ロンドン&パリ、夏の旅


湖水地方、そしてモネの睡蓮の池

目次

9月1日 東京からロンドンへ:雨
9月2日 ロンドン:曇り、一時雨
9月3日 湖水地方へ:晴れ
9月4日 湖水地方:晴れ
9月5日 湖水地方:雨のち晴れ、のち曇り
9月6日 パリへ:雨のち曇り
9月7日 パリ:晴れ
9月8日 パリからジベルニーへ:晴れ
9月9日 パリ:晴れ
9月10日 モンサンミシェルへ:晴れ
9月11日 パリ:晴れ
9月12日 ロンドン経由で東京へ:晴れのち曇り


9月1日 東京からロンドンへ:雨

1-1 何しろ準備不足」 オトーサン、 今度の旅行ほど 準備不足の旅行はありませんでした。 なにしろ、 「月夜の来訪者」の執筆に追われていました。 学生時代の原稿に手を加えて せいぜい4万字くらいのものにするはずが、 登場人物が勝手に動き出して 20万字になり、さらに終わりがのびて 24万字になってしまいました。 最後の何日かは、朝から晩まで書いている始末。 出発の朝も、3時起きで、ようやく書き上げました。 午後1時発のBA008便、 すくなくとも、午前9時には 電車に乗っていないと、間にあいません。 ところが、出発寸前に娘から電話。 「出迎えのターミナル、どこだったかしら?」 普段なら予習充分のオトーサン、 便名を探すだけで、精一杯。 ターミナルなんて分かりません。 娘は、奥方にも質問。 「あの、サンダル、押入れになかったかしら? もってきてくれない」 奥方が、あせりまくって探している様子をみて オトーサン、 「ウチのむすめ、まるでイメルダ夫人みたいだな。 靴箱に入り切れないくらい靴を買っておったか、知らなかった...」 でも、アパートの靴箱が小さ過ぎるのかも知れません。 「そうだ、あれを買い忘れた。単眼鏡だ。 それに、パスポートのコピーもし忘れた。 予備の写真を2枚用意するのも忘れた。 えい、どうにでもなれ。命に別状ある訳でもなし...」 オトーサン、 いつものせりふが出てまいります、 成田空港につくまでだって、 いろいろありました。 例えば、成田までの切符事件。 オトーサン、あせって 京成・スカイライナーの切符を買ってしまいましたが、 奥方のいう通りにしておけば、よかった。 急行のほうが早かったのです。 二千円損しました。 成田空港では、 アダプターを2個買いました。 前回、ニューヨーク行きでは、 勢い込んで買いにいったら、 変圧器も、アダプターもいらないと店員に言われて アダプタしました。 今回は、変圧器が必要といわれました。 でも、よむ見ると、 オトーサンがもっていく シャープの携帯ワ−プロ「モバイル書院」 は 100V-240Vとなっていて、変圧器はいらないのです。 危うく、5000円損するところでした。 でも、アダプターは、必要でした。 しかも、ロンドンとパリでは、 アダプターの本数が違うのです。 オトーサン、やはりアダプタしました。 足はロンドンが三本、パリは二本。 オトーサン、 二本なら日本、日本と同じと同じと思いましたが、 足が、四角でなくて、丸い棒になっているのです。 オトーサン、言いました。 「おいおい、EUよ、 通貨統合もいいけれど、 そのまえに、まず、アダプターの統合をしろよ」 さて、 ロンドンはヒースロー空港に到着。 娘が出迎えてくれることになっていました。 ところが、娘は、やってきません。 オトーサンたち、 万事娘たのみで、 両替する日本円も用意せず、 ガイドブックもロクに読んでいないものですから、 どうやってホテルに行けるかも分からず、 電車やタクシーの乗り方も分からなかったのです。 娘が到着! 40分遅れでした。 「ターミナルを間違えた」 やはり事前にガイドブックをみておくべきでした。 到着便も出発便も、BA(英国航空)は、ターミナル4 何とか無事にすみましたが、危ないところでした。 シテイバンクのカードをもっていたので 空港中探しましたが、なし。 おかげで、コーヒーも飲めずに立ち往生。 世界中どこでもその国の通貨で現金が引き出せる と思っていましたが、それは大きな間違いでした。 娘によれば、ロンドン市内のシテイバンクは、2ケ所だけ。 オトーサン、 いま、激しく後悔しています。 準備不足を。 だって、娘に 「明日、どこへ行きたい?」 と聞かれても、 どこがいいと言えないのです。 ガイドブックも読んでいないので 何があるのかもわかりません。 ところで、 「お前、何しにロンドンに行ったの?」 そう聞かれても、困ります。 公式解答はロンドン留学中の娘に会いにですが、 実は、ロンドンなどには行きたくなかったのです。 でも、娘にもっていくカップラーメンなどいろいろあって 奥方のバッグだけでは収まりきらず、オトーサンも分担。 まあ、戦争中でいえば、かつぎ屋。 強いていえば、MUJIを見たかったのです。 「MUJI? 何だ,それ ?」 あの無印良品が、MUJIという名前で ロンドンに出店しているのです。 「せっかくロンドンくんだりまで行くのだから、 ほかに何か楽しみがあるだろう ?」 そういわれても、ごめんなさい。何もないのです。 昔、一時流行った カード会社のコマーシャルでは、 ジャック・ニクラウスが、 「出かけるときは、忘れずに」といっていました。 カード会社のうまい宣伝だなあと思っていましたが、 実は、オトーサンたちの準備不足を事前に警告してくれていたのです。


9月2日 ロンドン:曇り、一時雨 2-1 ワンデイ・トラベル・カード オトーサン、 これ、娘に買ってもらいました。 訳すと、一日乗車券。 オトーサン、 世の中に、こんな便利なものがあるのかと 驚きました。 「おいおい、 お前、妙なことをいうな 車ばっかり乗っているからだろう。 そんなものは、日本にだってあるよ」 朝9時から夜8時まで乗り放題。 地下鉄(Underground)に6回、 バスに2回、 JRにあたるBRにも乗りました。 それで、4.1ポンド。 1ポンドが160円なので、940円。 安くて便利です。 昨夜、ロンドンのヒースロー空港から市内に入るとき、 娘が、 「タクシーなんて馬鹿馬鹿しくて乗れないわよ」 と言うので、 地下鉄に乗ったのですが、これが狭くて超満員。 1時間立ちっぱなしでした。 眠くて、つかれていて、 これには参りました。 そんないきさつがあったので、 「今日も地下鉄で回りましょう」 と娘が言い出した時は、 オトーサン、反対しました。 反面、 あのバブリーな娘が、 「よくもここまで貧乏学生に変身できたなあ」 と喜ばしく思いました。 「でもなあ...。やっぱり、きついよなあ」 しかし、1日、乗って見て、 やっぱり娘の言う通りと納得しました。 こういう制度、日本でも 行政改革の一環としてやって欲しいものです。 2-2 ノッテイング・ヒルの恋人 オトーサン、 この映画を見ました。 ハリウッドの売れっ子女優、あのジュリア・ロバーツが ノッテイング・ヒルの小さな本屋をやっている青年と 恋をするというもの。 オトーサン、 ようやく 「一度、行って見たいなあ」と思っていたのを 思い出しました。 ロンドンに、たった1日しかいないのに、 娘に、突然、 「絶対 ノッテイング・ヒルに行こう」 とだめを押しました。 事前に聞いていなかった奥方は、 「何それ? ほかに見るところ 一杯あるでしょう? 世界一の観覧車にも乗って見たいし、 テートギャラリーにも行きたいし...」 娘の方は、いま行っている大学を案内したがります。 60人の志願者があって、12人だけ受かった大学院にも 案内したがっています。 テムズ河にのぞむレストランなど イギリスだってうまい飯が食えるところがあるのよ と案内したがります。 オトーサン、 「そこを何とか。プリンターを買って、 日本からもってきたのだから、いいだろ」 とお願いいたします。 必死の努力が実って、 ノッテイング・ヒル行きが実現致しました。 で、結果はいかが。 10時に行って、えんえん午後1時まで。 娘と奥方の買い物につき合わされたのです。 映画の舞台になったところは 「ここが、あの映画の舞台?」 というようなもので、どこにでもある汚い街。 だいたいノッテイング・ヒルなんて、発音してはダメ。 ノッテインヒル。 「グ」は取るんのです。 「愚」にもつかない場所でした。 でも、 いやがっていたはずの奥方のほうは、大満足。 「神戸の異人街みたいね」 とアンチークショップでの小物買いに専念。 「あら、香港の男人街みたいなところもあるのね。 露店の市場もあるわ。果物、魚もあるわ」 と大喜び。 娘の方は、 古着屋で 毛皮のコートをゲットじて、ゴキゲンです。 薄い茶色、デザインもシックで サイズもぴったり、 それに肌ざわりがよく、 何といっても、軽いのが素敵です。 難を言えば、古着とはいえ、安くないこと。 「こちらの冬は、もうすぐ来るのよ まだ9月のはじめというのに ほら、落ち葉が街路に散っているでしょう。 冬になれば、朝なんか、8時はまっ暗よ 午後3時には、もうまっ暗になるのよ 夏の暑い10日ほどを除けば、春秋、長いこと着れるのよ」 娘は、毛皮のコートの効用を力説いたします。 オトーサン、 「奥方が払ったからいいや」 と思いました。 ところが、それは大きな間違いでした。 連帯責任というのでしょうか、 連座制が適用されて、 夕食代など、 今後発生する諸費用は、 すべて、 奥方の言によれば、 オトーサン持ちになるようです。 奥方がいいます。 「だって、もうポンドの残りが少ないのよ」 「両替すればいいじゃないか」 「だって、ロンドン滞在がたったの1日、そんな時間なんかないわよ」 オトーサン、 ひそかに、つぶやきました。 「3時間もあったじゃないか。 あの待たされっぱなしの長い3時間があったじゃないか、 その間に、いくつも両替屋があったじゃないか」 でも、それを言ったら、大変。 もうロンドンは 秋。 女心と秋の空。 せっかくゴキゲンな晴れ間が、一変して雨になるかも。 ロンドンの天気は、ほんとに変わりやすいのです。 現に、今日も、 曇りのち晴れ、晴れのち曇りを何遍も繰り返したあげく 夕方には雨でした。 さて、 その夜の出来事。 オトーサンが早く寝てしまったので、 安心したのか、 奥方のぼやき声が聞こえました。 「あたし、 本当はパリなんか行きたくないのよ、 ベルギーとかプラハに足を伸ばしたかったの。 ロンドンが丸一日なんて短かすぎるわよねえ」 オトーサンが かたづをのんで、聞き耳を立てていると 幸い、娘は中立派で 「また、今度、行けばいいじゃん」 なんて言ってくれています。 「あまり欲張ってあちこちへ行くと、つかれるわよ」 ああ、 危ないところでした。、 「昼間、変なことをいわなくよかった。 もし、言っていたら、 旅行スケジュール が急遽変更になりかねないところだった」 オトーサンは、安堵して 毛布の下に隠れている足を 思いっっきり伸ばしました。 でも、起きていることを気づかれないように、 そっと。 2-3 ターナー鑑賞 オトーサンたちが、 ワシントンのナショナル・ミュージアムで ターナーの絵をみたことは、 このHP「ニューヨーク でご入浴」でご紹介ずみです。 光を大事にした画家、 印象派の先駆けになった画家として ターナーは、イギリス人の誇り。 その絵が、数多く見られるのが、 本場イギリスのテート・ギャラリー。 でも オトーサン、 もう疲れていました。 何度も、 「もう、 行くのやめようや」 と奥方には申し上げましたが、 聞き入れてもらえません。 「テートぐらいは、行かせてよ」 娘も、 「あたし、まだ、 テートには行ったことないの」 するっテート、 行くしかないか。 オトーサン、腹を決めました。 でも、ほんとうに大変でしたよ。 朝の6時に起きて、パソコン。 8時には食事を終えて、 9時には迎えにきた娘と出発。 ラッセル・スクエアから、地下鉄で ボンド・ストリートヘ。 シテイバンクでカードでポンドを引きだし、 有名ブランド店やH&Mを見たあと、 地下鉄に乗って 10時にはノッテイングヒルに到着しました。 あとは、先程、ご報告した通り、 アンチーク・ショップやマーケットで 3時間もの間、 買い物につき合わされました。 もうとっくに昼食時間が過ぎています。 ロンドンのこととて、簡単にはいいお店も探せず、 空腹を抱えて、地下鉄でハンマースミスまで出ます。、 ようやく「PRET」というファーストフード・チェーンで サンドイッチとコーヒーとジュースですませました。 難民みたい。 そして、 道に迷ったために 慣れれないバスに乗ったりして、 歩きに歩いて、 探しに探して、 ようやく娘の大学院を発見。 日比谷公園のような場所にあリました。 その広いキャンパスのなかも歩いて、 バスに乗って、 BRに乗って、地下鉄に乗り換えて ピミコ(Pimico)から歩いて、 テートギャラリーへ。 いやはや、 美術鑑賞というモードではありません。 でも、この美術館、 さーっと入れたので、いい気分になりました。 入場無料。 イギリスって、すごいなあ、 でも、日本だって、ムダな公共事業をやめれば この位のことは簡単にできるのです。 自民党、 いかがですか 来年の参院選挙、 負けたくなかったら、このくらいのことをやったら? 都市住民に喜ばれますよ。 疲れているので、 ターナーのコーナーに直行。 ありました、ありました。 ベニスの海やテムズ河に 沈む太陽のそこはかとない光り。 いやあ、いつ見ても、 ターナーは 「いいなあ。なあ、そうだろう」 オトーサンは、絵画鑑賞の先輩として 力強く娘に賛同を求めました。 しかし、 最近、オトーサン、 白内障が進んで、 すべてが霞んでみえますから ターナーの絵のみえないこと、見えないこと。 もちろん、絵の横にある説明プレートの 細かい字などは、濃霧の中、ホワイトアウト。 まったく読めません。 展望台からカップルが滝を見下ろしている絵がありました。 「なかなかよく描けているじゃないか、あの二人」 そうオトーサンが話しかけても、奥方が返事しません。 ほかの絵に気をとられているのでしょうか? ようやく 「どの絵?」 と聞いてきたので、 「あの絵に決まってるだろ、一人は黒いドレスを着た女性、 隣にいるのは、男性。 白いレインコートを着て、ボストンバッグをもっているだろ」 「どれが?」 「見えないはずはないだろう」 「どれよ」 「じれったいなあ、画面の左側に大きく描いてあるだろ」、 「ひとなんか、いないわよ。樹が立ってているだけじゃないの」 近づくと、油絵のこと、もっとぼやけますし、 確かめようがありません。 「もしかしたら 、ターナーが手がけた唯一のだましじ絵かも.... すると、世紀の大発見ということになる」 専門家の鑑定はいかに? オトーサン、 絵の題名をメモっておきました。 「Southern Landscape with Aqueduct and waterfall」 さて、 絵画鑑賞は目が疲れるので、 オトーサン、 ターナーの絵画の点数を調査することにしました。 普通の美術館では、 数点もあれば、御の字ですが、 やはり、ここは本場。 あるわ、あるわ、 6室、130点以上もターナーの絵があります。 その一部屋で、キャンバスを立てて 模写をしている青年がいました。 ターナーの描く空は、 古びているためか、暗いのに、 青年の描く空は、澄んだ青空。 デッサンもしっかりしています。 オトーサン、 芸術鑑賞家は、こういう前途有望な画家の卵を 激励する義務があると感じました。 問題は、英語でそれをどう表現するかです。 娘に聞きました。 Good than Turnerか か Better than Turner か、 いずれが、適切な英語表現なるや? 娘、いわく、当然、後者である。 そこで オトーサン、 相当な自信をもって、 力強く、話しかけました。 周囲に聞いているひとがいないのが 残念なくらいです。 Better than Turner すると 青年は、 にっこりして 頬を赤らめました。 オトーサン、 いい青年だなあ、 やはり、激励して好かった。 本当にいいことをした。 心の底から、そう思いました。 しかし、 次の瞬間、 青年はいいました。 This is Constable デモ、アリガトウ。 ああ、何っていうことでしょう。 ターナーだとばかり思っていた絵は ターナーではなく、 コンスタブルの絵だったのです。 娘が笑うこと、笑うこと。 オトーサン、 久しぶりに、 青年のように頬を赤らめました。 ちなみに コンスターブルは 風景画家で、1776-1837 ターナーが、1775-1851 ですから、同時代人です。 画風が似ているといえば 似ている。 まあ、若いひとが 美空ひばりと島倉千代子の区別が つかないようなものですが、 大間違いには違いありません。 オトーサンの頭の中を この心境をしめす言葉が飛びちがいました。 アナがあったら入りたい オトーサンのターナーとの関係は、 豚に小判、豚に真珠、馬の耳に念仏 のようなもの。 こうして オトーサンが 激しく後悔し 、 恐れ入っているうちに、 ロンドンの夜は更けていくのでした。


9月3日 湖水地方:晴れ 3-1 湖水地方で夫婦ケンカ 有名な湖水地方に 3泊4日でいくことにしました。 湖水地方と言い出したのは、 奥方なので オトーサン、 準備不足もいいところ。 オトーサン、 そもそも、 なぜ湖水地方といわれるのか なぜ有名なのか どこにあるのか どうやっていくのか 宿はどこにあるのか まったく知りません。 いわば、 湖水痴呆。 娘が、すべて手配してくれました、 往復の汽車のチケット 時刻表 宿 昼食にとサンドイッチとジュース。 EUSTON駅まで見送りにきてくれて そのうえ、プラットフォームのB号車まで案内してくれました。 オトーサン感激しました。 もつべきものは、よき娘。 さて、列車が出発すると 後は、自己責任。 オトーサンの双肩に、 冒頭の疑問がずっしりとかかってくるのです。 でも、今日は、晴れ。 列車は新幹線よりムードがあるし 日曜日で、ほぼ満員ですが、 向かい合わせの座席もあって 新聞を読んだり、クロスワードパズルを解いていたり カップルでおしゃべりをしていたり、 もたれあって眠っていたり むしゃむしゃブドウをたべていたりと ノンビリムードがただよっています。 「ほら、牧場みたいねえ、 羊がいるわ、 馬もいる、 あら、牛もいる」 緑の草原に潅木がちらほらの風景が展開されております。 「これが、イギリスの田舎なのね、カントリーなのね」 奥方は、いい気分のようですが オトーサンは、それどころではありません、 お勉強、お勉強。 昨夜、ホテル近くの本屋で入手した Lake Districtというガイドブックと格闘中なのです。 すべて、英語。それに細かい活字。 「これからいくのは、湖水地方の中心地であるが、 あまりに開けてしまって騒々しい。 この地を生涯愛したワーズワースが、 列車が通るとロクなことにはならないといっていたが その通りになってしまった」 「WindeermereとBownessとは、隣町であり、 昔は、離れていたが、近年は店でつながってしまった」 などと書いてあります。 オトーサン、 奥方に 「清里みたいになってしまったようだよ」 と言いましたが、 ピーターラビットの童話の世界を信じている奥方は ケチをつけられたと思ってか、信用してくれません。 だって、車窓を流れる風景には、 人間なんてたまにしか出てこないのですから。 「行ってみれば、分かるわよ」 さて、 この旅行の最大の難関は 乗り換えです。 9時03分にロンドンを出て、 13時11分に、Oxenholmで乗り換えます。 こちらの列車は、音もなく出発しますし、 時間も不正確、 おまけに車内アナウンスもほとんどありませんから Oxenholmなる駅が、いつ何時やってくるか分かりません。 オトーサン、 必死になって ガイドブックの地図に目をこらします。 ようやく、お目当てのWindermereが見つかりました。 Oxenholmなんて、どこにあるの? ひょっとしたら、この地上に存在しないのかも、 イギリス人が得意とする ブラック・ユーモアの世界にしか存在しないのではいか。 あるいは、 オトーサンたちは、 すでに ピーターラビットの童話の中に 入ってしまったのかも知れません。 ああ、 ありました。 小さい活字で しかも、薄い字で。 「何ってこった、かりにも乗り換え駅だろ」 オトーサン、怒りますが、しょうがありません。 買った地図は、道路マップ中心で、鉄道路線図は、おまけ。 赤や青の太い線が道路で、黒の細い線が鉄道でした。 オトーサン、 ハタと膝を打ちました。 「そうか、この薄く書いてある駅名をみれば いまどこを走っているかが分かるのだ。 そうすれば、あらかじめ、重い荷物を網棚から出して 準備できる。すぐ降りられる。乗り換えができる」 列車がとまるたびに、 駅名をみて、地図を探しますが、 該当する駅名はありません。 「あなた、まだ、先でしょ。 湖水地方の地図には出ていないでしょ」 そうでした、Oxenholmまでは 4時間も乗るのです。 いわば、東京から岡山まで行くようなもの。 静岡あたりの駅名が 岡山の地図に出ているはずもありません。 ところが、 湖水地方に入ってきても 支線がたくさんあるので、 どの線なのか分かりません。 「Lankasterがくれば、降りる支度すればいいのよ」 奥方は、のんびりしたものです。 オトーサンがすべてやってくれる。 添乗員つきガイドツアー。 おまけに歌まで口づさみ出します。 「ランカスター、リバプール...。確か、ビートルズの歌にあったわよね」 「そりゃ、マンチェスター、リバプール....じゃなかったかい?」 「まあ、似たようなものよ」 オトーサン、 「そりゃあ、全然ちがいうよ」 と言いかけましたが、やめました。 ターナーとコンスタブルの見分けもつかないのは誰だっけ? ランカスターに到着。 1時、分かりました。 ちゃんと地図に載っています。 あと5つくらい先の駅です。 乗り換え駅の到着まで、あと多分11分から15分くらいか。 オトーサンたちが そわそわしだしたのをみて となりの席の老婦人が、 「Next station, sixteen minutes( 次の駅よ、16分後)」 と教えてくれました。 この位の英語なら、オトーサンにも分かります。 でも、本当のことをいうと、 16分なのか、60分なのか、 よく聞きとれなかったのです。 次の駅? そうなのです。 急行でした。鈍行ではないのです。 5つ先ではないのです。 デッキまでいって、待機します。 そこで、オトーサン、叫びます。 「あっ、降りられない!」 ドアの開け方が英語で書いてあります。 「1 停車すると、ランプがつく。 2 窓を開けよ 3 外側にあるノブを回せ」 こんなことが、あっていいのでしょうか。 日本じゃ、自動ドアですよ。 せいぜい、ドアを開けるにしても 内側のノブを回すだけ。 オトーサンたち、 降りるひとがいそうなデッキを探して 車中を大移動。 しかも、あと、数分というところで 奥方がトイレに行きたいと言いだします。 「あとにしたら」 「でも、出ちゃうのよ」 ようやく、プラットホームに降り立ちました。 乗り換え列車は、いずこ? 隣のホームで待っています。 オトーサン、安心します。 「小海線に乗り換えるみたいだなあ。 でも、ほんとうに、この列車でいいのかなあ」 幸い、同じ疑問を抱いた日本人観光客が何組もいました。 おたがい、流暢な日本語で確かめ合って、無事、座席を確保。 オトーサンたち、 4人がけのテーブル席を確保して やおら娘が買ってくれたサンドイッチをほうばります。 うまいの何の。 トマトとベーコンの組み合わせが絶妙です。 「これ、 あたしが選んだのよ」 奥方が、存在意義を誇示します。 1時45分、4分遅れで ようやく目的地のWindermereに到着。 線路がそれ以上先にないところをみると 終点のようです。 オトーサンたち、 うれしくなって、駅名をバックに記念撮影。 列車をバックにもう1枚なんてやっていると、 もう周囲には、誰もいません。 改札口を出ても タクシーなど見当たりません。 娘が、 「タクシーで5分、歩いて30分よ」 と言っていました。 「歩いていくか。、天気もいいし、散歩がてら」 オトーサン、そう言ってはみたものの、 どちらへ行っていいのか、皆目わかりんせん。 そこへ、勢いよくバスがきました。 行き先は、Bowness. ホテルの住所の方のようです。 オトーサン、渋る奥方にいいます。 「乗るっきゃないだろう」 「コインがないのよ」 運転手に、手帳に書いた住所を示して 「ここへ行くか?」 と聞きます。 うなづいたようでした。 「.........」 何かしやべっています。 さっぱり分かりませんが、座ることにしました。 奥方は、 2階の見晴らしのいいところに座りたかったようですが、 オトーサンは、運転手のそばに座ります。 彼がここで降りろというのをどこまでも待つ所存。 まあ、昔、学生時代にやった座わり込みですな。 何度も聞きます。 バスば、まあ驚いたことに 夏の軽軽井沢を思わせる繁華街の 雑踏のなかを走っています。 「おいおい、これがあの静かなカントリーなのかよー。 タイヘンだ。大枚をはたいて、とんでもないところに来てしまった」 オトーサン、 激しく、準備不足を後悔します。 ようやく、終点へ。 湖面がすぐ近く、白い大きな遊覧船が泊まっています。 湖面には、無数のヨット。 運転手が身振りで、ここだと言います。 でも、ここは、 まあ、言ってみれば、夏の芦ノ湖の元箱根状態。 人混み、売店、くるまくるま。 ホテルはいずこ? どこで聞いても、アイドントノウ。 困っていると、 奥方が、 「ツーリスト・インフォメーションがあるでしょ」 オトーサン、 主導権を奪われて 仕方なく、奥方について行きます。 すぐ地図を出してくれて、 ホテルの場所に、丸印をつけてくれます。 勢いついた奥方が命令します。 「さあ、こっちよ」 「ちょっと待ってくれ、トイレに行くから。 ここで待っててくれよ」 用を足して出てくると 奥方がいません。 あちこち探しますが、 見当たりません。 もしやと思って、 探すと もう先のほうを歩いていました。 どんどん坂を上って行きます。 「ちがう方向ではないかなあ」 とつぶやいても、無視されます。 あちらは身軽、こちらはカートを引いています。 カートも 平坦ないい舗装路では、 小指1本でスイスイ行けるのですが、 坂道となると 重さがズッシリ感じられます。 オトーサン、 叫びます。 「ちょっと、その道、ちがうんじゃないか?」 奥方は、再び無視します。 「地図を貸せよ」 ようやく奥方も地図を見ます。 「ちがうじゃないか、こっちの道だよ」 奥方は、聞きいれまません 「だって、 ツーリスト・インフォメーションのひとが こっちの方向って言ってたわ」 「同じ方向に、道路が2本あるだろ、 ここは車道で太く書いてある。 ホテルの方向は、細い道のいほうだ」 オトーサンは このとき、 不意に思い当たりました。 奥方は、いろいろな天分に恵まれている人なのに どういうわけか、地図「音痴」だということに。 もしかして、差別用語かも知れないので、 言い換えると 「地図に不自由なひと」ということに。 奥方は、じっと地図をみて 「だって」 と言いかけます。 このとき、 もろもろの不条理、不平不満、疲れなどが 一挙に、 オトーサンのなかで 爆発しました。 「黙れ、黙っておれについてこい」 しばらくたって、奥方が言いました。 「そんなに大声を出さなくたっていいじゃない。 聞こえるわよ」 夫婦喧嘩のはじまりは、 いつも、こんな些細なことで、はじまるのであります。 コインに、表裏があるように 意志疎通にも、理解と誤解の両面があるのであります。


9月4日湖水地方:晴れ 4-1 忘れ得ぬ一日観光 オトーサンたち、 いま、11人乗りのミニバスの 乗客になっております。 9時20分に迎えにやって来て、 5分遅刻で出発。 運転手は、スティーブ。 髪の毛こそ白いものの、陽気な大男です。 乗客は、なぜか、すべて日本人。 大阪弁の中年夫婦。 息子夫婦を案内している駐在員夫婦。 若い女性の2人連れ、 物静かなOL風の女性、 そして、オトーサンたち 総勢9名。 スティーブが、 「今日の湖水地方は日本人に占領された」 と叫んでいます。 「しかし、君たちはラッキーだ。 湖水地方きってのよいドライバーと イングリッシュ・サマーに恵まれたのだから」 スティーブのいう通り、快晴。 セーター1枚でちょうどいい気候。 湿気もなく、9月の北海道のようです。 オトーサン ホテルでもらったパンフレットを見ます。 オール英語ですが、 後ろにちょこっと日本語でツアーの解説文がついています。 「ビアトリクス・ポターの湖水地方とワーズワース *** ポターの生涯とその作品に関わる数多くの場所を 詳細な解説と共に回る楽しいツアー。 ヒル・トップ、ホークスヘッド、 レイキャッスル、ターンハウズ、 ニューランズ・バレー、 ダーウエントウォーター湖、 ケズウィックなど。 グラスミアのウィリアム・ワーズワースの家、 ダウ・コテージも訪問。 大小12の湖めぐり、 2つの峠越え、 ダーウエントウォーター湖でのクルージング、 キャッスルリック・ストーン・サークル見学も有り。 料金 大人25ポンド 出発 午前 9:30 帰着 午後5:45頃 毎日運行」 このツアーは、 夫婦喧嘩のあと オトーサンたち、一旦仲直りして、 ホテルのおばさんと相談しながら決めたものです。 「やっぱり、これにしてよかったよなあ」 「そうよ、半日ツアーよりも内容が充実しているわ」 窓の外には、緑豊かな牧草地に点在する羊たち、 延々と続く石積みの柵、森、芝生の向こうに湖面が広がっています。 そんななかに、時折り、数軒からなる小さな町が現れてきます。 奥方が写真を取りながら、嘆息します。 「本当に、どこをとっても、みな絵になるのよねえ」 オトーサンも応じます。 「看板も電線もないし、ゴミひとつ落ちていないものなあ」 奥方、 「日本だったら、この辺にすぐ土産物屋ができるわよねえ」、 オトーサン、 「パチンコ屋、モーテル、ドライブイン」 奥方、 「ポターさんて、すごいのねえ。この辺、みんな買い占めて、 ナショナル・トラストに寄付しちゃったんですもの」 そうなのです。 有名な童話作家、ベアトリクス・ポターさんは 膨大な印税が入る度に 土地を買い増していった結果、 今日一日、ミニバスが走り回っている一帯が、 手付かずで昔のままの自然な姿で保存されているのです。 「ホントに、来てよかったよなあ」 「あのウインダミア駅から、バウネスの船着き場まで 道の両側に2キロ以上ぎっしり並んだお店の馬鹿騒ぎがウソみたいねえ」 「清里の駅前みたいで、もう帰ろうと思ったよ」 「この石積み、1日に40センチくらいしか作れないらしいのよ」 「ところどころ、羊や牛が逃げ出さないように、 有刺鉄線になっているけれど、味気ないよなあ」 「この石積みの柵をとってしまったら、 ここはスイスと同じ風景みたいになってしまうわよね」 「ほんとに、このツアーにして、よかったよなあ」 オトーサン、 今度はパンフレットの長い英文を読みます。 出だしの文章は、以下のようになっていました。 オトーサン、首をひねりながら読みます。 Who has not heard of Peter Rabbit? Or Pigging Bland Jeremy Fisher,Tom Kitten, Samuel Whiskers and other characters brought to life by Beatrix Potter! 「何じゃあ、こりゃあ」 何しろ、準備不足で、 ポターの童話を読んだことがないものですから、 「ピーターラビットや童話の主人公たちを 知らないひとはいないでしょう」 といわれても困るのです。 でも、イギリス人にとっては 桃太郎さん、かぐや姫、花咲爺さんみたいなものなのでしょう。 次を読みます。 In this cmprehensive tour of the houses,farms, vilages valleys, lakes and monyuments that are linked to her stories we enter the world of Beatrix,.. 文章は、まだ続くのですが、いったん、ここで切って 辞書がないものですから、 オトーサン、 適当に翻訳します。 「この盛りだくさんのツアーでは、 数々の家、農場、村、谷、 湖、モニュメントを見て回りますが、 これらはすべて彼女の童話に結びついていて、 わたしたちは、彼女の童話の世界に入って行くのです」 オトーサン、つぶやきます。 「このツアー、ウソは書いていないようだ。 パンフレットのいうように、山あり谷ありだ。 平地ばかりの英国で、山や谷があるのは、ここらへんだけのようだな」 その時、前方の山を指して、 スティーブが何やら、叫びます。 どうやら、英国一の高い山で、標高は????フィートだと 言っているようです。 オトーサン、恥をしのんで となりの駐在員のおじさんに聞きます。 「何って言っているんですか?」 「スカーヘル・パイク、高さが3210フィート。1000メートル位です」 「ありがとう、それにしても高く見えますね」 「すぐそばが海だからね」 それにしても オトーサン、 湖水地方とはいえ、 こんなに湖がたくさんあるとは 思いませんでした。 おそらく氷河が後退して、取り残されたのでしょう。 「今、どこを走っているのかなあ」 オトーサン、 お昼ごはんを食べた店で買ったイラスト地図を見ます。 さきほど、スティーブが親切に マジックで行程を書き込んでくれました。 「そうか、出発してから、 ウィンダミア湖、ライダルウォーター湖、 グラスミア湖、エルターウォーター湖、 ターンンハウズ湖、イースウエール・ウォーター湖をめぐってきたのか。 やっぱり、地図で見ると、ウィンダミア湖が一番大きそうだなあ」 ウィンダミア湖は、イギリス最大の湖水と書いてあります。 「これから、船に乗るダーウエント・ウォーター湖は どのくらいの湖なのかなあ」 長さ3マイル、幅1.5マイル 深さ72フィート 「ふーん、たいして大きくないなあ」 ミニバスは、街に入ってきます。 KESWICKと標識があります。 「ありゃあ、 清里というより熱海だ」 ものすごく大きな街です。 後で分かったのですが、 ここは人口5000人ですが、 湖水地方南部の中心地、 登山、ハイキング、バイク、釣りに好適なために、 ベッド数はイギリス最大の観光都市でした。 なつかしい交通渋滞にも出会えます。 ミニバスは、すぐに湖畔へ。 桟橋には、乗合船が待っています。 60人乗りくらいでしょうか。 屋根なしで、保津川下りの船を大きくしたようなもの。 オトーサンたち、 へさきのほうに乗ります。 ところが、水しぶきを浴びること浴びること。 子どもが、きゃあきゃあ騒いでいます。 オトーサン、 用意してきたレインコートを出し、フードまで被ります。 他の乗船客は、みな後方に避難。 ついに、残るのはオトーサンたちだけ。 下船して オトーサン、奥方にいいます。 「ああ、面白かった。このツアーで一番だ」 「そんなこというと、ポターさんのバチが当たるわよ」 そうでした。 午前中に見たヒルトップは、 ベアトリす・ポターさんが住んでいた家。 彼女の童話の舞台になったかずかずの場所でした。 さきのパンフレットの続きには、こう書いてあります。 ..a.lonely child who became one of the world's best beloved children!s authors, and later a founder member of the National Trust,using the income from her Peter Rabbit tales to protect her beloved Lake Districts. そうなのです。 オトーサンたちが、 すばらしい一日を過ごしている、 この美しい風景は、すべてポターさんのおかげ、 彼女が、 自然保護運動に貢献したおかげなのです。 400エーカー、530万坪が寄付されたそうです。 甲子園球場の何倍でしょうか? ミニバスは森を抜けて、 いいいよ、急な山道にさしかかります。 前方に禿げ山。 岩石が露出しています。 「あの万里の長城のような柵の石、どこから採ってきたのかしらね」 その奥方の疑問が解けました。 巨大な採石場です。 ダイナマイトで爆破すると、 ちょうどよい大きさの石になるのです。 滝もあります。 渓流のもとのような小さな流れもあります、 霧が峰のような湿原もあります。 写真撮影のために外に出ると、ひんやりしています。 枯れ草も多い草原には、至るところに羊の糞 スティーブが、気をつけろと言って めずらしそうに、 オトーサンのデジカメをのぞきこみます。 写して、画面を見せると、 おおげさに驚きます。 「もっとうまく撮ってくれ」、 「そうだな、何しろ、あなたはスティーブ・マックィーンだからな」 会話が弾みます。 オトーサンが、羊の糞を指して、 Sheep's Seat というと、 彼は笑い出して、しばらく笑いが止まりませんでした。 ユーモアは、 イギリス人の専売特許ではありません。 オトーサンだって、ユーモアを駆使できるのです。 これも、日頃から、駄洒落に精を出しているおかげです。 ツアーの最後は、 5時頃、 ストーン・サークルの見学でした。 ものすごく見晴らしのいい丘の上に さまざまな形をした巨石が環状に並んでいます。 360度、 いろいろな角度から写真を撮りました。 奥方も、せっせと写真を撮っています。 ミニバスに乗ったあと、奥方が聞きます。 「あれ、何なの?」 これには、オトーサンも驚きました。, 何も知らずに、写真を撮っていたのです。 それでも、法律違反じゃないけれど。 「あれはね、50000年前の石器時代のひとがつくった遺跡なんだ」 「何のためにつくったの?」 そう聞かれると、 もうオトーサンは、たじたじ。 「季節によって、石の間から太陽が上る位置が異なるだろ、 こよみ代わりにしていたのだ」 「じゃあ、いろいろな形の石があるのはなぜなの?」 「それはなあ、 いろいろ説があってなあ、 考古学上の謎とされているのだ」 オトーサンがデタラメを言っているのに、 奥方は、 「ふーん」 と尊敬のまなざしでオトーサンを見つめます。 「いやなに、これは、ポターではなく、 オトーサンの童話だよ」 と言いかけた時には、 奥方は、すでに次の被写体に興味をそそられていて あっちを向いている状態。 こうして、 ふたりの間には、 また、 新しい誤解の種が蓄積されていったのです。


9月5日 湖水地方;雨のち晴れ、のち曇り 5-1 憧れのカントリー・ハウスに泊まる オトーサン、 今日は、休養日と決めております。 上手な旅行のコツは、たまに休養日を取ること。 幸い、朝から雨。 これなら、奥方も文句をいわないでしょう。 8時30分に 卵、ベーコン ソーセージ、それに オートミール、パン、紅茶の 朝食をとると、 オトーサン すぐ朝寝モード。 奥方は、 「あら、ここのお部屋、ひろくて花柄の絨毯がきれい」 「お庭が広いわ。緑の芝生が広がっていて、あちらに湖が見える」 「ねえ、 ここの猫の名前、トーマスって言うんですって、 年寄りだから、長椅子の上を占領してるわ」 オトーサンが、 相手にしないので、 「じゃあ、あたし、お庭の写真を撮ってくる」 と言って、部屋を出て行きました。 オトーサンが目覚めたのは、 10時半。2時間ほど、寝たことになります。 奥方が、ベッドの上で、 手持ち不沙汰にしております。 ちょうど、雨も上がりました。 「じゃあ、外出するか」 奥方の目が輝いたのはいうまでもありません。 で、この日は、 お土産物屋やレストランを見て回り、 ポターの展示館を見て、 湾内の島めぐり(45分)をした程度。 5時にホテルに戻ってくると オトーサン、 また寝ました。 起きると、午後7時。 北国の夏の夕方は、まだ明るいのです。 階段を降りて行くと、 オーナー夫妻に会って 少し会話を試みてから 写真を撮りました。 このホテルは、 ホテルというよりは B&B(朝食付きの宿屋) といったほうがいいでしょう。 まあ、言って見れば、日本でいうペンションのようなもの。 でもここは、 カントリーハウスと名乗っています。 まあ、田舎の大きな屋敷をB&Bにしたのでしょうか。 長身の貴族のような老人と、元気な小柄な老婦人が 経営しています。 宿泊予約などは奥さん、 朝食づくりは旦那さんが分担しています。 日本のペンションは、夕食も出すので 奥さんが大変ですが、 ここは、朝食だけなので楽かもしれません。 ふたりが結婚式をあげたときの写真を 見せてもらいました。、 まるでふたりとも映画スターです。 スポーツカー狂で、 納屋には、ピカピカに磨き上げられたMGが置いてありました。 オトーサン、 貴族の邸宅に泊めさせてもらっているような気になりました。 夕方の散策。 地図に点線で、 このカントリーハウスの横を トレイルが通っているのを発見したので 歩いて見ました。 牧草地の中のトレイルでした。 扉があって、 ナショナル・トラストの標識があり、 ポターさんが寄付したと書いてあります。 カントリーハウスは、広大な敷地と思っていましたが、 実は、ポターさんの土地に取り囲まれていたのです。 それでも、敷地は2エーカー(2444坪)もありました。 トレイルは、 牧草地を横切って、湖面に向かっています。 波打ち際、その向こうにヨット。 「あら、牛がいるわ」 牛が数頭、行く手を邪魔しています。 オトーサン、 闘牛士を演じようかと思いました。 しかし、 赤い布も剣も持ち合わせず、 牛も、草を食べるのに忙しく、 世紀の一戦は実現しませんでした。 オトーサン、 牛のそばを通りぬけると、 「ああ、よかった」 といいました。 すこし、うす暗くなってきました。 鳥の大群が大樹の枝に戻ってきました。 鳴き声のそうぞうしいこと。 ヒッチコックの映画のシーンのようです。 「これだけいると、鳥も、こわいなあ」 散歩から戻ると、 奥方がしきりに感激しています。 「ベアトリス・ポターさんは、エライ。 イギリスって、スゴイ」 ふだんは、政治的メッセージを発しない奥方ですが, このときは、本気で怒っていました。 「それにしても、 自然破壊ばかりしている 日本は、情けないわね。 何とかしなくては、 政治を変えなくては」 同じ島国でも、 21世紀に胸をはって手渡せるものが残っている国と 荒れた国土と赤字しか残っていない国。 オトーサン、 もう眠りかけていましたが、 考えさせられました。


9月6日 パリへ;雨のち曇り 6-1 ユーロスターに乗る オトーサン、 今朝は、5時に起床。 この原稿を書いていると、 物音。 奥方のいびきでもはじまったか と思いましたが、 激しい雨が出窓のガラスを叩く音でした。 7時頃、起きてきた奥方が、 クレームを申したてます。 「あなたのその早起きのクセ、何とかならないの?」 オトーサン、反論します。 「お前が起きてくると、集中できないからね」 奥方は、あたしより原稿のほうが大事なのか といわんばかりの あきれたような顔をしています。 読者よ、この原稿は、 こうした迫害のなかで生まれているのです。 今日は、 一日、移動日。 娘に言われております。 「ちょっと大変だけれど、頑張ってパリまで行ってね」 湖水地方から、 ロンドンに戻り、 ユーロスターで パリまで行く移動日なのです。 オトーサンたち、 ユーロスターに乗るのは、はじめて。 まるで、ヒコーキに乗るようでした。 出発時刻の20分前にチェックイン 搭乗前には、手荷物検査。 レストランや土産物屋が並んでいます。 エスカレータで昇って ようやくプラットフォームへ。 ユーロスターの車体は、流線形。 車内は、まあ新幹線くらいの座席幅と間隔、 基調色は、グレイ。 すこし洒落ているかなという程度。 トイレの便器の蓋やてすりが、緑色なのはシックでした。 さて ユーロスターは、定刻に発車。 オトーサン、 ユーロスターが後ろ向きに走りだしたのには 仰天しました。 こんなことがあってもいいのか? 見ると、 中央にひとつだけ4人掛け席があって、 あとの前後の席は、反対向きになっています。 一々、席の方向を変える手間を省いているのでしょうか。 大体、 オトーサンと奥方の席が、 通路を挟んで隣り合わせというのも まか不思議です。 ふたりの今朝のケンカを察知したみたいです。 奥方は、 発車するや否や、 すこしオトーサンとは離れて 窓際の座席をゲットしました。 喧嘩の余韻もあるのでしょうか。 オトーサンにとっても、好都合。 原稿書きに専念できます。 ユーロスターは、 ロンドンを15時23分に出て、 パリには19時23分に到着予定です。 ロンドンーパリの所要時間は、3時間。 「お前、 所要 時間の計算、 間違えていないか? 19-15=4。 4時間ではないのか。 3時間ではないぞ」 そうなのです、 娘から予定表を渡された時、 オトーサンも、そう思いました。 そういうと、娘は、こともなげに 「時差よ、1時間あるの、1時間足すの」 「4+1=5」 一瞬、 オトーサン、混乱しました。 「5時間もかかるのか?」 1時間足すと言うのは、 時計の針を11時間進めよという意味のようです。 パリには、ロンドン時間ならば、18時23分に着くのです。 30分ほどで、海底トンネルを走り抜けると、 オトーサンの時計は、いま5時ですが、 車窓を流れる景色は、もう、うす暗くなっています。 「やっぱり、6時の暗さだよな」 オトーサン、 ようやく納得して 時計の針を1時間進めて、6時にしました。 時差って、ほんとにややこしい。 奥方が、 席に戻って、話しかけてきます。 車窓を流れる風景が、 緑の畑と茶色い土、そして防風林だけなので 流石に、話し相手に飢えてきたのでしょう。 「カレーよ」 オトーサン、 原稿書きに没頭していたので、 最初、 奥方がなぜ こんなところで 「カレーライス」の話をするのか 分かりませんでした。 どうやら、、 ドーバー海峡をわたって 最初のフランスの駅、 カレーに停車したようです。 田舎の駅で、数人が乗降するだけ。 奥方の不法占拠の席も そのままで大丈夫なようです。 「なあんだ、そんなことか」 オトーサン、だんまりを決めこみます。 どうも、これがよくなかったようです。 「これで、あたし、パリは、5回目よ。 あなたは、6回目でしょう」 奥方が言い捨てて、離れた席に戻っていきます。 このコメントの意味するものは、明らかであります。 「もう、パリは、いい。 どこか、他の国へ行きたい」 あるいは 「あなたなんて、大嫌い。 あたし、他の男のほうへ行きたい」 まあ、そこまで拡大解釈する必要もないかも知れませんが...。 やがて、 パリが近づいてきたのか、 乗客たちがザワザワしだします。 奥方が戻って来ました。 しばらく、隣りあって 今晩の予定などを打ち合わせます。 オトーサンが やおら 鞄からヴィッテルの瓶を取り出します。 色が茶色です。 実は、紅茶です。 まだ、暖かいのです。 カントリーハウスの朝食に出た紅茶の残りを 空き瓶につめてきたのです。 「やっぱり、イギリスの紅茶はうまいなあ」 「そうねえ」 おそらく、 B&Bのご主人は、 この夫婦は、よく紅茶のお代りをするなあ と思ったかもしれません。 オトーサンたち、 10年前、 ダイアナさんとチャールズ皇太子の結婚式を 控えてロンドンがにぎわっていた年に、 船でドーバー海峡を渡りました。 その時の感激は、 いまだに覚えています。 「あのときの、紅茶、おいしかったなあ」 何かの機会に紅茶を飲むと、 ふたりの間で、必ず出てくる会話です。 オトーサンがいいます。 「どうして、日本の紅茶は、 まずいんだろう?」 奥方が応じます。 「いれかたがどうのこうの といわれるけれど、 土台、葉がちがうのよ。 それと、お水。 ミルクの味もちがうんじゃない?」 オトーサン、 「そうだなあ、そうだよなあ」 とあいづちを打ちます。 ひとの悪口を言って満足しているのは 万年野党みたいで、あまり感心しませんが、 この際、しょうがないでしょう。 仲直りしちゃいましょう。 イギリスで発生したケンカを フランスにまで持ちこむこともないでしょう。 6-2 美味礼讚 オトーサンたち、 パリについて、 ホテルにチェックインして、 10時過ぎに、 夕食をとに外出しました。 もう遅いので、 ホテルのすぐそばのレストランに 飛び込みました。 メニューをみると、 フォンデユーがおすすめのようで、 となりの女性3人組も、 後から入ってきた 家族4人も みな同じものを注文しています。 でも、 「Tea for Two」ならば、 様になりますが、 「ふたりでフォンデユー」 というのも、さびしいものです。 「娘が来てからにしようや」 奥方は、ステーキを注文します。 オトーサンのほうは、「今日の魚」を注文します。 オトーサン、 「今日の魚は何をだすのかい?」 なんて、ギャルソン(給仕)に聞きますが、 帰ってきた答えなんか聞いていません。 フランス語で、魚の名前なんか分かるはずはありません。 一応、礼儀として、聞いただけ。 さて、闇鍋ならぬ闇魚が到着。 闇魚ではなく、焼き魚でした。 オトーサン、一口食べてみて 「うむ」 と言いました。 まずくなかったのです。 というか、 「こりゃあ、うまい。今年、一番の魚だ」 脂が乗って、何ともいえないいいお味、 塩加減も絶妙でした。 奥方は、 「あたしのほうもおいしいわよ、 ステーキはひさしぶりだけど これは味がいいいわ」 すっかり、ご満悦です。 それぞれ、半分ほど食べてから、 お皿を交換します。 オトーサン、 魚のほうがうまいと思いましたが、 黙っていることにしました。 ようやく、奥方が、パリの魅力を再認識しているのを 邪魔する必要はありません。 「うん、この肉"も"、うまいな」 読者の皆さん、"も"の使い方に、ご注意あれ。 絶妙なニュアンスが伝わってはきませんか。 「こない? 」 そこで オトーサン、付け加えました。 「このパンの味のほうは、ちょっとなあ」 突然、 お肉の代わりに、うまくないという 濡れ衣を着せられたパンには、 気の毒ですが この際、がまんしてもらいましょう。 でも、奥方は、 ちゃんとオトーサンの意図を 見抜いていました。 「このパンも、よくかみしめると、おいしいわよ」 読者よ、この奥方の一言は、実に、見事であります。 理由1;濡れ衣を着せられたパンを弁護した。 理由2:オトーサンが、いつも、よく噛まないで食べるのを 注意した。 戦況不利とみて オトーサンは、話題を変えます。 「今回、イギリスでは、 あまりおいしい食事を楽しめなかったなあ」 「最初の日のロンドンでのスパゲッテイ、 高かったけど、あれが一番だったわね」 「そうそう、あのボンゴレはうまかった。 ロンドンの食事はまずいと聞いていたけれど、 イタリアンを食べていれば、大丈夫だと思ったよ」 「でも、段々まずくなっていった...」 オトーサン、身を乗り出します。 「最後の夜の、あのスパゲッテイは、ひどかったなあ。 ボンゴレってちゃんと注文したのに、 あさりが1つも入っていなかった。 どうみても、あれはミートソースだよなあ」 奥方のほうも熱が入ります。 「あたしのナポリタンも、これ違うって言ったら、 給仕が、これがナポリタンですって言い張ってたわ」 「どうも観光地の店っていうのは、よくないね」 「イギリスの食事がまずいっていうのは、やっぱり本当だったのね」 「食事さえうまければ、湖水地方は、最高なんだがなあ」 どうやら、 オトーサンたち イギリスの食事の悪口を言い合うことで 仲直りできたようです。 こんなことでいいのでしょうか? もちろん、いいのです。 家庭平和、最優先です。


9月7日、パリ:晴れ 7-1 おだやかなパリの一日 オトーサン、 5時に起きて、原稿書き。 ベッドルームで明かりをつけると、 奥方がうるさいので、 キッチネットへ、 ここで書こうというわけです。 しかし、 レンジ台では、 書きにくいので、 どうしようかと思案。 「そうだ。押入れに、アイロン台があった」 こちらのアイロン台は、 立ち作業用になっているので、 学習机代わりになるのです。 さて、久しぶりのパリの休日。 まず、やらねばならないことが、 2つあります。 1つは、シテイバンクをみつけて、フランを入手すること。 2つは、シテイラマを見つけて、モンサン・ミシェルの 1日バスツアーを申し込むことです。 10時頃、ホテルを出て、 すぐ近くのオペラ座を左折して、 オペラ大通りを下ります。 メトロで1つ目、ピラミッド駅のそばは、 京子食品、ジュンク書店、ミキツアー、三菱銀行、ヤマト運輸 をはじめ、日本料理店が密集しています。 パリで一番日本人を見かける場所ではないでしょうか。 オトーサン、 京子食品に日本人店員がいるので とてもうれしくなりました。 「ガンバレ ニッポン」って 言いたくなります。 お醤油と読売新聞を買いました。 ついでに、シテイバンクの場所を聞きます。 「シャンゼリゼにありますよ」 日本語ですから、聞き間違えることはないでしょう。 ああ、日本語っていいなあ。 オトーサン、 「じゃあ、シティ・バンクにでも行くか?」 奥方、 「その前に、シテイラマに行きましょうよ。 この辺にあるって、言っていなかった?」 そうでした。 住所は、ピラミッド広場とガイブックに書いてありました。 しかし、いくら探しても、見当たりませんでした。 オトーサン、いいます。 「じゃあ、パリビジョンのほうを探すか」 こちらは、ルーヴル美術館の前のリヴォリ通りにあります。 しばらく歩くと、 リヴォリ通りに出て、 観光バスがとまっている場所がありました。 「あ、ここがパリ・ヴィジョンだ」 しかし、看板には、シテイラマとあります。 「おかしいなあ。でも、まあいいや、見つかったのだから」 住所の表示を見ます。 奥方がいいます。 「あら、ピラミッド広場って書いてあるわよ」 何ていうことは、ありません。 お目当てシティラマの場所は、 メトロのピラミッド駅のそばではなく、 リヴォリ通りにあったのです。 オトーサンたち、 早速 営業所に入ります。 「おお、日本語のパンフレットがある」 お目当てのモンサンミシェル、一日ツアーを探します。 「あらっ、月水金しか運行していないわ」 さあ、大変。 ロンドンから娘がやってくるのは、土曜の午後。 モンサンミシェルに行く予定を立てていたのは、 翌日の日曜日。 あんなに楽しみにしていたのに、娘がかわいそうです。 オトーサン、オオオロします。 「ロワール古城めぐり一日観光なら、日曜もやっているけれど 昔、行ったしなあ」 「あの娘は、行っていないようよ」 「でもなあ...」 しばらくして 奥方が、言いました。 「ねえ、もう1軒行ってみない? もしかしたら、 日曜日のツアーがあるかもしれない」 「そうだな、だめかも知れないけれど、 行ってみるか」 パリ・ビジョンは、 同じリボリ通りのすぐ近くにみつかりました。 パンフレットを見ます。 「あったわ、ガイド付きではないけれど」 奥方の目ざといこと。 「おう、よかったなあ。 ガイドなんか付かなくたって かまわないよ。あとで本でも買おうよ」 ガイド付きは、780フランですが、 ガイドなしのほうは 595フラン。 朝7時に、ここを出発し、 夜の10時半に、ここに帰着という強行日程です。 オトーサンたち、 気が楽になって、シャンゼリゼに向かいます。 左手に、ルーブル美術館の建物。 それが切れると、 いつ来ても、心が踊るコンコルド広場。 あのコンコルドは、墜落しましたが、ここは健在。 観覧車もできました。 並木道が2キロほど、続きます。 「こんなに、通りが広かったか」 奥方がいいます。 「昔、歩いたときも、遠いと思ったわ」 「原宿の表参道と同じくらいと思ったが、こんなに広かったかなあ」 「あらっ、珍しい花があるわ。トイレもある」 お互い、違う話をしていますが、心は通じ合っています。 いい景色は、ひとの心をなごませるようです。 このあと、 オトーサンたちは 凱旋門のそば、 シャンゼリゼ大通りの左手に シテイバンクを発見。 オトーサンは、 カードを忘れてきたので、 奥方が、 「しょうがないひとねえ」 と言いながら、フランを引き出します。 「思ったよりレートがいいわよ」 1フランが14円でした。 ちょうど円高だったようです。 「ラッキー」 ゆっくりと引き返します。 すれ違いの会話が続きます。 「ああ、下りになっているんだ」 「ああ、お腹がすいたわ」 トヨタのショールームを発見。 「地味だなあ」 でも、オトーサン、写真を撮ります。 中へ入ろうとします。 ところが、 奥方は、すでに前方を歩いています。 奥方を動かしているのは、 理性ではなく、食欲。 食欲と言えば、最も大事な生存本能のひとつ。 これには、 世界のトヨタさんも、太刀打ちできません。 オトーサン、 小走りに奥方に追いつきました。 おだやかなパリの一日でした。 7ー2 嗚呼、洗濯機 オトーサン この原稿をパリのホテルのランドリーで 洗濯物が洗い終わるのを待ちながら、 書いています。 オトーサンたちが 泊まったのは。 Citadines Paris Operaという アパーメント・ホテル。 キッチネット完備。 地下には、自動洗濯機のある部屋があります。 ところが 受付で、コインを買って、 洗濯機の穴に投入しましたが 反応なし。 受付で、コインをもらい直して 壁に貼ってある説明を読みます。 5ケ国語で書いてありますが、 どういう訳か、英語の部分がかすれていて 読めません。 何とか、フランス語を解読。 その通りにやっても、コインが穴に消えるだけ。 奥方に応援を求めましたが、 「あなた、粉ちゃんと入れた?」 まるで、話になりません。 受付へ3度目。 緑のボタンを押せと言います。 やって見またが、だめでした。 オトーサン、頭にきて 誰か係を呼べと叫びます。 4ケ国語を駆使したので、ようやく通じました。 英語、フランス語、日本語、 そして、ボディ・ランゲージ。 アラブ人の洗濯係がきて やってくれました。 コツが分かりました。1 1 ドアを閉める時は、叩きつけること 2 白いボタンを押してから、コインを入れること 3 緑のボタンを押すこと ようやく動き出したので、 オトーサン、 「メルシー・ボクー」を連発しました。 コンチネンタル・ブレックファストを食べて、 洗濯室に戻って来ました。 この洗濯機は、 日本のように親切ではなく、 いつ終わるのかの表示などありません。 待つことにしましたが、 手持ち無沙汰で、どうしょうもないので、 いったん部屋に戻って パソコンを取って来ました。 洗濯物を入れてから、 もう1時間たちました。 遅い、グズ、ノロマ。 いま、やっと脱水行程に入りました。 後は、ドライヤーに入れるだけですが、 果たして、うまく行くでしょうか。 今日中に、洗濯が終わるでしょうか? 花の都、パリの一日を 洗濯物にかかりっきりで過ごしていいものなのでしょうか。 嗚呼、 サ・セ・ラ・パリ。 これが、パリなんだ。


9月8日 パリからジベルニーへ:曇り 8-1 モネの睡蓮の池 オトーサン、 昨日、シテイラマに寄ったとき 「印象派モネの家、ジベルニー半日観光」 日本語ガイド付き 350フランF というコースを頼んでおきました。 もうパリはあきたという奥方への配慮であります。 午後2時出発で、7時帰着。 ライバルのパリビジョンのほうは 「ジヴェルニー」 とあるだけで、そっけないものです。 349フランと1フランだけ安くなっています。 パンフレットの文章を写しましょう。 まずは、シテイラマ。 「パリから北西へ約70kmの美しい田舎町、ジベルニー。 ここに巨匠クロードモネが晩年を過ごした家とアトリエが 当時の姿で残されています。 彼は自らの手であの有名な「睡蓮」のインスピレーションの 源となった見事な庭園を作り上げました。 そしてこの地でかれの天分が開花したのです。 日本の影響を強く受けた庭園の太鼓橋や 彼のコレクションの一部である数々の浮世絵も 合わせて御鑑賞ください」 次は、パリビジョン。 「ノルマンディー高速道路で セーヌ川とエプト川の合流地点に位置する 美しい村のジヴェルニーまで。 モネが絵画、庭、写真に対する 情熱を満足させるために選んだ土地です。、 画家が住んだ館の見学の他に、 画家のアトリエやすばらしい庭での散歩。 数々の調和の取れた花々、日本風の太鼓橋、 池のある庭などが 皆様を「睡蓮」を描いた天才画家の世界に招きます」 では、 見学を終えた後で オトーサンならば、 こう書くと思った パンフレットの文章をご紹介しましょう。 「バスが出発して間もなく、 あのダイアナ妃が激突死したトンネルを通過。 目的地まで1時間半。 車窓からは、単調な高速道路の風景と時折見えるセーヌの流れ。 ジヴェルニーは、ただの田舎町。 モネの家だけが別天地です。 睡池のある日本風庭園は、柳が垂れ、ボートが浮かび、 小さな太鼓橋がかかっています。 日本人観光客が驚ろくのは、むしろフランス庭園のほうでしょう。 花が咲き乱れています。 まさに地上の楽園とは、ここを指すのでしょう。 モネの家で驚くのは、 アトリエにある40点ほどの彼の絵よりも 各部屋に飾ってあるおびただしい数の浮世絵のほうでしょう。 北斎、歌麿、写楽。 ここは、世界一の浮世絵美術館です。 残念なのは、外国人も日本人も浮世絵を見ずに 通過するだけだということです。 売店には,たいしたものを置いてありません レストラン、みやげ物屋は、外にありますが ハテナマークです。 なお、シーズンには、行かないように。 超満員で長蛇の列。写真も撮りにくいでしょう」 オトーサンたち、 大満足で、家路につきました。 「ヴェルサイユ宮殿に行くくらいなら、 モネの家のほうがいいよなあ」 奥方は、黙っています。 花好きの奥方は、 山荘にロックガーデンを作って 一生懸命、花を植えているのですが、 モネの庭園を見て、打ちのめされたようでした。 しばらくして奥方が言います。 「お金がふんだんにあればねえ....」 今度は、オトーサンが黙っている番のようです。 モネは、貧乏時代が長く、 世間に認められてお金持ちになってから、 庭づくりをはじめたようです。 庭師も、6人雇ったそうです。 そのうち一人は、睡蓮の手入れの専任だったそうです。 さて、 モネの死後は この家も庭も荒れ放題になっていましたが、、 遺族の遺言で, 全財産は、 フランスアカデミーの傘下にある マルモッタン美術館に寄付されることになったのです。 そして、 モネ財団ができて、 ロックフェラーなどアメリカからの寄付 そして年間40万人にもなる入場料収入もあって 財政敵にも豊かになりました。 園芸学校を出たトップクラスの庭師たちが 庭づくりをしているそうです。 奥方がいいます。 「普通、大輪の花のそばには、 大輪の花なんか咲かないのに、 あそこは、すごいわ。 土がいいのかしらね。 川の水をふんだんに取り入れて、 肥料もたっぷりやってるにちがいないわ」 コスモスの花びらだって、大きかったでしょう」 オトーサン 死んだら、遺骨の一部を モネの家の庭に撒いてもらって、 せめて死後だけでも、 大輪の花を咲かせたいと思いましたが、 もちろん、 そんなことは、 奥方には言いませんでした。


9月9日 パリ;晴れ 9-1 ケセラセラ オトーサンたち 今日は、いそがしい一日になりそうです。 お昼頃、ロンドンから娘がやって来ます。 食事、観光、買い物と、 あわただしく動き回るに違いありません。 それに付き合っていると、 見たいところを見損なう危険があります。 朝、早くから部屋変えの準備。 2人が3人になるので、少し広い部屋に変わります。 冷蔵庫にワインや果物をしまってあるので、 それもお引っ越し。 それが終わると、 早々とホテルをでて、 メトロのラ・ミュエ駅へ。 幸い、乗り換えなし。 車中で、 シャンソンの演奏が始まりました。 青いシャツを着た初老の小男が アコーデオンを弾いています。 チップをもらおうというのです。 みんな寝たふりをして、しっかり聞いています。 何曲か弾きましたが、みな聞いたことのある曲です。 曲当てクイズで、奥方が勝ちました。 「ケセラセラよ」 誰も相手にしないので、彼は別の車両に行ってしまいます。 SORTIE(出口)に続く階段を昇りながら、 オトーサン、歌を口づさみます。 「ケッセラー、セラー、なるようになる。 先のことなど、分からない」 奥方が、猛烈な勢いで オトーサンに、 ひじ鉄を食らわせます。 「公共の場で下手な鼻歌など歌うな」 と言っているかと思いきや、 ああ、 目の前には あの青いシャツを着た男がいたのでした。 幸い、オトーサンが音痴で好かったものの、 うまかったら、チップを取られるところでした。 本当に、 世の中、先の事は分からないものです。 9-2 マルモッタン美術館は、モネだらけ オトーサンたち モネの家をみたら、 彼の絵をもっと見たくなりました。 あのオランジュリー美術館にある 睡蓮の間は、 浮世のもろんもろの悩み事を癒すのには、最適です。 オーバルルームの中央にあるゆったりとした ソファに腰を下ろして、 睡蓮の大作を見る。 いつの間にか、まどろむ。 目を開くと、もう夕暮れ時になっていて オトーサンは 夕暮れ時の睡蓮に取り囲まれているのです。 まさに、印象主義のシスティーナの礼拝堂です。 オトーサン 奥方に言いました。 「また、オランジェリーに行ってみようか」 奥方が、あきれたような顔をします。 「あなた、ガイドさんの説明、 ちっとも聞いていなかったのね。 あそこは休館中ですって」 「そりゃ、残念だ」 「でも、何とかいう美術館で、 いま、モネの特別展をやってるみたいよ」 マルモッタン美術館の入場料は、40フラン。 奥方が、言います。 「60歳以上は、割り引くみたいよ」 パスポートを見せたら、25フランになりました。 撮影禁止なので、カメラを預けます。 1st Floor(2階)に お目当ての 「印象、日の出」 (Impression,soleil revant) 1873年 がありました。 この絵をみた批評家のルイ・ルロワが 「作りかけの壁紙のほうがこの海の絵よりも まだしも完成度が高い」 と酷評したことから、 「印象派」という言葉が生まれたのです。 オトーサンの目にも 子どもの作品のように見えました。 画面中央の海に浮かぶ2隻の船も、 背後にあるルアーブルの街の風景もみなぼやけていて 輪郭がはっきりしません。 ただ、目立つのは海に映る太陽の淡い輝きのみ。 瞬間の印象を描いたのです。 当時、絵画というものは神話や人物を描くもの 風景にしても、輪郭がはっきりしなければなりませんでした。 モネの作品は、破廉恥と非難されたのです。 オトーサンのこの文章も まあ、言ってみれば、 ただの感想文にしか見えないかも知れません。 「感想派、子どもの作文のほうがまだ上手だ」 世間に真価が認められるまでに モネだって何10年もかかっているのですから、 ここは、オトーサンも辛抱です。 この美術館、お勧めです。 200点もモネの絵を所蔵しているそうです。 特別展は2つあって、 1「Claude Monet du Havre a Londres 1857-1901」 2「ジベルニー」 前者は、モネ(1840-1926)の初期から 油が乗ってきた時代までのものを展示していました。 「ルーアンの大聖堂 1894年」も 「国会議事堂 霧を貫く陽光 1899-1901年」 もありました。 後者は、作品点数はすくないものの モネの葬式の写真がありました。 柩が馬車に乗せられ、黒い礼服を着たひとびとの行列が続きます。 先頭を歩いているのが、時の首相、クレマンソーです。 かれの尽力で、国家的プロジェクトとして オランジュリー美術館に特別室ができ、 特注でモネの絵が描かれ、飾られるようになったのです。 そのおかげで しあわせなことに パリに行きさえすれば、 いつだって、モネの庭にいるような気分になれるのです。 「お前、オランジュリーは、休館中といってたじゃないか。 パリに行ってもムダだろうが」 「そうなんですが...ある美術館に行けば...」 オトーサン、 マルモッタン美術館で モネの特別展を見られて、大満足。 「いい時に、パリに来たものだ」 それでも、モネの絵の常設展がないのは残念です。 念のために、係員にフランス語で質問します。 「今日は、モネを何点、飾ってあるのか?」 「90点、まだ地下(Main Lower Level)にもあるよ」 地下へ行って驚きました。 オランジェリー美術館のあのオーバル・ルームが 再現されているではありませんか。 睡蓮の絵がびっしり。 大作こそないものの、19点もの睡蓮の絵がありました。 常設展示もあったのです。 オトーサンたち、 帰りに美術館のそばの公園を横切りました。 「いやあ、よかったなあ」 奥方の返事がありません。 「変だなあ。ついさっきまで上機嫌だったのに」 見ると、 奥方、下を向いて立ち止まっています。 「栗よ、栗が落ちている」 ふたりで、夢中になって拾い集めました。 「マルモッタンでなくて、マルモウケ美術館ね」 オトーサン、安心しました。 だって、奥方がダジャレをいうのは、 よほど機嫌のいい時に限られているのです。 ホテルに帰ってから、栗をゆでてみました。 こんなとき、アパートメントホテルは便利です。 しかし、味が違いました。 「これ、 栗じゃないわ。マロニエじゃない? オトーサン、言いました。 「上等な栗にみえるんだけどなあ。 残念だなあ、モットモット拾いに行こうと思ったのに」 9-3 メトロとバスの正しい乗り方 オトーサンたち、 マルモッタン美術館から 地下鉄に乗って 大急ぎで、北駅(Gare de Nord)に向かいます。 娘が到着するのは、12時23分。 カルト(切符11枚で58フラン)は 今朝方、入手済み。 面倒なメトロの路線図も ガイドブックの路線図を見るだけでなく、 利用する路線の始発駅と終着駅、 さらに、乗りかえる駅名まで しっかり手帳に記入してありますから、 絶対、大丈夫。 オトーサン、 胸を張って奥方にいいます。 「ラミェットから数えて 14ケ目の駅が、 ストラスブール・サン・ドゥニ駅。 そこで乗り換えて ポルト・デ・オルレアンではなくて、 ポルト・デ・クリニャンクール駅に向かう線に 乗るんだ。 乗り換えて、3つ目、 それが、北駅だ」 オトーサン、 時間が迫っているので しきりに時計を見ますが、 奥方は、 オトーサンのパリのメトロの乗り換え術だけは 信用していますので、 「そういえば、 ポルト・デ・クリニャンクール、 なつかしいわねえ。 のみの市に行ったわよねえ。 冬の寒い時だった。 あなた、私が買い物してえいる間、 寒そうに貧乏ゆすりをしていたわねえ」 なんて、ノンビリしたことを言っております。 ようやく、北駅到着。 ちょうど娘がキョロキョロしながら ユーロスターから降りてきたところ。 「やあ、やあ、ようこそ、パリへ」 オトーサン、 ロンドンや湖水地方では借りてきた猫だったのに、 パリとなると、 急に、水を得た魚のようになります。 「じゃ、バスでいこう。 ホテルまで乗り換えなしだだから。 切符も買ってある」 切符も買ってあるといったって、 メチロの切符がそのまま通用するのですから どうっていうことはないのですが、 パリの初心者である娘は、、 こういうさりげない点に 非常に感動するのであります。 娘が、オトーサンを 旅の達人という 尊敬の目つきで眺めてくれます。 ところが、 オトーサンの 旅の達人という 化けの皮が剥がれるのは そのあとすぐでした。 だって、 オトーサン、 パリでバスの乗るのは、 これがはじめてだったのです。 2,3の路線を除けば、 パリはメトロで用が足ります。 あとは、すこし歩けばすみます。 オトーサン、 おまけに、視力が落ちていますから、 車内の路線図も、バスストップの駅名も読めません。 「おい、いま、どこ走っている?」 といちいち、奥方に聞く始末。 「さあ、どこかしらね」 奥方もたよりないので、 娘が、一生懸命に駅名を英語の発音で読みます。 これって、さっぱりわかりません。 オペラなら英語もフランス語もオペラですが、 シャンゼリゼだって、チャンペリーズとなってしまいます。 オトーサンの 降りようとしているのは、 メトロの駅名では、 Richelieu Drooutですが、 さて、 バスがそういう駅名かは、 調べ忘れました。 バスの路線図にさっと目を通しただけ。 手帳にメモしわすれました。 あきらかに、またもや準備不足です。 オトーサン、 バスなんてものは、 地上をゆっくり走るのだから 見なれた街角に出るだろうと たかをくくっていましたが、 みな同じような街角ばかり。 「まあ、この辺だと思うよ。降りよう」 その後、 オトーサンたち、 歩いたの、歩いたの。 北駅からバスに乗らないで歩いてきたほうが 早かったかもしれません。 おかげで、 オトーサン、 娘からは、非難ごうごう。 せっかく得意のメトロの乗り方まで 信用してもらえなくなりました。 あっ、言い忘れました。 メトロの降り方だけれども、 降りるときには、 ドアのノブを動かさないと ドアが開きません。 「上だったかなあ、それとも下へだったか? たしか上に上げるのだと思ったけど」 オトーサン、 はっきり覚えていませんが、 とにかく、パリでメトロに乗ったら、 他のひとの正しいやり方を よーく研究しておいてください。 9-4 ZARAでのお買い物 オトーサンたち、 ようやくホテルにたどりついて 部屋を代わって、 ソファになっているのをベッドに変えて 昼食に出かけたのは、 もう午後2時でした。 「お腹がすいたわね」 「すいたなあ。ペコペコだ」 「そうお? あたし、まだそんなに空いていないけど」 3人の会話が微妙にすれちがいます。 娘のお腹は、ロンドン時間ですから 午後1時というわけです。 カフェ・ド・ラペで、 ハムサンド、 ホットドッグ、 CREME(カフェ・オレ) を頼みます。 娘が、写真入りのメニューをじっとみつめます。 いやあな予感。 はたせるかな、サーモン・サラダを注文します。 値段が高いのですが、 「どうせ、あたしが払うわけではなし」 という風情がみえます。 でも、 このサーモン、絶品でした。 昔、本場のオスローで食べたのくらいおいしかったですよ。 娘がいいます。 「サーモンも、このお店は一味ちがうわね」 オトーサン、自分がほめられたような気がしました。 食後、ホテルに帰りかけて 娘が突然いいだします。 「ちょっと、パパ、このお店に寄っていかない?」 「ああ、いいよ」 いまから思うと、 その一言が、 オトーサンの運命を決めたのです。 お店の名前は、ZARA。 オペラ座の正面に向かって右手。 婦人服のお店のようです。 オトーサン、 ひさしぶりに家族3人でお買い物をするので、 「ザラにあるお店のひとつだろう」 なんてダジャレを飛ばしていましたが、 30分 45分 1時間 1時間15分 というように、この店での滞留時間が延びるにつれ、 気分がざらざら(ZARA ZARA)してきました。 オトーサン、 店内をブラブラしています。 手持ち無沙汰ですので、 たまに値札を手にとってみたりします。 「おお」 何と世界各国の国旗とともに値段が現地通過で表示されているのです。 それも2枚。 オトーサン、 ヒマにまかせて 国旗の数を調査します。 9×2=18 18×2=36 おお、36ケ国だ。 さらに、 電卓を肌身離さずもっていますから、 フラン表示の値段と日本の円表示の値段を比較します。 当然、同じであるべきです。 ところが、おそるべき事実が判明しました。 何と1.5倍から2倍なのです。 念のために、ドル表示の値段とも比較します。 こちらは、ほぼイコール。 何ということでしょう。 日本人は、馬鹿にされているのです。 絶対、フランに両替をしてから買うべきです。 調査完了。 さて、奥方は、いずこへと探すと 広いお店はごったがえしていて なかなか見当たりません。 あ、いました。 衣装を何着も持たされております、 「買わされたのよ」 それでも、うれしぞうにしていて、 娘の後をつけて、 すぐにオトーサンの視界から消えてしまいます。 「まいったなあ。チカレタビー」 もう1時間半も、経っています。 「パリには、お店がたくさんあるのだから、 1店あたり30分にしろよなあ」 娘に出会うと、イヤ味をいいますが、 もう目が血走っていて、聞いている気配もありません。 「このお店、安くてフアッショナブルなのよ」 そう言い捨てて、消えてしまいます。 オトーサン、 仕方がないので、 腰かけて待つことにしました。 さっきまで、靴が乗せてあった陳列台ですが 止むを得ません。 通りかかった店員も ちらっとオトーサンをみますが、 とがめる様子はありません。 そこで、 オトーサン、 客層の研究をすることにしました。 そういうと聞こえはいいのですが、 客といえば、若い美女ばかり。 胸元から豊かな乳房が見える美女。 長いすらっとした足の美女。 金髪、黒髪、亜麻色の髪。 衣装もそれぞれ工夫をじて、イキです。 1時間45分後、 まだ、娘の買い物は、続いております。 奥方のもたされている衣装の数も増え、重そうです。 そして、小柄な奥方は、 居並ぶ美女のなかでは、 流石に、年相応に老けてみえます。 業を煮やした オトーサンの脳裏に、 おそろしい考えが浮かびました。 「これだけ、地上に美女がいるならば オレも、このうちのひとりぐらいと アバンチュールをしてもいいのではないか? その位のおこぼれにあづかってもいいのではないか?」 その時、 イタリア系の美人が オトーサンの目の前にやってきました。 靴を買いたいようです。 裸足になって、靴のはき心地を試そうとしています。 あいにく、足もとの鏡が倒れています。 靴の陳列台に座ったオトーサン、 目の前の鏡を元の位置に直してあげます。 イタリア美人は、 ニコッと笑って オトーサンをみつめます。 「アリガトウ」 なんて日本語もしゃべるじゃありませんか。 「チャンス到来! この可哀想な初老の男にも 幸運の女神がやってきたのだ」 ところが、 その時でした。 「お待たせ!これからレジに並ぶからね」 見ると、娘でした。 いい買い物をしたという満足感で上気していて、 東洋の魔女ならぬ東洋の美女にみえました。 イタリア美人は、さっさと消えてしまいました。 嗚呼。 恋の都、パリだというのにねえ。 もう手遅れです。 結局、 あわれなオトーサンは、 ZARAだけで、 2時間も待たされたのでした。


9月10日 モンサンミシェルへ;晴れ 10-1 難行苦行の旅 オトーサン、 夜中に跳び起きました。 おもらし、それも大きい方。 「臭えっ」 パンツを風呂場で洗いました。 下痢は一晩中続き、何度、トイレに通ったことか。 モンサン・ミシェルに行くのは やめようかとおもいましたが、 娘と奥方が行くのを楽しみにしていることだしと思って、 決行。 7時30分に出発して 到着は、12時10分という4時間半のバスツアー。 だるいし、眠いし、寝てばかりいました。 前方に、幻想のように浮かぶ島の影。 嗚呼、あこがれのモンサンミシェル! 日に2度、海に囲まれる島、 太古より幾多の伝説を生んだ島、 切り立つ断崖の上に 何世紀にもわたって、幾重にも 教会や大聖堂やクロイスターが建造された島、 国の盛衰を見守ってきた島。 ユネスコの世界遺産。 オトーサン、 訪れることはあるまいと思っていた この島にいま立っているのです。 三方を水平線にまでひろがる海に囲まれて 潮の香りをかぎ、 砂浜を歩きます。 中世の門をくぐり、 岩山の頂上にそびえる教会堂をめざして 急な坂道を昇っていきます。 オトーサン、 写真を撮るところだらけで 盛んに立ち止まります。 どうしても、奥方たちに遅れます。 はるか向こうに行ってしまった 奥方たちに、追いつくために オトーサン、ひたすら坂道を走ります。 勾配の急なこと。 真夏の陽気で汗だく。 朝食をぬかしたので、ふらふら。 娘が記念写真を撮ろうよといって、 立ち止まってくれます。 うれしいですねえ。 こういう時のひとの情け。 奥方のほうは、写真写りを気にして おすまし顔。 オトーサンの方は、写真どころか あごを突きだし、ハアハア、ゼイゼイ。 あとで、娘が笑いころげながら見せてくれた このデジカメ画像は 門外不出です。 ようやく、 11世紀はじめに建立された ロマネスク様式の教会堂にたどり着きます。 高さ80メートル、 流石に、中は、ひんやり。 世紀を超えてきた石の冷たさ。 でも、奥方ほどでもなかったですよ。 オトーサン いろいろな建物があるので驚きました。 ロマネスク様式の修道院、 ゴシック様式の修道院、 クロイスター。 オトーサン バテ切っていたので、 何がありがたいのか どこに何があるのか サッパリ分からないうちに これらのすべてを通過いたしました、 大分下ると、 レストラン。 「休もうぜ」 「お腹が空いたわね」 意見が一致して、早速、入りました。 海辺の広大な砂浜がみえて、とてもよい眺めです。 白色の海鳥が舞っています。 でも、食事がでてくるのが遅く、 出てきたときには 待ちくたびれて 食欲なし。 ほとんど食べ残しました。 食後は、 狭い小道の両脇にびっしり並ぶ 土産物屋でのお買い物。 奥方たちは、さらに元気になります。 オトーサン、 家と家の間にある隙間にできている 石の階段に腰を掛けて ひたすら 買い物が終わるのを、待ちます。 ちょっと覗いてみましたが、 趣味の悪い品物しか置いてありませんでした。 江の島に行ったみたいでした。 帰りも4時間半。 オトーサンにとって、 モンサンミシェルは、苦行の場でした。 ここの修道士も、 この日のオトーサンほどの 苦行はしていないのではないでしょうか。 後で、ガイドブックを読むと その通りでした。 ここの修行士たちは、 肉体作業などはせず、 専ら、写本、写本装飾、研究、執筆 といった知的作業に従事していたようです。 オトーサンも こうしてパソコンをいじっているときが、 一番、のんびり出来ます。 でも、難業苦行でもしないと いいネタも生まれないことだし、 このHPの作成も、なかなか辛いものがあります。 でもまあ、 好きでやっているから、文句はいえないけれど。 ところで、 下痢の原因ですが、特定できません。 1疲労 2冷たいものの取りすぎ 3パリの水で紅茶を沸かして飲んだ 4油っぽいものを取りすぎた そのいずれかでしょう。 読者のみなさんも気をつけてください。 旅先で病気をすると、楽しい旅行が台無しになります。 嗚呼、悶惨ミセル。


9月11日 パリ:晴れ 11-1 パッシー通りで、お買い物 パリ滞在の最終日。 オトーサンたち、 10時には16区のパッシー通りにいました。 ここはかなりのブランド・ショップがあります。 ベネトンが新店を準備中でしたし、 LANCEL,KENZO,SEPHORA,GAP,ESPRITもありました。 姉がニューヨークにいて 自分はいまロンドンにいるためでしょう 娘は、そういうどこにでもあるお店をきらって パリにしかない店を探しあるいているようです。 オトーサンが 外で待たされてお店の名前をあげてみましょう。 FRANK ET FILS ET VOUS ETAM TEENFLO VOTRE NOM Folli Foli 1,2,3 衣服、バッグ、靴、アクセサリー、下着を買ったようですから、 多分その関係のお店でしょう。 娘にとっては、お買い物の総仕上げの日でも、 オトーサンにとっては、待機の日です。 その点、パッシー通りは、 一方通行でクルマの数も少なく まだ観光客に荒らされていないので 店の外で待っていても ゆっくりと生態観測ができます。 犬を連れた若い女性、 さっそうと乳母車を押している若い女性 びっくりすほど派手な着飾った中年女性たちガ サロン・ド・テ LA FAVORETでおしゃべりしています。 そういうひとの含有率が高いのです。 みな豊かで人生を謳歌しているような表情です。 古風ないいかたをすると、山の手夫人。 パッシー駅がちかづくと、庶民の町になります。 果物屋、パン屋、肉屋、ブラッスリー。 この道がいいのも、あと数年でしょう。 ベネトンが出てくるようでは、 ここもオペラ座周辺やシャンゼリゼ通り、 そして、ショッピングセンターまで出来てしまった サンジェルマン・デ・プレのように俗化してしまうかも。 こんなことを言うと、 ベネトンさんに、"パッシー"ングされるかもしれません。 それにしても、 日本の若い女性たちよ、 あのだらだら歩きはやめておくれよ。 国辱ものだよ。 団体でルイヴィトンの本店に行って 思いきり店員に馬鹿にされて、 2時間行列して、高いお金払うのもやめようよ。 もう日本でもヴィトンはダサイよ。 田舎娘と思われるよ。 11-2 エッフェルAN2000 オトーサンたち、 パッシー通りから、トロカデロ駅ヘ。 娘が、エッフェル塔をみたいとういうので 予定変更。 オトーサン、 「やあ、何度見ても、迫力満点だなあ」 奥方、 「こんなにそばまで来たのは、はじめてよ」 ボードウォークの見学通路で写真を撮ります。 ここは、お上りさんのメッカ。 問題は、 塔が大きすぎて 人物が小さ過ぎること。 画面に両方を収めようとすると、 どちらかが犠牲になります。 奥方が、 「私を撮って」 と強要するので、 オトーサン、 しっかり撮りました。 「お前は、どちらを優先したのか? 決まってるじゃありませんか。 エッフェル塔です。 奥方のほうは、いつでも写せますが、 エッフェル塔は、めった写せないものね。 塔の中間部には AN2000という表示が出ています。 娘が言います。 「はじめてパリに来たのが18の時だから、 もう10年近く経ったんだ。 あせるなあ」 エッフェル塔の高さと2000年という時が 言わせた言葉でしょう。 オトーサン、 それを聞いて、 一挙に過去に引きもどされました。 感慨にふけります。 「そうか、もうそんなに経ったのか」 オトーサンが はじめてパリに来たのは、 石油危機の年でした。 もう30年前近く前になります。 学生時代にフランス語をかじったものですから、 シャンソンの歌詞を通じて パリの空の下、 セーヌ川が流れ、 おしゃれな人が着飾ってさんざめく.. 花の都、 恋の都、 芸術の都、パリ。 そんな素朴なイメージをパリに抱いていました。 オトーサン、 パリに行きたくて、 行きたくて、 でも、 お金も 暇もなくて、 空しく時が流れ、 時計の針が、何度、回ったことか。 長男もすくすく育って、 中流の生活をエンジョイしながらも、 心の中には 索漠として 満たされないものがありました。 ああ、パリに行きたい。 ようやく行けたのは、 40歳近くなってから、 しかも、娘がうまれる直前でした。 あの頃のオトーサンには 焦りという感情がたっぷりあったように思います。 このままではいけない。 人生、何とかしないと 平凡なまま終わってしまう。 とにかく パリに行くことだ。 それが、 いま、娘と一緒にパリにいるなんて! 幸わせといえば幸わせです。 オトーサンは、 留学もすることなく 今日に至ってしまいましたが、 娘のほうは、 オトーサンの果たせなかった留学という夢を 実現しています。 そして、娘はうれしいこと 若い時のオトーサンのように 見果てぬ夢をまだ追い続けているようです。 オトーサン、 つぶやきました。 「まあ、これで、いいのじゃないの。 でも、オレも、もう一花咲かせなくてはなあ」 エッフェルが、あの高みを実現し、 マネがあの美しいエデンの園を実現できたのは 見果てぬ夢をながいこと見続けたためだったのですから。


9月12日 ロンドン経由で東京へ:晴れ、のち曇り 12-1 帰国のドタバタ騒ぎ オトーサンたち、 朝早く起きて、荷物の最終チェック。 ホテルの前のパン屋で店に並べる前の出来たてパンを買い、 ジュースとサラダ、桃をあわただしく食べます。 今日は、パリからロンドンに戻り、 そのまま帰国という忙しい日程ですから、 どこかが狂うと、帰国が危うくなります。 チェックアウトのとき、問題発生。 残りの長距離電話代、税金、朝食代金を払う時、 カードで払うつもりでしたが、 黒人キャッシャーは 「機械故障です、現金で払ってください」 といいます。 オトーサン、あわてます。 「おいおい、それはないだろ」 残りの400フランくらいは、 昨夜、余ったフランは使ってしまえということで FUNACで、CD二枚を買って消えています。 キャッシャーは、こともなげに 「ホテルの横に銀行があるから、 そこで引き出してこい」 といいます。 オトーサン、 これが苦手です。 シテイバンクは、日本語で指示がでますが、 ほかは、英語でなにやら分からない指示が出て、 カードが飲みこまれてしまったら、どうしよう と思うじゃないですか。 娘に行ってもらいます。 その娘が、昨夜、夕食をとったレストランに 買ったばかりのスカーフを忘れたことに気付きました。 さあ、大変。 「ちょっと店に行って、忘れ物調べてきてよ」 娘は、銀行へいかなねばなりません。 そこで、スカーフの色や柄が分かる 奥方が、レストランに、すっとんで行きます。 オト−サン、 3人分の荷物番をしながら、おろおろ。 奥方が、なかなか帰ってこないので、いらいら。 ユーロスターに乗り遅れたら、さあ大変。 スカーフ1枚は買えばすむのですが、 帰国日程が狂えば、仕事に穴が空きます。 そんなことで、 メトロの階段を重い荷物を急いで運ぶ羽目になりました。 ようやく、ユーロスターに間に合いました。 今度は1号車。 4人向かいあわせの席を娘がゲットしてくれました。 「パパ、朝食代、二重払いしたでしょ。領収書もってる?」 「そんなものはないよ、皆、捨ててしまった」 「ダメじゃない。この国のひとは平気でミスをするから 大事に取っておくのは常識よ」 娘は、スカーフが出てこなかったので、ご機嫌斜めです。 それでも、 ドーバー海峡を渡る長いトンネルをくぐるころには みんな機嫌がよくなります。 「ロンドンのパンは、まずいけど、パリのパンはうまいから、 いまのうち食堂車で買ってこようぜ」 「パパ、フランス語を使う最後だから、ひとりで行ってらっしゃい」 ようやく、奥方も同行して、 残りのフランをもって、食堂車へ。 愛想のよいウエイトレスとフランス語の会話。 となりにいた日本人らしい娘二人が、目を丸くして オトーサンの流暢なフランス語に驚いています。 「日本人か?」 などと聞かれまれす。 マレーシアの女性でした。 アジア系は、日本人と見分けがつきません。 オトーサン、いい気持になって クロワッサンを買占めにかかります。 「6箇、ください」 「シス、アン、ドゥ、トロワ、キャトル、サンク、シス (1、2、3、4、5、6)」 「ラディション、シルブ・ブ・プレ(お勘定を)」 「ウイ」 ところが、買いすぎて、フランが足りません。 あとの会話は支離滅裂。 どうやら、ポンドでも払えるようです。 オトーサン、 座席に戻って、ほっとします。 胸の動悸が収まったのは、 ユーロスターが、ウォタールー駅に着いた頃でした。 ところが、 英国の入国検査はフランスとは大違いで 厳しいものでした。 オトーサンたちは、すぐOKでしたが、 娘は、留学生なので、厳しい取り調べ。 不法入国者が多いのでしょう。 オトーサン、 あれやこれやで、 帰国の日は 胸がドキドキしっぱなしでした。 やはり、何事も準備は、早目早目と心がけるべきです。 「出かけるときは、お早めに」 12-2 パリの食卓あれこれ オトーサン、 パリに1週間いました。 イギリスの食事は、ハテナマークでしたが、 やはり、パリはグルメの街、 久しぶりに、毎日、おいしいものを食べることが出来ました。 ごく普通の店でも、おいしいのです。 ご参考までに、朝昼晩の食事をご紹介して 「ロンパリ、オトーサンの旅日記」を終わることにしましょう。 こうやって、 あらためて眺めてみると、 全17食のうち 7食をホテルの部屋でとっています。 いくら美食でも、外食続きですと、 やはり飽きます。 自宅のように、 風呂上りに食べたり、 食後すぐにゴロンができません。 また、フランス語のメニューは分かりにくく 何がでてくるか最後までわからないので、 その点、アパートメント・ホテルを選んだのは正解でした。 デパートで材料を買ってきてつくるわけですから確実です。 惣菜も充実していて、手間もかからないので、 ぜひ一度、 パリに行く機会があったら こんな新形式のホテルも利用してください。 パリの食事は、 みな、それぞれに おいしかったのですが、 ベスト3をあげると、 1位:カフェ・ド・ラ・ペのハム・サンド フランスパンにハムをはさんだだけのもですが、 パリに来るといつも食べます。 はじめて食べたホットドッグも絶品でした。 その他のメニューも、それぞれにおいしく、 決して裏切られることがありません。 2位:レオンのチェリービール ベルギーのお店ですが、ベルギー・ビールのおいしいこと。 見た目も桜色で美しく、苦味もなく、アルコール度も低く 若い女性にもおすすめです。 3位:ギャラリ・ラファイエット・グルメの果物や野菜類 フォアグラ、テリーヌなど、パリの本場でしか味わえない グルメが手軽に味わえます。 オトーサンは、中性脂肪予防のために、パスしましたが、 レストランで食べるよりも、安くておいしいですよ、 果物類は、レストランでは好きなものが食べられないので こうやって買うといいのです。ナイフ持参のこと、 逆に、 それほどでもなかったほうの 第1位:サロン・デ・テ「アンジェリーナ」のモンブラン。 中身がこってりして、ダラ甘く、もてあましましました。 次々とやってくる日本人女性すべてが、 モンブランとアイスティーを注文していたのには オトーサン、笑っちゃいました。 「地球の歩き方」などに 「モンブランがおいしい」と書いてあるからでしょう。 3人で別々のものをたべてみましたが、 「オペラ」が絶品でした。 やはり、チョコレートの本場ですから、 チョコレート・ケーキがおいしいようです。 「お前、ワースト1は分かったが、 2位と3位はどうした?」 「パリは、どこでもおいしいですよ。 それに、まずそうな店には 近づかなかったもの。 だって、 あと何回パリで食べられるかと思うと そんなリスクは犯したくないもの。 だからアパートメントホテルを 選んだのです」

場所 料理 9月6日 夜 近所のブラスリー サラダ、魚料理 7日 朝 ホテルの食堂 コンチネンタル・ブレクファスト 昼 レオン ムール貝のチーズ焼き、チェリー酒 夜 ホテルの部屋 生ハム、総菜、桃、山羊のヨーグルト(GLG) 8日 朝 ホテルの食堂 コンチネンタル・ブレクファスト 昼 カフェ・ド・ラ・ペ ハムサンド、コーヒー 夜 ホテルの部屋 フィレ・ステーキ、桃、葡萄(GLG) 9日 朝 ホテルの食堂 コンチネンタル・ブレクファスト 昼 カフェ・ド・ラ・ペ サーモン・サラダ、ホットドッグ、コーヒー 夜 ホテルの部屋 生ハムのサラダ、舌ひらめの焼き魚 桃、いちごのヨーグルト、ワイン(GLG) 10日 朝 ホテルの部屋 イングリッシュ・ブレクファスト 昼 海辺のレストラン 野菜サラダ、鳥料理、アップルパイ 夜 ホテルの部屋 寿司(江戸っ子) 11日 朝 ホテルの部屋 イングリッシュ・ブレクファスト 昼 カフェ・フローレ クラブサンド、インゲンのサラダ アンジェリーナ アイスティー、モンブラン他 夜 レオン ムール貝の白ワイン蒸し、 ムール貝のチーズ焼き、チェリー酒 12日 朝 ホテルの部屋 コンチネンタル・ブレクファスト 注)GLGは、パリの代表的百貨店、ギャラリ・ラファイエット・グルメの略。 高級食料品がたくさんあります。


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