NYミレニアム

目次

1 オトーサン、出発の準備
2 オトーサンの忘れもの
3 オトーサン、いざNYへ
4 オトーサンのグラセン滞在記
5 番外編:竹寿司物語
6 オトーサン、美術館に通う
7 オトーサンのアストリア遠征
8 オトーサン、カダフィと対決
9 オトーサン、ギリシャ料理を食す
10 番外編:人生は長期戦
11 犬も歩けば、コロンバス
12 ゼーバースに恋をして
13 番外編:クリスマスの食卓
14 再び、ゼーバースへ
15 バルドゥッチに浮気 
16 ディーン・アンド・デルカにも浮気
17 オトーサン、ゼーバースに惚れ直す
18 番外編:NYミレニアム万歳


1 オトーサン、出発の準備

オトーサン、 秋に帰ってきたばかりなのに、 また、この冬、NYに10日ほどでかけます。 今回のテーマは、NYクリスマス商戦の取材。 モバイル・ノートを携帯します。 思いだして書くのではなく、行く先々でこまめに書く。 だいぶ臨場感に差が出るのではないか。 注意力・観察力が増すのではないか。 名エッセイが誕生するのでないか。 それが楽しみです。 今回は、 奥方より一足先に出発することにしました。 単独行動の日が数日続きます。 オトーサン いい年をして心細くなってきました。 ヒマをもてあますのではないか。 異国の地でたったひとり。 NYのセントラルパークで ハトにエサをやる日々を送ることになるのではないか、 世捨人であった「兼好法師」のような 孤独な心境を味わうハメになるのではないか。 えーい、 いっそのこと、健康法師にでもなるか。 1日2万歩を目標にNYをテクテク歩いて過ごすか。 そんなことも考えました。 ヒマつぶしに、 最新流行のモバイル・パソコンを買って NYでひとり遊びをしようと思いたちました。 格好よくいうと、21世紀に増えることが予想される 時間消費型モバイル・ライフを先取り。 実体験の結果を、みなさまにご報告。 ところが、 日程が立て込んできました。 次女が留学中のロンドンからやってくることになりました。 クリスマズは、ケーキを買って家族でパーティでもしよう。 すると、シェリーレーマンに行って、吟醸ワインを買わなくては。 Xmasはネットがホットだそうです。 では、pricelineで実際にXmas用の食品を買ってみるか、 久しぶりに国連ビルを見下ろすホテルのプールで泳ぐか 親しい友人に再会して食事する、 ヤオハンでお買い物 初対面の人たちと会食する、 NYのギリシャ人街には、おいしい店があるらしい。 行ってみようか NY在住の長女からは 有名レストランNOBUを予約しようかとメールがきました。 NYは観劇シーズン。 何かいい出し物はないかなと思っていたら、 ラジオ・シテイホールのXmasスペクタクルのチケットを 取ろうかと長女。 ニューズ・ウイーク最新号をめくると、 ベラスケスの特別展がフリック・コレクションではじまったとある。 ポケモン・ブームをFAOシュワーツで確認する、 新作映画も、面白そうなものがあったら見にいくか、 次々と、日程が埋まっていきます。 さて、 出発の日が近づいてきたので オトーサン、 「NYでご入浴」で書いた携行品リストを 見直しましました。 今回は「冬を身軽に」がキーワード。 すべて機内持ちこみとします。 (身につけるもの) *パスポート、搭乗券、出入国カード *エアラインのマイレージカード *財布、ハンカチ、ティッシュ、万歩計 (手提げ鞄) *手帳とボールペン *機内で読む本:常磐新平「キミと歩くマンハッタン」400g *オリンパスZOOM2000(デジカメ)とスマートメディアで400g *モバイル書院、ACアダプター、リチウム電池3ケで1550g(注1) *予備袋(パスポートのコピーと予備の写真:4.5cm×3.2cm,2枚) (メガネの予備、旅行鞄のカギ、自宅のカギ) (旅行鞄) *社交用スーツ、Yシャツ、着替え、ユニクロの折り畳み傘〈注2) *帽子、コート、手袋、厚手の靴下、冬靴、*ダマールの下着(注3)、 *水着、帽子、ゴーグル *洗面セット(かみそり、歯ブラシ、ハミガキ) *薬セット(胃腸薬、かぜ薬、ビタミンE、目薬、バンドエイド、麺棒) *単眼鏡 *娘への手みやげ(ヨックモック一箱、レトルトカレー、おもち) 「ビジネス用語辞典」大修館 900g 「経済新語辞典」日本経済新聞社 500g 山崎豊子「華麗なる一族(上中下)新潮文庫 注1)シャープのモバイル書院 ワープロですが、PCと互換性あり、 カラー8インチ画面、8万円。 リチウム電池で2時間連続使用可。 3ケ購入。FDドライブも購入。 注2)ユニクロの折りたたみ傘 驚くほどの軽さで300g。1000円。 注3)ダマールの下着。 フランス製の登山隊用に開発された防寒下着、 上下で1万7000円。


2 オトーサンの忘れもの

オトーサン、 「荷物は、軽く、軽く」と心がけましたが、 やはりみやげものを奥方から託されて、重くなりました。 でも、今回は準備万端整った、 カンペキだあ と安心していたら、 出発前になって重大なミスを発見しました。 VISAカードを持ってくるのを忘れました。 さあ大変です。 カード社会のアメリカ。 カードは身分証明書のようなもの。 長女か、奥方と一緒でないと、うかつに買い物や食事も できません。 JCBカードをもっていますが、通用するところはわずか。 さあ、どうしよう。 現金は空港で下ろせば大丈夫。 少し余計にもっていくか、 でも、NYは、油断していると、危険です。 現に2年前にソーホーでリュックサックに入れておいた 財布を取られて真っ青になりました。 トラベラーズ・チェックもつくりましたが いちいちサインするのも面倒だなあ。 やはり、せっかくこの夏つくったのだから、 シティバンク・カードで現金をこまめに引き出すか。 このカード、30万円以上残高がないと、 預り手数料を月2100円をとられますが、 100万円以上あると国内での引き出し手数料が無料。 これってスゴクない? 日本の銀行なら手数料取られるよ。 郵便局でも引き出せて便利です。 もっとも、最初の時、郵便局のATMで どうやっても引き出せないので あわてたことがありました。 局員も知らない。 実は、画面で「その他取引」を押すのです。 すると、通常画面になって 「お引き出し」とか「お預け入れ」を選べばいいのです。 とくに、海外のほとんどのATMでドルの現金が引き出せるので とても便利です。 シテイバンクだけでなくて、 CIRRUS、STAR,NYCE,PRESTO!,HONOR、 The exchangeでもOK. オトーサン、 最初は、恐怖の引き出しでした。 だって画面表示がみな英語。 手順も何やら日本の銀行とはちがいます。 カードをいったん機械に入れたら 飲み込まれたまま 永久に戻ってこないのではないか、 利用しかけてやめました。 翌日、長女の立会いのもとで無事引き出せましたけど。 よかった、よかった。 これで、もう米国の市民権を得たも同然です。 でも、彼女の立会い手数料は高かったなあ。 バッグなど買わされて。 欠点は、為替変動。 円高で預けて円安で引き出せば儲けますが、 逆に、 円安で預金して円高で引き出すときは損します。 だって、安い円をわざわざ高いドルに変えて、 高い円を引き出してしまうのだから。 オトーサン、 腕組みをして難解な為替問題に挑みます。 さてと、 今回は、どっちかなあ。 円は1ドル、102円と円高基調です。 預けたときは、確か117円くらい。 すると、損か。 ついていないなあ。 でも、円高は日本人の旅行者にはトクのはず。 買い物しても、円が強いからトク。 そうか、円で買えばいいんだ。 でも、現金は面倒だし。 そのためにシテイバンクカードをつくったんだし。 でも、損するし。 考えが行きつ、戻りつ、いたします。 まるで、メビウスの輪。 そうだ。 オトーサン、 ハタとひざを打ちました。 JCBさくらカードで引き出せばいいのだ。 この裏面にはPLUSが利用できると書いてある。 円高がまるまる享受できる。 強いていえば、PLUSで引き出せるATMが やや少ないだけ。 すると、苦労して シテイバンク・カードをつくったのは、 いったい何のためだったのでしょうか。 まあ、いいか。 いずれ、円安になるときもあるだろう。 オトーサン、 念のために シテイバンクからきた「お取引明細書」を取りだして しげしげと眺めます。 あれっ、 「外貨預金」ではなく、 「円預金」となっているではありませんか。 「なーんだ。シテイバンクに 円で預金していたのかあ、 為替変動は関係なかったんだ、 よかった、よかった」 VISAカードを忘れたおかげで、 オトーサン、 いろんなお勉強をすることができました。 「災いを福に転ず」。 それにしても、お粗末でした。


3 オトーサン、いざNYへ

オトーサン、 張りきりすぎて、夜中の2時に目がさめて パソコンをはじめて、そのまま朝を迎えました。 眠い眠い。 ノースウエスト航空のマイレージが溜まって、 シルバーエリート会員になったものですから、 成田空港では チェックインもファーストクラスのカウンターで やってくれて、待ち時間ゼロ。 その代わり、 搭乗まで2時間半も余ってしまいました。 モールの4階のフードコートで博多ラーメンを食べた後、 椅子を4つ占領してゴロリと横になりました。 そのまま寝すごせば、飛行機に乗り遅れるところ。 ところが、トイレの前だったので、小学生の一団がやってきて ギャアギャア、それに輪をかけて引率者が怒鳴る。 その騒ぎで目がさめました。 でも、それがよかった。 ノースウエスト航空のゲートナンバーは46。 空港の外れ、 歩く歩く。 動く歩道が設置してありますが、 その長いこと。 何遍も乗り換え。 「やっぱり、荷物を預けておいてよかった」 いくら軽いキャリーバッグを買ったとはいえ、 この距離ではねえ。 搭乗案内もコーラを飲み干さないうちに はじまリました。 出発時間だって、予定より10分も早い。 こんなことは、はじめて。 機内では、夕食が4時半に出て、 「まるで、病院食だなあ」 と言いながら、 オトーサン、 ペロリと平らげます。 あとは寝るだけ。 幸い隣の席も、 そのまた隣も空席。 ごろんと横になります。 まるで、ファーストクラス並のよい待遇。 5時から午前1時までグッスリ。 ときどき乱気流に会って揺れますが、 「ゆりかごの歌は、ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよー」 オトーサン、 夢のなかをさまよっています。 そのとき、 ひときわ強い揺れ。 続いてドーンと落下。 飛行機は、キリモミ状態になって落ちていきます。 オトーサンはそれでも眠いものですから そのまま横たわったまま。 「酸素マスクとライフジャケットの着用を」 というステュワーデスの声がしますが、 起きるのが面倒。 というより、金縛り状態で動けません。 「もうダメか。 激突したときは、さぞ痛いだろうなあ」 そんなことを考えます。 不思議にも、家族のことや過ぎしわが人生のことは 思い浮かびませんでした。 また、急降下。 英語で早口の機長の声がします。 「当機は、エンジントラブルのために ラガーディア空港に緊急着陸いたします。 お座席前方にしっかり頭を下げ、両手で頭部を保護してください」 なぜか、こういうときに限って英語がよく分かるんだなあ。 そういう無理な態勢ですが、 オトーサン、 窓際に座っていたものですから、 チラッと窓の外の光景を眺めます。 おー! 何と、もう地上から50メートルもありません。 民家の屋根が連らなっているところを見ると、市街地です。 その風景もすぐ流れ去って、灰色の滑走路。 消防車やパトカーの赤や青のランプが気ぜわしく 点滅しています。 「あそこに突っ込むのか」 ダーン 強い揺れで オトーサン 夢から覚めました。 喉がカラカラ。 やはり夢を見ていたのです。 原因は、何だったのでしょう。 数日前にみた映画「ランダム・ハーツ」の 航空機事故の シーンのせいでしょうか。 あるいは、 海外旅行保険に入らなかったためかもしれません。 今回は加入手続きをする時間もタップリありました。 ロビーにはズラッと機械が並んでいました。 「でも、2万円もあれば おいしいものを食べられるしなあ」 そのドケチ根性が悪夢を呼び寄せたに違いありません。 「でも、まあ、何事もなくてよかった」 昔、歌手のジェリー藤尾さんと 仕事の関係で、北海道まで汽車の長旅をしたことがあります。 飛行機で行けば数時間なのに汽車では1昼夜という感じ。 ジェリーさんは、当時、チョー売れっ子。 後に航空機事故で死ぬことになる坂本九ちゃんの親友。 飛行機で飛べば、 全国各地の公演に一緒に行けるのにと 九ちゃんが言っても、 ジェリーさんは、頑なに汽車利用。 その理由は、 大のヒコーキ嫌いのため。 「あんな重たいものが空に浮かぶはずがない」 「ジェリーさん、 そんなこといったって 現に浮かんでいるじゃないですか。 大勢のひとが無事飛んでるじゃないですか」 「あれは、不自然なの。例外なの」 ジェリーさんに 語気鋭く反論されると、 そういう気になってくるから不思議です。 長旅で暇ですから、話は弾みます。 理由をうかがうと、 結局、一度こわい目に会ったからでした。 インドネシアの離島に行った時のこと。 小型のプロペラ機で20人乗りくらい。 黒い礼服を着た修道女たちも乗り合わせました。 ジェリーさん 今日は神様がついているからダイジョーブと 長旅の疲れもあって眠ってしまいました。 ふと エンジン音が しなくなったような 気がして目がさめました。 あたりは異様にしずかであります。 振り向くと 先にみかけたた修道女たちがいっせいに 胸のあたりで十字を切っているではありませんか。 アーメン その動きがせわしくなります。 窓の外のプロペラを見ると、 静止状態。 何と プロペラが止まっているではありませんか。 ジェリーさん、顔面蒼白。 血の気が引きました。 死ぬ。 オトーサンに話したときも、真青 しきりにアブラ汗をぬぐっていました。 ふたたび どういうことなのでしょうか プロペラが回り出して ジェリーさんは、九死に一生を得ました。 それ以来、ヒコーキには金輪際、乗らないと誓いました。 「だってそうでしょ。まだ、死にたくないもの」 オトーサン、 聞いてみました。 「また、修道女が一緒だったら乗りますか」 ジェリーさん、 つきあいのいいひとなので、 一緒に笑ってはくれましたが、 目は凍ってましたよー。 坂本九ちゃんの航空機事故の大ニュースが流れたとき オトーサン ジェリー藤尾さんは正しかったと思いました。 でも、相変わらずヒコーキに乗ってるんだんあ、 これが。 午後1時25分、定刻より10分早く 飛行機は NYジョン・F・ケネディ空港に 無事 着陸いたしました。 実に見事な着陸。 ドスンもなし。 外は雨。滑走路が濡れています。窓には雨滴。 ああ。 オトーサン、深いため息をつきました。 どうして、ヒコーキの旅は、こう疲れるんだろう。 悪夢さえ見なければ、今回は3列シート独り占めで チョー快適だったのになあ。 でも、 考えてみれば、 人生もそうだよなー。 とかく長いのはイカン。 どうしたって、いろいろなことが起きる。 いいことばかりというわけにはいかない、 悪いことが起きる回数も増える。 では、オトーサンの悪夢のお話、 これにてお終い。 今回の旅は、ダイジョーブなのでしょうか。 お後は、本当に、よろしいのでしょうか。


4 オトーサンのグラセン滞在記

JFK空港からバスに乗ると、 1時間ほどした終点が ここグランド・セントラル・ターミナル 略して、グラセンです。 パークアベニュー、42street. 地下鉄だけではなく、 近郊への鉄道の始発駅になっています。 このグラセンの誕生は1913年。 鉄道王ヴァンダービルトが築いた地下の大帝国です。 1日500本の列車が発着するプラットホームや操車場が この辺一帯に隠されています。 いたって、薄暗く汚れていたのですが、 昨年、大改修されて、モダーンになりました。 見ものは、構内の巨大な中央コンコース。 10階分の高さの吹き抜けで、 天井はラファエロ・ブルーの青空、 星座が浮かび上がっています。 正面の3つの細長い窓からはNYの迫力ある高層ビル群に 切り取られた空がわずかにみえます。 横の壁には5つの大窓。 大きな球形のシャンデリア。 いまはクリスマスの大きなリースも飾られています。 この大空間は、 鉄道華やかなりし頃の気宇壮大な精神を感じさせます。 NYにはもうひとつペンシルバニア・ステーションがあって これはさしずめ、上野駅。 アムトラックを始め、ロングアイランド鉄道、 ニュージャージー・トランジットなどが乗り入れています。 何やら哀愁がただよっています。 オトーサン、 星座をちらっと仰ぐだけにして 早速、キャリーバッグを引いて地下の その名も高きオイスターバーに駆けつけます。 「改装してなくなってるかも」 ありました、ありました。 昔ながらの内装で 白い制服のウエイターたちが キビキビ働いていて、超満員。 ようやくカウンターに空席をみつけて メニューをみます。 これも昔のまま、白い紙にぎっしりメニューが 無造作にタイプしてあります。 オトーサン、 「クラム・チャウダー」 を注文します。 年とってはいますが、血色のいいウエイターが、 笑顔で「イエス、サー」 大きな皿にいっぱいのクラムチャウダーを ナベからすくって差し出してくれます。 やはり名物、 うまいのなんの。 隣のご婦人がたは、かきと白ワイン。 うらやましいけど、いま食べたら娘との夕食が 食べられなくなります。 オトーサン、 あっという間に平げて、 時計を見ると、娘との待ち合わせ時間まで、 ナント、あと3時間もあります。 「さて、どうしたものか」 外は雨。重い荷物をかかえて 街を散歩する気分にもならないし、 百貨店や美術館もいいけれども、 荷物を預ってくれるかどうか分かりません。 オトーサン そこで、宣言します。 「よーし、グラセンに滞在してしまおう」 居心地のいい場所を探します。 明るくて、危険でなく、せわしなくなく、 出来れば、安い飲み物が入手出来るところ。 追い出される心配もないところ。 トイレも近くにあるといい。 「そんなところあるかなあ] ありました、ありました。 地下にダイニング・コンコースという名前の フードコートが出来ていて、 中央には2つの 円形のサービス・カウンターがありました。 ひとつはドリンク・シティ。 すごい名前。 もう一つは、キャビア・テリア。 いくらアメリカが好景気でも、 キャビアを立ち食いしている人を見たことはありません。 カウンターで誰がキャビアを食べる気になる? このカウンターを取り巻いて、 一人用の大きなひじ掛け椅子が12ケ並んでいます。 ここに腰掛けているひとりひとりが、 理髪にきているように見えます。 注目されている黒人大統領とか、オルブライト国務長官に 見えなくなくもありません。 でも、注目されてまで パソコンをやったり、居眠りをする気にはならないので、 奥のほうにある部屋に行きます。 2人用の四角いテーブルがざっと数えて40席。 明るくてくつろげそうです。 オトーサン、すみのテーブルをゲット。 キヤリーバッグ、リュクサック、脱いだコートを 置きます。 「やれやれ、これで一安心」 見ると、テーブルの表面には 何やらゴチャゴチャと模様が。 よく見ると、 ハーレムラインやハドソンラインといった地下鉄の路線図、 色とりどりの切符 ブロンシュートからNYへの時刻表、 思わず落とし物かと拾いかけたコインの写真 セピア色のNYの昔の写真があるかと思えば エレクトロカードや改装なったコンコースの天井の青い星座 それらが、モザイク状にデザインされております。 デザインしたひとの笑顔が浮かびます。 オレンジ色の床には、赤と青の線。 「そうか、これって地下鉄の線のつもりだ」 大分経ってから気がつきました。 NYっ子でも気がついたひとは少ないのではないでしょうか。 ここに座っているひとたちを ボンヤリとみていると、それだけで時間が過ぎていきす。 駅は、アメリカ民主主義の勝利の証拠。 いろいろな人種や職業のひとがいます。 居眠りをしている黒人、 新聞を読んでいるビジネスマン、 食事をしているバックパッカーの若者、 駅の職員も休憩にきています。 ここはまた、人生の縮図。 おしゃべりに余念のないOLたちは、 いずれ、 雑誌に目を通している有閑マダムになるでしょう ブロンドの髪、白いカシミアのセーター、指輪、 ネックレス、イアリング、みな金づくし でも、この方もやがては、 質素な服装の老婦人になるでしょう。 あっという間に 歩くのも大儀になりますよ。 オトーサン、 こうして、99セントのコーヒー一杯で 娘と会うまで 3時間ここで粘りましたよ。 時々、テーブルを掃除にくる係員とも仲良くなったし パソコン入力もはかどったし いうことなし。 このほか、このグラセンには 世界中の雑誌を売っているハドソン・ニュースという 本屋もあるし、 PAPYRUSという紙製品ばかり集めたお店もあります。 グランド・セントラル・マーケットという市場もあって お値段はすこし高いけれど、 肉も、魚も、野菜も、みな新鮮そうです。 さらにバンダービルト・ホールでは11月23日から 12月24日まで手づくり品ばかりを集めた市が開催されていて 60店舗がズラリ。 オトーサン、PAJAMA PARTYという店の ウィンドウズ95の青空のようなパジャマが気にいりました。 これを着て寝たら、「ノンちゃん雲に乗る」みたいになるなあ。 でも、もう年だから買わない。 そんなかんなで グラセンは、NYというびっくり箱への魔法の入口 見ているだけで半日は過ごせそうです。 つまり、滞在できるということ。 では、お後がよろしいようで。


5 番外編:竹寿司物語

その昔、 オトーサン NYにくるたびに グラセンのタクシー乗り場から ヴァンダービルト・アベニューを横切って 近くの竹寿司に行きました。 NYでの寿司屋のパイオニア。 日本人が唯一くつろげた場所。 その奮闘記は、「ニューヨーク竹寿司物語」で有名です。 ようやく出逢った娘が 「夕食はどうする」というので、 オトーサン 「竹寿司にでもいこうか」というと、 娘が、一呼吸置いて 「あれつぶれたよ。 オヤジサンが亡くなって。 みんなが大勢お葬式に出かけたよ」とのこと。 翌朝、 オトーサン、 竹寿司のあった辺り 旭屋書店の前を すこし歩いて、 マジソン・アベニューヘ出ました。 グラセンのほうを振り返ると、 建物の上に 優雅なクライスラービルの尖塔が見えました。 クライスラー社はダイムイラー・ベンツに買収されて 今はもうありませんが、 気高い精神を伝える建築物がいまも残っているのは 幸いです。 オトーサン、ひとりごとを言いました。 「あのオヤジも気骨のあるひとだったなあ」 題してグラセン滞在記、いかがでしたか。 駅は足早に通過するところではなく、 滞在するところでもあります。 人生もそうありたいもの。 それにしても 竹寿司のオヤジサンも もうすこしこの世に滞在していても よかったのではないでしょうか。


6 オトーサン、美術館に通う

たまたま、ニューズウィーク誌で ベラスケス生誕400年記念の企画展が フリック・コレクションで開催中とありました。 オトーサン、 プラド美術館でみた圧倒的な名画に感動して 「侍女たち」 の複製を家に飾ってあるものですから 早速、フリック・コレクションに駆けつけます。 場所は、五番街の71丁目。 セントラルパークに面した 1等地にあります。 オトーサン、 それまでフリック氏を存じ上げませんでした。 フリッツだと勘違いしていたくらい。 この方は 1849年ペンシルバニアの貧しい農家の生まれ。 しかし、産業革命の波に乗って、 カーネギーとも組んで 20歳後半には鉄鋼王へ。 今日でいえば、さしずめビル・ゲーツ。 巨万の富を手にいれます。 31歳のときに、はじめて渡欧。 本格的な絵画のコレクターになります。 以後40年間にわたって 他の大金持ちとちがって自分で研究して、 好みの作品だけを収集しました。 身近に置いて楽しくなるもの 他の作品と合うもの 絵画だけではなく、彫刻、家具、さらには 置かれた部屋に合うもの。 さらには、 部屋も作品に合わせて改造するようになりました。 邸宅も将来美術館になるように設計させました。 このくらい買った作品を大事にしたので、 作品は門外不出。 いっさい他の美術館には貸し出しません。 死後も運営がスムースに行われるように 資産も残しました。 富を社会に還元した実業家の鑑。 身術品をそれにふさわしい環境で鑑賞すべく万全の態勢を 整えた方。 とにかく、 一本筋の通ったお方なのです。 オトーサン、 メトロポリタン美術館や近代美術館、 グーゲンハイム美術館やホイットニー美術館など NYの名高い大美術館をみていますので、 「どうせ、素人が金にまかせて集めた美術館なのだろう」 と最初はタカをくくっていました。 フリック氏のパートナーでもあった カーネギーが残した大邸宅を改造した クーパー・ヒュイット博物館も見に行きましたが、 運営が財団で、血が通っていません。 邸宅も、成金俗物が剥き出しで反感を覚えたほどです。 大富豪の邸宅なんて鼻持ちならないもの そう信じこんでいました。 ところが、案に相違して このフリック・コレクションは、いい。 作品、調度品、内装、順路、係員の応対、建物 すべてがいい。 心が癒されます。 至福の時間が流れていきます。 オトーサン、 幸せな気分になりたくて 3日も連続して通ってしまいましたよー。 初日はざっと見てまわって 2日目は、主な作品をじっくりと。 3日目は、カタログを研究して見残したものを。 日本では、モナリザを行列しないと拝観できない ルーブル美術館でさえ、ガラスのケース越しに鑑賞、 広すぎて駆け足。 足が棒になって喫茶室にいくと超満員。 そんな荒んた絵画鑑賞シーンのなかで ここは理想卿。 名画がさりげなく置かれています。 「さあ、ここに飾ってあるぞ」 という 名画独特の雰囲気がないだけに かえって見過ごしてしまう作品もあるほど。 世界に数点といわれる寡作のフェルメールの絵があるし 奥方がすきなターナーもあるし、 友人の西洋美術史研究者、田中英道くんの大好きな 光と闇の画家ジョルジュ・ラ・トゥールだってあります。 入場料は7ドル。 安い。 荷物預りもあって無料。 子供は入れない、撮影禁止というのもいい。 作品の解説をしてくれるオーディオ・ガイドを 無料で貸してくれます。 これを首にぶら下げて、お目当ての絵画の横にある番号を 携帯電話のようなアートホンに入力すると 日本語で解説が流れるというわけ。 これがよくできていて、内容もいいが、 解説時間も短か過ぎもせず、長過ぎもせず、 相当スタッフも研究したなと思いました。 後で調べると、優秀なスタッフを抱えているそうです。 ティファニー、ブルガリ、ダンヒル、アメックス、フォード など有力企業が寄付をしているからかも知れません。 寄付先に、日本企業の名前がないのが寂しいのですが、 変な企業には入ってもらいたくない。 日清食品、高島屋、資生堂、サントリーでも、ちょっとね。 良品計画やザザビーなら、まあ、許せそうです。 オトーサン、 つい、いらぬお節介までしてしまいましたよ。 さて、71丁目の目立たない入口から入って 正面に受付。ロープが張ってあって 右手のクロークに行くように案内されます。 クロークを終えると 反対側で入場料を支払います。 ガラスのカウンター越しではありません。 あくまでも、フリックさんに招かれてご自宅を訪問した というノリです。 ひとつだけ注文すると、 ロープさえ張っていなければ フリック氏の胸像が玄関ホールのすぐ目の前にあるので、 すぐご挨拶が出来たところです。 そのお顔の品のよいこと。 制作者は、ロダンの影響を受けているそうですが、 オトーサンも自分の胸像を注文したくなりました。 挨拶をすませたら、ここでアートフォンを借りてください。 係員の若い黒人のオニイチャンやオネーカンが 親切に使い方を教えてくれるはずです。 展示室に入ると 目の前に中庭。 こぶりな噴水広場。パンフにはガーデンコートとあります。 おっと見逃しに、ご注意。 この広場の壁にそってできた回廊にさりげなく置かれた絵画に ご注目あれ。 モネとマネーの作品が飾ってあります。 しゃれた演出ですねえ。 皆さん、画風の区別がつきますか? 区別がつくようならば 「印象派大好き人間」だということがわかります。 日本人の大多数がこのタイプ。 百貨店の催事では印象派展をやればヒット間違いなし。 嬉しいことに、 フキック氏のコレクションも印象派、 それもバルビゾン派から始まったのです。 どうです、行ってみたくなったでしょう。 でも、団体で押しかけないように。 あくまでも フリックさんの親しい友人だけってことで。 邸宅のそれぞれのお部屋が展示室。 全部で19部屋。 フーン。 3DK住まいのオトーサン 気に入りません。 わが家は、リビング3つと台所だけ。 玄関とトイレと押し入れもあるけど、これは部屋数には 入りません。 そこへいくと フリック氏は、いくつもの性格のちがうお部屋を 持っておられます。 いいなあ、 オトーサン、ため息をつきました。 とくに図書室。 暖炉があって、好きな絵画が飾ってあって 調度品も世界中から選りすぐったり、 特別にあつらえたりしてなあ。 本棚なんて腰の高さで3段に押さえて、 壁一面に埋めこんで くすんだ色の革表紙で統一してさあ。 しゃがんで題名を読むと シェリーの詩集、ソローの全著作集など。 部屋の中央には家具。 上にウイスキーグラスを置いて友人と談笑 「ほらっ」と、しゃがむと 両脇が本棚になっているのにはじめて気づく。 いいですねえ。 各部屋ごとにストーリーがあるのです。 まいったなあ。 こんなことができると分かっていたら 現役時代にもっと稼いでおけばよかった。 後の祭り。 でも、フリック氏の死後 追加されたウエスト・ギャラリーにある フリック氏の大好きだったという ゴヤの”The Forge”をみると オトーサン たちまち前言をひるがえします。 実は、フリックさんも 製鉄業時代には ひとにはいえない苦労をしたんだ。 そのゴヤの絵は全体に黒い色調で 鍛冶屋が主人公。 鉄を打つ彼の背中の筋肉が波打って激しい息遣いが 聞こえそうです。 鉄を押さえている老人の顔は長年の苦役に 深い皺が刻まれています。 もうひとつのフリック氏の顔なのです。 大した苦労もしないですんで、 たまにNYにやってきて フリック・コレクションを終日みていられるなんて これ以上のぜいたくがこの世にあるでしょうか。 そうそう、 肝心のベラスケスの作品紹介を忘れるところでした。 6点。 プラド美術館とは、質量ともに比べものになりません。 でも、肖像画だけ。 同じ顔でも初期のと20年後に描いたのでは 全くちがう。 輝きがちがう。 人物の性格だけではなく、 時代の重たさまでが浮かび上がってくる。 その間の画家の苦労がしのばれます。 超一流ブランドになるって こういうことなんだよなあ やれると分かっていたとしても、 ここまでは凡人はやれないよなあ。 天使か悪魔かに魅入られないかぎり。 オトーサン 深いため息をつきましたよー。 では、お後がよろしいようで。 次回は、アストリア訪問です。 お楽しみに。


7 オトーサンのアストリア遠征

アストリア? オーストリアの間違いじゃないの? いえいえ間違いなくアストリア、 ギリシャ人街・ASTORIA。 ギリシャ語でASTROとは星のこと。 ついでにお勉強をすると、ASTRONAUTは 宇宙飛行士のことです。 オトーサン、ひとりでアストリアに出かけましたが、 宇宙飛行士のように、心細かったですよー。 「危ないよ」 と娘の友人にそれとなく警告されていたからです。 コトの発端は、グルメ雑誌「料理天国12月号」 「エスニックなNYを探検する」 なーんていう魅力的なタイトルで NYっ子の名シェフ、ウェイン・ニッシュが ホームタウンのクイーンズにある ギリシャ人街・アストリアを紹介していたのです。 オトーサン、 学校で歴史好きだったから、 ギリシャ、ローマ時代には頭があがりません。 哲学者ソクラテス、プラトン、アリストテレス 人類の知的ルーツ。 オリンピックだって、聖火がはるばるギリシャから 運ばれてきます。 期間中、実際に燃えているのは、 岩谷産業のプロパンガスだとしても ルーツはギリシャ。 入場行進だって一番は、ギリシャ。 いくらアメリカが金メダルをいっぱい取って、 実績で勝負といったってダメ。 歴史と伝統の重みとはそういうのものです。 それに加えて グルメを発見!と書かれちゃあ、 オトーサン、 ひとたまりもありません。 「いざ、アストリアへ遠征せん」 心は、はやる一方なのですが、 「地球の歩き方、ニューヨーク」には これっぽっちもアストリアについては書かれておりません。 記事は、あくまでもマンハッタンのみ。 オトーサン、差別には敏感なほうですから 「でも、アッパーイーストからは、川の対岸。 隣も隣、向こう3軒両隣の感じじゃないか。 それがどういう訳か、橋がない。 ロープウエイも、なぜかルーズベルト島止まり。 地下鉄Nラインで59丁目からしか行けないとは何事か。 それも本数が少ないとは」 とご立腹です。 娘に聞くと 「やはり移民として最後にやってきたほうだからじゃないの。 第2世代が住みつくようにならないと」とのこと。 そういえば、アイルランド人も相当軽蔑されていました。 あのケネディ大統領だって、 アイルランド系、 選挙中は、ずいぶんたたかれていましたっけ。 日本人だって1世は苦労の連続。 80年代はロックフラービルを買収したり、やり過ぎました。 今はシュンとしていますが、 これでちょうど頃合い。 手掛りといえば、 手帳にある2つのお店の名前と住所だけ。 UNCLE GEORGE’S 33−19 BROADWAY ASTORIA (ギリシャ料理;Greek Tavern) KOLONAKI 33−02 BOROADWAY ASTORIA (カダフィ、泥コーヒー) オトーサン アストリア遠征と娘には意気込んで言ってみだものの 内心は不安いっぱいで Nラインに乗りました。 その終点が Ditmars Blvd Astoria Blvdはフランス語のBoulevardの略で大通り 英語でいえば、BROADWAY 朝方、地図をみながら 「ここかなあ」というと、娘が 「マア、そうさびれたところでもないから行ってみたら」 といわれたとうり、地下鉄に乗りました。 この地下鉄はいつもの6番線とは 明らかに一味違います。 まず、ガラガラ。 そしてオトーサンの左隣りに座ったのは まぎれもなくタイガー・ウッズのソックリさん。 右隣りといえば、若い頃のマザー・テレサ。 向かい側には、ゴリシャ神話でおなじみのアポロ そして少し離れて、頬がそげたキリスト。 おうおう、あれは紛れもなくソクラテス。 もっとも革ジャン着てるけど。 オトーサン、 頭が混乱してきました。 「強いて共通点を探せば 頭髪がみな黒いところかなあ」 15分もしないうちに トンネルを抜けて高架鉄道に変身した 地下鉄は終点のアストリアに 到着。 いつの間にか、歴史上の有名人物の姿は消えています。 オトーサン、 安普請の階段の鉄板をコトコトと踏み鳴らしながら 約束の地に降り立ちます。 「何だあ、フツーの場末じゃないか」 大通りの両側に商店が並んでいます。 風に吹き飛ばされるように頭にショールを巻いた 老婦人が歩いています。 乳母車の母親も。 「そう、危険でもなさそうだ」 お目当ての店を探して、大通りを10分ほど流しましたが 見当たりません。 写真屋のおやじに聞きましたが、首を振るだけ。 教会があったので、写真でも撮ろうかと近づきました。 入口にジオラマのような大きい模型が置いてあって キリストを取り巻いている人 ひざまずいている人、 犬もいます。 どういうわけか シャッターが下りません。 「電池切れか」 スーパーに入って、娘に頼まれていた電池を探しましたが レジが混んでいるので、出て また、大通りを流しましたよ。 薬屋で電池を買いました。 店の女主人が老婦人と長いおしゃべりをはじめて それが一段落ついたところで 手帳にあるお店の名前と住所をみせて 道順を聞きました。 「この駅ではないわよ。BROADWAYで降りなさい」 オトーサン、 何の収穫もなく帰るのもシャクなので 駅前の魚屋をみつけて、帆立を買いました。 これが新鮮で安い。 オトーサン その晩、娘に吹聴しました。 「アストリアは魚がうまいところだよ」 では、お後がよろしいようで。


8 オトーサン、カダフィと対決する

さて、オトーサン 1日置いて元気を取り戻して 今度こそは、ムダ足を踏まないぞと敗者復活戦へ とお出掛けになります。 2度目ですから、乗り換えもスムース。 地下鉄の車内風景も、今度は日常的。 ソクラテスもタイガーウッズもいませんでした。 BROADWAYはブルーミングデールスのある マンハッタンのレキシントン・アベニューから たったの4つ目。 10分くらいでしょうか。 また、コトコトと高架鉄道の階段を降りると アストリアとおなじような平板な風景が目の前に広がります。 「こっちの方が、やや、にぎやかかなあ」 地下鉄の進行方向に向かって右手に BROADWAYとおぼしき大通りがあります。 右折。 ただのカンであります。 1ブロック程、商店名をチェックしながら行きます。 なかなか見当たりません。 「やっぱり、あてづっぽうはダメかなあ」 31 Streetという街路表示がありました。 住所の33−01の33とは 33 Streetのことかもしれない。 オトーサン、俄然、勢いづきました。 どんどん前進。 にわかに 本日は天気晴朗にして意気高し の心境になりました。 「おお、敵艦みつけたり」 前方の町角に 2階建の白い大きな洋館があり、 大きな4つの窓にはグリーンの日よけが張り出していて そこには、白抜き文字で CAFE KOLONAKI と書いてあるではありませんか。 「やったあ。でかした」 周囲のバラックの中では、 このお店だけが、際立ちます。 まさに群鷄の中の鶴、 上品で 神戸の異人館通りのお店というカンジであります。 オトーサン、 店内に入ります。 大きなガラスのケースに 色とりどりのケーキがズラリ。 ヨダレがでそう。 「あ」 笑顔で応対に出てきた女店員をみて オトーサン、息を呑みましたよ。 目の前には、 ミロのヴィーナス嬢がいるではありませんか。 女子テニス選手のヴィーナス姉妹ではないですから 念のため。 「黒い目、服。ソバージュの滝。 少女と見えた相手には完熟から遠いものの 木酢の香りがあった」 こういう描写ならば、雰囲気が伝わるでしょうか。 楚々たる美少女。 オトーサン、 窓際の瀟洒なテーブルに陣取って 注文したカダフィなるケーキと 粉コーヒーが ミロのヴィーナス嬢の手でしずしずと 運ばれてくるのを固唾をのんで待ちます。 繁盛店らしく、次々と客がきて 多くは2階席に消えて行きます。 オトーサン、 手持ち無沙汰なので、 カメラを取り出してパチリ。 途端に大声でどなられました。 見ると、ちょうど通りかかった店のおやじ。 恰幅がよく、赤ら顔。意志の強そうな黒い眉毛。 しょうがないので、 ”Icame from Japan” と怒鳴り返しました。 「グルメ雑誌でお宅を見つけ、アストリアまで行って 見つからず、出直してきて、やっと発見したんだ。 (文句あっか?)」 睨みかえすオヤジ。 まるでカダフィ大佐そっくりの怖さ。 襟首をつかまれて 店の外に追い出されるかと思いましたヨ。 やがて、ミロのヴィーナス嬢が ケーキとコーヒーを運んできました。 ケンカの1件が尾を引いているのか、 はたまた、おやじにさっき何事か注意されたためか 憂え顔であります。 少し、歳をとったみたい。 でも、オトーサン 「傷心のミロのヴィーナス嬢」なるものを はじめて 間近に拝めて満足でした。 さて、運ばれてきたのは カダフィと粉コーヒー。 カダフィ。 あのテロリストを支援する邪悪なリビアの指導者と 同じ名前のケーキ。 外見は、チョコレート・ケーキ風。 これが固い。 フォークでは切れません。 ノコギリをもってきてと言いたいくらい。 もてあまして オトーサン 敵の正体をよく観察することにいたしました。 「敵を知り、己を知らば 百戦あやうからず」 アメリカも手を焼いているカダフィを 普通のケーキと思ったのが大間違い。 腰をすえて、長期戦の覚悟で臨まなくては。 よく見ると、 ケーキにみせかけてはいますが これは別物。 ヨーカンのような練り物の一種にもみえますが それとも無縁。 よくはじめてナマコを食べたひとは スゴイと言いますが、 このカダフィがそう。 全身が砂漠のラクダの毛で覆われています。 「ラクダの毛なんて食べられるはずがないだろ] ごもっとも。 でも、それは あなたが、カダフィを知らないからいえること。 ラクダの毛を丸めてキャラメルをからませた。 これが真実であります。 そうなんです。 中も毛だらけ。 「甘い」 「ダラアマイ」 「もうよそう。これ以上食べるとお腹をこわす」 「でも、この粉コーヒーを飲むと、また食べたくなる」 「甘い」 「ダラアマイ」 「もうよそう。これ以上食べるとお腹をこわす」 「でも、この粉コーヒーを飲むと、また食べたくなる」 このモノローグが永遠かと思われるほど、繰り返されて オトーサン ようやくカダフィを食べ終わりました。 コーヒーカップの底には粉が溜まっています。 間髪を入れず、 店のおやじが 近づいてまいりました。 よくいるんですよ、こういうおやじが。 食べ終わると「味はどうだ」と聞きにくる手合いが。 でも、おやじ 手に額を持っています。 「この男を知ってるか」 額にはスポニチの5段ぬきの記事が収められていて、 このお店のことが書いてあります。 ライターは、栗山章とあります。 知らない人。 「日本人は1億3000万人もいるんだ。全員の名前を 覚えているハズないだろ」 と言い返してやろうかと思いましたが、 それでは、喧嘩になります。 おやじのほうから手を差し伸べてきたのですから これは和解のチャンス。 オトーサン、 じっくりと記事を読みます。 手帳に文章を書き写します。 「黒い目、服。ソバージュの滝。 少女と見えた相手には完熟から遠いものの 木酢の香りがあった」 オヤジに額を返して カウンターでお金を払いました。 ミロのヴィーナス嬢には、 「こんなオヤジに仕えるのは大変だろうけど、 ガンバッテナ」 との思いをこめて、別れを告げました。 その余韻を味わう暇もあらばこそ オヤジは 「また来いよ」 と握手を求めてきましたよ。 オトーサン、 仕方なく握手しましたが、 「今度来るときは、オヤジに逢わないように 2階席にしょう」 と堅く誓ったのでした。 では、お後がよろしいようで


9 オトーサン、ギリシャ料理を食す

さて、 オトーサン、 カダフィの戦いを終えて 店の外にでて、 時計を見ると、12時半。 ちょうど昼飯時であります。 たまたまKOLONAKIが先に見つかったので、 食事の順番が逆になりましたが、 本来は、UNCLE GEORGE’Sが先。 ここで昼食をとってから、 KOLONAKIで喫茶というのが物の順序 しかし、この非常事態。 とにかく、33−19を探さなくては。 すぐ見つかりました。 同じブロックで大通りの反対側の角。 東京は麻布・六本木あたりにによく見かける 大きなガラス窓のテラス・レストラン。 店内に入ると ロシアのコズロフ首相のようなボーイに 窓際の席に案内されました。 メニューを見ましたが、 オトーサン、 ギリシャ料理は不案内。 「お店の名物料理を持ってきてください」と頼みます。 料理がくるまで長時間待たされました。 店内には、ジングルベルが流れています。 数えると、赤と白のチェックのテーブルクロスのかかった テーブルが20程。 ヒマなので、人間観察。 隣りのテーブルにひとり黙々と食べている男は カダフィ大佐。 髪の色は漆黒。頬がそげて、目付きが鋭い。 前方のテーブルで彼氏と食事している女は、 イメルダ夫人という感じ 長い栗色の毛を肩に垂らし、年の頃は30過ぎか。 化粧も濃く、肌は浅黒い中東美人であります。 また、別のテーブルにいる3人連れのひとりは小柄で PLOのアラファト議長の兄貴でありましょう。 頭に被ったショールをとったら 後頭部がはげていました。 どこか憎めない顔付きをしております。 さて、お料理のほうはというと まず、フランスパンを1ケポンと置いたバスケットが到着。 次に、長さ25cmほどの焼き魚が1匹ドーンと。 レモンが1ケついてはいるけれど。 フランス料理店なら頭としっぽを取り除いて、 半身に切ってソースをかけるところなのに。 最後に、ふかしタジャガイモが丸ごと4つ しかも、油ギトギト。 オトーサン 有難迷惑とはまさにこのことだと思いましたよ。 大人2人分という量は 空腹時でも持て余す分量でしょう。 ところが、 ついさっき CAFE KOLONAKIでカダフィを平らげたばかり。 でも、気を取り直して パンを一口。 「うん、まあまあの味だ」 次に、焼き魚。 名前は分かりませんが、皮をそぐと 中は白身。 レモンを絞って、一口食べてみました。 「う、うまい。こりゃあ、うまいわ」 新鮮な魚は、焼いてもうまいものですが、 それにレモンの味がしみて さらにオリーブ油がしみて 絶妙なお味。 おなか一杯を告げているのですが、 舌のほうは、「もっと、もっと味わえ」 とせがみます」 結局、オトーサン全部きれいに食べてしまいます。 そして、ジャガイモ。 目のほうは、 「そんな油っぽいもの。やめろ やめろ、 理性のほうも 「おなかをこわすぞ。ああ、もう知らない」 と言っているのですが、 なぜか、食べ続けて止まることを知りません。 結局、丸ごと3つ食べてしまいました。 意外にも、さほど油っぽくなく、レモン味なのです。 オトーサン、 あっという間に食事を終わって 「おぬし、なかなかやるなあ」 とはるかなキッチンのほうをみやって言いました。 無名の名シェフに乾杯! さて、 この隠れた名店のお勘定はいかに オチーサン すこし身構えました。 でも、コズロフ首相のもってきた レシートをみて ビックリ。 何と7ドルでしたよ オトーサンのギリシャ料理編は、これにて終わりと いたします。お後がよろしいようで。


10 番外編:人生は長期戦

さて、 オトーサン、 食後の散歩をかねて BROADWAYを撮影して回りました。 駅前で変わった名前の銀行を発見。 そこで読者にクイズ。 そのユニークなギリシャならではの 銀行名を当ててください。 答は、 マラソン・ナショナル・バンク オトーサン マラソン選手でゴヒイキの有森裕子さんに 言ってあげたくなりました。 ここに預金したら きっと幸運に恵まれて オリンピック代表選手になれますよ。 自分でもちょっと預金してみたくなりました。 この銀行なら 長期の資金運用がいいでしょう。 だって マラソン銀行だもの。 人生の長期戦に備えて 42年物なんか、いいかも知れません。 もっともギリシャのことだから ミレニアム債(祭)なんていうものもあるかも知れません。 では、お後がよろしいようで。


11 犬も歩けば、コロンブス

オトーサン、 NYでは お上りさんのようなものですが、 次女がロンドンから着いたので 仕事がある長女から次女の案内役を命じられました。 ロンドン留学中の次女は、 NYの食料事情に感動。 「ロンドンは品物も少ないし、 おまけに値段もとびきり高いのよー。 ごはんに缶詰のオイル・サーディンをのせて、 ウナドンと信じて 生きてきたのよー。 ああ、シャブシャブを食べたい。 久しぶりに、すきやきを食べたーい」 街でみかけた大吉寿司は、 マンハッタンに20店舗もあるそうですが 細巻き寿司パック(まぐろ12ケ、サケ6ケ)5.80ドル 天ぷらうどんが5.95ドル 次女は、その安さにも目を丸くしています。 たまたま家に入っていた「秋 AKISUSHI」の 折り込みチラシのメニューを小1時間ほどみつめて ボソッと一言。 「NYでは、薄造りまで食べられるのねー」 薄造り9.75ドル 鰻丼11.95ドル。 おしたし4.5ドル そうした次女を相手に にわかNY通になった オトーサン 「じゃあ、ゼーバースにでも行こうか」 と得意気に言います。 「何それ?」 「NYでナンバーワンの食料品店さ。 グルメ・フード・ストアで 何でもそろっているんだ」 と吹聴します。 M79なるバスに乗って、 アッパーイーストから セントラルパークを横切って アッパーウエストへと向かいます。 オトーサンは バスもOKの1週間乗り放題の メトロカードを持っています。 乗車口にある機械に入れてサッと抜けばいいのですが、 到着したばかりの次女はあいにく持っていません。 バス代の1ドル50セントの小銭の持ち合わせもなく 乗ってしまったものですから さあ大変。 次女は、国際学生証を持っていれば、無料と書いてあると 黒人運転手に主張しますが 「それは授業期間中だけで、学校の身分証明書がいる。 誰かに早く小銭に替えてもらえ」 と言いわたされております。 でも、こういう時、NYっ子は親切。 無事に年配の男性が小銭を数えて渡してくれました。 オトーサン、 バスが冬木立のセントラルパークを抜けて ウエストに出ると、にわかに不安になってきました。 何分にも、 ゼーバースへは1度行っただけ。 場所はウロ覚え。 どこで降りるのかなあ。 通り過ぎるくらいならば、早目に降りようっと。 オトーサン、 「天気もいいことだし、 散歩がてら歩いていこう」と 次女に力強く言って セントラルパーク・ウエストで下車いたしました。 「あそこが小野ヨーコさんの住まいだ。 ジョンレノンの奥さんの」 と豪壮な建物を指さします。 オトーサン、 この秋、長女に教わったばっかり。 葉を落としたポプラの並木道の散歩を楽しんで コロンバス・アベニューへと出ます。 ちょうどクリスマスの25日、 ほとんどのお店は閉まっています。 人影もまばら。 日は照ってはいますが、風があるので寒い。 ゼーバースは 80丁目あたりにあるはずですが、 見当たりません。 「ゼーバースも休みだ」 次女にそうつぶやいて、 あっけなく捜索を打ち切りました。 間違えたときのごまかしかたは簡単。 話題を即座に変えること。 長いサラリーマン生活で覚えた知恵です。 「カフェにでも入ろう」 たまたま開業中のカフェに入ります。 中は暖かくて超満員。 次女は、ガラスのショーケースに並んだ食べ物の数々に 息を呑んでいます。 「ロンドンでは、肉は鳥肉しかたべられなかったのよー」 という次女にはまぶしい光景でしょう。 どれを食べてもいい、 おまけにパパというスポンサーつきで無料。 「何にしようか。ターキー・サンドイッチもおいしそうだし、 こっちのローストビーフ・サンドイッチもおいしそうだしねー」 注文は 英語がうまくなった次女に任せて お金を渡して オトーサンのほうは、 席の確保に店内を走り回ります。 50席以上あるのに、年配の上品な夫婦連れで超満員。 わずかにトイレの前の2人用テーブルの ひとつだけ空いている椅子をゲット。 老婦人と交渉して、 もうひとつの椅子もゲット。 置いてあるコートを引き取ってもらいます。 次女を待ちます。 次女がもってきたのは ローストビーフ・サンドイッチとコーヒー 1人分だけ。 「どうしたの?」 「だって、2人分あるでしょ」 オトーサン、 ロンドンで暮らしているうちに バブリー娘が いつのまにか、つつましくなってしまったなあ と思いました。 でも、ローストビーフ・サンドイッチは とびきりおいしかったですよ。 肉の味つけがよくて、ジューシーで。 言葉もなく、黙々と食べました。 代わる代わる大きなカップに入ったコーヒーを飲んで。 「ああ、牛肉なんてひさしぶりだあ」 と次女。 「ああ、オレもだ」 とオトーサン。 「どうして?」 「コレステロールの関係さ」 「ふーん」 「でも、このローストビーフ・サンドイッチって 超ウマでない?」 「ああ、パリのカフェ・ド・ラ・ペ以来だな」 オトーサンの味のモノサシは単純明快であります。 何といったって サンドイッチは みなパリのカフェ・ド・ラ・ペの右に出るものはない あのフランスパンの香ばしさ、 中に入っている吟味された材料、 これら2つの絶妙な調和。 それが、ここNYでもついに登場したのか。 NYは8年にわたるこの好景気のすえに ついに世界の食の頂点に立ったのか。 食の都・NYかあ。 「パパ、ここのお店、メモしておいたほうがいいよ」 次女がレシートを渡してくれます。 お値段は、10ドル弱。 1人あたり5ドル。 「これ安いね」 「ロンドンはローストビーフの本場だけど、 高くて手が出ないのよー」 しばらくして 次女が言いました。 ゼーバースは見つけられなかったけれど、 このお店を見つけられてよかったね」 オトーサンのごまかしは 見抜かれていたのでした。 さて お店の名前はCOLOMBUS BAKERY コロンバス・ベーカリー 住所は、COLOMBUS AV 83 Street でした。 オトーサンの 犬も歩けば、コロンバスのお粗末でした。 では、お後がよろしいようで。


12 ゼーバースに恋をして

次の日、 オト−サン 娘と次女と3人連れだって ゼーバースへ行き直すことにしました。 NYタイムスの常連寄稿者ノラ・エフロンの 「デリカテッセン愛好者の告白」 を読んでしまったからです。 彼女は、ゼーバースに恋をして お店のすぐそばに引っ越しまでしてしまったのです。 週4−5回は通います。 「ゼイバースは、きわめてウエストサイド的な店である。 雑然としていて、 中産階級的で さして無秩序なわけでもないのに 無秩序な印象を与える。 本来は友好的でも何でもないのに、 温もりを感じさせる」 そして、行くたびごとに、売り場のどこかが 変わっているので、まるで恋人のしぐさの変化に 一喜一憂するように 彼女はゼイバースに恋をしてしまったという 素敵なエッセイでした。 オトーサン、 すぐに影響されて また、M79に乗りました。 今度はメトロカードもあるし、 NY在住の娘もいるし 無事ゼーバースに行けるでしょう。 でも、彼女も アッパーイーストのアガタで買い物はすませてしまうので アッパーウエストは不案内。 近くの乗客にそっと場所を聞きます。 ゼーバースという言葉は マジックのようです。 周囲のひとが一斉に場所を教えたがるではありませんか。 ブロードウエイの81Streetだよ。 オトーサン 改めて、ゼーバースのすごさを知りました。 さて、バスは セントラルパークをぬけて 順に セントラルパーク・ウエスト コロンバス・アベニュー アムステルダム・アベニュー そして ブロードウエイ に止まります。 一緒に降りた黒人の娘さんは、 ゼーバースの前まで案内しかねない程でした。 1ブロックも歩くと ゼーバースが見えてまいりました。 2階建、白い壁に 特徴的な書体でオレンジ色でゼーバースと大書。 店内に入ると、いきなり黄色が目に飛び込んできます。 長さ15メートルはあろうかという棚と 通路の両側のショーケースに ぎっしりとチーズの山並みが続きます。 天井から、鈴、レモン、ヒョウタン、牛乳袋の形をした 大小さまざまの黄色いチーズがぶら下がっています。 「うわあ」 突然、チーズ・ワールドにさまよいこんで 次女が小さな悲鳴を上げます。 でも、オトーサンたち、 平均的日本人ですから ここは見るだけといって通り過ぎます。 続いて 巨大なガラスケースがドーンと鎮座まします総菜売り場へ。 総菜が大皿に山盛りになって、ざっと70皿。 いろいろな肉料理、サラダ、野菜類のオンパレード。 イスラエル・サラダ、リマ・ビーンズなど名前を読んで行くと、 それだけで世界旅行。 オトーサン、 オリーブが20種類もあることを 初めて知りましたよ。 フランス、スペイン、ギリシャといった国別、そして ブラック、グリーンといった色々。 アメリカの豊かさ、富の象徴。 ジス イズ NY。 世界の首都。 次女は、もうショック死寸前。 オトーサン、思わず体を支えてしまいましたよ。 苦労したのか、痩せています。  ここでは、オトーサンたち 牡蛎のサラダを買いました。 3番目が、サーモン売り場 3人のシェフが 次女とはちがって丸まると太ったサーモンを スライスしています。 サーモン売り場の全長は15メートル。 サーモンと一口に言っても、その種類の多いこと。 Nova Scotish salmon Gravlox Honey baked salmon Double sauted nova その間に大小さまざまの燻製の魚が並んでいます。 eel(うなぎ) trout(ます) chubbs white fish blue fish herring(にしん) キャビアの缶も3種類が、分量別に並んでいます。 一番安いのが2オンスで45ドル 一番高いのが2オンスで75ドル その14オンスものは何と475ドル オトーサン、目を丸くしました。 それに群がるひとがいるという事実に。 それも、 赤いトレーニングシャツにグレーのトレパン、 汚れた運動靴のおじいさんが買って行くのです。 オトーサンたち 並んでチョッピリ買うのも気まずいので 反対側のパック入りのスコティシュ・サーモンを買いました。 4番目の売り場がベーカリー。 パンの種類の多いこと。 オトーサンたち、大きな樽に無造作に突っ込んである 棒状のフランスパンを買いましたよ。 「これって大勢の時じゃないと食べられないからね」 と次女。 最後が、コーヒー売り場。 ここでは3人の店員がいて 量り売りもしていますし、その場で挽いてくれます。 木製の大きな樽がズラッと並んで、 その数は20。 壁は天井までジャムの瓶でギッシリ。 オトーサンたち、 コーヒーはスターバックスで飲めばいいし それに次女がロンドンのフォートナム・メイソンの本店で おみやげに買ってきてくれた上等な紅茶があるからいいや とパス。 最後がレジ。 10ケ所あって、うち4つがCASH ONLYで 空いているので、 オトーサンが、現金で支払いました。 しめて75ドル。 なんでこんなにするの? いつの間にかサラミソーセージとフォアグラのパックが 入っていたのです。 でもオトーサン, ゼーバースに恋をしてしまったので お値段には目をつぶることにしました。


13 番外編:クリスマスの食卓

クリスマスの夜食は、豪華絢爛。 大きな皿にレモンをスライスした上にサーモン。 野菜サラダには刻んだサラミ・ソーセージが散らしてあって 別に牡蛎のサラダ。 フランスパンにはフォアグラを塗って食べます。 お飲み物は、フオトナムメイソンのアールグレイ バドワイザー および、 カリフォルニアワインの極上品。 最後に、 ヤマザキのクリスマスケーキ。 「ああおいしかった」 と3人とも大満足。 口には出しませんでしたが、 これらの山海の珍味のうち、 オトーサンが一番おいしかったのは、 何とまあ ヤマザキのケーキでした。 日本より生ミルクをふんだんに使っているせいか おいしい。 それに、オトーサンの家も 世界各地に別れてみんなが一人暮らし。 ラウンド・ケーキを切り分けるなんて ひさしぶりの大家族ごっこでした。 ではまた、お後がよろしいようで。


14 再びゼーバースへ

さてまた、 翌日、 オトーサン、 NYに遅れて到着した奥方を 恋人にでも紹介するようにいそいそと ゼーバースへとご案内。 今日は、朝食を食べにいきます。 今回は、つつがなく到着。 デリは、お店の一角にあります。 道路に面した角がガラス張りで明るいお店です。 まあ、中央に20人がけのテーブルがある簡易食堂。 奥にベーカりー兼用のカウンター もう一方の壁は、ドリンクコーナー。 オトーサン、 コーヒー2つと ホウレンソウとチーズ入りのホット・クロワッサンと ハム入りのホット・クロワッサンを 奥方に アップル入りのクロワッサン を注文します。 今朝の収穫は ホウレンソウとチーズ入りのホット・クロワッサン 熱々で まるでエスカルゴのパテのような味が絶妙。 「よく売れているからかしら。コーヒーもおいしいわね」 と奥方も満足そうです。 食後は、お店の2階を散歩。 ありとあらゆる調理器具が所狭しと並んでいます。 小1時間ほどいて おみやげ用に日本では売っていない チーズカッターとワインバッグを買いました。 前者は20×15センチの大理石の台にチーズをのせて 糸ノコ風のカッターで切る趣向が気に入りました。 後者は、キャンバスの生地で出来ていて 中にワインが2本入るように仕切られていて 籐の柄の手提げになっています。 使用する場面が思い浮かびませんが、 たったの5ドル98セントだったので 3つも買ってしまいました。 あれもこれも、ゼーバースに恋したため。 デート時には、お金を惜しまないようなもの。 では、お後がよろしいようで。


15 バルドゥッチに浮気する

ゼーバースに恋してしまった オトーサンでしたが、 たまたま 常盤新平さんのNYエッセイを読むと ゼーバースもいいが、 グリニッジ・ビレッジのバルドゥッチのほうがよい と書いてありました。 オトーサン、 「何を」と 恋人をけなされた時のように怒りかけましたが、 常盤新平さんといえば わが国きっての翻訳家で、大のNY好きで知られた方。 オトーサン 常盤さんのNY本を何冊もバイブルのようにして読んでいます。 「参ったなあ。また取材先が増えてしまった」 今回は、ワープロ持参の旅なので、 きちんと書くには何度も取材に行かねばならず 早朝にまとめ終わらないと、 次の取材には行けない状態。 賃仕事ではないから、納期があるわけでもなし。 どうだっていいといえばいいのですが、 それでは読者に申しわけない。 娘のアパートにも常盤さん編集のNY読本がありました。 常盤さんは、そこに収録されている立花隆さんのレポートの 取材の詳しさをほめていました。 娘も同意見で、NYっ子も顔負けとほめていました。 昔の学生時代の仲間である立花さんをみんながほめてくれるので しばし、いい気分になりました。 でも、のんびりしてはおられません。 こオトーサンのNYエッセイが収録されるようになるには もっと頑張らねば。 さてオトーサン 常盤さんに対抗するには自分一人では無理。 主婦の目や娘たちの目でも見てもらおう、 そうでなくては、とても太刀打ちできないと 家族4人、連れだって ヴィレッジへと繰り出しました。 地下鉄のASTOR駅で下車3分。 パリを思わせる華やかな街角にバルドゥッチがありました。 緑色のファサードが街路に大きく張り出しています。 まるで高級ホテル。 明るいやわらかな光が窓から街路へとこぼれ出ています。 マッチ売りの少女ならずとも、 誰でも思わず近づきたくなってしまうでしょう。 店内に入って オトーサンをはじめ、家族一同 歓声を上げました。 目の前に広がるのはエデンを思わせる 馥郁とした香りに包まれた楽園。 色とりどりのフルーツの森と野菜の畑。 ひとつの赤いリンゴをとっても 思わずアダムが 手を伸ばしてとってしまいたくなるほどの 見事なリンゴ。 それらがが光り輝いて ピラミッド状に積み上げられています。 このリンゴ一つだけでも、飢えに苦しむ子供たちに 分けてあげたい。 流石に果物屋からスタートしただけのことはあります。 品物の質がいい。 店内陳列の手法は 太い柱を囲むように 商品をうずたかく積み上げるのです。 例えば、オリーブの瓶だけの柱。 見つめていると、深い海の底にいるようになります。 柱を抜けていけばいくほど 商品の外見よりも それを通して透けてくる 歴史に鍛え上げられた イタリア人ならではの豊かな感性が とても魅惑的です。 これは、お店というよりも バルドゥッチが長い年月をかけて築きあげたきた 舞台芸術といったほうがよいのかも知れません。 創業者が大好きで自慢してやまなかった マッシュルームのコーナー 氷原に置かれた、目が輝いている魚たち。 すっかりバルドゥッチの魅力に 取りつかれた オトーサン、 NYきっての調理人・寿司清の小林さんが推奨する 鷄の売り場を探しました。 シチリアの迷路にさまよいこんだようで なかなか見当たりません。 家族とも離れ離れ。 ようやく肉売り場を探し当てると すでにいる奥方たちを発見。 何でも娘たちの希望する豚汁のダシにする豚肉を探して いるようです。 豚肉のコマ切れなんていうものは、アメリカにはありません。 クオーターポンドと注文しても 売り子は首を縦に振ってくれません。 こんな少しだぜと指で輪を作ります。 オトーサン 奥方の味方をするか、 バルドゥッチの店員の味方をするか ハムレットのような心境になりました。 相手は1ポンドを主張。 奥方はあくまでクオーターポンド。 1ポンドは343g。 奥方のいうように 確かにダシには80gもあれば、充分です。 一方、バルドゥッチの店員にその事実を打ち明ければ ウチの極上の豚肉をダシに使うのかよー そんなに少ししか買わない客は、歴史上いないぜ といわれてしまいそうです。 板ばさみになったオトーサン ハーフポンドと裁定して注文します。 でも奥方はあとで、 ダシなんだからそんなにいらなかったのにとブツブツ。 異文化交流とは難しいものです。 そんなこともあって 奥方はゼーバースのほうがいいとのご意見。 でも、次女はバルドゥッチに興奮。 ケーキ売り場から動きません。 オトーサンも同じ。 奥方と長女は反対。 「ウチに帰れば食べるものが一杯あるのよ」と 反バルドゥッチ連盟を組んでいます。 でも、この目の前のおいしそうな イチゴとキウイとオレンジをスライスして 生クリームで包んだ タルトの魅力に 誰が逆らうことが出来るでしょう。 反バルドゥッチ連盟の2人が 見ていない隙に オトーサンと次女は ひそかにケーキを買ってしまいましたよ。 では、お後がよろしいようで、


16 ディーン・アンド・デルカにも浮気

オトーサン、 先の常盤新平さんの本に少し出ていた ソーホーのお店にも興味を持ちました。 そこには アッパーウエストにゼーバースあり、 ヴィレッジにはバルドゥッチあり、 そしてソーホーにはディーン・アンド・デルカありと 書かれているではありませんか。 アッパーイーストのアガタは娘のアパートに近いので しょっちゅう利用していますので、 あとはディーン・アンド・デルカさえ、見ておけば NYのマンハッタンのグルメ・フード・ストアは すべて見たことになります。 「よーし、そのディーンちゃんともデートしちゃおう」 オトーサン、浮気心を出しました。 娘にお願いしてソーホーでの買い物のコースに ディーンちゃんを加えてもらいました。 地図で場所を確認します。 「なーんだ。アルマーニ・エクスチェンジの隣りじゃないの」 オトーサンにとって、 アルマーニ・エクスチェンジは鬼門です。 NYでは犯罪が多いと言われていますが、 在住4年になる娘も、オトーサン一家も 幸いにも大きな被害に逢ったコトはありません。 唯一、被害にあったのが2年前の事件。 舞台は、ここソーホー。 読者の皆様には、 恥を忍んで、その顛末につき、披露しましょう。 オトーサン、 奥方と娘の長い買い物に突きあわされて、 いいかげん飽きてきました。 店に入るのも面倒なので、 1時間ほど一人で街をブラブラしていました。 デイ・バック(簡単なリュウクサック)を背負っていました。 後で考えると、いかにもお上りさん、 それにリュックサックというのがよくありませんでした。 泥棒にとっては、かもネギ。 オトーサン、ようやく買い物の仕上げ段階に入った 奥方たちと落ち合って アルマーニ・エクスチェンジに入りました。 このお店はソーホーきっての繁盛店。 イタリアの高級衣料品ブランド、 アルマーニの第2ブランドですが、 比較的安く、センスがいいので、 店内は若者で大混雑です。 娘が夢中になって試着しているので、 オトーサン、 自分用にしゃれたベルトの1本でも買おうか という気になってまいりましたよー。 そのとき、ドーンという衝撃。 人混みのなかで 若い男がオトーサンの背中に当たって 擦り抜けて行ったような印象を持ちました。 「乱暴な奴だなあ」 ブツブツ。 「コレ買おうかと思うんだけど、どう?」 奥方に見せながら、レジで財布を出して払おうとすると ナイ。 リュックの中をあちこち探しましたが、ありません。 レジの渋滞が激しく一方なので、 とりあえずは、奥方にカードで払ってもらいました。 いったん店を出てから考えました。 財布にいくらあったかなあ。 確か、現金100ドル紙幣1枚と20ドル紙幣がいくらか。 クレジットカード2枚。 現金はあきらめるにせよ、カードは相当額の預金。 もし、これが全額引きだされようものならば ホームレスに転落します。 どうしよう、どうしよう。 人生最大の危機に直面して オトーサン、 血の気が引いてきましたよー。 娘が冷静に言いました。。 「すぐカード会社に連絡するといいよ」 最寄りの日本人店員のいるORIGINに行き 電話を貸してもらって、カード会社に連絡。 オトーサン、流暢に英語をしゃべる娘のかたわらに 呆然と立ち尽くして、 しゃべれない悲哀を味わいました。 娘がいなければ、どうなっていたでしょう。 このときばかりは、 娘が 神様がオトーサンにつかわした天使に見えましたよー。 以来、オオーサン 昼夜、考え抜いて 3段階の防犯対策を開発いたしました。 本邦初公開。 その1:すごみのある服装をして、殺気を漂わせる。       その2:背中に財布入れがついているリュックサックを買い 空の財布を入れて、金が入っていると見せかける。 その3:取られた場合に備えて、手帳に     カード発行会社名、番号、有効期限をメモしておく。 以上、3点セットでなければ効果がありませんので 念のため。 こんな事件に逢ったものですから、 オトーサン それ以来、 ソーホーへ行くときは、 桶狭間の戦いに臨む織田信長のような気持ちであります。 敵は大軍。 掏摸も大群。 その中を死中に活を求める覚悟で行くのであります。 昨年の夏などは、 オトーサン、 ソーホー単独行に成功しました。 殺気を感じたのか、掏摸も寄ってきませんでした。 さて、話題が大きくそれましたが 本題はディーン・アンド・デルカに行く話でした。 地下鉄はスプリング・ストリート下車。 3分ほど歩くと、グーゲンハイム美術館の別館のある ブロードウエイに出ます。 若いひとたちで、大いに、にぎわっています。 道端には、カバンや指輪を売る屋台が出ていたり、 NYを描いた自分の絵を並べて 売っているというよりも自己満足している画家がいたり、 若者がグループでたむろしていたり、 一歩裏通りに入れば お上品な五番街では考えられないような あやしげな雰囲気もただよっています。 ここソーホーは 若者たちの解放区なのです。 娘もここソーホーが大好き。 安くて、センスのよいファッションのお店が 続々と生まれているから、 定期的にチェックしていかなくては。 例えば、SHANHAI TANがあります。 東京の新宿伊勢丹本店1階で 一番若者でにぎわっていたのが、このお店。 中国服のセンスを大胆に取り入れた コンテンポラリー・ファッションです。 売り場の娘のソーホーの本店を語るときの あの夢みるような顔の表情が忘れられません。 「へえ、行かれたんですかあ。いいなあ」 ソーホーには アートギャラリーもたくさんあって、 ぶらっと立ち寄って どこがいいのか分からないような前衛的な絵を 鑑賞するのも楽しいものです。 ところで、 最近のソーホーは つまらなくなったという声も聞かれます。 マイナーからメジャーへ、 アーチストの街からビジネスパーソンの街へ 洗練されて、お上品で、お金の匂いがプンプンするような 五番街のようになってきました。 グッチ、シャネル ティファニー、ブルガリはないけれど ギャップ、アニエスベー、 モナコクラブ、フレンチコネクションといった ヤング向けのブランド店が続々と進出。 おしゃれなレストランも続々と誕生。 画廊だってパリのセーヌ通りのように 伝統的な絵画を扱うようになってきました。 またもや、話題がそれました。 ようやくブロードウエイに面した お目当てのディーン・アンド・デルカに たどりついたオトーサン 「あれ?」 と声を上げます。 「ここ、前に来たことがあるじゃん」 「そうでしょ」 と長女が言います。 そうでした。 アルマーニ盗難事件で気持ちが動転したあまり あの日、訪問したのをすっかり忘れていたのです。 こうしてみると、 「記憶にありません」っていう国会喚問の言葉も、 まんざらウソばかりでもなさそうです。 「忘却とは忘れさることなり」 なんて言葉もオトーサンの時代には流行しましたっけ。 「で、肝心のディーンちゃんとのデートの話は 一体、いつになったら、聞かせてもらえるんだ。 結論を急げ」 まあ、そうせかさないでください。 年寄りの長話とよくいうじゃないですか。 でも、失われた時を求めて、話が未来から現在へ 現在から過去へとさかのぼるなんて素敵じゃないですか 考えて見れば、20世紀は人類が結論を急ぎすぎた時代。 ゆっくり時間をかけて話しあえばいいところを、 すぐドンパチ。 お陰で、5000万人が戦争で死にました 一人ひとりの人生だってそうでした。 いい結果を早く出そうと出世競争。 あせりすぎて人生を味わうヒマもなし。 お陰で定年になったら、ヒマの有効利用のノウハウもない。 人生の結論ナンテ、 せいぜい新聞の死亡欄の肩書の羅列か 墓銘碑に刻むたった一行の言葉。 例えば、 「愛し、戦い、愛されてオトーサン、ここに眠る」 勿論、読者のあなたならば、これよりも もっといい文句を思いつくかも知れないけれど、 人生の紆余曲折、 成功したたくらみと失敗したたくらみ、 中途半端に終わったたくらみの数々 プロセス、ストーリー、ディテール そしてさまざまな感情の五線譜など すべて消えてしまうじゃあーりませんか。 人生、生きているうちが花。 お互い、ゆっくり寄り道も楽しみましょうや。 結論ばっかり求めた20世紀。 そんな不毛な20世紀の悪弊をすっぱり断ち切って 味のある21世紀型の思考・行動様式を獲得しようでは あーりませんか。 でも、他ならぬ読者のご要請とあれば 致し方ありません。 ズバリ結論を申しあげましょう。 夢中になってお店の中を見て回り、 記念に 店名入りのTシャツを買おうとしている 次女とオトーサンに対して 長女のキツイ一言が発せられました。 「あんたたち、コーフンしてるけど、 ここは、ただのスーパーなのよ」 では、お後がよろしいようで。


17 オトーサン、ゼーバースに惚れ直す

オトーサン その夜、つらつら考えました。 どうもわが家にとっては バルドゥッチは完璧過ぎるのではないか。 年に一度、よそいきで芝居見物に行くようなものではないか。 ふだん着の生活となると やはりゼーバースのほうがよいのではないか。 スーパーよりは刺激的で 市場のような活気もあって と思い直しました。 ディーン・アンド・デルカにしても 白亜の宮殿のような広いスペース(25M×75M)、 高い天井でゆるゆると回っているファン 至るところに飾ってあるクリスマスのツリーや ポインセチアの鉢。 棚のうえにズラッと並べた青い背のたかい瓶の列。 そうした現代的な装飾をはぎとってしまえば、 ただのスーパー。 時計と反対回りに 野菜、果物、ドリンク類、チーズ、魚、 スープ、総菜、肉、調味料類、サーモン、スシ、 肉、オリーブ、ベーカリー、ケーキ類の売り場があるだけ。 一通りの品物を揃えてあるだけ。 場所柄、高級店のような味つけをしているだけ、 いい気になって店名入りのTシャツを売っているだけでした。 そこで、読者は NY出発で慌ただしい朝だというのに いそいそとゼーバースに出掛ける オトーサンを発見いたします。 この前のおいしかった ホウレンソウとチーズ入りのホット・クロワッサン の味をもう一度という口実。 本当は、浮気したけども、本妻の魅力を再確認するためです。 反バルドゥッチ連盟の奥方も同行。 ゼーバースの朝食 おいしかったですよ。 モーツアルトを流しているのに 拡声機でしょっちゅう店員を呼び出したりして。 おまけに椅子のすぐわきに大きなゴミ箱を置いたりするので みんなが、それを除けて座ったりして。 この日常性が庶民には 何ともいえない安らぎのもとなのです。 ガラス越しにNYSCの2階がみえて マシンで走っている若い人達が見えます。 確か、そのビルの軒先にはホームレスが寝そべっていたっけ。 下町らしい車の行き交うブロードウエイの喧噪も なかなかよいものです。 店内を見回すと、ポスター。 LIFE WITHOUT ZABER’S とあって 黒いお皿に1匹の魚の骨と食べ残したサンドイッチ の絵が描いてあります。 ゼーバースがないと、こんなに味気ない暮らしになるよ という意味でしょうか。 自信といえば自信、大変なものです。 どうやらゼーバースは自分に恋をしているようです。 食後に奥方が 「おみやげでも買って行こうかしら」 というので、 またまた、売り場をのぞきました。 CHIRARDELLIという 日本では売っていない 36枚入りのミント・チコレートを買ったあと レジに行こうとしたら通れません。 朝から、手前のサーモン売り場で長い行列。 それが行く手を邪魔しているのです。 「何で、朝からこう流行っているのかしらね」 奥方も不思議そうです。 パーティーの準備で朝から買いだしなのかも。 とにかく、ゼーバースに恋したひとが大勢いるようです。 レジでは黒人の女店員に 何だか知りませんが、 長いこと待たされました。 でも、日頃はせっかちなオトーサンですが 「まあ、いいや」 と寛大です。 どうやらオトーサンは ゼーバースに本当に恋してしまったようです。 老後は、ゼーバースの近所で暮らしたいなあ。 では、お後がよろしいようで。


18 番外編:NYミレニアム万歳

実は、オトーサン Y2Kで老母は大丈夫かと心配で 日本には31日に帰国しました。 ですからNYのミレニアム行事には 立ち会えませんでした。 帰国して駅で買った新聞を読むと 銀行はみな31日の5時に閉まって4日朝まで 現金の引きだしはダメとのこと。 オトーサン、お金の持ち合わせが少なく、 心細くなって、心底、怒りました。 「何だ、日本の銀行どもは。 何年も前から分かっているのに、このザマ。 遅れてるなあ。顧客無視の体質も相変わらずだ」 シテイバンクは口座をもっている顧客には 正月もATMはやっているというので、一安心。 帰宅すると、いると思った息子の姿もなく、 車のダッシュボードにはプリクラで撮ったらしい 息子と彼女のツーショット。 「ようやくその気になってきたか。 よかった、よかった。 孔子いわく30にして立つだ」 オトーサン、 訳の分からないことをつぶやきます。 ひとりっきりの大みそか。 紅白歌合戦は美川さんと小林さんの豪華衣装を見て 後は、もっぱらY2Kの首相記者会見と 各地のミレニアム行事を見ました。 「つまんねえの。何にも起きなかったなんて。 NYにいればよかった」 オトーサン、つい、不遜な感想を漏らします。 元旦の午後、 老母の家でおせち料理をつまみながら 午後2時にTVをつけたら NYは真夜中。 ちょうどタイムススクエアの ミレニアムのカウントダウンの中継が飛び込んできました。 塔の頂上に 2000の文字が浮かびあがって 花火がシュルシュル、ドーン、ドーン。 「歴史的瞬間に立ち会った 地響きのするような大観衆の歓声です」と アナウンサーが叫んでいます。 でも、絵像では伝わってこないものもあります。 カウントダウンの瞬間 抱き合っているひとたちの映像をみるのと 実際に自分が見ず知らずの外国の若者に 抱きつかれるのでは 大違い。 オトーサン、昨年、涙がでるほど感動しました。 だって、彼にとってオトーサンは、外人ですよ。 オトーサンは、絶対、外人に抱きつくなんてできない。 でも、多民族国家・アメリカの若者は違う。 同じ理想に結ばれた者が集まっでつくりあげた国家。 人類はみな兄弟。 誰も、国籍や宗教では、差別しない。 若者のメッセージは 「戦ったり、いがみあったりしないで 愛し合おうよ」 ということなのです。 オトーサン、 TVの前で 思わずうめきました。 「昨年の今頃は、あそこにいたんだあ」 10時間待って深夜に電話して NYにいる奥方に様子を聞きました。 「どこに行った?」 誘われていたセントラルパークの花火大会に行ったのかなあ と思っての質問でしたが 「タイムズスクエアでカウントダウンを見たよ」 「へえ。寒かっただろう」 昨年はオトーサンたち、3時間も震えながら待っていました。 「今年は暖かかったよ」 昨年より人出が多く、紙吹雪も多かったようです。 「でも、昨年ほどいい場所ではなかった」 そういえば、昨年は、 タワーの真下、TV中継車の脇で見ましたっけ。 娘がおばあちゃんとハグレたなんていって 楽々と警戒線を突破して、最高の場所をゲット。 徹夜で場所を確保したひとたちと合流。 人出50万人。 ところが、今年はミレニアム、 全米どころか世界中から観衆が集まってきて その数、何と200万人。 今年はテロの警戒がまことに厳しかったようです。 娘が用事があるので、この先の会社に行くといったら、 身分証明書の提示を求められ、所持品検査もされ、 警戒線を通してくれたもの、会社の入り口まで警官が付き添い。 顔見知りの会社の守衛さんまでも、執務室までついてくる始末。 昨年程度の作戦では、今年の緊張した警察には 通用しなかったようです。 おかげで、ミレニアムのNYを舞台にした 派手なテロは起きませんでした。 「NOBUにも行ったよ」 「えっ」 NOBUといえば 3ケ月先でないと予約がとれないという トライベッカにある有名人ご用達のレストラン。 ハリウッドの大スター、ロバート・デ・ニーロがオーナー。 娘は秘密の予約電話を知ってると常々ご自慢。 「この番号でかければ、すぐ予約がとれるんだ」 ところが、今回はミレニアム。話し中でダメ。 「ダメモトでもいいから、覗いてみよう」 とランチの時間の終わり頃を見計らって出掛けました。 20分待ちで、運よく席が取れたそうです。 「どうだった? 高かったろ」 「ランチで3人で180ドル。おいしかったよ」 おいしいに決まっています。 「ダニエルと比べてどうだった」 「和食だから洋食とは比べられないけど、ダニエルくらい おいしかったよ」 オトーサン、その説明を聞いて、つぶやきました。 [もどかしいなあ」 気配を察してか、奥方が付け加えます。 「メニューの1品毎に写真を撮っといたよ」 「ふーん」 でも、くやしいなあ。 やっぱり、実際に行って食べてみなければ、 味なんて分からないじゃないか。 「写真撮って、怒られなかったかい?」 「お店のひと、親切だったよ。 何とかという名前のカリスマ・シェフにも逢った。 日本人で大柄のひと、美男子じゃなかったけど。 記念撮影しようとしたら、ちょうどフィルム切れ」 オトーサン、うめきました。 「そりゃ、松久信幸さんのことだろ。 オレが行ってりゃ、オーナーのロバート・デ・ニーロとも 握手ぐらいしたのになあ。 行かなきゃ、店の外観も、内装も、雰囲気も分からないし、 ひとにもすすめられないじゃないかー」 NYミレニアムは、この オトーサンのボヤキをもって、 終わりといたします。 もし、NYに行く機会があったら ギリシャ人街、フリック・コレクション、ゼーバースを お忘れなく。 オトーサンが何度も確かめたのですから、保証つきですよ。 読者の皆様 長時間、おつきあいいただいて、 ほんとうに有難うございました。 ハッピー ニュー イヤー メリー 2000! NYミレニアム万歳! 皆様一人ひとりにとって 21世紀がよい世紀になりますように。


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