パソコン苦労話

目次
1 妻子は問う
2 入力?革命    


1 妻子は問う オトーサン、 最近、パソコンやインターネットという言葉が 連日のようにマスコミに登場して、ややウンザリ。 いまや、誰でもウィンドウズ95や98を知っている。 さかのぼるが、パソコン遍歴とその苦労話を聞いて やっておくんなさい。 95が発売されたときの秋葉原は、すさまじかった。 深夜の発売を待ちかねて、大勢のひとが行列して買い求めた。 2年後、パソコンブームは急速に冷め、家庭需要が伸びない。 その理由は、1992年に出した「至福の経営」で警告したが、 誰もが思っていることを業界が、無視し続けたからである。 「しかし、そのまえに国際的にもスターであるこの業界は、 生活者の立場に立って基本的なことを、ひとつひとつ、 詰めていってほしいのである。 つぎつぎと新機種を出していくのにはすごみすら覚えるが、 一方で誰も喜ばない、儲からない製品をつくってどうするのか と他人事ながら気になる。 オトーサンの場合、 購入したばかりの数十万円もする386のCPUを装備した 最新型のパソコン本体は、あと半年もすれば旧式になり、 486でないとダメという。 現に百科事典などのソフトを利用しようとすると、 CD−ROMを搭載した機種に買い替えるか、 周辺装置を追加購入しなければならない。 マニュアルを丁寧につくる、 機能を複雑にばかりしないで 誤操作のないように単純化する、 既存機能やソフトとの連続性を保つ、 異なるメーカー間のソフトの互換性を高めるなど、 業界には、やりのこしの仕事が沢山残っている」 オトーサン、 386のデスクトップ型パソコンを弟の息子に譲って 秋葉原のパソコン・ショップを探し回り、ノート・パソコンを購入。 夏のボーナスで買ったが、もう冬のボーナス時には、 95が、この486の機種では動かないことが判明。 まだ使いこんでもいないその機種を息子に譲り、 新たな機種を模索しはじめた。 30万円もした機種の値段は、半年後に半値以下になっていた。 それが業界常識だという。 オトーサン、 95年の年末、ウインドウズ95のブームに湧く秋葉原で、 17インチ・ディスプレーのデスクトップ型パソコンを買った。 おまけのソフトも沢山ついていたが、さんざん試した後、 ついに、体験したもろもろの感情に気づいた。 それは、カキクケコで表わされる。 悲しさ、恐怖、苦痛、嫌悪感、困惑の頭文字である。 また、「サイシハトウ;妻子は問う」であった。 寂しさ、苛々、悄然、恥、当惑、鬱の頭文字である。 そんなオトーサンをみて、 「どうしたの、何か あったの?」 と妻が聞くのである。 ああ、どうして妻子が問わないようなパソコンやその ソフトが、できないのだろうか。 オトーサン、 いまや、すでにある確かな悟りを開いている。 現代においては、 すべての喜怒哀楽を味わえるのが、ウェッブ・ライフなのである。 これまで、わが妻子には、さんざん喜怒哀楽を味あわせてもらったが、 いまや、妻子だけだけではなく、ウエッブも仲間入りした。 つまり、喜怒哀楽の幅と高さがましたのである。 これを、HTMLで記述すると、以下のようにある。 <A HREF=”喜怒哀楽” depth=”100% heght=”100%”> 喜怒哀楽</ああ!>


2 入力?革命 オトーサン、 ほかの女性には手をださない。 これは、大方針である。 そこで、これをパソコンに適用する。 余計なソフトには、一切、手を出さない。 私は、ワードという日本語ワープロソフトだけを 使いこむことにした。 そのうち、またも真理に目覚めた。 おれは、キーパンチャーになるために パソコンを買ったのではない。 入力など、やりたくない! オトーサン、 そこで思い切って、スキャナーを購入。 コピー機のようなものである。 1頁分の文章があっと言う間にパソコンに取り込める。 いわば、パソコンという独身男性に、 若いブロンド美人のスキャナーさんが お嫁にきたようなものである。 ただし、お嫁さんの家事能力はいま一つで、 とんでもない読み違いをすることも多々ある。 正解率7割といったところである。 「神」は「ネ 申」になる。 神をもおそれぬエラーぶりである。 最初は、一字一字訂正していたが、 ある時、憤然としてつぶやいた。 冗談じゃない、実家の仕込み不足を、 なぜ俺がカバーしてやらねばならないんだ。 そこで逆発想でいくことにした。 スキャナーさんをこき使うのである。 間違った文字などは直さない。 一種のアイディア・プロセッサーとして使って、 どんどん入れた原稿を消していく。 1頁分の他人の文章を入力し、残すのは、たった1行。 いわば、嫁さんのアラ探しはせずに、 ほんのちょっぴりでもよいところに 目を向けるようなものである。 そんなに入力したらハードディスクがパンクするのではないか。 そんな心配は無用である。 画像追求で大容量化し、1Gは普通だから、 新書ならば、何と4000冊分も入る。 「キー入力から、スキャナー入力、大量消去」 への発想の転換である。 モットーは「入るを図って、消すを惜しまず」である。 その後の知的生産性の向上には、目をみはるものがあった。 ある大学の謹厳実直な先生にお話したら、 「君、それは、盗用だよ」といわれた。 しかし、その先生のご本だってすべてが独創的な文章ではない。 背景や経緯やデータなどは、周知の事実だから、基本的には、 鉛筆で書こうが、万年筆で書こうが、引用であり、転記である。 同じことをパソコンでやると急に盗用になるというのはおかしい。 先生の持っている文献の数は限られている。 しょっちゅう図書館通いをして、他からみれば不能率だが、 本人は幸わせな人生を送っておられる。 一方、こちらは蔵書4000冊もの図書館を、 机の上のパソコンに持っているようなものだから、 画面に呼び出して貼りつければ、もう文章は完成である。 そんな説得も効を奏してか、わが大学の同僚にも スキャナーさんのフアン が増えた。 数年前とはちがって価格も下がり、誰でも手が届く。 学生にもフアンが増えた。レポート作成時のお得意の 「文献丸写し」がスキャナーさんによって スピードアップするのだから、こたえられない。 私はゼミで試みに「スキャナー丸写し術」を黙認する代わりに 浮いた時間と労力を独創的な意見を付加する方向へ向けよ、 独創性によってレポートを評価すると宣言してみた。 学生は、仲間と手分けしてデータベースをつくる。 FDだって新書4冊分の情報が入るから、 それを交換しあうことで、あっという間に分厚い論文をつくってしまう。 空いた時間を、いい参考文献を探したり、仲間と議論して 論点をつめたり、文章を推敲したりするようになった。 この方法は、この道の達人、野口悠紀雄さんの 「{超}整理法」にも書かれていないようである。 「パソコンをどう使うか」の諏訪邦夫さんらが 少し手がけている程度である。 誰でも、スキャナーさんを家に迎えれば、 数百頁の本を数ケ月で書き、電子出版できる時代がきた。 老後には、大量の本が書ける。 家内安全、商売繁盛である。 昔は、体力のある者だけが東海道を徒歩で数ケ月もかかって 都へ行けたのが、いまは、新幹線のおかげで病人でも 数時間でいけるようになった、 そうした交通革命に匹敵する革命が、入力革命で起きる。 いわばパソコンとスキャナーは、 仲のいい新婚夫婦なのである。 21世紀には、パソコンなどのデジタル情報が 主流になるというのに まだ、世間には 「情報入手は書物から」と決め込んでいるひとが多い。 「60の手習い」と及び腰で取り組むのは止めよう。 若いもんに馬鹿にされるだけである。 それより、パソコンに、美人スキャナーさんを 添いとげさせてやってほしい。 何たって「入力革命」の時代なのである。 バイアグラが発売されて、 アッチのほうの入力革命がはじまった。 こちらの入力だって、革命しよう。 革命だ、革命だ。


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