小売業における価値創造(2003)
ウォルマートの研究





1 はじめに
2 ウォルマートの位置づけ
3 ウォルマートの歩み
 イ)前史
 ロ)創業期
 ハ)成長期
 ニ)発展期
4 経営支援ツールの発展
 イ)商的流通
 ロ)物的流通
 ハ)情報流通
5 今後の課題
 イ)海外進出
 ロ)オンライン・ショッピング
 ハ)成長の限界
6 企業文化の変容
 イ)その形成
 ロ)その危機
 ハ)予想される変容要因
7 今後の研究課題について
8 結び

1 はじめに
 本稿で取り上げるウォルマートの2001年度の売上高は約27兆円に達し、米国企業で第
1位となった。2002年3月、この巨人が西友と提携することを表明し、にわかに同社に注
目が集まるようになった。
 ウォルマートを一言でいうと、低価格の商品を幅広く揃えたフレンドリーな小売企業
である。店舗に足を運んで、実際に買い物をしてみれば、EDLP(エブリデイ・ロー・プ
ライス)と顧客満足が同社の成長の秘密であることが即座に了解されるだろう。
 小売業は消費者に近いところに位置している。同社は、この産業において優位を保つ
には、顧客ニーズを満たすだけではなく、その期待を常に上回り続けることが重要と考
え、それを実践している希有な企業である。従業員138万人を擁する巨大企業になっても
大企業病とは無縁で、庶民的であり続けるのには驚かされる。
 本論文では、創業40年というわずかな歳月の間に多くの国のGNPをも上回るようになっ
た同社の成長の秘密を探ってみたい。
 まず、企業規模を確認し、そして歴史を概観しよう。
  次に、驚異的な成長を支える経営支援ツールにおける数々のイノベーションを紹介す
る。
 同社についての関心は、日本進出がわが国小売業界に与える影響に集中している。
  しかし、同社を小売業の範疇でしか見ようとしないのは、間違っている。21世紀に入
って、そうそうたる企業を抑えて全企業の頂点に立った事実は、決して軽視すべきこと
ではない。同社から21世紀の優良企業のあるべき姿について謙虚に学びとろうという姿
勢が必要ではなかろうか。
  同社も勿論、完璧な企業ではなく、様々な課題を抱えている。本稿では、そうした課
題を中心に、同社の企業文化について、研究してみたい。

2 ウォルマートの位置づけ
 これまで、わが国で海外優良企業とされてきたのは、かつてGMやフォード、IBM、GE、
マイクロソフトだった。しかし、表1にみるように、ウォルマートは、それら優良企業を
抜き去って、売上高第1位となった。
 小売業における位置づけを見てみよう。
  表1−2のように、2位以下を大きく引き離している。
 次に、ウォルマートの売上高の推移をみてみよう。創業は1962年であるが、図1にみる
ように一貫して高成長を続けている。

表1−1 米国企業売上高ランキング(2001年度)

 順位      会社名         売上高      業種
  1   Wal-Mart Stores   219,812      小売
  2   Exxon Mobil       191,581      石油
  3   General Motors    191,581      自動車
  4   Ford Motor        177,260      自動車
  5   Enron             162,412      エネルギー 
  6   General Electric  138,718      サービス
  7   Citigroup         125,913      金融
  8   Chevron Texaco    112,022      石油
  9   IBM                99,699      情報
10   Philip Morris      85,866      煙草

          注:単位100万ドル
              エンロンは、経営破綻のため、1−9月分。
        出典:Fortune 500

表1−2 米国・小売業売上高ランキング(2001年度)
順位       会社名      売上高      純利益  主要業態
1   ウォルマート      219,812      6671   DS SC WC
2   ホームデポ         53,553      3044   HC
3   クローガー         50,098      1042   S
4   シアーズローバック 41,078       735   D  HS
5   ターゲット         39,888      1368   DS SC
6   アルバートソンズ   37,931       501   S
7   Kマート           36,152   ▲2,418   DS SC
8   アホールドUSA      35,346      1767   S
9   コストコ           34,797       602   WC
10 セーフウエイ       34,301      1284   S

       注:1.売上高、純利益とも、単位100万ドル
         2.アホールドUSAは、小売部門の営業利益
         3.DS:ディスカウント・ストア
           SC:スーパーセンター WC:会員制ホールセールクラブ
           HC:ホームセンター S:スーパー
           D:百貨店 HS:ハードライン専門店
        出典:日本経済新聞2002.5.21

図1 ウォルマートの売上高推移


3 ウォルマートの歩み
イ)前史
 創業以来わずか40年で世界一になったウォルマートの成功の秘密を解明するために、
同社の歩みをだどってみたい。
 まず、前史をみてみよう。
  この時期は、創業者サム・ウォルトンの人格形成期であり、商人としての成長期であ
り、ウォルマート独自の企業文化が形成された時期として、重要である。
 サムは、南部オクラホマ州のキングフィッシャーに生まれた。当時、父親は不動産売
買と保険販売に従事していた。母親は乳製品を売る小さな店を営み、サムは家計を助け
るために7歳の時から雑誌の販売や新聞配達をやった。父親の口ぐせは「とにかく働い
て、働いて、働くこと、これが成功の秘訣だ」であった。
11歳のときに大恐慌がはじまり、経済的に苦しい時代であったが、サムは、ボーイスカ
ウトに入って活躍した。
 高校時代には、フットボールのクォーター・バックとして活躍した。
  生徒会長に立候補し、出会った生徒全員に微笑みかける作戦をとって、見事に当選し
た。ウォルマートの店員は、にこやかであるが、これは顧客との距離が「10フィートに
なったら微笑みかけよう」というサムのルールが浸透しているためである。
 サムは、ミズーリ大学経済学部では「がんばり屋」で通っていた。卒業後は、東部の
大学院への進学も考えたが、大手小売業J・Cペニーに就職することにする。
 第二次大戦がはじまり、体力に自信のあるサムは、当時のアメリカの多くの若者と同
様、徴兵志願したが、不整脈がみつかって、検査不合格となった。それまで「前途有為
の青年」として通してきた彼にとっては、これは最初で最大の挫折であった。
 サムは、J・Cペニーを退職し、放浪の旅に出る。
  救われたのは、運命的ともいえるヘレンとの出会いだった。
 戦後、ヘレンと結婚し、小売業で生計を立てることに決めるが、「荒れている大都会
で暮らすのは、いや」という妻ヘレンの助言にしたがって、銀行家であった彼女の父親
から借金をして、人口7000人の町ニューポートで、バラエティストア、ベン・フランク
リンのフランチャイジーになって、小さな店を開く。27歳のときである。
  ヘレンのためにも、田舎の生活を都会に負けない快適なものとしようという考えは、
ここからはじまった。
 かれは商売の面白さに夢中になった。小売業はいろいろと工夫をこらすことができ、
その結果をすぐに見ることができるからである。
 店舗5店目から、後に有名になるサタディ・モーニング・ミーティングを開始した。
  サムは、この頃から早起きになって、午前3時には起きて会議の準備をした。個々の
店舗の現状と問題点を事前に把握してから、会議に臨むようにするためである。
 休日の朝早くから呼び出された店長たちは、当然のことながら不満だった。しかし、
サムは、諸君はオーナーとしての自覚と誇りをもてと激励した。すべての店について売
上、利益、経費の状況と問題点を指摘し、売れ筋商品、ライバル会社の動向、その対抗
策について活発な議論をした。他店の成功例は、どんなに小さいことでもすぐに取り入
れ、「顧客の期待を超えよう」と繰り返した。
 厳しいだけでは部下はついてこないので、楽しみも用意した。
  優秀な成績をあげた店長を称えて表彰式を行い、ウォルマート・チアーズという応援
歌を全員で歌って気勢をあげた。時には有名講師を呼ぶこともあった。毎回、やる気を
出させる新しい方法を工夫したのである。
 決まったことは、すぐに翌週の月曜日の朝から各店舗で実施したので、成果はすぐに
現れた。店長たちにとって、この会議は、苦痛から楽しみに変わっていった。それどこ
ろか、サムと一緒に過ごすことのすばらしさ、会社が着実に前進していることへの感動
を仲間と分かちあう場になったのである。
 こうして、サタディ・モーニング・ミーティングは、ウォルマート独自の文化が醸成
される酒樽になった。
 この創業時に形成された企業文化は、表2のサムの成功法則に凝縮されている。

表2 サムの成功法則
1 事業にのめりこめ
2 社員と利益を分かちあえ
3 やる気を出させる新しい方法を採用せよ
4 できるだけすべてを知らせよ
5 パートナーを高く評価せよ
6 成功を喜べ、失敗はユーモアで包め
7 会社のすべての人の意見を聞け
8 客の期待を超えよ
9 ライバルよりも上手に経費をコントロールせよ
10 上をめざし、ひとと違う道をゆけ

 近年、優良企業における企業文化の重要性が、DNAという新たな装いで注目されて
いる。このサムの法則には、21世紀の企業文化のありかたのエッセンスが盛りこまれて
いるように思われる。企業が大きくなると、企業文化についての記述もとかく難解で空
疎な表現に傾きがちであるが、この点、サムの法則は、何よりも平易で、分かりやすく
含蓄が深い。もっと注目されてよい内容である。
 その後、サムは、せっかくニューポートに馴染んだばかりだったのに、借地期限切れ
で、立ち退きを命じられ、さらに人口の少ないベントンビルに移転し、新規巻き直しを
することになる。こうした紆余曲折はあったものの、1960年には、フランチャイジーと
して全米一になる。
 62年、サムは本部に使われる悲哀を感じて、独立に踏み切った。
  店舗訪問や立地探しのために買った中古自家用機で飛び回るなかで、ディスカウント
ストアという新業態が伸びていることに気づき、このビジネスに人生を賭けることにし
たのである。

表3−1 ウォルマートの歩み(前史)

(前途有為の青年)
1918  サム・ウォルトン、オクラホマ州で誕生
1925  7歳で雑誌の販売をはじめる
1931  ミズーリ州で史上最年少のボーイスカウト	21個の勲功バッジ獲得
1935  ハイスクールでフットボールのクオーターバックとして州大会で優勝
1940  ミズーリ州立大学経済学部卒業
      アイオワ州のJ・Cペニーに入社し、教習生になる

(失意)
1942  徴兵志願するが、検査不合格
      J・Cペニーを退職し、放浪の旅に出る
      デュポンの火薬工場で働き、ヘレンに会う
      招集され、予備役将校訓練部隊の少尉に
1943  ヘレンと結婚
1945  除隊

(小売参入)
1945  アーカンソー州ニューポートでベン・フランクリンの
      バラエティ・ストアを買収
      本部で研修
      (マニュアル、会計システム、商品一覧表、支払勘定表、損益計算書、
       売上前年同日比台帳)
      独自の販売促進や商品仕入れを開始
1948  売上が伸び、ヘレンの父親からの借金返済を完了
      地元の商工会議所会頭になる

(再起)
1950  アーカンソー州最大のバラエティ・ストアになるも、
      無知のため借地権切れで退去
      ベントンビル(人口3000人)に移り、ハリソンズ・バラエテイ・ストアを
      買収し、「ウォルトンズ5&10」開店
      大改装セール
      (子どもには無料の風船、大人には1ダース9セントの洗濯ばさみ)
      前任者の売上3万2000ドルに対し、9万5000ドルを達成
1952  ファイエットビルに2号店開店
1954  毎週提出の売上報告に「一番よく売れているもの」を記入
1957  竜巻でラスキン・ハイツの店、倒壊
      2人乗り自家用飛行機を購入し、出店候補地探しと店舗巡回に使用
      店舗5店目から、サタディ・モーニング・ミーティングを開始
1960  独立経営者として全米一になる
      ディスカウント・ストアの研究を開始
1961  クレスゲ(のちのKマート)を見て、ディスカウント・ストアへの業態転換を
      本部に提案するが、拒否される

出典:Walmart Timelineなどより作成

ロ)創業期
 サムは、1962年、人口わずか7000人のアーカンソー州ロジャーズに、ディスカウント
・ストアを開いた。
 「エブリディ・ロープライス」と「満足保証」を掲げ、大手が進出していなかった田
舎の空白地帯を埋めるかたちで、次々と新店舗を開いていった。
  ウォルマートは進出先で歓迎された。
  安売りも評判になったが、利益を度外視しても購買頻度の低い品を扱ったことが好評
だった。わざわざ都会まで出かけなくても、生活必需品が手に入るようになったからで
ある。
 まもなくサムは当時としては異例の出店戦略を採用した。
  物流センターを中心に集中的にドミナント出店をすることにしたのである。本部が集
中発注することで各店舗の作業負担を軽減し、大量出店を行えるような体制を整えた。
 しかし、急成長の結果、当然のことながら資金不足になった。そこで、70年に店頭公
開、72年にはニューヨーク証券取引所に上場するまでになったが、売上高112億ドルの無
名企業にしか過ぎなかった。
 この時期で注目すべきことは、サムが急成長にともなう人材不足解消に奔走したこと
である。
 それぞれの分野で一流の人物のヘッド・ハンティングに動いたものの、片田舎の得体
も知れぬ小売店にきたがる者はいなかった。
 デイビット・グラスの勧誘(1964)は、物の見事に失敗した。再三の勧誘で、グラス
が入社したのは、かれがグローサリー・チェーン、コンシュマーズ社の財務・営業担当
副社長になっていた12年後のことである。グラスは、76年にようやく財務担当副社長と
して入社し、後継者となる。
 それでも、バラエティストア・チェーンの地区マネージャーであったフェロルド・ア
レンド(1967)、ディストリビューション・センターを運営していたボブ・ソーントン
(1967)、そして、ディスカウントストア・チェーン、ダックウォールの財務担当副社
長のロン・メイヤー(1968)、クローガーのマネージャーだったジャック・シューメイ
カー(1970)と、相次いで経営の中枢を占める人材をスカウトした。シューメイカーは
入社したとき32歳だったが、マネージャーを教育する分厚いアニュアルを作成して、名
をあげ、76年には、営業・商品・人事担当の副社長に駆け上った。
 この時期、ウォルマートの社員には、高学歴や名門出のものはいなかった。しかし、
サムは才能が開花していない若者にヤル気を出させる名人であった。
 79年に現CEOのリー・スコットが採用されたときのエピソードは興味深い。
 モンタナ州スプリングフィールドのクイーン・シティ倉庫に勤めていたスコットがス
カウトされ、ベントンビルの本部ではじめてサムに仕事の報告をした時のことである。
 スコットは、サムの質素なオフィスに緊張して座っていた。
  会長がテーブルに身を乗り出した。
  「いくつだね?」と尋ねた。
  「30歳です」とスコットは答えた。
  「この仕事をやれると思うか?」とサムが尋ねた。
  「イエス、サー」とスコットが答えた。
  サムは、スコットの目を長い間じっと見つめて、そして言った。
  「あなたなら、きっとやれると思う」(I reckon you can)。
 この一言がいかに若者を奮い立たせたか想像できる。
 一方、この時期は、急増した社員の不満のマグマがたまって、組合結成の動きが出て
きた頃でもある。サムは断固として、ユニオンと戦い、経営の一体感を守るために、自
ら組合の委員長になったつもりで“We Care Program”を導入した。
 会社を大家族に見立て、従業員をアソシエーツ(同僚)と呼び、企業が成長すれば、
収入もそれにつれて増加する利益分配プランを採用した。従業員の士気は否応なしに高
まり、会社との一体感が醸成され、その満足感は顧客への応対にも反映された。
 サムは、MBWA(Management by Walking around)の重要性を説き、店舗や物流セ
ンターを精力的に訪問した。沢山のドーナツをかかえて、朝の4時に休憩室で運転手た
ちと雑談したこともある。雑談から配送先の店舗の在庫管理状況、店長の評判、店員の
マナーなど現場のありのままの状況を聞き出していた。従業員の控え室を訪ねて、店員
から改善のためのアイディアを吸い上げ、即実行に移すことも珍しくなかった。後に店
舗数が増え、自家用機で飛び回っても、店舗を巡回しきれなくなったので、やむなく、
この仕事を地域担当役員に譲った。サムにとって、顧客や店員の生き生きした顔を見る
のは、無上の楽しみだった。

表3−2 ウォルマートの歩み(創業期)
1961	アーカンソー州ロジャーズに開店
1963	初めてフルタイムのパイロットを雇う
1967	24店舗に。売上高12.6百万ドル
1968	初のアーカンソー以外の州に進出
	フェロルド・アレンドをスカウト
1970	ベントンビルに本社と物流センターを設置	管理職を対象にした利益分配プラ
        ン発足
1971	アーカンソー、カンザス、ルイジアナ、ミズーリ、オクラホマの5州に店舗。
	アソシエーツにも利益分配制を採用
1972	ニューヨーク株式取引所に上場
1973	店舗数125に
	韓国訪問でヒントを得て「ウォルマート・チアーズ」を導入
1974	サム、次第に経営の第一線から退く
	フェロルド・アレンドをマーチャンダイズ担当副社長に任命
	ロン・メイヤーを財務・物流担当副社長に任命
1976	ロン・メイヤーが会長兼CEO、フェロルド・アレンドが社長に就任
	3カ月後にトップ人事を一新して、サムはCEO兼社長に復帰
	ジャック・シューメイカーを経営・販売担当副社長に任命
	デイビッド・グラスをスカウト、財務・物流担当副社長に任命
1977	コンピュータによるデータ管理開始
1978	ハッチソン・シューズ社を買収
	薬局、自動車のサービス・センター、宝石部門を導入
	アーカンソ州サーシーに大型物流センターを建設
1979	ジャック・シューメイカー、社長就任
	ドン・ソダーキスト(後に副社長)をスカウト
	リー・スコット(後に社長)をスカウト
	ミズーリ州に2店舗開店に際し、ユニオンと闘う
	We Careプログラム開始
	売上高1.2億4800万ドル、店舗数276店、従業員数21,000人

出典:Walmart Timelineなどより作成

ハ)成長期
 この時期の特徴は、店舗網の急拡大である。図2にみるように、お膝元の南部から中
西部、そして東部、西部へと燎原の火のように店舗網を拡大していった。

図2 店舗網の拡大

出典:角井真吾作成

 第2は、EDLPの採用である。ウォルマートといえばEDLP、EDLPといえばウォルマート
というくらい、EDLPは、同社の経営の根幹をなしている。顧客にとって、特売の日だけ
、特定商品だけではなく、毎日全ての商品が安いというのは、魅力的である。しかし、
それを実現するのは、容易なことではない。
  わが国のディスカウント・ストアを見れば分かるように「安かろう、悪かろう」では
顧客に見放され、「利益を削って安く」では、赤字経営で長続きしない。
 サムは創業当初から、常に他店よりも安くしたい(Always Low Price)という強い想
いをもっていた。競合他社に勝てる価格を設定し、必要経費やマージンを引き、その範
囲で仕入れることに全力をあげた。大量購入、支払い条件をよくする、セット販売にす
る、抱き合わせ販売にするなど、あらゆる手をつくした。当初は、安く仕入れることが
できる相手が限られていたので、目玉商品に頼り、客寄せにチラシ広告を多用せざるを
得なかった。10年にわたってサムは取り憑かれるようにさまざまな安売りの手法を実験
した。
 最初にEDLPに移行したのは、1980年のモーターオイルが最初である。
  それまでの5ブランドを1つに絞り込んで、EDLPを宣言した。好評だったので、この頃
から、ウォルマートはEDLPを拡大し、それまでの多頻度の販促活動を控えるようになっ
た。
 第3が、新業態へのチャレンジである。
 最初は1983年のサムズ・ホールセール・クラブへの進出である。きっかけは、サムが
他社の店舗視察をしている時に見つけたプライスクラブである。
 サムは、この業態が究極のディスカウントストアであると見抜き、熱心に研究した。
  勇み足も犯した。85年には、プライスクラブのサンディエゴ店をおしのびで視察中に
商品名や価格を吹きこんでいるのをみつかってテープを没収された。
 87年には、欧州視察の際に注目したハイパーマートUSAに着手したが、20万平方フィー
トのマンモス・ストアだったので買い物には不便で、食品が不得手だったこともあって、
89年に撤退した。
 サムは、俄然、食品を取扱うことの面白さに目覚めた。
  食品は、消費生活のなかで最大の市場規模をもっているが、取り扱いがむずかしい。
  地域差もあり、生鮮食品はとくに傷みやすく、形もくずれやすい。サムは日常生活に
奉仕するには、この分野が重要と考え、食品スーパーを買収し、ノウハウを得た。
 88年に、従来のディスカウントストアに食品を加えたスーパーセンターを実験した。
低い利益率に押さえたこともあって、今度は成功したのである。
 サムは、流行しそうな新業態の研究に余念がなかったが、すべてに成功したわけでは
ない。
 DIYの店“Save More”は実験しただけで、すぐに撤退した。環境にやさしい店づくり
を狙ったエコマートも4店舗にとどまっている。サムは実験好きだったが、見切りも早
かった。経営資源を浪費するのを嫌ったのである。
 現在、ウォルマートには、表4に見るように4つの業態がある。
  2003年度の新規出店計画を示したが、スーパーセンターを中心にきわめて出店意欲は
旺盛である。

                表4 国内店舗数(2002年4月現在)
  店舗名                         店舗数      2003年度計画
  ウォルマート・ストア           1636            +50
  スーパーセンター               1093           +180-185
  サムズクラブ                    502            +50- 55
  ネイバーフッド・マーケット       31            +15- 20

       出典:Walmart's Annual Report

 第1が、1962年に開始したウォルマート・ディスカウント・ストアである。
  発足して10年間は、試行錯誤で伸びなやんだが、体制が整備された70年代以降、急展
開がはじまった。しかし、90年代後半になると、図3−1にみるように店舗数は減少して
いる。

図3−1 国内店舗数の推移

出典:Walmart's Annual Reportより作成

 それに代わって登場してきたのが、第2の業態スーパーセンターである。
  これは、先に触れたように、ウォルマート・ディスカウント・ストアに食品や生鮮食
品を加えたものである。日常生活に必要なものは、ここに行けばほとんど用が足りる。
  現在、ディスカウント・ストアの小型店を年間100店のペースで、これに置き代えてい
る。図3−1にみるように、店舗数ではディスカウント・ストアに及ばないが、店舗面積
ではすでに勝っている。
 第3の業態が、会員制卸売りのサムズ・クラブである。
  これは、ビジネス客を中心にした会員に特別価格で大量まとめ買いをしてもらい、あ
わせて各種の特典を提供しようというものである。
 第4の業態が、ネイバーフッド・マーケットである。
  98年に開始し実験段階であるが、2005年には240店舗になるという予測もある。スーパ
ーセンターを母船とすればキャッチャーボートにあたり、前者の広い商圏の隙間を埋め
半径10キロ以内の顧客に週2回来店してもらうことを狙っている。
 ここで4業態の共通点と特徴を確認しておく。

(共通点)
・田舎に立地
・平屋建て
・広い無料駐車場
・ワンストップ・ショッピング
・EDLP
・サービス:1時間現像、薬局、ヴィションセンター、レストラン、コピー、
  ガソリン・スタンド、ヘアサロン、銀行、職業紹介所など

(業態別の特徴)
1)ウォルマート・ディスカウント・ストア
・商品構成:衣料品、家庭用品、家具、玩具、家電・エレクトロニクス製品、宝石、
  健康商品、カー用品、園芸用品
・商品アイテム数:8万点
・店舗面積:4万〜12万5000平方フィート
・従業員数(平均):150名

2)スーパーセンター
・商品構成:ウォルマート・ストアズの商品に加え、パン、デリカテッセン、生鮮食
  品、冷凍食品、肉・酪農製品
・商品アイテム数:10万点(うちクローサリー3万点)
・店舗面積:1万9000〜2万3000平方メートル
・従業員数(平均):350名
・24時間営業、年中無休

3)ネイバーフード・マーケット
・商品構成:生鮮食品、デリカテッセン、肉・酪農製品、健康商品、文房具・紙製品、
  化粧品、文房具、ペット用品など購買頻度の高い商品
・商品アイテム数:2万8000点
・店舗面積:4万2000〜5万5000平方フィート
・従業員数;80〜100名
・24時間営業、年中無休

4)サムズ・クラブ
・商品構成:食料雑貨、テレビ、ビデオ、コンピューター、衣類、紙製品、家具・イン
  テリア、宝石、季節商品
・商品アイテム数:4000点
・店舗面積:1万1000〜1万3000平方フィート
・従業員数(平均):125人
・倉庫型店舗、パレット単位で陳列・補充
  年会費:事業主30ドル、個人35ドル
  自動車ロードサービス、保険など

 表5は、ウォルマートの手がける業態を比較したものである。これをみると、一目瞭
然である。低価格とフレンドリー・サービスをベースに、品揃えと利便性を組み合わせ
ることで、4つの業態に分けていることが分かる。

         表5 ウォルマートの手がける業態の比較
                        DS    SC     N   SAMS
    低価格              ◎    ◎    ◎    ◎
    サービス            ○    ○    ○    ○
    品揃え
     非食品            ◎    ◎    ○    ○
     食品              −    ◎    ○    ○
    利便性
     近さ              ○    −    ◎    ○
     会員制            −    −    −    ◎

         出典:筆者作成

 4業態もあると、「業態多角化」という概念が浮かぶが、実態はそうではない。
 このうち、ウォルマート・ディスカウント・ストアは、現在急ピッチでスーパーセン
ターに置き換わっているので、ほぼ同一フォーマットと考えてよい。
 また、ネイバーフッド・マーケットも、スーパーセンターから購買頻度の高い商品を
抜き出しただけであり、本格的な展開がはじまっていないことを考慮すると、実質的に
はサムズ・クラブとスーパーセンターの2業態しかないことになる。
 ウォルマートは優良企業の条件とされる「選択と集中」を地で行っているのである。

表3−3 ウォルマートの歩み(成長期)
1980	オクラホマ州ムーア店で、モーターオイル1品に絞りこみ、EDLPを打ち出す
	シュリンク・インセンティブ・プラン(従業員が商品をごまかさないように見
	張る制度)を実施
	POSを試験導入
1981	Kuhn's Big Kstoresの92店舗を買収
	店舗改装を強化(カラー変更、カーペット敷き、陳列工夫)
	PB商品の重視から一流ブランド商品重視に転換
1983	ウールコを買収
	オクラホマ州に最初のサムズ・クラブ開店
	全店に挨拶係を導入
	最初の1時間写真ラボをタルサに開店
1984	デイビット・グラス、社長兼COOに就任
	サム、ウォール街でフラダンス
1985	サム、プライス・クラブを徹底研究
	サンディエゴ店の隠密視察中にテープ没収される
	バイ・アメリカン運動を開始
1986	ジョージア州で新設の物流センターの請求書作成に、レーザースキャナー導入
1987	民間企業最大の衛星ネットワーク完成
	本部と全事業所との双方向の音声、データ通信、一方向のビデオ通信が可能
	全店舗の入荷検品にスキャナー導入
	テキサス州でハイパーマートUSA開店
1988	サム、チェアマンになり、デイビッド・グラスがCEOに就任
	スーパーセンター第1号ミズーリ州に開店
	90%のウォルマート・ストアのレジにPOSを導入
	16の物流センター
	Supersaver unitsを買収
1989	P&Gと製販同盟を結ぶ
	ハイパーマートUSAから撤退
1990	全米No.1の小売業者になる
	食品卸売企業マクレーン社を買収
	民間企業最大のデータウエアハウス発足
	アーカンソー州ベントンビルの「ウォルトンズ5&10」跡地にビジターセンター
	をオープン
1991	Western Merchandisers,Inc.of Amarillo Texasを買収
	“Sam's American Choice”ブランドを導入
	初の海外進出、メキシコへ
	地元有力企業シフラと合弁
1992	オクラホマ州にエコストアの実験店開店
	ブッシュ大統領、サム・ウォルトンに自由勲章を贈る
	サム・ウォルトン、死去(74歳)
	ロブソン・ウォルトン、チェアマンに就任
	プエルトリコに進出

出典:Walmart Timelineなどより作成

図3−2 海外店舗数の推移


出典:Walmart's Annual Reportより作成

ニ)発展期
 この時期の特徴は、海外進出である。世界経済がますますボーダレスになるなかで、
ウォルマートも海外進出に踏み切る。1969年にいちはやく海外進出を開始したカルフー
ルへの対抗であり、有望市場に橋頭堡を築くことと商品調達基地の確保が狙いだった。
 第1弾は、91年の地元の有力小売業シラフと業務提携してのメキシコ進出である。
 この成功に勇気づけられて、以後、プエルトリコ(92)、カナダ、香港(94)、ブラ
ジル、アルゼンチン(95)、中国、インドネシア(96)、ドイツ、韓国(98)、イギリ
ス(99)、日本(2002)と急ピッチで進出が続いている。
 アメリカと地続きの諸国で小手調べをし、アジアや欧州諸国に進出している。
 進出形態は、3つのタイプに分けられる。

1)買収による進出…カナダ、イギリス、ドイツ
2)合弁による進出…メキシコ、中国、韓国
3)自力進出…プエルトリコ、ブラジル、アルゼンチン

 このうち撤退したのは、インドネシアである。わずか2店出しただけで撤退した。
 苦戦しているのはドイツと韓国である。
  ドイツでは、厳しいゾーニング法があって大型店の出店が難しいことや原価割れの販
売が禁止されているために、お得意の低価格攻勢ができなかった。
  韓国では、地元のEマートやカルフールとの競合に敗れている。オランダ資本のマク
ロの店舗を引き継いだために立地が悪く、不慣れな多層階だった。店舗数が少ないこと
もあって、バイイング・パワーを発揮できないでいる。

表3−4 ウォルマートの歩み(発展期)
1993	国際部門を創設
	部門長にボビー・マーティン
	Pace Warehouse clubs 91店を買収
1994	カナダ進出、ウールコ122店舗を買収
	アーカンソー州に初の食品物流センターを建設
	value clubs3店舗で香港に進出(95撤退)
	イトーヨーカ堂と提携
1995	バーモント州出店で全米50州進出を果たす
	ウォルマート・ストア1995店舗、スーパーセンター239店舗、サムズ・クラブ
	433店舗、海外店舗276になる
	ブラジルに進出(3店舗)
	アルゼンチンに進出(5店舗)
	第4四半期業績不振、株価10ドル割れ
1996	合弁事業で中国に進出
	インドネシアに進出
1997	アメリカで68万人とNo.1雇用者に
	海外では11万5000人を雇用
	顧客数/週は、9000万人超
	One Source nutrition centersを導入
	データウエアハウスを拡充
1998	ドイツに進出、Wertkaufの21店舗を買収
	アーカンソー州にネイバーフード・マーケット4店舗を開店
	韓国に進出
	(オランダのマクロから4店舗を買収)
1999	従業員数114万人
	世界最大の民間雇用者数となる
	ドイツで、Intersparの74店舗を買収
	イギリスに進出
	(ASDAグループ229店舗を買収)
	リテイルリンクをインターネットに切替
2000	社長兼CEOに、H・リー・スコット就任
	食品、衣料品、住関連用品、薬局の分野でシェア1位に
2002	西友に資本参加し、日本進出
	米国企業売上高ランキングで第1位

出典:Walmart Timelineなどより作成

4 経営支援ツールの発展
 次に、ウォルマート発展の原動力となった先進的な経営支援ツールの導入について、
順にみていこう。
 その際、確認しておきたいのは、その発展は、サムが育ててきた企業文化と切り離せ
ないということである。
 サムがアソシエートに徹底したことのひとつに「サンダウン・ルール」がある。
  これを気楽に解釈すれば、「なすべきことは、その日のうちに終えよ」という訓示程
度になるが、サムの場合はちがう。先行投資をしたら、すぐに回収せよということであ
る。若干の進歩や新機軸に満足するのではなく、実験を行い、そして利益をあげ続け、
絶えず自己変革を遂げよという厳しいものである。

イ)商的流通
 この分野で、ウォルマートは、表6−1の3点で、次々とイノベーションを行ってきた。

表6−1 商的流通面でのイノベーション
・商品政策:EDLP、PB商品、ライン・ロビング
・店舗政策:業態転換、店舗改装、個店を磨く
・顧客満足:買いやすさ、返品OK、グリーター

 第1の商品政策(Merchandising)について、サムは、革新的なやり方を導入した。
  それが有名なEDLPである。
 小売業者は、安く仕入れることができても、高く売れると判断すれば高値をつける。
  しかし、サムは、利益率を減らし思い切った値段をつけた。安いという評判が立てば
何度も店にきてもらえると判断したからである。
 こうして採用されたEDLPは、長い目でみると、顧客にとっては「いつ行っても安い」
「何を買っても安い」ので安心でき、いちいちどこの店に行こうかなどと考えてもすむ
ので、時間の節約にもなる。ウォルマートにとっても、売れ筋が安定してくるので、販
売予測の精度もあがり、欠品を減らすことができる。
 EDLPのいい例が、トイレット・ペーパーである。同社では、12ロール入りではなく30
ロール入りを大量に陳列し、思い切った値段をつけ、まとめ買いを誘っている。トイレ
ット・ペーパーならばウォルマートで買おうという購買習慣ができあがるのである。
 ウォルマートは、1981年から、業界第1位か、2位のナショナル・ブランドを主に置く
ようになったが、近年はPB商品育成に熱心である。それもおざなりにやるのは、ウォル
マート流ではない。P&Gがかつて開発したPM制度を真似て商品毎にスポンサーとなる役
員を定め、その育成を義務づけている。
 とくに、リー・スコットがCEOになってからは、世界に通用するPB商品育成に熱心であ
る。その代表は、スーパーセンターの食品売り場を牽引するグレートバリューの800品目
である。
 現在では、食品売上高でも全米ナンバーワンになっている。
 ウォルマートの品揃えは、現代生活の変化に敏感で、有望な分野へのライン・ロビン
グが的確である。そのよい例が、玩具である。この分野にはカテゴリーキラーといわれ
るトイザらスが君臨していたが、1999年のクリスマス商戦で、全米の店舗に玩具をうず
高く積み上げ、一気に勝負をかけてトイザラスを王座から引きずり落とした。
 ウォルマートは、ドラッグストア部門やジュエリー部門でも全米一の取り扱い高にな
っている。
 最近では、ホーム・エンタテイメント分野で攻勢をかけている。その一例が、ビデオ
デッキである。9.11以降急速に翳った消費不況下で、船井電機からOEMで調達したビデオ
デッキを「エマーソン」ブランドで、大量に店頭に積みあげ、巣籠り消費を支援した。
  他社の売上が軒並み前年を下回るなかで、ウォルマートだけが伸びた。
 デスクトップ型パソコンも超安値で販売し、DVDソフトの安売りやレンタル事業にも進
出している。
 衣料品は、これまで実用品に徹してきたが、最近は大きく変わってきている。都市部
の若者層や富裕層に強いライバルのターゲットを標的にし、ファッション衣料分野でも
攻勢をかけている。ファッション研究所も設け、リーバイスと組んで、低価格ブランド
を売り出すなど積極的である。
 こうした的確ですばやい動きを見ると、マンネリ化した品揃えではなく、現代の日常
生活の必需品を揃え、つねにEDLPで提供するというサムの念願した企業文化がいよいよ
開花してきたという印象を受ける。
 第2は、店舗政策である。ウォルマートの店舗は、安価に出来ている。平屋建てなの
で、建設コストも安く、内装にもお金をかけていない。その割には、広い主通路や高い
天井高で貧相な感じはしない。用地の取得費用も、田舎立地のために安く、当初から増
設を見込んで広い用地を手当てしており、改装も容易である。
 ウォルマートでは、先に触れたように、ディスカウント・ストアをスーパーセンター
に急ピッチで業態転換しているが、そうでない店舗でも5年毎に改装を行っている。こ
れによって多くの小売業で、既存店売上が落ちる原因となっている老朽化を免れている
のである。
 さらに、個店対応の見事さがある。ウォルマートは、1998年までに全米50州への店舗
展開を完了した。標準化店舗が基本であるが、バリエーションも増やしている。広大な
アメリカでは、南部で海水浴をしているときに、北部では雪が降っているということも
ある。地域によって人種も文化も所得も異なり、ライフスタイルも多様化している。
  ウォルマートでは、通常新規開店してから2年かけて軌道に乗せていく。そのために
POSデータなどを徹底的に分析する。
 しかし、データを生かすも殺すも結局はひとである。この点でもサムが創業の頃から
徹底してきた現場重視が生きてくる。
 サタディ・モーニング・ミーティングの時代から、個店別の状況を重視してきたが、
巨大企業となった現在でも、「大きいことは大事でない、小さく考えよ、キラリと輝く
店になろう」という企業文化はいささかも変わっていない。
 組織がフラットで、アソシエートの自主性が重んじられているので、対応が早い。
 トップの決済を得るのに多くの労力や時間がかかる日本の大企業とは決定的に異なって
いるのである。
 第3は、顧客満足である。冒頭にのべたように、ウォルマートの売り場に足を運べば
分かるが、顧客満足がお題目ではなく現場に息づいている。実に買い物がしやすい。
  一連の購買プロセスをたどってみれば、いかによく考えぬかれているかが分かる。
 顧客はまず駐車場が入りやすく、止めやすく、無料であることに満足する。広い入り
口を通って店舗に入る。天井高5メートル超、主通路幅4メートル以上のひろびろとした
奥行きのあるカラフルな空間が目の前に広がる。大きいカートを押してゆったりと歩
く。照明も明るい。天気の日には、本部からの遠隔操作で照明が消え、屋根が開いて太
陽光が差し込む。
 「これも安いなあ、こんなものまで置いてある」を連発しながら、カートに入れてい
く。これは、ライバル店に比べて品揃えが深く、季節商品の投入がタイムリーで、新商
品の投入が頻繁だからである。価格表示もすっきりしており、お買い得商品も分かりや
すい。生活必需品が中心であり、格別高い品物も置いていないので、プレッシャーにさ
らされることはない。関連商品は同じ売り場に置いてあるので、お目当ての商品を探し
やすい。カートが満杯になったところで、レジに行く。台数が多いので週末以外は行列
しないですむ。買った商品点数がすくなければ、エキスプス・レジに並べばよい。
 応対するキャッシャーの訓練も行き届いている。
 ウォルマートでは最近、キャッシャーは顧客に好印象を最後に与える重要な役割を負
っているとして、2002年10月4日を全米の店舗で働くキャッシャー14万4千人を称える日
とした。
 81歳の名物キャッシャーが紹介されていて、彼女の列に並ぶ熱狂的な顧客がいると紹
介されている。このようにウォルマートでは、機嫌よく買い物をすませることができる
のである。
 返品もOKである。これはウォルマートに限らず、米国小売業の懐の深さを表わしてい
るが、返品に行っても、領収書の提示が不要であり、イヤな顔ひとつされない。最近は
取り置きもできるようになった。これはという商品が見つかったものの、手元に余裕が
ないときには、6カ月間無料で預ってくれる。クレジットをもてないひとや、クルマに
積み込めない大型商品を買いたくなったひとには便利である。
 そして、最後に有名なグリーター制度がある。
  サムが、この挨拶係を導入しようとしたとき、「売上に寄与しない」という店長たち
の反対に出会った。それをサムは、万引き予防にもなると主張し、2年がかりで実現さ
せた。
 「おはよう、いい天気でよかったねえ」
  たとえ旅行者であっても、こんな会話を交わすと常連客になったような気分になる。
  ウォルマートでは、レジ係のおばさんが地域社会の一員としてボランティア活動をす
ることを奨励している。
 とかく無機質になりがちな売り場に笑顔が溢れている背景には、わが国の小売業とち
がって、店内作業の標準化が徹底していることも大きい。雑多な仕事に追われていない
ので、店員に気持ちのゆとりがあるのである。
 このほか、ウォルマートは、日常生活を快適に送るためのサービスの強化に取り組ん
でいる。1時間現像、薬局、ヴィションセンター、レストラン、コピー、ガソリン・ス
タンド、最近では、ネイル・センターまで設置されている。ウォルマートへいけば、大
概の用事が済む。いわば、巨大コンビニに進化しており、いそがしい現代人にとって一
種の福音になっている。

ロ)物的流通
 この分野でも、ウォルマートは、次々とイノベーションを展開している。

表6−2 物的流通面でのイノベーション
・インフラ:	大規模RDC、ドミナント出店、自社物流
・プロセス:クロスドッキング、多頻度配送、貨物追跡システム
・マインド:	専属ドライバー、定時適正納入、現場情報の重視

 第1は、インフラストラクチャーにおけるイノベーションである。
 ウォルマートは、1970年、ベントンビルに最初の物流センターをつくったが、すぐに
手狭になり、78年に、ベントンビルから100マイル離れたサーシーに最新の大型物流セン
ターをつくった。同時に、この物流センターを中心に半径200マイルに60〜100店舗をド
ミナント出店することにしたのである。配送車で4時間の距離である。
 また、90年には、マクレーン社を買収して、自社物流体制を構築した。これ以降、絶
え間ない改善が可能になった。それまでの配送遅れを解消し、各店舗で行っていた業務
を物流センターに集約したことで店舗展開を加速できるようになった。近年は、スーパ
ーセンターの拡大に歩調をあわせて、生鮮食品と食品の物流センターの増設に力を注い
でいる。2001年10月現在、その数は、全米で105ケ所に達している。
 第2は、プロセス・イノベーションである。
  クロス・ドッキング(CrossDocking)方式を開発したのである。物流センターは商品
をストックするところではなく、フローを加速させるところと捉えた画期的なものであ
った。それまで、取引先や個々の店舗で行っていた入荷─仕分け─流通加工─保管─出
荷などの一連の作業を集約化・効率化した。この結果、物流センターでの商品の保管時
間は、食品で1時間以内、アパレルでも12時間以内にまで短縮化された。商品供給率
93%、事故率0.1%など、高い配送水準を実現し、物流コストも2%以下と他社の3〜5%
を下回っている。
 多頻度配送にも挑戦している。ライバルのKマートの配送頻度が週1回のところを
週5回とした。現在では、週7回の毎日配送体制に切り替えている。
 GPSを利用した貨物追跡システムも稼動している。15分毎に運転手の場所を分かるよう
にしているので、万一事故が発生して、出荷が遅れそうなときには、物流センターや店
舗に直に連絡が行き、被害を防ぐようにしている。
 特筆すべきは、配送車が店舗に商品を届けた後の帰り荷の確保率が60〜70%にも達し
ていることである。店舗網が全米に広がって、取引先(Maker/Supplier)が、そのなか
に含まれるようになったからである。
 さらに、きめ細かな改善がなされている。ウォルマートの配送車は、15〜20トン積み
の大型トレーラーである。物流センターに到着すると、運転手は連結部を外してすぐに
帰っていく。物流センターの荷受場の高さは荷台と同じ高さなので、すぐにフォークリ
フトでパレットを運び出せる。回転率の高い商品ケースは、時速32kmの高速コンベアに
乗せ、受発注システムのデータと商品のバーコードを照合し、店舗別に自動仕分けを行
い、積み下ろし順に配送車に積み込む。
 ここで注目されるのは、バラ積みせず、輸送単位がパレットやケース単位となってい
ることである。物流センターや店舗での作業効率向上のためである。店舗が広いことも
ケース単位やパレット単位の陳列・保管を可能にしている。さらに、売れ筋商品を大量
に陳列し、まとめ買いが断然割安であると納得してもらえるような値付けも行っている。
 一見するとバラ売りのほうが親切に思えるかも知れないが、コストアップになって、
結局、顧客に損をさせることになる。ただし、ケースの形状やサイズが、作業効率上ネ
ックであったり、顧客に不便となる場合には、取引先に改善を促す。
 こうして物流コストを材料メーカー、取引先、物流センター、店舗、そして顧客の協
力も得て、大幅に削減しようというのが「トータル物流」の考えかたである。
 こうして、EDPLを実現するために最善の方法であるSCM(Supply Chain Management)
を徹底的に追求しているのである。
 第3は、マインド・イノベーションである。
  アメリカではドライバーの社会的地位が高い。なかでも、ウォルマートの場合はとび
ぬけている。1971年からは、アソシエートにも利益分配制が適用されたので、古参のド
ライバーは一財産を築くことができた。
 ドライバーは、単なる運び屋ではない。サムは入社したリー・スコットに、ドライバ
ーと仲良くなって、店舗や取引先の実情や苦情、本当の問題点を聞きだせと命じた。
  リー・スコットは、この期待に見事に応えて、ドライバーの仲間となり、彼らを一流
の調査員に仕立てあげたのである。
 社長になったいまでも、専属ドライバー1万2000人の通報によって現場の生の声を把握
している。

ハ)情報流通
 この分野で、ウォルマートが進んでいることは有名である。
  ITを駆使して、EDLPと顧客満足を追及している。それは、以下のように、次々とイノ
ベーションを積み重ねてきたからである。

表6−3 情報流通面でのイノベーション
・第1段階:POS、EDI、通信衛星利用
・第2段階:製販同盟とQR、CPFR、データ・ウエアハウス
・第3段階:無線発注端末、ハンド・スキャナー、ビデオカート

 第1段階は、POS(Point of Sales)導入にはじまる。1990年、小売業界ではじめて統
一商品コード(UPC)読みとりレジを試験導入したのである。
 この背景には、サムのコンピューター化への強い意欲があった。毎晩遅くまで店舗毎
の損益計算書を作成していただけに、手作業の限界を感じてニューヨークのIBMコンピュ
ーター・スクールに入ったこともある。
 1973年、22店舗にコンピューターを設置し、業務処理システムをつくった。これが成
果をあげたので、あらためてコンピューターやスキャナーの威力を知り、POS導入に踏み
切った。
 レジの生産性が1.5倍になったので、1988年迄にPOSを全店舗に導入することにした。
  物流センターでの検品にスキャナーも使うようになった。
 EDI(Electronic Data Interchange:専用回線を利用した電子データ交換)も導入し
た。受発注、売価設定、出荷、販売実績、請求・支払いなど広範な業務分野でデータの
交換を迅速・的確に行うためである。
 全米に店舗網が広がると、本部、物流センター、店舗間でデータをやりとりするには
地上波利用では通信容量に限界があった。そこで、1983年、サムは自前の通信衛星を打
ち上げ、双方向通信システムを構築することに踏み切った。
 ちょうどサムズ・クラブが誕生した時期であり、デイビット・グラスらが主張する巨
額の投資に顔をしかめたが、自社のTVスタジオから、忙しくて訪問できない全米に広が
った店舗や物流センターのアソシエートたちに直に話しかけることができるようになっ
たので満足した。デイビット・グラスは、バイヤーを画面に登場させて、せっせと新商
品を紹介して、巨額投資の元をとった。
 POS、EDI、そして、通信衛星利用によってウォルマートは、翌朝4時には前日の売上
データを店舗毎に集計できるようになった。売れ筋商品のチェックをするだけでなく、
店舗別売り上げを先週や前年と対比することも容易になった。時間別の来店客数や売上
など、昔は入手できなかったデータもとれるようになった。
 第2段階は、1987年家庭用品メーカーP&Gとの取引強化がきっかけとなった。
  サムは友人に誘われてP&Gの副社長とカヌーでの川下りを楽しむなかで、納入条件をめ
ぐって両社の担当者が殴りあい寸前の交渉までするような“WIN-LOSE”の関係を脱し、
ともに顧客に奉仕するように“WIN-WIN”の製販同盟を築くことで意見が一致した。
 こうしてQR(Quick Responce)が始まった。P&Gは、ウォルマートから自社製品の売れ
行きに関する情報を入手し、見込み生産によるロスを減らし、生産不足による売り逃し
を減少することができた。ウォルマートのほうは、リードタイム短縮で在庫が減った。
  サムは、したたかで、これによって得られるだろう利益をP&Gが仕入れ価格で還元する
ように要求した。かさばる紙おむつでの実験が大きな成果をあげたこともあり、当時の
CIO(最高情報責任者)のボビー・マーチンが関連業界に広く呼びかけたこともあって、
QRの評判が広がり、ウォルマートは、多くの取引先と製販同盟を結び、恒常的に迅速か
つ安値で商品を仕入れることが出来るようになった。
 1996年には、大手製薬会社のワーナー・ランバートと組んで、CPFR(Collaborative 
Planning, Forecasting, and Replenishment)の実験に踏み切った。
  共同で需要予測を行い、それに販促計画も加味することで、精度を高め、生産・仕入
・販売計画に反映するものだった。この結果、在庫率は24%減となり、従来は9日と忙し
かった発注サイクルを6週間に伸ばしても支障がないことが判明した。
 この成功に力を得て他の取引先にも拡大していったが、さらにデータの使い勝手を高
めてほしいという若手の突き上げが出てきた。
 そこで、1999年に、受注、販売、納品、在庫データの整合を図り、データ・ウエアハ
ウスへと進化させた。
 2000年には、IT技術の驚異的な進歩を受けて、それまでのEDIからインターネット利用
への切り替えを図っている。これによって、ウォルマートの取引先7万社は、同社がリ
テールリンクと呼ぶデータウエアハウスから、過去2年間(104週分)の販売、在庫、出
荷データを店舗別・商品別に検索し、さまざまな分析をすることができるようになった。
 例えば、商品別の売上推移を見るだけでなく、価格変化や販促によってどのくらい売
上が増減するかを分析できる。カテゴリー分析も地域別の比較もできる。近くに学校や
病院があるといった商圏分析もできる。データ・ウエアハウスに日々データが蓄積すれ
ばするほど、さまざまな分析の可能性が生まれてくるのである。
 さらに、これを一歩進めて、マーケット・バスケット分析も可能になった。これは、
顧客の買い物籠の中身の分析である。有名なのは、乳製品売り場の横にシリアルとバナ
ナを置いた成功例である。顧客の立場での用途別、生活シーン別の陳列が可能になり、
関連商品の販売で売上を伸ばすことができる。さらに、顧客が気づかなかったニーズも
引き出すことができる。顧客のほうは、節約できたお金をこうした堀出し物の購入に使
うようになる。
 最近のウォルマートには大学卒も入社するようになって、数学モデルを駆使し、最適
価格分析を行うひとも出てきた。一流企業になったウォルマートには、現代最高の若き
知性が活躍しているのである。
 第3段階は、この情報技術を徹底して使いこむことである。
  繰り返し述べているように、ウォルマートの企業文化の真髄は、顧客の立場に立って
現場で考え、即座に行動に移すところにある。いくら巨額の情報投資を行っても、最後
にそれによって得られた情報をトップや現場のマネージャーたちが使いこなせなければ
宝の持ち腐れになる。
 デイビット・グラスにとって1996年は暗い年だった。
  前年末の売り上げが伸びず、株価は、10ドル割れし、「サムがいなくなると、やはり
ダメか」とささやかれたからである。97年、グラスは、それまで長年物流部門にいた
リー・スコットを思い切って小売部門に異動させた。
 マーチャンタイジング(Merchandising)の担当としたのである。スコットは、店舗運
営(Store Operation)を担当するトム・コフリンと共同して小売部門の改革に着手した。
 ふたりとも、せっかく巨費を投じて獲得した物流・情報技術を小売部門のマネージャ
ーたちが使いこなしていないと感じていた。225人の地区マネージャー全員を対象に店舗
で発注や在庫の確認ができるTelxon 960(Radio Frequency Terminal:無線発注端末)
を持たせ単純なテストをした。驚いたことに合格したのは、24%だった。店頭で顧客と
同じ目線で陳列商品の売れ行きを見て、在庫を確認し、必要数量を発注し、入荷数量や
時期を把握する必要は感じていても、肝心の使いこなしが出来ていなかったのである。
 現場をよく見れば、機械的に商品補充をするだけでなく、陳列スペースの調整が必要
なことも分かるはずである。こうした一連の応用動作を携帯端末を使ってスムースにで
きるようにしたので、売れ行きも回復し、不良在庫も削減された。
 リー・スコットは、地区マネージャーだけではなく、これまでの取引先との長年の関
係から、売れない商品を仕入れがちなバイヤーを特訓して、頭を切り替えさせた。
  ウォルマートの巨大店舗は商品カテゴリーというSBU(戦略事業単位)から構成されて
いる。バイヤーは、売り場のマネージャーと同様、担当する商品カテゴリーについては
いわば小売店のオーナーにあたる。
 こうした特訓の成果があがって、96〜99年のに売上が78%も増加したのに、在庫のほ
うは、わずか24%の増加にとどまり、スコットは、グラスの期待に応えてみせた。
 サムの信念からすれば、情報はスタッフたちの遊び道具であってはならない。目に見
える形で顧客のために活用されなければならない。
 小さなことかも知れないが、ハンド・スキャナーの活用もそのひとつである。
  情報システム投資の結果、レジでのカードのチェック時間は大幅に短縮されたものの
、週末になるとレジには長い行列ができる。レジ待ちは、誰にとってもいい気持ちでは
ない。そうした場合にウォルマートでは、ハンド・スキャナーをもった店員が現れて、
並んでいる間に商品をスキャンし、バーコード付きのカードを手渡す。レジ係がカード
を読み取ると、すぐに支払いが終わる。
 最近、大手スーパーでは、セルフ・レジが登場しているが、こうしたレジでの応援部
隊登場というのは人件費増になるものの、接客重視の企業文化のあらわれである。
 ウォルマートの1人あたり売り場面積は13坪とKマートの17坪よりも低く、生産性が
低い。店員を減らせば、すぐにも生産性はあがるはずであるが、ウォルマートはそうい
う姑息なコスト低減策は取らない。商品補充係、商品案内係、レジ係、袋詰め係、カー
トを押す係、返品受付係、そして有名な挨拶係、これらはすべて顧客満足を保証する上
において必要不可欠なコストなのである。
 1981年に遡るが、ウォルマートは、ビデオカートを導入した。これは、店内電子監視
システムの一種であり、盗難防止に用いられている。ウォルマートでは、これを通じて
店内にいる顧客に各種のメッセージを伝えることのほうが重視されている。さらに重要
なことは顧客の購買行動の把握である。レジで得られる買い物記録とあわせれば、顧客
がどの売り場でどの商品をどんな様子で買ったのか、あるいは買わなかったかが手にと
るように分かる。後者はPOSでは分からない情報である。先に触れたマーケット・バスケ
ット分析と併用することによって、購買行動をリアルに分析できるのである。
 ここまでくると、ウォルマートは、既にSCMの段階から、顧客起点のDCM(ディマンド
・チェーン・マネジメント)追求の段階に入ったと言えなくもない。

5 今後の課題
 リー・スコットは、ウォルマートの今後の課題として海外進出とオンライン・ショッ
ピングの強化をあげている。以下では、まず、この2点について、触れる。
イ)海外進出
 2002年、ウォルマートは日本市場進出を発表した。アメリカにつぐGNP世界第2位の巨
大市場への進出である。遅きに失した感もないではないが、その間、各国で現地への適
応の努力を積み重ねてきただけに、満を持しての上陸である。
 わが国で成功を収めるには、克服すべき多くの課題がある。
 まず、何といっても、どの業態を持ちこむかが問題である。表7は、進出国別の業態
分布であるが、ディスカウントストアがもっとも数が多く、ついでスーパーセンターと
なっている。ネイバーフード・マーケットは、ゼロとなっている。

            表7 進出国別の業態分布
                     DS       SC       SAMS
    カナダ          174
    メキシコ        429       32       38
    プエルトリコ      9                 6
    アルゼンチン              11
    ブラジル                  12
    ドイツ                    94
    イギリス                 241
    中国                      10         1
    韓国                       6
    合計            612      406        53

      出典:メリルリンチ日本証券 鈴木孝之作成

 同社の主力業態は、スーパーセンターなので、日本にもこの業態での進出が予想され
るが、アメリカの消費者に最適な業態が日本にそのまま通用するとは到底思えない。
 さしあたっての問題は、国によって嗜好が異なる食品である。幸い食品に強い西友と
組んだことで、この面の不安は、ある程度解消されたが、イトーヨーカ堂やイオンが急
ピッチで対抗策を講じているので、大幅な手直しが必要だろう。
 日本の消費者がマスコミに影響されやすいことも知っておく必要がある。
  カルフールのケースもそうだが、事前の報道で過大な期待をもって出かけて落胆して
いる。外国製品が少ない、照明が暗い、床が清潔に見えない、広すぎてがらんとしてい
る、色づかいが気にいらないなど、外資小売業だと聞くと、エキサイティングなブラン
ド・ショップや最新の百貨店フロアと比較してしまいがちである。
 また、徒歩圏内のコンビニや100円ショップとくらべて、遠いとか安くないという。
  そして、このとまどいをマスコミが増幅する。このように日本はウォルマートが、か
つて経験しなかった難しい消費者が存在する。
 業界4位の西友と組んだことによる不安材料も少なくない。
  何といってもダイエーほどではないが、多額の不良資産を抱えている。最近、金融子
会社の売却が決まったが、まだ負の遺産が残っている。
 店舗網が首都圏に限られていること、老朽店舗の多いことも気になる。全国展開をす
るには、他の食品スーパーを買収するなど、手を打つ必要がある。資金的には問題ない
が、買収を次々と仕掛けていけば、イメージダウンのおそれもある。
 現在は、情報部門と物流部門のスタッフが来日し、西友の実態を把握し、ウォルマー
ト流のやりかたをどの程度導入できるかについて調査・実験している段階である。
  ドイツ進出の場合は拙速のために買収先企業の組合がストライキを構えたりしたので
日本もその二の舞にならぬよう慎重にメンバーを選び、周到な事前調査を行っている。
 日本人とアメリカ人の違いは、前者が非常に「新しもの好き」であるということであ
る。日本では、商品寿命が短く、めまぐるしく商品が投入される。頻繁にセールを行う
ので、EDLPに不可欠なデータ分析を行いにくい。セールを減らせば、自動発注もしやす
くなる。
 また物的流通面でもさまざまな違いがある。当面は、自前の物流センターをもてない
ので、既存の物流センターを利用しなければならないが、その配置や機能、交通渋滞や
積載量の少なさなど検討すべき課題が山積している。
 商的流通面では、卸抜きの取引を行いたいが、どの程度可能かについて、メーカーと
折衝し、先行上陸を果たしたカルフールやコストコのやりかたも研究している。
 西友の個々の店舗の分析も行っている。一般に面積が狭いし駐車場も狭く、店舗運営
のばらつきが目立つ。立地の悪い一部店舗は閉鎖せざるをえないだろう。中国で調達し
た低価格衣料を実験的に販売するなど、グローバル調達力をどの程度生かせるかを試そ
うとしている。
 ウォルマートは、アメリカで都市型店舗の実験をはじめている。その一環として、多
層階でどこまで作業効率を上げられるかについても研究していると思われる。都市型店
舗の多い西友は、格好の実験材料になる。
 西友の店舗立地や面積からみて、ネイバーフード・マーケットのほうが適していると
判断するかもしれない。そうなると、この業態としては、海外初進出となる。また、西
友が行っている配達に興味を持ち、これとネットスーパーを連携する可能性についても
研究しているといわれる。宅急便の発達にも関心を示している。米国に先駆けて、宅配
が実現するかもしれない。
 93年創設の国際部門は、まだ経験不足である。ドイツでの失敗に学んで、経験者のス
カウトや人材交流に力を入れているが、人材難であることには変わりない。西友にある
程度経営を任せるといわれているが、果たしてそれでうまく行くかは疑問であろう。も
っとも、長期的に見るならば、本社から社長を派遣するのではなく、現地のひとに任せ
るのは、当然である。
 ところで、いつでも提携解消が可能という契約になっているのは気になるところであ
る。うがった見方としては、ウォルマートは西友の大株主である住友商事の懸命の働き
かけに応じただけで、本命はあくまでも中国であり、日本はそのための実験基地にしか
過ぎないという説もある。ドイツでは、不当廉売で政府が介入したが、日本では、店舗
設置に限らず、様々な形で行政が介入する可能性がある。採算がとれないと判断すれば
一時期、撤退することも考えられる。
 ウォルマートの直近の海外店舗数は、表8のとおりである。
  欧州では、フランスやスペイン、そして、フィリピンやオーストラリアへの進出も噂
され、年率10%程度の増加は充分可能とみられる。
 海外部門の全社売上高に占める割合は、表9に見るように16.3%にとどまっているが
今後5年間に20%くらいまでは行くと思われる。いずれにせよ、まだ若い企業だけに、
海外へのチャレンジ意欲は旺盛で多少のつまずきにもへこたれないことは間違いない。
  人種のるつぼといわれるアメリカで大成功したのだから、世界中どこに行っても成功
する、地域によって、時間差があるだけだ、われわれは必ず成功するというのが本音で
あろう。

           表8 海外店舗数(2002年4月現在)
          総数              1183
          Mexico             551
          PuertoRico          17
          Argentina           11
          Brazil              22
          Canada             196
          Germany             94
          UnitedKingdom      252
          Korea               11
          China               19

        注:2003年度は、120から130店舗増を計画
        出典:Walmart's Annual Report

          表9 売上高(2002年1月末)
                      2002       2001     前年比   構成比
    Wal-Mart       139.131    217.799      14%      64%
    SAM'S Club      29.395     26.798      10       14
    海外部門        35.485     32.100      11       16
    Mclane          13.788     10.542      31        6
    合計           121.889    191.329      14      100

      注:Wal-Martには、ウォルマート・ストア、スーパーセンター、
          ネイバーフード・マーケットの3業態を含む。
      出典:Walmart's Annual Report

ロ)オンライン・ショッピング
 ウォルマートは、1996年からオンライン・ストアを展開してきたが、これまでは市場
が小さいとみて、あまり力を入れてこなかった。顧客の20〜30%がクレジット・カード
をもっていないし、カードを持っていても、オンラインの利用に慣れていないという判
断であった。
 しかし、ウォルマートは、この部門のテコ入れを開始しており、顧客とのコミュニケ
ーションをより強化するために、使いやすいWEBインターフェイスの導入を進めている。
 2002年5月には、フランクリン・バンク・オブ・カリフォルニアの買収の動きが報じら
れた。ハウスカードの発行が当面の目標のようであるが、使い勝手のよいオンライン・
カード決済方式を普及させる方向に動き出していることは間違いなさそうである。
 将来、ネイバーフード・マーケットの店舗網が拡大すれば、オンラインで注文し、勤
め帰りに近所の店舗に寄って商品を受け取る方式を採用する可能性もある。それが面倒
な顧客には、同社の誇る物流部隊が登場し、配送サービスを行うことも充分考えられる。
 いずれにせよ、全世界で毎週1億人以上の来店客をもつウォルマートが、情報流通と
金融サービスを連動させ、いっそうEDLPと顧客満足を充実する方向にあることは間違い
ない。

ハ)成長の限界
 ウォルマートは、これまで急成長をとげてきた。売上高伸び率でみると、70年代、80
年代と平均40%台と驚異的な伸びを続けてきたが、90年代は、流石に20%まで落ちてき
ている。2000年は20%、2001年は16%、2002年は14%とさらに低下している。
 とはいえ、他の企業に比べれば、まだまだ大きな伸びである。最近伸びているのは海
外部門であるが、やはり主力業態であるスーパーセンターに大きく依存している。
 したがって、同社の将来を占おうとすると、この主力業態の伸びがいつ頃、頭打ちに
なるかを見ることが必要になる。
 図3−4は、10年後までのスーパーセンターの国内店舗数を予想したものである。
 ウォルマートは、2003年には、180〜185店舗の増設を計画している。この増設テンポ
が毎年続くとは予想しにくいので、過去5年間の平均店舗数の増加を想定してみよう。
 ケース1は、毎年145店舗ずつ増加し、10年後まで続くというものである。この場合、
2011年の店舗数は、2516店舗となる。
 しかし、これは最大数字であるので、業界アナリストの説をケース2に示した。
  2006年までは急増するが、2000店舗で頭打ちになるというものである。
 このほか、いろいろなケースが考えられるし、スーパーセンターの店舗数だけで成長
を占うのも乱暴かもしれない。ラインロビングを強力に推し進めているので、1店舗あた
りの売上高は今後も引き続き伸びることが予想される。
 ネイバーフッド・マーケットやオンライン・ショッピングの伸びも予想される。
  さらに、このところ不振だったサムズについても、次期CEOといわれるケビン・ターナ
ーが大胆にテコ入れを図っているので、ある程度の上積みが期待できるだろう。
 しかし、今後どのようになるかは、当のウォルマートを含めて誰にも分からない。
 いずれ10年以内に、主力業態の伸びがとまることだけは間違いないが、同社は、成長
意欲の旺盛な企業なので、次の成長を支える何らかの分野を発見・育成するであろうし
豊富な資金力を生かして、ライバル企業を買収することも充分考えられ、今後の10年間
も2ケタ台の成長は、まず間違いないものと思われる。

図3−3 ウォルマートの成長率の推移

出典:Walmart's Annual Reportをもとに作成

図3−4 スーパーセンターの店舗数予測

出典:Walmart's Annual Reportをもとに作成

6 企業文化の変容
 これまでみてきたかぎりでは、今後のウォルマートの成長には死角がないように思わ
れる。
 しかし、歴史の教えるところは、「繁栄は崩壊を準備する」である。
  華々しい事業成功のかげで、企業文化の変容が進行しているのに、当の企業は、気づ
かない。売上高や利益に気をとられて、重大な変調に気づかないケースが多い。
 これは、いわば身体の内部でガン細胞が発達していくようなものである。最初は、ま
ったく意識されないが、やがて、あちこちに変調が起こる。そして手当てがはじまる。
治療に成功することもあれば、うまくいかない場合もある。そのような場合、名医なら
ば、患者の生い立ちからはじめて長期間にわたって、異変の予兆を観察する。
 以下では、同社の企業文化の変遷をたどり、将来の変容を予想してみたい。

イ)その形成
 サムは、創業の頃から一般経費を他社が5%のところを2%で行こうと決めていた。
  EDLPを実現するには、ライバルに負けない低い水準にコストを抑えねばならない。売
れ行きがよくなれば大量に発注し、さらに安く仕入れるという好循環が生まれる。
 こうした努力が実って、EDLPサイクルにはずみがついて、ウォルマートの販管費は、
年々低下し、現在は17.3%となっている。Kマートの22.7%、わが国のイオンの28%に
比べると、驚異的な低水準である。
 EDLPは、先に述べたように、全社をあげてのたゆみない努力の結晶であり、企業文化
のエッセンスである。
 それを解き明かすために、すでに紹介した「サムの成功法則」は単純素朴だが、今日
きわめて重要な意味をもっている。
 その9には「ライバルよりも上手に経費をコントロールせよ」とある。
  サムはこれをスローガンで終わらせなかった。全米一の大金持ちになっても、質素な
執務室にとどまり、高級な社用車は使わず、古い小型トラックを自分で運転した。海外
旅行でもファーストクラスには乗らなかった。上級役員が華美な生活を見せびらかさな
いように「1ドルの大切さ」を説き、自ら率先垂範した。
 この企業文化とEDLPの関係は、図4−1に表すことができる。
 円が企業文化、中心にあるのが事業コンセプトであるEDLPである。企業文化が確立し
ていくにつれ、EDLPが堅固なものとなり、また、全社をあげてEDLPを追求するなかで企
業文化が確立していく切り離せない関係にある。今後、ウォルマートに倣う企業が続出
すると思われるが、この点を見失うと形だけの模倣に終わるだろう。

図4−1 企業文化とEDLP


 ウォルマートの企業文化は、順調に形成されてきたわけではない。急成長の過程で、
サムに率いられたやり手の商人たちは、成長の壁に直面した。商品仕入れを各店舗に任
せていため、膨大な作業負担がかかっていた。売上げや経費状況も台帳だけでは管理し
きれなくなった。MBWAにも限界がきた。サムは、1日16時間働いたが、毎日顧客と接し
ている店員たちに、「親しみやすくあれ、親切であれ、熱心であれ」と呼びかけること
が困難になった。
 物流部門にもネックが生じてきた。頻繁に配送遅れが生じ、は欠品が生じ、顧客から
不満の声が聞こえるようになった。田舎の小売店経営から近代経営への脱皮に迫られて
いたのである。
 そこで、サムは、エキスパート探しに奔走し、ようやく優良バラエティストア・チェ
ーンにいたフェロルド・アレンドのスカウトに成功した。
 フェロルド・アレンドは、それまで各店舗で行ってきた仕入れを本部での一括集中購
買に切り替え、物流センターを設置し、そこを中心に半径350マイル以内に店舗を配置す
る改革を行った。
 物流センターでは、在庫を最小限に抑えるためにクロス・ドッキング方式を採用し、
即座に仕入れた商品を各店舗に振り分け、配送するようにした。コンピューターを導入
し、本部と各店舗との通信を密にした。
 このように、ウォルマートは、近代経営の仕組みを導入したのである。
  商的流通、物的流通、情報流通の3分野において、最新の仕組みや技術を導入したの
である。これによって、EDLPが一層確実になものとなり、飛躍への条件が整った。
 この状況は、図4−2のように示すことができる。EDLPを企業文化の中核(外心)に
すえ、企業文化(外接円)のなかに、3つの経営支援ツールが配置されている。

図4−2 経営支援ツールの導入


 サムは、当初物流センターの規模が大きすぎる、コンピューター投資が過大だと待っ
たをかけた。過大投資によってローコスト経営が台なしになるのを恐れたからである。
  経営支援ツールは脇役にしか過ぎない。
 1974年、56歳になったサムは、経営の第一線を退こうと思いはじめた。フェロルド・
アレンドをマーチャンダイズ担当副社長に、新しくスカウトしたロン・メイヤーを財務
・物流担当副社長に任命した。若い世代ならば最新技術を駆使して、近代経営に転換で
きると考えたからである。
 ロン・メイヤーは、サムよりも野心的な目標を持っていた。その達成のためは、情報
・通信システムと物流センターへの先行投資が必要不可欠だった。「全米最高水準にし
ましょう、そうすれば、あなたが悲願とするEDLPを実現できる」と熱心に説き、サムは
その大胆な提案に心を動かされた。
 このサムとロン・メイヤーのハネムーン時代は、図4−3のように示すことができるだ
ろう。物的流通や情報流通面での思い切った先行投資が、企業文化をより溌剌にし、
その結果、EDLPもより確かなものになる。
 これは、図4−2でも中心にはあったが外心に位置づけられていたEDLPが、いよいよ円
の真の中心である内心に位置づけられるようになったということである。

図4−3 経営支援ツールの強化


ロ)その危機
 しかし、このハネムーンは長くは続かなかった。1976年、ウォルマートの公式年表に
はないが、きわめて重要な出来事が起きた。
 サムは、ロン・メイヤーにすべてを託して引退したが、後継者に指名したロン・メイ
ヤー率いる急進改革派と長年苦楽を共にしてきたフェロルド・アレンド率いる保守派の
争いが一気に噴出してきたことに気づいた。
 サムは、引退してヒマになったので、大好きな店舗巡回を再開し、問題点を日々ロン
・メイヤーに伝えて、即刻手を打つように進言した。しかし、いい顔をされなかった。
 そこで、サムはこのままでは築いてきた企業文化が変質してしまうと直感した。
 このサムの抱いた危惧は、図4−4に示すようなものであろう。
 EDLPは、ロン・メイヤーが推進する先進的な経営支援ツールの導入によって確実なも
のになるかも知れないが、顧客志向のフレンドリーな企業文化が雲散霧消してしまうの
ではないか。ロン・メイヤー指導下のウォルマートは、権威主義的な大企業に変身する
のではないか。
 後にサムは、こう述べている。
「顧客の応対をしている者と彼らを支える者以外はウォルマートに必要ない。煩雑な手
続きの多くは、帝国を築きたがる者が生み出す。ある人たちは、自分の重要性を強調す
るために周囲を多くのスタッフで固める傾向があるが、これはウォルマートでは不要な
ことだ」。
 ロン・メイヤーはサムが自からスカウトした男である。店舗めぐりに誘い、サムの操
縦する自家用機が空中衝突寸前になって、九死に一生を得た運命の仲間であり、切るに
は忍びない有能な男だった。しかし、全身全霊を傾けて築きあげてきた企業文化が後継
者の手で崩れ去り、それこそ誕生の地ベントンビルに出来た博物館の片隅に封じこまれ
るのだけは、何としても阻止したいと思ったのである。また、サムも、引退するには、
元気すぎた。

図4−4 企業文化の危機


 サムは、わずか3カ月前に任命したばかりのCEOのロン・メイヤーに降格を提案した。
  これが、「土曜の夜の大虐殺」と後に呼ばれる事件である。この結果、ロン・メイヤ
ーをはじめ、上級幹部の3分の1が同社を去る。
 サムは、その後、再度、後継者を選びなおし、新たにスカウトした温厚で忠実なデイ
ビッド・グラスを社長にすえた。よきマネンジメント・チームをつくりあげることは、
企業成長に不可欠であるが、サムは、この人事の荒療治によって、企業文化を守りぬく
ことに辛うじて成功したのである。
 幸い、サムが見込んだデイビット・グラスは、ただの2代目ではなかった。
  守りに入って、改善に明け暮れるのではなく、企業文化を継承しつつ、経営のイノベ
ーションに全力を投入した。

ハ)予想される変容要因
 デイビット・グラスというよき後継者に恵まれたおかげで、ウォルマートは、これま
で成長を続けてきた。しかし、2人の偉大なリーダーがいなくなり、リー・スコット率
いる若い世代の時代になれば、すべてが昔のままということはありえないだろう。いろ
いろな要因で企業文化が変質していくことは、間違いない。
 以下では、それをいくつかのフェーズ毎に予想してみよう。

表10 企業文化変容の要因
・その1:創業者、中興の祖、新世代
・その2:EDLP、EDFP、高価格化
・その3:情報強化、オンライン・ショッピングの強化、金融サービスへの進出

 第一に検討すべきは、リーダーの資質である。企業文化は、創業経営者がつくりだし
たものであり、きわめて属人的なものである。したがって、創業者の死とともに、かれ
が築いた企業文化も必然的に空洞化していく運命にある。
 サムが率いていた初期の田舎企業ウォルマートは、非エリート集団であり、ブルーカ
ラーの「頭のおかしな連中」ばかりだった。そんな彼らの心をつかむために、サムは、
従業員大会で応援歌を大声で歌い、チア・リーダーぶりを発揮した。事もあろうに、お
堅いウォール街でフラダンスを踊ってみせたり、株主総会後にアナリストたちをカヌー
での川下りに挑戦させて慌てふためく様子を見て楽しんだ。ウォルマートには、ならず
者集団特有の異常な結束力があった。
 幸い、サムと長年苦楽をともにしてきたデイビット・グラスがまだ健在で、企業文化
の匂いが残っているようである。グラスが後継者にリー・スコットを選んだのも、スコ
ットがブルーカラーを代表しているからである。
 現経営陣は、あらゆる機会をとらえて、企業文化の堅持をアソシエートに呼びかけて
おり、それはある程度成功している。しかし、従業員数が、130万人を超えるようになっ
たいま、サムのように、16時間も働きづめに働くような勤労の気風は薄れて、長時間・
低賃金労働への不満が高まってきているのも事実である。
 同社の離職率は、2000年で65%と高い。人事ソフトを導入したり、教育訓練を強化し
て、その低下にやっきとなっているが、なかなか改善されないのが実情である。
 これまで同社の株価は急上昇してきた。近年は図5に見るように、さらなる上昇を望
めない状況になっている。これまでは、株価上昇による資産の増加が低賃金をカバーし
てきが、今後は、それが期待できなくなっているのである。

図5 ウォルマートの株価推移

出典:Walmart's Investor infomation

 こうした状況下では、当然、幹部の高い報酬をうらやむものが出てくる。
 リー・スコットの2001年の年俸は、112万ドル、インセンティブが178万ドル、その他
94万ドルである。他企業の経営者と比べれば、低いものの、高額報酬問題が話題になり
GEの名経営者ウエルチの引退後の特別待遇すら批判にさらされる現在、この高報酬が不
満のタネになっていることは間違いない。
 このほかにも、ウォルマートの企業文化の変質を示す数々の予兆がある。
 まず、次第に家族的な雰囲気がなくなってきたことが気になる。
  同社は労働組合の結成を許さないために、ガス抜きの装置がない。ドイツでは、買収
先に組合があって、この対応に苦労した。
 第2に「顧客の期待を超えよ」というサムのメッセージが、空洞化し、顧客の期待に
応えられなくなっている。都市部の店舗では、心からひとに親切にする南部のホスピタ
リティはなく、不親切な店員や、機械的にレジに立つひとが増えている。
 1992年から、同社は顧客満足の不徹底を懸念して、エリザベス・A・サンダーを社外重
役に起用している。彼女は顧客満足で有名な百貨店ノードストロームの元副社長である
「顧客の期待を大きく超える」ノードストロームのやりかたを何とか採りいれようとい
うのである。
 第3に、同社をとりまく利害集団からの批判が次第に高まっている。
 1980年代後半からは、同社の店舗展開に対して全米各地で激しい反対運動が起きた。
  いまも、多くの法廷闘争を抱えており、出店とりやめになったケースも少なくない。
  反対理由は、地域社会を破壊する、とくに中小商店に大きな打撃を与えるというもの
である。
 また、同社には、サムの時代からKマートをはじめ、ライバル企業に勝つためには手
段を選ばないという批判があった。強引なライン・ロビングによって押しつぶされた玩
具や食品企業の悲惨な例を前に、ウォルマート進出の影におびえている企業は多い。
 さらに、取引先への要求が次第にシビアになっているのも気がかりである。 
  契約書を見る限り、「取引をしてやるから有難いと思え」といわんばかりの雰囲気が
ただよっている。取引の恩恵にあづかれなかった企業は、当然ながら不満をもつ。その
怨嗟の声が次第に広がっている。
 商品の海外調達が日常化するなかで、劣悪な労働環境下で低賃金・長時間労働が行わ
れているという批判も、もうひとつの懸念材料である。矛先の多くは、ナイキに向かっ
たものの、今後、ウォルマートが標的にならないという保証はどこにもない。
 巨大化し、グローバル化すればするほど、こうしたさまざまな社会集団との間で軋轢
が生じる。その結果、同社は、2つの顔をもつようにならざるえない。
  顧客に微笑みかける顔と高圧的な顔との両方である。
  このようにして、企業文化は変容していく。図示すると、図4−5のようになる。

図4−5 高圧的な企業文化への変容


 第2は、EDLPの変容である。
 EDLPは、世界経済のデフレ化という大きな潮流に合致している。ブランド・イメージ
の中核になっており、そう簡単に揺らぐようなことはないと思われる。
 しかし、将来、成長スピードが鈍り、株価維持のために、経営陣が利益優先に傾けば
この路線が変容する危険がないとは言いきれない。
 ネイバーフード・マーケットによって、田舎から都会への店舗展開が加速することに
なれば、一層、この傾向に拍車がかかるだろう。わが国のコンビニのように、便利さが
優先して価格の安さは二の次になる可能性がある。その場合、EDFP(Every Day Fair 
Price)ということになる。
 海外進出も、EDLP変容の誘因である。すでに、ドイツでは、EDLPが当局からシェアを
とるための不当廉売であると非難されている。EDLP=不当廉売のイメージが広がるおそ
れもあり、軌道修正を迫られている。
 韓国では、地元の最有力小売業Eマートにカルフールが加わり乱売合戦が繰り広げら
れている。日本では、100円ショップが流行しており、全国的な店舗網ができている。
  こうしたなかでは、ウォルマートのEDLPといえども、「ちっとも安くないわね」とい
うことになる。
 さらに、収益確保のために、現在のウォルマートとは別のストア・ブランドを用い、
高価格帯域に進出することも考えられる。
 このようにEDLPが実態面やイメージ面で変容すると、図4−6のようになる。

図4−6 EDLPの変容


 第3は、経営支援ツール強化による企業文化の変容である。
 ウォルマートの物流・情報投資は年々増加している。
  これまでのところ、それはコストアップ要因にはならず、在庫削減、売れ筋商品の早
期投入といった形で利益率アップに寄与してきた。しかし、こうした経営ツールを駆使
する専門的スタッフの発言力が強くなれば、投資が利益に結びつかなくなるいことも予
想される。
 ネット販売での遅れを取り戻すべく、情報部門の強化を進めているが、これによって
商流部門に奉仕すべしという企業文化が変容することも懸念される。オンライン・ショ
ッピングは、顧客とのコミュニケーションを強化するための手段であるはずだが、サイ
トを見る限りでは、使いにくく、そっけない対応しか出来ていない。
 もうひとつの懸念材料は、金融サービス分野への進出である。
  これは、同社の培ってきた情報力を生かし、さらなる収益源を創造しようという試み
として期待される。与信からはじまって支払いまで、さまざまな場面で、収益が期待さ
れるだろう。しかし、この金融サービス部門が発言力を持ってくると、商的流通、物的
流通、情報流通に金融サービスが加わって、経営は複雑さを加え、これまでの商人=ブ
ルーカラー文化が崩壊し、テクノクラートが支配的な企業文化へと変容するだろう。
 こうしたケースを想定すると、図4−7になる。

図4−7 テクノクラート支配による変容


7 今後の研究課題について
 さて、以下では、同社について、どのような研究課題があるかについて少し触れてお
きたい。
 いまや世界企業となった同社を題材に、数多くの優れた研究が行われることが予想さ
れるが、その参考になれば幸いである。
 周知のように、1958年、ハーバート大学のマルコム・P・マクネア(M.P.McNair)教授
は、「小売の輪Wheel of retailing」の理論を展開した。
 小売業においては、新業態が低コスト、低価格で参入するものの、やがてライバルの
参入によって、競争が激化し、対抗するなかで、高級化、品揃え拡大、多店舗化を図り
結局は高コスト体質になって、低コスト・低価格のアウトサイダーの参入を招くという
ものである。
 古い理論ではあるが、実際に、この100年間に、百貨店、スーパーマーケット、ディス
カウントストア、カテゴリーキラーなど、様々な業態が登場しては主役になり、やがて
その座から去っていったことから、この理論の信奉者は多い。
 しかし、ウォルマートについては、目下のところこの理論が当てはまらないように見
える。
 品揃えの拡大、多店舗化を行っているものの、高コスト体質にならず、販売管理費は
下がり続けアウトサイダー参入を許していないからである。
 この新しい現象をマクネア理論に基づいて解釈するならば、ディスカウントストアと
いう業態が衰えた代わりに、スーパーセンターという新業態が登場したということにな
る。本来ならば、アウトサイダーが参入するところであるが、ウォルマート自身が自己
革新によって業態転換に成功したという解釈である。
 また、ウォルマートが業態内革新を行ったとの見方もできる。ディカウントストアも
スーパーセンターも考えてみれば、似たような業態である。食品を加えて、より巧みに
運営しているのが後者であるから、同一業態内の革新にしか過ぎない。
 当のウォルマートからすれば、こうした議論は無意味なものにちがいない。そもそも
業態の定義が曖昧であり、世の中が日進月歩するなかで、過去のマクネア教授の理論に
義理立てする必要もないからである。
 しかし、われわれは、次のような疑問を持っている。

 ・今後ウォルマートは成長し続けるだろうか?
 ・限界があるとすれば、変曲点は何年後に訪れるだろうか?

 誰かが、この疑問に答えねばならないだろう。
 以下では、いくつかの研究方向を示しておこう。
 第1は、マクロ環境要因による説明である。
 ウォルマートは米国企業である。そこには世界最大のダイナミックな市場があり、熾
烈な競争が行われている。その競争がウォルマートを生み出した。今後見込まれる海外
部門の成長も、パックス・アメリカーナのなかで、世界市場が誕生し、その潮流にうま
く乗っているからである。
 しかし、世界経済のグローバル化といったあまりにも常識的な説明では、同社が、わ
が国最大の総合スーパー、イオンの売上げを凌駕する成長を毎年続けているという事実
を説明するには、やや不十分だろう。
 第2は、産業構造の変化説である。
 供給過剰が恒常化しているなかでは、小売業と製造業の優位性逆転は不可避である。
  メーカーは生き残りのために小売の巨人との製販同盟を求めざるを得ない。
 しかし、この説もウォルマートという小売業界の巨人だけが、その段階に到達しただ
けであって他の多くの小売業が、まだメーカーの販路に留まっているという現実を前に
すると、一般理論化するには、時期尚早であると思われる。
 第3は、技術革新要因による説明である。
 同社が、製販同盟に踏み込んだちょうどその時に、物的流通や情報流通の分野で技術
革新の大波が起こり、サプライチェーン・マネジメントが急進展し、同社はたまたま、
その大波に乗ることが出来たという説明である。
 しかし、こうした説明では、数ある米国小売企業のなかで、ウォルマートだけが恩恵
を受けたことの説明には弱いように思われる。
 第4に、思い浮かぶのが、よりミクロの競争要因説である。
 ディスカウント業態に進出した時、ウォルマートの前に立ちふさがったのは、Kマー
トだった。サムは、「ゾウを襲うノミ」のように、この大手企業を研究し、挑戦してい
った。Kマートのほうは、最初、ウォルマートを無視し、ついで真っ向から対決し、そ
して敗れ去った。
 本稿では、Kマートとの戦いについては、触れなかったが、サムはKマートをはじめ
多くの小売業からベスト・プラクティスを謙虚に、かつ貪欲に吸収した。玩具のトイザ
らス、食品スーパークローガーとの争いなど、ウォルマートを成長に導いたのは、競争
である。
 サムのいうように「ライバルの存在は、ナイフの刃のように(ウォルマートを)鋭く
してくれた」のである。
 ウォルマートにとって、現在のライバル企業は、カルフール、テスコ、マクロ、ター
ゲット、ホーム・デポといったところであろう。今後、ライバル企業から何を学ぶかに
も注目してみたい。
 第5の観点は、意思決定説である。
 競争要因だけでは、なぜライバルのKマートが負け、これだけの大差でウォルマート
が勝ち残ったのかという説明がつかない。これもサムが述べていることだが、Kマート
との対決が最高潮に達した1976年、ウォルマートは、ロン・メイヤーの退社にともなう
役員たちの集団退社に揺れ動いていた。Kマートにとっては、ウォルマート撃滅のまた
とないチャンスであったはずである。ところが、どういうわけか、Kマートは、たまた
まあるチェーンストアを買収し、その再建にかかりっきりになったしまった。ゾウが後
ろをむいた隙に、ウォルマートは体勢を立て直すことができたのである。そうでなけれ
ば、同社も多くの倒産企業の列につらなっていたにちがいない。
 企業が誕生して、大きくなっていくまでには、多くの危機が訪れる。
  その危機を乗り切ってきた企業だけに、今日の繁栄がある。ところが、経営研究者は
成功例ばかりに目を奪われがちである。
 およそ経営研究にあたる者は、今後、こうしたリスキーな出来事を偶然や例外事項と
して片付けるのではなく、Kマートとウォルマートの場合でいえば、双方の意思決定の
内実にまで踏み込んで解明する必要があると思われる。
 しかし、本当のスリリングな意思決定の内幕は、外部者には分からない。
  筆者は、幸いトヨタ自動車の社史をまとめる機会に恵まれたので、意思決定者への内
部取材ができたが、この小売の巨人の研究にあたっては、そうしたアプローチは、断念
せざるを得なかった。
 創業者のサムについては比較的データが得られるものの、それ以降の経営者であるロ
ン・メイヤー、中興の祖といわれるデイビット・グラス、そして、グラスとともに危機
を救い、一時期社長にもなったジャック・シューメイカー、そして、現CEOのリー・スコ
ットについてのデータは、断片的にしか得ることができない。
 創業40年のこの若い企業が注目をあびたのは、この10年であり、わざわざアーカンソ
ーの片田舎まで取材に行く奇特な研究者も少なかったせいである。
 世界で130万人を超える従業員についての満足度調査、4000店舗の実態調査、毎週1億
人を超える来店客へのインタビュー、こうした調査をどのような形で行うかはともかく
同社の研究には必要不可欠であろう。
 商的流通・物的流通・情報流通の実態については、数多くの取引先があり、類似シス
テムが存在する関係で、比較的詳細なデータが入手できる。
 ウォルマートは日本の多くの企業よりは情報公開に熱心であるものの、かなりの秘密
主義で有名で、これまで日本人の取材には応じなかった。
 幸い日本進出が決まってからは、アナリストや記者の取材にもある程度応じるように
なった。最近は、ウォルマートの本格進出を前に、生存が危ぶまれる企業からの情報需
要が高まった関係で企業関係者やコンサルタントによる研究が盛んになっている。本稿
の記述は、そうした方々の恩恵を受けている。参考文献・サイトに記させていただいた
が、お礼を申しあげる。
 いずれにせよ、ウォルマートは、もはや田舎企業ではない。筆者が注目し、本拠地を
訪問した6年前とは比ベものにならないほど、世界が注目する企業になった。
 言いかえれば、社会の公器となった。巷の研究家にもウォルマートへの関心が高まっ
ている。そうした観点からもウォルマートによる体系的な内部情報の公開が望まれる。

8 結び
 以上、ウォルマートについて駆け足で見てきた。はじめに、売上高から世界の企業の
頂点に立ったという事実を確認し、そこに至るまでの決して平坦ではなかった歩みにつ
いて前史(1918−61)、創業期(1962−79)、成長期(1980−92)、発展期(1993−)
に分けてたどった。
 ついで、同社のEDLPや顧客満足を軸にすえた企業文化が、一見、多くの企業と同じよ
うに見えるものの、実は、その徹底ぶりにおいて、比類ないものであることを説明した。
 そして、同社を現代企業へと飛躍的に発展させた先進的な経営支援ツールのイノベー
ションの数々について、商的流通、物的流通、情報流通の3つの面から検討した。
  こうしたイノベーションのきらびやかな外見に目を奪われることなく、固有の企業文
化とイノベーションが不即不離の関係にあることを強調したつもりである。
 また、同社の今後の成長分野として、海外進出とオンライン・ショッピングの重要性
についても触れた。
 最後に、めまざましい成長を遂げてきた同社が、将来成長の壁にぶつかるとすれば、
それはどのような事態なのか、EDLP、企業文化、経営支援ツール、それぞれについて、
その変質可能性を検討した。
 そこで明らかになったのは、企業は成長にともなって、創業時の企業文化の変質を免
れることは不可能であり、すでに見たようにウォルマートにおいても、数多くの衰退の
兆しが芽生えているということである。
「奢れるものは久しからず」
 ウォルマートのようなすばらしい企業であっても、この諺の意味するところからは、
逃れられないと思われる。

参考文献・サイト
イ)論文
1)佐々木亨「小売業における価値創造:百貨店の再生」名商大論集Vol.43No.2
2)佐々木亨「小売業における価値創造:スーパーマーケットの再生」同上Vol.44No2
3)佐々木亨「小売業における価値創造:アパレル専門店の方向」同上Vol.45No.2
4)佐々木亨「小売業における価値創造:グローバル・リテイラ−」同上Vol.46No.2
5)渦原実男「米国ウォルマート社の小売技術革新の展開」流通学会年報2000年
6)関根孝「我が国小売業の革新と展開:コンビニエンス・ストア」
    専修大学商学論集1995.10

ロ)単行本
1)サム・ウォルトン、竹内宏監修「ロープライス・エブリディ」
    同文書院インターナショナル1992
2)ボブ・オルテガ、長谷川真実訳「ウォルマート:世界最強流通業の光と影」
    日経BP社2000
3)森龍雄「ウォルマートの成長戦略」商業界1990
4)徳永豊「アメリカの流通業の歴史に学ぶ」中央経済社1990
5)三浦康志「ウォルマートの新人間主義経営」ビジネス社1995
6)ダニエル・グロス、Forbes Magazine編集部、山岡洋一訳「創業伝説」日経BP社1998
7)桜井多恵子「アメリカのチェーンストア見学」実務教育出版2002
8)西山和宏「ウォルマートの真実」ダイヤモンド社2002
9)溝上幸伸「ウォルマート方式」ぱる出版2002
10)野口智雄「ウォルマートは日本の流通をこう変える」ビジネス社2002
11)ルディ和子「ウォルマート、儲けの仕組み」あさ出版2002

ハ)雑誌
1)「世界を制するウォルマート」ニューズウィーク日本語版2002.4.20
2)「ウォルマート帝国」ニューズウィーク日本語版2002.6.5
3)森龍雄「ウォルマートスーパーセンター戦略の全貌」販売革新2000.11
4)松田常雄「ウォルマートスーパーセンター経費率16%の秘密」販売革新2000.11
5)辻和成、森龍雄、舟本秀男他「ウォルマート問題特集号」販売革新2001.9
6)若林哲史「ウォルマート40年目の栄光と弱点」チェーンストア・エイジ2002.10
7)吉田繁治「ウォルマートの学び方」販売革新2002.10

ニ)新聞記事
1)山室純「小売業を情報産業に」日本経済新聞2002.5.6
2)山室純「ウォルマート海外で試練」日本経済新聞2002.8.19
3)山室純「ウォルマート海外勢成長の原動力に」日本経済新聞2002.9.26
4)山室純「米ウォルマートのサムズクラブ」日本経済新聞2002.10.22
5)田中陽「船井電機、取引高1000億円に。ウォルマートは道場だ」
    日経流通新聞2002.8.13
6)「ウォルマート既に上陸西友改革へノウハウ移植」日経流通新聞2002.9.19
7)「TCF、西友、ローンスターに売却」日経流通新聞2002.10.26

ホ)URL
1)ウォルマート公式ホームページアニュアル・レポート1972〜2001年
 http://www.wal-mart.com/corporate
2)佐々木セミナー ウォルマートの研究
 http://plaza19.mbn.or.jp/~tytya/WAL.html
 http://opinion.nucba.ac.jp/~sasaki/WAL4.html
3)名商大生、内田克人・松永未来優秀論文
 http://opinion.nucba.ac.jp/~sasaki/Wal-Mart.html
4)産能大大学院、木村誠「米国ウォルマート社──最高の最終顧客満足度──」
 http://www.mi.sanno.ac.jp/~negoro/Why_Success/wal-mart.htm
5)愛知大学・丸谷雄一郎
 「ウォルマートの国際経営戦略に関する一考察」
 http://leo.aichi-u.ac.jp/~maruya/shougakuronnsanoikawa.htm
6)日本小売業協会:ウォルマート
 http://www.japan-retail.or.jp/usa/discount02.htm
7)アメリカ・グリーン購入調査団レポート:ウォルマート社
 http://eco.goo.ne.jp/gpn/files/research/wm.html
8)PeopleSoft/ウォルマートで当社人材管理ソフトが本格稼動
 http://www.peoplesoft.co.jp/news_events/nr/010724_2.html
9)EDLPが最後は消費者の支持を得る!
 http://www.newformat.com/information/md/200202/siten.html
10)米国におけるサプライチェーン・マネジメント
 http://www.ncr.co.jp/solutions/busol/topics/supply.html
11)三井物産戦略研究所:企業改革をうながすSCM
 http://mitsui.mgssi.com/world/0005/toku_03.html
12)ブリック・アンド・モルタルの逆襲
 http://www.itssp.gr.jp/MEMBER/WASHINGTON/wc9/w_core_wc9.htm
13)Consumer reviews and price comparison for Wal Mart Supercenter
 http://www.uk.ciao.com/reviews/5183100/Pid/1,14,13441,13454.html
14)With Wal-Mart, Look, Don't Listen
 http://www.nationalgrocers.org/WalMart.html
15)ウォルマート批判のページ
 http://www.walmartsucks.com
16)株式会社西友の株式取得で合意
 http://www.sumitomocorp.co.jp/news/20020314_170256_seikatu.htm
17)ウォルマートの独自商品、来年にも西友店舗で販売へ
 http://www.asahi.com/business/update/0524/002.html
18)ウォルマートの日本進出戦略を読む
 http://www.jmrlsi.co.jp/menu/case/case-new45.html




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