ニュージランド夢紀行


PHOTO:ワカティプ湖

目次

1 花粉前線

2 わずかな抵抗

3 わずかな知識

4 フラワー・フェスティバル

5 ガーデニング・ツアー

6 エイボン川、水清く

7 善き乗客たちのバス

8 善き羊飼いの教会

9 マウント・クックよ、いずこ?

10 羊たちの沈黙

11 カーチェイスに沈黙

12 トイレ休憩

13 バンジージャンプ

14 万事、順調

15 万事休す

16 再起

17 テ・アナウの虹

18 虹の彼方

19 森をぬける道

20 カスケード

21 遥かなり、エヴェレスト

22 お金の出処

23 ニ国間関係

24 三角帽子の謎

25 アヴァンティにて

26 北島、帆の街、オークランド

27 巨鳥モアの敗走

28 パーネル・ライズ

29 響きと怒り

30 君がいるから僕がある

31 ああ、安ホテル

32 ああ、巡回バス

33 憧れのキウイバード


1 花粉前線

オトーサン、
持病を告白します。
といっても、
そんな大げさな病気でもないのですが。
実は、長い間、花粉病で悩んでいます。
自慢じゃありませんが、
「花粉病友の会」の発祥地、
千葉県は柏市に家を作って
すぐさま発病したのですから、
筋金入り。
花粉病とのつきあいは、
もう20年にもなります。

「おまえ、仮病つかってるんだろう」
当時は、症状が悪化して休んだりすると、
みんなに疑われたものです。
時は過ぎ去り、
いまや、この病気、
認知度も上がりました。
日本人の2割は発症しているとか。
NHKニュースでも、
桜前線や梅雨前線と同様に
花粉前線が地図で示されるようになりました。
それによると、今年も2月中旬には、
本州の中部から関東地方までやってくる
というじゃありませんか。

「いやだなあ」
オトーサン、
毎年、マツモトキヨシにマスクを買いに走ります。
でも、今年は、100円ショップで
2枚100円というマスクを手に入れました。
何でも、このほうが1枚200円のマスクよりも
安いうえに、効果も大きいとか。
奥方は、花粉病ではないので、
「去年のが残っているでしょう」
と理解のないことを言います。
オトーサン、
大体は奥方の指示に従いますが、
花粉病のマスクだけは、別。
絶対に聞きいれず、
新しいマスクを沢山買いこみに行くのです。
「ああ、花粉病のない国に住みたい!」
オトーサンの場合、
旅心は、毎年、花粉前線の上昇とともに
訪れるのです。


2 わずかな抵抗

オトーサン、
帽子にめがね、マスクという出でたちで、
銀座をぶらぶらしております。
「どこに行こうか」
奥方が飛びつくように答えます。
「ニュージーランドは、どう?」
銀座のおすし屋さんの名前でも答えるかと思ったら、
返ってきたのは、別の答えでした。
「...海外旅行か。
知ってのとおり、おれ、お金ないよ」
「じゃあ、あなたは、どこがいいの?」
「いま、旬なのは、ヴェトナムか韓国。
...値段もそう高くないし」
「オエーッ」
奥方に一蹴されてしまいます。
両国には、奥方に代わってお詫び申しあげますが、
これは、ひとえに旅行業界のPR不足のせいなのです。

こんな風に、
相手の希望する行き先を拒否しあいながら、
書店でガイドブックを立ち読みしている時でした。
奥方は、ニュージランドの本ばかり手にとっています。
どうも強く憧れているようです。
ここ一週間の観察結果によれば、
奥方は、夢にまでニュージーランドが出ている気配が濃厚です。
だって、最近、夜中に、キー、キーと歯軋りをしています。
これって、もしかして、キウイの泣き声ではないでしょうか?

奥方が、
ガーデニングに凝っているのは、
わが家族のあいだでは、有名です。
山荘の庭に、ロック・ガーデンを築いて
短い夏の間、花を愛でています。
秋も深まり、冬になると、
ロック・ガーデンは、開店休業。
オトーサンが、内心、
「ろくな庭じゃないな」
とくさす状態にあいなります。
奥方にとって、冬はストレスの溜まる時期なのです。

「あらっ、
フラワー・フェスティバルが開催されているわ。
2月中旬までみたい、急いで手配しなくては」
奥方が、人目構わず叫びました。
「そりゃそうだろう、
日本だって、やってるよ。
春になれば、毎年、各地で植木市をやってるぜ」
オトーサンが抵抗を続けます。
結局、オトーサン、
この日は、植木市発言の罰として、
銀座の旭屋書店で、
「るるぶ:ニュージーランド」を買わされてしまいました。
HIS銀座支店でパンフレットも受けとる羽目になりました。
奥方は、帰りのバスのなかでも猛勉強しております。
「ねえ、クライストチャーチって、
ガーデン・シティなんですって!」
「...そういえば、
川口ガーデン・シティ・マンションの
チラシが入っていたな」
オトーサン、
抵抗勢力に徹します。
「一度行ったけど、ラスベガスはどうだ。
バリ島のアマンやアマンキラもいいなあ。
....高いけど」
そんな風に、候補地をあげている間に、
時間はどんどん経っていきます。

オトーサン、
ロンドン留学中の娘に電話します。
「ママがうるさいんだけど。
にゅーじーにゅーじーって」、
よさそうなところだけど、
30万円もかかるんだぜ」
ところが、娘の答えは明快でした。
「元気なうちに行っておいたほうがいいよ」
旅行社勤務時代に1回行ったことがあるのです。
奥方に電話を代わらされました。
そして長電話のあと、
奥方が勝ち誇ったようにいいます。
「とてもきれいな国みたいよ
ねえ、あたし、少し出すから、行きましょう」


3 わずかな知識

ニュージーランドは、
昔、新婚旅行の候補地にあがりました。
海外勤務の同僚から、
「きれいだし、その上、安全だよ」
そう奨められたのです。
でも、新婚旅行は、
国内と決まっていた時代です。
それも、伊豆・箱根・熱海、きばって宮崎という時代です。
結局、新婚旅行は、
四国の道後温泉から安芸の宮島へ、
尾道から岡山の後楽園へと回るだけでした。

その後、アウトドアに狂っていた頃、
ミルフォード・サウンド・トラックから帰国したばかりの
山と渓谷社の編集者に言われました。
「いいところですよ。
やはり世界一の散歩道でした」

また、最近、
大橋巨泉さんがTVに出演して、
ニュージーランドの話をしていました。
巨泉さんといえば、
参議院議員になったかと思ったら
すぐにお辞めになったかたです。
ニュージーランドでは
「オーケー・ギフト・ショップ」のオーナー。
毎日がゴルフの日という優雅なセミ・リタイア生活を
送っていることでも有名です。
「ニュージーランドのひとは、
日本みたいにセコセコしてない。
そこが気にいっている。
日本の夏の湿気! ありゃ、死ぬよ。
よく、こんな国にみんな我慢して住んでいるよ」
いいたい放題でした。
オトーサン、怒ります。
「この野郎!...
でも、そんなに、いい国なのかなあ」

ニュージーランドは、
広さが、日本の7割。
形も日本に似ていて、
北海道と本州の半分をちぎったようなもの。
人口は、380万人、羊が人口の13倍。
キウイという飛べない鳥がいて、同じ名前の果物の名産地。
オール・ブラックスというラクビー・チームがやたら強い。
ヨットレースのアメリカス・カップで優勝。
バンジー・ジャンプ発祥の地。
南半球にあるので、
日本が冬だと、NZは夏と季節が逆。
南十字星が見える。
それから、
ヒマラヤ初登頂を果たした
エドモンドヒラリーが、この国のひとでしたっけ。
まあ、オトーサンの予備知識は、こんなもの、
わずかなものです。


4 フラワー・フェスティバル

そして、10時間半、
夜通し飛んできて、
いま、オトーサンたち、
奥方が夢にまで見た
ガーデン・シティ、
クライストチャーチにいるのです。
しかも、町の中心、
フラワーフェステイバルを開催中の
大聖堂の前にたたずんでいるのです。
大聖堂の建立は、1904年。
高さは約65m、
人口38万人の都市ですから、
大聖堂のある広場(スクエア)といっても、
これまたそう大きなものでは
ありません。
渋谷のハチ公前広場の倍くらいでしょううか。
驚くのは、とにかく、ひとが居ないこと。
若者の群れなどはおらず、観光客がちらほら。
それも年寄りの団体で日本人か韓国人です。

広場を取り囲んで、
ビジターセンター、銀行、
免税品店のDFS
(ルイ・ヴィトンの経営です。知ってますか?)
などのお土産屋が並んでいます。
驚いたのは、ここにもスターバックスがあること。
乗り物に話題を移すと、
まず目立つのが、
トラムと呼ばれているチンチン電車。
10ドルで乗り放題、市の中心部を30分で一周します。
いまは、フラワーフェスティバルの期間中なので、
黄色い花やリボンで飾られています。
バスは、赤と黒に塗りわけたのと黄色い車体の2種類があり、
そして初乗り2ドルのタクシー乗り場もあります。
ここでは、数人の客待ちの運転手さんたちが
いつも、おしゃべりをしています。
小さな町で渋滞とは無縁、のんびりしたものです。

「あった!」
大聖堂の前には、
紫の花の鉢がずらっと並べられています。
その脇に大きなフラワーバスケットが飾ってあります。
直径は2m半くらいか。
るるぶに載った写真そのままです。
いまは、おばあさんたちが、なかに入って記念撮影をしています。
「ねえ、撮って、撮って」
奥方が、目を輝かせています。

オトーサン、
「仕方がねえなあ」
ぶつぶつ言いながら、
大聖堂の黒灰色の煉瓦の壁をバックに、
紫色の花で彩色されたフラワーバスケットのなかに
収まった奥方をいやいや撮ります。
「どれどれ」
奥方が覗きこみます。
デジカメの便利なところは、
撮ったばかりの写真をその場ですぐ見られることですが、
この機能がイヤなときがあります。
ひとつは、手抜きがすぐに発覚すること。
奥方が厳しくチェックするのです。
「まあまあね」
ひとに撮らせておいて、
こんな失礼なことをいうのです。


「これどう?」 奥方が撮った写真を見せられるのもイヤです。 「オオ、イージャナイカ。 スゴクキレイニ、トレテイル」 本当は、「まあまあだな」という程度のものでも、 ほめ言葉を探さねばなりません。 「ね!」 オトーサンのせつない気持ち、 読者のみなさんにも分かってほしいものです。 さて、 愚痴はこのくらいににして 大聖堂のなかに入りましょう。 入場料は、2人で5ドル。 オトーサンが払いました。 奥方からは、「ありがとう」の一言もありませんでした。 いくら風雨婦(ワープロミス) フウフウ(これはワザとミス) 夫婦の仲とはいえ、 フラワー・フェスティバルを見たいのは、 奥方なのですから、 当然、奥方が支払うのが筋というものです。 ねえ、「親しき仲にも礼儀あり」ですよね。 オトーサン、 ぶつぶついいながら、 大聖堂のなかに足を踏み入れたのですが、 「おお、美女の競演だ。 入場料を払った甲斐があった」 と叫びます。 花の妖精に扮した美女たちが、 それぞれいろいろな花をかたどった カラフルな衣装に身をつつんで、 ファッション・ショウのように、 ひとりずづ舞台に登場し、 くるっとひと周りしては、 観客に笑みを浮かべて、引き下がっていくのです。 「ひさしぶりだなあ。 こんなに美女にとりかこまれるなんて」 学生時代のダンスパーティ以来でしょうか。 「観客のひとりなのに、どうして 美女たちにとりかこまれたの?」 「...いい質問です」 オトーサン、 胸を張ってお答えします。 実は、カメラマンを装いました。 最前列のひとにちょっと挨拶して、 かぶりつきの場所を占拠して、堂々と撮影に及んだのです。 当然、若い娘としては、 「このひと、ひょっとしたら、 世界的に有名なカメラマンかも知れない。 地方紙に掲載されるかも。 あるいは、全国紙にも」 なーんて思ったにちがいありません。 全長25m、巾5mの花の絨毯、 壁を彩るさまざまな花束の展示、 別室での特別展示が日本の生花展。 奥方は、夢中になって、撮影していました。 オトーサンたち、 大聖堂を後にします。 奥方は、にこにこしています。 「フラワー・フェスティバル、 見にきて、ほんとうに、よかったわね」 オトーサン、 答えます。 「うん、なかなかよかった」 実は、奥方の撮影中、美女のまわりをうろうろしていたのです。 「はるばる来た甲斐があったわ」 「うん」


5 ガーデニング・ツアー

奥方が、
ニュージーランド訪問で、
いちばん楽しみにしていたのが、これ。
コンペで優勝した個人宅を訪問するのです。
電話などで予約する必要がありますが、
幸いオプショナル・ツアーに組みこまれています。
「楽しみねえ。
どんな風にしてらっしゃるのかしら」

空港到着後、
HISのガイド、遠山さんに
案内してもらうように手配しました。
時間は、翌朝の9時からお昼まで。
遠山さんは、小柄で小太り。
この地にはじめてきたのは24年前。
スキー選手だった関係でやってきたものの、
芽が出ず、ガイドに転じたとか。
明るくて、気のおけないひとです。
オトーサンが、
「遠山さんに当たって、ラッキー!」
といえば、
奥方は、
「そうよ、
香港のガイドさんとは雲泥の差よ。
あそこはひどかったわ。
5軒もお土産屋さんを連れまわすのよ。
あなたは、土産物屋に連れていこうとしないもの。
エライわ。
いいガイドさんに会えて、ほんとに、よかった」
と上機嫌で応じ、
遠山さんはといえば、
「いや、そうほめられるほどのことはないですよ。
ただ、私はできるだけ、
お客さんの希望通りにするように
心がけているのです」
と照れます。

そうなのです。
遠山さんが、
行き届いたガイドが出来るのは、
今回、案内するのが
オトーサンと奥方のふたりだけだからなのです。
いわば、専属ガイド。
「ウラヤマシイ。
どうすれば、専属ガイドを雇えるの?
高いでしょう?」
「まあまあ、せかさないで。
その話は、ガーデニング・ツアーが終わってから。
あとにしましょう」

「はい、それでは出かけましょう」
遠山さんが最初に連れて行ってくれたのは、
きれいな花いっぱいの工場です。
工場も、倉庫も、事務所も、駐車場も、
みな庭園という感じ。
「サニタリウム社です。
ここは、コンペで毎年優勝しています」
「えっ、企業部門もあるの?」
「ええ、企業部門と個人部門があります」
工場というよりも、まさに公園、
公園と言うよりも、バラ園です。
オトーサン、
日本企業で表彰された緑化工場を思い浮かべました。
費用を考えて、安いつつじを植えてごまかしています。
「何もないよりはマシ」
といった程度のもの。
つつじの花時になると、
きれいというよりも毒々しい感じです。
「ここは、お金がかかっています」
と遠山さんが繰りかえします。

オトーサン、
考えこんでしまいます。
「ビスケットがよほど儲かっているのか、
社長がよほど花好きなのか、
あるいは、よほど受賞のPR効果があるのか」
とにかく、
花好きがお国柄というのは、
すばらしいことです。

オトーサンたち、
20分ほど、写真を撮っていました。
「モネの庭には敵わないなあ」
「でも、ここはタダなのよ」
「それもそうだな」
オトーサンたちは、
有料で来ていますが、
クライストチャーチの市民なら無料です。
町中がきれいなんて、素敵ですよね。

「はい」
どうやら、これが遠山さんの口ぐせのようです。
話題の切り替えの合図。
「はい、次は、5軒並んで表彰されたお宅へ、
ご案内しましょう」
遠山さんのクルマは、日産バネットのバン。
古い型のようですが、
ここクライスト・チャーチでは、日本車が大半、
それも中古車だらけ。
バネットは健在で、
住宅街を気持ちよく走ります。
東京でいえば、日曜日の早朝という感じ。
とにかく、車がすくないのです。

オトーサン、
気になって聞きます。
「この辺の住宅って、いくら位するのですか?」
「600万円くらいでしょう」
「えっ、安いわね」
敷地250坪、スリー・ベッドルームで、このお値段。
日本の都会では、とても考えられません。

また、緑したたる住宅街に出ました。
車もほとんど走っていず、人も見かけぬ静かです。
さらに車を走らせると、
「わーっ、きれい!」
奥方が叫びます。
前方には、2車線の道路と芝生つきの歩道、
塀のない前庭に花が咲き乱れる瀟洒な家々が広がっています。
奥方は、カメラ片手に、忘我の境地。
「ここは、気候がいから植物の生育が早いのね。
花も葉も枝も日本よりもひとまわり大きいわ」
百花繚乱のなかで、ひときわ目立つのが、バラとダリアです。


オトーサン、 ざっとひとわたり見終えると、 感動が薄れて、手持ち無沙汰。 近寄ると、遠山さんが解説してくれました。 「このうちの1軒が賞をとったので、 それに周りの4軒もマネしたのです。 このFAIR FORD ST.にも賞が与えられています」 「へえ、道にも賞が?」 「個人宅同様に市役所に申請するのです」 3軒目は、個人宅。 「はい、次は、ロック・ガーデンです。 90歳のおじいさんがやっています」 バネットがまた快調に走り出します。 またもや静かな住宅街に到着。 「ああ、あれだ!」 やはり、いいお庭は目立ちます。 ちょうど、その90歳のおじいさんが、 前庭の手入れをしているところでした。 腰も曲がっていませんし、長身でハンサム、 黒いジャケットを着るなど、なかなかお洒落れです。 うれしそうに、庭を案内してくれました。 「この庭をつくるのに、 何年くらいかかったのですか?」 「Sixty two Years」 「60年!」 「No! 62年」 山荘にロックガーデンをつくりはじめた奥方の 参考になったようです。 オトーサン、 日本の枯山水の味を加味した 庭のすばらしさに感動しましたが、 それ以上に握手したおじいさんの手の大きさ、 かくしゃくとした姿、 そして庭の前の高級車アウディTTの 流麗な姿にも衝撃を受けました。 「おれも、考えを改めなくてはいかんかなあ。 90歳まで豊かに生きる。 人間、こうあらねば。 それにしても、アイ・アム・ア・ボーイには、参ったなあ」 「はい、 これから伺うのは、 昨年まで連続受賞された ミスター・アンド・ミセス・ディックさんのお宅です」 えんえんと高級住宅街が続いています。 オトーサン、 奥方に話かけます。 「妙なもんだな。 日本だったら、まあきれい!という家が ここでは、どういうわけか汚く見える」 「ほんとにそうね」 「東京でいえば、 このあたり、田園調布の高級住宅街だろう、 それが、手入れをさぼっているみたいにみえる」 「これじゃあ、 近くにきれいなお庭がある家は、気の毒だわ」 遠山さんも会話に参加します。 「こちらじゃ、 芝生の手入れは旦那の仕事なのです。 大変ですよ。 よくやっているダンナさんのことを こちらではキウイ・ハズバンドといいます」 「そうなの」 「....」 オトーサンたち ミセス・ディックに歓待されました。 敷地300坪、 周囲にやや大きな樹木を植えて囲まれ感のあるお庭です。 目立つのは、芝生の上に日陰をつくるように置かれた2つの藤棚。 お花もいろいろですが、夏はピンクが基調色。 黄色は除いているそうで、 しっとりとした落ち着きがあります。 勿論、手入れは十分。 オトーサンたち お庭を見渡すソファでくつろぎます。 一旦中座した夫人が 紅茶と手作りのスコーンやクッキーを運んでまいります。


オトーサン、 夫人に下手なほめかたをすると、 素人と笑われそうなので、 ひとひねりします。 「お庭も素敵ですが、 庭石がピラピカに磨いてありますね」 「....」 遠山さんが夫人の意を汲んで通訳してくれます。 「毎朝、磨いておられるそうです」 遠山さんは、今年になって すでに10組は案内しているとか。 すっかり仲良しのようです。 「いいわね、この椅子」 花柄のソファが4脚あって、すわり心地も抜群です。 こうやって、ゆったり座って、 明るい太陽のもとで、 手入れの行き届いたお庭を眺めるのは、また格別です。 オトーサンたちが、会話の合間に、 ビジター名簿に氏名・住所・感想を記入したり、 1枚1.5ドルのお庭の絵葉書を買ったりしていると、 すぐに至福の時間が経過していきます。 「はい、 そろそろ、引き揚げましょう。 次の訪問者が到着したようですから」 日本人団体客20人くらいが、すでに前庭で待っていました。 「大変ねえ。次から次へとお客様じゃ」 奥方がため息をつきます。 「そうなのですよ。見た目にはいいですが、 近所の方から苦情が出ているようです」 「そうだろうなあ、 次から次へと大型バスが駐車するんじゃなあ」 「奥様、お勤めやめられたようだけど、 あれじゃあ、お勤めしていたほうが楽みたいね」 「何事も、儲けようと思うと、大変だよ」 「趣味でやっているのが一番よね」 「はい、趣味でやっていければ、 ほんとうはいいのでしょうが...」 オトーサンたち、 遠山さんと別れた後、話し合います。 「遠山さんに会えてよかったね」 「ケガの功名だな」 「今から考えて見ると、 申し込みが遅かったのがよかったのかもね」 「それで、団体扱いではなく、 個人旅行扱いになったにちがいない」 そんなことで、 楽しいガーデニング・ツアーを体験できました。 「いいツアーだったなあ」 「ほんとうに素敵だったわ」 でも、奥方はこう付け加えるのです。 「ひとり95ドルは高くない? こちらにお友達でもいれば、タダで案内してもらえたのにねえ」 「....」 女性は、どういうわけか、 夢から現実への切り替えが早いようです。


6 エイボン川、水清く

オトーサン、
クライストチャーチで、
エイボン川に出会えて、
つくづくよかったと思います。
「都市の品格は、川で決まるよなあ」
パリにはセーヌ川、
ロンドンにはテムズ川、
ローマにはテーベ川、
ニューヨークにはハドソン川など、
都市には名の知れた川がつきものです。
東京なら、多摩川でしょうか。
それとも、墨田川?
どちらもコンクリートの護岸で
水も汚れています。
そこへいくと、エイボン川は、
水がきれいで、水際まで芝生がひろがり、
市民生活に溶け込んだ川でした。
こんな出会いは、はじめてでした。
「この年になるまで、
世界中でいろんな川を見てきたけれど、
こんなにいい川があるとは思わなかったなあ」

エイボン川は、
クライストチャーチの中心を流れる
全長26kmの川です。
川幅はせいぜい20mくらい。
水深は60cmほどでしょうか。
澄んでいて、川底がみえます。
特筆すべきは、自然堤防で、
コンクリートの堤防のないこと。
川辺には柳がずうっと植えられていて、
これが根を張って、堤防の役目を果たしているのです。
エイボン川は、
市内の公園を縫うようにして流れています。
ハグレー公園、これは55万坪、
東京ドーム38個分の大きさです。
ヴィクトリア広場、
そしてボナベールへと。

遠山さんは、
このエイボン川の最も美しい場所
ボナベールに案内してくれました。
川の向こう岸には、美しい邸宅が続きます。
両岸に花が咲き乱れています。
柳の大木が並び、葉が川面に垂れ下がっています。
「はい、ここは、1.3万坪あります。
大富豪のアニーさんの庭園だったのですが、
それを市に寄して、いまは公園になっています。
じゃあ、私はこの先のほうで待っていますから、
川辺をゆっくり散歩してください。
時間のほうは気になさらないで」

オトーサンたち、
呆然として川辺に立ち尽くし、
それから我に返って写真を撮りまくりました。
「この柳、日本とはちがうわね」
「これを見ると、銀座の柳が気の毒に見えるなあ」
Weeping Willowといって、
美女が豊かな長い髪を垂らして、
さめざめと泣く姿を彷彿とさせるところから、
この名前がついたのでしょう。
重たい葉先がいまにも川面につきそうです。

翌朝、
オトーサンたち、話し合います。
「モナベールはよかったなあ。
確か、あの最後のほうにレストランがあった。
あそこで昼食をとろう」
「いいわよ」
奥方もふたつ返事です。
早速、ガーデニング・ツアーの終わった後、
すぐに出かけました。
「何度見ても、ここはいいなあ」
アルバイトの青年でしょうか、
瀟洒な家の芝生や柵の手入れをしています、
オトーサンが、
上機嫌で「ハーイ!」と言うと、
笑顔で手を振ってきます。               

「こちらのひとは、擦れていないなあ」
「昨夜の女のひとも親切だったわ」
ショッピングモールを探しに、
ホテルを出て、夜道に迷いました。
ひとっこひとりいない場所です。
ようやく中年女性に出会って、道を聞くと
先に立って案内してくれたのです。
その間5分。
「俺なんか、自慢じゃないけど、
銀座で新橋演舞場はどこですかって聞かれて、
間違って正反対の方向を教えてしまったもんなあ」
「銀座の宝くじ売場のおばさんもひどかったわよ、
ここじゃ、道なんか教えてあげても、
誰も礼のひとつも言わないのだから、
あんた、自分で探しなよ。
...ほんとうに、そう言ったのよ」

オトーサン、
「ここだ、ここ」
バラ園のほうに行きかける奥方を呼び止めます。
もう午後12時半。
空腹です。
瀟洒なレストランが
奥まった森陰にあります。

オトーサン、
「お庭のほうがいいかな」
食堂を突きぬけて、
芝生越しにエイボン川が流れている
岸辺のテラスに向かいます。
幸いにも1ケ所だけ
パラソル付きのテーブルが空いていました。
腰を下すやいなや、
カモがよちよち歩きで数羽やってきます。
「分かってるなあ」
「ポップコーン、持ってきたわよ」
食事がくる前に、
オトーサンたちの回りは、
公園中のカモのパーテイ会場に化けてしまいました。
「目がいいのね。次々に飛んでくるわ」
みんながオトーサンたちを見ています。
「ねえ、やめましょうよ」                                 


食事のあと、 レストランの庭先が パンテイングの船つき場という うれしい発見をして、 すぐに申し込みに行きました。 パンティングという名の川遊びを体験しようというわけ。 午後1蒔半から30分。 30ドル。 予約もしてないのに、運良く席がとれました。 それも2人だけの貸切り。 オトーサン、 最初にパンティングという耳慣れない言葉を聞いたとき、 妙な連想をしました。 「パンティング? それって、もしかしてパンツの脱がせっこ? それとも、野球の打撃のこと? いや、ゴルフのパッティングのことかな?」 と奥方に言って顰蹙をかいました。 「俺、この年になるまで、 パンティングなんて、知らなかった」 オトーサン、 これまで、その長い人生で いろいろなことを体験してまいりました。 ライン川では船遊び、 水の都ヴェニスではゴンドラを楽しみました。 日本では、長良川の鵜飼い、天竜下りなども経験しました。 カヌーも、四万十川は、まだですが、 何回か愉しんだことがあります。 昨年は、アラスカでラフティングも体験しました。 こうして数え上げてみると、 川遊びにもいろいろな形があるものです。 ここニュージーランドでも、 ラフティングや ジェットボートといった 新しい川遊びが人気を集めています。 外国で目新しいものがあると、 すぐ採用したがるのが日本人ですが、 このパンティングだけは、まだのようです。 「というか、永久に無理だよなあ」 オトーサンがそういうと、 奥方は、聞いているのか、いないのか、 (聞いていないのでしょうな) 「きれいねえ。 楽しいわねえ。 ヴェニスのゴンドラよりもいいわあ。 これが日本だと、人気が出て、 花見時の千鳥が淵のボート場のように 満員状態になっているところね」 奥方が、ひとり感に耐えない声を上げております。 オトーサン、 ちゃんと聞いていて、 「そうなんだよなあ」 と合意します。 日本の川が豊かになるためには、 たった3つの条件を満たせばいいのです。 でも、それは永久に不可能に思えるのです。 1)人口が少ないこと、 2)自然が豊かなこと、大切に扱うこと 3)市民生活を大事にする政府があること オトーサンたち、 舟遊びを愉しんだあと、 エイボン川沿いに、 ハグレー公園を散歩しました。 どこまでも芝生が広がっています。 あちこちに数多くベンチが置かれて、 お年寄りや子供連れの家族がくつろいでいます。 カモがのんびりと泳いだり、 芝生広場にひょいと上がってきて、 運がいいと餌にありついたりしています。 まさに水鳥たちの天国です。 さらにいえば、老人天国です。 奥方がうっとりしています。 「この街、いいわねえ。 お花がいっぱいだし、 空気はさらさらしているし、 物価も安いし、 医療費もタダだっていうじゃない。 あたし、ほんとに、 この町に住みたくなってきたわ」 オトーサン、 内心、おびえます。 「...そうはいっても、先立つものがなあ」 でも、ここは自己防衛のために 何か発言しておかねばなりません。 そこで、どこかの国の政治家のマネをします。 「うん、そうだな。 あとしばらくは、日本で暮そうや。 それまで、じっと日本で我慢しようや」 この発言のポイントは、 「しばらく」にあります。 しばらくといったって、 数年か、数十年か、数百年か、 言質をとられぬように期間を明示しておりません。 ですから、証人喚問されても、だいじょうぶなのです。


7 善き乗客達のバス

オトーサン、
翌朝は、5時半に起床。
当然、外は真っ暗。
「日本時間だと、午前1時半か。
普段なら寝ている時間なのになあ...」
ちらっと浮んだ想念を消し去ります。
「今日は、このクライストチャーチから
はるか南方のクイーンズタウンまでいくんだ。
シャキっとしなくては」
迎えのバスが6時半にやってきます。
それまでに、奥方を起こし、荷づくりし、
朝食をとらねばなりません。

オトーサンたち、
7時間半に、街の中心で、
日本人客を集めてきた大型バスに乗りかえさせられました。
「ありゃ、満員だ。席がない!」
ガイドさんが横に座る最前列しか残っていません。
「眺めはいい。こりゃ、ビデオ撮りに最高だ」
喜んだものの、生命の危険があることに気付きました。
バスは、
関東平野くらいの広さのカンタベリー平野をぬける
国道1号線をひた走るのですが、
常時時速100km。
高速道路なのでしょうが、
片側1車線でフェンスがありません。
ですから、対向車がやってくると、
スリル満点です。
オトーサン、
思わず目を閉じます。
「おおこわ。シートベルト、つーけよ」
ベルトをさがしたのですが、ありません。
どの会社のバスか知りませんが、
とんでもないことです。
HISもノーチェックでチャーターしているようです。
「まあいいか、
人間、死ぬときは死ぬ。
運のいいヤツは、生き残るときは生き残る」
そう覚悟を決めて、撮影に専念しました。

ところが、単調な1本道が続くだけ。
見渡す限りの平野、ビルはおろか家もなし。
バスの左右、先方・後方に、
草原がえんえんと広がっております。
「これじゃあ、フィルムの無駄使いだ」
オトーサン、撮影を中止しました。
かといって、ベルトなしでは
万一のこともあるので、眠る気にもなれません。
右手に座ったガイドさんのほうをみると、
マイクを手にベテランのようにしゃべっていますが、
ときどきシートに置いたマニュアルに目をやっています。

オトーサン、
景色にあきたので、
ガイドさんの研究を開始します。
「このひと、新人なんだ。
年はいくつ位かな、うちの娘くらいかな。
結婚してるかなー。
そうか、話の様子では離婚したばかりなのかも。
どうしてニュージーランドに来る気になったのかなー
どうして、別れちゃったんだろうなー」

オトーサン、
今度は、後方を振りかえってみました。
乗客の構成は、
老人が8割、若いひとが2割、
女性が8割、男性2割といったところでしょうか。
まあ、裕福そうなひとたちです。
「まさかハイジャック犯は、混じっていないだろうなあ」
ひとりひとりチェックしましたが、
悪人は、ひとりもいそうもありません。
全員、善いひとばかりのようです。
「それにしては、ガイドさんの説明を聴いてないな。
失礼じゃないか」
みんな実に気持ちよく寝ているのです。
最初の頃は、
「あっ、羊の群れ」
「可愛い!」
「昨日、羊の毛の剪定したのよ」
「どの位時間かかった?」
「???」
「へえ」
なんていう声が聞こえたり、
聞きとれなかったりしていたのですが
もう景色にも会話にも飽きたのでしょう。
早起きしたので、眠くなったのでしょう。

オトーサン、
「ふーん、羊の数が減ってきているのか」
なーんて、相槌を打っていますが、
それにも飽きてくると、
ついガイドさんに質問したくなりました。
事前に羊の頭数の推移について調べたのですが、
なかなか分からなかったのです。
「いま、キミがさあ、
えー、1980年の8000万頭が最高でして、
現在は、4500万頭にまで減りましたと言っていたけれど、
その数字、本当かい?」
「.....」
どうやらガイドさんのひんしゅくを買ったようです。

オトーサン
そばで寝ている奥方に、毒づきます。
「せっかく高いお金を払って
ニュージーランドまでやってきたのに、
ずっと寝てるってこたぁないだろう」
「.....」
どうも膨大な羊の数を数えるのに疲れて
眠りが深いようです。

ガイドさん、
乗客がぐっすり眠っているのに、
職業上の義務を遂行しております。
「えー、みなさま、
ここニュージーランドでの
羊1頭のお値段、ご存知ですか?」
オトーサン、
誰も答えないので、仕方なく答えます。
「知りません」
「....」

ガイドさん、
「えー、ここニュージーランドでは、
近年、需要の低迷で、羊が売れなくなってきたので、
最近は、鹿牧場が増えてきております。
みなさん、鹿のお値段、ご存知ですか
オトーサン、
「鹿は、売り物ではありません」
ガイドさん、
「えー、何と1頭あたり10万円で売れるそうです」
オトーサン、
ついに我慢ができなくなって、
奥方を起こします。
「ほら、鹿がいるぞ」
奥方、目を覚まして
「あら、可愛い、ああ可哀そう」
すぐ眠ってしまいます。

ガイドさん、
オトーサンの妨害にもめげず、
ひとり説明をつづけております。
「えー、羊にはいろいろな種類がありまして、
左手に見えておりますのは、ロムニ種です。
羊肉と毛皮が取れます。
本日の午後にはこのバスは、高地に入りますが、
そこでは、みなさん、ご存知の通り、
メリノという羊が飼われております。
えー、この羊は、厳しい自然条件にも耐え、
良質な羊毛を生み出すことで知られております。
みなさん、メリノの毛で編んだセーターを買われましたか?」
オトーサン、
「いいえ、まだ買っていません」
「...」

オトーサン、
奥方に小突かれました。
いつの間にか、起きていたのです。


2時間後、 善き乗客たちを満載したバスは、 ようやく国道1号線を右折し, カーブも混じる8号線へと入っていきました。


8 善き羊飼いの教会

オトーサン、
「おお!」
撮影を再開します。
前方に、南アルプスの白い輝きが見えてまいりました。

「南アルプス? お前、日本にいるのか?」
北岳、甲斐駒ケ岳に劣らぬ3000m級の山が
ここ南島の背骨となり、風景となっているのです。
名前は、ニュージーランドでも、
おなじく南アルプス。
アルプスといえば、スイス国境の秀峰が
本家、本元、元祖、家元です。
日本でいえば、みんなが
富士山と命名したがるのと同じです。
「利尻富士、津軽富士、尾張富士、讃岐富士...
それに、東富士、北の富士、千代の富士...
失礼、これは大相撲の親方の名前でしたっけ」
でも、これからは、間違いの起こらぬように
「南アルプス」ではなく、
「サザン・アルプス」とよびましょう。

「うるさいわね、あなた」
「しょうがないだろう、カーブなんだから」
そうなのです。
カーブの多い地形になったので、
サザン・アルプスを
きちんとビデオのフレームに収め続けようと、
オトーサンは涙ぐましい努力を続けているのです。
「キレイねえ。南アルプスを思い出すわね」
ようやく目が覚めてきた奥方が、
とんちんかんな感想を漏らします。
ソルトレイクシティ・オリンピックでの
どこかの国の選手のように、周回遅れ。

オトーサン、
「もう、キレイはいいの、
オレ、南アルプスとはいわないことにしたの」
そう言いたいのをグッとこらえて、
「あのさ、平野に点々と生えているモジャモジャの潅木、
分かるだろ、な。そうそう、あれだ。
ここの原住民のマオリ族が、
あれから刺青の原料をとるんだってさ」
「ほんと、減量に役立つの?」
「...」

オトーサン、
半覚醒状態の奥方を相手にするのは
やめることにしました。
代わりに、ガイドさんに話しかけます。
「あの木、トゲだらけみたいですね」
「そうなんですよー。
羊があの木の間を通りぬけようとして、
よく毛がこんがらがって身動きできなくなって、
死ぬことがよくあるそうです」
「羊飼いは、見回っていないの?」
「でも、この広さでしょう」
「そうか」
奥方がそばで完全に目覚めています。
作戦成功です。
「羊飼いって、楽な商売ねえ。
草は勝手に生えてくるし、
羊の見回りも犬に任せておけばいいんでしょ、
何もしないでいいんだから」
「そんなことないだろう。
森林を切り開き、牧草地にするまでに
大変な苦労をしたんだ」

ガイドさん、
「えー、みなさま、お目覚めになってくださーい。
そろそろ窓の外に、テカポコが見えます」
オトーサン、
「デコポコ?何じゃい?」
ガイドさん、
かまわず説明を続けます。
「ほら、右手に見えるのが、青い青い湖ですよー。
海抜710mのところにありまして、
巾は5km、長さ25kmの細長い湖です。
お目覚めになってくださーい。
テカポ湖でーす」
乗客、
「うわー、キレーイ」
「きれいねえ」
「きれいですねえ」
「ほんと、きれいですね」
オトーサン、
毒づきます。
「オマエら、ボキャブラリーがないんか」

オトーサン、
奥方がまだ目をつぶっているので、
ゆさぶりまます。
「ほら、起きろ。
湖が見えるよ。トルコブルーに輝いている」
奥方、
宝石には無縁の方ですが、
興味がないわけではありません。
「えっ、どこどこ? まあ、きれい!」
オトーサン、
仕方なく、つきあいます。
「うん、きれいだろ」

カンタベリー平野から山地へ入ると、
雲ひとつないぬけるような青空が次第に曇ってきて、
いまは、鈍色の曇り空です。
ひろがる牧草も茶褐色。
その荒涼とした風景の下で、
テカポ湖(Lake Tekapo)だけは、真っ青に輝いているのです。
「五色沼みたいね」
ガイドさん、
「みなさま、不思議に思われるでしょうが、
この青緑色は、氷河に押し流されて、
砕かれた岩石の微粒子が湖に浮んでいるからなのでーす」
オトーサン、
「きれいだなあ」
奥方、
「きれいねえ」

ガイドさん、
「みなさん、善き羊飼いの教会に着きましたよー。
では、これから15分停車しますので、お写真をお撮りください。
トイレは、左手のほうにありまーす」
オトーサン、
「降りるかい? ここ、何もないようだけど。
ああ、あそこに、1軒家がある」
奥方、
「何、とぼけたこといってるのよ。
るるぶに出ていた有名な教会じゃないの」

善き羊飼いの教会は、
開拓時代の羊飼いたちの苦労をしのんで
1935年、テカポ湖を望む湖畔に
地元民が建てた簡素な石造りの教会です。
評判の窓からみる湖の景色を一目見ようと、
世界中から観光客がはるばるやってきます。
かれらは、あわただしくバスから降りて、
教会へ殺到し、内部に入って、
フラッシュをたいたりするのです。

ところが、
正面の窓に近寄り、
ちょうど一巾の絵画のような光景を目にして
凍りつくのです。
太古からある風景、氷の山並みと青い湖がひろがっています。
そこに、祭壇に置かれた十字架が重なって...
みんな静かになります。
敬虔な気持ちになります。
では、善き羊飼いの教会の窓からの風景をごらんください。


オトーサン、 教会から出てきて、考えが変わりました。 神の子羊のようになりました。 「この湖畔に泊まって、 夜空を見上げたらいいかもなあ。 サザン・クロス(南十字星)がよく見えるだろう」 でも、そこはオトーサン、 すぐ本来の俗人に立ち返ります。 「そうだ、ここで娘たちが結婚式をあげたらいいかも。 料金が3万円というのは安いなあ」


9 マウント・クックは、いずこ?

オトーサン、
「腹減ったなあ。昼飯は、まだか?」
とぼやきます。
ガイドさん、取り合ってくれません。
「えー、みなさま、右手に見えてきたのが、ブカキ湖でーす」
「ブッカキ氷ってわけか」
「この湖もテカポ湖と同じように青い色をしています」
「....」
乗客は、
右に見えたり、左に見える
青い湖面に飽きてしまっています。
ここは、ガイドさんの頑張りどころです。
「えー、みなさま、この湖を利用して、
水力発電がなされておりまーす。
ここ、ニュージーランドでは、
エネルギーの8割が水力発電で、
しかも、そのうちの8割を、
この湖の発電所でつくりだしております」
乗客、
「...」

ガイドさん、
「そして、最近、ニュージーランドは、
原子力発電をやめることにしました」
乗客、
「へえ」
「いいわね」
「日本も、そうしたらいいのにね」
ガイドさん、
「この先の大きな湖面が、ダムです。
この下にひとつの村が沈んでおります」
乗客、
「...」
オトーサン、
日本のダム建設で沈んでしまった村の人々が
離散して悲惨な暮らしを送っているのを思いだしました。
「この村のひとたち、今頃、どうしてるんだろうなー」

12時、バスは右に折れて、
80号線に入り、マウントクックへと向かいます。
あと55kmの標識がありました。
前方に霧がたちこめてきました。
クライストチャーチの
朝の雲ひとつない青空がウソのようです。
「腹減ったなあ。食事はいつになるの?」
オトーサン、
たまりかねて、
再び、ガイドさんに聞きます。
「....」
五里霧中とは、このことです。
「このバス、
とんでもない方角に
向かっているのではないか?
すでに、ハイジャックされているのかも」
オトーサン、
空腹で、疑いっぽくなってきました。

ガイドさん、
「えー、みなさま、マウントクックの高さ、ご存知ですか?」
オトーサン、
「知りません。確か、富士山より低かったかと思います」
ガイドさん、
「えー、みなさま、マウントクックは、標高3754m、
ここ、ニュージーランドで一番高い山でーす。
このあたりは、屈指の雨量を誇るところで、
年間の降雨量は、4000ミリを超えます。
1年のうち、149日が雨、
200日はマウントクックを見ることができません。
どうやら、今日は、マウントクックが恥ずかしがって、
みなさまに、顔をみせないようでーす」
オトーサン、
「うまいこと逃げるな、旅行社は。
それを最初に言ってくれれば、
はかない期待もせずにすんだのに...」
ガイドさん、
「今日は、ダメのようですね。
マウントクックの遊覧飛行を申しこまれた方、
どなたでしょうか。
はーい、分かりました。
後ほど、代金をお返しいたします」
オトーサン、
「返金するのか、まあ良心的だな」

12時20分、
バスは、ようやくマウントクックの麓に到着。
「えー、みなさま、お待たせしました。
これから、ここの山荘のレストランでお昼食をとります。
午後2時半のスタートになりますので、
2時20分には、必ず、このバスにお乗りくださいネ」

オトーサンたち、
満員の食堂で並んで昼食を注文し、
ようやく席をとって、昼食をすませ、
雨で山も氷河のよく見えないので、
しかたなく、お土産物屋で時間をつぶしました。
それも、飽きて、床に座りこんで、
ガイドブックの地図をぼんやり眺めます。
「ありゃ、クック海峡がある。
これって、もしかして、
おなじクック船長から採ったのかな」
奥方、
「この前、アラスカに行ったとき、
アンカレッジのそばのクック入江を通ったわよね。
あのクック船長と同じひとかしら?」
オトーサン、
目を皿にして、ガイドブックの記述を読みます。
「おい、もしかしたら、
この国の名前、ニュージーランドでなく、
クックランドになってたかも知れないぞ」
奥方、
「....」
オトーサン、
「1642年の12月13日、
アベル・タスマンが、
この国を発見して、
故郷の州の名前をつけた。
オランダ語で、Nieuw Zeeland、
それを英語読みして、New Zeeland」
奥方も、
不機嫌になっているのでしょうか。
「そんなこと知ってるわよ」
オトーサン、
「それじゃ、アテアロアって知ってるか?」
奥方、
「マリオ人の言葉で、この国のことをいうんでしょ」
オトーサン、
「へえ、おまえ、よく勉強してるなあ。
じゃ、どういう意味なんだ?」
奥方、
「長く白い雲のたなびく地でしょ」
オトーサン、
「....」

オトーサン、
しばらくして、
気を取り直し、
態勢を建て直してから、
奥方を相手に、ぼやきはじめます。
「つまんねえの。
ここは、白い雲に閉じ込められたような場所だな。
うちの娘、ここに来たって言ってなかったか?」
奥方、
「たしか、
あの子、ハーミテージ・ホテルに泊まったって
言ってたわ」、
オトーサン、
「それって、
あの丘の上の高級リゾートじゃないのか?
そうだ!
フッカーバレーとかいうところまで、
日本語ガイドつきで行ったって言ってた」
奥方、
「天気も良かったらしいわ
吊り橋を渡って、氷河湖まで行ったそうよ」
オトーサン、
「けしからんなあ、...ほんとに、けしからんなあ」

そんなことで、
時々、霧が晴れるのですが、
結局、マウントクックは、展望できず、
オトーサン、
文字通り、失望しました。


10 羊たちの沈黙

オトーサン、
ふたたびバスにゆられての長旅モード。
「一体、いつになったら着くの?」
ガイドさんに聴こうと思いましたが、
いつの間にか、新しいガイドが横に座っています。
これまでガイドの女性は、クライストチャーチに引き返すようです。
「経費節約ってわけか」
新しいガイドは、歳の頃、30台後半のクールな男性。
「エイジといいます」
その自己紹介の仕方にしても、
ガイドの内容も、ちょっと投げやりな感じがします。
「また、羊の話かよー。ダブらないように調整しとけよなー」

オトーサン、
それでも、2度聞かされたおかげで、
ラム(lamb)とラム(ram)とマトン(mutton)の区別がつくようになりました。
・ラム(lamb)...12カ月未満の子羊
・ラム(ram)...去勢されていない雄♂
・マトン(mutton)...去勢された雄♂と雌♀
オトーサン、
記憶するために、つぶやきます。
「そうか、ラム(lamb)は、子羊で、
ラム(ram)は、オレみたいなもんだ。
いや、オレは、マトンのほうかも。
長い間の会社勤めで、だいぶ去勢されたからなあ。
マトンは、ペットフードにされる運命にあるのか。
それにしても、皆殺しかー、
可哀想といえば、可哀想だなあ」

長旅の疲れに昼食後とあって
乗客のほとんどは、コックリコックリ。
車内は静かなものです。
なかには、口を開けて寝ている女性も。
寝ていると、みな邪気のない子羊に見えなくもありません。
童心に返って、子羊のように草をはんでいるのでしょう。
「めー、めー、森の子羊...」

エイジがつぶやくように早口で説明をはじめました。
「前方を走っているのが、羊の運搬車です。
4段積みになっています。
1段に150頭ですから、1両に600頭、
2両連結ですから、1200頭を積載しています」
オトーサン、
聞き漏らして、
「えっ、いま、何といった?
1段に、何頭積むって?」
エイジ、
「150頭です」
オトーサン、
「フーン、ありがとう」
エイジ、
「いまは、キラー・シーズンなのです」
オトーサン、
「いまが何だって?」
エイジ、
「羊を大量に殺す季節です」
オトーサン、
「えっ!」
前方の赤茶けた運搬車の隙間から羊の顔が覗いています。
前途に待ち受けている運命を知るや知らずや、
おとなしいものです。
映画の題名を思い出します。
ひとりひとり犠牲者が殺されていく名画で、
名優、アンソニー・ホプキンスが好演していました。
これで、アカデミー主演男優賞を受賞したのです。
「そうか、...羊たちの沈黙か」

オトーサン、
エイジに聞きます。
「ところで、あんなに詰めこんで、だいじょうぶなの?」
エイジ、
「どうせ、すぐ殺されるのですから」
オトーサン、
ナチの強制収容所のことを
思い出してしまいました。
「そうか、ニュージーランドは、
羊を大量に虐殺し、加工し、冷凍して、
日本に輸出しているんだ」

エイジが乗客に質問します。
「こちらでラムを食べた方、いらっしゃいますか?」
どこかのおばさん
「食べたわよー。ここのは、やわらかくて臭くないのよー」
「日本では、ラムだといって、マトンを食べさせられてるのかもね」
「調理の仕方を工夫しましょうなんて、失礼しちゃうわ」
おばさんたち、神の子羊どころか、
百獣の王みたいになってきました。


11 カーチェースに沈黙

オトーサン、
「この国では、運転、楽そうだなあ。
クルマは少ないし、日本と同じ左側通行だし、
交通マナーもよさそうだし」
前方に真っ直ぐ伸びる2車線の道路をみながら、
率直な感想を述べます。
エイジ、
「面倒なのは、ラウンドアバウトだけですね」
オトーサン、
「ラウンドアバウトって、何?」
エイジ、
「....」
聞こえないふりをしています。

奥方が肘をついて、
小声でアドバイスしてくれます。
「ガイドブックに出ていたわよ」
オトーサン、
ガイドブックを読みました。
「ロータリーがどうだこうだ書いてあるけど、
よく分んねえな」
奥方、
「あなた、パリで運転したでしょ。
凱旋門をぐるっと1回りしたでしょ。あれよ」
オトーサン、
思い出すと、いまでも息がつまりそうになります。
「そうか、あれは、恐かったなー。
危うく側面衝突しそうになった。
一歩間違ったら、オレも、
ジェームス・ディーンと同じように、
首の骨を折るところだった」
奥方、
「何も、自分を青春スターに例えることは
ないでしょ」

ご紹介が遅れましたが、
バスの運転手は、Jamesさん。
さっき乗車前に、
オトーサンが、
"Good Job ...Hard work  "と声をかけたら、何と、
"Call me James Dean"と答えた愉快なおじさんです。
クライストチャーチから、ずっと運転し続けています。
ジェームス・ディーンが生きていて、歳老いたら、
こんな感じになったのでしょうか。
...絶対ならないでしょう。
でも、細身のところ、細長い顔だけは、似ています。
疲労の色が濃くなっています。
ときどき、首を回したり、肩を叩いたりしています。

オトーサン、
「こんなときが、一番、危ないんだよなあ」
ちょうど、その時、
後ろから追いついてきた黄色いクルマが、
ムリな追い越しをしかけてきました。
「危ねえなあ。往復2車線の道路だぞ、
向こうから、クルマがきたら、お陀仏じゃないか」
「危ねえ、バカやロ!」
前方からクルマがやってきたので、
追い抜きかけて急ブレーキを踏んでいます。
その後、あっという間に、バスを抜き去りました。
あやうく事故に巻き込まれるところ。

Jamesさん、
さすがに頭に来たようです。
ぴったりと黄色いポルシェの後ろにつきます。
車間距離は、おそらく1mもないでしょう。
大型バスが迫っているのですから、
前のポルシェのドライバーへの威圧感は相当なものでしょう。
まさに、映画のカーチェースのようになってきました。

オトーサン、
ひやひやします。
「ジェームス・デイーンが死んだとき、
乗っていたのは、買ったばかりの
ポルシェ・スパイダーだったな」
この際、どうでもいいことを考えます。
「これが、もし映画だったら、
乗っていたジェームス・ディーンが
振り返って、にやっと笑ってから、
崖から転落していったかもなー」
それとも、大型バスのほうを転落させて、
ジェームス・ディーンがにやっと笑うほうが受けるかも。

「危ねえ!」
ポルシェ、後ろからバスにピッタリつけられたものですから、
ムリヤリ、前を走っている古いセダンを追い抜こうとしています。
5分後、それに成功して、
その姿は、森のなかに消えてしまいました。

オトーサン、
奥方に囁きます。
「おい、あいつ、150kmは、出してたぞ。
このバスも130km出してたし...」
「.....」
沈黙しているところを見ると、
奥方もよほど恐かったのでしょう。
「そうだよなあ、
おれたちだけ、シートベルトないんだもの」

ちなみに、
ニュージーランドでの制限速度は、
市内は50km、
郊外は70km、
その他は、100kmで、
しょっちゅう、パトカーの姿をみかけました。


12 トイレ休憩

オトーサン、
腕時計を見ます。
「もう午後5時か」
東京の冬なら、もう薄暗くなってきますが、
こちらは、まだ真昼の明るさ。
「天気もよくなってきたなあ」
「...そう?」
奥方は、まだ、眠たそうです。
前方には、青空も見えてまいりました。
大分、山を下ってきたようです。
周囲は、なだらかな丘に変わってきました。
「ほら、ポプラ並木がきれいだぞ」
「...そう?」
奥方、まだ眠たそうです。
いつもなら、飛び起きて、
「あら、札幌のポプラ並木みたい!素敵ね」
などというはずなのです。

エイジが、
めずらしくしゃべり出します。
「前方に、大きな果物の看板が見えます。
フルーツの町、クロムウェルにやってまいりました。
ここのミセス・ジョーンズさんのお店でトイレ休憩を取ります。
出発は、5時30分です」
オトーサン、
「おい、起きろよ」
奥方、
「...トイレはいいわ」
まだまだ眠そうです。
オトーサン、
「ほら、いろんな果物を売ってるぞ」
奥方、
バスの窓から、となりにバラ園もある
大きなファーム・ストアを目にするや、
物も言わずに、
バスから降りていきます。

日本でいえば、
山梨がブドウや桃の産地で有名です。
収穫の季節になると、
国道沿いに、売店がたくさん出て、
姉さんかぶりの女性が呼び込みをしたりして、
それは楽しいものです。

オトーサン、
奥方が、どこかへ消えてしまったので、
探し歩きます。
店のなかは、数台のバスを降りたおばさんたちで大賑わい。
「大きな店だな。この辺には、1軒しかないのかな」
何しろ、田舎ですから、店なんか、あまり見かけないのです。
どこかの町を通過するときに、
女性ガイドさんが、
「えー、みなさま、ここが繁華街です」
みると、ガソリンスタンドが1軒、パブが1軒だけでした。
それが、田舎の標準的な風景です。
あとは、広大な牧場や牧草地がえんえんと続くだけ。
そういう目で見ると、
このミセスジョーンズさんのお店は、
銀座4丁目の三越のように見えなくもありません。

「ふーん、こりゃまた、いろいろな果物を売ってるなあ。
リンゴだろ、オレンジだろ、モモだろ、バナナだろ...]
こんな紹介をしていると、馬鹿にされそうです。
「そんなの、あたりまえだろ。日本の果物屋と同じ」
そうでした。
「キウイ、ブドウ、ネクタリン、アプリコット、アボカド、
アジア・ナシ、ヨーロッパ・ナシ、フェイジョア...」
そんな風に、珍しい果物もいくつかあるのです。
野菜もいろいろ並んでいます。
知ってる野菜も数多くありますが、
みな、一回り大きいのです、
また、「これは珍しい、何という名前なんだろう?」
というのもあります。
また、ドライフラワーがたくさん飾ってあり、
蜂蜜の瓶もたくさん棚に並んでいます。
オトーサン、
HOKEY POKEY(注1)を
買うだけにしておこうと思ったのですが、
一通り見て回わっているうちに購買意欲が湧いてきました。
「そうか、この国は、果物天国なんだ。
熱帯の果物も、温帯の果物もある。
英国が、この国を果樹園に仕立てようとしたんだ」
運転手のジェームスも買いこんでいます。
「そうか、事情通のかれが買うのなら、
この店の果物は、間違いないかもしれない。」
そう思って、買ってしまいました。

5時半。
バスのなかで、奥方と再会しました。
「おまえ、どこに行ってたんだよ」
「あなたこそ、どこに行ってたのよ」
「買い物して、トイレに行った、そういうオマエは?」
「トイレに行って、買い物していた」
やったことの順番が違うだけでした。
女性のトイレは長いので、順番待ちになるのです。
その間、オトーサンは、お店にいて、
奥方がお店にきたときは、
オトーサンは、トイレにいたというわけ。
すれちがいでした。

オトーサン、
奥方に聞かれます。
「どうして、そんなに長く男性トイレにいたの?」
「.....」
オトーサン、
実は、この国の行き先々のトイレが
みな清潔で、なかには変わったのもあるので、
撮影していたのです。
こういうことは、
ガイドブックには載っていないので
読者のあなたにだけ、小声でお話しましょう。
「どう変わってるって?」
「1m位の高さに、巾3m、奥行き30cmの
平らなステンレスの板がポーンとあるの」
「ほかには何もないの?」
「そう、恥ずかしいの」
「じゃあ、尿も、もしかしたら、手前に流れてくるかも」
「ところが、実によく出来ていて、
わずかに斜めになっているのか、あちら側に流れていくの」
「ほかには?」
「玉があるじゃない」
「玉って?」
「ほら何っていうの?男性用の便器」
「金かくし」
「そう、それって、子供用と大人用と高さが違うじゃない」
「そりゃそうだ、高いと子供は届かないもの」
「そう。でも、大人だって、身長がちがうじゃない、
そうすれば、当然、玉の高さもちがう」
「股下何センチっていったら」
「そうそう、それで、子供用から背の高いひと用まで
いろいろな高さに取り付けてあるの」
「へえ、それって、アイディアだね」
「うん、ちっとした話題になるでしょ。
費用もかからないし」
「村おこしの話題づくりにいいかもね」
「トイレの楽しい町とかなんとか言っちゃって」

奥方が、突然、聞いてきます。
「あなた、何を買ったの?」
膝のうえに置いたビニール袋を覗きこみます。
オトーサン、
あらぬ空想にふけっていたので、
何だか、股の間の小袋を覗き込まれているようで、
こそばゆい気がしました。

小袋を開きます。
買ったのは、
リンゴ1ケ、
ネクタリン2ケ、アプリコット2ケ、
キウイ2ケでした。
いすれも小ぶりのものです。
「そんなに買ってどうするのよ?」
「ほら、ホテルからのフルーツの差し入れってあるだろう、
今回は、格安旅行だから、自分で差し入れるの」
「...」
「で、お前は?」
「ドライキウイと蜂蜜よ」
奥方が得意そうに、
これまた膝のうえ、股の間でみせてくれました。
奥方の解説によると、
お土産用にキウイグッズがいろいろあるけれども、
キウイワインは重たいし、
キウイ石鹸とキウイジャムは、どこでも売ってるので、
このドライキウイは、掘り出しものだそうです。
また、蜂蜜には、
COMB HONEYとMANUKA HONEYの2種類があって、
前者は、巣をそのまま固めたもの、
後者は、ハーブ入りで薬臭いものの、美容にいいとか。
いずれも珍しいものなので、
お土産によいそうです。

注1)HOKEY POKEYは、こちらのアイスクリーム。
キャラメルの破片が入っていて、なかなかのもの。
日本では、まず、売っていません。


13 バンジージャンプ

オトーサン、
「おいおい、また山に逆戻りかよ。
せっかく、山を下ってきたかと思ったのに」
奥方、
「....」
まわりは、日も射さない険しい岩肌の連続。
眼下はるかに岩をかむ渓流がみえます。
「おい、きれいだそ」
奥方は、またうつらうつら。
「....」

エイジがめずらしく長々と説明をはじめます。
「右手下に、見えておりますのが、
ローリング・メグ発電所です。
19世紀末に、このカワラウ川で金が発見されて、
数千人のひとが、押しかけました。
ゴールド・ラッシュですね。
鉱夫たちは、腰のまわりにロープをしばってつめたい川に入り、
シャベルで金を含んだ鉱物を探しました。
商店や酒場、ホテルもできました。
彼らの疲れきったすさんだ気持ちを慰めたのが、
Roaring Meg、怒れるメグちゃん。
元気な女性だったのでしょうか。
彼女の名をとったホテルがありました。
いまは、もうなくなって、
ご覧のように発電所になっています。
やがて到着するクイーンズ・タウンには、
その名前を冠したローリングメグス・レストランがあります。
建物は、19世紀末の金鉱掘りのための小屋を移築したものです。
大変おいしいレストランとして有名です」

オトーサン、
メグと聞いて、条件反射的に、
ハリウッド女優のメグ・ライアンを思い出しました。
「何っていう映画だったけ。
そうそう、プルーフ・オブ・ライフだった。
あの時のメグは、まさにRoaring Megだった。
共演は、ラッセル・クロウ、それがもとで、
ふたりはいい仲になって、
メグが、デニス・クエードと別居したんだ。
ところが、ダンナが訴訟を起こすもんだから、
今度は、メグが逆ぎれして」

話が佳境に入ってきたところで、
またエイジ。
「それから、おなじく右手に、
バンジージャンプ台が見えます。
高さ43m。
ここが、バンジージャンプの発祥地です」
オトーサン、
聞き耳を立てて、説明の続きを待ちます。
ここは、まさに、ガイドの最大の聞かせどころのはず。
ところが、エイジは、それきり黙ったまま。
オトーサン、
たまりかねて聞きます。
「あのー、キミ、バンジージャンプやったことあるの?」
エイジ、
「ありません」
オトーサン、
「どうして?怖いの?」
エイジ、
「....」
オトーサン、
著しく、不満に思ったので、
「あとで調べてみよう」〔注1)
と思いました。

注1)
バンジージャンプ体験記
タケマさんという方の素敵なサイトを発見しました。
そこには、バンジージャンプの飛び方のコツが書いてあります。

バンジージャンプの飛び方

そして、タケマさん撮影の写真もありました。
オトーサン、 生来、小心者ですから、 ゴーカートもイヤですし、 ジェットコースターなんてトンデモナイ、 まして、バンジージャンプ、 そんな身投げ同然のことを、 お金を払ってまでやるひとの気が知れません。 「なあ、綱が切れたらどうするんだ。 一巻の終わり、万事休すだ」 奥方が、ボソッといいます。 「面白そうね、 やってみようかしら。 どう? あなた、先にやってみない?」


14 万事、順調

オトーサン、
静かな満足感に酔っております。
「うーん、快適だなあ。
いいホテルに泊まって、こうして遠い異国の
すばらしい景色を眺め、鳥のさえずりを聞いている」


写真をパチリと撮ります。 バルコニーをいれたので、出来がいまいち。 ポプラ並木は、ばっちり写っているのですが、 湖面の輝きはいまいち。 「でも、このバルコニーが、いいんだよなあ」 クイーンズタウンのワカティプ湖畔に位置した このRYGES LAKELAND RESORTなるホテルは、 どういうわけか3階だけは、 各部屋にバルコニーがついていて、 湖畔の景色を眺め、清澄な空気を味わえるのです。 「こんなバルコニー、みたことないな」 「そうよね、お隣りとつながってるなんて」 「お隣りだけじゃなく、3階のバルコニー全体がつながっている」 「さっき、子供が覗きにきたわよ」 「ああ、おとなりの部屋の坊やだろ、 あの家族、愉快なんだ。 ガーデン・テーブルをバルコニーに持ち出して、 家族そろって、ワインを飲んで騒いでいるんだ」 「そうなの?  でも、ひとのことは言えないわよね、 あなたも、鳥にえさをやっていた。 町中の鳥がバルコニーに集まっていたわよ お隣りに迷惑かけたんじゃなーい?」 「そんなことないさ、 20羽くらいしかこなかったよ」 「30羽は、いたわよ」 「明日は、ミルフォードサウンド見学だ、楽しみだな」 「去年の夏、アラスカのフィヨルドをみたけれど、 南半球のフィヨルドって、どうなのかしら?」 「明日の朝飯は、豪華だぞ、 フルーツがたくさんある。 モモ、アプリコット、キウイ、リンゴ、バナナ」 「サラダも、カニサラダが残ってるし、 さっきスーパーで買ってきた新鮮なお野菜もあるし、 ライ麦パンもあるし、 こちらの新鮮なバターも、ジャムも蜂蜜もあるし」 「ホテルの朝食よりも豪華だなあ」 「そうねえ」 「安くて、うまけりゃ、言うことなしだ」 そんなことで、昨夜までは、万事順調だったのです。


15 万事休す

オトーサン、
翌日は、5時半に起床。
眠いことは眠いのですが、
今度の旅行で一番楽しみにしていた
ミルフォードサウンドの一日観光。

カーテンを開けて、湖を眺めます。
「若いひとって、元気だなあ。泳いでる!」


奥方は、例によって、まだ寝ています。 いつもオトーサンが寝たあと、お風呂に入って、 洗濯までしてから寝るからです。 「毎日、5時間も寝ていないんじゃないか。 もっとも、その分、バスのなかで寝てるけれど」 しばらく我慢して、 物音を立てないようにしながら 朝食の支度をします。 仕度といっても、たいしたことはありません。 果物は、すでにテーブルに並んでいるし、 せいぜい、パンと冷蔵庫からサラダを出し、 ホテルの湯沸し器を使ってお湯を沸かし、 コーヒーを入れるだけ。 ところが、いつまで経っても、お湯が沸かないのです。 「変だなあ。壊れているのかな?」 そういえば、このホテル、 フロア・スタンドとベッドサイド・ランプの電球が切れていました。 だから、湯沸し器が壊れていても、何の不思議もありません。 ニュージーランドの電圧は、230ボルト。 コンセントの差し込み口は、3極式。 ところが、英国で娘に貰った3極とは、形が合わないので、 昨夜、電気屋を探しまわって、手に入れたのです。 それを使って、パソコンとデジカメの充電をしました。 「でもなあ、ホテルの湯沸し器だから、 電圧もアダプターも関係ないはずだよなー。 変だよなあ」 オトーサンが、 そうやって、ぼやいていると、 奥方の声。 「コンセントのスイツチ入れた?」 「あっ、そうか!」 ニュージーランドでは、どういうわけか、 コンセントにもスイッチがついているのです。 ようやくゴボゴボとお湯が沸いてきて、 2人分のコーヒーも用意できました。 でも、奥方がなかなか起きてきません。 まだしばらく寝かせてやりたいのですが、 ロビー集合が6時50分。 出発時間まであと45分しかありません。 「おーい、朝食の仕度が出来たぞ」 「....」 オトーサン、 あと10分ほど寝かせといてやろうと、 バルコニーに出て、鳥に餌をやります。 「こうしておけば、鳥をみながらの朝食を楽しめる」 町中の鳥が集まってきたところで、 残り時間は30分に迫ってきました。 もう一度、声をかけます。 「おーい、起きろ。そろそろ時間だぞ」 すると、予想もしない返事が返ってきました。 「あたし、今日のミルフォードサウンドの観光、 取りやめるわ」 オトーサン、 おろおろします。 「昨夜遅くまで引っ張り回したのが、原因かなー。 それで、すっかり、ご機嫌斜めになったのかも。 あのゴンドラまで行くのが大変だった。 急坂だったからイヤがっていた。 でも、スカイライン・ゴンドラに乗って、 ボブズヒルの頂上から、 クイーンズタウンの町とワカティプ湖を見下した途端 "絶景ねえ"と、ご機嫌になった。 ...それとも、 その後のレストラン探しのほうが原因かな。 ローリングメグス・レストランに行って、 予約がないと断わられた。 でも、あれは、オレのせいじゃないよなあ。 その後、信号もない小さな町だから、 歩き尽くしたけれど、あれで疲れたのかも。 でも、最後に、グルメ・エキスプレスという店に入って、 シニア・メニューがあったので頼んだら、 "安くておいしい夕食なんてサイコーね" そう言って、喜んでいたし....」 「どうした?  具合でも悪いのか?」 「うん... 昨夜、お風呂に入った後、 ここのあたりが、急に痛くなったの」 オトーサン、 眼の前が真暗になりました。 「心臓発作だ。これで旅行はおじゃんだ。 夫婦の旅行も、これで終わりだ。 おれの残された人生もこれで終わりだ。 ...万事休す」 娘の声がよみがえってきました。 ニュージーランド旅行を迷っていたときのことでした。 「元気なうちに行ったほうがいいよ」 「まさか、あの言葉がほんとうになるとは...」


16 再起

オトーサン、
いま、右手に流れていくワカティプ湖の
青い湖面をじっと眺めております。
「大きな湖だなあ」
朝7時にクイーンズタウンを出発したバスは、
ボルボの最新型でパノラマビューを誇っております。
天井がオール・ガラス貼り。
座席も正面を向いているのではなく、
ハの字型になっていて、
車窓を眺めやすいようになっているのです。
勿論、シートベルトつき。

新しいガイドさんが乗り込んでいます。
エイジとは違って元気一杯、ヤル気まんまんの女性です。
30台前半でしょうか、中肉中背、笑顔が可愛い女性です。
「こちら、左手の岩山は、
全長19キロにわたって続いております。
いちばん高い山は、2343mとなっております」
オトーサン、
ひとりごとを言います。
「屏風岩みたいだ、
行く手をさえぎって、日も射さないなあ」
えんえんと左手に灰褐色の岩山、
右手に青い湖面という風景が続きます。
新しいガイドさん、
「こちら、ワカテイプ湖は、
ここニュージーランドで、
3番目に大きい湖でございます。
こちらの氷河湖は、テカポ湖とはちがいまして、
魚が棲んでおります。
サケ、マス、そして全長120cmの大うなぎがおります」
「おい、大うなぎだとさ」
「....」
奥方は、隣りの座席で、昏々と眠っております。
「まあ、大事にならなくてよかった。
張り切りすぎて、疲れたんだろう」

新しいガイドさん、
「では、そろそろ、このバスは、ワカティプ湖とお別れして、
クイーンズタウンから40kmのキングストーンの町に入ってまいりました。
昔は、クィーンズタウンに張り合っていたので、
キングスタウン(King's Town)と名づけたのですが、
北島に同じ名前の町があることが分かって、
キングストーン(Kingstone)に名前をあらためたそうです」
このキングストーン、人口はどのくらいかと申しますと、
150人でございます。
では、みなさまにご質問。
そのうち、日本人は何人でしょうか?
ひとり。
えー、私だけでございます。
オトーサン、
「何、日本人は私だけだって?
どうしてニュージーランドくんだりまでやってきたんだ?」
新しいガイドのハタナカさんに、その理由を聞きたくなりました。
残念ながら、今度の座席はバスのなかほどなので、
大声を上げて聞くのは、はばかられます。
疑問がふつふつと湧いてまいります。
「若い女性が異国に住む決意をした理由は何か?」
「彼女は独身なのだろうか?」
「住んでいる家は、どんな家なのか?」

新しいガイドのハタナカさん、
「こちら、右手、平原に岩がごろごろしております。
ドレーンと申します」
オトーサン、
内心で、
「だから、どうだっていうんだ。
それより、独身なのかどうか話してもらいたい」
新しいガイドのハタナカさん、
「こちら、ニュージーランドでは、羊がだんだん減ってまいりして...」
オトーサン、
「また、羊の話かよ、これで3度目だ。
仏の顔も2度3度、別の話はないのかよ。
例えば、この辺の土地の値段とか」
新しいガイドのハタナカさん、
「こちらでは、最近、羊の代わりに鹿が増えてまいりました。
肉だけでなく、角が漢方薬の原料になるそうです」
オトーサン、
ぶつぶつ。
「それも、ガイドブックに書いてあるぞ」
新しいガイドのハタナカさん、
「こちらでは、最近、鹿牧場が増えて、値段が下がってきたので、
ダチョウやエミューを飼育するようになってまいりました」
オトーサン、
「こりゃ、新しい情報だ。、
おお、ハタナカ、なかなかやるじゃん。
よく勉強してるじゃん。
異国で活躍しているじゃん。
ハタナカ、頑張れ、ハタナカ頑張れ、あと5m、ハタナカ頑張れ!
ああ、そうか、あれは、マエハタだったっけ」

オトーサン、
昔話を蒸し返しております。
前畑(旧姓兵堂秀子)さんは、
和歌山県生まれ、椙山女子専門学校卒。
昭和11年、ベルリンオリンピックの200メートル平泳ぎで
何と金メダルを獲得したのです。
アナウンサーが、
「前畑頑張れ!前畑頑張れ!前畑頑張れ!前畑頑張れ!........」
と23回も絶叫したのが、語り草。
日本人だって勝てる!という原点になったのです。


17 テ・アナウの虹

オトーサン、
さきほど、ちょっと言葉を交わしたこともあって
新しいガイドのハタナカさんの説明に、聞きほれております。
「こちら、右手の草原に点在している潅木が、
マヌーカでございます。
あの有名なジェームス・クック船長は、
1769年以来、何度もこの国を探検いたしました。
先住民族であるマオリ族と戦ったこともございましたが、
やがて仲直りをいたしました。
船員がひんぱんに壊血病になるので、
酋長さんに何とかならないかと尋ねますと、
このマヌーカの葉を煎じて飲むといいといわれて、
その通りにいたしました。
すると、たちまち病気が治りました。
皆様のなかには、既に、マヌーカ・ハニーを
お買い求めになられたかたもおられると存じますが、
美容にも大変よいそうです。
また、クック船長は、
このマヌーカの葉をお茶として飲むだけでなく
ビールも造ったそうです。
どのような味かは、私も飲んだことがないので、分かりません」

オトーサン、
内心、感想をもらします。
「年代をきちんと言えるのはたいしたものだ、
それに、知らないことは知らないときちんと言うのも、
よく勉強している証拠だ」
新しいガイドのハタナカさん、
「こちら、左手、車窓を通すぎていく
鬱蒼とした樹木をご覧になれますか?、
クック船長が、キャベツの木と名づけた木です。
若芽がキャベツの味に似ていたそうです。
ヤシの木の一種で、ユリ科の植物、
日本では、ニオイシュロランと呼ばれております」
オトーサン、
「ハタナカ、お前、植物に興味があるんか」

新しいガイドのハタナカさん、
「右手の草原をご覧ください。
背の低い木が点々と生えているのが、ご覧になれるかと思います。
マツの一種でございます。
このマツは成長が遅く、あの高さになるまでには、
800年から1000年くらいかかるそうです。
一方、この国を代表する樹木、カウリのなかには、
高さ50m,幹の直径15mという巨木もございます。
このように多様な自然の姿を見ることができるのも、
ニュージーランド観光の魅力のひとつでございます」
オトーサン、
「伸びる子もいる、伸び悩む子もいる。
...それが自然なのだ。あせりは禁物」
つい職業病が出てまいります。

9時半、トイレ休憩です。
テアナウ、南島最大の湖、テアナウ湖畔の町です。
ハタナカさんによれば、人口7600人、うち日本人は7人だそうです。
オトーサン、
さっそく、ハタナカさんをつかまえにかかります。
ここは、何としても、
ふつふつと湧いきた疑問、
「若い女性が異国に住む決意をした理由は何か?」
「彼女は独身なのだろうか?」
「住んでいる家は、どんな家なのか?」
そして、追加質問、
「収入はいくらか? それで食べていけるのか?」
「ツアーガイドには、どうしたらなれるのか?」
を聞いておきたいところです。

ところが、ハタナカさん、大忙しでした。
とういうも、乗客のなかに、
ここテアナウに泊まるひとの面倒をみたり、
ここテナアウからミルフォードサウンドではなく、
秘境・ダウトフルサウンドに行くひとの面倒を見たり、
また、ミルフォードサウンドから、
クライストチャーチまでの帰りは
遊覧飛行をしたいというひとが14名もいるので、
その手配で大変なのです。

オトーサン、
しょうがないので、
ひとりぶらぶらテアナウ湖畔を散歩します。
ビデオで360度撮影もしました。
いまいる桟橋からはじまって、
はるか対岸にひろがる低い山並み、
青いひろい湖面の輝き、
そこに点在する白いクルーザー、赤い尾翼の水上飛行機、
黄色と黒のボート、砂浜の白色の水鳥たち、
ポプラ並木、その木陰のキャンピングカー、
これまで乗ってきた青い車体のボルボの大型観光バス。
土産物屋兼レストラン。
そして、ハタナカさんが
入っていってしまったフィヨルドランド社のオフィス。

オトーサン、
それでも、時間が余ったので、
奥方を探します。
「変だなあ、どこに行ってしまったんだ?
ハタナカさんに遊覧飛行を申し込んだから怒ってるのかなあ?
あたしに相談もしないで、勝手にやったりして、
ひとり229NZドルは、高過ぎるわよ。
第一、あたしの心臓に悪いでしょう」

土産物屋に入り、女子トイレも覗きましたが、
どこにもいませんでした。
「もしかしたら、急に発作がおきて
病院にかつぎこまれたのかも...」
そう思うと、胸がドキドキしてきました。
そうこうしているうちに、
小雨がパラパラ。
この地方は、南極からの風向き次第で、
天気の急変はしょっちゅうのようです。
テアナウ湖のほうをみやると、人影もまばら。
湖面の色も、ついさきほどの青色から鈍色へと一変しています。
もう、白波も立っています。
奥方の姿は、ありません。
その代わりというと何ですが、
かなたに、きれいな虹が見えました。


18 虹の彼方

オトーサン、
奥方とバスで再会。
「なーんだ、ここに居たのか」
「だって、何も買うものないんだもの」
「体のほうは、だいじょうぶか?」
「うん、昨日、ワインを飲みすぎた後、
お風呂に入ったのがよくなかったみたい」
「それなら、いいけど」
「...飛行機代の229NZ$は、やっぱり高いわね」
「でも、小1時間でクライストチャーチに戻れるんだぜ。
バスだと、ミルフォードサウンドで船に乗ったあと、
また6時間くらい戻るのにかかる。体に悪いよ」
「そうね、...そうなの」

オトーサン、
何がそうなのかはわかりませんが、
ふたたびハタナカさんの説明に耳を傾けます。
「このあたり一帯は、みなさまご存知の通り、
フィヨルドランド国立公園となっております。
面積は126万ヘクタール、ちょうど新潟県の広さがございます。
ユネスコの世界遺産に指定されております」
「まあ、スゴイわね」
乗客に感激の声があがります。
オトーサン、
「オマエら、事前に何も勉強してこなかったのかよー」
そういうオトーサンも、
つい1週間前までは、
ニュージーランドくんだりまでやってくる
予定なんかなかったのですから、同じこと、
他人の悪口などいう資格はありません。

ハタナカさん、
「ここテ・アナウからミルフォード・サウンドまでの道は、
ミルフォード・ロードと呼ばれております。
120kmほどありますが、いろいろな見所がございますので、
トイレ休憩だけでなく、カメラ・ストップもとらせていただきます。
また、天候が悪くなってまいりましたので、
雨具のご用意をなさってください。
...それから、遊覧飛行を申しこまれた方、12名さまと
さきほど申しこまれた2名さまにあらかじめ申しあげます」
オトーサン、
奥方の腕をつかんで、
「われわれが、その2名様だよ」
ハタナカさん、
「天候の関係で、あるいは、飛行が中止になる場合もございます。
最終的な結果は、ミルフォードサウンドでのクルーズが終わったあと、
申しあげますので、ご了承のほどお願い申しあげます」
オトーサン、
奥方にささやきます。
「この天気なら、まず飛べなくなることはないよ。
ほら、このパンフッレトのこのあたりに目を通しておいてよ」

読者のみなさまに
奥方がいま読んでいる文章を、そのままご紹介しましょう。
幸い、日本語のパンフレットがあったのです。
「飛行機
沿道からは見ることのできない渓谷や高山池、高山山頂部を、
クイーンズタウン、ミルフォード間遊覧飛行にてご覧いただけます。
これは、思い出に残る体験となること間違いなしです」
「きれいな写真ね」
奥方が、じっと高山池の写真に見入っています。
「きれいね。
でも、飛行時間35分は短いわね、きっとあっという間よ」
オトーサン、
「思い出に長く残るさ」
奥方、
「...飛行機って、体に悪くないかしら」
オトーサン、
「時間が短いからだいじょうぶだよ」
奥方、
「時間が短い割には高いわよね」
なんだか、ヤブヘビになってきました。

オトーサン、
「ほら、まだテ・アナウ湖に虹がかかっている。
あの虹の上を飛ぶんだぜ」
頭のなかには、
フランクチャックスフィールド・オーケストラの演奏する
名曲、"Over the Rainbow"が鳴りひびき、
「オズの魔法使い」の主役で、
当時は飛び切り可愛かった
ジュディ・ガーランドの姿が浮んでおります。
奥方、冷静に
「上から見えるはずないでしょ。
第一、飛行機に乗る頃まで虹がもつはずないでしょう」
この説明、奥方には通じなかったようですが、
後ろの席に座っていた新婚さんはいたく感銘したようでした。
「あなた、虹の彼方を飛ぶなんて、素敵ね」
「...うん、素敵だ」


19 森をぬける道

オトーサン、
ハナタカさんの説明に耳を傾けます。
「ただいま、皆様がお乗りいただいているバスは、
ブナの原生林を走り抜けております。
このブナは、日本のブナとはちがって常緑樹でございます。
日本では、ブナモドキと呼ばれる種類でございます」

オトーサン、
感慨にふけります。
「ブナの森かぁ...」
昔、ある旅館に泊まったときのことです。
夜中、ずっとさらさらと川音が聞こえていました。
「川音に包まれて寝るなんて、贅沢な気分だなあ」
翌朝、羽織姿で旅館のまわりを散歩してみましたが、
小川も、渓流も、どこにもありません。
そこで、「雨音だったのだ」と合点して、
ご主人に話かけました。
「昨夜は、よく降りましたねえ」
「いいえ、雨は降りませんでしたよ」
「だって、さらさら流れる水音がしましたよ」
そういうと、ご主人は、破顔一笑されて、
「それは、ブナの幹の中を水が流れる音ですよ」
そういわれて、びっくりしました。
ブナの森が旅館のそばまで迫ってきていたのです。
オトーサン、
それ以来、ブナの保水力への尊敬心が湧き、
また特別の感じを抱くようになっております。
「すごいなあ、原生林だ。
こんなにすごい太古からの森があるなんて、
ほんとうに、この国の自然は豊かなんだなあ。
なあ、そうだろ」
奥方は、また昏々と眠っております。

ハタナカさん、
「みなさま、世界で一番美しい散歩道はどこにあるか、
ご存知でしょうか?」
乗客、 
「ミルフォード・トラック」
オトーサン、
内心つぶやきます。
「ちがうだろ。
"道はどこか"ときかれて、"道"と答えるなよ」
ハタナカさん、
「はい、そうですよね。ここミルフォードにございます」
オトーサン、
内心つぶやきます。
「ハタナカ、優しいなあ」

ハタナカさん
「このミルフォード・トラック、
5日がかりで、走破いたすものですが、
世界中からトレッカーたちがやってまいります。
昨年は、ガイドツアーに参加された方が、5500人、
フリーの方が8000人ございました。
お値段ですが、フリーですと約1万円。
ガイドツアーですと10万円となります。
このお値段を聞かれますと、
高いと思われるかもしれませんが、
フリーですと、重い荷物を背負って歩かねばなりませんし、
食事の仕度も自分でやらねばなりませんし、
泊まるのもテントの中ということになります。
一方、ガイドツアーですと、
万一、事故が起きたときでも安心ですし、
ロッジのベッドでゆったり疲れをとるもできますし、
おいしい食事も味わうことができます。
勿論、途中でみかけた植物、森に棲む鳥についての
解説もお聞きになれます。
いろいろ考えますと、10万円はそう高いものではないと
思われることでしょう」
オトーサン、
内心つぶやきます。
「ハタナカ、森のなかで営業してるなあ」


20 カスケード

オトーサン、
ハタナカさんへのインタビューができず、
長い間、待たされて、いらいらしてきました。
ようやくチャンスが到来しました。
ノブズ・フラット ( Knob's Flat ) でトイレ休憩になりました。
雨が降っていることもあって、
ご婦人方は、トイレめがけて小走りに去り、
いまは長い行列が出来ております。
殿方はといえば、トイレ棟のとなりにある施設、
DOC(Department of Conservation自然保護省 )の展示に見入っております。
ハタナカさんはと見ると、
レインコートを着て、バスの扉のところに佇んでおります。
「チャンスだ、チャンス。インタビューのチャンス」

オトーサン、
思えば長い時間、この機会を待ち望んでおりました。
ふりかえれば、すべての発端は、
クライストチャーチを出てほどなく、
「キングストーンにいる日本人の数は何人でしょうか?」
なる新しいガイドさんの質問にはじまったのです。
以後、それを聞いたオトーサンの頭のなかには、
山のような質問リストが溜まってしまいました。
「ねえ、ちょっとそれって、おかしくない?」
「だって、長いバスの旅、ずーっとヒマをもて余していたんだもの。
しょうがないでしょ」

オトーサン、
要人へのインタビューの時と同様に
質問事項を再確認いたします。
「若い女性が異国に住む決意をした理由は何か?」
「彼女は独身なのだろうか?」
「住んでいる家は、どんな家なのか?」
「収入はいくらか? それで食べていけるのか?」
「ツアーガイドには、どうしたらなれるのか?」
それに若い読者のために、
「血液型、星座、現在つきあってひとがいるかどうか」
企業の就職担当者のために、
「生年月日、出身地、出身校、
両親の職業、信仰する宗教、支持政党、
志望動機、自己の長所短所、趣味、病気の有無、
これまでの人生で一番楽しかったこと」
なども基本的質問事項として押さえおきたいところです。
要するに、ハタナカさんをほんとうに知るには、
その現在・過去・未来のすべてについて
聞き取り調査をしなくてはなりません。
「時間の関係でロングインタービューは、
許されそうもないなあ。
質問を選んで、聞く順番も考えねば...」

ハタナカさん、
「お客様、何かご用ですか?」
オトーサン、
まだ質問の整理が出来ていなかったので、慌てます。
「えー、いえーす」
出だしからつまづいたようです。
ハタナカさん、日本語がしゃべれます。
キングストン・イングリッシュで
クェスチョンしなくてもよさそうです。
「あのさ、キミ、キングストーンに住んでるっていったよね」
ハタナカさん、
「えー、そうなんですよー。
あたしハケンだったから...」
オトーサン、
「ハケン?」
ハタナカさん、
「もう先は見えてるからイヤになったんです。
あたし、スキーが好きだったんです。
夏にスキーがやれる国があるって聞いたから、
この国にきたら、偶然、就職先が見つかったんですよ。
正社員になれてラッキーでした」
オトーサン、
「派遣社員だったの?」
ハタナカさん、
「それで、あまりお金がなかったので、
クライストチャーチの郊外で土地をさがしたら、あったんです。
思い切って買ってしまいました。
いくらしたと思います?
800平方メートルで、80万円ですよー。
94年でした。
...いまは、もう3倍くらいしていますけれど」

その時、ハタナカさん、
バスの運転手に手招きされました。
オトーサン、
枯草の原っぱに取り残されて、周囲を見回します。
見上げると、太古からの岩山がそびえたっています。
はるか向こう、両側の岩山がきれるあたりが明るくなっております。
岩山の頂上のあちこちから、幾筋もの滝が流れ落ちております。
ハタナカさんが戻ってきました。
すっかり職業的な口調に戻っております。
「あの滝、いまのように雨が降っているときだけ出現いたします。
天気がよくなりますと、消えてしまいます。
カスケード、一時滝でございます」
オトーサン、
「ふーん、そうなの。いっときなの」
ハタナカさん、
「はい、お客様、一時滝です」


21 遥かなり、エヴェレスト

オトーサン、
バスにもどって、ぶつぶつ。
「それにしても、ヒマだなあ」
誰か話し相手はと思っても、
奥方は、相変わらず、寝ていますし、
隣りの新婚さんは2人だけの世界に侵っています。
ハタナカへの興味も、どうやら一時のことでした。
すこし質問すれば、気がすみましたし。
いつの間にかうつらうつら。
やがて、ぐっすり寝てしまいしまた。
朝早かったし、長旅の疲れもあるのでしょう。

オトーサン、
ほどなく起こされます。
「お客様、カメラ・ストップでーす。
モンキークリークという名の渓流があります。
この川の水は、飲んでもだいじょうぶですよ」
ハタナカの声のようです。
「ねえ、あなた絶景よ」
これは、どうも、奥方の声のようです。
「起きろ!」
これは、自分の声でした。
奥方が、
デジカメを取り出して張り切っております。
「ねえ、アラスカみたいね。氷河よ」
オトーサン、
「そんなこたぁないだろ、ここらの低い山で」
まだ、完全に目が覚めておりません。

「おお、絶景だ!」
さきほどのノブズフラットと似たような風景です。
岩山、枯れた草原、一時滝。
でも、間近に仰ぎ見る岩山は、ひとを寄せつけない厳しさですし、
カスケードも、やたらにあります。
そして、万年雪をかぶった岩山とその間に青く光る氷河。
乗客はどこへと見まわすと、渓流に向かって走っています。
オトーサン、
「そんなに水が飲みたいのかよ」
毒づきながら、自分も身をかがめて
手のひらに渓流の水をすくって飲んでみました。
「どうってことはないわね」
いつの間にか、となりに奥方がいます。
「そうだな、どうってこたぁないな」
「山荘のそばの泉のほうがおいしいみたい」
「南アルプスの天然水だから、どちらも同じというわけか」
奥方、
「ははは」
笑い声も出たので、だいぶ回復してきたようです。

ハタナカ、
「あの氷河の手前の垂直の岩壁をご覧ください。
エベレスト初登頂を果たしたエドモンド・ヒラリーが、
この山、マウント・タルボットで訓練をしたのです。
1953年5月29日のことでした。
ジョン・ハント陸軍大佐を隊長とする英国エヴェレスト遠征隊チームの
ヒラリー隊員とシェルパのテンジン・ノルゲイが、
ネパールとチベット国境にそびえる世界最高峰に登頂に成功したのです。
このエヴェレストという名前の由来をご存知でしょうか?
インド在留イギリス人、
測量技師ジョージ・エヴェレストの名前をとったものですが、
帝国主義への反発もあって、
現在では、チベット名の「チョモランマ」とするのが
多数派になっております。
ネパール人は、「サガルマータ」と呼んでおります。
さて、ヒラリーさん、
当時かれは33歳でしたが、
一躍、ニュージーランドの英雄になって、
騎士の称号も受け、
みさなまお持ちの5ドル札には、
肖像が描かれております。
ご覧になってください」

オトーサン、
「お前、5ドル札もってないか?」
奥方、
「あなた、もっていないの?」
オトーサン、
「細かいのが足りないとか言うから、
昨日スーパーで貸しただろう。
あれ、返せよ」
奥方、
「使ったの見たでしょう」
オトーサン、
「そんなこと言ったって、
いちいち、お前の行動を監視している
はずないだろう」
奥方、
「そういう言い方ってないでしょ」

このように、
空にそびえる高千穂とお金の帰属をめぐって、
地上では相変わらず醜い争いが続いているのです。


22 お金の出処

オトーサン、
ハタナカの説明に聞き入ります。
「皆様の行く手には、トンネルが待ち受けております。
このトンネル、つくったのが、ウイリアム・ヘンリー・ 
ホーマーさんという方なので、その名前をとって
ホーマー・トンネルと呼ばれております。
1953年、18年がかりの工事が終わって、
このトンネルが開通し、それまでの峠越をしないで、
直接、秘境・ミルフォードに行けるようになったのです。
全長は、1219mございます。
入り口の高さが945m、
出口が802mと急な坂になっております」

オトーサン、
「たった1.2キロか、大したことないな」
ところが、聞くと見るとでは大違い。
電灯もなく、真っ暗。
大型バスの車体がいまにも岩肌をこすりそうです。
岩の表面が剥き出し、
その昔、ツルハシを振るった跡だらけ。
犠牲になった工事人夫の霊がいまにも襲いかかってきそうです。

トンネルを出ると、そこは霧の国でした。
バスは、一気に、標高17mまで降りていきます。
万年雪を頂いた岩山や緑の山々が
パノラマバスの天井から押しかぶさるように迫ります。
車窓から見下すと、日光のいろは坂など問題でない
まがりくねって道が霧のなかに見え隠れしております。
「すごい眺めだなあ」
「そうねえ。この大型バスが地球の点になったような気がするわ」
「おい、お前、いいこというじゃないか」

ハタナカ、
「キャズムに到着いたしました。
それでは、皆様、30分ほどの散歩をお楽しみください」
オトーサン、
「おいおい、もう12時だよ、昼飯ぬきで運動かよ」
奥方、
「我慢しなさい」
オトーサン、
「はい」
そんなことで、
散歩を開始。
バス数台分の乗客が、
人がすれ違えるほどの狭い道にひしめきあって進みます。
傘を差しているひとは、迷惑です。
こうした非常識な人は2割ほど、
あとは、レインコートやウインドブレーカーを着用して
アウトドア風のスタイルでした。
これが正解。

キャズム (The Casm) の散歩というのは、
クレドウ川の渓谷にそって森の奥に分け入り、
最後に小さな滝口の奇岩を見て戻るというコースでした。
奇岩は、彫刻作品のようなさまざまな形をしています。
岩の裂け目に川を流れる砂利や水がはいって出来たもの。
オトーサン、
正直な感想をのべます。
「何だ、大したことないな」
振りかえると、ついてきたはずの奥方がいません。
「ありゃ。そうか、また植物研究だな」
この散歩道、奇岩よりも植物の生態系のほうが、
興味深いと思われます。
降水量が多いので、ほとんどの樹木にコケがはりついています。
おじいさんのヒゲのように見えるのは、
ハタナカが言っていたように、
スパニッシュ・モス(日本名:サルオガセ)なのでしょう。
これに全身巻きつかれると、樹木は枯れてしまうそうです。
事実、あちこちに天にむかって立ち枯れた樹木の姿をみます。
熱帯地方でみかける大きな背丈のシダも目立ちます。

引き返す途中、
奥方に出会いました。
「何を見ていたんだ?」
「銀シダ(シルバー・ファーン)がないか、捜していたの。
表は緑色で裏がシルバーで、とっても珍しいのよ。
オール・ブラックスのマークでおなじみでしょう」
オトーサン、
植物とラクビーに弱いので、慌てて話題をそらします。
「そうか。ここ奥入瀬渓谷みたいだろう」
奥方、取り合わず、
急ぎ足で奇岩のほうに向かっていきます。

オトーサン、
仕方がないので、
奥方が戻ってくるまで、
吊り橋のたもとで待ちます。
緑色に輝く森のなかの散策路がよく整備されているのを観察します。
木製の架橋がいくつもありますが、
みな、手すりがついていて、
床の滑べり止めに金網が張ってあります。
「こんなのはじめて見た」
靴底で感触を確かめます。
「フーン、こんな餅網のでかいようなもの、
誰がみつけたんだろう?」
次に、金の出処が気になりだします。
「この公園整備費、どこからお金が出ているのだろう?」

バスに戻って、
ガイドブックを探すと出ていました。
お金の出処は、DOCでした。
DOCは、日本の環境庁にあたる役所ですが、
国立公園内でツアーをする旅行業者にライセンスを与え、
集客数に応じてお金を徴収し、これを公園整備費として使うという
記述がありました。
なかなか優れたシステムとも書いてあります。

オトーサン、
いたく感心しました。
「そうなんだよなあ。
こうすりゃ、どこかの議員の口利きで
道路が出来たとか、出来なかったとかいう
不透明なことにはならないよなー」


23 二国間関係

オトーサン、
「おお、やっと着いたか。
朝7時にクイーンズタウンを出て、いま1時前、
6時間がかりか。遠いなあ、腹減ったなあ」
ほんとうにミルフォード・サウンドは、秘境なのです。
ところが、波止場は、大型バスから吐きだされる観光客で一杯。
「まあ、ニュージーランド随一の観光地だからな。
改札で並ばされるのに、文句言っても仕方ないか。
昔の呼び名ミルフォード(水車小屋のある渡し場)の面影なんか、
もうどこにもないなあ。
そばには、巨大な地下発電所もあるし、
飛行場もある。
この天気で、飛ぶかどうかハタナカに聞かなくては。
帰りもバスじゃあ、体がもたない。
おや?」
待合室の壁に言葉が書いてあるのに気付きました。

"...Long  after people have disapeared , the land will remain."

オトーサン、
つぶやきます。
「いいこと言うなあ。
そうあってほしいということかなあ。
いまの日本なんか、
高度成長で山河をことごとく破壊し、
あげくに、経済も、このていたらく。
"国敗れて、山河あり"どころか、
"国敗れて、山河もなし"だもんなー」

いよいよ出航。
目の前に迫るのは、
マイターピーク(Mitra peak)
1694mとさほど数字的には高くないのですが、
海から突き出しているのですから、
これは、壮観、圧巻、ポカン。
何でも、海からそそりたつ山としては世界一とか。
まさに、絵葉書の風景です。


オトーサン、 「腹減ったなあ」 乗船するやいなや、 マイターピークの感動もそこそこに、 奥方と一緒に船室のブュッフェへ直行いたします。 ツアーによって、食事が違うのでしょうか、 指定席で和食のお弁当を食べているグループもあります。 オトーサンたちは、下の船室で行列して、 バイキング料理です。 「何だ、たいしたものないなあ」 まあ、空腹が満たされれば、それでいいでしょう。 戻ってきたら、窓側の席がすでに占領されていたので、 中央の大テーブルへ。 ジロッと赤いセーターの小太りの女性に睨まれました。 「そこは空けといて、私の家族が座るから」 そういう眼つきです。 顔つきにちょっと険があるところを見ると、 日本人女性ではなさそうです。 「失敬な女だな。韓国人かな、中国人かなあ?」 オトーサン、 英語で、文句をいおうと思いましたが、 とっさのことで、いい文章がうかびません。 「まあ、いいか」 最近、何かと両国との間で、争いが絶えません。 「良識派のオレまで、争いに加わることもあるまい」 そう思って、別の大テーブルへと移動しました。 「それなら、我慢できるわ」 30代後半のブス女、うなずいております。 オトーサン、 近年、旅の行く先々で 韓国人や中国人にお眼にかかります。 最近、両国とも豊かになったせいでしょうか。 とくに、この国では多く出会うような気がします。 クライスト・チャーチのホテルでは、 韓国人の団体客が大勢投宿していました。 朝、ホテルの窓から景色をみていたら、熱気球が見えました。 「へえ、ニュージーランドでは、熱気球も流行しているんだ」 ホテルを出るとき、韓国人の一団がミニバンから降りてきました。 身振りも派手に、大声で話しあっています。 みると、トレーラーに熱気球が載っているではありませんか。 奥方がうらやましそうにつぶやきました。 「オプションに熱気球ってあるのかしら?」 こんな風に、大変、元気なのです。 英語、中国語に続いて、 日本語での説明がはじまりました。 聞き覚えのある張りのあるアルトです。 「おっ、ハタナカじゃん。 クルーズのガイドもやるなんて、活躍してるな」 ハタナカ、 「皆様の左手に、4姉妹の滝が見えてまいりました」 オトーサン、 急に重大な任務を忘れているのに気付きました。 そうなのです。 ニュージーランド随一の観光地、 ミルフォードサウンドのビデオ撮影という重大な任務を 日中関係、日韓関係に気をとられてすっかり忘れていました。


24 三角帽子の謎

オトーサン、
船室からデッキに出て、
はじめて海を実感します。
鈍色の海面のひろがり、うねり、波しぶき...、
風が強く、横なぐりに雨が降りかかってきます。
目の前に、大きな岩山が迫ってきました。
その岩山の山頂から海に一挙に落下する滝。
「滝だ。4つ並んでいる。
だから4姉妹の滝というのか」
ビデオ撮影を開始。
フレーム一杯に4姉妹の滝を収めようとしましたが、
ムリでした。
しょうがないので、2姉妹づつ撮りました。
「こっちが日韓友好の滝、こっちが日中友好の滝というわけだ」
読者に
「もしもし、オトーサン、
滝にそれぞれ、日本、韓国、中国と命名したとすると、
滝は3本のはず、あとの1本はどの国ですか?
勘定が合わないではないですか」
そう指摘されそうですが、
オトーサン、
胸を張って解説します。
「いいの、ちゃんと勘定は合ってますよー、
韓国が1本、中国が1本、そして2本で、合計4本」
オトーサン、
いい景色をみて、気分が高揚しております。
くだらぬダジャレが出るときは、機嫌がいいときなのです。


ハタナカ、 「皆様の右手に、また大きな滝が見えてまいりました。 この滝は、妖精の滝とよばれております」 その声は、風音にも負けずに、デッキまで届いてきます。 オトーサン、 何だか心強くなりました。 「ハタナカ、白人だけでなく、韓国人や中国人に混じって 健闘しているんだ」 またまた、重大な任務を思い出して撮影にかかります。 ハタナカ、 「この滝がなぜ、妖精の滝と呼ばれるかと申しますと、 それは雨が降っているときだけ、その美しい姿を現わすからでございます」 オトーサン、 白いレーンコート姿のためか ひときわ小柄に見える奥方を振り返って、 「妖精の滝だってさ。きれいなだあ」 奥方、 「あたしみたいに?」 「?」 オトーサン、 次第に不思議の国に迷い込んだような気がしてきました。 アリス、 「ねえ、あそこに見える大きな山、 ライオンさんみたいねえ」 ハタナカ、 「そうねえ、キンバリー山っていうのよ」 アリス、 「ねえ、これからライオン山って呼ぶことにしない?」 ハタナカ、 「いいわよ。そうしましょう」 アリス、 「ねえ、あそこの岩、ゾウさんにそくりね、可愛いわね」 ハタナカ、 「U字谷にある大きな岩のこと?」 アリス、 「そうよ、これからは、エレファント岩って呼ぶことにしない?」 ハタナカ、 「いいわよ。そうしましょう」 アリス、 「ねえ、この入り江には、どん動物が住んでいるの?」 ハタナカ、 「オットセイさん、アザラシさん、ペンギンさん...」 アリス、 「イルカさんは?クジラさんはいないの?」 ハタナカ、 「おとなりのダウトフルサウンドには、いるみたいね」 オトーサン、 細い渓谷を曲がって、 突然開けた視界に見入ります。 「ああ、あれがタスマン海だ」 入り江から外洋に出ると、 たちまち波のうねりが大きくなってきました。 「オーストラリア大陸が見えないかなあ」 両国の距離は、3000kmもあって、 ちょうど日本と台湾の距離。 見えるはずはありません。 オトーサン、 そこでまた不思議の国のアリスを呼び出すことにしました。 アリス、 「ねえ、泳いでいったら、コアラさんやカンガルーさんに会える?」 ハタナカ、 「会えるわよ、ダチョウさんにも」 アリス、 「キウイさんにも会える?」 ハタナカ、 「キウイさんなら、この国で会えるわよ」 アリス、 「ほんと?キウイさんの祖先にも会える?」 ハタカナ、 「会えるわよ」 オトーサン、 「ハタナカ、いいかげんなこというなよ」 奥方がやってきました。 「ねえ、アザラシ見た?撮った?」 オトーサン 「いや」 奥方 「何やってんのよ。右のデッキに行って! 大きな滝のそばの岩を見て!」 なるほど、奥方のいうように、 大空にある水という水をぶちまけたような 大きな大きな滝です。 その飛沫がこちらにも振りかかってきます。 滝口には、岩がいくつかあって、 そこに茶灰色の点がぽつりぽつり。 それがオットセイでした。 オトーサン、 慌てていたものですから、何かにつまづいて ビデオカメラを落としそうになりました。 「おっとどっこい」 波止場が近づき、 また、マイターピークが見えてきました。 アリス 「あのお山、ほんとうにきれいね。何という名前?」 ハタナカ 「マイターピークっていうのよ」 アリス 「マイターって、なあに?」 ハタナカ 「司教さんの被っている帽子のことよ。 シルエットが三角形なので、その名前をとったの」 アリス 「ふーん。 でも、どうして円ではなく、三角形になったの?」 ハタナカ 「?」 流石のハタカナにも、三角帽子の謎はわからないようです。 そんな風に、2時間が過ぎて ミルフォードサウンドの2時間クルーズが終わりました。 オトーサン、 「天気が悪かったのは残念だったけど、楽しかったなあ。 念願のマイターピークも見れたし、滝もなかなか迫力があった」 奥方、 「そうかしら? アラスカの氷河クルーズのほうが、ずっと面白かったわ。 氷河がドーンと崩れ落ちるし、 あざらしも、あなたみたいに寝てばかりいて、 ちっともこっちを向いてくれなかったし。 ...それに、ここは、天気が悪すぎるし、大体、遠すぎるわ」 オトーサン ここで、ケンカになっては、 折角の旅の楽しさが半減するので、 何とか意見をあわせようと努力します。 「そうかなあ、そうだなあ、そうかもなあ、そうだ、そうに決まってる」 オトーサン、 名残惜しそうに 三角帽子のマイターピークを振り返ります。 「どうして、ああいう風に、三角形になっちゃったのかなあ? どうして、こういう風に、とんがっちゃったのかなあ?」 いくら夫婦は一心同体といっても、 いくら長いこと夫婦をやっていても、 お互い、相手の考えていることがよく分からない時があります。 三角帽子も、奥方も、謎多き存在なのです。


25 アヴァンティにて

オトーサンたち、
悪天候ということで、飛行機は飛ばなかったので、
バスでクイーンズタウンに戻ってきました。
午後2時にミルフォードを出て、
午後7時にクイーンズ・タウンに到着。
所要時間5時間。流石に、疲れました。
「腹減ったなあ」
湖畔にほど近い素敵な小径を発見しました。
お店が、みな軒下に花を飾っていますし、
ポプラの木陰には、テーブルが出て、観光客がくつろいでいます。
歩行者専用道路で、ぶらぶら歩きがもできます。
奥方、
「ここでひと休みしましょうよ」
7時といってもまだ午後4時くらいの明るさ。
バスを降りて、町をぶらぶらしました。
縦横300mもない町ですから、
昨夜大体見尽くしたと思っていたら、
まだ通っていない小径があったのです。
モールという名前です。

オトーサン、
ルイヴィトンの隣りのレストランの
屋外のテーブルが空いていたので、
早速、席を確保しました。
ハイニッケンの緑色のマークが入ったパラソルがあって、
奥方のキライな紫外線をふせいでくれます。
「ほんと、この国、紫外線が強いのよね、
忘れてきたのは、大失敗だったわ。何にする?」
オトーサン、
「何にするって、何のこと?」
奥方、
「料理に決まってるでしょ?」
オトーサン、
ぐっとこらえて、おだやかにメニューを見て
「そうだなあ。おれムール貝が食べたいなあ。
それとCD。何がいい?」
奥方、
「CDって何よ、ここはレコード屋じゃないのよ。
それともカンツオーネのCDでも売ってるの?」
オトーサン、
仕返しができて、内心ニヤリ。
飛んできた黒いTシャツ美人のウエイターに
注文します。
「カンタベリー・ドラフト!」、
そうなのです。
CDとは、南島を代表するビールの名称なのです。

ムール貝、パスタ、CD、それにワインが
テーブルに並びます。
ニュージーランド料理のレストラン、
アヴァンティの名物料理ではなさそうですが、
まあ、これで夕食としましょう。
奥方、機嫌を直して、
「遠かったわね」
オトーサン、
「そうだなあ。三角形になっているからなあ」
奥方、
「何が?」
オトーサン、
ガイドブックの地図を見せて、
クイーンズタウン、テアナウ、ミルフォードがつくる三角形を指します。
「なあ、クイーンズタウンからミルフォードまで道路さえあれば、
2時間半で行けるはずだよ」
奥方、
「そうね、わざわざテアナウ回りをしなくても済んだのよね」

お酒も入ったので、夫婦の会話もはずみます。
奥方、
「住むのだったら、やはりクライストチャーチね。
この町には、ロクなスーパーがないもの」
オトーサン、
「あの"PACK’'N SAVE"というスーパーは、よかったなあ」
奥方、
「あの店のそばなら暮らしやすそうよ。
ああ、あのアーモンドの計り売り、
もっと買っておけばよかった。安かったのよ」
オトーサン、
「安いといえば、ガソリンも安いよ」
と手帳を開きます。
レギュラーが、1.029NZ$、ハイオクが1.079NZ$。
リッター60円くらいだろう。
ほぼ、日本の半値!」
奥方、
「老後を送るなら、クライストチャーチがいいわ。
あなたは、日本製の中古車を買ってドライブを愉しめばいいし、
あたしは、庭づくりをするわ。
のんびり暮すのには、この国は最高よ!」
オトーサン、
「クライストチャーチに決めたようだけど、
まだ、オークランドを見ていないだろう」
奥方、
「そうね、明日でしょ、
北島のオークランドに飛ぶのは?」
オトーサン、
「明日もまた朝が早いぞー」
そういって、背伸びしてから、
通り過ぎていくひとびとをあらためて眺めやります。
どうもアジア系のひとが多いようです。
みんな精一杯それぞれの人生を歩んでいるようです。
それぞれに幸せという名のキウイ・バードを追い求めているようです。
もう絶滅に瀕しているというのに。
奥方が、ぽそっ。
「...キウイを見なくっちゃ」


26 北島、帆の街、オークランド

オトーサン、
朝11時に南島のクライストチャーチをたちました。
晴れた日中に見知らぬ土地を飛行機から見下ろすのは、
気持ちのいいものです。
サザン・アルプス連峰の白銀の世界が続いています。
簡単な機内食があって、
12時45分には、はやくも北島のオークランドに到着。

オトーサン、
出迎えにきたHISのバスに乗り込む前に
奥方に漏らします。
「何か変な気がするなあ。北島にきたら暖かいなんて」
奥方、
「あたりまえでしょ、こちらの方が赤道に近いのですもの」
今朝8時まで寝ていたので、今日は元気です。

新しいバス・ガイドは、イノウエさん。
リクルートスーツに身をつつんだ感じの
ういういしい小柄な女性です。
「えーと、12名の方ですね。
では、これからオークランドの市内へとまいります。
市内中心部までは、20kmございますが、
今日は、途中、お二人方がホテルにチェックインをされますので、
ご了承願います」
オトーサン、
イノウエにあわせて、
マイクロバスのなかで、他の乗客に軽く会釈してしまいました。
奥方も釈明。
「悪いわね、みなさん。お待たせて」
というのも、安いツアーを選ぶと、
ホテルのグレードは同じでも、遠い場所にある場合があるのです。
奥方が囁きます。
「ラッキーねえ。 
すぐにチェックインできて、身軽になれるなんて」

イノウエ、
ガイドを開始いたします。
「オークランドの人口は、120万人。
北島にあって、ニュージーランドでもっとも人口の多い街でございます。
首都はウエリントンですが、経済の中心地であり、観光都市でもあります。
ニュージーランドを訪れる観光客の74%が、この地を訪問いたします」
オトーサン、
奥方に、小声で話しかけます。
「なんかマニュアル、読んでいるみたいだな」
狭い車内のこと、ほかの乗客にも、当然、声は筒抜けです。
みんなが笑います。
オトーサン、
聞こえてしまったので、
慌てて質問します。
「キミ、ここに来て何年目?」
イノウエ、
「1年です....」
奥方、
「あなた、ガイドさん、いじめちゃダメよ。
イノウエさん、ゴメンナサイネ。
そう悪気があるひとじゃないのだから。
これから勉強すればいいのよ」
乗客の笑い声。
イノウエは、耳たぶまで真っ赤になりました。

イノウエ、
気を取り直して、
「ご覧ください。左手に見えるのが、マヌカウ湾でございます。
このオークランド、海に囲まれているので、帆の街とも呼ばれております。
市民はみんな海が好きで、8万隻ものボートがございます。
世界有数のヨットレース、アメリカズカップの開催地でも
あります。
では、ホテルに到着いたしました。
2名様どうぞ、他の乗客の方は、
しばらくバスのなかで待機をお願いいたします」
オトーサン、
「QUALITY HOTELか。
庭もきれいだし、ロビーもまあまあ。
クオリティというからには、品質保証付きだろう」
そう思ったのが、大間違いだったことに、
後々気付かされることになります。
でも、この時は、手早く大きな荷物を預け、
身軽になってゴキゲン。

バスに戻ってイノウエのせりふを先取りします。
「みなさん、お待たせいたしました」
乗客に笑い。
イノウエ、
せっかく落ち着いたのに、
出鼻をくじかれて、また困った顔をしています。
「この北島には、日本とおなじく火山が多いのです。
ここオークランドには50にものぼる火山がございます。
では、これからハイエーを降りて、その火山のひとつ
マウント・イーデンに寄ってみたいと思います」

住宅地を登っていきます。
奥方、
「この街の家は気にいらないわ。
2階か3階建てで、敷地も狭いし、塀もあるし」
オトーサン、
「この辺で、いくらくらいするの?」
イノウエ、
「200坪で3000万円くらいでしょうか」
奥方、
「そう高くわないわね」

オトーサン、
バスが坂を登っていくので、
気分が高揚してまいりました。
イタリア民謡を口づさみます。
「行こう、行こう、火の山へ
行こう、行こう、イーデンへ
フニクリ、フニクラ、ふにくりふにくらー」


オトーサンたち、 バスを降りて、マウント・イーデンから高みの見物。 市街地の向こうに海が見えます。 近くでは、牛がのんびり草をはんでいます。 「のんびりしてるなあ。 でも、これは火山とは思えないなあ」 奥方、 「山というより丘ね」 オトーサン、 「丘というより土盛りした現場にぺんぺん草が生えた感じだな」 いいたい放題です。 この後、市内中心部のDFSギャラリアで解散。 市内観光は、2時間足らずでした。 オトーサン、 「この街はつまらんなー」 奥方、 「交通渋滞もひどいし、これじゃ日本の地方都市と同じね」 オトーサン、 「シアトルやサンディエゴに似ていないか?」 奥方、 「そうねえ」 オトーサン、 「シドニーにも似てるなあ」 奥方、 「....」 奥方は、オーストラリアには、 まだ行っていないので、気の毒なことをしました。 口は災いのもとです。 オトーサン、 いくつになっても、 失言癖が直りません。 はたして奥方のご機嫌を損ないました。 奥方、 「こんな街には、住みたくないわね」 そう言い棄てて、 さっさとDFSに入っていってしまいました。 オトーサン、 奥方のそのいい方が気になりました。 「このひととは、もう一緒に住みたくないわね」 そう聞こえなくもなかったからです。 そのとき、ふいに歌が出てきました。 「北島、帆の街、オークランド...恋に疲れた女がひとり」 ご奇特なかたは、 京都、大原、三千院のメロディで歌ってみてください。 きっと歌いづらいと思います。


27 巨鳥モアの敗走

オトーサン、
腕時計を眺めて、
「3時半か。これからどこに行く?」
奥方、
「キウイを見に行きたい」
オトーサン、
「だから、どこへ?」
奥方、
「動物園に決まってるでしょ」
オトーサン、
「ガイドブック読まなかったのか、
入場は、午後4時15分までと書いてあった」
奥方、
「それじゃ、時間的に厳しいわね」
オトーサン、
「博物館にいけば、剥製が見られる。
動物園のほうは、明日に回したら、どうだい?」
奥方、
「そうね、そうしましょう!」
オトーサン、
「じゃ、タクシーを拾おう」
奥方、
「バスで行きましょうよ。そのほうが安いから」
オトーサン、
「オークランド博物館は、午後5時閉館だよ。
バスなんか乗っていたら、間に合わないだろう」

オトーサン、
10分もしないうちに博物館に到着。
それでも、午後3時50分になっていました。
オークランド博物館は、
80haもある広い緑の公園の一番高いところにあって、
ローマの神殿のようでした。
入場料は、5NZ$。
1階が、マオリの歴史、生活文化の展示、
2階が、NZの鳥や動物、生態系の展示、
3階が、戦時資料の展示、
まあ、大雑把にいえば、そんな構成になっています。
オトーサン、
「どこから見ていく?最初に2階に行かなくていいかい?」
奥方、
「1階からに決まっているでしょう」

オトーサンたち、
駆け足で、1階のマオリの展示を見て回りました。
1度だけ足をとめてみたのが、マオリのカヌー。
全長25mもの精巧なカヌーです。
オトーサン、
「おれ、マオリを見直したよ」
奥方、
「この彫りもすごいわねえ」
そう言って、1階を走りぬけようとすると、
何やらひとだかりがしております。
オトーサン、
人だかりに弱い性質ですので、
とりあえず、駆けるのをやめます。
奥方、
「マオリのショーみたいね」
簡素な舞台の上で、
腰みのをつけた民族衣装の女性が5人ほどいて、
踊っています。
奥方、
「ハワイのフラダンスみたいね」
そういながらデジカメでパチリ。
オトーサン、
「ラッキーだな。ショウをタダで見られるなんて」
ひもの先についた白いぼんぼんみたいのを
くるくる回しながら踊るのです。
フラダンスよりも優雅な踊りのようです。

ようやく念願の2階へ。
ガイドブックによれば、
ここには、キウイやタカヘ、
そして絶滅した巨鳥モアの展示があるはずなのです。
2手に別れて、小走りに捜索開始。
奥方、
「ここよ、ここ」
オトーサン、
息せき切って駆けより、奥方の指先をみます。
「へえ、小さいんだなあ。ニワトリくらいだ」
奥方、
デジカメでパチリに夢中で、返事をしてくれません。

オトーサン、
ムッとします。
「失礼なヤツだ」
博物館にキウイの剥製があると教えてやり、
タクシーを拾ったほうがいいと適切な助言をし、
駆け足を続けて、せっかくキウイにたどりついたというのに、
お礼のひとつもないのです。
「親しき仲にも礼儀ありといわれるが、
夫婦の仲というのは、親しくないのか?」
愛らしいものの、剥製のキウイを前に、
つい考えこんでしまいます。
「オレたちの愛も、
剥製のように干からびてしまったのであろうか?」
そうした無用な感慨を絶ち切ってくれたのが、
巨鳥モアでした。
地上最大の鳥、大きさは3.5m。


オトーサン、 実は、キウイよりもモアのほうが見たかったのです。 大きいし、それに絶滅したというのが、 何とも哀愁をそそるではありませんか。 オトーサン、 奥方との他愛ない口喧嘩、 資産の目減り、 リストラの横行、 小泉改革の遅れ、 中産階級の没落といった 現世での邪念は次第に遠のき、 いまや広い広い草原や豊かな森が見えてまいました。 この描写に、ご不満の方は、 ジュラシックパークの恐竜がいないシーンでも 思い浮べてください。 「長い時間が経っていった。 さまざまな形の獣が誕生し、そのなかに 翼をもつ獣も誕生してきた。 大きな翼は、体温の調節やひなの日傘に役立った。 またまた、長い時間が、過ぎていった。 あるとき、翼の大きな獣がより大きな獣に追われ、敗走していた。 父祖のように餌食になる定めだった。 しかし、このとき、奇跡が起きた。 翼を思いっきり羽ばたいたとき、空中に体が浮いたのだ。 追手が眼下に遠のいていった」 近づいてきた奥方が、 満足そうにいいます。 「ねえ、キウイみられてよかったわね」 オトーサン、 「そうか、これが彼女の感謝の表現なのだ。 よしとしよう」 夢想を継続いたします。 「気の遠くなるような長い時間が経っていった。 ああ、あの鳥たちのように空を飛びたい。 大陸のすべての獣たちが憧れるほど、 大空いっぱいに鳥が飛びかう時代がやってきた。 そして、また長い長い時間が経っていった。 ある日、鳥の一群が大空を飛んで、 白い雲のたなびく島へやってきた。 この島は、地上の楽園だった。 襲ってくる獣がまったくいなかったのだ」 奥方、 「ねえ、このモアの前であたしを撮ってくれない?」 オトーサン、 「そんなもん撮ってどうするんだ」 奥方、 「そんなもんって、何よ。あたしのこと?」 オトーサン、 「モアに決まってるだろう」 すぐ逃げ腰になるのは、我ながら悔しい気がしますが、 いまは、夢想の続きに没頭すべき時です。 「億万もの白い雲が生まれ、流れ、消えていった。 鳥たちは、ゆったりと暮らしていた。 若い鳥たちが言いあっていた。 親たちのように飛んだってしょうがないだろ。 あくせくすることないよ。 そんなことより、彼女と一日中セックスしたいるほうがずっといいや そうだ、そうだ!」 奥方、 「ねえ、次に行きましょうよ」 オトーサン、 「先に行っててくれ」 早いところ、夢想の続きを終えねばなりません。 「火山が爆発し、大地は揺るぎ、風が吹き荒れた。 島はいぜんとして飛べない鳥の天国に変わりはなかったものの、 生存競争が激しくなってきた。 弱肉強食は世のならい。 そんななか、大型の鳥が現れはじめた、 そのほうが、より大きな鳥の餌食になりにくいからだった。 誕生してきたのは、後にヒトが名づけることになる キウイ、タカヘ、そしてモアだった。 白い雲のたなびく島はいつしか飛べない鳥の楽園になった。 そこにあるとき、ヒトがやってきた。 ...それがすべての悲劇のはじまりだった」 「ねえ、いつまでそこにいるつもりよ。 閉館時間になるわ。3階もまだ見ていないし、 売店だって寄れなくなるじゃないの」 オトーサン、 「行き先々で、買い物ばかりしてどうするんだ」 そう思いましたが、 おとなしく巨鳥モアのまえを離れました。 3階には、 日本のゼロ式戦闘機が展示してありました。 「へえ、はじめて実物をみた。 この戦闘機が優秀だったから、はじめのうちは連戦連勝できたんだ」 奥方、 「これに乗っていた若いひと、どうなったの? 捕虜になったの。それとも、自決したの?」 オトーサン、 その脳裏に、 人間に追われている飛べない巨鳥モアの姿、 次に、敗走する日本軍の兵士たちの姿が浮んできました。 最後に、経済戦争に負けて逃げまどうサラリーマンの大群が見えてきました。


28 パーネル・ライズ

オトーサン、
オークランド博物館では、
巨鳥モアを見ることができて、大満足。
奥方は、キウイの剥製だけだったので、中満足。
博物館の売店は、奥方が安いキウイのピンを買っただけなので、小満足。
総括すると、まあ、こんなことでしょうか。


オトーサン、
キウイ見学の介添え役という義務を果たしたので、
元気になりました。
「さあ、行くぞ!」
ようやく、自分が行きたいところへ行けるのです。
「どこに行くの?」
「まだ、5時。日は高いだろ。パーネルだ!」
ガイドブックの地図をみると、
博物館を出て、北北東の方向にパーネルエリアがあります。
ガイドブックには、
「ヨーロッパのカフェ文化がここにも」
という魅力的な見出しが躍っています。
いくつか評判のお店が載っています。
奥方、
「わざわざ、コーヒーなんか飲みにいくの?」
まことに懐疑的であります。
もう、頭の中には、キウイとキウイ関連の事物しかないのです。
もし「キウリ」と言ったとしても、
「それどこにあるの?行きましょう」
という状態になっております。

オトーサン、
緑濃い公園、しかも下り坂の散策路を
ルンルン気分で先頭に立って歩いていきます。
「この木、何の木、気になる木...♪
名前も知らない木ですけど...」


立ち止まって、しげしげと大木を眺めて、 奥方が追いついてくるのを待ちます。 奥方は、気が進まないときは、 歩幅が狭くなるという特技をもっております。 カーブした散策路を道なりに、 そう、1kmほども歩いたでしょうか、 ようやく公園の出口のひとつに出ました。 1km四方が、100haですから、 オークランド・ドメイン(領地)と名づけられた この公園、80haという面積は、 さすがに歩くと、その広大さを実感します。 気温は25度くらいでしょうか。 もう、汗がにじみ出てきました。 奥方の歩幅は、ますます狭くなっております。 先頭との差は、およそ100mくらいになりました。 オトーサン、 快感を覚えますが、 「これは、陸上競技ではないのだからなあ」 と反省して、また立ち止まります。 ガイドブックを地図を出して確認します。 「変だなあ、線路が先にあるはずなんだがなあ」 前方には、荒涼とした大通りの風景が広がっております。 「...この地図、間違ってるのかなあ?」 オトーサン、 ようやく追いついてきた奥方に相談します。 「おい、どうする? もしかしたら、北北東に行くつもりが、 北北西に進路をとってしまったかもしれない」 「....」 不気味な沈黙が返ってきました。 オトーサンにとって、 そして奥方にとっても、 その後の30分は、悪夢でした。 大通りにはタクシーも走っていないし、 道を聞くひともいなかったので、 てくてくてく、ひたすら歩き続けました。 ようやく、若いひとたちに出くわして パーネルの方向を教えてもらいました。 でも、それは苦しみのはじまりでした。 それはそれは、長くきつい上り坂がはじまったのです。 オトーサン、 流れ落ちる汗をふきながら、 ご贔屓の演歌歌手、岩本久美さんの 「何だ坂、こんな坂、女坂」を歌いながら歩きつづけました。 こういうときなまじ歩きやめると、 疲れがどっと出てきます。 ゆっくりでも、足をとめないのが山登りのコツです。 ふりかえると、 先頭と第2走者とのあいだは、ますます広がっております。 およそ500mもあるでしょうか。 豆粒のようです。 オトーサン、 ハーハー、ゼイゼイいいながら、 ついに立ち止まって、地図を再び確認します。 「そうか、これがパーネル・ライズなんだ。 そういえば、ライズというのは登り坂という意味だったなあ。 ...知ってはいたけど、知らなかった。 きついなあ」 ところで、 世界一急な坂がどこにあるかご存知ですか? 読者のひとり、 「サンフランシスコのノブズ・ヒル?」 オトーサン、 「いやいや、違います。 ここニュージーランドのダニーデンにあるのです。 ギネスブックにも出ていますが、 ボールドウィン・ストリート。 奥行き100mに対して、 46mの下り。 スキーをやっている方なら、 斜度46度は、 目もくらむ怖さだとすぐにお分りになるでしょう。 この時点で、 奥方との距離は、 目視で約700m。 奥方の心中を察すると、 目もくらむような怖さです。


29 響きと怒り

オトーサン、
ついに奥方が歩くのをやめるのを目撃しました。
パーネル・サンライズを登りきったあたりです。
「坂が終わったならば、問題ないはず」
誰もが、そう考えるでしょうが、
「甘い、甘い、それは甘い!」
奥方をよく知るひととしては、
そういわざるをえません。

今度は、パーネル・ロードの
緩やかな登りがはじまっているのです。
それも、全長2Kmもの長さ。
オトーサン、坂をのぼるときは、
いつも先を見ないことにしているので、
あまり長さを感じませんでしたが、
奥方は、
電車の乗り換えだろうが、
家の近所の道を歩くときだろうが、
家のトイレからキッチンに行くときですら、
常に、最短径路を考えるタイプです。
そういう緻密な生涯を送ってきたひとにとって、
直線道路2kmは、おそらく絶望的な状況でありましょう。
最短距離という概念そのものが全否定されております。
径路選択という創意工夫そのものありえない。
これは、相当辛い耐え難い状況であります。

オトーサン、
奥方との長年のつきあいの経験から、
その心境は手にとるように分かります。
「響きと怒り」
この言葉に尽きるのです。
これは、確かノーベル賞作家
ウィリアム・フォークナーの最高傑作の題名ですが、
主人公ベンジーの思考は時を越え、空間を超え、
はてしなく伸び広がっていき、
最後には、気が狂って、自殺も決意するのです。

オトーサン、
「冷静になれ、冷静になれ!」
と自分にいい聞かせました。
こういう時って、
冷静に事態の打開策を考えることができず、
呆然として事態がいよいよ悪化していくのを
見守るだけになりがちです。
口喧嘩、殴り合い、地団太、別居、離婚、
そういうコースは避けたいところです。

オトーサン、
「そうだ!」
急に事態の打開策を思いつきました。
ガイドブックを振りかざしながら、
早足で、坂を下って、奥方のほうに駆けよります。
せっかく登ってきたことに未練がないでもありませんが、
「善は急げ!」
ここは、素直にあやまるしかありません。
誠意大将軍に徹せねばなりません。
「すまんすまん。
お目当てのお店を探していたものだから、
つい先を急いでしまった」
奥方、
「それで、お店は見つかったの?」
やけに口調は、冷静です。
荒い息を押さえている気配があります。
こういう時が、実は一番危険なのです。
あまり汗をかかない性質ですが、額には汗があります。
相当、坂の登りがこたえているようです。
「それが、探したけれど、みつからないんだ」
奥方、
「ちょっとガイドブック、よこしなさいよ」
坂をのぼりきったあたりにある
ベルベ・カフェの記述を読んでいます。
「よさそうなお店ね」

オトーサン、
もう一度、その記述を読み直します。
「パーネル・ビレッジのオアシス
木陰が気持ちいいオープンエアーのテーブルで、
しっかり食事もとれるこの店では、
是非日替わりランチや、
本格的な肉料理、魚料理のディナーを楽しみたい」
写真が2点もついていて、
1点目は、店の外観。
キャプションには、
オープンエアーでの一杯のコーヒーは最高とありますし、
2点目は、ウエイターの写真。
キャプションには、
ウエイターのジョシュは元モデルとあります。

オトーサン、
奥方の顔色がなごみ系へとみるみる変わっていくので、
自分のほうも、いやし系の顔色になりました。
「ウエイターのジョシュは元モデル」
という記述が奥方に著しい即効があったようです。
どうやら、最悪の事態である
「響きと怒り」の危険は、去っていったようです。


30 君がいるから僕がある

オトーサン、
ようやく、お目当ての店を発見しました。
「ここよ」
奥方が指したのは、
オトーサンが先程通り過ぎた店だったのです。
ファサードは、暗緑色。
間口は狭く、照明もない店内にはイスが積み重ねてありました。
「ふーん、人気のパーネルにもクローズドした店があるんだ」
そんな風に納得した店が、ベルベカフェだったのです。
「ガイドブック、一体、どうなってるんだ!」
「変ねえ、誰もいないみたい」
この誰もと奥方がいうのは、
元モデルのジョシュを指しているに相違ありません。

「せっかく来たのにねえ」
「よーし、それじゃあ、
クリントン大統領がきたチョコレート屋に行こう!」
「何という名前?」
「チョコレート・ブテック・カフェ}
オトーサン、
長いビジネス時代に、
代替案(Alternative)を用意するクセがついております。
まあ、そんなにエラソーにいわなくても、いいんですけどね。

奥方が、お店の前で立ち止まります。
100mほど坂を下ったところ。
Chocolate Boutique Cafe
たしかにそう書いてあります。
「ふーん」
奥方は、明らかに不満気であります。
「大統領が来たというから、もっと大きな店かと思った」
「変だなあ。このガイドブック、また、ウソ書いているのかなあ」
店内を外からのぞくと、
奥行きも狭く、
手前にチョコレートを並べたケースがあり、
奥に上品な老婦人と若い女性がいるレジがあり、
その脇に黒い丸テーブルがひとつ。
椅子が2つ。

オトーサン、
もういちどガイドブックをちらっと眺めます。
奥方にも読んでもらいます。
「カフェ併設のチョコレート専門店
クリントン前大統領が訪れたカフェ。
アイリッシュクリーム、ダブルラテなどの凝ったフレーバーコーヒーや
ビタースイート・サブマリーノなどのチョコレートドリンクが人気。
チョコレート専門店でもあるので、
お茶ついでに、
ここでおみやげを買うのも手だ」

奥方、
「そうね、おみやげにいいかもね」
そんな風に許可がおりて、ようやくお店に入ることになりました。
ところが、店員はひとりの老婦人の買い物の世話をしていて、
オトーサンたちを構ってくれません。
「どうする?」
奥方が囁きます。
「買うのをやめて店を出てしまおうか?」
そういう意味です。
「せっかく来たんだから、お土産くらい買ったら?」
「そうねえ」
奥方は、店内を見回します。
すると、チョコレート・ケースと反対側の壁に、
額縁写真が、かかっています。
そこには、クリントン前大統領が護衛たちと一緒に
笑顔で写っているではありませんか。

オトーサン、
モニカとかいう娘にちょっかいかけた
イヤラシイ中年男と彼を軽蔑していたのですが、
この写真に写っている害のない笑顔を見ると、
急に親しみが湧いてきました。
奥方も、
前大統領のフアンでも何でもないのですが、
President Clinton's Coiceを買いました。
どうってことのないチョコレート・パック。

オトーサン、
思い出します。
「そういえば、
不人気No.1の森首相の来店写真もみたなあ。
どこだっけ?
荏原中延商店街だったっけ、
それとも、武蔵小山商店街だったかなあ。
...おせんべいを買ってしまったなあ」

オトーサンたちの世代は、
買い物好き。
買い物に踏み切らせるのには、
ちょっとしたきっかけさえあれば、OK。
この場合は、前大統領が多忙のなかを
地球の反対側まで飛んできて、
わざわざ買いに来た「特別」の店ということが大事なのです。
「そういえば、クリントンさん、
甘いものに目がないのよねえ」

オトーサン、
奥方の機嫌が直ってきたので、
切りだします。
「せっかくだから、ちょっとお茶をしていこうよ」
奥方、
「そうお?」
懐疑的です。
だって、商品陳列スペースの脇に
黒いテーブルと金属椅子が2つあるだけ。
いかにも、ついでにお茶という感じです。
ムードも何もありません。
「おれ、喉渇いているから、一休みするよ」

オトーサンは、
店のメニューのなかから
一番高いアイリッシュ・ダブルラテのアイスを
奥方は、
メニューをじーとみつめて、
「President Tea」を選びました。

オトーサン、
奥方の目をみて、
「どう?味は?」
奥方も久しぶりにオトーサンの目をみて、
「まあまあね」
といいました。

オトーサン、
突然、幸せな気分になりました。
どういうわけか分かりません。
...表現力がないので、
その時の気持ちを的確にいいあらわせませんが、
帰国後に、ふさわしい素敵な詩をみつけました。
そのごく一部をご紹介しましょう。

(引用サイト:http://www4.plala.or.jp/reonoheya/lovepainarifureta.html
すこし手を加えました。ごめんなさい)


どこにでもある言葉
どこにでもある風景
どこにでもある仕草で
僕ら、どこにもないような喜びを知る

封じ込めてしまいたい
優しさと温もりの瞬間...

君がいるから
僕がいるから
君と僕がいるから

ずっと続いてゆく
ありふれた特別な瞬間...

オトーサン、
引用したあと、ポツリ。
「まあ、もう若くはないから、
この詩ほど特別な気分じゃなかったけどね」


31 ああ、安ホテル

オトーサン、
朝起きて、体をひねりながら、奥方にいいます。
「このホテル、安ホテルだなあ。
ベッドが3台もあるから変だなあと思ったけど、
案の上、ひどいもんだ。
このベッド、狭くて落ちそうだったし、
おれ、寝ていて、腰が痛くなった」
「そうね、ひどいもんね。
アメニティ・グッズ、なにひとつ置いていないのよ。
ティッシュ・ペーパーすらないのよ。
ゴミ箱もひとつだけ」
「枕は、ふにゃふにゃ、毛布は安物。
これじゃ、寝袋で床に寝ていたほうがまだマシだ」
「トイレは狭いし」
「そう、便器も安物」
「ここのクローゼットときたら、
扉もカーテンもないのよ、剥きだし」
「時計は壊れているし」
「ベッド・サイドランプも故障」
こう言う風に、次々と悪いところを上げていきましたが、
キリがありません。
ついにふたりで顔を見合わせて笑いだしました。

オトーサン、
不意に、昔、ビンボーだった頃を思い出します。
お金がなければ、旅行になど行かなければいいのでしょうが、
若さで好奇心がはちきれんばかりでしたから、
旅館やホテルの掘り出し物がないか、探し歩いたものです。
「...箱根の旅館を思いだすなあ」
「ああ、あの旅館?
前まで行って、あんまりボロ家だったから、
泊まらなかった旅館よねえ」
「そうそう、それに千葉の岩井海岸のペンション」
「泊まらないで、帰ってきてしまったわね。
台風が近づいていて、家の老母が心配だからってウソついて」
「金魚風呂!」
「そうそう、あれは、伊豆の国民宿舎だったわよねえ。
お風呂に、金魚の水槽がぽつんと置いてあったわ。
それなのに、金魚風呂って宣伝していたのよねえ」
「あれには驚いたなあ。
あそこのオヤジ、まるで旧陸軍の鬼軍曹だった」
「いちいちハシのもちかたから座り方まで直されたわ」
「まあ、あそこに比べれば、ここは、まだマシか」

「でも、夕べはうるさかったわねえ」
「隣部屋、あれ中国人の団体だろうな。
初めての海外旅行で、よほどうれしいのか、大騒ぎ。
寝入りはなを起こされたので、カーと来て、
思わず、壁をドンドンと叩いたら、静かになったけど」
「SORRYなんて大声で謝まっていたわよねえ。
だいたい壁が薄すぎるのよね、声が筒抜けなんて」
「そうそう、エアコンもひどかった、
オレ、喉がらがら」
「わたしもそうよ」
「このホテル、いままで海外旅行で泊まった宿で
サイテーだったなあ」
「WORST1よね」

このHIS手配のNZツアー、
7泊8日のツアーです。
最初の1泊目が機中箔ということで分かるように、
極力経費を切りつめたツアーです。
奥方が、どうしてもNZに行きたがって、
2万円ほど安いパックを選んだのです。
「ホテルがダウンタウンより遠いのさえ、
我慢すればいいのよね」
最初に、2泊したクライストチャーチの
エルムズ・ホテルは、案の上、市の中心から遠かったのですが、
設備的には、何の問題もありませんでした。
次に2泊したクイーンズタウンの
リッジス・レイクランド・リゾートは
湖畔にあって景色もいいし、設備もサイコーでした。
ところが、最後の2泊で、
どうやら化けの皮が、はがれたようです。
ここで名前をあげていいかどうか迷いますが、
あえて、申しあげましょう。
その名は、クオリティ・イン....
やはりホテルの営業にさしさわりがあっても何ですので、
途中で、やめておきましょう。
オトーサン、
腰の痛みををさすりながら、嘆きます。
「クオリティのかけらもないなあ」

オトーサンたち、
思いきってホテルの食堂へ朝食を取りに行きます。
「一度くらいホテルで食べてみようや」
ところが、中国人の団体でうるさいこと。
ようやく窓際のテーブルをみつけて落ち着きます。
「ビュッフェ・スタイルのようだね」
そういって、卵や野菜、ソーセージー、コーヒーなどを
取ってきたのですが、
「まずい!」
奥方もお腹が空いているで、一応食べましたが、
「ヨーグルトが、おいしかったわね」
解説しましょう。
これは、市販の紙コップ容器のヨーグルト以外は、
まずかったという婉曲話法です。

9時半になりました。
今日の奥方は、
オークランドのダウンタウンで買い物をして、
動物園でキウイバードにお目にかかるのを楽しみにしています。
ホテルのシャトルを待ちます。
ところが、待てど暮らせどシャトルバスがやってきません。
ホテルのカウンターのひとに聞きます。
「いつ来るんだ?」
「さあ、いつも遅れますからねえ」
実に頼りない返事です。
10時になりました。
中国人らしい若夫婦もじっと待っています。
ミニバンが来たりすると、駆け寄って確かめて、
クビを振っています。
シャトルバスは、なかなかやってきません。
オトーサン、
ついにたまりかねて、もう一度、
ホテルのカウンターのひとに聞きにいきます。
「30分も待った。一体、いつ来るんだ?」
係員。
「今日は、こないのでしょう」
オトーサン、
あきれはてて、次に、愉快になります。
ここまでひどいホテルは、はじめてです。
もうこうなれば、ホテル名を公表できます。
その名もクオリティ・イン・ローガンパーク。
戻ってきて、ニヤニヤしながら奥方に告げます。
「今日は来ないんだってさ」
奥方、
「...いくら何でもひどいわよねえ。
帰国したら、HISの社長さんにひとこと言わなくてはねえ」

結局、運良くやってきたタクシーに
中国人若夫婦と相乗りでダウンタウンにまで行きました。
オトーサンは、前の席。
奥方は、リアシートで中国人若夫婦と3人掛け。
道中、20分ほど、英語で何やら会話を交わしていました。
オトーサン、
びっくりします。
奥方は、カラキシ横文字には、弱いと思っていたのです。
「へえ、案外、英語、うまいんだねえ」
料金は、奥方が英語で話をつけて、
割り勘にしたので、10NZ$ほどですみました。
若夫婦とDFSギャラリアの前で別れて、
すぐそばにあるOKギフトショップに行こうと、
信号待ちをしているときでした。
奥方が得意そうに、話しかけてきます。
「あのひとたち、台湾人なのよ」

オトーサン、
また特別な瞬間を経験しました。
「オレは、ひょつとしてシアワセ者なのかもなあ。
何しろ、英語をかなりしゃべれる力強い戦友がいるんだ」


32 ああ、巡回バス

オトーサン、
今回のニュージーランド旅行は、
そもそもパッケージ・ツアーの参加費用が高いので、
それ以外の費用は極力減らすことに決めております。
旅行費用は、総額で30万円以内。
パックツアーの参加費用は、止むをえませんが、
それ以外は、自分達でコントロールできるはずです。
「一生に一度の大名旅行!」なんていう考えは、もう時代遅れ。
「海外旅行を日常的に!」が、国際化時代の常識です。
それには、安い費用で海外旅行を愉しむコツを
身につけることが大事です。

オトーサン、
これまで数々の海外旅行を経験してまいりました。
そのなかで、費用削減の基本3項目と
それぞれの項目における3原則をほぼ整備してまいりました。
それを、初公開しましょう。

1)食費削減の3原則
・ホテルのレストランでは食べない。
・レストランなどでの外食は極力避ける。
・食材を地元スーパーで調達する。

2)交通費削減の3原則
・タクシーには乗らない。
・バス・地下鉄・フリーシャトルなどを利用する。
・徒歩を愉しむ。

3)おみやげ費用削減の3原則
・衝動買いはしない。
・ブランド品には近寄らない。
・誰もが買うようなものは買わない。

このほか、
・為替レートの有利なものをこまめに探すとか、
・日頃から、日本ではモノを買わないで、海外で買うとか、
・海外傷害保険に入らないという奥の手もあります。
「ラッキー!今回で、累計30万円儲かった!」なーんて
オトーサンが着陸時に笑っているのが、聞こえますか?
でも、これは、決して、万人におすすめできません。
「飛行機が落ちたらどうするの?」
「かまやしない、その時は、その時!」
そういうふてぶてしい精神が必要不可欠であります。

さて、前置きが長くなりましたが、
オークランド動物園までタクシーに乗れば、
すぐに到着するのでしょうが、
交通費削減のためとあれば、そうはいきません。
そこで、ガイドブックを参照します。
ここオークランドでは、市内を走る3種類のバスがあるようです。
1)エクスプローラー・バス(Explorer Bus)
2)市バス(Stagecoach)
3)リンク(The Link) 
オトーサン、
それぞれの行き先、乗り場、料金など説明を読んでいます。
「面倒だな、どれが動物園に行くのか、さっぱり分からん」
奥方が、親切に教えてくれます。
「このツアーには、エクスプローラー・バスの
一日無料乗車券がついているのよ。
動物園もそれで簡単にいけるの」

「ふーん」
どうやら、このエクスプローラー・バスは、
市内の主要な観光スポットを巡回しているようです。
いま、オトーサンたちが向かっている
フェリー乗り場を起点として
右回りに、
ビーチ、水族館、バラ園、教会、
昨日行った博物館、パーネルビレッジを経て、
観光案内所、スカイタワー、市場、アメリカズカップビレッジ、
最後に、また元の場所、フェリー乗り場と巡回しているのです。
「おいおい、どこにも動物園がないじゃないか」
「よく見なさいよ、
その隣に、もうひとつの輪があるでしょ」
そうでした。
博物館で、もうひとつの巡回バスと接続していて、
昨日行ったマウントイーデン、行かなかったセントルークス、
そして、3つ目が動物園となっています。
「じゃ、博物館で乗り換えればいいんだ」
「そうよ、簡単でしょ」

このバス、2階建てで、素敵なバスのようです。
1日乗車券が25NZ$。30分おきに運行。
10時30分。
間もなく青い車体が到着しました。
奥方が、意気揚々と先頭に立って乗り込みます。
残念ながら2階の最前列は、
白人親子連れがすでにうれしそうに占拠しています。
しょうがないので、2列目で我慢。
バスは、順調に、ビーチ沿いを走ります。
オトーサン、どこまでも青い海岸にうっとりします。
「オークランドもなかなかいいなあ」
奥方に囁きます。
「ミッションベイで、降りるか?」
「どうして?」
「ガイドブックに、バー・コミダがおすすめって書いてある」
「昼間からバーに行ってどうするのよ」
「いや、おいしいコーヒーやデザートがあるらしい」
「あたし、まだ、食欲ないわ」
オトーサン、
通リ過ぎていく海岸沿いにあるバー・コミダの
瀟洒な建物をうらめしそうに眺めます。
「あそこのチェアに座って、青いまぶしい海をみながら
おいしいコーヒーでも飲んだら、
さぞかしいい気分になれるだろうになあ」

奥方も、海岸風景にゴキゲン。
「ねえ、江の島海岸みたいね」
「そうかねえ。ヨットの数がちがうだろう」
「...ほら、見える? あのタワー? 対岸の」
「スカイタワーだろ」
「南半球で一番高いそうよ。何メートルあるか知ってる?」
「いや」
「328mよ、328メ−トル。後で乗ってみる?」
「いや」
オトーサン、
要求が却下されたので、すこし不機嫌です。

さて、30分ほどで、
オークランド博物館に到着。
昨日来たので、景色はおなじみ。
入り口の広い階段に腰をかけて、遠くの海をみながら、
動物園行きのバスを待ちます。
タクシーがやってきたり、
大型の観光バスが到着して、
ひとびとがこぼれ落ちてきたりしますが、
一向にお目当てのバスがやってきません。
今朝、ホテルでシャトルバスに待ちぼうけを食わされた
苦い思い出がまざまざとよみがえってまいります。
「このバス、ほんとうに運行しているのだろうか?
ガイドブックの記述は間違っていないだろうか?
30分に1本ではなく、1時間に1本ではなかろうか?」
「疑心暗鬼」とは、
まさにこのような心の状態を指すのでしょう。
言いえて妙であります。

11時30分。
ようやく青い車体のバスがきました。
運転手は、背の高い陽気な中年女性でした。
「はーい」と手招きまでしてくれます。
オトーサンたち、
いそいそとバスに乗り込みました。
ところが、
ああ、このバス、パーネルビレッジへと
向かっているではありませんか!
「しまった。乗りまちがえた!」
「逆戻りってわけ?」
「そう」
オトーサンたち、
パーネルビレッジから
観光案内所、
スカイタワー、
市場(ヴィクトリア・マーケット)、
アメリカズカップビレッジを経て、
フェリー乗り場に戻りました。
元の場所へ戻ったのが12時。
旅先では貴重な1時間半を空費したのです。

オトーサンたち、
乗客たちがうれしそうに乗り込んでくるのを見守ります。
バスは、これから、ふたたび、
ビーチ、水族館、バラ園、教会の順に、
同じ景色を復習しつつ、
オークランド博物館へと戻ろうとしているのです。
オトーサン、ぼやきます。
「タクシーに乗ってりゃ、
今頃は、もうキウイバードに会えただろうに。
ああ、腹減った」

「ああ、巡回バス」のお粗末でした。


33 憧れのキウイバード

オトーサン、
前方に再びミッション・ベイの青い海原が見えてきました。
「おい、ここで降りようや」
「どうして?」
「まあ、いいから、いいから」
そう言って奥方を無理やりバスから引きづり下ろして
タリー・タールトン水族館へ。
海に面した小さな水族館です。
料金はひとり23NZ$。
「高いなあ。
でも、ひょっとしたらめずらしい生き物に会えるかも」
はいると、まずライド。
「これから南極探検に出発いたします」
ディズニーランドのライドを想像してください。
それに、0.01を掛けてください。
「分かりましたね。では、出発」
ゴトゴトゴトゴト。
この乗り物、だいぶ古びてきて、
騒音と振動が売り物のようです。
「おお、モーテルみたいだ」
みなさんも一生に一度くらいモーテルに行ってみたいと
思ったことがあるかもしれませんが、
あの黒いゴムの垂れ幕をくぐるのです。
そこは彼女(彼氏)とのめくるめく別世界のはずが、
この水族館では、南極とおぼしきところに出るのです。
「おお、いるいるペンギンが!」
「可愛いわね」
ひょこひょこ歩く姿、
ふてくされて寝そべっている姿、
活発に水中を移動する姿、
いずれも一応絵になっています。
「なーんだ、もう終わりか」
くたびれた係員のおにいさんの姿が見えて、
南極探検ライドは数分で終り。
奥方いわく。
「なんだか寂しいわね、でも一度南極に行ってみたくなったわ」

オトーサンたち、
このあと、水族館のチューブのなかを歩きながら
いろいろな海の生物に、ご対面。
サメ、マグロ、名前も知らぬ小魚群...。
カメとエイ。
「キャーツ」
先生に引率されている幼稚園児たちが大騒ぎしています。
「いいなあ、小さい時って」
おそらく子供たちの目には、
この貧相な水族館が、
100倍くらい素敵に見えているのでしょう。

オトーサンたち、
午後1時35分、
博物館で、ようやく正しいバスに乗ることができて、
念願の動物園に向かいます。
到着は、午後2時すこし前。
「腹減ったなあ」
ホットドッグを食べながら、
パン屑を孔雀、鳩、ゆりかもめたちにやります。
ギャーギャーと大騒ぎです。
奥方は、バッグからポップコーンの袋を取り出して
投げ与えています。
「だめだめ、あんたばっかり食べちゃ」
均等に分け与えればいいのに、
お気に入りのゆりかもめにだけ与えようと努力しています。
その点、ハトは気の毒です。
孔雀は、「こわいわ」ということで、
餌をやるのはオトーサンの担当です。
ところが、コイツは大食漢。
しょうがないので、ホットドッグを買い増しました。
「ニュージーランドでは、ポプコーンは必需品ね」
そうやって苦労しているオトーサンに対して
奥方は、そうのたまいました。

「もう2時55分か。
ちっぽけな動物園だけど、
ひとわたり、見ておくか」
「キウイを先にしなくていいの?」
ちょうど、園内周遊のサファリ・トレインが
目の前にやってきたので、乗り込みました。
気分は小学生。
「ぞう、きりん、らいおん、
フラミンゴ、フラミンゴ。
楽しいな、楽しいな。
シュポ、シュポ、シュッポッポ」

午後3時20分。
ようやく一日がかりで
念願のキウイバードの展示館にたどりつきました。
なかは、真っ暗。
映画館も暗いですが、そんなものではありません。
まったくの闇。
「どこだ? どこだ?」
「どこかしらね」
誰もほかにいないので、奥方と声をかけあいました。
「もしかして、いないんじゃなーい?」
「そうかもなあ」
一旦、外に出て、まぶしい日光のもと、
展示館の文字を再確認します。
「キウイと書いてあるよな。
いまいないとは、どこにも書いていないよなあ」
もう一度入り直して、目が暗闇に慣れるまで、
忍耐強く待つことにしました。
「ここは、辛抱ひとすじだ」

10分くらい経ったでしょうか。
「いた、何かいた」
オリのなか、入り口の近くに、何やらすばやく動く物体。
「キウイよ」
奥方が、息をひそめてささやきます。
大声を出そうものなら、物陰に消えてしまいそうです。
赤外線に照らされボンヤリと浮かび上がってきたのは、
まさに絵でみたとおりの形をしていました。


「すばしっこいのねえ」 「だから、生き残ってこられたのだろう」 オトーサン、 表面は冷静な物言いをしましたが、 内心では、 「おお、よくぞ生きながらえてきたなあ。お互いに」 そう、しみじみ思いました。 午後4時、 動物園見学を終えて、 アイスクリームをたべながら、バスを待ちます。 奥方は上機嫌です。 「キウイバード、見られてよかったわねえ」 「よかったな」 奥方は、白いゆりかもめにポップコーンをやっています。 ギャーギャー、あちこちの森から集まってきます。 「よかったわねえ、見られて」 奥方が繰り返します。 「よかった、よかった」 奥方は、おなじくバス待ちの老婦人にも ポップコーンを分けてあげています。 オトーサン、 身内なのに、ポップコーンをもらえなかったのですが、 「よかった、よかった」と 内心で何度も繰り返しました。 奥方、 帰りのバスのなかで、 「ニュージーランド、ほんとにきれいな国ねえ」 オトーサン、 「老後を過ごすか?」 奥方、 「....」 オトーサン、 「じゃ、3ケ月くらい暮らしてみるか」 奥方、 「そうねぇ...」 花好きの奥方の声が、弾みかけました。 (終わり)


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