ホームページ特攻隊員の手記


昔、むかし、あるところにオトーサンがおりました。

オトーサン、皆さんにご挨拶しなさい

うららかな春のある日のことでした。
お若い方はご存知ないかと思いますが、ちょうど、
「鬼畜米英」が盛んな頃だとおぼしめせ。

戦争は続いしておりましたが、オトーサンば、
ああ、やっとわが家にも平穏な日々が訪れたなあと思って
おりました。
そうーなんです。
オトーサンは、戦地から負傷して帰ってきて、それも回復し、
本土の工場での作業も一段落したところだったのです。

人生は一場の夢なり。
すべては、夢。
夢か、現実(うつつ)か、幻(まぼろし)か
終わってしまえば、
過去も、現在も、未来も、区別なんてありゃしません。
時間も、空間も存在しないのだ。
なーんて、オトーサン、半分、自分の実感で、
わけのわかないことを、のたまっております。

そこへ、
晴天の霹靂(へきれき)!、
「あたし、会社やめて、倫敦(London)で勉強するわ」
次女が、そうオトーサンに宣戦布告したのでした。

オトーサンは、突然の戦争勃発に、狼狽いたしました。
「せっかく、いい会社に入って、気持ちよく仕事して
いるのに、どんなもんかなあ」

次女は、すでに決心をしておりました。
「自分の運命を会社頼みにしない」
何年か前から、敵性言語の英会話も習っておりましたし、
最高学府(古語。大学のこと)への入学手続き
ホームステイ(下宿のことか)の手配、すべて済んで
おったのであります。
ああ、まさに、
「知らぬは、大本営*ばかりなり」
(*戦争中枢。今でいえば、nobaka-san)
でありました。

実は、秘密ですが、戦局は不利とみて
すでに、NYに長女が亡命しております。
ですから、オトーサンは、次女にだけ海外逃亡はいか−ん
とは、いいにくいのでありました。

長女とは、手紙でやりとりをしておったのですが、
次女は、やはり時代は進んでいるのでしょう
友人とメール(郵便の一種に過ぎないが、電子メールという新兵器のこと)
をやりたいと言い出しました。

「パソコンを買いたいから、付き合ってくれない?」
娘は、丸一日、オトーサンを、ラオックスをはじめとして
秋葉原(アコギな商売で、焼野原になりつつある)を引きまわした挙句、
「やっぱ、高いわ」といーました。
「オトーサンのパソコン、デザインがイマイチねえ」
と、オトーサンのPC(一般のヒトには分からない暗号)を
みております。
何やらキナクサイ硝煙の匂いがいたします。

オトーサンのは、
富士通(富士電機の子会社)のノートパソコンで、
約1年前に買ったものです。
BIBLO(これも敵軍に知られないための暗号)
高倉健(昔のひとではありません)がPRしておりますが、
流行の銀パソ(これも暗号)でもなければ、ソニーのVAIO*
のようなしゃれたデザインでもありません。
(*バイオ・ケミカル技術は未使用)     
つまり、新型兵器ではありません。
しかし、黒くて、重いけれども、CDーROM(これも暗号)も
モデムという「通信平気」(原文のママ)も
一応装着した強力な兵器でありますよ。

やがて、娘は、
「これ、ちょうだい」
というやいなや、ご自分の部屋へもっていってしまったので
あります。
分かりやすくいえば、「没収」ですな。
あるいは、戦時品の調達ですかなー。
何の法的根拠もなく、所有権の移転がおこなわれたのですぞ。
まあ、戦時中ですから、法も秩序もありませんな。

オトーサン、大学と山荘には、デスクトップという重戦車*が
あるものの、
(*21世紀の初頭には博物館にしか置いていない)
単身赴任中の名古屋のアパートには、パソコンがない状態に
なってしまいました。、
いわば、名古屋のアパートでは、「パソコン失業者」状態。
そんな言葉があるかどうかは、分かりませんが、
オトーサンの実感として失業者に転落したわけであります。

平成の御世には、突然リストラされ、
再就職先で面接されて、「何ができますか」と訊かれて
「私は、総務部長ならできます」
なーんて答えて、失笑を買うひとが多かったそうですが、
オトーサンのパソコン暦だって似たようなもんであります。

かねがね、大学ではホームページをもち、NYの長女なんぞと
たまーにメールのやりとりなどもしてはいたのですが、実は、
学生や職員に手伝ってもらっていた状態でした。
いわば、
「サナダムシ」(回虫の一種。人体に寄生し、体長1m)
ですな。

モンモンとした日々が続いておりましたが、
ある日、オトーサンは、突然、ハイな気分になりました。
「やったろーじゃないか」
「身を棄ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」
「千里の道も一里(約4キロメートル)から」
ビル・ゲーツさん(敵軍最高司令官)が、聞いたらのけぞって
笑い出しそうなセリフを口走っております。 

そして
はじまりました
はじまりましたとも。
戦争です。
オトーサンまで
ホームページへ、いざ、出陣です
オトーサンは、身ぶるいしました。、
まるで、びしょ濡れのワンちゃんが身震いしたようであります。

次女が倫敦で暮らしはじめるまでに、可及的速やかに
わが部隊は、インターネット環境を
グローバルに(大東亜共栄圏を大きくしたもの)
確立するのだッ。

かくして
オトーサンの、苦難の日々がはじまったのであります。
壁にぶちあたり、
ぬかるみに足をとられ、
「何で、いい年して、こんな目にあわなくてはならないんだ」
と、何度、ためいきをついたことか...

あわれ
オトーサン
オトーサンの運命や、いかに?

でも、オトーサン、敢然と戦いぬきました。
その結果が、皆様ごらんのHPという敗戦であったとしても。

以下は、その戦争日誌であります。
恥ずかしながら、全て情報公開。
あー、はずかし。
生きて虜囚の目に合うとは。
と、オトーサン、ぼやいておりますゾ。

しかし、これも、2度とこのような苦しみを祖国の民草に与えたくない、
「2度と戦争はおこしません」
という戦中・戦後派世代ならではの熱き心情からであります。

21世紀を間近に激化した情報戦争。
日本軍は、いまやミッドウエイで敗れ、戦鑑ヤマトは撃沈
米軍の沖縄上陸寸前であります。
(来年には、くしくも沖縄サミットがあります)
まさに風前のともしびですなー。



したがって、以下は、単なるPC(暗号。前掲)習得のメモにみえても、
バタバタ倒れていく戦友の横で、粗末な紙に書っかれた特攻隊員の
遺書のようなものと思っていただきたい。

やがて、後世の歴史家が、解説を加えるでありましょう。
面白おかしく、オトーサンの戦時行動を論評することでありましょうな。

「笑うべし、かれの愚行。
 かれは、大小さまざまな誤まちをおかした。
 膨大な戦費に対して、あまりにもはかない戦果。
 そこに、悪意があっとは、あえて、いわない。
 信じられないほどの、数々の不注意が、かれを悲劇的というより
 喜劇的な存在にしたのである」
 
しかし、娘さんよ、オトーサンは、人生と同様、
過ちの連続ではあったけれども、敢然と戦ったのだということだけは
信じてやってください。
そして、失敗を、誰のせいにもしなかったことを。
すべて、わが身に引き受けたことを。

NTT*のせいにも
プロバイダーのせいにも
ソフト会社のせいにも
パソコンショップのせいにも
解説書を書いたひとのせいにも、
muno-daをはじめとするsafeのせいにも
しなかったのですなー。


*NTT:正式名称は、non-profit technical terminal
(利益を追求しない端末技術集団)
しかし、欧米や巷では、no-tenki timid type 
 (強いて翻訳すれば、能天気で臆病なヤツ)といわれている。
月額5000円の定額料金になかなか踏み切れないことから
   きているようである) 

さてと、
前口上は、このくらいにして
いざ、ホームページへ突撃!、
パッパカ、パッパ、ラッパッパー。


HP戦争日誌

6月の戦い 29日(”回線”記念日) ・名古屋のNTTとISDN契約 ・長久手*の上新電機で購入   *小牧長久手の戦いを想起せよ   シャープ・メビウスPCーMJ10M 30日(敗走ハジマル) ・ニフティに接続失敗(NTTの高料金を気にして、記入あせり) ・AOLに接続失敗(最後に要求されたクレジットカードなし) 7月の戦い 1日(敗戦) ・ドリームネットとの接続に失敗(記入が面倒) 2日(アイツグ敗戦) ・接続に失敗(記入ミスで拒否通告と再三の警告) 3日(特記事項ナジ) ・YAHOOなどパソコン雑誌4冊、手あたリ次第に読む。 6日(フタタビ戦線ハ膠着) ・NTTからISDN接続完了との電話 ・ISDNのTA接続に失敗(不注意) 7日(敗走寸前ナリ) ・ISDNのTA接続に失敗(NTTの解説書不親切) 9日(戦局ハ小康状態ナリ) ・ISDN経由でようやくDREAM NETとの接続に成功 ・NYの長女に初メール 10日(作戦会議ヲヒラク) ・購入   川嶋優子、高作義明「土日でマスター インターネット」新星出版社1999  日本の能率協会編「日本で一番やさしいホームページの作り方」1999 11日(新秘密兵器ガ到着) ・購入   大須の上新電機でオフィス2000 13日(大本営発表:戦局ハ好転セリ) ・オフィス2000インストール ・倫敦の次女から初メール ・川原晃氏より誤メール爆弾に対する抗議?のメール 17日(大本営発表;ワガ日本軍ハ陣地ヲ確保)、 ・高坂洋さんから初メール 19日(防空壕ヲ掘ル) ・ホームページづくりを開始 21日(敵軍、ビラヲ大量に配布セリ) ・「AKKYvs東芝事件」大学でチェック。アクセス600万件! 22日(大本営発表:ワガ軍ハ、兵舎ヲ再建セリ) ・窓の杜からダウンロードに初挑戦。   画像変換ソフト「GIX Pro」成功   解凍ソフト「Lasa」(らさ)成功  FTPソフト「FTP Exploler」失敗(解説書不備) 23日(大本営発表:ワガ軍ハ、本土ニ向ケ転戦セリ) ・DREAM NETにホームページ開設手続き (2Mとは。他社にくらべて少なくない?) ・新幹線でPC初めて使用、バッテリー切れなし (2時間とは。少なくない?) 24日(上陸セル米軍ト小競合アリ) ・購入   所有しているデジタル・カメラ、カシオQV10A用PC接続キット   *35万画素。デキカメ・ブームのきっかけをつくる。    いまでもPCとの相性のいいこと。名機です。、 ・QVの画像をPCに取り込む ・HPの冒頭写真を作成(妻の顔のスナップ写真をモザイク加工) ・東京での接続に失敗(解説書、そうした事態を想定せず) 26日(司令官ノ温情ニテ、疲労困憊セル兵士ニ特別休暇ヲアタエタリ) ・ワード2000でC.C.C.のマーク作成 ・PCでCDを聴く 27日(兵士、戦闘態勢ニ復帰セリ) ・帰名し、ようやく再接続に成功 28日(大本営発表、戦ニ勝テリ) ・FTPソフト「FTP Exploler」のダウンロード成功 30日(大本営発表、兵士ノ意気サカンナリ) ・HPへのカウンター挿入に成功 ・HPの骨格完成 ・「C.C. C.」(ひらがな)と「C.C.C.」(半角英数)との混同が判明し、  リンク「表紙にもどる」に成功 8月の戦い 2日(大本営発表:本土ヨリ上陸用舟艇、到着セリ) ・購入   茅野のヤマダ電気で電話機(SONY SPC-C55) 5日(会戦に直面セリ) ・八ケ岳の山荘に電話を引く(HPづくりと娘たちとのメール)  解約したIDOの携帯電話を諏訪の営業所に返却  (女性係員、外まで見送り! 塚田社長賞もの) 6日(大本営発表、戦闘は激化スレド、ワガ軍、意気サカンナリ) ・苦労して接続(ドリームネット:mbn.or.jp) ・SEMINAR(富士見高原夏季大学)講演録「愛について」作成 7日(大本営発表、本土ヨリ新兵器到着、期待セヨ) ・茅野のヤマダ電気(改装)で購入   デジタル・カメラ(Olympus C-900 ZOOM)   スマートカード(16M)   PCカードアダプター ・倫敦の次女に初メール  高坂洋さんに山荘から初メール 8日(大本営発表、戦局は膠着状態。長崎ニ正体不明ノ爆弾投下)、 ・デジカメの写しかたを研究  PCへの画像取り込みに失敗、正体不明 10日(大本営発表、本土より差入アリ、兵士、涙スルモノアリ) ・高坂洋さんよりメール、リンク完了 ・鈴木忠男さんより初メール ・購入  川口知文・楢木拓司「デジカメ写真+パソコンかんたん利用術」技術評論社1999   *PCカードへのスマートメディアの入れ方(金色の接点を上)判明 11日(大本営発表、引キ続キ戦果アリ) ・鈴木忠男さんよりメール、リンク完了 ・NYの長女より山荘に初メール 12日(撤退セリ) ・海外旅行(VISA)パリ・グルメ探訪(6話)連載完了 13日(本土ヘノ帰還ヲ決ス) ・NYの長女への至急連絡にEメール代わりに、HP(NY)を作成・通知  ホテルのHPの画像を右クリックで取り入れる。 14日(無条件幸福* ヲ マエニ御前会議)*原文のママ ・作成したHPの容量を電卓で計算。約1.2M。 ・画像をGIFからサイズの小さいJPEGに変更開始(約3分の1) ・デジカメ画像をPCに転送 ・署名({ツール}ー{オプション」−{署名}の順)を発見  オフィス2000と以前のバージョンとは手順がちがう! ・購入  大森一郎「ホームページの上手な魅せ方、更新の仕方」デイー・アート1999  インプレス編集部「ホームページ用素材集」インプレス 1997 「Publisher2000」マイクロソフト 15日(終戦記念日) ・HP作成を中断。傷心で帰京。 アーア、チカレタビー


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