある
おかゆ横町に行って、小職をとったあと
「仕上げに、台湾にもある珈琲館に行こう」
とオトーサンたち、東京では行きつけの
珈琲館に行きました。
店の造作も、商品も全く同じ。
気になるお値段も経典珈琲で120元。
極品藍山で250元。
「何だこりゃ、経典珈琲とは」
よくみると
メニューに小さくブレンドとあります。
極品藍山とはブルーマウンテン。
1元は4円なので、決して安くありません。
新聞だって置いてあります。
報知もスポニチもなくて、現地紙のみ。
「何事もお勉強。試しに読んでみるか」
軽い気持ちで手にしましたが、漢字ばかりで
何が何だかサッパリ分かりません。
スポーツ欄ならタイガーウッズくらいは
写真を見れば分かるはず。
「おっ、あった、出てたぞ」
オトーサン、急に大声をあげて芸能欄の
一面を奥方に示します。
「ヘエ、kinki kidsじゃない」
と奥方も興味深々。
あの撮り損なったkinkiの写真が
大きく写っているではありませんか。
オトーサン、デジカメでパチリ。
これが、下の写真です。
(注;写真の掲載は、あとになります。ごかんべんを)
「オイ、デジカメは壊れていたんじゃなかったのか」
「どうぞ、ご安心を」
実は、昨夜、もしやと思って
コンビニの全家便利商店(ファミリーマート)で
電池を買って取り替えたら、直ったのです。
「よかったあ。5万円とくした」
でも、kinkiの写真は、
電池が古く、容量不足になっていて
液晶画面には写ったものの、記録はできなかったようです。
オトーサン、
難題が解決して一安心。
記事を拾い読みしました。
大見出しは「近畿小子旋風抵台」となっています。
オトーサン、kinkiを近畿と錯覚して
昨晩、思いきり奥方に馬鹿にされましたが、
やはりオトーサンのほうが正しかったのです。
新聞には、「近畿」と書いてあるではありませんか。
ザマーミロ。
やたら英語を使うな、立派な日本語があるだろ。
「機場大騒動」
そうそう、空港は大変な大騒ぎでした。
「堂本剛、堂本光一」
ふーん、胴元でなくて堂本って言うんだ。
「木村拓也」
オトーサン、目が点になります。
「なになに?、
近畿小子の記者会見で、なぜキムタクの質問が出るんだ」
「同じ、ジャニーズ事務所だからでしょ」と奥方。
目をこらして読みます。
「おいおい、大ニュースだぞ。こりゃあ」
以下の一行に、ご注目あれ!
「師兄木村拓也秘密結婚的消息時」
兄貴分のキムタクが秘密結婚しているかと
聞かれたときという文章であります。
その先を読むと、
近畿小子は「驚訝」と出ておりました。
驚き、訝る。
これどういう意味なのでしょうねえ。
「ほんとうかよー」なのか
「ばれちまったかー」なのか。
オトーサン、つぶやきました。
「芸能レポーターの梨本さんたち、
ジャニーズ事務所の圧力で、隠してるんじゃないの?」
もし、このニュースが日本に伝わったら
マスコミは大騒ぎになりましょう。
第一報は、
オトーサンの
このインターネットの記事からということになります。
一大スクープであります。
でも、キムタクといえば、
現代の光源氏。
これまでもk、N、Kと浮名を流してきたお方。
何があろうと、フアンは慣れっこ。
日曜日のTV番組「ビューティフル・ライフ」の
視聴率が30%を割るようなことはないでしょう。
故宮から話が大きくそれてしまいましたが
現代を「呼吸」しているということで、ご勘弁を。
では、お後がよろしいようで。
時間をまき戻して
初日へ。
オトーサンたち、
台北空港には
2月21日の11時半に到着したのですが、
両替のために免税品店に寄ったりして
結局、ホテルに着いたのは2時。
福華大飯店、
Haward plaza hotel。
新しい繁華街といわれる忠考東路4段のそば。
客室のレベルは、
提携している京王プラザホテルと同程度。
しかし、ガイドブックには
地下1階から4階までブティックが入っている
高級ホテルとありました。
おなじ値段で台北が誇る円山大飯店にも
宿泊出来たのですが、ここにしました。
理由は単純。
奥方が香港やシンガポールで
おかゆの名店を食べ歩いて、
すっかり気にいって
台北でもおかゆが食べたいと言うので、
「それじゃあ、おかゆ横丁のちかくにしよう」
と選んだのです。
奥方が
さっとブテックをのぞいて
「大したことないわ」
遅くなりましたが、
早速、おかゆの昼食をとりに
ホテルを出ました。
「雨かあ。おかゆ横丁はどこかな。
さっぱり方向が分からんなあ。
こっちのほうに行ってみよう」
とオトーサン、相変わらずノーテンキ。
東西南北も分からずに、
歩きはじめたもものですから、すぐに迷子。
奥方は
「ああ、緑がきれいね。水々しくて。
ハイビスカスの赤もきれいにねえ。
あら、もうつつじが咲いているわ」
などと言っていたのですが、
「ああ、東京の冬は青空続きでいいわねえ」
と言い出しました。
傘をさして、雨の中を歩くのは
うっとうしいものですが、
台北市内は、いたるところ、水たまり。
舗装はデコボコというか
店の前毎に段差があって階段を2、3段の
上り下りをせねばなりません。
さらにオートバイやスクーターが
たくさん違法駐車して縫うように歩くことも。
道路の横断は命懸けというとオーバーでしょうか。
とても散歩気分にはなれないことだけは
オトーサンが保証します。
「お腹ペコペコねえ」
{この店でいいだろ」
と傘のしずくを払って
しゃれた感じのコーヒー店に飛び込みます。
先客は、上品な白髪のおじいさん一人。
メニューを見ると、ランチは3種。
中国語なので、女店員に話しかけても通じません。
すると、老人が日本語で通訳してくれます。
戦前の台湾は日本の植民地。
「おまえら日本人だぞ。ありがたいと思え」
で強制的に日本語を覚えさせられました。
ですから、お年寄りはみな流暢な日本語を話せます。
干天の慈雨というか
雨天の晴れ間というべきか。
困っているときは、大助かりです。
伺うとおじいさん70歳。
かくしゃくとしていて60歳くらいにみえます。
健康法は散歩。
熾烈な沖縄戦にも、日本人として参加。
京都大学に留学、実業界から引退後は悠々自適。
友人には京都大学教授がずらり。
先日サッポロの雪祭りに行ってきましたよ、と得意そう。
雪のない南の国、台湾では北海道旅行がブームとか。
大の日本フアンのようです。
「ご夫婦で街歩きをする日本人ってめずらしい。
みな団体行動でいくところが決まっている」と言われました。
これほめれられているのか、けなされているのでしょうか。
この相反する感情をもっているのが台湾人。
日本による50年にわたる植民地時代のことから
3月18日の総統選後の台湾のゆくへまで
最新・台湾事情のレクチャーを受けました。
台湾には2種類のひとがいます。
台湾生まれのひとと大陸からきたひと。
このおじいさんは、ネイティブ。
ですから、中国ぎらい。
何かというとすぐ武力行使の恫喝。
中華思想で、こりま固まっている。
中国から逃れてきた蒋介石も嫌い。
現在の名総統といわれる李統輝さんも、
本土のひとなので、ほんとは嫌い。
美国(アメリカ)も大国風を吹かすので、嫌い。
日本も、セコイなあ。
でも、小国の悲しさ。
みんなとうまくやっていかねばならないことは
よく知っておられました。
「犬も歩けば、棒に当たる」
外国では、ガイドブックからそれると
意外な出来事が待っています。
オトーサンたち、
「故宮は5時閉館だから間に合わないな」と言って、
このあと
ホテルの近くの
SOGO(太平洋崇光本館)を見学。
日本のそごうとまったく同じ感じ。
地下の食品売り場に直行。
食べ物の屋台もたくさんありましたが
おかゆはありませんでした。
オトーサンたち、
「雨夜に、おかゆ横丁探しもなんだからなあ」と、
そごうで、夕食材料も買ってしまいました。
ふだんは高くて手の出ない
カンパチの刺し身が8割安で600円。
しかも中島水産。
おにぎり、キュウリ炒め、中華風のあん餅を買った後、
迷いましたが、
25cmはあるパパイヤが何と62元(248円)と
あまりにおいしそうだったので思い切って買いました。
パパイヤにかけるレモン、
パパイヤを切るナイフも買ってしまいましたよー。
では、今日のご報告はこれまで。
お後がよろしいようで。
翌朝、
腹が減っては戦はできぬ。
故宮博物院の見学は体力勝負。
かといって朝から高級グルメも気疲れ、お腹疲れ。
そこにいくと、朝食におかゆはいい、ということで
おかゆ横丁を探しに出発。
ガイドブックでは、
ホテルに日本語の分かるひとがいるということでしたが、
さに非ず。
ようやくカタコトの日本語の分かるひとを探して、
地図に丸をつけてもらって出発しました。
今朝も雨。
タクシーの運転手も日本語はダメ。
復興南路を1kmほど南下。
地図の丸印の場所を示して降りたのは、
朝代(Dynasty)というホテルの前。
料金は、70元。280円。
日本は初乗りで500円はしますから半値。
タクシーが安いのは旅行者には大助かり。
オトーサン、雨のなかを
何本か横丁を探し回りましたが、
どこにもおかゆ横丁など見当たりません。
しょうがないので、
さっきの朝代ホテルの近くで
復興南路に面している看板の派手なおかゆの店に入りました。
セルフサービスで、たくさん並んでいるおかずの皿から
好きなもの選んでレジで支払うと、
代わりに、ぼーんと
おかゆの入っている鍋を渡されます。
オトーサン、
根は繊細な神経の持ち主ですから、
野蛮な感じを受けました。
でも、味は結構いけます。
「このお店のおかゆはおいしいわね」
見ると、カボチャが入っています。
「このタラのナベも熱々でおいしいわあ」
お鍋を固形燃料で暖めています。
「この白菜のスープもおいしいわ。
よく煮込んであって白菜もとろとろ。
おだしもよくきいているわあ」
青菜炒めも2皿取りました。
「やっぱり素材が違うのねえ。
台湾は、暖かいから野菜の生育が早くて、
筋が硬くないからかしら」
奥方は大満足。
代金は、220元。880円。
野菜2皿、魚1皿、
スープにおかゆ2人前ですから、
安いもんです。
オトーサンたち、
毎朝、このお店に通いました。
3日目
夜食をとりに、
夜はじめてこの店に行って
オトーサンたち、びっくり。
あたり一帯に、お粥やが出現。
光まばゆく、呼び込みまでしている盛況。
そうなのです。
おかゆ横丁は、夜、花開くのです。
しかも、横丁ではなく
復興南路の大通り沿いに
縦に長く展開するのです。
台湾では
おかゆを「粥」と書いています。
旧字がたくさん残っていたり、
当て字がちがうので
クイズの材料になりそうです。
例えば、
「水洗って、なあに」
「洗手間って、なあに」
答えは、前者が洗濯、後者がトイレ。
では、
「當天て、なあに」
「隔日って、なあに」
答えは、前者が当日、後者が翌日。
では、
「減火器ってなあに」
答えは消火器。
宮田工業の高性能消火器を売りつける
悪徳業者に老母が何度もだまされたオトーサン、
この名前、いたく気に入りました。
年寄りは重い消火器なんか持てないし、
動転して使い方も分からなくなるので、
火事を消せるはずはありません。
年よりは、火事になったら、
郷ひろみじゃあるまいし、
アチチ、アチチなんていいながら
消火しようなんて思わないで、
早く家から逃げ出すこと。
消火器にできることは、せいぜい火の勢いを減らすだけ。
つまり、減火器というべきなのです。
消火器というのは、いわば不当表示。
ところで
オトーサンたちが3日間で4回行った
おかゆのお店の名は「永和豆奨・清粥大王」
場所は、復興南路2段。瑞安路と交差するあたり。
おすすめです。
それにしても、大王とは大したお名前です。
このパソコンでは正しい字が出てきませんが
本当は奨の字の下は大ではなく水。
そして豆奨とは豆乳のことだそうです。
台湾だって、ほんとうは台灣と書くのです。
では、お後がよろしいようで。
いよいよ、故宮博物院の見学記でーす。
オトーサン、
腹ごしらえをして、
いよいよ
お目当ての故宮博物院へ。
タクシー代は、200元(800円)
市内から8kmも離れているのに、
このお値段、ありがたいことです。
運転手さん、
言葉は通じないが、気持ちは通じたのか、
何とナツメロをかけてくれます。
「夜来香」、これって山口淑子でしたか
渡辺はま子でしたか。どっちだっけ。
故宮博物院に到着。
「あ、まさにインターネットの画像とそっくりだ」
とオトーサン。
「広々して気持ちがよいこと、
芝生もきれいねえ。
それにしても、あのマンションなんとか
ならないものかしら」と奥方。
話に出たのは、故宮の正面反対側の高層・醜悪マンション。
台湾も日本と同じ、市場経済。
いやですねえ、20世紀のひとたち。
オトーサン、
これより
紀元前1万年からの歴史、
栄枯盛衰の跡を拝観というので、
発言がどうしても高尚になります。
そこで、興に乗って
いまの心境を
唐の詩人・白居易の長恨歌の一節に託して
ご披露いたしましょう。
麗宮高処入青雲
仙楽風飄処処聞
緩歌漫舞凝絲竹
盡日君王看不足
宮殿の高いところは雲に隠れるようだった。
そこここに妙なる調べが漂っている。
管弦に合わせ、ゆるやかに歌い、舞うさまを
君主は一日中見飽きることがなかった。
入場料80元(320円)を払って、
さらにオーデイオガイドを借りました。
身分証明書、パスポート、クレジットカードを預けるか、
ひとり1000元を保証金として出すか、
どちらか。
オトーサン、
急に俗人に還って
「高いなあ。
でも、お金があとで戻ってくるから、いいか」
といいつつ、2000元を出しました。
手荷物預けの前で
「カメラが入っているバッグどうしようか」
とつぶやいていると、係員のおばさんが
「カメラが見えなきゃ、いいんだよ」
と教えてくれました。
今日は、丸1日、故宮で過ごすつもりなので
リュックサックには、休憩時間に読むつもりの
故宮のガイドブックなど諸々の品が入っているので
助かりました。
でも、少し重たいなあ。
早速、エレベーターで3楼へ、
トイレの男女の表示は古代衣装、
さすが故宮と感心します。
玉器展示室へ。
入口の屏風の前で、奥方は。
「すごいわ、この屏風。細工の細かいこと」
と感激。呆然として見とれております。
オトーサンは、待っておれませんから、
当然、別行動。
鳥形玉飾、翠玉白菜、玉豚肉の名品3点へと突進。
ところが、鳥形玉飾は展示していませんし
玉豚肉も、まあこんなものかという感じ。
そこで、故宮博物院きってのカリスマ、
翠玉白菜に観察を集中します。
やはり堂々と部屋の中央に大きなガラス箱にいれて
展示してあります、
オトーサン、
「おうおう、元気でいたか。
おまえ、少し背が低くなったナア」
と白菜相手に妙なことをつぶやいています。
これで4回目のご対面ですが
記憶とはいいかげんなもの。
直前に見たNHKの写真集の拡大写真が
頭に残っていたために実物が小さく見えたのです。
しかも、丸い白菜と思っていたら、半割りでした。
オトーサン、
あらためて
キリギリスが2匹いることを確かめます。
1匹目は緑色で、翅脈がきれいに放射状に伸びています。
後脚にはギザギザまでついています。
問題は、もう1匹のほう。
体長は、大きい奴の半分位、
頭部は白色、
オトーサン、ここで素朴な疑問をもちました。
「こっちのほうは、もしかして
キリギリスじゃなくてイナゴじゃないのか。
イナゴかキリギリスか、それが問題だ!」
子供の頃、
祖母が栄養があるからといって
イナゴを焼いたのを無理やり食べさせられたから
絶対に見間違えるはずはありません、
小さいほうはイナゴです。
追い回して捕獲したこともあります。
オトーサン、
早くも休憩をとって
念のために、ガイドブックの記述をチェックします。
英語では,Grasshpperと書いてあります。
たまたま持っていた英語の辞書には
バッタ科、キリギリス科の総称とあります。
一方、中国人の書いたガイドブックには
ハタオリ虫とシュウシ虫(イナゴ)という記述になっています。
中国ではイナゴは害虫として嫌われたとあります。
(オトーサンの田舎だってそうでした)
日本人の書いた本には、
シュウシ(キリギリスまたはイナゴ)
と曖昧な表現になっています。
帰国して調べると、
キリギリスは肉食で、バッタも食べるとあります。
「ギー ギー...チン」と鳴くので
キリギリスと呼ぶようになったそうです。
他方、イナゴは草食で、鳴かない、
この翠玉白菜の虫が鳴いてくれれば、
すぐにキリギリスかイナゴか分かるのですが、
残念ながら、それは無理というもの。
オトーサン、
「バッタやコオロギではないのか」
という質問があっても、
「猛勉強したので、もう大丈夫、何でも聞いてくれ」
と奥方に向かって胸を張ります。
「バッタ目のなかにはなあ、
バッタ(イナゴを含む)、
キリギリス、
コオロギの3種があるんだ。
コオロギは形はそっくりだけど、
色が褐色だから、翠玉白菜のとは違うだろ。
生息地から判断して
翠玉白菜の大きいやつはキリギリス
小さいやつはイナゴ、
それもヒゲマダライナゴだよ、
それに決まってるわ」
と断言いたしました。
ところが、奥方から
「大きいほうは、トノサマバッタじゃないの」
「雌かしら雄かしら」
という質問を受けました。
オトーサン、すぐにお手上げで
学習性無力症に襲われてしまいましたので
今日はこれでお仕舞い。
お後がよろしいようで。
オトーサンたち、
4楼の茶房、三希堂で一休み。
急須から茶碗にウーロン茶をつぐのですが、
喉が渇いている上に
茶碗がお猪口みたいに小さいものですから、
お代わりの連続。
「そういえば、お腹空いたな。
何か食べるものないかなー。
テーブルのメニュには載っていませんが、
レジのわきには、小ぶりの中華饅頭の見本も
おいてありました。
何種類かトライしてみて、腹こしらえして、
いざ陶磁器鑑賞へと出発いたします。
陶磁器は、2楼。
何ってたって、CHINAと云えば、
陶磁器の代名詞。
大きな展示室がいくつも続きます。
陶磁器は唐、宗、元、明、清といった
時代順に並んでいます、
大まかな発展史で見れば、
唐三彩、青磁、白磁、青花、五彩、豆彩、
琺瑯彩という順になるでしょう。
いずれも、名品、佳品、絶品ばかり。
オトーサンたち、息をのんでみつめます。
奥方が
「ここは、ほんとにお宝の山ねえ」
といえば、
オトーサンは
「皆さん、いい仕事をしてますねえ」
と応じます。
これって、ふたりともTVの人気番組
「何でも鑑定団」の見過ぎじゃありません?
唐三彩では、
名品紹介の駱駝もよかったのですが、
大きな「唐陶馬」が目立ちました。
いななき、前足をあげて、目付き鋭く
ハイポーズ。
大迫力で、オトーサン、気にいりました。
砂漠を縦横に駆け抜け、騎馬戦で連戦連勝、
後にモンゴルの世界帝国をつくった馬。
天馬の子、血の汗を流し、1日千里を走る
とまでいわれました。
いまの感覚なら、「攻撃ミサイル」
次は、宗の時代。
陶磁器文化が花開いた時代。
「宗の5名窯」といわれる
汝窯、定窯、官窯、可窯、鈞窯。
全国各地に広がった窯元の
選りすぐりの名品が展示されています。
オトーサン、
「来てよかったなあ。写真では、このよさ
分からないもの」
例えば、白磁。
名品紹介で取り上げた
白磁蓮花文長頸瓶はやはりよかったのですが、
オトーサン、
定窯の特色、アイボリー・ホワイトに
目をこらして白磁を鑑賞しているうちに
「白磁の白さにも色々ありそうだなあ」
と感じはじめました。
その時、ちょうど日本人団体観光客を引率
したガイドさんが説明をはじめました。
「みなさーん、白磁には4種類あります。
いいですか、牙白、甜白、蛍白、月白の
4つですよー。
牙白は象の牙の白、甜白は砂糖白さ、
蛍白はほたるの白、月白はつきの白、
分かりますかあ?
じゃ、次に行きましょう」
オトーサン、
「次の白? お月さまの白のことかな。
そんなに早口で言ったんでは分からんよ」
と抗議しようかと思いましたが、
そんな立場にいないことを思い出します。
来場者のうち6割は、日本人団体客。
みながみな疾風怒涛のごとき早さで部屋を
めぐって行きます。
オトーサン、少し疲れてきたご様子。
「白のちがいねえ、
目白、蒼白、潔白、自白のちがいなら
すぐわかるんだけどなあ」
息抜きに、
ここらで
月光の白さが思い浮かぶような
李白の詩「月下獨酌」をご紹介しましょう。
花間一壷酒
獨酌無相親
擧杯邀明月
對影成三人
花に囲まれ一壷の酒を空けた。
たった一人、親しいひとはいない。
玉杯をあげて、月に乾杯しよう
月と私と、私の影法師の三人連れだ。
オトーサン、
たまにひとり暮らしで
寂しいときもあるのですが
その時は、この詩を思い浮かべることに
いたしましょう。
「天才」という言葉は、
李白を指して使われたのがはじまりとか。
実物をみなければ、
よさが分からないのは、青磁も同じです。
初期の青磁は、それ以前の青銅器の代用品。
色も、黒ずんでいます。
それが、独立したジャンルとして
確立しはじめたのは漢代末期だそうです。
派手さはないが、見ればみるほど
しっとりとした味わいが伝わってきます。
そこで青磁の名品2点を追加しましょう。
9 青磁水仙盆
北宋
汝窯
高さ 6.7cm
口径 16,5×23cm
オトーサン
写真でちらっと見たときには
「何だ、石鹸入れの大きな奴じゃん」
と思いましたが、実物は大違い。
これは水仙を栽培する盤で、楕円形なのは
円形よりも水替えがしやすいからだそうです。
特筆すべきは、青の色合い。
「雨後天晴:雨あがりの空の青さ」や
「春の水の色」に
近づく工夫がなされました。
どうして、
こんなに深みのある淡い青が出るのか
不思議です。
よくみると、
無数の細かな気泡。
何でも
素地には、瑙瑙(メノウ)の粉が
混じっていて、
それで光が反射し、
微妙な色合いを演出するのです。
オトーサン、
久しぶりに、春の小川を散歩している
おだやかな気持ちになりました。
「おぬし、やるなあ」
この有名な汝窯のご紹介をすると、
宗の皇帝・黴宗が自ら汝州(河南省)に
創設した官窯で 名品を作り続けましたが、
金が北方から攻めてきたために、北宗滅亡。
わずか19年で汝窯も閉鎖になりました。
そのため、世界に残るのは33点。
これがほんとうの「絶品」
10 青磁鳳凰耳瓶
南宗
龍泉窯
高さ 25.5cm
口径 9.4cm
この瓶がひときわ目立つのは
シンプルな銭の胴部に
奇妙な形えをした
2つの把手がついていることになります。
耳たぶのようですが、実は鳳凰。
鳳凰(英語ではPhenix)は
古くから吉祥の印として使われています、
古い青銅器で
よく使われていた形を手本にしながらも、
銅器のいかめしさを消して、
親しみやすいすっきりした形にしています。
色合いもつややか。
こちらは汝窯とはちがって
素地にメノウではなく、
雲母が混じっているそうてす
日本には鎌倉時代に数多く優品が到来。
砧青磁といわれて、別格扱いされました。
これと同じ物がいま日本では国宝です。
龍泉窯は、南方は浙江省の民窯。
龍泉県にあるので竜泉窯と名づけられた。
北宋の時代に、官窯の青磁の評判を聞いて、
青磁をつくりはじめたところ、
北宗が滅ぼされ、皇帝が南方に逃げて、
南宗が誕生。
ご近所づきあいが始まって、一躍、中国を
代表する名窯に格上げ。
大量生産が始まり、世界中への輸出基地に
飛躍しました。
韓国沖合の沈没船から発見された龍泉窯の
陶磁器の数、何と1万点だったそうです。
ところが、清になって景徳鎮窯に押されて
衰退。最後の作品は1711年のものとか。
オトーサン、
「ふーん、竜泉でそういう意味だったんだ」
と長年の疑問が氷解しました。
実は、オトーサンが幼年期を過ごした家は
東京の浅草に近い竜泉小学校の前。
樋口一葉の「たけくらべ」の舞台と記憶して
いたのですが、これからは龍泉窯のフアンに
なりましょう。
さて、陶器群は、まだまだ続きます。
明では宣徳窯が名品が多いようです。
有名な景徳鎮窯はおびただしい量ですので、
康熈帝、擁正帝、乾隆帝といった皇帝名順に
並んでいます。
五彩、豆彩、琺瑯彩と豪華絢爛になって
行きます。
オトーサン、
さすがに目が満腹になってきて
静物よりも生物のほうに興味を移して
3人連のギャルと仲良くなって
明代、清代の名品解説を開始いたします。
内容は、すでにご紹介の通り。
オトーサン、
何だかんだエラソウナ事をいっても俗人。
李白のように「月下獨酌」の心境には
なれないようです。
では、お後がよろしいようで。
オトーサン、
ガイド役が軌道に乗ってきて
調子にのったあまり
純金の素材に琺瑯で絵付けした茶碗を前に
「こんなにあるんだから、
おれに1個ぐらいくれないかなあ」
と言いだすものですから、
ギャルの笑いを誘い、
代わりに、奥方の不興を買いました。
長年封印されていた倉庫を開けさせて、
天井までぎっしり大箱が積んであったので、
仰天し、
「いったい私はどれだけの財宝を
もっているのであろうか?」
といったのは清の最後の皇帝、博儀。
清朝滅亡のドサクサのなかで
彼自身、相当多くの文物を持ち出し
換金したといわれます。
ですから、
オトーサンが
もしもですよ、
当時、北京で活躍していたら
幾つか壷をもらえたに違いありません。
陶磁器は、
はじめは皇帝の秘宝だったのですが、
やがて大量生産され、
外貨獲得のために輸出され、
外交手段として贈り物としても
盛んに使われたのですから、
当然、裏の世界でも活躍しています。
その証拠が「唐三彩 増長天王像」
故宮の2楼の部屋の中央に飾ってあります。
佐藤栄作元首相の死後、賢夫人が
故宮に寄贈したと書いてあります。
佐藤さんといえば、思い出しました。
奥方の家のご近所に住んでおられて
夜な夜な高級外車が列をなしていたお方。
亡くなられたいまは、ここには
金屏風を賄賂でもらったことでも有名な
竹下登元首相が住んでおられます。
ですから、
オトーサン、
どうせ戦時中のドサクサで
中国から持ち出された品を
何かのムリな頼み事のお礼として
誰かが首相に贈ったのにちがいない。
日台友好の証なんてチャンチャラオカシイ。
胡散臭いなあ。
オトーサンのひがみ心は
とどまるところを知りません。
でも、オトーサンも人の子
目の前にある秘宝の誘惑には勝てません。
「この緑色の龍の壷、欲しいなあ」
とオトーサンが云えば、
奥方も
「この桃の大瓶、いいわねえ」と
似たもの夫婦が、ため息をつきあいます。
1楼の売店に降りて行くと、
何とレプリカを売っています。
奥方か、
「これ買うことにするわ」
というので、見ると、さっきの桃の大瓶。
2万元(4万円)
奥方がブランド品を買うことを思えば
お値段のほうは、まあいいとしても、
問題は、その大きさ。
ひと抱えはあります。
どうせ待ち帰るのは、オトーサンの役目に
決まっています。
韓国で娘が買ってしまった巨大なクマの
ぬいぐるみを持ち帰ったときの恥ずかしさ。
空港ではみんながオトーサンに
頬笑みかけてきました。
香港から持ち帰ったリクライニング・チェアの
重かったことなど、
脳裏を横切るのは、そんなことばかり。
でも、表だって反対すると、
柳眉を逆だてられても困るので、
「そういえば、大阪の万博のとき、
ギリシャの大皿を買ったよなあ」
というだけで、話を打ち切ります。
実は、新幹線の新大阪で
ちょっとした拍子に、ホームに置いたら
割れてしまったのでした。
奥方、
「そうねえ、割れてしまってもねえ。
でも 記念に何かほしいわ」
オトーサン、
「だって、青花模様の小袋をたくさん
買いこんだじゃないか」
と内心思いましたが、もちろん、
口には出しません。
ええ、もちろんですとも。
故宮には、心をなごますために
きたのであって
夫婦喧嘩をしにきたのではないもーん。
で、結局、奥方が買ったのが
下記にご紹介する瓶であります。
小さくて、お値段も1万円以下。
オトーサンが胸をなでおろしたのは、
いうまでもありません。
その直後でした、
オトーサンが
人間の執着心の強さを思い知ったのは。
「でも、やっぱり桃の花瓶いいわねえ。
ねえ、もう1回あの花瓶、見にいかない?」
オトーサン、
足が棒のようになっていたのですが、
展示してある3楼のエレベーターホールまで
つき合わされました。
そして、次の言葉を聞いたのです。
「今度来たときは、持って帰ってね」
では、奥方が買った瓶、
やがてオトーサンが持たされであろう大瓶も
やむなく名品紹介に加えておきましょう。
9 豆彩葡萄文瓢形瓶
清
景徳鎮窯
高さ12.4cm
口径 1.9cm
解説書によれば、
この豆彩は、技法と美意識の高さで知られ
希少性もあって明代末期にはすでに、
絶品と評されていた。
葡萄の葉の緑、葡萄の実のさまざまな色の
濃淡が美しい。
清代の美意識が加味された名品である。
10 粉彩九桃瓶
清
乾隆官窯
高さ 51.1cm
口径 ?
解説書によれば、
天球型の大瓶。開花した桃の花と九つの実が
首から腹部にかけて器身を這うように
描かれている。
琺瑯を使ったので、微妙な色の濃淡が見事に
発色している。
オトーサンたち、
日が傾いてきて、閉館時間まで粘ったので
売店のオネーサンに追い出されました。
そこで、
名残り惜しく、後ろ髪を引かれる思いを
陶淵明の詩「飲酒」に託しましょう。
悠然見南山
山気日夕佳
飛鳥相興還
此中有眞意
欲辯己忘言
はるかに南山が見える
夕暮れ時の山の気配はいいものだ
鳥たちが連なってねぐらに帰っていく
この情景のなかに真理があるようだが、
それを語る言葉を忘れてしまった。
波乱万丈の一日でしたが、
今日の名品鑑賞は、おしまい。
お後がよろしいようで。
故宮の玄関を出ると、
タクシーの運転手が日本語で客引きを
していました。
「お客さん、安くしとくよ」
オトーサン、
「ははーん、このことか」
運転手にイヤイヤのポースをしました。
雨の中を大通りまで出て
客待ちをしているタクシーに乗ろうかと
思いましたが、ここでも乗りませんでした。
外人夫婦が運転手と交渉し、首を振って
離れていったのを目撃したからです
「やっぱり、高いのねえ」
と奥方。
ガイドブックには、
故宮では客待ちのタクシーには乗ってはいけない。
料金をボラれるとありました。
そこで、また雨の中をてくてく大通りを
右手に数百メートルも歩いて、
交差点で流しのタクシーを拾いました。
「どこへいくのよ」
と奥方。
「天母だよ」
とオトーサン。
まったく事前の打ち合わせが
夫婦間で出来ていないのであります。
「何しに」
「台湾の広尾だよ」
「フーン」
これだけで、すべてが通じるのですから
長年の夫婦の積み重ねというのはスゴイもん
であります。
東京の広尾というのは、
億ションに外人が沢山住んでいるので
有名なおしゃれな街であります。
オトーサン、運転手に
「テンムーッ」
と行き先を告げます。
「通じるのね」
「母はムーッとしてると覚えといたんだ」
また、オトーサン、余計な一言。
奥方は、ムーッとして車窓を流れ行く風景に
黙って目をやっております。
オトーサン、
「親しき仲にも礼儀ありだったな」
と激しく後悔いたします。
クルマは河を渡り、カーブをきって
何やら緑多い街区へと入ってきます。
「神戸みたいだな」
「そうねえ」
海の見える異人館、三宮散策、神戸牛と
いった楽しい記憶が、夫婦を結びつけます。
街が急に賑やかになりました。
「おう、まあまあじゃん」
「イルミネーションがきれいねえ」
天母の街に入ってきたようです。
汚いデコボコ道を歩き、
命懸けで交差点を渡り、
いまにも壊れそうな家の間に点在する
何軒かのブティックやレストランを点検して
歩きます。
「ヘエ、これがヴィレッジ、小農荘かあ」
おしゃれな仏レストランと紹介してあって、
写真では、店先の煉瓦の敷石のうえに
花が咲き誇った数多くの植木鉢で埋め尽く
されていたのですが、
実物はゴチャゴチャしてるだけ。
周囲には、マッサージ店と中華の屋台。
オトーサンたち
しばらく歩いて、
大体、天母の様子も分かったので
さつさと休憩をとることにしました。
まだ買い物が終わっていない奥方も
やむなく付き合います。
そのブティックみたいなお店の看板には
SONOMA(ワインバー&レストラン)
と書いてあります。
小店ながら、床は大理石で照明もモダン、
カウンターのとまり木に腰掛けて
ミュージック・ビデオをみながら、
ワインを飲むようになっています。
オトーサンたちのテーブルの上には、
奥方がしぶしぶ選んだ缶ジュース、
オトーサンが頼んだコーヒーが到着済み。
やがて東京と変わらない衣装と化粧の娘が
ヘーゼルナッツ・チョコレート・ケーキと
中華餅を運んでくることでしょう。
代金は、しめて230元(920円)
落ち着いたところで、
オトーサン、
「るるぶ」をリュックから取りだします
今回は「地球の歩き方」も「個人旅行」も
家に置いてきました。
「るるぶにどんな風に書いてるかな。
読んでみようか」
「そうね」
奥方は、あまり賛成しませんが、
オトーサン、かまわず読み始めます。
「バックには陽明山に続く高級住宅地が
広がる台北のベッドタウン。
並木の美しい中山北路を中心に、
おしゃれで個性的なショップやレストランが続く。
カジュアルななかにも暖かさの漂う街並を
ゆっくり歩きたい」
オトーサンがいいます。
「うまく書いているよなあ、このコピー。
これで、みんなが、だまされるんだよなー」
気分は何でも反対派の奥方が
「でも、東京にはないお店もあるわよ。
レインフォレスト・カフェとか。
アメリカン・スクールがあるからかしら、
外人も子連れで結構歩いていたわよ」
と反論します。
「まあ、こんな街もあってもいいか」
オトーサン、すこし譲歩します。
「子育て中のひとには便利な街よねえ」
いまは、羽をのばしている若い女性も、
やがて母親になれば、翡翠の指輪をはめた
手に哺乳瓶を持つようになるのです。
ですから、ブティックのとなりに汚い屋台が
あったって不思議ではないのです。
オトーサンたちぐらいの齢になれば
自然と体得いたしますが、
生活とは、本来、玉石混交、
玉もよし、石もまたよしであります。
るるぶの若い読者にひんしゅくを買うかも
知れませんが、
ここで一句、ご紹介しましょう。
劉希夷の「代悲白頭翁」の最後の4行です。
この唐詩のなかほどにある
年年歳歳花相似
歳歳年年人不同
の2行は、あまりにも有名であります。
宛轉峨眉能幾時
須臾鶴髪亂如絲
但看古来歌舞地
惟有黄昏鳥雀悲
美しい眉もいつまで保つもんか。
たちまち鶴のようなもじゃもじゃ頭になるぞ
ほれ、みてごらん、あの歌舞伎町だって
今じゃ、夕暮れに鳥が悲しく囀るだけ。
「せつないよなあ」
とオトーサン急に話し出します。
「このまえ電話したらさあ、
オトーサンたち、
動けるうちに動いておいたほうがいいわよ
ってぬかしおった」
「あの子なりの励ましなのよ」
「そうかな、先月モナコに行ったと思ったら
今月はプラハ、来月はブラッセルだとさ。
学費がないと大騒ぎしていたくせに」
「いい成績とった自分へのごほうびだそうよ。
ロンドンにいると、ヨーロッパの国は
みんな近いから、いいわよねえ」
2人の話はすれ違いますが、
オトーサンが
「このさい、動けるうちに動いておこうや。
これから士林の夜市でも見にいこうか」
と言うと、]
奥方も
「じゃあ、もう少し天母みてから、
行きましょ」と応じます。
タクシーを拾って
「シーリン(士林)」
と運転手に言いますが、通じません、
オトーサン、
中菊語は4声があるということを思い出して
語頭や語尾を上げたり、下げたりしますが
ダメ。
しょうがないので、
手帳に「士林」と書くと、
ようやくうなずいてくれました。
意外に短い時間、105元で済みました。
士林と思われるところに到着。
駅の周辺を探すと、一本入った路地に
衣料品やアクセサリーやミュージックテープ
を売る小さい店が並んでいます。
若いひと向けなので興味がなく、食べ物の、
屋台を探しますが、数も少なく、汚い汚い。
「昔、連れてってもらった夜店街はもっと
きれいで、店数もあったんだけどなあ」
とオトーサン、訝ります。
「これじゃ、香港の女人街や男人街のほうが
いいわね」と奥方。
「こんなんじゃ、見てもしょうがない」
それでも、道端で売っている安物の時計など
をひやかして、またタクシーに乗ります。
「夕飯でも食べに行こうか」
「いいわよ」
「梅子でどうだい」
「いいわねえ」
今度は大丈夫。
「梅子餐廳」と書いてある名刺があります。
奥方が台湾の駐在員の奥様から借りてきたもの。
ちゃんと住所も書いてあるし、
裏には地図だって書いてあります。
建固北路と伊通街の間、南京東路2段に面し
ています。
日本語も通じるし、お値段もリーズナブルと
聞いております。
お店は、地階。
大きな店で、接待客のグループで大賑わい。
オトーサン、
まず紹興酒を頼みました。
ボトルじゃなきゃダメというので1本。
お湯割りでレモン汁。
値段も安そうなので太っ腹になっています。
メニューがカラー写真で出来ているので
注文は奥方でも簡単です。
奥方は、野菜2皿、シジミ、カニ、はすの
ご飯と次々に注文します。
オトーサンは控えめに肉形石を注文します。
「肉形石?」
ごめなさい、故宮でみた玉豚肉、
つまり豚の角煮のことです。
奥方がいいます。
「そんなに食べられるの?」
「俺にだって、好きなものひとつぐらい
食べさせてよ」
「...」
「じゃーさ、半分の量でいいかって
聞いてみるよ」
やはりダメでした。
「やっぱり台湾は野菜がおいしいわねえ」
と奥方は大満足。
オトーサンの方は、
角煮は2ケ残ってしまいましたし、紹興酒の
ボトルも3分の2ぐらい残りました。
そのうえ請求書をみたら
3200元もした上に、チップを足すと
3500元(14000円)にもなったので
不機嫌になりました。
さらにまた、奥方に
「あなた、それ、0がひとつ多いわよ」
と注意されました。
よく見ると、35000元(14万円)と
書いてしまっています
ホテルの部屋に戻って万歩計を見ると、
何と21817歩。
オトーサン、言いました。
「あーあ、今日は疲れたなあ」
一方、奥方の信じられない発言が。
「あたし、これからホテルのブティックを
みてきたいんだけど、いーい?」
あーあ、お後がよろしいようで。
オトーサン、
朝6時頃、目をさまして
「昨日は、朝から夜遅くまで大変だった。
今日は、もっと長ーい1日になりそうだな」
と思いました。
3白4日の旅ですので、明日はもう帰国。
夕方の便とはいえ、
故宮に長くいられそうにありません。
オトーサン、
今日は故宮でもっぱら青銅器を鑑賞するつもり。
すでに奥方の了解も取りつけております。
参考書を片手に猛勉強。
青銅器といえば、
紀元前16世紀。
商の時代にはじめて作られ、
秦の始皇帝(紀元前212−206)が
鉄器を採用して、ジ・エンド。
およそ1300年も続いた文化。
それにしても、ずいぶん昔のことですよねえ、
いくらオトーサンが頭の切り替えが早くても
一挙にタイムスリップするのは、困難です。
まずは、ウォーミング・アップを。
バブルが崩壊して。
「夏草や強者どもが夢のあと」
俳人・芭蕉の一句がリアリティをもって
響いてきますが、
芭蕉がこの句の下敷きにしたのが、
五言絶句の名手、
唐の詩人、
王昌齢(698ー757)の
「塞下曲」
昔日長城戦
威言意気高
黄塵足今古
白骨亂蓬嵩
万里の長城で戦った。
あの頃はみんな意気軒高だったなあ。
今はどうだろう。
昔と変わらず砂嵐がやってくるが、
よもぎの茂みに兵士の白骨が
散らばっているだけ。
万里の長城を築いた
秦の始皇帝は革命児でした。
はじめて中国を統一し、
宗教国家を廃止し、法治国家に改組。
外敵に備えて万里の長城を築き、
死後に備えて始皇陵を築いただけではなく
不老不死の良薬を求めて、
除福を日本に派遣しました。
司馬遷の「史記」には
秦皇帝大説、
遣振男女三千人、
資之五穀種百工而行、
除福、得平原広沢
なる記述があって
始皇帝が除福の願いを聞き入れて
百工(熟練技術者集団)
五穀(稲などの栽培植物)
若い男女3000人を
蓬来の国へと派遣したとあります。
どうやら九州の佐賀平野あたりに上陸し、
除福は、青銅文化を指導したようです。
このため、日本は縄文から弥生時代に全面転換、
その証拠に各地で銅鐸が出土。
これって卑弥呼伝説よりスケールが大きくありません?
日本文化は、全面的に中国渡来文化に依存なんて
学校では、習いませんでしたよ。
オトーサン
「ふーん、まさに古代ロマンの世界だなあ」
と感動しきりで、参考書の記述を示しますが、
奥方は
「ふーん」と生返事。
これは、
あたしゃ、
それどころじゃないよという信号。
「ねえ、あなたもエステに行かない?」
としつこく誘ってきます。
バリ島ではじめて体験して以来、
奥方は、すっかりエステにはまっています。
今回の台湾旅行でも、
「るるぶ」が
「うるわしの島・台湾は
心と体のエステ・アイランド」
とあおるので、
奥方は、すっかりその気になっているのです。
「どのお店がいいかしらねえ」
なぜか、珍しくオトーサンに相談してきます。
理由は簡単。
異国のこととて、お店の場所も言葉も不案内。
オトーサンと一緒ならば、心強い。
「ねえ、どうお。疲れがとれるわよー」
オトーサン、
「おれは絶対イヤだよ。
他人にさあ、
体をいじり回されるなんて」
と言おうかと思いましたが、
「親しき仲にも礼儀あり」、「沈黙は金」を遵守。
奥方、
「じゃあ、女性専用のエステにしちゃうけど
それでいい?」
オトーサン、
「いいも何も、どうせ行かないんだから、
どうぞ。ご自由に.
どうして、この女は、大発見に感動しないんだ?」
古代ロマンを共有してくれない奥方に
内心、腹を立てています。
でも、こうしたせりふは、口にチャック。
「ロビーに旅行手配のひとがいるから
予約しに行こうや」
と言って、事なきを得ましたよー。
秦の前は、春秋戦国の時代。
青銅器の全盛期。
諸王が入り乱れてあらそう下克上の世界でしたが、、
その一方で、
「仁」を説く孔子も出現しました。
オトーサンも孔子にあやかって、
忍の一字で
奥方との春秋戦国時代を無事乗りきりました。
では、お後がよろしいようで。
オトーサン、
おかゆ横丁で朝食をとったあと
「今日は、地下鉄で故宮に行ってみよう」
と提案します。
「そうね、面白いかも。
タクシーよりも安いだろうし」
と奥方も賛同。
パリやニューヨークで
地下鉄を乗りこなせるようになって、
随分、交通費が安くなりました。
台北でもやってみようというわけ。
復興南路の前方には
ウルトラ・モダーンな青銅色の建物が
道をまたいでいます。
どうやら、それが駅。
駅名は、科学大楼。
これって大学名なんでしょうか。
構内に入って行くと、
おかゆ横丁の下町情緒は消えて
一転、東京は、ゆりかもめの通勤風景。
サラリーマン、OLの大群が足早に移動中。
オトーサン、
掲示版で、行き先の料金を確かめ、
お目当ての圓山は、25元と確かめてから
自販機にコインを入れます。
これ何気ない記述ですが、要注意。
台北の切符売り場でまごつかないために
ボタンを押す順序は、
東京では、お金が先で、行き先は後ですが、
台北では、行き先が先で、お金は後と
覚えておきましょう。
購入した磁気カードを自動改札機に入れて
プラットフォームに出ました。
広くて、明るくて、モダーン。
お台場へ行くときに乗る「ゆりかもめ」のように
プラットフォームのドアも一緒に開閉。
車内もピカピカ。
ニューヨークの地下鉄と同じ座席配置。
「博愛座」もあります。
日本でいえば、お年寄り優先席。
そう、これが台湾が世界に誇る
99年に開通したばかりの新交通システム
MRTなのです。
木柵線の英文は、MUCHA LINE。
無茶してもいから木柵を飛び越えろ。
とにかくアジア諸国は近代化に躍起となっております。
奥方が言いました。
「世界中からいいものだけをもってこようというわけねえ」
「夜間婦女候車区」なんてニューヨークの地下鉄のマネ。
夜は、あんまり危ないから、女性用にわざわざ
駅員の目の届きやすい場所を白線で囲ってあるのです。}
台北は安全なのにマネ。
オトーサンも純真な会話を楽しみます。
「今度、日本から新幹線を入れるんだってさ
せっかくヨーロッパの列車が入るって聞いて
楽しみにしてたのになあ」
「新幹線は、地震に強いからでしょ」
「あのお粗末なシートだけは、
何とかしてほしいよなー。
疲れるし、国辱ものだよ」
科学大楼から乗って
2駅目が忠孝復興。
老母をもつオトーサンには
何やら耳の痛い名前の駅。
ここで南港線に乗り換えます。
「ここ、SOGOのあった駅よね」と奥方。
この駅のエレベーターの長いこと。
東京の地下鉄では、
国会議事堂前が37.9mで一番だそうですが、
それ以上長いかも。
南港線のプラットフォームといったら
天井が高く、明るくて、広くて、オシャレ。
「こりゃ、日本、負けるわ」と奥方。
どうも日本人は、
若いひとでも「アジアの純真」など歌って
アジアを見下す傾向があります。
そこで若いひとにクイズ。
「日本で一番高い山は?」
「富士山にきまってらあ」
「じゃ、戦前は?」
「富士山。昔から一番に決まってるじゃん」
ところが、オトーサンの世代は
学校で「日本で一番高い山は新高山」
と教えられたものです。
当時は、台湾も日本の一部、
玉山は3952m、
富士山の3776mよりも高かったので
新高山と改称してしまったのです。
日本が、この10年、
バブル崩壊、神戸の大地震、オウム、
金融不祥事と足踏みしている間に、
いろいろな分野で
アジア諸国に追い越されてしまいました。
上海の高層ビルの多さ、
高さではクアラルンプールの双子ビル、
そして、この台北の新交通システム。
オトーサンたち
台北車站(台北駅)で
淡水線に乗り換えました。
中央駅ですが、淡水線は赤い色ですので、
迷うことなく乗り換えが完了。
「切符も共通なのね」
奥方が感心しています。
東京で開通する地下鉄・環状線の名称を
「大江戸線」に変えてしまった
石原東京都知事も
最近、台湾を訪問されたので
この最先端のMRTに乗られて、
さぞ驚かれたことでしょう。
「がんばんなくっちぁ」が、
外形標準課税導入につながったかも。
4つ目の圓山で下車。
蒋介石夫人・宗美齢(101歳 米国在住)の
経営ともいわれております。
格式高く、各国のVIPが泊まるホテル、
圓山大飯店の宮殿が前方の小高い丘の上に見えます。
豪華絢爛たる中国建築。
観光コースでは、ここと忠烈祠、孔子廟、龍山寺と
回るのが定番です。
「寄って行こうか」
「でも、今日は時間がないから」
やはり奥方の頭の中は
故宮見学のあとのエステで一杯のようです。
タクシーで故宮までは140元でした。
MRTが25元、2人で50元、
合わせて190元。
奥方が言いました。
「たいして安くなかったわね。
昨日は、市内から200元できたもの」
オトーサン
次回は一駅先の士林まで乗ろう
そのほうがタクシーが安いかもと思いました。
でもまあ、MRTを初体験したおかげで
「ガンバレ! ニッポン」気分になって
夫婦2人、いさかいもせずに快適な時を
過ごせたようです。
では、お後がよろしいようで。
オトーサン、
故宮に到着、すぐ1楼右手の
青銅器の展示室に直行、
といいたいところですが、
手間取りました。
オーディオ・ガイドを借りるのは省略。
借りる手間が面倒ですし、
説明している点数が少ないし、
結構、重たいのです。
オトーサン、
「今日は手荷物を預けちゃおう」
「いいわよ」
と奥方も賛成したのですが、
「でも、これは手元にいるわね。
これもいるわ。そうそう、これも」
昨日、故宮で買った小袋に詰め替えるのに
時間がかかります。
オトーサン、
一刻も早く青銅器に、
ご体面という想いですから、
無限の無意味な時間が流れている
ような気がします。
ようやく青銅器に、ご体面。
ずらっと並んでいます。
やはり、重量感があって、形も文様も異様。。
「いよっ、この異様な威容」
奥方に待たされている間に考えたダジャレ
ですので、悪しからず。
青銅器は
どうしても敬遠しがち。
陶磁器なら日頃使っているお茶碗や花瓶、
萩焼や伊万里など親しみがあります。
「何でも鑑定団」にもよく登場します。
一方、青銅器のほうは、日常生活には無縁。
そこで煙たくなる。
オトーサンも、
平均的日本人ですから、同じですが、
その固定概念を壊された経験があります。
かつてアメリカに勉強に行ったとき
ハーバード大学の教授のご自宅に
一行が、招かれました。
高層マンションの最上階、
教授はベランダからの眺めがご自慢、
なるほど、夜景が見渡せました。
ホタルの光のように航空機のライトが点滅
していました。
教授の、もうひとつのご自慢が奥様、
美人で甲斐甲斐しく、お手製のおいしい
サンドイッチでもてなしてくださいました。
「いいなあ、将来、オレもこういう身分に
なりたいなあ」
さて、
パーティもたけなわになったとき
教授が持ち出してこられたのが、
ワインのボトルと
青銅の鼎(かなえ)。
3本足の大きな容器。
「へえ、先生は東洋趣味なんだ」
みると、鼎の中には銅板が張ってあって
そこに、氷がギッシリ。
「ひやー、鼎をワインクーラーにしたんだ」
神が宿るといわれる鼎を
ワインクーラーに仕立てて
無邪気に喜こんでいる西洋人をみて
オトーサン、
複雑な感情になりました。
「こんな風に使っちゃって
バチが当たらないかなー」
「でも、まいったなあ、
こういう形の温古知新もあるんだ」
そこで、
今回の青銅器の名品鑑賞は
趣向を変えて
オカミをもおそれぬ勇気をもって
名品3点を選定いたしました。
1 饕餮文堝
商(紀元前16世紀−11世紀)中期
高さ 26.2cm
これ簡単にいうと
酒を暖める器。
新潟での雪見酒にも使えます。
口がラッパ状に開き、
火の上に置くため足が3本ついています。
珍しいのは口をつけるところに
きのこ状の小さな傘が2本あること。
奥方が
「これ面白いけど、何なんだろう。
お酒を飲みにくくなるのにねえ」
と言うので、
「諸説があってねえ」
オトーサン、得意になって
にわか勉強の成果を披露します。
「第一の説は儀式のときにかける布が
たれ落ちないようにというもの。
第二の説は、おかんが熱くなったら
これをもって持ち上げるというもの。
第三の説は とがった先がひたいに当たれば
ちゃんと飲み干した証拠になるというもの。
妙な説だけど、
中国では、カンパイと言われたら、
乾杯という字の通りに飲み干すのが
礼儀だそうだ」
「フーン、体によくないのにねえ」
胴部のなかほどに
饕餮紋(とうてつもん)があります。
青銅器につけられた代表的な紋様で
人間の魔性の化身。
といっても、
別に珍しいものではありません。
サリン事件の関係者、
神戸の少年A
新潟の少女を監禁した某
巷でみかける山姥、
今も昔も、魔性は身近な存在であります。
現代では、人間の魔性が怖いのですが、
古代では、動物の魔性が怖かった。
ですから、紋様の題材は動物。
角、目、眉、牙、爪を強調して紋様化。
題材は、牛、水牛、羊、魚、亀、蝉など
さまざま。
今でいえば怪獣。ゴジラ2000。
怪獣の最高傑作が、
漢の時代に完成した
「龍」
ベースは蛇。
これに、らくだの角が生えてきて
目は鬼、耳は牛、腹はみずち、鱗は鯉、
足は虎に化けます。
最後に、爪は鷹。
これも3本が5本へ、
でも、5本は、皇帝専用で
エライ人しか使えません。
温泉旅館での官費接待みたいなもの。
伝説の古代王朝、夏の
始祖・禹の頃に、酒は発明されて
以来、ひとびとは霊薬として珍重し、
これを飲むと天国に近づけると
信じていたようです。
オトーサンたちだって、
新年があけた朝、おとそを一杯。
何やら、神仏にお祈りしているような
殊勝な気持ちになります。
でも、酒は魔物。
よく酒を飲むとひとが変わるというじゃ
ありませんか。
古代国家・商も、紂王が大の酒好き、
「酒池肉林」の末に、滅びたそうです。
雪見酒ていどで処分を受けて運が悪い、
みんながやっていること、
何で、この俺だけが処分と、
ご不満なかたに
下々の気持ちを代弁して
ここで一句、お贈りしましょう。
王翰「涼州詞」
葡萄美酒夜光杯
欲飲琵琶馬上催
酔伏沙場君勿笑
古来征戦幾人回
葡萄酒を杯に満たして
さあ、飲もうとするとギターの調べ
戦場で酔いくづれても、笑うなよ
古来、戦場から生きて帰ったひとが
何人いるだろう。
そうなんですよー。
警察官に限らず、
現場は、いつも厳しいのです。
口にはいえぬ苦労の連続。
でも、出来の悪い上司を呪って
ヤケ酒を飲まれるかたがた、
くれぐれも、
飲み過ぎにはご用心。
虎になると、足がつきますよ。
では、お後がよろしいようで。
商時代の青銅器の陳列は、
果てしなく続きました。
12代の皇帝が続いての300年間。
皇帝の正当性を表す九つの鼎(かなえ)も
代々継承され、宮殿の奥深くに収蔵とか。
奥方が
「中国人って、
何で、青銅の鼎を大事にするの?」
と聞きます。
オトーサン、
しめしめと大喜び。
奥方がエステ選びで手間どっている間に、
随分、勉強したんですよー。
「オリンピックでも、金、銀、銅の順で、
銅メダルは3番目なんだけど」
「銅もらったって、どうしょうもないわ」
奥方も、たまにはダジャレを。
「漢代以前は、銅は金と呼ばれていたんだ」
「どうして?」
「青銅は、銅と錫の合金なんだけどー、
銅の含有率で色が変わるらしい。
いまは75%と決まっているけれども
昔は、いろいろ試してみて
85.7%のときに
山吹色に輝くのを発見したんだ」
「えっ、金色に?」
「古代のひとは、びっくりしただろうなあ、
早速、皇帝に報告したわけ。
古代王国、夏の始祖・禹は、
九つの国を統一した建国記念に
九つの黄金の鼎を作らせたってわけさ」
「黄金の大きな鼎を9つも?」
「その1ケの大きさも半端じゃないんだ。
聞くところによると、700人で引っ張ったとある」
「へえー。でも、ここの鼎はみな青いじゃないの」
「年代ものだから、緑青が吹いているんだ」
商才にたけたひとが多かった商も
やがて滅び、周の時代へ、
展示品からは、怪獣模様は消えて
単純な模様になります。
オトーサン、
時の移り変わりのはかなさを感じて
杜甫の詩を口ずさみます。
冒頭の2行は、誰でも覚えているでしょう。
「国破れて、山河あり、
城、春にして草木深かし」
「春望」
國破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心
烽火連三月
家書抵萬金
白頭掻更短
渾欲不勝箴
首都まで破壊された戦いだったが、
山や河は変わらずにある。
春がきた城壁には、草が生え放題。
敗戦ショックで、花さえも涙をこぼし
愛する人との別れで、鳥さえも嘆いている。
花の三月というのに、狼煙が上がり続ける。
家族からの手紙なら、いくらお金を払っても
ほしい、待ち遠しいなあ。
白髪頭をかきむしると、おんぼろろ、
クシもいらないようになってしまった。
戦いに勝って即位した
周の皇帝・武帝は、
天命を受けて封建制を確立し、
「礼」にもとづく新国家建設をめざします。
九の鼎は、周にも正当性の証しとして
継承されます。
列鼎制度を敷き、身分によってお墓の
副葬品としての鼎の数を定めます。
天子は9つ、諸侯は7つ、以下5、3、1
という具合に。
秦の始皇帝と毛沢東をのぞいて
鼎は尊重されてきました。
4000年もの間、鼎は秘宝として
宮殿の奥深く秘蔵されて来ました。
戦乱で紛失しても、また鋳造。
近年でいうと、鼎を尊んだのが、蒋介石。
毛沢東が率いる共産党との戦いに破れ、
厳しい選択を迫られたときに
こういったそうです。
「国なんか、また創ればよい、
民は、産めば増やせる、
しかし、故宮の文物は再生不可能。
この疎開を最優先課題にしよう」
本土から逃れ、首都を台湾に移そうとも、
鼎を所有している以上、
台湾はあくまでも正当王朝。
「台湾なんか、香港やマカオのように、
早く中国に変換してしまえばいいのに」
というのは短絡した見方。
歴史的認識を欠いた妄言かも。
そこで、いよいよ青銅器の王者、
スーパースターが目の前に登場します。
オトーサン、身震いしました。
歴史を知らないときは、
さーっと通り過ぎたんだけどねえ。
2 毛公鼎
西周 後期
高さ 53.8cm
口径 47.9cm
重さ 35kg
数多くある故宮の鼎の中で
大きくもなく、目立つ紋様もないのですが、
内側にびっしりと金文が彫ってあります。
1848年、峽西省で出土した
この鼎は、考古学的に大反響を呼びます。
32行499文字は、これまでの最長。
皇帝・宣王(紀元前827−789)が
毛公にあてた重要文書。
オトーサン、
つい重要文書といってしまいましたが、
古代中国では、まだ紙がありませんから、
古代の状況を推し量るには、
金色に輝く鼎に刻んだ文章(金文)
しかないのです。
その後の運命も、生々流転。
発見された個人から骨董屋へ
山東省の収集家・陳さんから香港へ流れ
アメリカ人、シンプソンが50万ドルで
買おうとしました。
「中国の国宝が外国へ流出」と猛反対されて
上海の企業家・陳さんが購入。
戦後、陳さんが蒋介石に寄贈。
蒋介石が故宮に寄贈。
オトーサン、
「ウーン、そうか、おまえ、
すっかりブチになっちまったなあ。
苦労したんだ。
しかし、よく3000年近くも頑張って
残っていてくれたなあ。
一介の庶民のオレが拝めるなんて、
夢のまた夢のようなものだ」
もう一度、拝みます。
3本の足は、猫足。
奥方のように、大根足ではありません。
胴部の丸みを帯びたラインだって、
心なし、優美に見えてきましたよー。
すると、途端に
奥方の声。
「あなた、何かいった?」
「いや、それより少し休まないか」
4楼にある、狭い東楼でお茶。
そこで、本を広げて、読むと
周は、その頃になると
国勢も次第に衰えて、
亡国の危機に直面しております。
毛公よ、よろしく国家の安全と秩序を守れと
いうものでした。
どこかの国の
不祥事続きで
青銅器みたいに青ざめている長官に
読ませてあげたいような峻厳な内容です。
では、お後がよろしいようで。
あっはっは。
かはーっ、はっはっ、
くうねるところにすむところ。
オトーサン、
東楼の女店員の傍若無人ぶりに
眉をひそめます。
何をしゃべってるのか分かりませんが、
うるさいこと。
「漢字って、よくできているよなあ」
「なんで?」
「漢字だけどさあ、
女が3人寄ると、姦しいっていう
字になってるじゃないか」
「....」
「鼎談っていうのは、鼎の足が3本あるから
3人で対談するのをいうんだ、面白いね」
「....」
どうやら、オトーサン、
不適切な発言をしてしまったようです。
でも、奥方は
エステに行くためには、早く故宮を出たいと
思っているせいか、寛容でした。
「ねえ、鼎の軽重を問うっていうじゃない。
どういう意味かしら」
こういう状況では、知っていて聞いている
可能性もありますから、
オトーサン、
国会答弁のように本を読みはじめます。
「えー、その件につきましては、
鋭意調査中でありまして、現段階では
確かなことが言えませんが、
孔子の著作といわれる「春秋」の記述に
は、次のように出ております。
引き続き読み上げてよろしいでしょうか」
「いいわよ」
「楚子、鼎の大小軽重を問う。
答えていわく。
徳にありて、鼎にあらず。
徳の、休明なるときは、小なりといえども
重し。
今、周徳衰えたといえども、
天命未だ改まらず。
鼎の軽重、いまだ問うべからざるなり」
「要するに、どういうことなのよ。
簡単に、自分の言葉でいいなさい」
「そう言われましても、慣例上...」
「いいから、言いなさい」
「はい、東周の第6代の定王のころ、
世の中が大変に乱れてまいりまして、
礼節よりも武力が幅を利かせるように
なりました。
その代表が、楚の荘王でございます。
周の国境まで兵を進め、威嚇いたしました。
周の使者に対して無礼にも、
国宝の鼎について、その軽重を問うたのです。
巻き上げようという魂胆でしょうか。
ところが、周の使者は気骨のある人で、
反論したのです。
まだまだ、周は徳を持っている。
おたくに鼎の軽重など問われる筋合ではない」
「要するに、鼎の軽重を問うと言うのは、
他人がごちゃごちゃ口出すなってこと?]
「まあ、せんじつめれば、そういうことに
あいなるかも知れません」
「了解」
オトーサン、
休憩後、念のために
もう一度、戻って毛公鼎を見ました。
気品があって、禀としています。
ひとの価値は、その地位や権力によって
きまるのではなく、徳によるのだと
鼎が言っているように思えました。
「ねえ、これ面白いじゃない」
奥方が、わざわざ呼びにきました。
「ほら、チロがしがみついてるみたい」
「ほんとだ」
チロというのは、
オトーサン家で飼っていたポメラニアン。
晩年(17歳)には
腰がぬけて、後足の力が衰え、
前足とあごの力でようやく
階段を這い上がる始末でした。
奥方も賛成したので、
この青銅器も
名品3点に加えることにいたします。
3 人足獣はんい
春秋 中期
高さ 24.5cm
幅 34.2cm
いは、祭礼のときに手を洗い清める器。
角と牙をもった怪獣が、
おいしい水を飲もうと、口に取りついて
すべるまい、すべるまいとしている格好が
大変ユーモラスです。
当人は夢中で、自分の格好のおかしさに
気つかないのですが、
傍から見ると滑稽至極。
こういう図、結構、他にありますよね。
会社でいえば、ワンマン社長。
老害なのに自分じゃ気づかず、
ポストにしがみついています。
はたまた、世論が、
「辞めろ、辞めろ」の大合唱のなかで
役職にしがみついているひともいますよね。
オトーサン、
青銅器をよく見ると、
足は4本ですが、
裸体の人間が4人、
器を支える足になっているじゃ
あーりませんか。
腕組みして、頭上の重さに
耐えかねるような顔付きをしております。
人形ではない証拠に、股間には一物も。
「ははーん、これは風刺だ」
オトーサン、すぐにピンときました。
春秋戦国の下克上の時代には、
人心が離れた皇帝や諸侯について、
苛烈な風刺が許されていたのでしょうか。
この作品も
たまりかねて
アングラで作ったのでしょう。
曹松の詩、「己亥歳」もそうですが。
澤國江山入戦圖
生民何計樂樵蘇
憑君莫話封候事
一将功成萬骨枯
湖水地帯も山岳地帯もいまや戦場。
ひとびとが木を切り、草を刈り、
安心して暮らせる場所はもうなくなった。
君よ、後生だから、ドサクサにまぎれて
エラクなろうなんて思わないで欲しい。
大将ひとり偉くなった影には、
無数の部下の白骨が転がっているのだから。
「一将、功なりて万骨枯る」
見渡せば、そういう大将ばっかり。
議員、経営者、官僚、地方公務員、先生方。
警察だけはと信頼していたら、このザマ。
「てめえらばっかり、
いい思いしやがって、
おいらが雪んなか、駆けづり回っているというのに
温泉旅館で大酒くらって、
カケマージャンかよー、
自費だってよ−、
賭けたのは、図書券だってよー」
ほんとにイヤな世の中になりましたねえ。
警察は、早急に金属疲労を正し、
サビを落として
正道(青銅)に戻してほしいものです。
では、お後がよろしいようで。
正直言って、
この国のお後はよろしくないかもね。
あーあ。
オトーサン、
「腹、減ったなあ。どうする?」
と奥方の意見を聞きます。
「そうねえ、朝、おかゆだったから」
「じゃあ。故宮で食べていくか。
ちゃんとした食堂もあるようだから」
すると、奥方が
「玄関を出て右手すぐのところのようね」
と言います。
オトーサン、
そういえば「るるぶ」に大きく出ていたな、
と思い出します。
「道理で、意見がすぐ合うわけだ」
食堂の名前は、
「故宮上林賦」
お昼時は、カフェテリア・サービス。
これは、言葉が通じないひとには大助かり。
目で確かめて、おいしそう料理の皿を
トレイに乗せてレジで支払えばいいのですから。
オトーサンたち、
鷄のスープ
ネギとニンジンと豚肉の野菜炒め
オイスターソースの青菜炒め
ごはん
をとって、
「どれもおいしい」
「おいしいわね、
これで2人で350元でしょ」
と言い合います。
「おれ、コーヒー飲む」
オトーサンが席を立って買いに行きました。
80元。
おいしかったけれども、
白飯が10元からすると、高いような気がしました。
大満足のオトーサンたち、
食堂を出て、前にある池へ。
大きな鯉がたくさん泳いでいます。
「エサ、やろうっと」
オトーサンは、
鯉をみるとエサやりというように
逆パブロフ反応の人ですから、
早速、エサを買いに走ります。
小さな袋で10元。
これ白飯と同じお値段。
ここの鯉が生意気なのは、
「コイ、コイ、コイ」と呼んでも
日本語が通じないのか、寄ってこないこと。
滝のほうばかりみていて
オトーサンのほうには寄ってきません。
鯉は
滝見酒で酔っ払っているのか、
ゆらゆらゆらゆら.
こんなに太っているのでは、
滝を登るなんてムリ。
ゆらゆらゆらゆら、
滝をみながら、
酔っぱらったように、栄達を夢みています。
もちろん、エサに飛びつこうともしません、
無礼にも立って食べます。
京都のお寺なんかでは、
すうっと横に水面に浮かび上がってきて
エサをパッと取って、
水にもぐるじゃないですか。
それが食べるまえも、あとも立ったママ。
太っていて、
身長よりもウエストのほうがありそうです。
「これ、どっかでみたよなあ」
「ほら、あれ。
玉器の龍魚、そっくり。
小憎らしいわねえ」
もう一度、故宮に戻って確認しました。
ご紹介済みの玉器名品3点に
こいつを追加いたしましょう。
4 龍魚形玉花瓶
明
高さ 15.6cm
幅 9.5cm
厚さ 4.4cm
白いつややかな玉で、
薄茶色もまじります。
人目をひくのは、異様な鯉の形。
背丈より横幅があるのではないかと
オトーサンがいうほどではありませんが
非常に太っています。
よく見ると、
白目が飛び出し、
緑色の角も生えています。
龍になりかかっているのです。
台座は、玉の緑色を巧みに生かして
波浪になっています。
この玉器は「鯉の滝のぼり」の故事を
形どったものです。
黄河の上流に龍門という急流があり、
魚は遡上できません。
あるとき、大きな魚が数千匹集まってきて
トライしたものの、みんな失敗。
遡上できたのは、一匹の鯉だけでした。
そんなことから、
この場所には、登龍門という名前がつきました。
一方、中国では
出世・栄達の道である官僚への入口である
科挙といわれる試験への受験者が
年々増加の一途をたどりました。
試験もどんどん厳しくなって
合格することは極めて困難なので
登龍門と言われるようになったそうです。
龍魚は、受験合格祈願の吉祥の徴として
長く尊重されてきました。
よく見ると、
腹部には、幼い龍がしがみついています。
形は、さっきの「人足獣はんい」の怪獣そっくり。
色は、なまっろくて気持ちわるいー。
オトーサン、
ひらめきました。
「ひょっとすると、これも風刺かも。
科挙で合格した青白い奴らが、
無能な天子にとりいって
利権のおこぼれにあづかろうと
必死でしがみついているんだ」
「最初に見たとき、
この花瓶、お化けのようだと思ったが、
直感は正しかったのかも知れないぞ。
製作年代も、清町末期、亡国寸前。
ぐうたら天子と宦官が跋扈していた時代、
だれもが怒っている。
つくりたくなる人がいそうな気がするな」
オトーサン、
ご時勢が、ご時勢だけに、
故宮名品に新解釈をしてしまいましたが、
はたして、真実はいずこに?
温泉旅館での雪見酒もいいけれど、
故宮では、
滝見酒に酔ったような鯉の見学も
お忘れなく。
では、おあとがよろしいようで。
オトーサンたち
故宮を出て、タクシーを拾って
士林駅へ。
代金は、80元。
「圓山からよりは安いな」
MRTは,もうおなじみ。
淡水線にのって台北車站へ、
乗り換えて南港線で、6つ目。
南港線、市役所で下車します。
出口はB。
忠孝東路と基隆賂の交差点にある。
台湾銀行のとなりにあるのが、
奥方お目当てのエステ。
こう書くと、
いかにも簡単に到着したように思えますが
とんでもない。
タクシーを拾って
「名媛時尚士女倶楽部
基隆賂1段200号B1」
と書いたのを示せばよいのですが、
「せっかくMRTの乗り方を覚えたんだから
それで行ってみようか」
「そうよ、そうしましょうよ」
奥方は、
エステの代金1800元の支払いを
控えているので、一も二もなく賛成。
「なあに、るるぶの地図に載ってるだろ」
と決め込んでいたのですが、
エステが中心部から離れているので、
るるぶの地図に載っていません。
「さあ、大変」
ホテルでもらった台北市内地図を
目を凝らして探し、
もよりのMRTの駅を探します。
「どっちが近いかなあ、
国府記念館と市役所」
國の父と慕われる孫文を記念した
國父記念館のそばですから、
見学がてら歩いていけばいいのでしょうが
この雨では、探し歩く気にはなれません。
「どうやら、市役所のほうが近そうだ。
あとは、駅で降りてから聞いてみるか」
「でかしたわね」
オトーサン、奥方からほめられました。
理由は、たまたま士林駅の構内で
もらっておいたMRTの小冊子。
新線が開通したばかりなので、鋭意PR中。
路線図だけではなく、
各駅毎の出口と出口周辺の地図まで掲載。
50ページ以上あるのにタダ。
MRTで移動中にみると
出口B。
忠孝東路と基隆賂の交差点にある。
台湾銀行のとなりに
奥方お目当てのエステがあるのまで
分かってしまいましたよー。
でも、すごい雨。
足元も悪い、
すぐ店には着いたのですが、
奥方が
「50分で終わるから、待っててね」
と言うので、
雨中、待ち合わせ場所になりそうな喫茶店を探し歩きました。
どこにでもありそうですが、
トイレを探しているときに限ってないのと
同じで、雨中探索は困難を極めました。
「ここだよ」
と戻って
奥方を喫茶店に連れてきたりして
足元グッショリになりましたよー。
「じゃあね」
奥方は、
ゴキゲンそのものの笑顔で、店に消えます。
「ダイジョーブかなあ。
エステといったって、所詮は風俗店。
一人で行かせてしまったが....
女性専用だというから安心かなあ」
オトーサン、心配になってきました。
心配の原因は、るるぶ。
数ページにわたってエステの店を
紹介しているのですが、
ポルノ映画まがいの写真も交じっています。
昔の台北を知るオトーサン、
国賓大飯店という
一流ホテル泊まったのですが、
夜の11時にゾロゾロゾロゾロ
ニホンジンのオジサンたちが若い女性を
連れこむのを目撃しました。
いまは、もうそんなことはないようですが。
でも、別の本には、
「女人世界」
という女性専用大型サウナが紹介されていました。
24時間営業で
サウナ、バブルバス、簡易ベッド、リラクゼーションルーム、
レストラン、美容院、各種マッサージが揃っていて、
プールまであるそうです。
オトーサン、
「女人世界」とういう名前だけで
めくるめく想いになりましたが、
次の記述に出会って、目が点になります。
「浴場のプールだから、裸で泳ぐのも
当たり前である。奇妙なのは、彼女たちが
本格的な水泳キャップとゴーグルを着け、
全裸で泳いでいることであった」
オトーサン、
一瞬、妄想に駆られました。
水中で、
ゆらゆらゆらゆら
わかめがなびいているのです。
もしかすると、
雪見酒でビール20本を空けた人たちも
ゆらゆらしてきて
判断を間違ったのかなあ、
そうだとすると、
同じ男として気の毒でもあるなあ。
妄想という字は
「女」と「亡」を組み合わせですから
女のことで我を忘れるという意味。
しかし、
オトーサンが思うに
温泉旅館に女性がいないハズはないのであります。
いずれ、真実が明かにされるでしょう。
特別監査の特別監査、
そのまた特別監査の特別監査によって。
さて、オトーサン、
「IS COFFEE」なる喫茶店で
スコーンとコーヒー一杯で
1時間粘りました。
先客はみないなくなり、
新しい客もいなくなりました。
「50分で終わると言ってたんだけどなあ」
るるぶの記事を読み直します。
「白やベージュに木の温もりを感じさせる
優雅でハウソな雰囲気。
エステティック・サロンとサウナ、
スポーツ・クラブが一体となったクラブで
基本的には会員制。
しかも、お金持ちの奥様やお孃様が
通う高級クラブ。
あらゆる意味で台湾的なものがなく、
どちらかというとヨーロッパの本格的
エステティック・サロンの趣が感じられる」
何度読んでも、非のうちどころのない
エステであります。
心配ありません。
あと、
強いて、憶測すれば、
1)るるぶの記事が、全面的に間違っていた
2)あまりにマッサージがきつくて、悶絶した
3)入浴中に心臓発作を起こした
4)気持ちがよすぎて、記憶を喪失した
5)湯上がりに毒入りジュースを飲まされた
6)ハンサムなボーイに一目ぼれして、駆け落ちした
7)この店にくる途中にクルマに撥ねられた
オトーサン、
30分ほど、やきもきしていました。
「お堅い台湾銀行のそばというのが、
かえって危ないのではなかろうか。
ほら、大蔵省の役人を銀行マンが接待した
あのノーパンシャブシャブ、
たしか楼蘭といったよなー、
発祥の地は台湾というから、
経営者が同じかも」
オトーサン、、
何しろヒマですから、妄想がふくらむ一方。
奥方がるんるん気分で帰ってまいりました。
「どーしたんだよー。遅かったじゃないか」
とオトーサンが詰問しても、
柳に風。
「いやあ、痛かった、痛かった。でも、スッキリしたわ。
さぁっ、ランタン祭りに行きましょ、急がなくてはねえ」
あわれなオトーサンに
特別監査のスキを与えませんでした。
新潟県警も、
ノンキャリアの奥方を
本部長にしておけばよかったんですよ。
オトーサン、
心の中で
「1時間半もあったなら
国府記念館の見学もできたのにー、
それにー、
駅のすぐそばの三越で買物もできたのにー」
とぼやきます。
これも、一種の妄想でしょうかね。
女々しい想いだから。
「みんな仲間内で接待してるのにー、
みんなも泊まりがけでマージャンしてるのにー、
何でおれたちだけが、退職金を返さにゃならんのー」
過ぎたことをいつまでも、
悔やんでいても仕方ありません。
ランタン祭りにいくことにしましょう。
では、お後がよろしいようで。
オトーサンたち、
MRT南港線に乗って、
台北車站に戻り、淡水線に乗り変えます。
朝と逆方向、ホームの反対側で乗ればOK。
中正記念堂は2駅先。
「行くのは初めてだけど、簡単じゃん。
タクシーにしなくてよかった。
いまごろ道は大混雑だろうなあ」
ところが、台北駅で降りてびっくり。
考えてみれば、
午後6時は、通勤客のラッシュアワー。
それに、
祭り見物の人出が加わって
さしもの広いホームも人でびっしり。
「こりゃ、東京と同じだ」
結局、2両見送りましたよー。
オトーサンたちの
お目当ては、
ランタン祭り。
これは、
元宵祭、旧正月の15日、
新年最初の満月の日に行われます。
春節(旧正月)の大騒ぎは、
横浜の中華街でお目にかかったことがあります。
それに続く大きなお祭り。
ガイドブックでは、
2月上旬から中旬となっていて、
オトーサンたちが滞在する
2月の21日から24日は下旬。
もう終わっていて見られません。
「旅先の楽しみが、ひとつ減ったなあ」
と残念がっていたのですが、
滞在中になぜか開催。
今日、23日が最終日でした。
「ラッキー」
オトーサンたち、大喜び。
祇園祭りで京都に、
雪祭りで札幌に
たまたま居合わせたような幸運です。
中山南賂に面する正門前が会場。
こちらの言葉でいう「燈會」の場所。
オトーサンたち、
人波に押されるように雨の中を漕ぎ出しました。
オーバーな表現になりましたが、
道路の水たまりの深いこと。
傘をさしていても、混んでいるので、
傘がぶつかりあう始末。
「こりゃ、長靴にかっぱがいるなあ」
でも、幸いオトーサンたちの靴は
アメリカで買ったアウトドア用のもの。
「これって、防水性、抜群だねえ、
日本の都会で履きつぶしてはもったいない」
「おっ!」
「わあ、きれいー」
オトーサンたち、異口同音に感嘆詞。
「ランタン祭りとか提灯祭り」と聞いていたので、
田舎の提灯行列を想像していたのですが、
大間違い。
イルミネーション・フェステイバルと言ったほうが、
感じは伝わるでしょう。
長さ、500mにわたって、道の両側に、
龍
虎
孔雀
など吉祥にちなむ動物
あるいは
パルテノン神様
の巨大な張りぼてがギラギラ輝いています。
目が慣れてきて、
こんなものかと思うと、
ばかでかいイルミネーションで形どった
中国宮殿が出現。
さらに、奥に進むと、
はるか先に中正記念堂の壮麗な建物が飛びこんできます。
幻想的なイルミネーションが施された
背の高い荘厳な中国宮殿からでている
レーザー光線が夜空を切り裂いています。
それが、地面を照らすと。
水たまりがきらめいて湖面のようです。
「いやあ、きれいなもんだなあ」
さすが、台湾。
お祭り大好き人間の国です。
「どぎついくらいだ」
「タイの金色の大仏を思い出したわ。
大仏は、黒くて陰気と思いこんでいたのに
あの時は驚いた。
でも、なんだか、ご利益がないように思えたわ」
「派手なパフォーマンスだったなあ
孔雀なんて羽の色が変わるんだものなー。
こりゃあ、紅白の美川憲一や小林幸子も顔まけだ」
「雨の中、はるばる来てよかったねえ」
駅に戻りながら、
張りぼてを見ると、
やはり提供企業名がのっています。
祭りに高額な寄付をするのが
まだ台湾では、プレスティッジなのでしょうか。
日本でもバブルの頃、冠スポンサーが流行しました。
対抗意識がエスカレートして、賞金金額がうなぎ登り。
「あんな時期、もうないだろうなあ」
オトーサン、
ランタン祭りを見終わって
ふと、
芭蕉の句を思い出しました。
「面白うて やがて悲しき鵜飼いかな」
オトーサンたちの
夫婦2人旅もいつまで続くことやら。
いつの間にか、
奥方が30年間もかけていた
老齢厚生年金が下りる年になってしまいました。
オトーサンは、
とっくのとうに白髪ですが、
奥方だって、白髪が相当増えています。
この心境を、
唐の詩人、劉希亥の「代悲白頭翁」
を通して、お伝えしましょう。
此翁白頭眞可憐
伊昔紅顔美少年
公子王孫芳樹下
清歌妙舞落花前
光緑池臺開錦繍
将軍楼閣畫神仙
一朝臥病無相識
三春行樂在誰邊
オトーサン、白髪になってかわいそう、
昔は、ハンサムで鳴らしたもんだ。
皇太子やその子供たちとも遊んだっけ、
いい匂いの木の下で。
澄んだ歌声が響き、
見事なダンスが披露されていたなあ。
そうそう、桜の花びらも散っていた。
光源氏のお池の展望台から見ると、
全山、紅葉だったっけ。
マ将軍のお屋敷の絵も見事でした。
でも、病気になったら、
冷たいねえ、
今じゃ、だーれも訪ねてきやしない。
春の3月、
どこで過ごしたらいいのだろう。
オトーサンもやがては、朽ち落葉、
「きれいな白骨になろう」がモットーです。
でも、お迎えがくるまでは
天命を、精一杯、生き抜く所存。
何でも、長生きのコツは
一無 禁煙
二少 小食、小酒
三多 多動多休多接
とか。
オトーサン、
この点、模範生。
タバコは飲まないし、
食事にも気をつけています。
最近は、めったにお酒も飲みません。
多動というのも、ダイジョーブ。
今日なんて
ランタン祭のあと、
また、おかゆ横丁に行ったから
2万2700歩も歩いてしまいました。
毎日、8時間は寝ているし...
「すると、残る課題は多接だけ」
オトーサン、
早速、
善は急げとばかりに
多接を実行しようとしましたが
すでに奥方は、ベッドで夢の中。
軽いイビキも聞こえます。
きっとエステで疲れたんでしょう。
あーあ。
では、お後がよろしいようで。
オトーサンたち、
帰国日ですが、故宮に行きます。
会計を済ませ、
あづけていた貴重品を取り戻し、
旅行鞄を一時あづかりにしてもらって、
おっと、キーも返さなければ。
おかゆ横丁へ。
その後、また珈琲館へ、
今朝の大成影劇報を見にいきます。
「あら、松たか子じゃない」
大きなカラー写真をみて、奥方がいいます。
「ふーん、これが松たか子なのか。
てっきり、台湾の女性歌手かと思ったよー」
紅白の司会をしたのを記憶していますが、
オトーサン、顔など覚えていません。
「それにしても、なぜ松たか子が
台湾で大きく取り上げられるのかな」
漢字づくめの新聞を読むと、
「恋愛世代」とあります。
オトーサン、
「これ、日本語で、ラブ・ゼネレーション
っていうんじゃないのか」
よく考えれば、
ラブ・ゼネレーションは英語ですが、
このさい、細かいことはいいでしょう。
どうやらVTRが発売されたようです。
木村拓也の名前も見えます、
共演したのでしょうか。
「そうよ、知らないの?
有名なトレンディ・ドラマじゃない」
奥方は、
TVの音楽番組は欠かさずチェック。
オトーサンが、NHKの演歌番組なんかに
チャンネルを回わそうものなら、
「いやねー、年寄りくさくって」
とのたまうのです。
「アジアの若い世代は、
AV文化を共有しているのだなあ」
世界中で話題になった
「おしん」が、
ネクラな日本文化を代表しているのに対し、
「恋愛世代」は
ネアカな日本文化を代表している。
時代は変わっていき、
オトーサンは、
取り残されていくのです。
その心細さを振り切るように
オトーサン、
つぶやきました。
「いいんだ、いいんだ。
オレは時代の表層潮流からは一歩身を引いて
時を超えて不変不滅なものを追求するんだ。
さあ、故宮へ行こうぜ」
MRT、
今日は、
士林よりひとつ先の芝山まで行ってみました。
「士林よりも芝山からのほうが
故宮までのタクシー代、安いかもしれないねえ」
でも、これは失敗、110元もしました。
士林からなら80元だったのにー。
「今日は、見残したのを鑑賞しようぜ」
ということで、書画が中心。
でも、オトーサン、
勉強不足もあって、楽しめません。
書聖・王義之ぐらいは、
せっかく故宮にきた以上、
拝んでみたいと思ったのですが、
実際に拝んでみても
「どこがいいのかしら」
という奥方に同意せざるを得ません。
4蝋の食堂・三希堂には
清の乾隆帝がこよなく愛した王義之の書
「快雪時晴帖」を飾った
紫禁城内の三希堂が再現され、
ヒゲを生やし礼服をまとったオジサンが琴を引き、
雰囲気を盛り上げているのですが
どうも気持ちが、いまひとつのってきませんでした。
でも、オトーサン
ひとつだけ大発見。
ひらがなは、日本人の発明ですが、
この字体のお手本は、
実は、
王義之だというのです。
「へえ、道理で感動しないわけだ」
オトーサンたちは、
日常的に王義之に接していたのです。
そういえば、ひらがなって芸術的だよねえ、
これって国民的財産だよ。みんな忘れているけれど。
「じゃあさ、最後に好きなものをもう一度見に行こうよ」
とオトーサンが提案します。
それに対して、奥方がこう返事しました。
「ビエンコ見ていかない」
「ビエンコー? 何それ?」
「鼻、煙、壷と書くのよ」
「鼻煙壷? 何それ?」
会話はちっともはかどりません。
「何でも鑑定団」でもたまに出るそうですが、
鼻煙壷とは、西洋かぎ煙草の瓶だそうです。
中国では、湿気が多いので、
わざわざ瓶に密閉していて、
嗅ぐときだけ、瓶の蓋を開けるそうです。
「鼻煙壷ってどこに展示してありますか?」
奥方が、係員に聞きます。
「いま、展示しておりません」
との冷たいお答え。
そうなんです。
故宮では、文物が70万点もあって
常時展示するのは1万点前後。
結構、頻繁に出し物の入れ替えをするので
玉白菜のようなスーパースター以外は
レギュラー定着は難しいのです。
鼻煙壷は、まあ、言って見れば、
ショートの補欠あたり。
「どこかにひとつくらいはあるはずよ」
と奥方が、あくまでも希望を捨てないので
オトーサンも付き合って、管内捜索。
新潟県警も顔負けのローラー作戦。
ついに、発見しましたよー。
琺瑯器の展示のなかに埋もれていました。
見つけにくかった理由は、
この鼻煙壷の大きさが、
香水瓶をすこし大きくしたくらいだったため。
西洋からかぎタバコが入ってきたのが清朝。
乾隆帝が愛好したものですから
細工が凝っていて、宝石箱の豪華さになりました。
奥方が煙草をのまないのに、興味を示しているのは
小さな宝石箱
のようにに思うからでしょう。
「きれいねえ、ひとつ欲しいわあ。
故宮のそばにあった、あの骨董品屋さんに
帰りによってみない?」
そんなことで
オトーサン、
もう一度、玉白菜や青磁の花瓶などに
お目にかかりたかったのですが、
時間が迫って参りました。
「もう一度、来ような。
今度は、ガイドさんを頼もうよ」
オトーサン、
実は、昨日、
風のように説明しては去っていく
ガイドさんのなかで、
一番、よく勉強していそうな人を見つけて
お名前と連絡先を伺って置きました。
ここで、ご紹介しておきましょう。
陽和文(よう かずふみ)
陽達旅行社(ようたつ りょこうしゃ)
(02)25033266
勿論、台湾の方です。電話番号も台北。
日本語が上手な若い男性です。
料金や日時は、ご自身で確認してください。
このあと、骨董屋さんに寄りました。
幸い鼻煙壷はありましたが、
30万円から50万円。
高い、高い。
きっぱりと、あきらめました。
後日談になりますが、
東京に戻って、表参道を散歩していたら
中国建築のアンティク・ショップがあって
その名は、アジアバザール。
どうせないだろうと、タカを括って
女店員に聞くと、
「そんな香水はありません」
「ビエンコーではなくて、ビエンコよ」
と奥方が訂正したら、
何と、そのお店の三階に、
鼻煙壷が6ケもありました。
お値段は、いずれも9800円。
奥方、
「買おうかしら、どうしよう。
でも、買っちゃおうかしら」
と悩みぬいた揚げ句、
やはり買いました。
清朝、乾隆帝時代のレプリカ。
何でも鑑定団では、
番組の事前審査ではねられること確実。
でも、奥方は大満足でした。
どうせ、鑑識眼などないのですから
レプリカも、大いに結構ではありませんか。
そんなこんなで
ホテルに戻ると、もう午後2時半。
旅行社が迎えにくる時間。
後は、
ベルトコンベアに乗せられるようにして
時間が過ぎていきます。
唯一、いつもと違ったのは、
手荷物検査で引っかかったこと。
「やっぱり、果物ナイフはダメだったか」
SOGOでパパイアを切るため買ったもの。
そういえば、カバンにいれておいたのを
すっかり忘れていました。
でも、指摘されたのは、紹興酒のボトル。
「どうしてだろう」
飲みかけと判明して、
すぐ通してくれたところをみると、
免税品の申告をごまかしたと
思われたのでしょう。
オトーサン、
「このおれが、そんなに怪しい人物に
見えるか?」
と食ってかかろうかと思いましたが、
ナイフの1件があるので、
黙秘していました。
これって、やはり、いけないことなのでしょうか。
保健所に届けに行ったほうが
いいのでしょうか、警察は忙しいから。
空港への着陸は、午後9時43分。
入管手続きや荷物受け取りに
意外に時間がかかって
10時半にやっと終了。
その後は、早かったですよー。
タクシーを奮発したので、
空港から自宅まで、たったの30分。
午後11時には着きました。
「5000円しないのね。
おかげで寒い思いしないですんだわ」
羽田から中華航空で台湾に行くのは
思ったより樂でした。
飛行時間、正味2時間半。
「まあ、国内旅行に毛が生えた程度で
これからも気軽にいけそうだなあ」と
オトーサンがいえば
奥方も
「2002年になると、
国際線はみな羽田からになるって
運転手さんがいってたけど、
本当かねえ、
そうなると、いいんだけど」
オトーサン、
日本に戻ってきた途端、
明日行く税金申告のことで頭が一杯で
話を聞きもらしたので、続きをせがみます。
「じゃあ、成田空港はどうなるの?」
「貨物専用になるらしいわ」
「それじゃあ、国内便は?」
「何でも、アクアラインが不入りでしょ、
木更津沖に新空港をつくるらしいわよ。
一石二鳥だって」
「ほんとうかなあ。
でも、そうなればいいよなあ」
故宮博物院・名品鑑賞マニュアルは、
これにて、終了させていただきます。
長らくご愛読いただきまして、」
誠にありがとうございました。
このマニュアル、
故宮に「出かける時は、忘れずにね」
では、サヨーナラ。
再見。
またあう日まで。
参考文献
1 清水仁編著「台北国立故宮博物院案内」(日本語版) 宣新文化事業有限公司
2 後藤多門著「ふたつの故宮」(上下)日本放送出版協会
3 日本放送出版協会編「故宮博物院 全15卷」日本放送出版協会
4 謝新發著「故宮・ガイド」勁草書房
5 古屋けい二著「故宮の秘宝」二玄社
6 東京国立博物館編「特別展 中国の陶磁」
7 入谷仙介著「唐詩の世界」筑摩書房
8 高橋美貴、福田素子、下川裕治著「好きになちゃった台北」双葉社
9 羽田武栄、広岡純「新説 徐福伝説」三五館
10服部英二「文明の交差路で考える」講談社現代新書
11「個人旅行 台湾」昭文社
12「99 るるぶ 台湾」 JTB
目次
1 まえがき
2 玉器:名品3点をみる
3 陶磁器の予備知識
3 陶磁器の名品4点(その1)
5 陶磁器の名品4点(その2)
6 オトーサンの旅支度
7 いざ、台湾へ
8 台北、雨の出来事
9 おかゆ横丁を発見!
10 イナゴかキリギリスか、それが問題だ!
11 陶磁器鑑賞の表世界
12 陶磁器鑑賞の裏世界
13 天母、士林夜市ぶらぶら散歩
14 古代ロマンの世界へ
15 MRT初体験
16 昔も今も青銅器
17 青ざめる青銅器
18 鼎の軽重を問う
19 鯉の滝見酒
20 めくるめく女人世界
21 ランタン祭り
22 さらば故宮よ